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家族が笑っていられる明日へ——財務の仕事と絵本に込める、支えてくれた人への恩返し
入江睦 harmoney
家族への感謝を財務の仕事と絵本につなぐ人
入江睦 harmoneyさんのプロフィール
harmoney代表・財務コンサルタント。株式会社J.I developer取締役CFO。銀行で7年間勤務し、生命保険の仕事を経て財務コンサルティングに携わる。企業に寄り添う財務支援に加え、共著『あきらめない者たち〜日陰に芽吹く花〜』や絵本『みえないはね』を制作。家族との時間を大切にし、妻や娘と一緒に働ける保育園づくりを目指す。
家族が笑っていられる明日へ——財務の仕事と絵本に込める、支えてくれた人への恩返し
あなたにとって、支えてくれた人への恩返しとは何だろうか。
「俺、人生詰んだわ、と思ってました。終わった、と思ったんです」
入江睦さんには、本気でそう思った時期がある。7年間勤めた銀行を、本人の言葉では「逃げるように」辞めた。同期や先輩、後輩にもほとんど相談しなかった。転職した先で頑張り、辞めてよかったと認めてもらいたかった。
当時の入江さんには、認められたい気持ちがあった。銀行員という肩書きを手放したあと、自分の価値を示す分かりやすい基準として選んだのが、お金だった。
「負けたくないのもあったし、評価されたいのも正直ありました。そのときの僕の中で、評価できる明確な基準がお金だったんです」
成果が収入へ直結する仕事へ転職した。最初は身近な人たちから契約をいただき、収入も大きく上がった。しかし、1年ほど経つと数字は落ちていった。月の手取りが数万円になることもあった。
その頃、結婚し、子どもを授かった。生活に必要なお金が足りなくなり、借り入れが増えていった。さらに、収入がよかった時期に始めた高級車のカーシェアリングへの投資で、車を貸していた会社が倒産した。車は戻らず、約600万円のローンだけが残った。
事業活動でつくった借金も合わせると、最大で約1,200万円になった。
「個人で1,200万円で、手取りもそんな状態だったら、本当に回らなくて」
破産も考えた。それでも、妻と子どもとの生活は続いていく。入江さんは、家族に助けを求めた。
最初に向かったのは、近くで自分を見てくれていた叔父と叔母のもとだった。生活ができないこと、借金を抱えていることを打ち明けた。やがて母、兄、叔父、叔母、いとこまで家族が集まり、入江さんは自分が置かれている状況をすべて説明した。
家族から厳しく叱られた。そのうえで返ってきたのは、「お前なら大丈夫。またやり直せる」という言葉だった。家族はまとまったお金を用意し、借金の一部を返す力を貸してくれた。
妻にも状況を打ち明けた。入江さん自身、妻に申し訳なさを感じていた。その入江さんに、妻はこう伝えてくれた。
「お金はなんとかなる。私は家族が笑顔で一緒に過ごせていれば、それで幸せだよ」
その言葉を聞き、入江さんは「めちゃくちゃ気持ちが楽になった」と振り返る。人生で一番大切にしているものを尋ねると、入江さんの答えは「家族」だった。
その答えには、自分の力だけではどうにもならなくなったときの経験がある。助けを求めた先で、自分を支えてくれた人たちがいた。
今、母の誕生日などに欲しいものを尋ねても、返ってくるのは「いらない」という答えだという。
「本当に欲しいものはないんだと思います。それ以上に、僕らが会うときに楽しく仲良くいることを喜んでくれるのが母親だなと感じています」
高校2年生のときに父を事故で亡くしたあとも、母は働きながら入江さんの暮らしと学びを支えた。借金で生活が立ち行かなくなったときにも、再び家族が手を差し伸べてくれた。だから今、入江さんは自分なりの恩返しを考えている。
「家族が笑顔で楽しく、仲良くいる姿を見せ続けること。それを見せ続けるための努力は、間違いなくしていますね」
