人の役に立つために——薬剤師が選んだ、薬を使わない治療への道

鏡薬品波動漢方研究所 岩部尚

薬剤師・予防医療探究家

佐賀県唐津市

あなたは、自分が学んできた「知識」に、心のどこかで違和感を覚えたことはないだろうか。

薬剤師が薬を疑い、医師が現代医療を疑い、教師が学校教育を疑う——。
専門家が自分の専門性そのものを問い直すには、大きな勇気がいる。
周囲からの批判、キャリアへの影響、そして何より「これまでの自分は何だったのか」という根本的な不安がつきまとうからだ。

けれど、もしその違和感こそが、本当に人を救う道への入り口だとしたら?

佐賀県唐津市にある「鏡薬品波動漢方研究所」
その代表を務める薬剤師・岩部尚(いわべ・たかし)さんは、「薬を出す側」にいながら、化学薬品に極力頼らない道を選び続けてきた。

幼い頃の岩部さんは、「頑病(がんびょう)」と呼ばれるほど病弱だった。
父親は生まれつき心臓に穴が開いており、「3歳まで持てばよい」と宣告されていたようだ。岩部さんは重い喘息で眠れない夜を何度も経験し、家族とともに病院を渡り歩いても、決定的には良くならない——そんな幼少期だった。

やがて薬剤師となり、調剤の現場に立つようになってからも、同じ疑問が消えなかった。
同じ薬を出しても、良くなる人と、良くならない人がいる。
「薬では治らない人が、確かにいる」
その事実は、薬剤師としてのキャリアと矛盾する「不都合な真実」だった。

それでも岩部さんは、その矛盾から目をそらさなかった。
漢方、中医学、気功、波動と、自分が納得できる「本当のこと(真理)」を求めて学び続けた結果、いまでは全国各地から相談者が訪れるようになった。

新しく来る人のほとんどが口コミ。
口コミの、口コミの、口コミともはや誰の紹介なのか追えないほどだという。

公式サイトには、こう明記されている。

「診断や治療を行うものではありません」

医療行為ではなく、「健康相談」と「エネルギー状態のチェックと調整」を行う場所として、自らの立ち位置をあえて限定している。それでも、あるいはそれだからこそ、岩部さんのもとには人が集まってくる。
この物語を通して伝えたいメッセージは、ひとつだ。
常識や既成概念にとらわれず、「本当のこと(真理)」を探求し続けることこそが、自分を救い、やがて誰かの命を救う力になる。

この物語は一人の薬剤師が自分の痛みと向き合い、
自分の専門性すら問い直しながら、
「人の役に立つ」とは何かを真剣に追い続けてきた、生き方の記録である。

 

第1章|「人の役に立つ人になりなさい」——病弱な少年が受け継いだ人生の羅針盤

岩部さんの幼少期は学校の先生から、おまえは「頑病(がんびょう)」やな、と言われたことがある。どういう意味だろうと思った。
いつも病気をしている子。治らない病気を抱えた子。そんな意味が込められていた。

岩部さんの父親は、生まれつき心臓に穴が開いていた。心室中隔欠損症と呼ばれる先天性の心疾患だ。当時、日本一の東京にある循環器の医師からは「3歳まで持てばよいでしょう」と告げられたそうだ。そして両親共に喘息持ちだったので、
重度の喘息が、幼い彼を苦しめ続けた。

一日中、横になると咳が止まらない。1時間に何千回も咳き込み、腹筋が痛くなるほどだった。眠れない。泣きながら咳をして、咳をしながら泣いて、最後は吸入器の薬を使ってやっと眠る。そんな日々が続いた。

当時使っていた喘息の薬について、岩部さんはこう振り返る。

「麻薬みたいなものでした。吸入すると一瞬で気管支が開いて楽になる。でも、その即効性ゆえに依存してしまう。使いすぎると心臓に負担がかかるけれど、使わなければ呼吸すらできない」

