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「助けてください」から、誰かを支える側へ——物流と貿易をつなぎ、受け取った恩を次の人へ
森本茂樹
ご縁で物流と貿易をつなぎ、恩を次へ渡す顧問
大阪府
森本茂樹さんのプロフィール
大阪を拠点に、物流と貿易を中心とした顧問・事業開発に携わる。営業、物流、購買などの経験を生かし、企業と企業、人と人をつなぐ。大切にしているのは「ご縁」。受け取った恩を次の人へ渡し、人と企業の成長を支えている。
あなたは、自分を認められなかったことがあるだろうか。
「友人が『今、どうなりたい?』って聞いてくれて。とにかく認められたい、人から認められたことがないんだと、27歳で泣いたのを覚えています」
幼い頃、森本茂樹さんの家庭は貧しく、靴が破れても買ってほしいと言い出せなかった。同じ服ばかり着ているとからかわれ、友人と出かけても、自分だけ何も買えない。「俺なんか」という思いが強くなり、内にこもるようになった。
大学へ進み、働くようになってからも、自分への見方は簡単には変わらなかった。
「全然変わらなかったんですよ。自己肯定感はずっと低いままですよ、社会人になっても」
営業では、ほかの人が一日に3軒ほど訪問するところを、9軒回った。前日から地図を見て順番を考え、何度もお客様のもとへ足を運ぶ。ナビもない時代だった。
自分のように素質のない人間は、人の3倍やらなければいけないと考えていた。
生命保険会社では、契約の件数と金額の両方で要件を満たし、表彰を受けた。
「ちょっとプチ成功したんですよ。初めてお金もできて、賞ももらっていたんですけど、それでも自信を持てないままだったんですよね」
自分を認められるようになったのは、50歳を過ぎてからだった。
現在は大阪を拠点に、物流と貿易を中心とした顧問・事業開発に携わる。企業と企業、人と人をつなぎ、新しい仕事を始めたい人や、海外へ進みたい企業を支えている。大切にしているのは「ご縁」だ。
今は、自分の苦労話を聞いた人が自信を持ち、成長していく姿がうれしいという。人に認めてもらいたくて泣いた27歳から、誰かの自信を支える今へ。その間には、自分の過去を受け止めるまでの長い時間があった。
第1章|「俺なんか」が、心に残った——破れた靴と、新聞を届けた少年時代
幼い頃、家庭では二人目の父の借金や賭け事の影響で、暮らしが苦しかったという。その環境をどう感じていたのか尋ねると、森本さんは率直に答えた。
「つらかったですね。同じ服ばっかり着ているし、靴が破れても言い出せないし、という感じでした」
家庭が貧しく、体育の授業で使う運動靴も買えなかった。けがで運動ができない友人がその事情を知り、自分の靴を貸してくれた。一方で、学校では「お前、いつも同じ服を着ているな」とからかわれた。友人と駄菓子屋に行っても、お小遣いがないので、自分だけ何も買えないことがあった。
「どんどん自己肯定感が下がっていきますしね。『俺なんか』って言って、内にこもるようになって」
反抗する方向へは向かわなかったのかと尋ねると、「度胸がなかったんで」と答えた。当時、不良といえば背が高く腕力のある人だと思っていて、小柄だった自分はそちらへ行こうとは思わなかったという。
「どうしたら、ここから脱出できるんだろう」
小学5年生になると、新聞配達を始めた。集金を手伝うこともあり、領収書を持って各家庭を訪ねた。すぐに払ってもらえる家もあれば、「今、お金がない」と伝えられる家もあった。家ごとに異なる事情を、小学生の森本さんが知る機会になった。
「世の中にはいろいろな事情があるんだって、小学生にして知るわけですよ。どうしてこんなことが起きるんだって、考えるんですね」
その頃から本が好きになり、自分の心を見つめるようになった。
中学生の頃には、母が買ってくれた海外のロックバンドのベストアルバムに夢中になった。初めて聴いた時の衝撃は、今もほかの音楽を聴いた時以上に強く残っているという。
「全身に電流が走ったみたいな感じで。それぐらい音楽に傾倒してくるんです」
聴くうちに、自分もあのバンドのようになりたいと思うようになった。
