幼い日に見つめた小さな命が、人生の仕事になった——アニマルセラピーで人と動物の幸せをつなぐ

幼い日に見つめた小さな命が、人生の仕事になった——アニマルセラピーで人と動物の幸せをつなぐ

溝口和代 有限会社まうるーる

人と動物の幸せをつなぐアニマルセラピスト

鹿児島県鹿児島市

幼い日に見つめた小さな命が、人生の仕事になった——アニマルセラピーで人と動物の幸せをつなぐ

夜8時ごろまで明かりの灯る、田舎のお菓子屋。
その光には、夏になると虫たちが集まってきた。
コガネムシが飛んでくる。
小さな虫たちが、店先の明かりに引き寄せられる。

捕まえて、眺める。
知識があったわけではない。
名前を詳しく知っていたわけでもない。
ただ、生き物を見ている時間が好きだった。
鹿児島市で有限会社まうるーる(ふれあいカフェ・まうるーる)を営む溝口和代さんは、犬や猫とともに医療・福祉施設、学校などを訪問し、アニマルセラピーを届けてきた人だ。

患者さんが動物に触れて、表情をゆるめる。
高齢者が犬や猫を前に、昔の記憶を語り出す。
言葉の少なかった人の目に、もう1度光が戻る。
溝口さんが届けているのは、人が人としてのぬくもりを取り戻す時間であり、動物たちの命が誰かの心に触れる瞬間である。
その原点には、幼い頃から続いてきた「命を見つめるまなざし」があった。

生き物を眺めていると、時間を忘れた。
虫も、猫も、牛も、鳥の声も大好きだった。
命は、幼い溝口さんにとって、世界を知る入り口だった。
そして、その歩みは溝口さん1人の力で続いてきたものではなかった。

「応援してくれた人たちを裏切れない」

その想いを背負いながら、溝口さんはアニマルセラピーを人生の仕事にしてきた。
これは、幼い日に小さな命を見つめ続けた人が、その命の力を信じ、人と動物の幸せをつないでいく物語である。
そして、あなたの中にもきっとある、
「なぜか夢中になってしまったもの」
「誰に教えられたわけでもないのに、心が向かってしまったもの」
その記憶を思い出させてくれる物語である。

第1章|小さな命を見つめていた少女——好奇心が開いた最初の扉

実家はお菓子屋だった。
食べ物を扱う家だったため、犬や猫を飼うことはできなかった。
子どもの溝口さんにとって、それは少し残念なことでもあった。
「大人になって、自分で稼ぐようになったら、絶対に動物を飼う」
そう思っていたという。
しかし、動物を飼えなかったからといって、生き物との関わりがなかったわけではない。

夜になると、お菓子屋の明かりに虫たちが集まってきた。
田舎の夏の夜、光に引き寄せられるように、コガネムシたちが飛んでくる。
溝口さんは、それを捕まえては眺めていた。
ただ楽しかった。
繁忙期になると、溝口さんは祖母の家に預けられることもあった。

祖母の家は、山の中にあった。
朝になると、山鳥の声で目が覚めた。
猫がいた。牛がいた。田んぼがあり、畑があり、虫がいた。
そこには、たくさんの命があった。
もちろん、幼い子どもとして、両親と離れる寂しさがなかったわけではない。
母から電話がかかってきても、声を聞けば帰りたくなってしまうから、電話に出られなかったこともあった。
だが、その寂しかった記憶以上に、溝口さんの中に強く残っているのは、生き物への好奇心だった。

「寂しさもあったけれど、それ以上に、生き物に対する探求心というか、好奇心の方が強かったと思います」

小さな命を見つめることは、世界を知ることだった。
幼稚園に入園した記念に、父は手乗り文鳥を買ってくれた。
食べ物を扱う家であっても、父はできる範囲で、娘が生き物と関われる機会を作ってくれていた。

