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誰も守ってくれなかった——捨てられ、飢え、自殺の淵を越えた僕が、「身体の真実」に辿り着くまで【後編】
靭トレ協会 加藤久弦
東京都杉並区
死の淵から這い上がった武道家
誰も守ってくれなかった——捨てられ、飢え、自殺の淵を越えた僕が、「身体の真実」に辿り着くまで【後編】
誰も守ってくれなかった——捨てられ、飢え、自殺の淵を越えた僕が、「身体の真実」に辿り着くまで【前編はこちら】
不動産営業の修羅場で、「金のために人はここまで変われるのか」と人間の本質を見つめた加藤久弦。金も、地位も、権威も、どれだけ積み上げても埋まらない穴が胸のどこかに残っていた。
もっと強くなれば、埋まるのか。日本一になれば、終われるのか。金を稼げば、救われるのか。
格闘技、ボディビル、自衛隊、営業、不動産——あらゆる世界を通ってきた彼が、なお手にできなかったもの。それは「人はなぜ生き、なぜ死ぬのか」という根源的な問いだった。
後編では、不動産営業の世界から離れた彼が、プロレス興行への挫折、33カ国の格闘放浪、インドでの極限生活、1年8ヶ月におよぶ断食、4000人組織の崩壊、自殺未遂、そしてカナダでの死闘を通して、「身体の真実」と「いまのIKIGAI」に辿り着いていく道のりを辿る。
守られなかった少年は、なぜ、そしてどうやって、「誰かを守る大人」になったのか。
第10章:プロレス興行の向こうと人間の泥臭さ——FMWでの裏切りと海外への逃避
宅地建物取引士試験という難関を、わずか2ヶ月の勉強で突破した加藤さんは、バブル絶頂期の不動産業界へ身を置いた。勤務先は、建設会社最大手の本社。営業マンとして働く日々の中で、加藤さんが目にしていたのは、取引先や関係者に頭を下げ続ける先輩たちの姿だった。
「営業は、頭を下げてなんぼだ」
上司からそう言われるたびに、加藤さんの中には、どこか反発にも似た感情が生まれていた。頭は下げる。けれど、簡単には謝らない。そんな若さゆえの意地を、自分に課していた。
しかし、その姿勢が思わぬ形で大きな問題を生むことになる。加藤さんが起こしてしまった失敗。その責任を、ある土建会社の下請けの社長が、身代わりになるように被り、問題を収めてくれたのだ。
本来であれば、自分が背負うべき責任だった。それを、その社長は黙って引き受けてくれた。そして最後に、加藤さんへこう言った。
「店長、やりたいことあるんだろう。俺にも、その景色を見せてくれよ」
その一言が、加藤さんの胸に深く突き刺さった。守られたまま、この場所にいていいのか。本当にやりたいことから、目を背けたままでいいのか。そう自分に問い続けた加藤さんは、退職を決める。
安定した仕事を捨て、「本当にやりたかったこと」——格闘の世界へ戻る決意を固めた。
そこで浮かび上がったのが、プロレス団体だった。当時、格闘技界ではUWFが東京ドームを満員にし、6万人を動員するモンスター団体として君臨していた。
一方、加藤さんが目をつけた団体は、後楽園ホールでせいぜい数百人。しかし、その団体の考え方と見せ方に、加藤さんは可能性を感じていた。
プロレスを観にくる観客の9割5分は、自分でプロレスをやっていない。ただ「好きで観に来ている」だけ。
だからこそ、加藤さんは思った。
「この世界を知らない人が多いからこそ、伝え方を変えれば、格闘技の魅力が世間に届くのかもしれない」
その団体に関わることで、新しい格闘の形を作れないか。そう考え始めていた時、ある試合を観戦している最中に事件が起きる。
会場は大熱狂。試合も終盤に差しかかっていた。
その時、栗栖正伸選手がリングから、加藤さん目がけて場外へ落下してきた。
「あれは絶対故意でしたね」
たまたま下にいた加藤さんの背中に、思い切り落ちてくる。受け止めきれずに倒れながらも、「大丈夫か」と起こそうとした、その瞬間——顔面を蹴られた。
「お前ふざけんな!」
そう叫んだ選手は、再び乱闘の輪へ戻っていった。
「絶対やっつけてやると思いましたよね」
そう心に決めた加藤さんは、その団体の道場の近くへ、引っ越しまでしてしまう。死神のような執念で、リベンジの機会を狙ったのだ。
そこから、スポンサー探しに奔走する日々が始まる。ただ、自分が選手としてリングに上がるつもりはなかった。前田日明らUWFの選手を教えてきた実績を活かし、「運営側」として関わる算段だった。
