今より楽しいほうへ——AIで、人が考える時間を取り戻す

今より楽しいほうへ——AIで、人が考える時間を取り戻す

金井成仁 合同会社NAVIGATE

AIで人が考える時間を取り戻す経営者

東京都港区

金井成仁 合同会社NAVIGATEさんのプロフィール

金井成仁 合同会社NAVIGATE
AIで人が考える時間を取り戻す経営者
東京都港区

今より楽しいほうへ——AIで、人が考える時間を取り戻す

あなたは、自分が本当にやりたいことに、どれくらいの時間を使えているだろうか。

毎日届くデータを確認する。決められた手順に沿って処理する。異常があれば報告する。社会人になったばかりの金井成仁さんは、そうした仕事を任されていた。ところが、同じ作業を繰り返すうちに確認が疎かになり、後になって問題が発覚した。会社にも、周囲の人にも、お客様にも迷惑をかけたという。

「僕がやらなくても、誰でもできることじゃん」

当時はそう考えていた。与えられた仕事をうまくこなせず、もっと別のことをしたいという気持ちもあった。自分は向いていないと思った。

しかし、仕事を重ねるうちに世の中にも似た困りごとがあると気づいていった。

合同会社NAVIGATE代表・金井成仁さん。データ分析、スポーツメディア、ITコンサルティングの現場を経験し、現在はAIやデータを使った企業支援、サービス開発に取り組んでいる。その目線の先にあるのは、人が作業に追われる時間を減らし、考えたいことや挑戦したいことへ向かえる未来だ。

その未来へたどり着くまでに、自分で選べるものは少ないと思っていた少年時代があった。スポーツの面白さに惹かれ、知られていない競技を広めたいと思った学生時代があった。自分から入社を願い出た会社で、何を調べればよいかさえ分からず苦しんだ二年間もある。

一方で、選択の話になると、金井さんの言葉は驚くほど軽やかだった。

「今より楽しいほうに行きたいのが、基本ですね」

誰と働くか。どんな仕事をするか。自分の手で何を形にできるか。その都度、目の前の経験から次の行き先を選んできた。今も事業を育てている途中であり、これから実現したい未来がある。だからこそ、つくれるものを楽しみにしている。

これは、楽しさを手がかりに自分の人生を選び、
その先で、人が考える時間を取り戻そうとする一人の歩みである。

第1章|自分で選んだほうが、楽しかった——グローブからバレーボールへ

子どもの頃の記憶は、あまり残っていないという。一人っ子で、両親はともに働いていた。家にいるより、外へ出て遊ぶことが多かった。

父は会社員、母はパートで働いていた。
現在の自分と両親の考え方は、かなり違うと感じている。父とは関係がよいとは言えず、母についても、今振り返ると性格が合わないところがあるという。

家庭で聞く言葉は、幼い自分の考え方や話し方に影響していた。小学校の途中から、そのことを意識するようになった。家で聞いていた考えをもとに友達と話すと、かみ合わないことがある。そのたびに、自分が変だと思った。

