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同じ場所に居続けない——選択肢を探し続けたマーケターが、浜松で仕事をつくるまで
大石竜聖 株式会社Leit On
選択肢をつなぎ、浜松に仕事をつくるマーケター
静岡県浜松市
同じ場所に居続けない——選択肢を探し続けたマーケターが、浜松で仕事をつくるまで
目標を失ったとき、人は次に進む理由をどこで見つけるのだろうか。
大学へ進学した春、大石竜聖さんの生活からサッカーがなくなった。小学校から高校まで続け、最後は目標にしていた高校サッカー選手権にも出場した。やり切ったつもりだった。ところが、サークルの新入生歓迎会へ行き、アルバイトをして過ごすうちに、自由になったはずの毎日が急に心細くなった。
「サッカーをやめて3か月くらい過ごしたときに、『こんなことで4年を過ごすのか』と思ったんです。本腰を入れて取り組むものがなくなって、じゃあ何を目標にして生きていくのか。このままではまずいな、と」
正解は分からない。それなら、まず外へ出て確かめよう。大石さんは長期インターンという働き方を知り、経理、営業、Web制作、動画編集、マーケティングなど、大学時代だけで約7社の仕事を経験した。
現在は静岡県浜松市を拠点に、Web集客の戦略設計からSNS、広告、Web制作までを支援する会社を経営している。さらに、受託業務の先を見据え、企業の業務改善にAIを組み込む事業や、専門性を持つ人とプロダクトを育てる仕事の準備を進めている。
大石さんが大切にしているのは、「同じ場所に居続けないこと」だという。
「同じことを続けていると、僕は飽きてしまうんです。だから、次のフェーズへ行けるように、次を見据えて動くことは定期的にやっています。怖さはもちろんありますけど、やった方が自分は楽しいだろうなと思う方を選んできました」
大石さんは、最初から進みたい道を知っていたわけではない。動きながら自分の仕事を探し、違和感があれば選び直し、得た力を次の挑戦へつないできた。その歩みは今、浜松で若者や仲間が選べる仕事と経験を増やす未来へ向かっている。
第1章|周りよりできた少年が、追いつかれて知ったこと
大石さんは、小学校から高校までサッカーを続けた。始めた頃から競技そのものに強くのめり込んでいたというより、身体の成長が周囲より早く、自然と活躍できたことが続ける理由になっていた。
「サッカーがめちゃくちゃ好きだったとか、すごくセンスがあったというより、たまたま成長が早くて、周りよりできてしまったんです」
小学生の頃は、サッカーが上手ければ仲間の輪の中心にも入りやすい。練習以上に、チームの友人たちと遊ぶ時間が楽しかったという。ところが、中学生でJリーグクラブの下部組織に入り、競技の水準が上がると、それまで見えなかった差が表れ始めた。
「僕は、なぜそのプレーをしたのかをあまり考えずに、感覚のままそこまで行ってしまったんです。周りを見て、今何をしなければいけないのかを考えている選手との差が出て、そこから苦しみました」
進学したのは、県内のサッカー強豪校だった。実家を離れて下宿し、毎日練習へ向かう。辞めたいと思っても、翌日にはまたサッカーがある。大石さんの言葉では、「乗り越えざるを得ない」環境だった。
成長の早さによって生まれていた優位性も、周囲の身体が大きくなるにつれて小さくなった。高校時代には、仲間に追い抜かれていく感覚があった。フィジカルや技術の中に、「ここだけは負けない」と言い切れるものも見つけられなかった。
それまで自然にできていたことが、同じやり方では通用しなくなり、自分で状況を捉え直す必要が生まれた。ただ、努力していても、進み方が分からない時間が続いた。
「高校時代は、逃げたくても逃げられなかったですね。毎日やらないといけないので、本当に何とか乗り切ったという感じです」
それでも高校まで続けたのは、小学生か中学生の頃から、高校サッカー選手権への出場を自分のゴールに決めていたからだ。プロサッカー選手になることではなく、選手権に出ること。卒業アルバムにも、その目標を書いていたという。
そして高校最後の年、大石さんはその舞台に立った。
