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受け取ったものを、次の誰かへ——医療経営の『右腕』として、人の可能性を支える税理士の歩み
楠原好顕税理士事務所 楠原好顕
『やりたい』を支え、人の可能性を広げる医療経営の税理士
福岡県福岡市
楠原好顕さんのプロフィール
福岡市の楠原好顕税理士事務所で医療機関を中心に経営支援を行う税理士。税務・会計に加え、資金繰り、医療法人化、事業承継、組織再編の相談に対応し、院長が目指す経営の実現を支えている。
受け取ったものを、次の誰かへ——医療経営の「右腕」として、人の可能性を支える税理士の歩み
あなたは、これまで誰かから受け取ってきたものを、今、次の誰かへ渡せているだろうか。
医院の経営について相談を受けたとき、すぐに「それはダメです」と答えを出さない。まず、その人が何をしたいのかを聞く。
「やりたいんだったら、どうやったらできるか考えましょう」
もちろん、リスクがあるなら伝える。
「こういうリスクがありますけど、それでもいいですか」
本人が理解したうえで「やりたい」と言うなら、そこで終わらない。どうすれば実現できるのかを一緒に考える。福岡市で税理士事務所を構え、医療機関を中心に経営支援を行う税理士・楠原好顕さん。税務や会計に加え、資金繰り、医療法人化、事業承継、組織再編など、これまで積み重ねてきた経験を使いながら、院長がやりたいことに集中できる環境を支えている。
人生で一番大切にしている価値観を尋ねると、楠原さんは少し考えてから答えた。
「関わる大切な人をしっかり支えて、自分が関わる人の可能性を広げていく、ということですかね」
院長だけではない。その医院で働くスタッフがいる。そこには、それぞれの家族もいる。
「一人だけが成功しても、周りが幸せになっていなかったら、あまりうまくいかないと思うんですよね」
今でこそ、そう語る楠原さんだが、幼い頃から誰かを支えることばかり考えていたわけではない。
「幼少期はもっと、『自分が、自分が』という感じでしたね」
では、どこから今の価値観へ向かっていったのか。話を聞いていく中で、楠原さん自身が一つの言葉にたどり着いた。
「昔は愛を受ける側だったんだと思います。今は、今までの人生で受け取った愛を、他の人に返していく。そんな感じなのかなと思っています」
振り返れば、人生の節目にはいつも誰かがいた。これは、受け取ってきたものを、自分の仕事を通して次の誰かへ渡していく人の物語である。
第1章|「自分が、自分が」だった少年——人のために動く背中を見ながら
「今は人を支えるという話をしていますけど、子どもの頃はもっと『自分が、自分が』という感じでしたね」
幼少期の楠原さんは、やりたいことがあれば自分から動く子どもだった。勉強もきちんとこなし、自分なりに「できる」という感覚も持っていたという。

そんな楠原さんのそばにいたのが、人のためによく動く母だった。学校ではPTAなどを引き受けていた。幼い楠原さんには、その姿を少し恥ずかしく感じることもあった。
「当時は、なんでそんなことやるんだろう、みたいな感じもあったと思います」
それでも母が、家に帰って人のために動く大変さを子どもたちへぶつけることはなかったという。必要とされれば動く。誰かが困っていれば関わる。大人になって、小学校時代の先生と話した時、楠原さんは母の別の顔を知った。
「先生から、『お母さんには、めちゃくちゃ助けてもらった』って言われたんですよ」
母とその先生は、楠原さんが卒業したあとも長く交流を続けていた。
「そういうのを見ていたから、今があるのかもしれないですね」
父は会社員だった。仕事が忙しい中でも、息子と過ごす時間をつくってくれた。キャッチボールをした。サッカーボールを蹴った。楠原さんがテニスを始めると、自分も一緒にラケットを握った。
「今考えると、すごく付き合ってくれていたなと思います」
中学ではソフトテニス部に入った。顧問は厳しく、そこで初めて集団で動くことの難しさも経験した。