現在は、企業に寄り添う財務コンサルタントとして活動しながら、建設会社の役員として財務にも携わっている。仲間と自身の人生を本にし、子どもたちへ届けたい思いを絵本にもした。そしてその先には、妻と娘と一緒に働ける保育園をつくるという目標がある。
銀行員という肩書きや稼いだ金額に、自分を認めてもらう手がかりを求めていた時期があった。そこから仕事も生活も立ち行かなくなり、一人ではどうにもならないところまで行った。それでも家族は、入江さんから離れなかった。
支えてもらった人へ、何を返せるのか。入江さんが今選んでいるのは、自分らしく生き、家族と笑顔で過ごしている姿を見せ続けることである。
第1章|楽しむ父、支える母。その両方を見て育った
幼い自分の話になると、入江さんから出てきたのは、少し意外な言葉だった。
「ジャイアンでした」
地元の友人たちとは、今も自分で集まる機会を企画している。大切なつながりを続けたいからだ。その席で昔を振り返ると、友人からも、当時の自分はそういう子だったと言われるという。
兄は頭がよく、スポーツもでき、周囲の目を引く人だった。父も、人前に出ることを好む人気者だった。学校行事へ行けば、自分でカメラを持ち、進んで写真を撮る。何かをする場面では、自ら動いていた。
そんな2人の近くにいた入江さんは、自分も同じように人気があるのだと思っていた。欲しいものがあると、友達のものを勝手に取ってしまうこともあった。当時の自分が周囲をどう見ていたかを、今はこう振り返る。
「兄と親父がすごく目立つ人だったんで、しかも人気者だったんで。それで僕も人気者っていう勘違いをして、自分はすごい存在っていう価値観の中で幼少期を過ごしてたんで」
中学校へ進んでも、最初は同じ調子で振る舞った。すると、同級生、とりわけ女子から嫌われてしまったという。その経験以降、女性と接することが苦手になった。
中学と高校では、バスケットボールを続けていた。
高校2年生のとき、父が事故で亡くなった。朝、泣いている母から電話があり、駆けつけたときには、父は救急車に乗っていた。そのまま帰ってくることはなかった。
父には借金があった。一部は祖母が立て替え、その後も母が働いて返済を続けた。入江さんたちの学費を用意しながら、家の暮らしも支えていた。
その家の状況を、詳しく知ったのは大人になってからだった。
「そのときは事情を詳しくは知らなかったんですけど、大人になってから改めて話を聞いたときに、そういう状況だったんだと分かりました」
母は、父を亡くした息子に、バスケットボールを続けていい、やりたいことを我慢しなくていいと伝えてくれていた。入江さんは部活動を続け、1年間の浪人を経て大学へ進んだ。その間も、母は学費と返済のために働いていた。
バスケットボールを続けていた日々も、大学への進学を目指した時間も、母が働くことで支えられていた。母にとってのその年月を知った今、入江さんは、父と母の生き方を、それぞれの側から振り返る。
「まず前提として、親父も母親も大好きなんですよ。超尊敬してて」
父は、自分の心が向くままに、やりたいことをする人だった。お酒やお金、女性関係で家族に負担をかけたことも、入江さんは隠さない。母が苦労していたことを知る今も、父について思い出すのは、自分の人生を存分に楽しんでいた姿だ。
「やり切って死んでいった感覚が、僕の中では親父にはあるんで。こんだけ人生を楽しめる人間って、僕はすごい素敵だなと思って」
父から、自分の人生にあまり口を出された記憶はない。何か大層なことを考えていたのかは分からないとしながらも、やりたいように生きた父の姿を覚えている。
「誰の目も気にせず、自分がやりたいようにやって死んでいった親父。その生き方もすごいなと思って」
その一方で、母の人生を振り返ると、出てくるのは「我慢」という言葉だった。お金の苦労や、父との暮らしの中で、自分の望みを後に回してきた。その母が守ろうとしていたのは、兄と自分だった。
「僕と兄という2人の存在を守るために、とことん我慢して、自分のことを我慢して、やりたいことを我慢して、支え切る母親の人生。そういう生き方もすごいなと思ってて」