金を出せるスポンサーを3社ほど見つけ、団体代表の「入口」になっていたある選手とも知り合う。事情を話し、スポンサーを紹介する段取りを進める中で、その選手はこう言った。
「わかりました。ありがとうございます」
しかし、その「ありがとうございます」は、加藤さんが思っていた方向には向かわなかった。その選手は、加藤さんが見つけたスポンサーを、自分の手柄として代表へ持っていったのだ。
その瞬間、加藤さんの「入口」は閉ざされた。
「僕が入る余地、全部持ってかれたんですよね」
その周辺に渦巻く打算や裏切りを目の当たりにした時、加藤さんの中で、何かが決定的に折れた。
「もう、日本の中でやりたいことはないなって。国内でやっても、本物には辿り着けない」
そう確信した時、次に見つめたのは、日本の外だった。
第11章:33カ国、本物を求めて——インドで筋肉が削ぎ落とされ、靭帯が目覚める
武道界には、誰もが知る一つの伝説があった。
ある空手の創始者が「世界各国を渡り歩いて格闘家と戦った男」として語り継がれ、その壮大な武者修行の物語は漫画でも神格化されてきた。多くの格闘家志望者たちが、その冒険譚に憧れを抱いていた。
しかし、加藤さんはある時、その「世界放浪記」がかなり脚色されたものであることを知る。
「じゃあ、それを本当にやってやろうと思ったんですよね」
憧れていた伝説がフィクションだったなら、自分の足で、自分の身体で、それを現実のものにしてやればいい。その一念が、33カ国を巡る本物の格闘放浪へと加藤さんを駆り立てた。
そうして始まったのが、33カ国を巡る格闘技の旅だった。目的地は、観光地ではない。格闘技が「生きるための術」として息づいている場所だけを選んだ。
アジア圏を中心に、物価が日本の1/5〜1/10という国々を回る。バブル期に不動産で稼いだ金を持っていけば、ちょっとした「王様」にもなれる。だが、その感覚は、加藤さんにはどうにも居心地が悪かった。
「100メートル走で、90メートル地点からスタートしてるみたいなもんなんですよね」
幼い頃から「何もないところ」から始めるのが当たり前だった彼にとって、お金の力で有利に立つことは、「自分の強さを測る場所」としては不純に思えた。
タイで加藤さんが目にしたのは、チャンプア・ゲッソンリット、ジャッパ・ゲストーリドといった、怪物的なファイターたちの試合だった。
日本人選手たちは、ことごとく敗れていく。
そして、そのさらに上には、兄貴分のノックウィー・デービーがいた。
彼は、圧倒的な存在感を放っていた。
「日本人が、全然歯が立たないんですよ。彼とやりたいなって、本気で思いましたね」
しかし、いざタイへ渡ってみると、現実は残酷だった。
チャンプア・ゲッソンリットは出家して僧侶になり、ノックウィー・デービーは服役中。戦いたいと思っていた相手とは、誰とも戦えない状況だった。
目指していた相手が、目の前から消えていく。
そんな絶望の中で、加藤さんはさらに上の存在と出会う。
サーマート・パヤクァルン。
その存在は、加藤さんにとって別格だった。
「チャンプア・ゲッソンリット、ジャッパやノックウィーなんて少年野球レベル。こっちが大リーガー」
そう感じるほど、そこには圧倒的な差があった。
「彼とやることになるんですよね、結局」
世界を回る旅の中で、加藤さんは「上には上がいる」という現実を、身体で知っていくことになる。
そして、最終的に辿り着いた場所が、インドだった。
インドでの滞在期間は1年3ヶ月。体感温度50度。小さな擦り傷が、翌日には親指ほどの太さに腫れ上がる。バクテリアと環境が、傷を「ムカデ」みたいにしてしまう。
「みんな普通にそこで労働してるんですよね。それだけで、修業だなと思いましたよ」
日本で修行している人もたくさんいるが、加藤さんの目には、建設現場でバケツリレーをする労働者たちのほうが、よほど苛烈な修業を積んでいるように見えた。
「修行とか練習とかいうレベルをはるかに超えて、彼らの日常そのものが修行だった」
この環境の中で、加藤さんの身体は大きく変わっていく。かつて107kgあった筋肉質の身体が、暑さと食あたりと劣悪な衛生環境によってどんどん削れていく。
「暑いし、何食べてもお腹下すし、どんどん痩せていくんですよ。そうなるとね、筋肉が使えないんですよ」