そして、ただ飼わせるだけではなかった。
「これはあなたの鳥だから、自分で世話をしなさい」

幼い子どもに、命を預かる責任を持たせた。
「両親の教育の中に、生き物に対する責任を持ちなさいというのは、幼稚園の頃からありました」

溝口さんにとって、生き物は
自分の外に広がる世界を教えてくれる存在だった。
命の不思議を問いかけてくる存在だった。
そして、自分の心がどこへ向かうのかを教えてくれる存在だった。
小さな命に触れたい。
もっと知りたい。
どうやって生きているのかを見ていたい。
そのまっすぐな好奇心が、次の扉を開いていく。

溝口和代さんの活動の様子

第2章|クラゲしか見えていなかった——命を追う少女が、人間の世界へ戻された日

高校生になった溝口さんは、ある日ふと思った。
学校に行く理由が欲しい。
学校が嫌いだったわけではない。
勉強が嫌いだったわけでもない。
けれど、ただ決められた場所へ通うだけでは満たされないものがあった。
命に触れたい。
もっと知りたい。
自分が夢中になれるものを、自分の手で形にしたい。

溝口さんは、理科の先生のもとへ向かった。
「先生、私、生物部を作るから、先生は生物部の顧問になってください」

まっすぐに先生に伝えた。
その熱量で動いた。
その先生は、大学院でも動物を研究していた人であり、
クラゲやウミウシのような生き物に詳しい先生だった。
そして顧問を引き受けてくれ、大学からクラゲを持ってきてくれた。
そこから、溝口さんの高校生活はクラゲ中心になっていった。

クラゲを育てるには、海水が必要だった。
学校は山手にある。
海までは車で20分ほどかかる。
高校生の溝口さん1人では、海水を汲みに行けない。
だから、先生たちを捕まえた。
20リットルのポリタンクを持って、土曜日の放課後、車を運転できる先生に声をかける。

「海水を汲みに行きたいんです」

先生たちは、少し呆れながらも協力してくれた。
溝口さんは3年間クラゲを育て続けた。
溝口さんの熱量を支えてくれる、大人たちがいた。
彼女が何かをやろうとした時、周囲の大人たちは否定しなかった。
むしろ、面白がり、支え、応援してくれた。

「私がしようと思ったことに、周りの大人がまず協力してくださったんです」

この経験は、後の人生に大きくつながっていく。
溝口さんは、自分の熱量で人を巻き込む人だった。
それは計算ではない。
誰かを利用しようとしたわけでもない。
ただ、知りたかった。
ただ、やってみたかった。
ただ、命に触れたかった。
その純粋さが、人を動かした。
進路を決める時も、溝口さんの頭の中には、やはり動物のことしかなかった。

獣医になりたいというよりも、1つの生き物を追い続けたかった。
農学部でもいい。
理学部でもいい。
どこかで生き物を研究できればよかった。
ある映画の記憶も、溝口さんの心に残っていた。
女性研究者がゴリラを追い、山奥で研究を続ける物語だった。
最終的にその女性は亡くなってしまう。
それでも溝口さんは、その生き方に心を掴まれた。

「私も、こういう人生を送りたい」

山奥で動物を研究しながら、もしそこで命を終えることになっても、自分の人生としてはいい。
しかし、高校3年生の担任は心配した。
あまりにも溝口さんの視線が動物だけに向いていたからだ。
先生は言った。

「大学を受けるのもいいけれど、看護学校の試験もあるよ。看護学校も1つ受けてみたら」

動物から、人間へ。
溝口さんの人生は、ここで1度、人間の世界へ戻される。
国立の看護学校だったため、受験料は5,000円ほどだった。
両親に話すと、「さほど負担にならないから受けてみれば」と言われた。
軽い気持ちで受けた看護学校。
その合格通知が、大学より先に届いた。
両親は喜んだ。