「めちゃくちゃ厳しかったです。でも、団体行動の厳しさはそこで教えてもらいましたね」
その頃には硬式テニスにも興味を持ち、学校の外にあるテニススクールへ通うようになった。やってみたいことを、両親から止められた記憶はない。
「好きなことは、本当に何でもさせてもらったと思います」
当時の楠原さんは、両親の行動を「愛」や「支え」という言葉で捉えてはいなかった。ただ、母は自分以外の誰かのために動き、父は自分のために時間を使ってくれていた。そして、自分が何かをやりたいと言えば、その気持ちを否定されなかった。
人のために動くこと。誰かの「やりたい」に付き合うこと。自分一人の都合だけでなく、目の前の人を見ること。後に楠原さんが大切にしていく価値観の種は、言葉で教えられたものではなく、身近な人たちの振る舞いの中にあった。

第2章|「じゃあ、つくってみよう」——人の肩書きより、生き方を見る
高校受験では、行きたい学校があった。自分なら届くだろうという感覚もあったが、結果は不合格だった。
「その時は『わ、もうダメだ』みたいに思ったのを覚えています」
別の高校へ進学すると、今度はやりたかった硬式テニスの部活動がなかった。そこで楠原さんが考えたのは、「仕方ないからやめよう」ではなかった。
「じゃあ、つくってみようと思ったんですよ」
同じように硬式テニスをやりたい生徒を集め、テニス経験のある先生を探して顧問になってほしいと頼んだ。学校側にも、新しい部活動として認めてもらえないか話を持っていった。
「硬式テニス部があったら、それを理由に入ってくる子もいるだろうし、学校にとってもいいんじゃないですか、みたいな話をしましたね」
しかし、認められなかった。当時は強いソフトテニス部もあり、新しい部活動が増えれば予算の配分などにも影響する。今振り返れば、学校側にも事情があったのだろうと楠原さんは話す。ただ、高校生だった自分には、自分なりに良いと思って動いたことが組織の中で歓迎されない歯がゆさが残った。
「自分がいいと思ってやったことが、小さい社会の構造の中では悪いものにされるような感じはありましたね」
それでも、硬式テニスそのものを諦めることはなかった。
「ならないものは、しょうがないですからね」
学校でできないなら、外で続ければいい。通っていたテニススクールで、楠原さんが惹かれたのは競技だけではなかった。そこで働くコーチたちが、楽しそうに見えた。
「コーチたちが楽しそうにしているのを見て、『これ面白そうだな』って思ったんですよ」
大学へ進んだら、自分もテニスコーチをやってみたい。その後、先生から勧められたことをきっかけに福岡を離れ、大学へ進学した。母に「行きたい」と伝えると、その選択を止められることはなかった。大学では経営を学んだ。将来について明確な道筋があったわけではないが、テレビなどで経営コンサルタントの姿を見ると気になった。
「こういう仕事、いいなとは思っていました。でも、どうやったらなれるかとか全然分かっていなかったです」
大学生活ではテニスに打ち込み、アルバイトでは高校時代からやりたかったテニスコーチを始めた。その頃の話を聞いていると、楠原さんが人を見る時の基準が少しずつ見えてくる。
「あの人、格好いいなとか。あの人がやっていること、いいなとか。そういうのを見るのが好きなんですよね」
肩書きがあるからではない。お金を持っているからでもない。その人が何を楽しみ、どう人と関わり、どんな姿勢で生きているのかを見る。
「人を観察するのが好きなのかもしれないですね。人がどんな気持ちなのかを考えるのも、他の人より敏感かもしれないです」
母の姿を見ていた。父の姿を見ていた。先生を見ていた。楽しそうに働くテニスコーチを見ていた。
楠原さんは、人の外側よりも、その人がどんな気持ちで動き、何を大切にしているのかを見るようになっていった。そして「この生き方、いいな」と感じた時、自分もそこへ動いてみる。その感性は、この先の仕事選びでも変わらなかった。

第3章|「これなら力になれるかもしれない」——大切な人から始まった、税理士への道