「一応、出られました。本当に運が良かったんですけど。そこが自分のゴールだったので、大学以降は続ける理由があまりなかったんです」
目標を果たし、大学進学と同時にサッカーを辞めた。長く続けたからといって、そのまま続けることを正解にはしなかった。一方で、苦しくなったときにも、決めた地点までは投げ出さなかった。
大石さんは今、サッカーを自分が経験した中で「一番難しかったもの」だと振り返る。試合では、全く同じ場面は二度と来ない。指摘を受けても、次に似た状況が訪れたとき、同じように修正できるとは限らない。正解が見えないまま、その一瞬ごとに判断し続けなければならなかった。
「社会に出ると、ちゃんと根拠を持って考えられますし、準備もできます。そう考えると、サッカーより簡単だなと思えるんです。正解が分からなくてもやり続けた経験があるので、耐えられる精神的な強さはサッカーから残っていると思います」
自由に進路を選ばせてくれた両親の存在もあった。「やりたいなら、行きな」という距離で見守り、強豪校への進学も任せてくれた。逃げられない環境で身につけた粘り強さと、自分で行き先を選ばせてもらった経験。その二つを持って、大石さんは大学へ進んだ。
第2章|「選択肢を知らなかった」——7社のインターンで仕事を探す
高校からの指定校推薦で大学へ進学した大石さんは、サッカーのない生活を始めた。朝から晩まで追いかける目標はなくなり、サークルやアルバイトが日常の中心になる。お酒も飲まなかったため、周囲と同じように大学生活を楽しみ続ける自分も想像できなかった。
不安がはっきりしたのは、入学からおよそ3か月がたった頃だった。大学を卒業した先に、社会人として活躍する自分の姿が見えない。ただ、このままでは嫌だという感覚だけがあった。
「選択肢を知らなかったんです。嫌だけど、何をしたらいいのか分からないという状態でした」
大石さんは、兄の知人で会社を経営している人に会わせてもらった。アルバイト以外に、学生が仕事を経験する方法はあるのか。若いうちに力をつけ、収入を得られるようになるには、何をすればいいのか。調べるだけでなく、人に会って話を聞いた。
そこで知ったのが、長期インターンだった。最初に経験したのは経理。その後、営業、Webサイトをつくるフロントエンドの仕事、動画編集、マーケティングへと領域を変えた。大学時代に関わった会社は、合計で約7社に及ぶ。
周囲に同じ動き方をする学生は、ほとんどいなかった。それでも大石さんは、一つの職種へ早く決めるより、実際に働いてから自分に合うかを確かめたかった。
「やってみないと、自分に何が合うか分からないと思ったんです。どの職種が何をやっていて、会社の売上がどう上がるのかも全く知らなかったので、まずはいろいろやってみようという感じでした」
社員と近い仕事を任される会社も多かった。職種ごとの役割だけでなく、会社によって意思決定の速さや人間関係、仕事の基準が違うことも知った。複数の現場を経験したことで、売上が生まれるまでの全体像と、どの位置に立つと大きなお金が動くのかが少しずつ見えるようになった。
「ホワイトカラーのいろいろな職種を見られたので、全体像が分かったのは大きかったです。どこにポジションを取るとお金が動くのかも見えましたし、いろいろな会社の風土まで知ることができました」
学生のうちに一つの会社で長く働く経験も価値がある。一方、大石さんに必要だったのは、職種と環境を横断して比較することだった。どれが正解かを誰かに教えてもらうのではなく、自分が仕事をしているときの手応えと、そこで働く人の姿を材料に、次の行き先を決めていった。
その中で、大石さんの常識を大きく変えたのが、Webマーケティングの会社だった。入った当時の社員は4人ほど。うち1人は事務を中心に担当していたが、広告運用によって、少人数とは思えないほど大きな売上を生み出していたという。
管理シートを開くと、ページごとの数字が毎日動いている。広告表現や導線を変えれば、売上が変わる。少人数でも、設計と検証によって事業を大きく動かせる。その光景が衝撃だった。