母は自分のやりたいことを我慢しながら、息子には、我慢しなくていいと伝えた。父の死後も働き続けた母の姿を思うとき、入江さんは、自分たちを支えてくれたことへの感謝とともに、母自身の人生のことも考える。
「そんなに我慢して、自分の人生は大丈夫なの、もっと自分らしく生きればいいんじゃないの、という見方もあるんですけど。でも、誰かのために我慢して頑張り続ける母親の人生も、すごい素敵だなと思ってて」
父を尊敬するときにも、人に迷惑をかけた面があったことは覚えている。母を尊敬するときにも、もっと母自身のために生きてほしいと思うところがある。2人の人生を振り返る言葉には、好きなところと、気にかかるところの両方がある。
人との関わりについて、今の入江さんは、相手を肯定する気持ちが強いと感じている。ただ、その話は、自分自身の弱さにも及んだ。
「僕が否定されたくないし。自分がされたくないことをしたくないんだろうなと思いますけどね」
幼い頃には、自分は何をしても許されると思っていた。その自分が中学校で人に嫌われ、女性と接することを苦手に感じるようになった。就職先を選ぶ頃にも、周囲からどう見られるか、認めてもらえるかという思いは、自分の中にあった。
第2章|誰かと一緒に頑張りたかった。銀行で過ごした7年間
大学4年間、入江さんは塾講師として働いた。自分自身は勉強が好きなほうではなかったという。それでも、教える側になってからは、生徒が目指すものに関わる面白さを感じていた。
生徒の学力と、目指す高校との間には差がある。そこを埋めるために、二人三脚で目標を決めた。子ども自身が望む進路のために、自分も隣で考え、一緒に頑張る時間だった。
「どうやって志望校に合格しようか一緒に考えて、最終的な結果はどうにせよ、一緒に頑張るプロセスがすごく楽しかったんです」
社会人になっても、そういう関わりを続けたい。就職先を考える際にはコンサルティングの仕事を志望し、その中で金融を通じて経営者を支援する銀行に関心を持った。目指すものがあり、事業を育てようとする人たちと接点を持てることに惹かれたのだ。
当時交際していた相手は、同じ塾で働いていた女性だった。相手が先に、埼玉県内で働く職に就いていた。入江さんは、就職後の2人の暮らしも考えた。
「僕の中でも当然、結婚する前提で付き合っていたので、地方に飛ぶような仕事じゃなくて、同じエリア内で転勤して、うまく回れる会社がいいなという中で。身近な大切な人との将来を考えたときに、ベストなんじゃないかと思いました」
親族に銀行で働く人がおり、身近な職業でもあった。大学の友人には、法律の専門職を目指す人や、大手企業へ就職する人がいた。幼い頃は人気者の父や兄と自分を重ねていた入江さんが、就職先を選ぶときには、その友人たちの評価を気にしていた。
「結局、周りの承認っていうのが、自分の中ですごく大きくて。僕、自己肯定感が低くて、結構自己嫌悪もひどかったり、否定されるのがすごく苦手な人間なんですけど、とにかく認められたいみたいなところがあって。銀行だったら認めてもらえるんじゃないか、みたいな、すげえ安易な選び方は正直あったと思います」
入行してからは、期待していた関わり方との距離を感じるようになった。生徒と志望校を目指したように、経営者の悩みを聞き、一緒に考え、その人が進みたい方向へ支援したい。ところが融資には、財務内容や事業規模に基づく判断がある。担当者の気持ちだけで決められるものではなかった。
自分が面白いと思う事業があり、応援したい経営者がいても、組織として融資できないと判断されれば、その結論を伝えなければならない。入江さん自身、銀行という組織では当然のことだと理解していた。事業の可能性を感じる企業ほど、やりたいことに対して財務内容や事業規模がまだ追いついていない場合もあった。
「この会社こそ何かやりたいじゃん、もっと支援できないの、みたいなところがあったんですけど、やっぱりそれが全然できなくて」
融資や手数料の目標もある中で、経営者の望みと、自分たちが求められる数字の両方に向き合う。その働き方が苦しかった。自分の力が足りなかったことを前提にしながらも、思い描いていた仕事との違いは大きかったと振り返る。
