「挑戦」ではなく「冒険」を挫折も遠回りも人生の一部に変えて進む、尾﨑弘師のIKIGAI

「挑戦」ではなく「冒険」を挫折も遠回りも人生の一部に変えて進む、尾﨑弘師のIKIGAI

尾﨑弘師 株式会社ミトミト

IKIGAIの芽|取材・執筆:藤瀬亮介

株式会社ミトミト 代表取締役/IKIGAI JAPAN 主宰

尾﨑弘師 株式会社ミトミトさんのプロフィール

尾﨑弘師 株式会社ミトミト
株式会社ミトミト 代表取締役/IKIGAI JAPAN 主宰

「僕はたぶん、『冒険心を忘れないこと』一番大事にしているんだと思います」

株式会社ミトミト代表取締役でありIKIGAI JAPANを主宰する尾﨑弘師さんに、人生で最も大切にしている価値観を尋ねると返ってきたのは「冒険」という言葉だった。

以前の尾﨑さんなら同じ問いに「挑戦」と答えていたという。

元プロボクサーとして世界チャンピオンを目指していた時代があり、大手企業で約10年間働きそこから営業の世界に飛び込み、独立した。

新しいことへ向かい続けてきた人生だけを切り取れば、「挑戦」という言葉はよく似合う。

それでも、今の尾﨑さんは「挑戦」ではなく「冒険」と表現する。

「挑戦って、僕の中では辛いイメージがあるんですよね。達成するまでずっと辛いし、達成してもまた次の挑戦が待っている。でも冒険だったら、道中も楽しいじゃないですか」

同じことをしていたとしても、それを「挑戦」と見るのか、「冒険」と見るのか。

そこには、夢を追い、挫折し、立ち止まり、仕事やお金、IKIGAIについて何度も考えてきた尾﨑さんだからこそたどり着いた感覚がある。

そして「冒険」という言葉を追っていくと、その原点はずっと昔、尾﨑さんの幼少期にまでつながっていた。

第1章|何もなくても、楽しむことはできた

尾﨑さんは4人兄弟の末っ子として育った。

父親はもともと経営者だったものの、会社が倒産。家族は築年数の経った2Kほどのアパートで暮らしていたという。

決して経済的に恵まれた家庭ではなかった。

家族が離れていく経験もあった。

幼い尾﨑さんにはどうすることもできない出来事が続き、小学校高学年のころには、家族が離れてしまうことへのつらさを強く感じたという。

当時のことを振り返りながら、尾﨑さんは言った。

「今思えば、すごくつらかったなと思います」

大切なのは、尾﨑さんがこの過去を最初から前向きに受け止めていたわけではないことだ。

取材の途中、僕は尾﨑さんについて、「大変なことも全部プラスに変えてきた人なのではないか」と伝えた。

すると、すぐに訂正された。

当時は、「なんで自分はこんな感じなんだろう」と思ったこともあった。親のせいにしたこともあった。戻りたいかと聞かれれば、絶対に戻りたくない。

起きた出来事そのものが、良い出来事に変わったわけではない。

「その時の事実って絶対変わらないんですよ。起こった現象って。ただ、人生でつなげることはできて、その意味は変えることができたなと思っています」

過去を美しい物語に書き換えたのではない。

時間が経ち、さまざまな経験を重ねたことで、「あの時があったから今がある」と、自分の人生の中で出来事同士をつなげられるようになった。

その結果、過去の「意味」が変わったのだという。

一方で、経済的には厳しい暮らしの中にも、今に残っているものがある。

両親から繰り返し言われていたのが、

「他の人と比べちゃいかん」

という言葉だった。

尾﨑さんは、幼いころの生活の中で「小さな幸せ」を知ったと話す。

家の近くを裸足で走ったり、外へ出て遊んだりする。お金を使った特別な体験がなくても、目の前にある世界で遊ぶことができた。

「知らなかったから、あの時期は楽しかったんですよ。何も縛られていないし。冒険ですよね」

ここで、現在の尾﨑さんが大切にする「冒険」という言葉が初めて幼少期とつながった。

本人も、取材の中で初めて気づいたように言った。

「今思えば、あの時から多分、冒険を求めていたんだなと思います」