「売上の管理シートを見たときに、人が広告を回しているだけで、毎日とんでもない額の売上が上がっていたんです。『何だ、これは』と思いました。マーケティングが機能すると、こんなに事業が動くんだ、と」
その会社が扱っていたのは、広告から商品購入へつなげるアフィリエイト事業だった。自社商品を持たず、伝え方と導線を徹底して磨く。経営者は、わずかな数字の違いも見逃さず、マーケティングを科学するように突き詰めていた。
商品そのものをつくるのではなく、どの相手に、どの言葉で、どの順番で届ければ購入へ進むのかを考え抜く。施策の結果は数字ですぐに返ってくる。営業や制作も経験した大石さんにとって、マーケティングは、それぞれの仕事を売上へつなぐ位置にあるように見えた。
クリスマス会では、まだ正式にインターンへ入る前の学生にも、景品として当時最新のiPhoneやAirPodsが用意されていた。社員数が少ないため、多くの人に景品が当たる。その羽振りの良さも含め、大石さんがそれまで知っていた会社のイメージは覆された。
「儲かり方も、仕事の基準値も、今まで見てきたものとは全然違いました。ここに入ったら、自分の可能性が変わるかもしれないと思ったんです」
約2年、その会社でマーケティングを学んだ。大学に入った当初は、何を目指せばいいのかさえ分からなかった。複数の仕事を経験した末に、大石さんはようやく、自分が進むならデジタルとマーケティングの領域だと考えるようになった。
ただし、仕事の面白さと、その会社で働き続けたいかどうかは別の問題だった。
第3章|断った会社に頭を下げ、入社4か月で責任者になる
大石さんは当初、インターン先へそのまま入社するつもりで、内定も受けていた。売上の大きさだけでなく、マーケティングを突き詰める姿勢から学べることは多い。それでも、働く人たちと過ごす中で、小さな違和感が積み重なった。
毎週のように渋谷へ出て、お酒を飲んで遊ぶ文化があった。お酒を飲まない大石さんにとっては、ついていくことが難しい。自分がその会社で年齢を重ね、先輩たちと同じ生き方をしている姿も思い描けなかった。
「会社に入ったら、その会社の先輩が未来の自分になるような感覚があるじゃないですか。ここでずっとやっていくのは違うかもしれないと思いました。僕自身も、一つを研究者のように突き詰めるより、浅く広く見ながら動くタイプだったので」
大石さんは内定を辞退した。しかし、その時点で就職活動をほとんどしていなかった。頼ったのは、サマーインターンを経て一度は内定を断っていた企業だった。自分から再び連絡し、「もう一度、機会をもらえないでしょうか」と頼んだ。
一度断った会社へ戻るのは、決して気楽な選択ではなかった。
「あれは、なかなか勇気が要りました。相手に失礼なことをしている自覚もありましたし、それでも、もう一度お願いしました」
結果として、その企業は再び内定を出してくれた。入社先として選んだのは、社内の複数サービスを横断して見るデジタルプロダクト開発部門だった。営業職が多い会社の中で、デジタル領域を専門にし、若手にも責任ある役割を任せる風土があった。
マーケティングに関われるだけでなく、入社年次にかかわらず、手を挙げた人を引き上げる。その環境なら、インターンで得た経験を生かしながら、事業そのものを見る力を身につけられると考えた。会社の規模だけで選ぶのではなく、自分が早く責任を持てる場所かどうかを見ていた。
その言葉どおり、入社して4か月ほどで機会が訪れた。デジタル部門全体で、サービス責任者を社内公募することになったのだ。対象は、学生向けの長期インターン求人メディア。
「これは自分がやるしかないと思いました。選考を通るために、現場へ足を運んで話を聞き、資料をつくって、最後は役員の前で提案しました」
複数の応募者の中から選ばれ、大石さんは入社1年目でサービス責任者になった。自分が知らなかった選択肢を、今度は学生へ届けられる。事業として本気で広げたいと思い、仕事へ向き合った。
ところが、責任者になって半年もたたないうちに、会社の方針でサービスへ割く人員が縮小された。営業部門の人員は別サービスへ移り、これから伸ばそうとしていた計画を進められなくなった。大石さんの上司や役員にとっても想定外の決定で、本人は謝罪を受けたという。