小学3年生になるまで、まともに食事が食べられなかった。胃腸が弱くて食欲がなく、大人が使うような滋養強壮剤に頼るしかなかった。学校も頻繁に休んだ。1週間、2週間と休むと、授業は進んでいる。クラスメイトたちは次の単元に入っているのに、自分だけが取り残されている——まるで浦島太郎のような感覚だった。

そんな息子のそばには、いつも父の背中があった。
父は薬種商として「薬を扱う商売人」として生計を立てていた。

父の先見性は際立っていた。まだチラシ広告が一般的でなかった時代——学校の先生が授業の予定表を「ガリ版」で刷っていた頃に、自らガリ版でチラシを作り、一色刷りの紙を新聞の折り込みチラシに入れていた。さらに、バーコードが普及する以前に、自腹でバーコード機器とコンピュータを導入。個人商店としては異例ともいえる取り組みだった。

店の広さは10坪足らず。しかし、特売日には2日間で120万円を売り上げていた。当時の物価を考えると、現在の感覚でおよそ500万円に相当する。近隣に家は200軒ほどしかなかったにもかかわらず、その小さな店は「伝説の薬屋」として語られる存在になった。

何より驚くべきは、お金の使い方だった。
岩部さんが10歳前後の頃から、父は特売日の3日間の売上から毎月決まって100万円を取り分け、30年間にわたり寄付を続けていたという。当時の物価を勘案すると、現在の価値で相当な規模になる。

「なんでそこまで寄付するのか」と息子として不思議に思うこともあったが、カッコいいと素直に感じていた。

そんな父が、幼い岩部さんに繰り返し伝え続けた言葉がある。

「大きくなったら、社会や人の役に立つ人間になりなさい」
「母親からはえらい人間にならんでもいいから
 手が後ろに回るようなことだけは、絶対にするな」
説教ではない。ただ、日々の行動と一貫した言葉によって、「人の役に立つこと」と「正直であること」が、岩部さんの中に深く刻み込まれていった。

中学に入る頃から少しずつ喘息の発作が落ち着きはじめ、高校では唐津東高校の山岳部に入部した。唐津城の入口から天守閣まで続く約420段の階段を、毎日のように全力で駆け上がる。さらに、お城の周囲を何周も走る。
最初は苦しくて仕方がなかった。心臓がバクバクして、息が切れる。それでも続けていくうちに、肺が広がっていく感覚があったという。

大学では福岡大学に進学し、ワンダーフォーゲル部で登山を続けながら、準硬式野球部にも所属した。山を歩き、ボールを追い、週末には土木作業のアルバイトもこなす。子どもの頃に父から「土方なんてできない体だから」と言われていた体とは、まるで別人のようだった。
気づけば、あれほど苦しめられていた喘息の発作が、影を潜めていた。
自分の体は、自分の工夫と積み重ね次第で変わり得るという確かな実感になった。
薬で抑え込むのではなく、自分の体本来の力をどう引き出すか——。

幼少期の「どうしようもない苦しさ」と、青年期に得た「自分で変えられるかもしれない」という感覚。この両極端の体験が、のちの人生で「本当のこと(真理)を知りたい」という探求心につながっていく。

第2章|薬剤師になって見えた「治らない現実」——専門家だからこそ気づいた矛盾

高校・大学時代に体を鍛え、自分なりの「健康感覚」をつかんだ岩部さんが選んだ進路は、薬剤師になることだった。
幼い頃から「大きくなったら人の役に立つ人になりなさい」と言われ続けてきた彼にとって、薬剤師はその延長線上にある自然な選択に思えた。大学卒業後、教授の紹介で調剤薬局に就職し、岩部さんは調剤の基礎を徹底的に叩き込まれる。

「最低でも3〜4年はここで学ぼうと思っていたんです」
そう考えていた矢先、故郷・唐津から一本の連絡が入る。
父が心臓の状態を悪化させ、久留米大学病院に救急搬送されたのだ。
ゴッドハンドと呼ばれた心臓外科医の流れを汲む医師からは、「手術をしても善くなるかどうかは神様しかわからない」という趣旨の説明を受けたという。最終的に家族は「神様にしか分からないのであれば、手術はしない」という選択をし、父は故郷に戻ることになった。
そのタイミングで、岩部さんは決断する。