筋トレで重いウエイトを持ち上げる時に発揮される「パワー」は、日常生活ではほとんど意味をなさないことに気づく。
「じゃあ、なんで俺、今ここで立っていられるんだ?なんで歩けてるんだ?」
その問いから、別の視点が生まれる。筋肉が機能不全に近い状態でも、人は立ち、歩き、動くことができる。ならば、それを支えているのは何か。
骨格か。重力との関係か。靭帯か。
「筋肉に頼れないから、逆に”本体”が見えてきた感じなんですよね」
移動には車を使わない。護衛役が必死で止めるのも聞かず、加藤さんはひたすら歩き、自転車で走る。
「あいつバカじゃないかって言われてましたね。暑いのに何やってんだって」
護衛役は車でついてきて、「乗ってくれ、乗ってくれ。乗らないと俺の首が飛ぶ」と泣きつく。
筋力ではなく、「何か別の原理」で身体を動かす感覚。インドの灼熱と、自分で選んだ過酷さが、「靭帯」というキーワードを、まだ言葉にならない形で浮かび上がらせ始めていた。
第12章:1年8ヶ月の断食と、2歳の子どもが教えてくれた「身体の真実」
日本に戻った加藤さんは、インドで見た「日常という修業」と、日本のぬるさのコントラストに愕然とする。
「インドの労働者のほうが、よっぽど修業してるじゃないですか。じゃあ、日本で修業って何だろうって思ったんですよね」
そこで出会ったのが、日本古来の「行者」の記録だった。山にこもり、俗世を離れ、ただ祈りと修行だけで生きる人たち。その中に、何も食べずに生きた行者の話が出てくる。
空気中に満ちる「プラーナ」と呼ばれるエネルギーだけを取り込み、食物を断って生きた——そんな記述である。
ふつうなら「伝説だろう」で終わる。あるいは、「昔の話だし」「今の時代には無理だ」と頭の中で片づける。しかし加藤さんは、そうはならなかった。
「じゃあ、食べなきゃいいんだな、って思ったんですよ」
肩をすくめて言うような、何でもない一言。だがその一言の裏側には、「本当にそうなのかは、自分の身体で確かめないと気が済まない」という、加藤さんの性分が丸ごと詰まっている。
そこから始まったのが、1年8ヶ月に及ぶ断食と瞑想を続ける生活だった。
断食、といっても「ちょっと食べる量を減らす」レベルではない。
水一滴も飲まない。
口に入れるのは、1日1回、手のひらで隠れるほどの生米をわずかにかじるだけ。
「本当にそれだけなんですよね。手のひらに、ちょこんと乗るぐらい」
常識で考えればありえない話だ。医学的に見ても、安全の範囲をはるかに超えている。
最初の数日は、とにかく空腹と喉の渇きがすべてを支配した。脳は「食べろ」「飲め」という信号をひたすら送り続ける。コンビニの前を通るだけで匂いに意識が持っていかれ、蛇口から流れる水の音に身体が反応する。
「最初のうちは、目に入るもの全部が”食べ物”に見えるんですよ。草とか、紙とか、何でも」
だが、あるラインを越えた頃から、感覚は逆転する。空腹も喉の渇きも、鋭い刃物のような痛みから、鈍く静かな「底」のような感覚に変わっていく。
眠りは極端に浅くなり、夢と現実の境目が曖昧になる。時間感覚も溶けていき、「一日」という区切りが意味を失っていく。
身体は容赦なく変化した。
体重は50kg落ちた。
鏡を見ると、頬はこけ、肋骨は浮き出し、腕も脚も細くなっていく。筋肉はほとんど削ぎ落とされ、「頑丈な鎧」のようだった身体は、骨組みだけが目立つフレームのようになっていった。
「奥歯が4本、自然に抜けましたね」
普通なら、それだけで立つことも難しくなるはずだ。
しかし加藤さんは、その状態でなお、全日本テコンドー大会で二度目の優勝を果たしている。
「体重50キロ落ちて、歯も抜けてるのに、普通に戦えてるんですよね」
常識では説明のつかないことが、目の前の現実として起きていた。
「筋肉がないと動けない」「栄養と水がないと戦えない」という、当たり前とされている前提が、ひとつずつ崩れていく。
だからこそ、問いはますます鮮明になっていく。
「じゃあ、何で俺は立ててるんだ?」
「何で蹴れてるんだ? 何で動けてるんだ?」
この極限の断食期間は、「身体の真実」を知るための、危険すぎる実験でもあった。常識という枠から完全に外れたその体験の中で、加藤さんは、筋肉でも栄養でもない「別の何か」を、身体の奥底で感じ取り始めていた。