自分が責任者に選ばれ、現場でどれだけ意義を感じていても、組織全体の判断によって事業の優先順位は変わる。入社直後から大きな機会を得られた一方で、自分では決められない事情によって、やりたい仕事から離れる経験もした。
次に任されたのは、企業で働く人の口コミを集めるウェブサービスだった。ユーザー数や会員登録を増やすことが主な役割だったが、前の部署ほどの意味を仕事に感じられなかった。
「前の部署のサービスは、本当に普及させたいサービスでした。自分が長期インターンで人生を変えてもらったという思いがあったので。それができなくなって、次のサービスでは、何のためにやっているのかを自分の中で持ちにくかったんです」
もう一つの変化が、働く場所だった。もともと大石さんは、数年働いた後に静岡へ戻り、独立したいという考えを会社へ伝えていた。フルリモート勤務を前提に東京の家も解約し、すでに静岡で暮らしていた。しかし会社の制度が変わり、週に一度の出社が必要になった。
「もともと、静岡へ帰って独立しようという考えはありました。入社するときから、『数年働いたら静岡に帰ります』と会社にも伝えていたんです」
やりたい仕事から外れ、働き方も変わった。そこで大石さんは、浜松のスタートアップ企業への転職を考えた。将来独立するなら、地域の経営者と接点を持てる法人営業を経験したい。そう考えて会社を探し、実際に内定も得た。
次は転職して経験を積み、その後に独立する。そう描いていた計画は、一本のInstagramストーリーズをきっかけに大きく変わることになる。
第4章|3人に声をかけ、3人が契約した——独立と受託の限界
大石さんは学生時代から、浜松周辺の店や場所を紹介する地域メディアをInstagramで運営していた。投稿を紹介し直す形式のメディアだったが、当時としては地域の情報が見やすくまとまっていることが珍しく、フォロワーは約1万人まで増えていた。
転職までの時間を使い、大石さんは一度、自分の力で仕事を取れるか試すことにした。「SNSのコンサルティングに興味がある人はいますか」と、ストーリーズへ短い告知を出した。反応したのは3人。3人と商談し、3人とも契約が決まった。
独立後の実績がほとんどない状態でありながら、継続的な支援契約が3社同時に決まった。副業として始める想定を超え、独立を現実的に考えられるだけの仕事が一度に生まれた。
「本当に奇跡だと思います。最初は副業でやるつもりだったんですけど、どうせなら独立を前提にした方がいいと思って、継続して支援する形で提案しました。それが3社とも決まったんです」
独立を現実的に考えられるだけの売上の見込みが立った。大石さんは、内定を得ていた転職先へ事情を伝え、入社を辞退した。こうして、段階を踏んで準備するはずだった独立は、予想より早く始まった。
その後は既存のお客様からの紹介や、同業のマーケターから受ける仕事を通じて取引先が増えた。現在は二次請けを含め、15〜20社ほどの案件に関わっている。動画や広告クリエイティブの制作は外部の業務委託へ任せ、自身はお客様とのやり取りや戦略設計を担う。
外部へ任せられる業務は増やしてきたが、お客様の前に立ち、課題を聞き、提案して進行を管理する役割まで任せられる人はまだいない。案件が増えれば、戦略を考える時間だけでなく、確認や連絡の時間も増える。自分が品質を守ろうとするほど、自分自身が事業の上限にもなっていった。
会社員時代の同期と法人も立ち上げた。会社という枠は共有しているが、二人の事業はそれぞれ別に動いている。大石さんは自分のお客様に向き合いながら、必要な専門家と連携して仕事を進めてきた。
一方、取引先が増えるほど、自分が前面に立ち続ける働き方の限界も見えてきた。
「15社、20社と関わるようになると、そろそろキャパシティーがきついなと感じました。自分が受けて、自分がやる形では、これ以上売上を上げるのは難しい。30歳、40歳になったときも、ずっと同じ働き方を続けるのかという思いもありました」
現在は、新規の受託をむやみに増やすより、継続しているお客様を大切にしながら、次の事業を仕込む時期に入っている。その一つが、業務プロセスを組み直し、AIを現場へ導入する支援だ。