「看護師だ、看護師だ」

動物の世界へ進もうとしていた娘が、社会的にも安定した看護の道へ進む。
親としては、きっと安心したのだろう。
溝口さん自身も、その流れに乗った。
でも、看護師になりたいと思っていたわけではない。
「ねえ、外科と内科って何が違うの?」
それくらい、人間の医療の世界に対する知識はなかった。
いつ辞めようか。
いつ動物の方へ行こうか。
そんな思いばかりだった。

それでも、実習で患者さんと関わる中で、少しずつ感覚が変わっていく。
「これも、なかなか面白いものなんだな」
生き物を知りたいという好奇心は、人間の体や心に向かっても働いた。

第3章|猫と入院していいよ——赤ひげ先生が教えてくれた、幸せを診る医療

看護学校を卒業した溝口さんは、国立病院の循環器に配属された。
心臓の内科で、患者さんの命と向き合う日々が始まった。
大きな病院だった。
看護師は200人ほどいた。
組織としては整っていて、医療の仕組みもきちんと動いていた。
患者さんとの関係も悪くなかった。
先輩たちにもかわいがってもらった。
それでも、ある時から溝口さんの中に違和感が生まれていく。

「私は、この大きなところの歯車の1つなんだな」

自分がいなくても、病院は回っていく。
もちろん、それは組織として正しいことでもある。
けれど、溝口さんの中には、もっと患者さんの近くで、もっと1人ひとりの生活に触れるように働きたいという思いがあった。
そんな時、家の近くでクリニックが開業する話があった。
その院長の評判は、すでに耳に入っていた。
姉から、「本当に素晴らしい先生だ」と聞いていた。
地域の人たちからも強く望まれていた医師だった。

しかし父親が倒れ、地元の病院が続けられなくなった時、地域の人たちから嘆願書が出た。
「帰ってきて、お父さんの跡を継いでほしい」

その声に応えるように、先生は鹿児島へ戻ってきた。
溝口さんはそのクリニックの開業1か月前に就職し、準備の段階から関わることになった。
院長は、とにかく休まない人だった。
日曜日も、外来に来る患者さんを断らない。
開業してから1日も休まなかった。

子どもから大人まで診る。
まさに、赤ひげ先生だった。
患者さんの病気だけを見るのではない。
その人の暮らしを見る。
その人の気持ちを見る。
その人が何に困っているのかを見る。
溝口さんは、その姿に強く惹かれていく。

「看護師をするなら、この先生のもとでしかしない」

そう思うほど、尊敬できる医師だった。
そして、この先生との出会いが、溝口さんのアニマルセラピーの原点の1つになる。
毎月、熊本から診察に来る女性の患者さんがいた。
糖のコントロールがうまくいかず、教育入院が必要になった。
その患者さんは言った。
「猫がいるから入院できない」
普通の医療機関なら、そこで話は止まっていたかもしれない。
院長は違った。
「じゃあ、個室を準備するから、猫と一緒に入院しなさい」

さらっと言った。
当たり前のように言った。
衛生面、他の患者さんへの影響、クレームの可能性。
考えればリスクはいくらでもある。
それでも院長は、まず患者さんの生活と心を見た。
その人にとって猫は、入院を拒む理由であると同時に、生きる支えでもあった。
だったら、その支えごと受け止める方法を考える。
院長は溝口さんに言った。
「もし猫ちゃんが来て、何か問題があった時にはお願いできる?」

溝口さんは答えた。
「もちろん、私が世話します」
この出来事は溝口さんの中に深く残った。
医療とは、病気だけを見るものではない。
その人が何を大切にして生きているのか。
何があれば前を向けるのか。
何を失うと、生きる気力まで落ちてしまうのか。
そこまで見ようとする医療がある。
この先生のもとでは、常識よりも先に患者さんの幸せがあった。