「仕事を辞めて、実家に帰ろう」
就職から1年6ヶ月。想定していた期間の半分ほどで、薬局を退職し、唐津に戻ることを選んだ。実家の薬店を引き継ぎ、「鏡薬品商会」の二代目としての人生が始まった。
調剤薬局で働いていた時期も、実家に戻ってからも、岩部さんの中でずっと消えなかった疑問がある。
「同じ薬を飲んでいるのに、良くなっていく人と、そうでもない人がいるのはなぜだろう」
教科書的には、同じ病名には同じ薬が処方される。同じ量、同じ回数。しかし、現場では結果に差が出る。作用を実感しやすい人もいれば、あまり変化を感じない人もいる。
もちろん、個体差や生活習慣の違いがあることは薬剤師として理解している。それでも、「なぜこんなに違うのか」という違和感は消えなかった。

さらに、日本の医療システムそのものにも引っかかるものがあった。
日本では、診察をすれば診察料が発生し、薬を出せば出した分だけ報酬が上がる仕組みになっている。出す薬が増えれば、その分だけ点数が加算される構造だ。一方、ヨーロッパなどの国々では、診察する医師と薬を扱う薬局がはっきり分かれており、薬は必要最小限の1〜2種類に絞られることが多い。診察は診察、薬は薬。それぞれが独立したプロフェッショナルとして機能している。

「日本はどうしても“薬ありき”の構造になりがちで、気がつくと薬が増えていく。じゃあ、それで本当にみんな元気になっているのかと考えると、そうでもない現実がある」
岩部さんは、実際の患者さんを見続ける中で、こう感じるようになった。
「薬で今のつらさが和らぐ人は確かにいる。だけど、“からだそのものの状態”まで変わっていく人は、それほど多くない」

薬剤師としての専門知識を身につけ、現場も経験し、家業も継いだ。そのうえでなお、「薬だけでは、どうにもならないことがある」という現実が、岩部さんの前に立ち現れていた。

第3章|「薬以外の道もある」——自分のからだで知った漢方への入口

その違和感を、決定的な感覚に変えた出来事がある。
23歳の頃、岩部さんは長年、鼻の不調に悩まされていた。いわゆる蓄膿症で、子どもの頃からずっとスッキリしない。処置で一時的に楽になることはあっても、「完全に晴れた」と感じた記憶がなかった。
そんなある日、就職していた調剤薬局の近くにあった漢方相談の店を訪ねた。店主は、漢方や自然由来の素材を中心に相談を受けている薬局だった。そこで勧められたのが、キノコを培養してつくられた成分を含む製品だった。1本3000円ほど。決して安くはないが、試してみることにした。

「漢方というより、“キノコを培養した成分”という感じでしたね。正直、半信半疑でした」ところが——。
飲み始めて1週間後、鼻の奥に長年たまっていたものが、一気に流れ出すような感覚があったという。詰まりが取れ、呼吸がしやすくなっていく。これまで感じたことのない変化だった。
「10年以上スッキリしなかったところが、一週間くらいで明らかに変わったんです。『あ、こういうアプローチで変わることもあるんだ』って、体で理解しました」

ここで重要なのは、「どの成分がどう作用したか」という専門的な話ではない。岩部さんにとって決定的だったのは、
「自分が長年抱えてきた不快さが、薬以外のアプローチで変わった」
という体験そのものだった。

この出来事をきっかけに、「漢方」「自然由来の素材」「からだ本来の働き」などへの興味が一気に高まっていく。
「漢方は効くのかもしれない」
そんな仮説が、岩部さんの中で芽生えはじめた。

実家に戻った当初の薬店は、いわば「地域の便利な薬屋さん」だった。今でいうコンビニのように、近所の人たちが日常的に訪れ、風邪薬や日用品を買っていく。
しかし、徐々に相談内容が変わっていく。