断食と瞑想を重ねる中で、加藤さんはある体験をする。
「行こうと思って行ったわけじゃないんですけどね。1年8ヶ月やってたら、勝手に向こうの世界に行っちゃってたんですよ」
そこには、膨大な情報の「倉庫」のような場所があった。輪転機が回るように、世界中の出来事や、人間がこれまで何度も生まれ変わりながら積み上げてきた記録が、ざあっと流れていく。
「何を望む?」と問われた感覚があったという。
富か。名声か。技術か。経済か。
その中で、加藤さんの口から出た言葉は、たったひとつだった。
「身体のことを知りたいです」
それは、向こう側の存在からすると、拍子抜けするほど地味なリクエストだったのかもしれない。
「向こうがね、なんか、つまんなさそうな顔したんですよね。『そんなの知りたいの?』みたいな」
どんなに大きな夢も、どんなに壮大なビジョンも、この世界では身体がなければ一つも実現できない。逆に言えば、身体さえ整えば、経済にも技術にも、全部アクセスできる。
「身体が入口になれば、全部に届く」
そう確信した瞬間だった。
そして日々の生活で気付かなかったことにも反応できるようになっていく。
決定的だったのが、安曇野の山小屋で起きた出来事だ。
電気も通っていない山小屋の、さらに奥。誰も来ない小さな小屋で、加藤さんは一人、瞑想していた。
そこに、当時2歳の女の子が、トコトコと入ってきた。
彼女は、背中を向けて静かに座禅を組む加藤さんの背中を、よじ登り始める。小さな手足で一生懸命、背中を登り、首のあたりまで来て、そのまま前方へ滑り落ちようとした。
「落としちゃまずいと思って、僕は首をぐぅーっと前に倒したんですよ。そしたら、僕の首から滑り台みたいに、頭からスーッて降りていったんですね」
その瞬間、加藤さんの中で、「何か」がハッキリした。
「あ、これ、間違いなく身体のV字があるな、って思ったんですよね」
重力線と身体の中心が、完全に一致する感覚。子どもの無意識の重さと、自分の身体が、何の抵抗もなく一つの線に乗った瞬間。
そこには、筋力による「頑張り」は一切ない。ただ、重さをそのまま受け入れ、自然に流すだけ。そこに、「靭帯が張るライン」と「重力が落ちるライン」が、一つのV字として浮かび上がった。
「2歳の赤ちゃんに教えてもらいましたね、身体の真実を」
断食と瞑想で深く潜った意識と、現実での具体的な身体感覚——その二つがピタリと重なった瞬間だった。
ここから、「靭トレ」と呼ばれる独自の身体理論が、少しずつ形になっていく。だが、その前に、加藤さんは「組織」という、これまで避けてきた領域に足を踏み入れることになる。
第13章:4000人の組織と、すべてを奪われた日——再び訪れた地獄と絶望
幼い頃から、家も家族も組織もなかった加藤さんにとって、「居場所を作る」という発想は、もともと存在しなかった。
「両親がいないから、家庭って感覚がないんですよね。組織とか場所を作るって感覚も、最初からなかった」
だが、自分の身体観が深まり、「身体の真実」を伝えたいと思うようになると、ひとりの力だけでは届かない範囲が見えてくる。
山梨県内で、ヨガやテコンドー、そして靭トレの要素を取り入れた講座を少しずつ始めた。その中で出会ったのが、のちに21年間ついてくる弟子となる、れみ先生だった。
ある時、加藤さんは県の事業に関わる研修会で、途中まで指導し、残り時間をれみ先生を含む3人の指導者に任せて帰った。本来であれば、最後まで残るべき立場だった。
それが後になって問題になり、
「どこの馬の骨かわからないやつに、勝手にやらせるな」
と言われる。「自分が悪い」とわかりつつも、その言葉は、れみ先生を軽んじるものでもあった。
「そこで僕、れみ先生に言ったんですよね。『じゃあ、あなたのことを、この県内で知らない人がいないくらいにしてやる』って」
そこから、本格的な組織づくりが始まる。
何もないところから、会員を集め、指導者を育て、支部を増やしていく。ヨガとテコンドーを軸にしながら、靭トレのエッセンスも忍ばせていく。
ゼロから始まった団体は、わずか1年ほどで4000人の会員を抱えるまでになった。山梨県スポーツ事業団と組んだ講座では、参加者が100人を超えることも珍しくない。
「山梨で、僕もれみ先生も、知らない人がいないくらいにはなりましたね」