大学卒業後、楠原さんはIT系企業へ入った。当時は就職環境も厳しく、興味を持っていたコンサルティングに関係する仕事を探しながら、多くの企業を受けていた。その中で、「コンサルタント」という言葉が入った募集が目に留まった。
「何をする会社か、正直そこまで分かっていなかったんですよ」
入社後に任されたのは、システムエンジニアの仕事だった。プログラミング経験はなく、システムについてもほとんど分からない状態からのスタートだった。
「大丈夫かなと思いましたよ。めちゃくちゃ苦労しました」
そんな中、周囲の人たちが仕事を教えてくれた。
「周りの人が良かったんですよね。いろいろ教えてくれました」
分からない時には助けてもらう。できないことは教えてもらう。
「それも今につながっている気がしますね」
会社員として働きながらも、楠原さんの中には「手に職を持ちたい」という気持ちがあった。経営を支える仕事への興味も消えていない。資格を調べ、通信教育の教材を買ったこともあった。
「教材を買ったんですけど、1ページも進まなかったです」
まだ、自分の人生を大きく動かすほどの理由が見つかっていなかった。その後、歯科医師として働いていた、後に妻となる女性と出会う。彼女には、いつか自分の医院を開業したいという思いがあった。その話を聞きながら、楠原さんは考えた。
「何か手伝えることはないかな、と思ったんですよね」
二人で話す中で、「税理士」という仕事が出てきた。税務を学べば、開業後の税金について支えられる。資金繰りや経営について知れば、医院を続けていく時にも力になれるかもしれない。
「税理士なんていいんじゃない」
その言葉をきっかけに、資格学校の無料講座へ足を運んだ。そこで初めて、本格的に税金の仕組みに触れた。
「めちゃくちゃ面白かったんですよ。『こんな世界があるんだ』って」
大切な人の力になれるかもしれない。しかも、自分自身が面白いと思える。その二つが重なり、楠原さんは会社員を辞め、税理士事務所へ転職した。
だが、実務の世界へ入ってみると、知らないことばかりだった。入って間もない時期から、お客様を担当することにもなった。
「何を話したらいいかも分からない。これはまずいなと思いました」
知識が十分ではない自分がお客様の前に立つ。それが怖かった。
「このままだと、お客様にも迷惑をかけるなと思って」
仕事は朝早くから夜遅くまで続き、試験勉強に使える時間も減っていった。このまま続ければ、税理士になるために入ったはずの場所で、税理士になるための勉強ができない。楠原さんは一度、仕事を辞めた。
会社員でもない。税理士でもない。三十歳前後で、勉強へ専念する生活に入った。
「何者でもない期間ですよね」
一年目から複数科目に合格した。残る科目にも挑戦したが、簡単には届かなかった。妻から大学院へ進む方法も提案されたが、楠原さん自身には試験で最後まで合格したい気持ちがあった。
「あと一年やって、ダメだったら大学院に行こう」
そう決めて挑戦し、結果を受け止めて大学院へ進んだ。その期間、妻が生活を支えてくれた。
元々は、その人の力になりたいと思って始めた税理士への道だった。ところが、資格を目指している自分の方が支えてもらっている。取材の中でその時期を振り返り、楠原さんはこう話した。
「その頃はまだ、愛を受けている側だったんでしょうね。妻が支えてくれていましたから」
誰かのために始めた仕事でも、一人でそこまでたどり着いたわけではなかった。人のために力をつけようとする自分もまた、誰かの力を借りながら前へ進んでいた。
第4章|「もっとできる自分でいたい」——学びを重ね、最後に選んだ独立
大学院へ通いながら、楠原さんは再び税理士事務所で働き始めた。そこで実務やお客様との向き合い方を学んだが、直属の上司との関係には苦しんだ。強い言葉を受け、十分に仕事を教えてもらえないこともあった。
「今で言ったら、パワハラでしょうね」
それでも周囲には助けてくれる人がいた。
「お客様への対応は、かなり学びました。周りの人にも助けてもらいましたしね」