「どこに行ってもよくわからない」
「長年、同じ不調で困っている」
そんな話を、遠方からわざわざ訪ねてくる人たちから聞くようになったのだ。
岩部さんが漢方や体質、食事の話を少しずつ取り入れながら相談に乗るようになると、「あの薬店、ちょっと変わったことをしてくれるらしい」と噂が広がっていった。

ある勉強会に参加した際、レジのメーカー(テック)の担当者から、こんな提案を受ける。「お客さん一人ひとりの年間売上を分析してみるといいですよ」

試しにデータを出してみると、驚くべき結果が出た。
上位10人のお客さんの売上だけで、自分の給料分は賄えていた。
しかも、その上位のお客さんの多くは、近所の人ではなく、わざわざ時間と交通費をかけて訪れてくる、遠方からの相談者だった。

「これからは、単に“近くて便利な薬屋さん”でいるよりも、『本気で自分の状態を良くしたい人』の相談にきちんと向き合う方が、自分の役割なんじゃないかと思うようになりました」

そうして次第に、ショッピングセンター内に出していた支店の必要性が薄れていく。来店客の中心が遠方の相談客になっていく中で、立地よりも「岩部さん本人に会えること」の方が重要になっていったからだ。
最終的に支店は閉じ、本店に機能を集約させる決断をする。
それは同時に、「ただ薬を並べる店」から、「人の話を聞き、体と心の状態に向き合う場所」へと、店の性格が変わっていくプロセスでもあった。

薬剤師の資格を持ち、調剤の現場も経験し、家業の薬店も継いだ。そのうえでなお、
「薬だけでは、どうにもならないことがある」
という現実に、岩部さんは正面から向き合い続けていた。

第4章|本当のこと(真理)を求めて——漢方、気功、波動医学への果敢な挑戦

「薬だけでは、どうにもならないことがある」
その感覚は、ある出来事をきっかけに、さらに大きな決意へと変わっていく。

30歳を目前に控えた頃、岩部さんはショッピングセンター内の支店を任されていた。地域の人だけでなく、遠方からも相談者が訪れる店として、少しずつ評判が広がっていた時期だ。

そんなとき、信頼していた一人の顧客から持ちかけられた話に乗ってしまう。
結果として、その相手は詐欺師だった。
金額はおよそ1200万円。家業を継ぎ、これから事業をしっかりと伸ばしていこうという矢先の大きな損失だった。

「当時は、精神的にも経済的にもかなりきつかったですね。けれど、それをきっかけに『もっと本気で学ばないといけない』と腹をくくりました」
自分の判断ミスをただ悔やむのではなく、「人生の学びが足りなかったからだ」と受け止めた。この挫折が、「薬の外側にあるもの」を体系的に学び直すための大きな原動力になる。
まず岩部さんが飛び込んだのが、中医学の世界だった。
「北京中医学院日本分校」に入学し、2年間にわたって本格的に漢方理論と全般的に中医学を学ぶことになる。

そこでは、病名よりも「全体のバランス」や「体質の傾向」を重視する考え方に触れた。
「西洋医学は、病名と薬の対応が中心ですが、中医学は『その人のからだ全体をどう見るか』という視点が強い。自分がやりたかった方向性に近いと感じました」
同じ「胃の不調」でも、その人の冷えや、気の巡り方、生活のリズムによって捉え方が変わる。症状そのものより、その背景にあるパターンを見る——その発想は、これまで学んできた薬学とはまったく違う地図を岩部さんに与えた。
中医学を学ぶ中で、岩部さんの関心は「気の流れ」にも向かっていく。
きっかけの一つは、当時テレビで放送されていた、中国・上海の気功師の紹介だった。

「日本政府が『気の解明』のために中国から招いた先生で、番組の中で気功によるさまざまな実演をされていました。『この人から直接学びたい』と、直感的に思ったんです」
九州で有志を募り、20~30人が1人1万円ずつ出し合う形で先生を招致。2週間に一度のペースで、気功の講座を開いてもらった。
「当時は今みたいにオンラインもないので、来てもらうしかない。だからこそ、本気度も高かったですね」
その翌年には、実際に中国・上海にある上海市気功研究所を訪ね、現地で医療気功の現場に触れる機会も得た。そこで見たのは、機械に頼らず、人の手と感覚だけで「からだの状態」を読み取ろうとする姿だった。