私生活でも、結婚を考えていた相手との別れを経験した。プロポーズから5か月後のことだった。その後、気分が沈む時期が1年ほど続いたという。将来の暮らしを考えて選んだ職場で、仕事への違和感と、私生活の変化が重なっていた。
銀行員という肩書きは、自分を守るものでもあった。その看板を失う怖さを感じながら、7年間勤めた銀行を辞めた。同期にも、先輩にも、後輩にも、相談をしないままの退職だった。
「本当に逃げちゃったんで、誰からも応援されなかったんですよね」
寂しさも、申し訳なさも、悔しさもあった。転職した先で頑張り、辞めてよかったと周囲に思ってもらいたかった。そこで、評価を示すための分かりやすい基準として考えたのが、稼ぐ金額だった。
第3章|「生活できない」と打ち明けた日、家族が集まってくれた
銀行を離れて始めたのは、生命保険の仕事だった。身近な人たちに提案し、契約をいただけた最初の時期を過ぎると、仕事を続ける難しさが見えてきた。入江さん自身、保険の提案を得意としていたわけではなかった。
「僕、保険の提案自体、本当に得意じゃなかったんで。ちょうどコロナだったんですよ、僕が1年経ったタイミングぐらいで。本当に提案する時間もなかったし、提案する機会もつくれなくて」
新型コロナウイルスの感染拡大が重なる中で、提案の機会をつくることに苦労した。収入が減り、借金も膨らみ、生活が回らなくなった。破産も考えていたという。
家族を守るために必要なら、その選択も取っていたと思う。入江さんは、当時の自分が考えていたことをそう説明する。真っ当に立て直す方法を探していた。
その中で頼ったのが、実家の家族だった。ただ、最初から母にすべてを話せたわけではなかった。
「最初は母親に話せなかったんで、ずっと近くで見てくれてた叔父、叔母の家に行って、生活できない、こういう状況でっていうのを話して」
父の死後、母は返済を続けながら自分たちの学費を用意してくれていた。その苦労を、大人になってから聞いたこともある。今度は自分が生活に困り、家族にお金を貸してほしいと頼むことになった。
家族は状況を聞き、入江さんを叱り、そのうえで力を貸してくれた。借金の一部を返すことができたときのことを、入江さんは覚えている。
「やっぱりそのタイミングって、家族のありがたさだったりとか、家族のありがたみっていうのは感じたタイミングだったかなと思ってます」
妻も、お金のことで苦しむ生活を知っていた。幼い頃には、光熱費を払えずに電気やガスが止まるような経験もあったという。入江さんはその話を聞いていたからこそ、自分が生活を苦しくしていることを申し訳なく感じていた。
その妻が、家族で笑顔で過ごせていれば幸せだと、はっきり伝えてくれた。入江さんは今も、自分は支えてもらってばかりだと感じている。
家族に借金の一部を返す力を貸してもらったあと、入江さんは仕事にもう一度力を入れた。それでも、保険の仕事だけでは生活を回せなかった。働き方そのものを考える必要があった。
そんなとき、財務コンサルティングの会社を新しく立ち上げる人を紹介された。銀行員時代には面識のなかった相手だったが、会食で話す機会があり、その仕事について知っていった。
銀行で働いていたときには、応援したい経営者がいても、融資できないという組織の判断を伝えることがあった。企業の側から関われば、その会社と一緒に、銀行へどう働きかけるかを考えられる。
「その会社のことと一緒にやっていける。それがやりたかったんで、それができる財務コンサルっていう仕事は、おもろいなと思って」
やりたいことを仕事にする思いと、生活のために収入を得る必要が、ここで重なった。入江さんは、紹介された相手に、やりたいと伝えた。
第4章|経営者の側で考える仕事へ。自分の過去も、本にした
財務コンサルティングの仕事で関わるのは、支援を必要とする企業だ。銀行の担当者として融資の可否を伝える立場から、その会社の一員のように、経営者と立て直しや成長を考える立場へ。入江さんは、働く側を変えることで、望んでいた関わり方を見つけた。