やがて環境を変えることを決めた。次に選んだのは、医療機関を多く担当する税理士法人だった。
「妻が歯科医師だったこともあったので、もっと医療系を深めたいと思ったんです」
そこでは約九年半、多くの院長と向き合った。税理士登録も果たし、医療税務の経験を積み上げていった。それでも、学ぶことを止めなかった。
「もし自分でやるなら、小さいところしか見られないのは嫌だなと思ったんです。自分が知らないことで、お手伝いできる範囲を狭めたくなかったんですよね」
より規模の大きな事業も知りたい。組織再編や事業承継も扱えるようになりたい。
「自分ができる範囲を広げておきたかったんです」
四十代で再び環境を変え、中規模以上の企業や、これまで経験のなかった領域に向き合った。
「今、医療機関のM&Aとかもやっていますけど、その時に学んだことが生きていますね」
できることを増やす。それは、自分の肩書きを増やすためではなく、お客様から相談された時に返せる答えを増やすためだった。けれど、自分にできることが増えるほど、組織の中で別の違和感も生まれていった。
「お客様が困っているなら、もうちょっとやってあげたらいいのになって思うことが結構あったんです」
話を聞きに行こうとして、「何のために行くの?」と問われたこともある。
「会社の枠ってあるじゃないですか。ここまでしかできないよ、みたいな」
組織には組織の事情がある。それは理解していた。それでも、自分にはもう少しできると分かっているのに、そこで止まることが増えていった。
「それだったら、もう自分でやった方がいいなと思ったんです」
2024年、独立。開業前は希望の方が大きかった。
「『やってやるぞ』っていう気持ちの方が大きかったですね」
始めてみれば、現実は違った。
「開業してからは、怖さばっかりですよ」
それでも今は、目の前の人に「もう少しできる」と感じた時、自分の判断でその先まで関われる。長く学び続けた先で楠原さんが欲しかったのは、立派な肩書きではない。自分が持っているものを、必要としている人へ出し切れる働き方だった。
第5章|「やりたい」に付き合う——父から受け取ったものを、次の人へ
独立した今、楠原さんは医療機関の経営に深く関わっている。院長が何をしたいのかを聞き、税務だけでなく、その実現に何が必要なのかを一緒に考える。院長一人だけが成功すればいいとも考えていない。
「院長先生が成功しても、スタッフさんがどんどん辞めていったら、あまりうまくいかないと思うんですよね」
院長にも家族がいる。スタッフにも、それぞれの人生がある。
「自分が関わる人が、みんな少しずつ良くなっていけばいいなと思っています」
税理士という肩書きにも、強くこだわってはいない。
「税理士を極める、という感じではないかもしれないですね。税理士という枠には、あまり囚われていないです」
必要なら、これまで学んできた組織再編や事業承継の知識を使う。他の専門家の力も借りる。大切なのは、相談を自分の職域に収めることではなく、その人が前へ進めることだった。そんな楠原さんの向き合い方を聞いていると、幼い頃に父から受け取った時間が重なってくる。
父は会社員だった。仕事が忙しくても、息子がキャッチボールをしたければ付き合った。サッカーをすれば一緒にボールを蹴り、テニスを始めれば自分もラケットを握った。
「僕に関わってあげたいっていう気持ちは、すごく伝わってましたね」
父から「こう生きなさい」と教えられた記憶ではない。ただ、息子が好きなものの中へ、一緒に入ってきてくれた。
「今考えると、すごく付き合ってくれていたなと思います」
楠原さんが高校生になる頃には、父の仕事も忙しくなり、話をする時間は減っていった。自身にも反抗期があり、距離ができた時期もあった。だから今、少しだけ心に残っていることがある。楠原さんは現在、ゴルフをする。以前、父と打ちっぱなしへ行った時、とても楽しそうにしていたという。
「もっと早くゴルフを始めて、一緒にラウンドに行けばよかったなと思います。30代の中頃とか、もうちょっと無理してでも行けばよかったですね」