「いわゆるCTスキャンのように、からだ全体を『気』の流れとして捉えていく。その場で何かを”直す”というより、『どんな状態にあるのか』を感覚と経験で見ていくイメージでした」
この経験から岩部さんは、「からだには、物質として見える部分と、エネルギーとして感じられる部分の両方がある」という実感を深めていくことになる。
中医学と気功に続いて、岩部さんが次に深めていったのが「波動」という領域だった。
30歳を過ぎた頃から、名古屋で開かれていた「意識波動医学研究会」に参加するようになる。飛行機で片道1時間半。3時間の講義に3万円。これを、2か月に1回4年間にわたって学び続けた。
「当時の自分にとっては、かなり大きな投資でした。でも、『ここで学ぶことは、きっと将来に返ってくる』という確信があったんです」
そこで学んだのは、「すべてはエネルギー(周波数)で表現できる」という考え方だった。

からだも、感情も、思考も、そして臓器一つひとつも、それぞれに固有の“振る舞い方”——いわば「波」がある。その波が乱れているのか、整っているのか。その状態を見ていくことで、いま起きている不調や、これから出てきそうな負担の方向性を読み取ろうとする試みだった。
ここで大切なのは、「病名をつけて診断すること」ではない。
「からだ全体を一つの“場”として見たときに、どこにどんな歪みが出ているか。その歪みが、生活のどんな部分と関係していそうか」
そういった「状態の傾向」を、エネルギーというレイヤーから眺めてみる、という視点だ。

中医学と気功、そして波動理論。
学びを深めていく中で、岩部さんの中には一つの課題も浮かび上がってきた。
「自分には分かっても、相手には分からない」
「こちらがいくら『ここにこういう負担がありますよ』と伝えても、相手の方がそれを実感できなければ、行動につながりにくいんです」
そこで岩部さんは、「自分の感覚だけに頼らず、相談者本人にも“見える形”で伝えられる方法はないか」と考えるようになる。
そして導入したのが、現在も使っている波動測定器だった——。

第5章|常識の壁を越えて——「エネルギーの見える化」がもたらした信頼

波動測定器を一言で説明するのは難しいが、岩部さんはこう捉えている。
「からだ全体のエネルギー状態を、周波数のパターンとして測り、傾向として見せてくれる道具」

この機器を使うことで、からだのどの部分のエネルギー状態が安定していて、どこに負担や乱れが出ていそうか、といった全体像を、画面上で“見える化”できるようになった。
もちろん、これは医療機器ではない。公式サイトにも明記されている通り、「診断や治療を行うものではありません」。あくまで、「からだの状態を別の角度から眺めてみるためのツール」であり、「健康相談の材料」として位置付けている。
「未病」というグラデーションを見る
漢方や中医学には、「未病(みびょう)」という考え方がある。

病院の検査では「異常なし」と言われるけれど、どうにも調子が悪い。まだ病名はつかないけれど、からだは何かを訴えている——そうしたグラデーションの領域だ。
岩部さんが波動測定器を使って見ているのも、まさにこの「グラデーション」の部分だ。
「からだは、いきなり大きな不調になるわけではなくて、少しずつバランスを崩していく。その兆しを、『からだの声』として早めにキャッチしてあげることが大事だと思っています」
どの臓器のエネルギー状態が落ちているか。 どんな生活習慣が負担になっていそうか。 どんな食べ方や過ごし方が、その人に合っていそうか。

そうしたことを、漢方の視点とエネルギーの視点の両方から整理し、「いま、何に気をつけていくといいか」を一緒に考えていく。
しかし、こうした新しい取り組みは、最初からすんなりと受け入れられたわけではない。むしろ、逆風の方が強かった。
20代の若いころは、「心の健康相談」という看板を掲げただけで、地域の人たちからは「宗教か?」と奇異な目で見られたこともある。