何かを持っているから幸せなのではなく、今あるものの中で楽しめること。

人と比べて、自分の幸せに必要なものを増やし続けないこと。

後に人生を大きく方向転換するとき、この感覚が再び尾﨑さんを支えることになる。

第2章|「やらされる」世界から、自分で選んだリングへ

幼少期からスポーツが好きだった尾﨑さんは、小学2年生ごろからソフトボールを始めた。

チームは強く、練習も厳しかった。

走り込みでは一番になるほど真面目に取り組んでいた一方で、自主的に練習したいと思ったことはほとんどなかったという。

そこにあったのは、「やらされている」という感覚だった。

「常にやらされてる感じでしたね」

仲間と「休みたい」と言いながら練習する。

辞めたいと思っても簡単には言えない。

努力はしている。それでも、自分が心から望んで選んでいるわけではなかった。

転機は中学2年生のころに訪れた。

漫画『はじめの一歩』を読んだ尾﨑さんは、ボクシングに強く惹かれた。

「俺がやりたいのはこれや、みたいな感じで、わーっと燃え上がって」

厳しい指導者のもとで続けていた野球部を辞めると決めた。

簡単に言い出せる雰囲気ではなく、震えながら何度も指導者のもとへ足を運び、ようやく辞めることができたという。

そして、ボクシングの世界へ進んだ。

それまでの「やらされる」スポーツとは違う。

自分で決めた道だった。

やがてプロボクサーとなり、世界チャンピオンを目指した。

ボクシングは、尾﨑さんにとって大きな存在になっていった。

高校卒業後は大手鉄鋼会社へ就職。働きながらボクシングを続けた。

仕事以上にボクシングへエネルギーを注ぎ、夢を追い続けた。

その時間が長くなるほど、ボクシングは単なる趣味や競技ではなくなっていった。

「ボクシングが自分のアイデンティティーになっていたんですよね」

だからこそ、その夢がうまくいかなくなったときの衝撃も大きかった。

当時の挫折について、尾﨑さんは「自分を全否定してしまう挫折だった」と振り返る。

ボクシングがなくなったら、自分には何が残るのか。

長い時間をかけて頑張ってきたものを失えば、自分自身の価値までなくなるように感じていた。

今でこそ、「失敗も冒険の一部」と話す尾﨑さんにも、挫折することへの恐怖は確かにあった。

そして人生を大きく変えるきっかけは、自分からつくったものではなかった。

第3章|立ち止まったから、見えたもの

新型コロナウイルスの感染拡大によって、尾﨑さんの生活は強制的に止まった。

会社からも外出を控えるよう求められ、それまで続けてきた活動ができなくなった。

走り続けてきた尾﨑さんに、突然「余白」ができた。

「何年ぶりだろう、っていうくらい久しぶりに止まったんですよ」

その時間を、妻と過ごした。

結婚してから初めてと言っていいほど、二人でゆっくり過ごす時間が生まれた。

神経衰弱をする。

ゆっくり話す。

一緒に勉強する。

特別な場所へ行ったわけでも、大きなお金を使ったわけでもない。

それでも、その時間を尾﨑さんは今も「幸せだった」と覚えている。

「今まで追ってきたものって間違ってたのかな、と思ったんですよね」

そのころ、人生で初めてと言えるほど本を読んだ。

ボクシングのことを考えたくない気持ちもあり、無心で勉強した。

コロナ禍を「良かった出来事」と単純に捉えているわけではない。

ただ、尾﨑さんの人生にとっては、止まらざるを得なかったことで初めて、自分がどこへ向かっていたのかを振り返る時間になった。

そこから、仕事にも変化が起きた。

ボクシングに使っていたエネルギーを会社の仕事へ向けるようになると、職場との温度差を感じ始めたという。

業務改善のプロジェクトでは、これまで当たり前に行われていた作業の自動化に取り組んだ。

通常業務に加えて行う活動だったため、周囲の協力を得るのは簡単ではなかった。

それでも専門家へ相談し、自分で動き、プロジェクトを進めた。