「自分でお小遣いを貯めてギターを買って、下手っぴだけど練習したりとかして。ただ、やっぱり下手くそで」
思うようには上達しなかったが、中学、高校と音楽を好きでいることは変わらなかった。いろいろな音楽を聴き、ギターを練習する一方で、高校ではアルバイトもしていた。
高校2年生のある日、森本さんは友人と遊んでいた。アルバイトへ向かう時間になり、その場を離れる。
「『今からアルバイトに行かなきゃ』って。アルバイトに行く途中で、車に巻き込まれて左腕を折るんです」
入院すると、思うように身体を動かせなくなった。新聞や漫画を読んで過ごしていたが、テレビを見ても面白く感じられなかった。
そんな時間を過ごしていた時、二冊の小説を買ってきてもらった。
第2章|物語に心が動き、働いて学んだ——大学進学から、認められたかった営業時代へ
手に取った二冊の小説に、森本さんは心を動かされた。
「こんな、人を感動させる小説を書けるのって、すごいなと思って」
うっすらと、小説家になりたいと思うようになった。家庭の経済事情から高校を出たら就職するつもりでいたが、小説家になるなら大学を出なくてはいけないとなぜか思い込み、急に大学へ行く決心をした。進学は、そんな憧れから選んだ道だった。
進学に必要なお金は、奨学金とアルバイトで用意した。奨学金で賄えるのは一部だったため、働き続ける必要があった。お小遣いもなく、朝と昼の食事代は自分で賄っていた。
「ずっとアルバイトをしていましたね。当時は合コンなどもいっぱいあって、みんなが楽しくやっている中で、自分はお金がなかった。あったとしても音楽が好きだったから、そんなことに使うよりLPを買った方がいいやと思い込むしかなかった。どうせ行ってものけ者にされるんだし……」
自分を奮い立たせていたのは、反骨心とも、成り上がろうという気持ちとも少し違った。
「何とかしなくちゃいけない」
大学を卒業すると、パン製造会社へ入社した。採用が決まり、会社の説明会(内定式)へ行った時のこと。交通費をもらう時に出身大学と名前が読み上げられ、有名な大学の名前が次々と続いた。「30倍の倍率を勝ち抜いたのだから、なぜ自信が持てなかったのか」と、今なら思うという。
「でもその時は、『これは通用するんだろうか』って、思っちゃったんですよね」
採用されてそこにいる事実よりも、周囲の経歴が目に入った。社会人になっても、自分への不安は続いていた。
若い仲間の中では、遊んでこなかった自分はノリが悪いと言われ、うまくなじめずにつらい思いをしていたという。社会人になってからも、人との関わり方に悩んでいた。
勤め先は、パン製造会社から乳製品メーカー、生命保険会社へと変わっていった。食品以外の仕事もしてみたいと考えてほかの業種を受けたこともあったが、採用には至らなかったという。乳製品メーカーでは高い倍率の選考を通ったと振り返るが、自信のなさは続いていた。
営業の仕事では、訪問の回数を増やした。自分に足りないと感じている分を、行動の量で埋めようとしていた。
「俺みたいな素質のないやつは、人の3倍回らないといけないと思って、本当に3倍回っていたんですよ」
乳製品メーカーでは、ほかの人が一日に3軒ほど訪問するところを、9軒回ったという。前日から地図を広げ、効率のよい順番を考えておく。何度も足を運ぶうちに、しつこいと言いながらも買ってくれるお客様がいた。
「駄目な俺でも、こんなことをすれば買ってもらえるんだ」
生命保険会社でも表彰を受ける経験をした。件数と金額の両方で、一定の要件を満たす必要がある賞だったという。
「大きな契約をボンボン取っても、取れないんですよ。件数も重要視されるので」
その両方を積み重ね、収入も得られるようになった。何とか頑張ればできるという気持ちも、少し芽生えていた。その頃、親しくしていた先輩が関わる事業への投資を始めた。
第3章|返すために働き、助けられて進んだ——約3,000万円の借金と、掛け持ちの日々
森本さんが関わったのは、先輩が生ごみ処理機を開発していた会社だった。環境問題への関心が高まり始めた当時、その仕組みに可能性を感じたという。
「生ごみと菌を入れると、肥料になって出てくるんですね。生ごみを分解して肥料に変えられる。これは画期的だったんです」