忘れられない日。
大晦日の夜。
家に帰れなかった入院患者さんたち。
病院の消灯時間はだいたい9時。
その日は、患者さんたちを個室に集め、紅白を見ながら夜遅くまで楽しんだ。
除夜の鐘を聞き、翌朝は患者さんのためにお風呂を準備し、朝1番に入ってもらった。
1年の始まりに、身を清める。
それは医学の教科書には載っていないかもしれない。
ただ、とってもとっても大切な時間だった。

溝口さんは、先生から学んだことをこう語る。
「人がどうやったら幸せになるか。動物がどうなったら幸せになるか。幸せの物差しは全員違うので、その人の物差しに合わせて仕事をする」

溝口さんは、このクリニックで医療の本質に触れた。
病院で働くなら、クリニックで働くなら、この先生のもとだけだ。
そう思うほど、先生の姿勢は溝口さんの中に深く刻まれていた。
だが、それと同時に、もっと探求していきたいという欲求も膨らんでいく。

人が幸せになるとは、どういうことなのか。
動物が人に与える力とは、何なのか。
その本質を追求していくなら、人に伝える力が必要になる。
ただ感じるだけでは足りない。
ただ優しいだけでも足りない。
動物の力を形にしていくには、人と1対1で向き合い、言葉で関わる力が必要だった。
だったら、言葉を学ばなければならない。
そうして溝口さんは、看護学校の教員になる道を選んだ。
それは、人と動物をつなぐ未来へ進むための選択だった。

溝口和代さんの活動の様子

第4章|犬のために人生を棒に振るのか——見えない癒やしを、仕事に変えた覚悟

看護学校の教員になった溝口さんは、7年半にわたり教育の現場に立った。
学生に教える。
言葉で伝える。
人の成長に関わる。
その時間は、溝口さんにとって大きな学びになった。
一方で、心の中心にはずっと動物がいた。
教員として働きながら、土日を使ってアニマルセラピーのボランティアを続けた。
一緒に活動していたのは、グレートピレニーズ犬のスノーウィーだった。
大きな白い犬。
溝口さんにとって、まさに2人3脚のパートナーだった。

溝口さんは、精神科病院で犬を連れてセラピーを行う研究を始めた。
統合失調症の患者さんたちに、犬との関わりがどのような影響を与えるのか。
データを取りながら、毎週木曜日に病院へ通った。
その日は、朝から学校に犬を連れて行く。
午後に精神科病院へ向かう。
終わるとまた学校へ戻り、担任としてホームルームをする。
普通なら、簡単には許可されない働き方だっただろう。
だが、看護学校も精神科病院も協力してくれた。

思いが先にあり、周りが少しずつ道を作ってくれた。
研究を終えたあと、溝口さんは次の継続の方法を探し始めた。
その時に見つけたのが、鹿児島県のベンチャー企業応援プログラムだった。
そこでも溝口さんは圧倒的な熱量で伝える。

どんな人を救えるのか。
どんな効果があるのか。
どんな世界を作りたいのか。
そうして溝口さんは助成金を受けることになった。
「補助金もいただいたから、会社としてやっていかないといけない」
その責任感が、溝口さんを起業へ向かわせていった。

教員として安泰な道も残っていた。
東京で10か月の研修を受ければ、資格を継続できた。
その資格を溝口さんは断った。
理由は、セラピー犬のスノーウィーだった。
「犬のために人生を棒に振るのか」
そう言われても、溝口さんの価値軸はぶれなかった。
安定よりも、今そばにいる命。
その選択の先で、鹿児島県の助成金が決まった。
導かれるように、道ができていった。
そして溝口さんはアニマルセラピーの事業を始める。
相手は病院や福祉施設などの大きな法人である。
個人事業主では信用を得にくい。
税理士に相談し、法人化することになった。

その時、溝口さんはNPOではなく、有限会社を選んだ。
これは、とても大きな決断だった。
福祉や動物、ボランティアに近い活動であれば、非営利の形を選ぶこともできた。
その方が自然に見えたかもしれない。