少しずつ明るさが薄れ、中学校では話が合う友達がほとんどいなかった。
私はその時代について、辛さを感じていたかと尋ねた。

「そんなに辛かった記憶はないんです。今考えると、そう思ったかもしれないですけど、ちょっと他とは違うなという感じでした」

仕事についても、学校の先生など、身近に知っている職業くらいしか思い浮かばなかった。特になりたいわけでもないのに、他の選択肢を知らなかった。

小学生で始めた野球は、中学二年の秋頃まで続けていた。

「本当に、親からグローブを渡されたから野球をやっていたという感じです。小学校からの友達もいたので、中学でもそのまま入ったんですよね」

野球を見るのは好きだった。ただ、自分でプレーすることには、楽しさを感じられなかったという。

「スポーツは大好きなんです。野球も、見るのはめっちゃ好き。やるのが嫌いだったんです。暇だし」

そんな時、テレビでバレーボールを見た。

「めちゃくちゃ面白いと思って。そこでバレーに変わって、高校三年まで続けました」

自分で決めた競技は、それまでより楽しかった。何が違ったのかを尋ねると、金井さんは少し考えながら話した。

「惰性でやっているのは楽しくないけど、自分で決めた道だったら、多少は『こっちのほうが楽しいな』って。自分で決めることの大事さは、あると思います」

一方、大学への進路を決める頃は、まだ自分で調べ、判断することに慣れていなかった。

「大学は全然どこも分からなくて、どこに入っても正直一緒じゃないかと思っていました。親からは『いいところへ行けよ』と言われるぐらいの感覚でした」

一年浪人したものの、目指していた大学には届かなかった。

「結局、一浪しても受からなかったので、最後の三月に、とにかく大学生にはなろうと思って。出願したところに入った感じですね」

進んだのは、経営情報学部だった。そこで、会社をつくることや、さまざまな働き方について知るようになる。

「小中学校の頃は、視野がめちゃくちゃ狭かったんです。学校の先生とか、別になりたくもないのに、それぐらいしか選択肢がなかった。大学に入ったら、会社をつくるという話も出てきて、『こうやって生きていくこともあるんだ』と思いました」

大学に入ってからは親と話す機会も減り、自分の考えで生きるようになったという。調べることへの向き合い方も変わっていった。

「それまでは、調べ方すら分からなかったんです。みんながいいと言うからいい、みたいな感じでした。大学に入って、自分で考えるようになって、調査することもやっぱり大事だなと思うようになりました」

今、当時の自分へ声をかけられるなら、何を伝えるだろうか。金井さんは、穏やかに答えた。

「どこかで、ちゃんとうまく変わるよ。それぐらいじゃないですか。その時は、別にそれでいいんじゃないですか」

金井さんは、こう続けた。

「人って、いいタイミングがどこかにあるんじゃないのかな、ぐらいの感覚ですね」

第2章|好きなスポーツを、広げる側へ——四千社を調べて見つけた入口

高校を卒業する頃には怪我もあり、大学では競技を続けなかった。その一方で、スポーツを見る楽しさは残っていた。野球も、バレーボールも、オリンピックも好きだった。競技が違っても、選手たちが見せる動きに感動する気持ちは変わらなかった。

大学でマーケティングを学ぶ中で、金井さんはスポーツビジネスという世界を知った。それまで観客として楽しんでいた試合の、その向こう側にいる人たちが見えるようになった。

「今、自分が好きなスポーツって、こうやってビジネスになっているんだ。こういう人たちがいたから、楽しんでこられたんだと考える中で、そこに楽しみを見出したんです」

金井さんがスポーツを見る時、心を動かされるのは、選手たちの身体の動きだった。自分も球技は得意なほうだった。それでも、目の前の選手たちは、自分にはできない動きをする。

「どのスポーツを見ても、自分ができない動きをする人たちってすごいなという感動と、リスペクトを持ちながら見ていました」

大学で知ったのは、その感動が自分へ届くまでにも、多くの人が関わっているということだった。試合を動かす人がいる。競技の魅力を伝える人がいる。好きだったスポーツに、自分も仕事を通して関われる。その面白さを、もっと知りたくなった。

日本オリンピックアカデミーの会員になり、各国の若者が集まり、発表を通じて知見を深める企画にも応募した。選考には通らなかったが、サッカー日本代表の監督を務めたトルシエ氏のイベントの運営にも志願した。興味を持った世界へ、自分から出かけていった。

そこで育っていったのが、まだ知られていない競技を、もっと多くの人へ届けたいという思いだった。

「例えば、アイスホッケーは、日本ではあまり知られていない。そういうものを、もっとみんなに届けていきたいという思いが生まれました」

自分が見て、面白いと感じた競技がある。選手の動きに驚き、尊敬した時間がある。その魅力を、まだ知らない人にも届けたい。

スポーツを楽しんできた金井さんは、今度は、その楽しさを広げる側へ関心を向け始めていた。

お金を使うことで競技を広げ、その活動を仕事として続けられる。金井さんにとって、スポーツとビジネスがつながることには、その楽しさがあった。

「お金があれば、うまく使えば広がっていくので。それをちゃんと仕事にできるんだったら、自分としても面白いだろうなと思っていました」

そんな金井さんに、大学の教師が助言した。スポーツビジネスをやりたいなら、まずITを学んでおいたほうがよい。スポーツの世界ではITの活用が遅れており、これから取り入れていく必要がある。多くの人へ伝えるにも、インターネットやテレビなどの手段が関わってくるという話だった。

最初からスポーツの会社へ行く方法もある。金井さんは、先にITを学び、その後で好きな領域へ生かす進路を考えた。当時、バレーボールではデータの活用にも注目が集まっていた。大学で学んだマーケティングや統計を、実務で使えるようになりたいと考えた。