「会社のメンバーとして、その会社の立場として銀行と交渉というか、その企業に対してとことん一緒に考えて、一緒に支援できる。一緒に立て直す、成長するっていう立場が面白いなと思って」
やりたい、と相手に伝え、財務コンサルティングの仕事を始めた。保険の仕事も続けながら、二つの仕事に取り組んでいく。固定の収入を得られるようになり、生活は少しずつ安定していった。
その選択についても、入江さんは、思いと生活の事情の両方を口にする。
「自分がやりたかったことがやれるっていう思いの部分と、一方でお金が必要だったんで、固定給が欲しいっていう思惑の両方がかなえられる働き方というか、仕事だったんで」
塾講師をしていた頃には、生徒と目標を決め、そこへ至る方法を考えた。今は経営者が目指す将来のために、その会社の立場で考える。入江さんが面白いと感じる仕事には、相手が望むものへ、一緒に向かえる時間がある。
その後、業務委託として関わった財務コンサルティングの会社から独立した。現在、役員を務めている建設会社との出会いも、もともとはその会社のお客様を担当したことから始まっている。
支援を続ける中で、経営者が上場を目指すようになった。管理部門を束ねる責任者が必要だということで、入江さんに声がかかった。外から支援する担当者だった人が、会社の中で財務を担う立場へ進む機会だった。
入江さんが惹かれたのは、代表の素直さと向上心、そして人に助けを求められるところだった。会社が掲げる、建設業を新しくしていくという考え方も好きだった。その会社の上場に携われるのであれば、ぜひやりたいと引き受けた。
2026年10月現在、入江さんは、財務コンサルタントとしての活動とともに、建設会社で財務を担っている。上場は、これから実現を目指している目標の一つだ。会社が望む未来に向けて、内側で役割を持つ仕事を続けている。
仕事と並んで、大切にしている活動が本づくりである。仲間3人で書いた『あきらめない者たち〜日陰に芽吹く花〜』では、それぞれが自分の人生を振り返った。入江さんも、自分が苦しかった時間を文章にした。
「3人が過去苦しかったこと、情けなかったこと、無様だったこと。でも、その中で誰かの支えがあって、自分がやりたいことを今やれてる、みたいなところを全員が書かせていただいているんですけど」
うまくいかなかったことや、誰かに支えられたこと。その経験を、自分の言葉で残した。3人で取り組んだクラウドファンディングでは、周囲の協力も受けて、出版に必要な資金を集めた。
さらに、今度は1人で絵本『みえないはね』をつくった。制作のためのクラウドファンディングの目標金額は150万円。仲間と一緒に取り組んだときとは違い、自分1人でその金額を集めることに、初めは大きな重みを感じていた。
「1人で150ってやばくないかって思ってたんですけれども。いや、でも、なんとかなるもんなんだなっていう感想ですね」
完成した本と絵本は、今の入江さんの手元にある。自分をよく見せたいと思っていた時期も、その後に助けを求めた時間も、自分の人生として言葉にする。家族や仲間に支えてもらいながら生きてきた人は、その歩みを、誰かが手に取れる形にしている。
第5章|妻と娘と働く保育園を。家族と過ごす未来をつくる
今後やりたいことを尋ねると、役員を務める会社の上場とともに、もう一つ、入江さんの中にある目標が出てきた。保育園をつくることだ。
妻は保育士として働いている。娘はその姿や、保育園の先生との関わりの中で、自分も保育士になりたいと口にするようになった。入江さん自身も、子どもが好きだという。
「妻と僕と娘が一緒に働ける保育園だったら、おもろいなと思ってて。娘が働く、パパがつくった保育園っていいなと思って」
40歳までに、まず小さくても1か所つくりたい。2026年10月の時点で、入江さんは、あと2年で実現したいと考えていた。これから形にしていく目標として、その期限を自分の言葉で置いている。
娘が将来、本当に保育士になるかどうかも、これからのことだ。入江さんが今、思い描いているのは、妻や娘と一緒に働ける場所である。家族の好きなことや、やってみたいことが、自分の目指す未来にも加わっている。