初めて自分の手で作った「家族」のような組織。幼い頃から、両親の顔も知らず、親戚や宗教施設を転々とし、「誰も守ってくれない」世界で育った男にとって、それは単なるスポーツ団体をはるかに超える意味を持っていた。
自分が教えを授けた指導者たちは、まるで子どもたちのような存在だった。彼らが育ち、各地で支部を持ち、笑顔で本部道場に集まってくる。その温かな熱気の中で、加藤さんは人生で初めて「守る側」に立った実感を噛みしめていた。
「家族っていう感覚が、ようやくわかった気がしたんですよね」
4000人の会員。県内に広がる支部ネットワーク。山梨県スポーツ事業団との講座では、1回の講座で100人を超える参加者が集まる。「先生」と呼ばれ、頼りにされる。その一つひとつが、幼い頃から欲しくても決して手に入らなかった「居場所」の実感だった。
しかし、その家族は、最も信頼していた人間の手で、静かに、しかし徹底的に解体されていく。
経理と事務を任せていた「金庫番」が、組織の神経系統ともいえる情報の流れを、自分の管理下に置き始めていた。
「事務系とか通帳とか、全部そっちに任せてたんですよね。僕は本部道場から動けないの、あっちもわかってた」
4000人規模の組織になれば、加藤さんは本部での指導に専念せざるを得ない。28箇所の各支部の細かな動向まで把握する時間的余裕はなかった。金庫番は、その構造の死角を正確に理解していた。
会費の流れ、会員の入退会状況、各支部からの報告——本来なら本部に上がってくるはずの情報が、金庫番のところで「フィルタリング」され始める。問題のある情報は遮断され、本部には「順調です」という報告しか届かない。
金庫番は各支部を回り始める。表向きは「連絡調整」だったが、その実態は、組織内に潜む小さな不満を拾い集め、育て、増幅させる工作だった。
どんな組織にも、必ず不満は存在する。加藤さんの指導は厳しく、妥協がない。「なぜここまでやらなければならないのか」という疑問を、支部長たちの誰もが心のどこかに抱いていた。
「あの人は、みんなの不満を探して、それを丁寧に焚きつけてたんですよね」
「本部は現場の苦労をわかっていない」
「もっと自由にやらせてもらえるはずだ」
「先生は我々を信用していないのではないか」
そうした不満の種を、金庫番は時間をかけて育てていく。直接的な批判はしない。ただ、相手の愚痴に共感し、「そうですよね、大変ですよね」と寄り添いながら、不信感に火をつけ続けた。
さらに悪質だったのが、本部への「スパイ」の送り込みだった。
「大丈夫ですか? 最近、先生の様子はいかがですか?」
そう言って本部道場を訪れる人物がいた。加藤さんを心配しているように見えた。話を聞き、うなずき、「先生のことを思っています」と言って帰っていく。
加藤さんは、その「善意」を疑わなかった。組織が大きくなれば、心配してくれる人も出てくるのは自然だと思っていた。現状の不安や今後の対策を、率直に打ち明けることもあった。
しかし、その人物が本部を出た後、その日の会話の内容は、そのまま金庫番のもとへ流れていた。
「大丈夫ですか?って来ながら、情報を取って向こうに持って行くんですよ。スパイですよね、完全に」
加藤さんが何を考えているか。どこに不安を感じているか。どんな対策を考えているか。そのすべてが、敵側にリアルタイムで筒抜けになっていた。
ある日、いつものように経理の確認をしようとすると、通帳がない。会員名簿も最新版が見当たらない。各支部への連絡用の電話やメールも、相手が出ない、返事が来ない。
「あれ、おかしいな?って思ってるうちに、一気に全部、向こう側に移されてたんですよね」
気づいた時には、組織の「心臓部」がすべて抜き取られていた。
法的な手続きも、巧妙に進められていた。「事務局の移転」「連絡先の変更」といった、一見すると事務的な変更に見せかけながら、実質的には組織の所有権そのものが移されていた。
支部長たちの大半は、すでに金庫番側についていた。長い時間をかけて焚きつけられた不満が、ついに「決起」という形で表面化したのだ。
「見事でしたね。4000人も、道場も、お金も、全部持っていかれました」
加藤さんにとって、この喪失は過去のどの地獄とも質が違っていた。
「今までの地獄は、自分で選んで飛び込んでたんですよね。きついところが好きで、わざわざ行ってた。でも、これは違った。自分が望んでないのに作られた、初めての地獄だった」