就職活動では、採用サイトに登録されていた約四千社全てを調べた。自分が働きたい会社はどこなのか。求人情報を見ながら、考え続けた。

「自分が働きたい会社って何なんだろうと、めっちゃ考えました。でも、表に出ている中には、行きたいと思う会社が一つもなかったんです」

調べる中で見つけたのが、データ分析を専門とする会社だった。当時は従業員が十人ほどで、新卒採用はしていなかった。それでも、金井さんは自分からメールを送った。

「こういう思いがあるので、新卒として入りたい。採用してもらえないかと伝えたんです」

会社は面接の機会を設けてくれた。そこで提案されたのは、まずアルバイトとして働くことだった。

「『じゃあ、まずはアルバイトからどう?』と言われて。大学四年生の時に入って、その後に採用するかどうかを決める形でした。結果、そのまま新卒一期生として入ったんです」

その会社を選んだ理由には、大学で学んだことを、実際の仕事で使えるようになりたいという考えがあった。

「大学で学んでいたマーケティングや統計は、スポーツにも生かせると思っていました。でも、大学で学ぶのと仕事は全然違うと思っていたので。分析の業務を経験しておけば、将来に生きるんじゃないかなと思って、その会社を選びました」

スポーツを広めたい。そのために、まず何を学び、何ができるようになればよいか。金井さんは、好きなものへ近づくための入口を、自分で探した。

その入口の先に待っていたのは、想像していた楽しさとは大きく違う二年間だった。

第3章|調べる言葉さえ、分からなかった——苦手な二年間と、話す仕事への転機

エンジニアとして働き始めた金井さんの周囲には、専門性の高い人たちがいた。会話に出てくる言葉が分からない。何をすればよいかも分からない。手順を渡され、上から順番に進めても、思うように動かなかった。

分からないなら調べるように言われる。ところが、調べるための言葉が分からない。ようやく言葉を見つけて調べても、その説明にまた知らない言葉が出てくる。一つを知ろうとするたび、次の分からないことに出会った。

「エンジニアの二年間は、本当に最悪の人生でした。何も楽しくない」

自分で選び、入りたいと伝えた会社だった。その場所で、金井さんは仕事の難しさと、自分の苦手なことに向き合った。マニュアルを順番にこなすこと、定常業務を続けることが、とても苦手だったという。

入社して間もない頃には、毎日届くものを確認し、おかしな点があれば知らせる仕事もあった。最初は確認していたものの、一週間、二週間と異常がない日が続くと、次第に見流すようになった。数か月後には、それが問題になっていたという。

やるべきことを止めてしまった。そのために迷惑をかけた人たちがいる。金井さんは、当時の自分の考えと、仕事で起きた失敗の両方を話した。もっと他のことをしたいと思っていても、任されていた作業への責任がなくなるわけではなかった。

自分はうまくできなかった。苦手なことへのストレスと、迷惑をかけてしまった記憶が、一緒に残っている。

仕事の向きが変わり始めたのは、営業担当から、話す力があると言われたことだった。エンジニアの立場で意見を伝えるため、営業に同行する機会が増えた。お客様との会話の中で、技術に関する説明をしたり、質問に答えたりするようになった。

ある時、社長と飲みに行く機会があり、金井さんは自分の希望を伝えた。営業へ移りたい。社長は、次の期から移ることを認めてくれたという。その時の気持ちを、金井さんは「助かったなと思って」と話す。

移った先の役割は、プリセールスだった。商談を決める営業担当者とともに、技術的な観点から提案を支える。お客様の質問へ答え、どんな進め方なら案件を実現できるかを考える仕事だ。

話すことと、技術を理解していること。その両方を使う役割だった。

「あの辛い時期がないと、できなかったんですよね。プリセールスなんて」

分からなかったものを調べ、実際の業務で触れてきた経験を、お客様との会話で使えるようになった。営業側の上司とも相性がよく、働く感覚が変わったという。

同じ会社にいても、役割や一緒に働く人が変わると、仕事の楽しさも変わる。その経験をした後、金井さんは次の進路を考えた。会社の先行きに不透明さを感じる出来事もあり、もともとやりたかったスポーツの領域へ移ることにした。

進んだ先は、スポーツマーケティングの会社。大学時代から関わりたいと思っていた世界だった。ITを学んでからスポーツへ。そのために入った最初の会社で、技術にも、技術を伝える仕事にも触れた。そして今度は、その経験を持って、好きなスポーツの仕事へ向かった。