「牛乳は体質的に合わない人もいるから、控えめにした方がいい」とアドバイスすれば、「じゃあ何を飲めばいいんだ!」と怒られることもあった。まだ「食養生」や「アレルギー」という概念が一般的ではなかった時代の話だ。
それでも岩部さんは、自分が信じる道を曲げなかった。

「コンサルタントの方からは、『ここは一番進んでいますね』と評価していただいたこともあります。でも、地元ではなかなか理解されなかった。孤独でしたね」
医療の常識ともぶつかった。
病院で「治らない」と言われ、何年も通い続けている相談者に対して、岩部さんはこう問いかけることがあった。

「なぜ治らないのに、何年も同じところに通うんですか?」 「先生に『いつになったら治るんですか?』と聞いてみてください」
もし「年のせいですね」と言われたら、それは「治らない」という意味かもしれない。それなら、別の方法を探してもいいのではないか——。
そうやって、相談者自身が「自分のからだ」と向き合い、主体的に選択できるよう促し続けた。

地域での孤立や誤解を恐れず、目の前の人のために全力を尽くす。その積み重ねが、やがて確固たる信頼となり、全国から人を引き寄せる「磁場」となっていった。

第6章|未来への種まき——「命」と「真理」をつなぐ場所へ

岩部さんが30年以上にわたって探求してきた漢方、中医学、気功、そして波動。
そのすべては、一つの根源的な問いから始まっている。
「本当のこと(真理)を知りたい」

「漢方」「気功」「波動」というと、どこか特別なものに聞こえるかもしれない。しかし岩部さんにとってそれは、「薬だけでは拾いきれない部分まで、できるだけ正直に見ようとするための道具」に過ぎない。
専門家としての知識を手放すのではなく、その専門性の“外側”にある世界も含めて、「からだ」を丸ごと理解しようとする——。

そうした果敢な挑戦の先に、いまの「鏡薬品波動漢方研究所」がある。
「命」の教育への使命感。

いま、岩部さんが最も強く感じているのは、「命」についての教育の必要性だ。
「日本には、体や心の勉強をする場所はあっても、『命』について深く学ぶ機会がほとんどありません」

岩部さんは、「命名」という言葉を例に挙げる。
「命名というのは、肉体という入れ物に『命』が宿ったからこそ、その命に対して名前をつける儀式なんです。120歳になって命が抜けたら、ただの物体に戻って土に還る。だから、自分というのは肉体ではなく、命そのものなんです」
この「命」の視点を持つことで、病気や不調の意味も変わってくる。単なる故障ではなく、命からのメッセージとして捉え直すことができるからだ。

岩部さんには、壮大なビジョンがある。
それは、全国にたくさんの「予防医療カフェ&相談所」を作ることだ。
イメージはコンビニエンスストア。その半分は、体と心にいい自然食を提供するカフェ。もう半分は、誰でも気軽に立ち寄れる健康カウンセリングのスペース。そして自然食品とサプリメントのコーナー。
「AIも活用しながら、薬剤師の資格がなくても、一定の研修を受けたスタッフが相談に乗れる仕組みを作りたい。病気になってから病院に行くのではなく、病気にならないための知恵と場を、もっと身近なものにしたいんです」

さらに、どうしても治らない慢性病や難病の人たちのために、山の中に滞在型のリトリート施設を作る構想も考えている。1〜4週間ほど滞在し、酵素風呂やファスティングなど、徹底した食養生と「命の学び」を通じて、体質改善を目指す最後の砦だ。
「人の役に立つ人間になりなさい」——父の言葉の先へ
「人類や社会のために、どれだけ役に立つ生き方ができるか」
幼い頃、父から繰り返し言われたこの言葉が、いま岩部さんの人生のすべてを支えている。

