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おふとんの中からでも冒険はできる——子どもの自分を裏切らず、世界を描き続ける人
道田真司 『roundaround』(ラウンドアラウンド)
おふとんの中からでも世界を冒険するイラストレーター
福岡県筑紫野市
おふとんの中からでも冒険はできる——子どもの自分を裏切らず、世界を描き続ける人
あなたは、子どもの頃の自分に、胸を張れる生き方ができているだろうか。何も持っていなくても、ただそこにある石や木で世界をつくり、誰に見せるわけでもなく、夢中で遊んでいたあの頃。あの感覚を、いまもどこかに残しているだろうか。
歳を重ねるほどに、人は現実を知る。できること、できないこと。お金や時間、立場や責任。そして気づけば、「仕方ない」という言葉で、自分を納得させる回数が増えていく。そのたびに、心の奥にいる“子どもの自分”は、少しずつ静かになっていく。
ラウンドアラウンド代表・道田真司。日本イラストレーター協会主催「イラストレーター・オブ・ザ・イヤー」で、最優秀広告イラスト賞、最優秀映像イラスト賞を受賞したクリエイターである。
その実績の奥には、自分に「これでいい」と言い聞かせ続け、心身の調子を崩した時期があった。評価されても、満たされない。正しい道を歩いているはずなのに、どこか違う。そして彼は気づく。人は、どれだけ周りを騙せても、自分だけは騙せないのだと。だからこそ彼は、もう一度問い直した。
「子どもの頃の自分を、喜ばせられているか?」
その問いこそが、道田真司というクリエイターの人生を、何度も原点へ連れ戻してきた。これは、子どもの頃の自分を裏切らず、自分なりの冒険を続けてきた道田真司の、生き方の記録である。そしてきっと、読み終えたとき、あなたの中で眠っていた子ども心が、もう一度わがままを言い出すかもしれない。

第1章|何もない場所が、すべてだった——荒地で育まれた原点の感性
道田さんの原風景は、広島の山奥にある。五歳の頃、広島の町中から、山間部の小さな住宅地へと引っ越した。住宅地と言っても周囲に家はまだまばらで、家々の裏手には山を切り崩して造成中のまま何年も放置された荒地があった。
「打ち捨てられた重機も、子供の頃の僕には、太古の巨大生物の化石とか、超古代文明の遺物みたいでカッコよかったんですよね」
土管は、ただの土管ではない。秘密基地にもなる。どこかへ続く入口にもなる。重機は、ただの機械ではない。眠っている巨大生物にもなる。人類が忘れてしまった文明の欠片にもなる。
目の前にあるものを、目に見えるまま受け取らない。そこに物語を見つける。気配を感じる。見えない世界を重ねる。その感性は、誰かに教えられたものではなかった。
ちょうどその頃、世の中にはファミコンが広がり始めていた。友だちの家にはゲームがあり、みんなが少しずつ室内へ吸い寄せられていく。道田さんもゲームは好きだった。ただ、自分の家にはファミコンがなく、友達の家までは数キロあった。だから、山に残った。
最初は友だちと遊んでいた場所も、次第に一人の時間が増えていった。家に帰るまで、暗くなるまで、木や石や土の中で遊んだ。楽しかった。好奇心の赴くままに遊んだ。その一人の時間が、彼にしか見えない世界を育てていった。
「田舎で過ごせたことは、すごく良かったと思っています。今にもめちゃくちゃ生きています」
道田さんはそう語る。今の自分のクリエイティブの感性は、子どもの頃の冒険心から来ている。世の中の不思議や素晴らしいものを、ちゃんと見つめ、感じ取り、発想する力。それは、あの荒地の中で育ったのだと。
お金もなかった。移動できる距離も、自転車で行ける数キロ程度だった。行ける世界は、今よりずっと狭かった。それなのに、あの頃の自分には、今よりもっと世界が広く見えていたのではないか。
「移動距離が短くても、ちゃんと立ち止まって掘り下げれば、全然ワクワクできると思うんです」
荒地の中で、誰に頼まれることもなく、誰に評価されることもなく、ただ夢中で世界をつくっていた少年。その少年が、いまも彼の中にいる。そしてその少年を喜ばせることが、道田さんの人生を何度も原点へ連れ戻していくことになる。
第2章|「このままじゃ終われない」——安定の中で、内側だけが燃えていた
道田さんは、幼い頃から絵を描いていた。ただ、好きだった。落書きをして、友だちに見せて、笑ってもらう。その反応が嬉しかった。
「人を喜ばせたり、笑ってもらったり、すごいと思われたりすることが好きだったんです」
絵は、道田さんにとって、人を喜ばせたり、相手の反応を引き出したりするための表現の一つだった。自分の描いたものを誰かに見せて、笑ってもらう。そのリアクションが嬉しかった。ただ、若い頃の道田さんに、最初から明確な将来像があったわけではなかった。