「ボランティア色に甘えていたら、いつまでも広まらないと思ったんです」

アニマルセラピーは、目に見えないサービスである。
物を売るわけではない。
形のある商品が残るわけでもない。
だからこそ、ボランティアの延長に置かれやすい。
「いいことをしている人」で終わってしまいやすい。
溝口さんは、それではいけないと思った。
動物と人の心に向き合うこの仕事に、きちんと価値をつける。
「ちゃんとサービスの対価をもらうためには、事業として、ビジネスにした方がいいと思ったんです。私の覚悟を信用してもらえると思った」

有限会社まうるーる。
その法人設立日は、5月19日。
溝口さんの誕生日でもある。
自分が生まれた日に、会社も生まれた。
その日から、溝口さんの人生とまうるーるの歩みは、さらに強く重なっていく。

第5章|応援してくれた人たちを裏切れない——続けることが、恩返しになる

まうるーるの歩みは、溝口さん1人の力で続いてきたものではなかった。
アニマルセラピーを仕事にする。
犬や猫とともに、医療や福祉の現場へ入っていく。
動物の力で、人の心をほぐしていく。
「面白い」と言ってくれる人もいれば、「無理でしょう」と見る人もいた。
溝口さんの周りには、応援してくれる人が次々と現れる。

犬の散歩中に出会った70代男性、その1人だった。
最初は、名前すら知らなかった。
ただ、犬の散歩の途中で知り合った人だった。
やりたいことをまっすぐ伝えた。
そしたら事業計画を見てくれた。
起業するなら、こういう勉強をしなさいと、学びの場を用意してくれた。
創業者塾にもつないでくれた。
さらに、テレビの密着取材にもつながった。

その男性は、メディア関係の会社の会長だった。
奇跡的な出会いで道が開いた。
看護学校で教える姿。
犬を連れてボランティアへ向かう姿。
精神科病院で研究をする姿。
そしてまた学校へ戻り、学生たちと向き合う姿。
その1日が放送され、新聞にも掲載された。
すると、次の応援が生まれた。

事務所を借りようとした時のことだ。
動物を入れるとなると、簡単には貸してもらえない。
「ああ、新聞に載っていた人だね。応援するよ」
その一言で、道が開いた。

1つの応援が、次の応援を呼んでいく。
それは、溝口さんが計算して作った流れではない。
ただ、本気で動いていた。
まっすぐに進んでいた。
動物と人のために、何とか形にしようとしていた。
その姿を見た人たちが、手を貸してくれた。
本気で歩き続けたからこそ、誰かが道の先に灯りを置いてくれた。
溝口さんは、その灯りに何度も助けられてきた。
だからこそ、簡単にはやめられない。
「応援してくれた人たちを裏切れない」
この言葉は、ただの義理ではない。
深い根っこだった。

そして今、溝口さんは「応援される側」から「応援する側」へと移ろうとしている。
その1つが、「猫たちの絆マルシェ」だ。
最初は、まうるーるの小さな駐車場やガレージを使った小さなマルシェだった。
今では、20店舗から30店舗近くが出店する場になっている。
このマルシェの根底にあるのは、動物の保護活動や地域猫の現状を知ってもらうこと。
そして、動物が幸せでいることが、人間の幸せにもつながると伝えることだ。

集まるのは、趣味の延長ではなく、自分の仕事としてものづくりに向き合う人たち。
ハンドメイド作家、彫金作家、再生プラスチックに取り組む会社。
それぞれが、自分の専門性を持ったプロとして参加している。
動物保護。
地域。
福祉。
ものづくり。
それぞれが、少しずつつながっていく。