自衛隊の極限訓練も、インドの灼熱も、1年8ヶ月の断食も、33カ国の格闘放浪も——すべては自分の意志で選んだ苦しみだった。どれだけ過酷でも、「自分がそこにいる理由」があった。「強くなりたい」「真実を知りたい」という明確な目的があった。
しかし、この裏切りには、理由がない。
守ろうとした人間に、壊された。信じた人間に、足元を掘られた。愛そうとした「家族」に、刃を向けられた。一度その手に抱いた温かいものを、根こそぎ奪われる痛み——それは、何も持たなかった少年時代の孤独をはるかに上回る絶望だった。
4000人の生徒も、28箇所の支部も、築き上げてきた信頼関係も、すべてが消えた。昨日まで「先生」と呼んでくれていた人たちの声も、もう聞こえない。
幼少期の「守られない」世界とも違う。一度、自分で作った「家族」を、丸ごと奪われる痛み。この出来事が、加藤さんを、本当の意味での「死の淵」へと追い詰めていく。
第14章:練炭自殺未遂とカナダでの日々——「死にたい」から「生きたい」への変遷
4000人の組織を失い、信じていた仲間に裏切られた時、加藤さんの中で、初めて「本当の意味で死にたい」という感情が形になった。
「生きたくない、じゃなくてね。この時はもう、本当に”死にたい”でしたね」
そこからの行動は、徹底している。
ホームセンターを回り、七輪を山積みに買い込む。練炭も、何十個と用意する。さらには、一酸化炭素中毒を測定する高価なセンサーを、横浜まで出向いて購入した。
「1ヶ月くらいかけて、毎日練炭を燃やして実験してましたね」
練炭を風呂場で焚き、部屋を密閉しすぎると、自分が途中で倒れてしまうリスクがある。だから最初は、換気しながら数値の上がり方を測る。一酸化炭素は重いので、締め切らないと溜まらないが、締め切ると今度は練炭が消える。
「練炭自殺って、実は成功率低いんですよ。締め切ると消えるし、開けると溜まらない。ものすごく難しい」
センサーを片手に、何度も何度も試す。部屋のサッシが歪むほど、熱がこもる日もあった。部屋の中にテントを張り、その中で練炭を焚いてみたこともある。しかし、熱がこもりすぎてテントが溶けそうになり、断念。
「この日にやるって決めて、その前にずっと”リハーサル”してましたね」
決行の日は、金曜日だった。その日に合わせてセンサーを大事に使い続けてきた。
ところが——
「その日に限って、そのセンサーが壊れたんですよ」
スイッチを入れても反応しない。今まで宝物のように扱い、何度もテストしてきた機械が、ここ一番で沈黙した。
「あ、これは今日は死ねないなって、思いましたね」
それは、幼少期に睡眠薬一箱を飲んで吐き出し、タバコや醤油で死の淵を覗き込みながらも生還した時と、どこか似ていた。
「また”死なせてもらえなかった”んですよね」
決行をやめたあと、しばらくの間は、完全な「抜け殻」状態だった。何もやる気が起きない。何も感じない。ただ、「ここでは終われない」という違和感だけが、身体のどこかに残り続けていた。
その違和感に押されるように、地獄に行くために加藤さんはカナダ・トロントへ飛ぶ。
「毎日、外人にぶん殴られてましたね」
トロントの道場には、ニューヨークのUFC系のチャンピオンクラスが車で8時間かけてやってくる。一方の角にはロシア系の退役軍人たち。彼らの身体は、ただ大きいだけではない。「生き残るための暴力」を知っている骨太さがあった。
「その真ん中に挟まれて、毎日ボコボコにされるわけですよ」
時に殺意すら感じる、ギリギリの「生きるか死ぬか」の殴り合いだった。
「ここで本当に殺されるかもしれないって、何度も思いましたね」
不思議なことに、その暴力の渦中で、加藤さんの中の感情が変わっていく。
「最初は”生きていたくない”だったのが、”死にたくない”になったんですよね」
死を求めていたはずなのに、本当に死の可能性が迫ってきた瞬間、「死にたくない」が身体の底から湧き上がってくる。
ここで死ぬのは嫌だ——。その感覚は、すでに「生きたい」の予兆でもあった。
生と死は一本の線。その線の上で、自分がどこに立っているかが、少しずつ変わっていく。
この一連の体験を経て、加藤さんの中にようやく「死にたくない」という感情が湧き上がった。そして、それが「生きたい」という願いへと変わる背景には、一人の弟子との絆と、「人のために生きる」という気づきがあった。