「最初は、めちゃくちゃ楽しかったですね」

できないことに苦しみ、役割を変える希望を伝え、少しずつ使える力を知った。
その経験を持ったまま、新しい場所で働き始めた。

第4章|好きな仕事にも、次の選択があった——スポーツメディアから、自分でつくる事業へ

新しい職場では、上司との相性がとてもよかったという。金井さんは契約社員として入り、半年で正社員になった。社長賞を受けたこともある。それを聞いて私が実績を褒めると、金井さんは繰り返し上司の話をした。

「上司が全部やってくれて。上司が持っていた案件をやっていただけなので」

その仕事の中には、野球メディアの立ち上げがあった。広告を扱う会社が、自分たちでもメディアを持つ。ドラフト会議や若い世代の試合、世界大会などのコンテンツを届けた。一年で月間一千万PVを達成した。

現場では、初めてのことも多かった。入社二か月ほどの頃、上司がメキシコへ行き、日本に残った金井さんへ映像を送るからライブ配信をするよう伝えた。金井さんは、やり方が分からない状態から、その場で対応することになった。

メキシコで行われる試合は、日本では深夜になる。金井さんは、その映像を日本でライブ配信していた。

「夜十一時ぐらいに放送局へ入って、朝まで試合を配信して、片付けをする。その日の朝九時ぐらいから、別の打ち合わせがあったりするんです」

東京ドームへ行き、日本で行われる試合の配信やイベントの仕事を終えると、再び放送局へ向かう。

「夜九時、十時ぐらいに終わって、そこからまた放送局へ戻って、夜中のライブ配信をする。その繰り返しでしたね」

その頃の一か月は、残業が二百時間に達した。当時は楽しかったのかと尋ねると、金井さんは答えた。

「最初はそうですね。ただ、二百時間だったのはその一か月だけで。あとは上司との相性もよかったので、残業もほとんどせずに働いていました」

好きなスポーツを扱い、メディアも育っていく。その中で、入社する時に話していた自分の希望を、改めて思い出すようになった。

「もともと、ニッチなスポーツでも、ウェブを通じて広がっていくという思いがあったんです。競技やチームにファンをつくっていくことを、やりたいと思っていました」

以前の会社で触れていたデータや、お客様との関係を育てる仕組みを、スポーツにも生かしたい。まだ広く知られていない競技にも、ファンとの接点を増やしていきたかった。

上司とも、やりたいことについて話していた。仕事を楽しめていても、その場所で実現できることと、自分がつくりたいものとの間には、違いがあった。

同僚や先輩と、こんなことをしたいと話す機会もあった。そこへ、友人を通じてITコンサルティング会社の社長と会う話が生まれる。会って話すと、入ってほしいと言われた。金井さんは転職を決めた。

「今より楽しいほうに行きたいのが、基本ですね」

この選択の軸には、取り組む仕事の内容と、一緒に働く人の両方がある。

その後、別のITコンサルティング会社へ移り、自分の考えを形にする機会が生まれた。社内のビジネスコンテストで提案し、認められれば予算を付けてもらえる。金井さんは、自分が感じていた課題や、つくりたいものをプレゼンし、二、三の企画が採用された。

開発を外部に依頼すると、予算を使い切ってしまい、広告やマーケティングに回すお金が残らない。
そこで、金井さんは自分でつくることにした。

実際に手を動かすと、形にできた。考えていたものを、自分で世の中へ出せるという経験になった。さらに、AIで開発する方法が広がってきた頃、自分がつくったものをAIに作らせたらどうなるかと試した。

自分でつくった時よりも速く、改善が進んだ。品質も上がったという。構想を持ち、実際に形へ変える。その過程に使える新しい手段が加わった。

「自分で物をつくれるようになって、これを売っていきたいという思いからです」

事業化へ向かう理由を尋ねた時、金井さんはそう答えた。以前から感じていた課題へ、自分で解決策をつくれるようになった。それを必要とする人へ届けたい。「これが売れたら、社会がよくなる」
そう思えるものを、自分の事業として育てていく段階へ進もうとしていた。

第5章|良い未来を思い描くと、動きたくなる——AIの先に残したい、人間の時間

最初の会社でデータを扱っていた頃から、金井さんには気になっていたことがある。

「データって、結局、大企業しか使えない。中小企業の人も、もっとデータを見たら、よい判断ができるようになるのになと思っていました」

今は、その考えをサービスとして形にしている。売上データ、ウェブサイトへの訪問状況、広告のデータをつなぎ、事業の判断に使えるようにする。広告は本当に効いているのか。サイトを通じて、どんな動きが生まれているのか。それらを確かめる仕組みだ。