社長には志があったが、開発を進める資金がなかった。森本さんたちは資金を集める方法を相談し、出資を募って開発費を捻出した。量産化へ進み、大きな病院にも設置できた。森本さん自身もよいものだと思い、親族に出資を頼んでいた。
ところが、においを抑えるために取り付けた装置に、不具合が起きた。
「そのオゾン生成器が壊れちゃったんですよ。においが充満して、すぐに『撤去してくれ』となって、そこで資金繰りが立ち行かなくなって」
出資に伴うお金が入らなくなると、親族との間でも返済の問題が起きた。それまで優しかった親族の反応が変わったという。
「びっくりしちゃって。お金が絡むと、こんなふうになるのかと思って」
手元には返すお金がなかった。消費者金融から借り、それぞれに100万円ずつ返した。ほかの人への返済なども重なり、約3,000万円の借金を背負ったという。事業に関わったのは30歳の時だった。
「金利の負担が大きすぎて、減らないんですよ。全部を消費者金融から借りたわけじゃなくて、知り合いに借りたりもしたので、内訳はバラバラなんです」
返済のため、三つほどの仕事を掛け持ちした。賃貸に関わる仕事や、鉄道の補修に必要な人の手配、コンビニへの配送。配送は一回走ると5,000円になり、走る回数に応じて収入が増えたという。
「でも、自分の身体を動かさないといけないんですよ。時間も奪われるし」
高速道路を運転中に眠ってしまい、降りるはずのインターチェンジを五つほど通り過ぎて目が覚めたこともあった。そんな経験が二度ほどあり、よく事故を起こさなかったと思うという。働く時間を増やし続ける暮らしの厳しさを経験し、後に、自分の時間と収入の関係を考えるようになった。
働く中では、人に助けられることもあった。人の手配をする仕事では、若い知人が力を貸してくれた。
「すごくやんちゃな子がいて、すごいネットワークを持っていたんですよ。その子に助けられて、人を集められたんです」
また、所属していた会社の社長からは、「うちの会社の名前を使ってやれよ」と言ってもらった。会社の名前を使って求人広告を出し、人材を紹介する仕事に取り組んだ。いろいろな方法を考え、実際に動いて収入を得ながら、返済を重ねていった。
「一生懸命、返していったんですよね」
仕事を掛け持ちして返し、人の力を借りて仕事を増やす。その日々を経ても、自分の過去を恥ずかしいと感じる気持ちは続いていた。自分自身を認められるようになったのは、50歳を過ぎてからだったという。
第4章|自分の過去は、人の力になる——50歳を過ぎて見つけた価値と、豊かな暮らし
森本さんは、その後の社会人生活の中で、大手物流会社の購買を8年間経験した。現場の仕事を長く経験してから、購買の立場へ移ったという。同じ会社の中でも、担う役割によって、人との関わりが変わった。
取引先になってほしいと企業へ連絡すると、すぐに訪ねてきてくれる。不思議に思い、社内の人に尋ねた。
「なんで、みんな親切なんですか?」
社内で聞いたのは、会社の信用についてだった。取引先にとって、継続して代金を払ってくれる会社は大切な相手になる。決裁権を担う立場になったことで、人が集まる理由も知った。
会社を離れると相手の反応が変わることも、早い時期に学んだという。仕事をする中で、所属する会社や役割が人との関係に及ぼす影響を経験していた。
40代半ばの頃には、大手取引先の社長交代に伴い、新社長が挨拶に訪れる場に同席する機会も多くあった。今の役職だけで関係を考えるより、10年、15年先にも関わりが続く人を見ようとした。その頃から知り合い、今も付き合いが続いている人たちが多いという。
50歳を過ぎて、自分への見方が変わってきた。きっかけとして挙げたのは、それまで歩いてきた過程だった。
「自分が生きてきたプロセスをみんなに話すと、みんなが『勇気が出た』って言ってくれたんです。つまり、みんなのためになるなっていうことが分かったんですよ。それを、自分は恥だと思っていたんですね」
貧しかったことも、仕事で失敗したことも、それまでは恥ずかしいと思っていた。その経験が、仕事を立ち上げたり、人の相談に乗ったりする時に使えると分かってきた。