成果も出た。

一方で、尾﨑さんの中には別の感覚が残った。

「何も挑戦せずに、何も成長を感じず、ただ安定を求めるだけの自分は無理だった。そんな大人になりたくなかったんだと思います」

高校卒業から約10年。

待遇の良い大手企業を離れる怖さは、当然あった。

これから先も安定した収入が期待できる環境を手放すことになる。

それでも、その場所で自分の人生を終えることのほうが怖かった。

会社を辞め、営業の世界へ進んだ。

そして、営業では結果を出した。

自分でアポイントを取り、自分の名前で仕事をつくり、月収が100万円を超えるまでになった。

もし自分だったら大喜びするだろう。

そんな僕の予想に対して、尾﨑さんの返事は意外なものだった。

「大したことなかったですね」

もちろん、何も感じなかったわけではない。

自分一人でも稼げるだけの能力を身につけられたことは、自信になった。

社会で使えるスキルを身につけたいという、転職当初の目標も達成できた。

一方で、心の中には空洞のようなものが残った。

お金が増えれば、できることは増える。

実際、妻と47都道府県を巡ったり、海外へ行ったりすることもできた。

それでも「以前の収入に戻りたいか」と聞かれれば、尾﨑さんにとっては「どちらでもいい」。

なぜなら、コロナ禍で一つの基準を決めていたからだ。

「幸せの最低ラインを上げないこと」

二人でトランプをしているだけでも楽しかった。

その生活で幸せだと思える自分でいられれば、収入や肩書きを失うことへの恐怖は小さくできる。

幼少期に教わった「人と比べない」という価値観が、ここでも尾﨑さんの人生につながっていた。

第4章|「何のために働くのか」が分からなかった先で

営業では成果を出した。

フリーランスとして大きな売上をつくることもできた。

それでも、自分の仕事に納得できていなかった。

「自分のためにはなっているし、会社のためにもなっている。でも、社会のためになってないなと思ったんですよ」

やりがいを見つけられず、何をすればいいのか分からない。

そんな時期、オンライン英会話のフィリピン人講師から、一つの質問を受けた。

「あなたのIKIGAIは何ですか?」

答えられなかった。

「IKIGAIって何なんだろう」

そんなところから始まった。

調べていくうちに、日本語の「IKIGAI」という概念が海外でも知られていることを知った。

そして、それまで仕事を通して出会ってきた小規模事業者たちの姿を思い出した。

大きなお金や権威を持っているわけではない。

それでも、自分の仕事を楽しみ、自分が信じるものを追い続けている人がいた。

「こういう人こそ見える形にしないといけないし、残していかないといけない」

最初はボランティアとして、IKIGAIを聞くインタビューを始めた。

すぐに事業になったわけではない。

営業の仕事を離れ、FXで資金を失ったこともあった。

再び営業代行の仕事をしながら、IKIGAIインタビューを続けた。

自分の理想と現実をどう結びつければいいのか分からず、模索する期間が続いた。

一つのきっかけになったのが、現在ともに仕事をするイラストレーターとの出会いだった。

「この人のために、自分に何かできることはないだろうか」

そう考え続けた先で、これまで行ってきたインタビューと、営業、クリエイティブをつなげる形が見え始めた。

相手の人生や価値観を丁寧に聞き、それを物語として表現する。

必要であれば、そこからWebや漫画LPなどへつなげていく。

インタビューしたからといって、商品を買ってもらう必要はない。

興味を持った人にだけ、その先を案内する。

「本当に興味があって、尾﨑を信用してくれる人だけ次に進むんで。今はすごく心が楽です」

尾﨑さんが目指したのは、効率だけを追いかける仕事ではなかった。

自分が相手と出会い、話を聞き、自分で提案したものに最後まで責任を持つ。

もちろん、すべてを自分たちで担うことには難しさもある。