第15章:既存の種目ではなく、自分で作り上げたもの——「靭トレ」という奪われない財産
4000人規模の組織を失った時、加藤さんの手元からは、多くのものが消えていった。
会員も、支部も、道場も、信頼していた人間関係も、自分が一つずつ作り上げてきた仕組みも、ある日を境に大きく崩れていった。
自分の手で作ったものが、別の人間の手によって書き換えられていく。信じて任せていたものが、いつの間にか別の方向へ流れていく。大切に育てた場所が、自分の手を離れていく。
加藤さんにとって、初めて作った「家族のようなもの」を失う痛みでもあった。
しかし、その喪失のあとにも、加藤さんの中に残ったものがあった。
それは、自分の身体で掴んだ真実だった。
インドで筋肉が使えなくなった時。
断食と瞑想で、身体の限界を越えようとした時。
2歳の子どもの動きから、身体の中心を通るラインを掴んだ時。
格闘技の現場で、筋力や根性だけでは説明できない身体の働きを見た時。
加藤さんの中には、少しずつ一つの確信が生まれていた。
人間の身体には、筋肉だけではない力がある。
その根本には、靭帯や重力、身体の中心線が関わっている。
その感覚が、「靭トレ」の形になっていった。
靭トレは、誰かから与えられたものではない。
どこかの流派をそのまま受け継いだものでもない。
既存の種目の名前を借りただけのものでもない。
組織の看板によって守られたものでもない。
加藤さんが、自分の身体で確かめ、自分の人生で傷つき、自分の痛みと経験の中から一つずつ掴み取ってきたものだった。
だから、誰にも奪えない。
組織は奪われることがある。
人は離れることがある。
肩書きは変わることがある。
場所は失われることがある。
けれど、自分の身体で掴んだ真実は、誰にも奪うことができない。
加藤さんにとって、靭トレとは、まさにそのようなものだった。
「靭トレをやりたい」
「加藤先生の身体の考え方を知りたい」
「ここでしか学べないものを学びたい」
そう言って、加藤さんを頼ってくる人がいる。
それは、既存の種目を求めているのではない。
加藤さんが人生をかけて辿り着いた身体の真実を求めているのだ。
何度も死を覚悟した。
自分だけの道を歩んだ。
全てを失って絶望した。
それでも最後に残ったものがあった。
それが、靭トレだった。
第16章:靭トレを求めて、人が頼りに来る今
いま、加藤さんのもとには、さまざまな人がやってくる。
日本を代表する劇団。
トップダンサー。
スポーツ選手。
研究者。
身体に悩みを抱える一般の人たち。
一見すると、彼らの悩みはそれぞれ違う。
もっと高く跳びたい。
もっと楽に動きたい。
痛みから解放されたい。
本番で力を出したい。
年齢を重ねても、自分の足で立ち続けたい。
身体を変えることで、生き方そのものを変えたい。
だが、根っこにある願いは近い。
自分の身体を、もう一度信じたい。
加藤さんが伝えている靭トレは、単なるトレーニングではない。
人間が本来持っている身体の仕組みを取り戻し、自分の身体の中にある可能性を思い出していくための道である。
だから、プロの表現者も、アスリートも、研究者も、一般の人も、同じ場所に立つ。
身体は、誰にとっても人生の土台だからだ。
加藤さんは、自分の人生であまりにも多くのことを経験してきた。
飢えを知っている。
孤独を知っている。
裏切りを知っている。
身体が壊れていく感覚を知っている。
死にたいほどの絶望を知っている。
そして、そこからもう一度立ち上がる過程も知っている。
だからこそ、目の前の人の悩みを、表面だけで見ない。
身体の奥にあるもの。
心の奥にあるもの。
その人自身もまだ気づいていない、本当の声。
そこに触れようとする。
「自分が今まで経験してきたことが、全部、誰かに答えるための材料になっている」
加藤さんは、そう感じている。
「僕が今まで経験してきたことって、全部、今誰かに答えるための材料になってるんですよね。飢えたことがなかったら、飢えている人の身体の感覚なんて、本当の意味ではわからなかったと思うんです。筋肉が使えないところまで身体を削ったことがなかったら、筋肉じゃないところで人間が立っているとか、動いているとか、そういうことにも気づけなかったと思うんですよ。裏切られたことがなかったら、心が折れるってどういうことかも、たぶんここまでわからなかった。本気で死にたいと思ったことがなかったら、『もう生きる力がない』って言う人の声も、聞き逃していたかもしれない。だから、あの時は地獄だったことも、今になってみると、全部あってよかったんだなって思えるんですよね」