「自分が立派な人格者になり、周りの人たち、まずは従業員から、そして縁ある人たちを、少しでも立派な人に育てていきたい。病気にならない人を増やしたい」
岩部さんの物語は、一人の薬剤師が「薬」という枠を超えて、「人」と「命」に向き合い続けた記録だ。
そして今、彼は次の世代に種を蒔き続けている。

常識や既成概念にとらわれず、「本当のこと(真理)」を探求し続けること。 自分の痛みから目をそらさず、そこから学びを得ること。 そして、その学びを惜しみなく誰かのために使うこと。
それが、自分を救い、やがて誰かの命を救う力になる。
IKIGAIは繋がっていく。

地位も名誉も関係ない自分だけが知っている心の叫びと共に。


あとがき


岩部さんの話を聞きながら、私の胸は何度も熱くなった。

そして同時に、自分自身への問いが突きつけられ続けた。

——お前は、自分の「専門」や「常識」に、本気で疑問を向ける勇気があるか?

薬剤師でありながら、薬の限界を直視する。
薬屋の息子でありながら、薬に頼らない道を切り拓く。
そして「調剤をしない薬剤師」として、「体」「心」、そしてその最も奥にある「命」まで含めて人と向き合おうとする。

その矛盾から一度も目をそらさず、「本当のこと(真理)はどこにあるのか」を自らの人生を賭けて探し続けてきたからこそ、いまの岩部さんがある。
「薬が悪い、という話ではないんです。
 薬だけでは拾いきれないところまで、ちゃんと見たいだけなんです」
この言葉に、私は震えた。

これは専門知識の否定ではない。むしろ、専門知識への深すぎる愛と責任から生まれた、魂の叫びである。
「それだけで本当に足りているのか?」と自分に問い続ける勇気。
教科書の正しさを前提にしながらも、「目の前のこの一人」にとっての真実を探り続ける執念。
これこそが、真のプロフェッショナルの姿ではないか。
私たちは、あまりにも「正解」に甘えすぎている。
医師がそう言うから、テレビでそう言っていたから、ネットにそう書いてあったから——。
そうやって、自分の感覚を、自分の違和感を、自分の直感を、あまりにも簡単に手放してしまう。

それは楽だ。責任も取らなくていい。考えなくてもいい。
だが、それで本当にいいのか?
岩部さんの人生は、私たちの怠慢に気づかせてくれる。
「違和感を覚えた自分を、もっと信じろ」と。

「3歳まで持たない」と宣告された父の命が、
薬の現場で「治らない人」の存在に苦悩し、
自分のからだで奇跡を体験し、
ただひたすらに「人の役に立つとは何か」を問い続けてきた。

それは、「完璧な正しさ」よりも、「誠実に迷い続けること」こそが人を深く救う力になることの、生きた証明である。
あなたにも、必ずある。
心のどこかで引っかかっている「小さな違和感」が。

それを見なかったことにするな。
それを「仕方ない」で片付けるな。
一度だけでもいい、その違和感と真正面から向き合ってみてほしい。
「これは本当に、信じたい『本当のこと』なのか?」
そう自分の魂に問いかけることから、あなた自身の「真理の探求」は始まる。

取材の最後、岩部さんが語ってくれた言葉を、私は忘れないだろう。
「本当のことを知りたい。それだけです」
シンプルで、まっすぐで、そして恐ろしいほど力強い言葉だった。

常識や既成概念にとらわれず、「本当のこと(真理)」を探求する。
その探求は、時に孤独で、時に理解されず、時に批判されるかもしれない。
それでも構わない。

なぜなら、その道の先には必ず、今の自分を救う何かがあり、やがては目の前の誰かの命を支える力へと変わっていくからだ。
この物語が、あなたの中に眠っている「問い」を、揺り起こすことを願う。そして、あなたの「IKIGAI」が、この世界に新しい光を灯すことを、心の底から信じている。

真理を探求する魂は、決して孤独ではない。
それは、人から人へと受け継がれていく、最も尊い炎なのだから。

IKIGAIコネクター
尾﨑 弘師

 

鏡薬品波動漢方研究所ウェブサイト

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