構想を一緒に進めている前職の同期は、業務フローの再設計や業務削減を得意としている。AI導入が話題になっても、個人がツールを試すだけでは、会社全体の働き方はなかなか変わらない。そこで、Microsoft 365やGoogle Workspaceなど、企業がすでに使っている環境の中へAIを組み込み、日常の業務フローそのものを改善する。大石さんは市場の見せ方や案件獲得の戦略を担い、実装は専門性を持つ仲間と進める考えだ。
新しいツールを入れて研修をしても、日々の仕事の流れから外れていれば、やがて使われなくなる。すでに社内で使われている環境へ組み込めれば、従業員が別の操作を覚える負担を抑えられ、削減できた時間も測りやすい。大石さんたちがつくろうとしているのは、AIの使い方を教えるサービスというより、AIが働く業務の流れそのものだ。
もう一つ考えているのが、受託する側と発注する側に分かれるのではなく、専門家と同じ事業を育てる形である。
「受託というより、一緒に株を持つくらいの感覚で共同設立して、プロダクトをつくっていきたいんです。専門スキルを持っている人と組んで、僕は集客を担当する。『一緒につくり上げている』ことが、人に任せる理由になると思っています」
広告、SNS、営業、商品設計を別々に切り離すだけでは、事業の成果につながりにくい。BtoBなら、問い合わせの後に営業がある。店舗なら、広告を見る前に口コミを確かめる人もいる。入口の集客だけでなく、その先で選ばれ、継続されるところまで見なければならない。
「今は、1つの広告媒体だけという時代ではないと思います。広告だけを見るのは本質的ではありません。入口から出口まで全部見て、一緒にやり切って、一緒に売上を上げていく。そこまで見ないと、これから価値を出すのは難しいと思っています」
その言葉には、大学時代に経理から営業、制作、マーケティングまで見てきた経験がつながっている。一つの施策だけを売るのではなく、事業のどこが止まっているのかを見つけ、必要な専門性を組み合わせる。大石さんが「浅く広く」と表現した性質は、ここでは全体をつなぐ役割として生きている。
大石さんが新しい事業へ移ろうとしている背景には、自分一人の時間を売る形から、仲間の専門性が生き、お客様の事業全体に責任を持てる形へ変えたいという思いがある。その先には、浜松でつくりたい場所がある。
第5章|選択肢を受け取った人から、選択肢をつくる人へ
長期的に実現したいことを尋ねると、大石さんは「浜松で、きちんと雇用を生みたい」と答えた。社員を増やすことだけを指しているのではない。学生の長期インターンを受け入れ、若いうちに本物の仕事へ触れられる会社をつくりたいという。
「人を雇っている経営者を、本当に尊敬しているんです。自分も、そういう経営者になりたいと思っています」
人を雇えば、売上だけでなく、その人の生活や成長にも責任を持つことになる。それでも雇用をつくりたいのは、自分だけが仕事を抱える会社では、周囲へ渡せる機会が増えないからだ。
原点にあるのは、大学時代の自分だ。何をすればよいか分からなかったとき、経営者との出会いを通じて長期インターンを知った。複数の会社で社員に近い仕事を経験し、自分の適性だけでなく、世の中にどのような仕事があるのかを知ることができた。その選択肢がなければ、今の仕事にはたどり着いていなかったかもしれない。
「自分は東京で長期インターンに通って、人生が変わったという思いがあります。今度は、浜松にいても高い視点でいろいろな知見を得られて、その後の人生に必ず良い影響が残るような経験を、自分が生み出したいんです」
浜松には、学生が長期間、事業づくりに関われる場所がまだ多くない。働きたい仕事が見つからなければ、若者は地元を離れる。大石さんが目指すのは、地域に残ることを求めるのではなく、浜松にいても挑戦できる選択肢を増やすことだ。
その思いは、学生だけに向けられているわけではない。大石さんの周囲には、会社を辞めて独立した友人や、自分の事業へ挑戦する仲間がいる。挑戦は、いつもうまくいくとは限らない。もし誰かが立ち止まったとき、自分の会社に任せられる仕事や役割があれば、次へ進むまでの受け皿になれる。