経験したことのない領域もあり、学び続けなければならない。

それでも、自分が売ったものに自分で責任を持てることに、仕事の意義を感じている。

現在、IKIGAI JAPANでは100人を超える人たちの人生が記録されるまでになった。

尾﨑さん自身、多くの経営者と向き合う中で、価値観が深まってきたという。

理念と利益をどう両立するのか。

どんな仕事にも社会的な意味があり、その仕事に誇りを持って働くとはどういうことなのか。

取材相手から受け取った言葉が、尾﨑さん自身の経営にも残っている。

「インタビューって、本を読むよりいいと思うんですよ」

直接言葉を受け取り、記事を書くためにもう一度考え、相手からフィードバックを受ける。

その繰り返しの中で、相手の価値観だけでなく、自分自身の価値観まで深くなっていく。

今、尾﨑さんはこの経験を自分だけのものにしたくないと考えている。

まだ何をやりたいのか分からない人。

やりたいことはあるものの、どう動けばいいのか分からない人。

社会で通用する力を身につけたい人。

そうした人たちが、自分が本当に興味を持てる相手に会い、相手へ価値を渡しながら、自分自身も成長できる環境をつくろうとしている。

単に「売る」のではない。

人を知る。

価値観を知る。

自分の力で相手に何を渡せるかを考える。

そこから信用が生まれ、次の仕事や出会いにつながっていく。

尾﨑さんが歩いてきた営業とインタビューの経験が、今、一つの形になり始めている。

第5章|すべてを失っても残るもの

「尾﨑さんにとってのIKIGAIは何ですか?」

取材の終盤、改めて尋ねた。

少し考えて、尾﨑さんはこう答えた。

「お金も時間もすべてなくなった時に、結局頑張れるものって、多分、自分の冒険を楽しくすることなんですよね」

自分一人で冒険するだけではない。

冒険をしていれば仲間と出会う。

その冒険が誰かのためになればうれしい。

出会った人が、その人自身の冒険を始めるきっかけになれば、もっといい。

同じゴールを目指さなくてもいい。

一人ひとりに、それぞれの冒険がある。

一瞬でも同じ方向を向き、互いの冒険の一員になれたらいい。

それが今の尾﨑さんが語るIKIGAIだった。

昔から同じだったわけではない。

20代前半なら、「挑戦」と答えていただろうと話す。

挑戦することが正義だと思っていた。

努力し続けること。結果を出すこと。前へ進み続けること。

その挑戦の中で失敗し、挫折し、自分自身まで否定した。

だから「挑戦」を「冒険」へ変えた。

「挑戦の挫折って絶望なんですけど、冒険の挫折だったら、まだ冒険中なんですよね」

ゴールがどこになるのか分からなくてもいい。

途中で転んでも、道を間違えても、それで物語が終わるわけではない。

冒険をやめなければ、いつかどこかにたどり着く。

そこにはもう一つ、大切な存在がある。

奥様だ。

どれだけ失敗しても、一人は自分の味方でいてくれる。

その安心感があったから冒険を続けられたと尾﨑さんは話す。

そして今、自分も誰かにとってそういう存在になりたいと思うようになっている。

「僕は冒険する人を増やしたいんだと思います」

自分が進んできた道なら伝えられる。

ただし、その人が自分と同じ道を歩く必要はない。

その人には、その人の行き先がある。

尾﨑さんが渡したいのは、正解ではない。

「冒険って楽しいよ」という実感なのだと思う。

IKIGAI JAPANにも、その考え方が重なる。

尾﨑さんは、日本に残る「人のために自分の技術を使う」「地域や周囲と一緒に豊かになる」「足るを知る」といった価値観を次の世代へつないでいきたいと考えている。

思いや理念だけでは、事業は続かない。

経済的に続けられる形も必要になる。

だから今、「IKIGAIマーケティング」「IKIGAIブランディング」という形で、人の生き方や哲学が正しく伝わり、それが経済的な価値にもつながる仕組みを模索している。