仕事を重ねるうちに、目を向ける課題も変わってきた。かつて自分が苦手だった定常業務や、やりたいことに時間を使えないもどかしさも、他の人が抱えている問題かもしれないと思うようになった。

「仕事をしていく中で、見える世界が変わっていったというか。見える問題が変わっていって、今まで極めてきた能力を何に使おうか、という考え方に変わっていった感じですね」

その力を、今はAIの活用やサービス開発に向けている。ただ、AIを使えば自動的に仕事が楽になるとも考えていない。

「うまく使えない人もいるし、使ったとしても、業務負荷が全然減っていないこともある。使い方もあるので、もっとちゃんと使って、人間が本来やらなければいけないことに注力できる世の中にしたいです」

では、人が担うべきこととは何か。金井さんは自分の考えを話した。

「まだまだ『考えること』だと思っていて。仮説をちゃんと立てることですね」

何が問題なのかを見つける。複数の問題を組み合わせ、どうすればよくなるかを考え、動く。ところが、日々の作業に追われると、そのための時間がなくなっていく。

「他の作業があると、そこに時間を使えない。そういう考え方をしなければいけないことすら、もう忘れているんです」

金井さん自身、調査には多くの時間を使ってきた。今はAIによって、その負担が減っているという。取材の場でも、私が相手を調べ、気になったところから質問を考える過程を例に挙げてくれた。

情報を集めた後、どこに引っかかるか。何を聞けば、その人の話が深まるか。調べる作業が楽になれば、その先の判断へ、時間を使えるようになる。

AIが進むことで、人は幸せになると思うか。そう尋ねると、金井さんは「幸せになると思います」と答えた。

「自分がそうなんですけど、やりたくないことを、だいぶやってくれるようになった。その先に進めるんです。さらに楽しい未来が待っている先に」

苦手な作業を任せ、考えたいことへ進む。思いついたものをつくり、試してみる。金井さんは、自分が経験している変化を、他の人にも広げようとしている。

最後に、IKIGAIは何かと尋ねた。金井さんは少し考えた。

「未来を創造することかもしれないですね」

思い描くのは、良い未来だという。

「良い未来を想像したら、勝手に進んじゃうじゃないですか。今までの人生でいうと」

その想像には、行動までが含まれているのかと聞いた。

「そうですね。動くところまで、セットですね」

考えたものを、自分の手で形にする。それが誰かの仕事を進め、次の挑戦に使える時間を増やしていく。

金井さんは、その未来を楽しみにしながら、今日もつくる側に立っている。

あとがき

金井さんとの対話を終えて、私の中には「楽しいほうへ進む」という選び方が残った。その言葉を聞くと、私は、楽しさの中に何が入っているのかを考えたくなった。

金井さんにとっては、取り組む内容と、一緒に働く人の両方があった。そして、まだ形になっていないものを、自分の手でつくれることがあった。

私は、「楽しい」という言葉が、どこか「苦労が少ないこと」と重なって受け取られることもあると感じている。けれど、金井さんの歩みには、分からないことに苦しんだ時間も、思うように実現できなかったこともある。その中で、自分の希望を伝え、働く場所や役割を選び直してきた。

話を聞きながら、私には、その選択を自分で引き受けていることが、金井さんの楽しさにつながっているように感じられた。やってみたいから調べる。会いたい人に連絡する。つくりたいものがあるから、手を動かす。自分の気持ちを、次の行動へつないでいく。

私は、その姿に、人間としての正直さを感じた。「今より楽しいほうへ行きたい」と、飾らずに言えること。その嘘のない気持ちが、魅力的だと思った。

自分の希望に正直でいることは、時に勇気がいる。今いる場所にも、積み重ねてきたものや、大切な人との関係がある。すぐに環境を変えることが難しい時もあるだろう。それでも、自分が何を嫌だと感じ、何をしてみたいのかを、自分だけは聞いてあげたい。

あなたは今、自分が進みたいと思う道を歩いているだろうか。

もし心の奥に、まだ言葉にしていない「やってみたい」があるなら、小さく試してみる。
その一歩から、自分にとっての楽しさが見えてくるかもしれない。

心が動くほうへ、一歩。
その先で、あなたのIKIGAIが、そっと顔を出す。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

合同会社NAVIGATE 公式サイト

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WRITER PROFILE

尾﨑弘師 (おざき ひろし)

IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役

これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。

掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。

さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。

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