「私はたくさんの人に応援してもらったから、今は私が応援する側になっているんです」

応援されてきたから、応援する。
支えてもらったから、支える。
道を作ってもらったから、誰かの道を作る。
溝口さんの今の活動には、その循環がある。
最後に、溝口さんにとってのIKIGAIを尋ねた。
「猫の幸せ」
幼い頃、寂しさを埋めてくれた命があった。
その命への感謝が、今は仕事になっている。
起業してから支えてくれた人たちがいた。
その応援への感謝が、今も続ける理由になっている。

「何が何でも続けんといけない」
その言葉の奥には、動物たちへの愛と、応援してくれた人たちへの恩がある。

溝口さんは今日も、動物と人のあいだに立っている。
命が命を癒やす瞬間を、信じ続けながら。

溝口和代さんの活動の様子

あとがき

溝口さんの話を聞き終えたあと、私の中に残ったのは、
「応援してくれた人たちを裏切れない」
という言葉だった。
溝口さんの歩みを辿ると、そこにはいつも、誰かの応援があった。

幼い頃、命に触れることを許してくれた家族がいた。
高校時代、生物部を作りたいという無謀にも見える願いを、笑わずに受け止めてくれた先生がいた。
看護の現場では、患者さんの幸せのためなら常識を超えていいと背中で示してくれた先生がいた。
アニマルセラピーを研究するために、学校も病院も協力してくれた。
起業の前には、事業計画を見て、学びの場を用意し、メディアにつないでくれた人がいた。
事務所を借りる時には、「応援するよ」と道を開いてくれた大家さんがいた。
その重みを忘れずに歩き続けていた。

本気で動いている人を応援したくなる。
想いが人を動かす。
やってきた行動が人を動かす。
私はこの物語を書きながら、自分自身のことも考えていた。
私はIKIGAIを残すために活動している。
経営者、職人、専門家、地域で活動する人たちの言葉を聞き、その人生の奥にある信念を記事として残している。

でも、その活動もまた、私1人で成り立っているものではない。
忙しい時間の中で、取材に応じてくださる人がいる。
初対面にもかかわらず、自分の人生の深い部分を話してくださる人がいる。
まだ形になりきっていない私の信念に共鳴し、大切な時間を預けてくださる人がいる。
そのことを、私はもっと深く、深く考えなければならないと思った。
応援してくれる人がいることは、当たり前ではない。
時間をいただけることも、当たり前ではない。
心を開いてもらえることも、当たり前ではない。

人が人を応援する時、そこにはお金より先に動く何かがある。
損得だけでは説明できないもの。
数字だけでは測れないもの。
その人の行動、熱量、覚悟、そして不器用でも進み続ける姿に触れた時、人は「この人を応援したい」と思う。
そこに、美しさがあるのだと思う。
お金より先に人を動かす何か。
そこにこそ、人間の美は宿る。
だが、同時に現実もある。

想いだけでは続かない。
活動を続けるには、お金も仕組みも必要になる。
だから私たちは、考え続けなければならない。
想いを濁らせずに、どう続けるのか。
お金に飲み込まれずに、どう事業として残すのか。
応援してくれた人たちの信頼を、どう未来へ返していくのか。
溝口さんの物語は、その問いを私に突きつけてくれた。

溝口さんが「応援してくれた人たちを裏切れない」と歩み続けてきたように、私もまた、いただいた時間と信頼を裏切らないように、IKIGAIを残していきたい。
人の人生には、消してはいけない灯がある。
その灯を見つけ、受け取り、言葉にして、次の誰かへ渡していく。
その覚悟が、この物語を書きながら、さらに深まった。

あなたには、応援してくれた人がいるだろうか。
あなたの歩みを、信じてくれた人がいるだろうか。
そしてその恩を、今どんな形で返しているだろうか。
想いが人を動かす。
行動が人を動かす。
そして、受け取った恩が、人をもう1度前へ進ませる。

溝口さんの物語は、そのことを教えてくれた。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

有限会社まうるーる ウェブサイト

WRITER PROFILE

尾﨑弘師 (おざき ひろし)

IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役

これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。

掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。

さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。

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