家族ができたことで、自分の心境がどう変わったのか。入江さんは、自分だけの人生ではなくなった感覚を口にしたあとで、今も好きなようにさせてもらっていると考え直した。
「いや、でも正直、あんまりないかも。結構そこは、自分は自分で好きにやらせてもらっちゃってる感覚があるんで」
今も、好きなことを続けさせてもらっていると感じている。感謝を言葉にして伝えているかという話になったときにも、入江さんは、自分ができていることと、これからしたいことを分けて答えた。
「言葉では伝えてないですね。でも僕の中では、恩返しの意識はすごくありますね。だから、笑顔でいさせてもらうためにはどうしたらいいか。安心してもらうためにはどうしたらいいか」
妻と子どもたちに、何を返していけるのか。入江さんは、妻が自分をどのように支えてくれているかを考え、日々の過ごし方を大事にしている。
「僕が僕らしく、いきいきと生きることが、妻にとって幸せだと僕は思っています。だからこそ、自分がいきいきと楽しく笑顔で生きる姿を見せるというのが、一つの恩返しだと思っています」
母に対しても、家族が楽しく、仲良く過ごす姿を見せることを大事にしている。そのための努力はしていると、入江さんは言葉にした。贈り物の希望を聞いても、いらないと答える母に、日々の暮らしの中で応えていこうとしている。
お金も、時間も、権威もすべて手放したとして、それでも頑張れる力の源は何か。最後に、入江さん自身のIKIGAIを尋ねた。
「家族なんですね。IKIGAIと価値観が一緒でいいのか分からないですけど」
人生で一番大切にしているものと、これからも頑張りたいと思う理由。そのどちらを尋ねても、入江さんから出てきたのは家族だった。
銀行を離れた頃には、稼ぐ金額によって、自分が頑張っていることを認めてもらいたかった。今は、経営者と一緒に会社の未来を考え、本をつくり、保育園をつくる目標を持っている。それらに向かう自分の姿を、そばで支えてくれた人たちに見ていてほしい。
家族と楽しく暮らすことを続けながら、その家族と働ける場所もつくってみたい。入江さんが目指す明日には、妻や子どもたちと、一緒に過ごす時間がある。
あとがき
入江さんとの対話を終えて、私は「恩を送る」とはどういうことなのかを考えていた。
入江さんは人の支えに気づき、感謝を感じ取る感性と、その恩を返し続けようとする姿勢があった。
父との別れ、仕事で抱えたもどかしさ、借金で生活が立ち行かなくなった時間。入江さんの歩みを振り返る中には、自分を助け、支えてくれた人たちの存在があった。その一人ひとりへの感謝を、今も持ち続けていることに、私は心を動かされた。
支えてくれた人への恩を、自分らしく生きる姿で返していく。そして、受け取ってきたものを、今度は次の誰かのために使っていく。入江さんが本や絵本に思いを込め、子どもたちに残そうとする姿を、私はそんな「恩を送る」営みとして受け取った。
誰かのために頑張ることと、自分の人生を楽しむことが、入江さんの中では一緒にある。助けてもらったことを覚えているからこそ、自分も誰かの力になりたいと思う。その感謝が、これからやってみたいことや、生きていきたい毎日にもつながっているように感じた。
人が何を成し遂げたかだけを見ていると、その人の生き方を十分には受け取れないのだと思う。何に悩み、誰に助けられ、その後をどう生きてきたのか。そこまで触れたときに、私は、その人のことをより深く知り、強く心を動かされるのだと感じた。
あなたは、これまで誰に助けてもらってきただろうか。
毎日の忙しさの中で、思い出すことが少なくなった言葉や、当たり前になってしまった支えもあるかもしれない。その一つひとつを思い出したとき、今度は自分が誰かのためにできることが、見えてくる気がする。
その恩を、これから誰へ、どんな形で送っていきたいだろうか。
受け取ってきた恩を思い出すことが、
自分のIKIGAIに気づくきっかけになるかもしれない。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