子どもの頃、父は自分の「やりたい」に何度も付き合ってくれた。自分は、父にどれだけ返せただろうか。大人になった今だからこそ、分かることがある。
そして現在、楠原さん自身も同じように、子どもの「やりたい」のそばにいる。夏祭りで和太鼓を見つめる子どもの目が輝いていた。
「別のお祭りでもやるけど、観に行く?」
「行く」
体験会があると知れば、また聞いた。
「行ってみる?」
「行く」
実際に叩く姿を見て、今度はこう尋ねた。
「やりたい?」
「やりたい」
「じゃあ、一緒にやろうか」
こうして二人で和太鼓を始めた。子どもの頃に父がしてくれたことを、そのまま返そうと思ったわけではない。けれど、父が息子の好きなものへ付き合ったように、今の楠原さんも、目の前の人の「やりたい」の中へ一緒に入っていく。

取材の最後、楠原さんにとってのIKIGAIを尋ねた。少し考えた後、こう話した。
「自分が何かを成し遂げるっていうより、自分の経験を使って、誰かの不安がなくなったり、その人が前に進んでいっている姿を見るのが好きなんですよね」
自分自身の成功も嬉しい。それ以上に心が動く瞬間がある。
「関わっている人が成功していくと、めちゃくちゃ嬉しいですね」
そして、つくりたい未来について尋ねると、大きな数字ではなく、一つの光景を教えてくれた。
「クリニックに入った時に、受付の人からみんなが笑顔になってくれるような存在になりたいですね。会ったら笑顔になる、みたいな」
最後に、そのIKIGAIをこう言葉にした。
「いろんな人が前に進むための支えになること。それによって、笑顔の数が最大化していく。それが僕のIKIGAIなのかなと思います」
かつて父が、自分の「やりたい」に時間を使ってくれた。多くの人が、自分が前へ進むために力を貸してくれた。今は、自分がその時間と経験を、目の前の誰かへ使う。受け取ったものは、形を変えながら、次の人へ渡っている。

あとがき
楠原さんの人生を聞き終えたとき、私の中に残ったのは、愛は受け継がれていくものなのだということだった。
幼い頃、父は忙しい中でもキャッチボールをし、テニスを始めれば一緒にラケットを握ってくれた。母は、人のために動く背中を見せ続けていた。
その頃の楠原さんは、それを「愛を受け取っている」とは考えていなかったという。けれど、大人になり、自分も誰かを支える側になってから、その意味が少しずつ見えてきた。
「昔は愛を受ける側だった。今は、受け取った愛を他の人に返している感じなのかな」
私は、この言葉がとても好きだ。楠原さんは、受け取った愛を言葉だけで返しているわけではない。もっと人の力になれるように医療を学び、組織再編や事業承継を学び、自分のできることを増やしてきた。
困っている人が目の前に現れた時、「自分には分かりません」で終わらせないために、自分の腕を磨き続けてきた。そこに私は、生業を極める者の誇りを感じた。
お金のためだけでもない。肩書きを得るためでもない。誰かに評価されるためでもない。
自分に関わってくれた人を、自分の持っている力でどう支えられるのか。そのために、昨日より少しでもできることを増やしていく。私は、そんな生き方を格好いいと思う。
そして楠原さんの話を聞きながら、私自身も、もっと腕を磨かなければならないと思った。自分を信じて関わってくれる人のために。自分だからできることで、その人の可能性を少しでも広げられるように。
あなたは今、愛を受け取っている側だろうか。それとも、誰かへ渡している側だろうか。
私たちは誰かから受け取りながら、また別の誰かへ渡して生きている。そして、その最初の一歩は、自分がこれまで受け取ってきた愛に気づくことなのかもしれない。
楠原さんの物語は、なぜ人は自分の道を極めるのかを教えてくれた。自分の力を大きくすることは、誰かへ渡せるものを大きくすることでもある。あなたはこれから、何を磨き、その力を誰のために使いたいだろうか。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