今も取り組んでいるのは、ゼロから一をつくる仕事だ。何も動いていないところから相手を探し、話をつなぎ、仕事にする。難しさのあるその過程を、自分は進められる。そう受け止められるようになっていた。
海外向けの商品をつくったものの、キャンセルなどで在庫を抱えてしまった企業から相談を受けたことがある。森本さんには、話を聞ける相手がいる。つながりをたどって相談すると、相手から条件が出てくる。在庫を捨てる以外に、できることを探していく。
海外の企業が日本について知りたい時にも、日本の企業が海外へ進みたい時にも、間に入る。インドへ何かを出したいという相談なら、その仕事を進められる相手へつなぐ。自分一人ですべてを請け負う形にせず、できる人に担ってもらう。
顧問の依頼も来るが、すべてを引き受けようとは考えていない。
「あれもこれも受けちゃうと、きりがない。むちゃくちゃ相談が来るんです。多少豊かな暮らしはしたいけど、物欲はないので、そこまで贅沢はしなくていい。そう思っています」
その「豊かさ」は、精神的なものだという。
そして話は、人との比較にも及んだ。
「みんな、他人と比較するじゃないですか。他人と比較する限り、際限がないんですよ」
自分にとって何が大切かを考える時、基準にする言葉がある。
「自分が生きていてよかったなって、納得できることじゃないですか」
その時間は、妻との暮らしの中にある。働いて疲れている妻に何を食べたいかと聞き、時々、二人で食事に出かける。
「大切な人と一緒に過ごす方がよくて。うちの妻と『今日ご飯食べに行こうか』とかですね。そういうのと、『おいしかったね』っていうのと」
毎日豪華な食事をするつもりはないが、たまに二人でおいしいものを食べる時間を持ちたい。その日は豊かな気持ちになれるから、そのために働いているという。動物を飼うことも好きで、今はうさぎを2羽飼っている。大切な人と過ごす日常を楽しんでいる。
森本さんは、記念の時計を一つ、大切にしている。もっと高価なものを求めれば上には上があるが、ほかにお金を使いたいこともある。
「そんな高価な時計を買うなら、私が社長であれば、従業員の人の給料を一か月でいいから上げる。そうしたら、会社もよくなるし」
苦しかった頃には、50円のコーヒーさえ買えないことがあった。お金に困った経験を持ちながら、今は、その使い方を自分で選ぼうとしている。記念の時計を大切にし、妻と食事を楽しみ、働く人に喜んでもらえる使い道も考える。何を持つかとともに、誰とどんな時間を過ごすかを大切にしている。
第5章|「そんなこと、言ったかな」——誰かの成長を喜び、自分も進化し続ける旅
森本さんが今取り組んでいるのは、人、情報、商品をつなぎ、人と企業の可能性を広げることだ。
「自分がいろいろなことをやってきたので、企業と企業、人と人をつなげることで、お互い成長していければいいなと思っていて」
関わり方や報酬も、案件に合わせて考える。初期の段階では費用を受け取らず、事業が進んで利益が出た時に受け取ることもある。
「全部が全部、お金を取らなくても、いろいろなところをサポートしているんですよね。出来高というか、『儲かったら頂戴』みたいな」
自分の仕事でも、紹介や専門的な助言で力を借りることがある。協力してくれる相手には、その時間に対するお礼を渡している。
「今でも、すごく助けてもらっているし、協力してもらっているので。逆に、お返ししないといけないと思っているんですよ。本当に思っているんですよ」
話を聞いてもらった時や、法律面の確認をお願いした時には、5,000円や1万円でも謝礼を渡したり、お土産を渡したりする。顧問として受け取った報酬から、関わってくれた人へ分けることもある。
紹介する相手に、必ず自分へ返してほしいとは考えていない。自分自身が、ほかの人たちから助けてもらってきたからだ。先輩に何も返せないと言った時、こんなふうに答えてもらったことがある。
「大丈夫。俺はいろいろなところから戻ってきているから」
当時は、その意味がよく分からなかったという。けれど、自分も人と人をつなぎ、そこから仕事が生まれる経験を重ねる中で、どこかから返ってくるという感覚が分かるようになった。