まだ完成したわけではない。

本人も「正解かどうかは分からない」と話す。

IKIGAIついても、答えを出して終わったわけではない。

「ずっと問い続けています」

その言葉が、今回の取材で最も尾﨑さんらしく感じた。

かつて「あなたのIKIGAIは何ですか」と聞かれて答えられなかった尾﨑さんが、今は多くの人にIKIGAIを尋ねている。

そして誰かに問いながら、自分自身にも問い続けている。

幼いころ、何も知らず外を走り回っていた時間。

自分で選んだボクシング。

夢を失った挫折。

立ち止まったコロナ禍。

会社を辞める怖さ。

営業で結果を出しても埋まらなかった何か。

IKIGAIを聞く活動との出会い。

どの出来事も、起きた当時から「良い経験」だったわけではない。

それでも今、それぞれの点が少しずつ線になっている。

だからこそ尾﨑さんは、今日も冒険を続けている。

行き先を完全に知っているから進めるのではない。

分からないからこそ、その道中まで楽しんでみる。

その姿勢こそ、尾﨑弘師さんが今、大切にしている「冒険心」なのだと思う。

あとがき|「失敗しない道」ではなく、「自分が進みたい道」を考える

今回のインタビューで、僕の中で一番印象に残った言葉は「冒険」でした。

取材をする前の僕は、挑戦できる人というのは、もともと失敗をあまり怖がらない人なのではないかと思っていたところがあります。

尾﨑さんは元プロボクサーで、大手企業を辞め、営業でも結果を出し、自分で会社を経営しています。

経歴だけを見れば、僕とは違って、どんどん怖がらずに新しい世界へ進んできた人に見えます。

だから「挫折することへの恐怖はありますか」と聞いた時、「当時は恐怖心もあったし、あんなふうにはもうなりたくないと思っていた」と返ってきたことが意外でした。

失敗を怖がらないから挑戦できたわけではない。

挑戦して、失敗して、挫折した経験があって、その後少しずつ捉え方が変わっていった。

特に印象に残ったのが、

「挑戦の挫折は絶望だけど、冒険の挫折ならまだ冒険中」

という考え方です。

同じ出来事でも、自分がどう捉えるかで、その先の進み方は変わるのかもしれません。

もう一つ、今回の取材で自分の考えが大きく変わった場面があります。

僕は途中で、尾﨑さんについて「つらい出来事も全部プラスに考えられる人なんですね」というようなことを言いました。

すると尾﨑さんから、

「それは訂正したい」

と言われました。

当時はつらかった。

親のせいにしたこともあった。

戻りたいとは思わない。

ただ、後から人生をつなげることで、過去の意味を変えることができた。

僕はその話を聞いて、自分が少し簡単に「前向き」という言葉でまとめようとしていたことに気づきました。

苦しかった経験が、最初から良い経験だったことになるわけではない。

無理にプラスに考えなくてもいい。

時間が経って別の経験をした時に、「あの出来事も今につながっているのかもしれない」と思えることがある。

その考え方は、僕にとって新しかったです。

そして「他人と比べないこと」「最低限の幸せのラインを上げないこと」という話も印象に残りました。

僕自身、周りと比べることがあります。

以前入っていたインターンでは自分と同い年の子はたくさん結果を出しているのに自分はアポの一件すら取れない。

自分の知らないことも当然のように知っている。

自分より先に進んでいるように見える人がいれば、焦ることもあります。

今は就職先として銀行も一つの選択肢として考えています。

就職活動をしていると、どうしても会社名や待遇、周囲からどう見えるかといったものも気になります。

もちろん、それらも仕事を選ぶ上で大切な要素だと思います。

それでも今回、

「お金も時間も権威もすべてなくなった時に、何を続けたいか」

という尾﨑さんの話を聞いて、少し違う方向から自分のキャリアを考えるようになりました。

僕はこれまで、「どこに就職するか」を考えることが多かった気がします。

今は、それと同じくらい、

「そこで自分は何をしたいのか」

「自分にとって楽しい冒険とは何なのか」

を考えてみたいと思っています。

銀行へ行くことが冒険ではないとも思いません。

起業することだけが冒険でもないはずです。

銀行員になって、挑戦する経営者の話を聞き、その人の人生や思いまで理解した上で支えることも、一つの冒険なのかもしれません。

反対に、いろいろな経営者の人生を聞いていく中で、自分が今まで考えていなかった道に興味を持つ可能性もあります。

まだ分かりません。

今の段階で無理に決める必要もないと思っています。

今回、一つだけ新しく生まれた問いがあります。

「周りとの比較や、失敗への怖さを全部なくしたとしたら、僕はどんな冒険をしてみたいのだろう」

今はまだ、その答えを持っていません。

尾﨑さん自身も、IKIGAIについて「ずっと問い続けている」と話していました。

多くの経営者にIKIGAIを聞いてきた人でさえ、完成した答えを持っているわけではない。

「何か絶対に答えを見つけなければならない」今までそう考えていた自分にとってそのことを知れたのも、僕にとっては大きかったです。

僕も今すぐ自分のIKIGAIや仕事観を決めなくていいのかもしれません。

人に会って、その人の人生を聞いて、自分とは違う考え方に触れる。

そこで少し考える。

また次の人に会う。

その繰り返しの中で、自分なりの答えが少しずつ見えてくればいい。

今回、尾﨑さんへのインタビューを終えて、そう思うようになりました。

僕自身の冒険がどこへ向かうのかは、まだ分かりません。

だからこそ次は、また違う人生を歩んできた経営者の話を聞いて、考え方のツールを増やしていろいろなことを学んでいきたいです。

IKIGAIの芽
藤瀬亮介

IKIGAIの芽に戻る