過去の地獄は、今では誰かを支えるための材料になっている。
靭トレは、そのすべてが形になったものだ。
そして今、その力を必要としている人たちがいる。
かつて、誰にも守られなかった少年が、いまは誰かの身体の土台を支えている。
かつて、何も持たなかった人が、いまは自分の中に残った真実を人に渡している。
「僕のIKIGAIって言うと、自分が今まで生きてきたことの全部が、誰かの生き方の参考になってくれることなんだと思うんですよね。苦しかったことも、飢えたことも、裏切られたことも、死にたいと思ったことも、全部その時は地獄だったんですけど。でも今は、その経験があるから、目の前の人に答えられることがある。『あの時の自分がいたから、この人にこの言葉を渡せるんだな』って思えることが、今は本当に多いんです。だから、自分の人生そのものが、誰かがもう一度立つための参考になる。それが、僕にとってのIKIGAIなんだと思います」
その言葉の通り、幼い頃の孤独も、飢えも、格闘も、敗北も、裏切りも、組織の崩壊も、絶望も、海外での死闘も、すべてが今、靭トレを通して誰かの未来へ渡されている。
誰も守ってくれなかった少年は、いま、誰にも奪われない身体の真実を通して、誰かがもう一度、自分の身体と人生を信じるための土台を支えている。
あとがき
「真実を追い求める道は、孤独であるのかもしれない」
誰にも理解されない時間がある。
誰にも評価されない時間がある。
自分だけが見えているものを、ただ信じて進まなければならない時間がある。
加藤さんは、まさにその道を歩いてきた人だった。
幼い頃から、守ってくれる人はいなかった。
帰る場所も、安心できる居場所もなかった。
頼れるものがなかったからこそ、自分の身体で確かめ、自分の力で立ち、自分の技術を磨き続けてきた。
格闘技を学び、営業の世界を知り、海外を巡り、インドで身体を削られ、断食と瞑想を通して身体の奥へ潜っていった。
そのすべての先に、加藤さんは「靭トレ」という、誰にも奪われない身体の真実へと辿り着いた。
そして真実を探求した先に出た答えは、
自分一人のためだけに留まるものではなかった。
誰かに幸せになってもらうために、使いたくなる。
人にとって最大の幸福とは、自分の磨いてきた技術で、誰かを幸せにできると実感できた瞬間なのかもしれない。
加藤さんは、ずっと一人ぼっちだった。
しかしやがて、仲間ができた。
初めて「手放したくない」と思えるものができた。
自分の手で場所を作り、人を育て、家族のようなものを築いていった。
しかし、その大切なものも裏切りという形で失われてしまった。
守りたいものを持った。
自分の人生で初めて、失いたくない居場所を持った。
だからこそ、それを失った痛みは、深かったのだと思う。
それでも、加藤さんはまた立ち上がった。
それは、自分のためだけではない。
人のために、もう一度立ち上がった。
自分の力を、誰に残すのか。
自分の技術を、誰の幸せのために使うのか。
その問いに、加藤さんは今も身体で答え続けている。
裏切られ、死にたいほど傷ついた人が、
人を変えるために、自分の技術を使っている。
人は、人を幸せにするために技術を磨くのだ。
加藤さんの人生を振り返り、私はそう感じた。
そして同時に、私自身の使命についても考えた。
自分には何ができるのか。
何を残せるのか。
誰のために、自分の力を使えるのか。
皆さんはどうだろうか。
自分の使命は、見えているだろうか。
もしかすると使命とは、困難の中で、葛藤の中で、絶望の中で、それでも前に進もうとした時に、少しずつ見えてくるものなのかもしれない。
傷ついた経験が、誰かを支える力になる。
失った経験が、本当に残したいものを教えてくれる。
孤独だった時間が、誰かとつながる意味を教えてくれる。
加藤さんの人生は、そのことを教えてくれた。
真実を追い求めた先にあったもの。
それは、自分だけの答えではなかった。
誰かを幸せにするための生き方だった。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師