「地元の友達にも、独立したやつが意外と多いんです。それが絶対にうまくいくとは限らないので、自分が何か力になれる立場でいたい。任せられる仕事があるとか、もし店舗を持っていたら店長を任せられるとか、そういう仲間の受け皿になれるように頑張りたいんです」
だからこそ、大石さんにとって成長は、自分の可能性を広げるだけのものではない。事業を育て、任せられる仕事を増やし、周囲の人に渡せる選択肢を持つために、自分自身の力を高めていく。
「周りを幸せにできるくらい、自分が潤っていないといけないし、自分の質やレベルも上げなければいけないと思っています。他の経営者に比べれば、まだ小さいですけど、まずは身の回りの人に、自分が力になれるようにしたいです」
では、大石さんにとってのIKIGAIとは何か。
大石さんは「一緒にやる仲間」と答えた。家族、同じ会社で仕事をする仲間、地元の友人たち。自分がいることで、誰かが次の一歩を選べる状態をつくりたいという。
「全部なくなったとしても、仲間のためなら、また頑張ろうと思うはずです」
その姿を、仲間が乗れる船をつくる船長のようだと伝えると、大石さんは少し違う役割を思い浮かべた。
「ワンピースで言ったら、フランキーかもしれないですね。船大工で、みんなで進む船を直していくみたいな」
先頭に立つだけでなく、仲間が進める土台をつくり、必要な場所へ手を入れる。サッカーを辞めた後、自分の進む道を探すために何度も環境を変えてきた大石さんは、これから浜松で、誰かが挑戦を始め、続け、やり直せる仕組みをつくろうとしている。
あとがき
大石さんの話を聞き終えたあと、私の中に残ったのは、目の前のことへ本気で向き合い、最後までやり切ることが、いつか人生を支える力になるということだった。
大石さんは、小学校から高校までサッカーを続けた。高校時代には辞めたいと思いながらも、自分で決めた高校サッカー選手権出場というゴールまで逃げずにやり切った。本人が「これまでで一番難しかった」と振り返るほど、苦しく、正解の分からない時間だった。
それでも、その時間を本気で生きたからこそ、今の大石さんには、簡単には折れない精神的な強さがある。何が起きても、仕事には準備と改善の余地がある。そう思えるほどの経験を、サッカーが残してくれた。
同時に、サッカーは自分の弱さを知る時間でもあった。感覚だけでは通用しないことを知った。そして独立後の仕事でも、自分一人で担い続けることの限界に向き合った。自分の弱みや限界を認めたからこそ、専門性を持つ仲間と力を合わせて進む現在の価値観につながっているのだと思う。
挫折し、葛藤した事実そのものは変えられない。辛かった時間を、なかったことにもできない。しかし、その経験を抱えたまま未来へ進むことで、過去の意味の捉え方は変えていける。あの苦しさがあったから今の自分がいると、後から気づく瞬間がある。
本気で進んでいる最中は、目の前の出来事がばらばらに見える。けれど、歩みを止めずに進み続けた先で、サッカー、約7社のインターン、マーケティング、独立、そして浜松で雇用や挑戦の場をつくる未来が、一つの道としてつながり始める。大石さんは今、自分が歩いてきた道の意味を、次の仕事と仲間の未来へつなげようとしている。
人生は、ばらばらに見えていた過去の経験が一つにつながったとき、次に進むための大きな力を与えてくれるものなのかもしれない。
過去の経験が何のためにあったのかを振り返り、そこで得た力を、これから誰のために使うのかを考える。その先に増やしたい笑顔が見えたとき、自分が次に進む理由も見えてくる。
大石さんは、自分が得た力を自分だけの成功で終わらせようとしていない。浜松に仕事を生み、若者が成長できる経験をつくり、仲間が困ったときには仕事や役割を渡せる存在になろうとしている。
過去の葛藤を、未来の誰かの笑顔へつなぎ直していく。その姿は、私たちに人生への向き合い方を教えてくれた。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