名刺交換をした相手に連絡を送っても、ほとんど返信が来ないこともある。やり取りが続く人もいれば、続かない人もいる。
「森本という人間に興味を示した人と、やり取りするしかないんですよ」
すべての人と関われば、時間が足りなくなる。自分に関心を持ち、やり取りが続く人との関係を大切にしている。
能力がありながら、十分に仕事や収入につながっていない人も見てきた。そうした人たちが力を持ち寄り、仕事として成り立つ形にしていきたいと考えている。
「本当の意味でのビジネスプラットフォームをつくりたいんですよ。メンバーを形成して」
森本さんにとってのIKIGAIを尋ねると、答えを探す言葉が返ってきた。
「何なんだろう。難しいところですね」
その中で、分かっていることがある。
「とにかく、人が喜んでくれると自分のパワーになる。そこは、すごくIKIGAIですね」
悩んでいる相手に、自分の苦労話をすることがある。その話をきっかけに、相手が自信を持ち、変わっていく。後になって、あの時の言葉を覚えていると教えてもらうこともある。
「私はほとんど覚えていません。『そんなこと言ったかな』みたいな。それを覚えてくれて、糧に成長してくれるっていうのは、すごくうれしいことなんですね」
「人を育てるというところもIKIGAIですし、自分を成長させるというところもIKIGAIなので、まだまだ進化したいなというのがあって」
自分の成長にも、時間をかけてきたという。人とのコミュニケーションも、経験を重ねながら覚えてきた。
「不器用だから、人よりやるのが遅いんですよ。だから私は、20年遅れていると思っていて。今63歳なんですけど、43歳ぐらいの心境なんですよ」
人生にはまだ先があり、自分と人が成長すれば、可能性も広がっていく。森本さんは、その過程を旅に例える。
「たった一度きりの人生なので、不機嫌で過ごすのも人生だし、楽しく過ごすのも人生なんですけどね」
「『Take It Easy』という歌が好きで。『つらいことがあっても気楽に行こう』という思いを歌っています」
長く聴いてきた一曲を、今の人生にも重ねていた。
先輩たちには、若い頃からおいしいものをごちそうしてもらった。今も、その機会があるという。
「ごちそうしてもらってばかりではいかんので、今度は自分が後輩たちに、大したものじゃなくても、気持ちでごちそうできればいいなと思って」
自信をなくしている人に、自分にも可能性があると感じ、成長してもらいたい。それが、日本をよくすることにもつながると考えている。
「そのお手伝いができることが、IKIGAIですかね」
相談を聞き、自分の経験を話し、仕事を進められる相手へつなぐ。かつて人に力を貸してもらった森本さんが、今は自分のできることを次の人へ渡している。相手が自信を持ち、成長する姿を、自分もまた進んでいく力にしながら。

あとがき
森本さんの話を聞いて、私は損得勘定について考えた。
人と人との関係が、損をするか得をするかの駆け引きに見えることがある。
そうしたやり取りを見るうちに、自分もそのように振る舞った方がいいのではないかと思う時期があった。
森本さんは、多くの人に出会い、助けてもらいながら、自分も誰かのために動いてきた。協力してもらった人には、謝礼という形でも「ありがとう」を渡す。助けた相手からの見返りにこだわらず、受け取った恩を次の人にも渡していく。そこに私が感じたのは、相手に喜んでもらいたいという、まっすぐな思いだった。
その姿に、私は精神的な豊かさを感じた。
そして、自分は今、どこにいるのだろうとも考えた。
理想を追いながらも、道半ばにいる。
損得を考えていないかと聞かれたら、まったく考えていないとは言えない。
誰かの力になりたい気持ちの中に、自分への見返りを期待する気持ちが混ざることもある。
だからこそ、自分の心を見つめ直しながら、もっと純粋な気持ちで人のために動ける自分でありたい。
あなたは今、どんな思いで人と向き合っているだろうか。
受け取った恩を、次の誰かへ渡していく。
その行いの一つひとつが時を越え、まだ見ぬ誰かの明日を、少しずつ明るくしていくのだろう。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