就職活動の中で出会ったのが、コピーライターという仕事だった。絵も好きだった。文章も好きだった。作家への憧れのようなものもあった。だから、コピーライターという職種を見たとき、直感的に「面白そうだ」と思った。
そして、広告の世界に入る。実際、コピーの仕事は面白かった。言葉を考え、広告をつくり、人に届ける。そこには、自分の読解力や発想力が活きる感覚があった。やがて、職場でイラストも任されるようになる。
「あれ、道田くん、ちょっと絵描けるんだろう。描いてみてよ」
そんな軽いきっかけだった。会社としては、社員が描けるなら外注費を抑えられる。だが道田さんにとっては、自分の描いた絵が仕事として世に出ることが、何より嬉しかった。
チラシになる。ポスターになる。印刷物になる。幼い頃、落書きを見せて笑ってもらった時の喜びが、仕事の現場で形を変えて戻ってきたようだった。
しかし、二十代半ばを過ぎる頃、道田さんの中にモヤモヤが膨らんでいく。仕事はしている。評価もされている。でも、この場所が自分のゴールだとは思えない。
「俺はこんなもんじゃない。ここで終わるわけがない」
当時の自分はもっと尖っていたと、道田さんは振り返る。牙をむき出しにしていた、とも言う。そして、ゲーム会社などに何社も応募した。イラストレーターやキャラクターデザインの仕事がしたいと思ったからだ。
だが、結果は全滅だった。今の目で当時の作品を見れば、「これは通らない」とわかるという。当時の自分ではいけると思っていたものが、まったく届かなかった。そこで、道田さんは初めて、自分の実力を突きつけられる。
それでも、諦めなかった。
会社には内緒で、デジタルハリウッドに通うことを決めた。半年間の短期コース。自分の描いたイラストやキャラクターを、CGで動かしたい。アニメーションをつくりたい。その思いで、週末に学びに行った。
平日は広告の仕事。徹夜や残業も珍しくない。週末は学校。そして課題。
寝る時間は削られていった。夜中から朝方まで課題に取り組み、そのまま会社へ行く。そんな日々が続いた。
「このままで絶対に終わりたくなかったんです」
その一言に、当時の道田さんの熱が詰まっている。そして卒業制作でつくったショートムービーが、賞を取る。それは、道田さんにとって大きな手応えだった。
まだ次が決まっていたわけではない。安定があったわけでもない。それでも、会社を辞めた。
「東京へ行こう」
クリエイターとして、もっと外へ出る。道田さんは、自分の内側で鳴っていた「このままじゃ終われない」という声に従った。

第3章|正しさの中で壊れていく——家族を守るはずの選択が、自分を壊した
東京へ出るという決断は、道田さんにとって大きな挑戦だった。しかも、一人ではなかった。
結婚していた。妻がいた。まだ子どもはいなかったが、家族としての生活があった。自分の選択は、自分だけのものではなくなっていた。それでも、道田さんは東京へ向かった。
クリエイターとして通用するのか。自分の力は、外の世界でどこまで届くのか。その答えを知りたかった。東京のデザインスタジオに入社した。目をバキバキにさせて東京へ出ていったと、道田さんは笑う。若さと焦りと期待が入り混じった時間だった。
だが、現実は少し違っていた。担当したのは2Dのイラストやデザインの部署だった。クオリティの精度は求められたが、ユーモアやエンタメの要素はほとんどなく、おカタい情報デザインが中心だった。それでも評価は高く、クライアントからも会社の上司からも認められた。
「東京でも通用する」
その実感は、確かにあった。自分の選択は間違っていなかった。東京に出てきた甲斐があった。そう思おうとした。だが、心の奥では、別の声が鳴っていた。
「ここじゃない」
道田さんは、その声を抑え込んだ。評価されている。仕事はできている。家族もいる。収入もある。
俯瞰して見れば、悪くない状況だと理解はしていた。だからこそ、不満を言ってはいけないと思った。
「全然楽しいと思えていなかったんです。でも、これでいいんだって自分に言い聞かせていました」
誰かに理不尽に壊されたわけではない。ものすごいパワハラを受けたわけでもない。仕事で通用しなかったわけでもない。むしろ逆だった。
評価されていた。認められていた。上のポジションの話も出ていた。
だから、逃げ場がなかった。不幸なはずがない。文句をいうなんて贅沢だ。自分の器に合わない夢を勝手に見ているだけではないか。そうやって、自分に蓋をした。
そんな中で、ある会社から声がかかる。道田さんが「こういう仕事がやりたかった」と感じるような、エンタメ系の仕事に近い会社だった。ヘッドハンティングに近い話だった。
これだ、と思った。このモヤモヤがなくなる。自分はやっと、本当に行きたい場所へ行ける。
だが、条件面を見たとき、現実が立ちはだかった。収入は大きく下がる。下がること自体は覚悟していた。けれど、家族がいる。生活がある。この先、元の水準に戻すまでに何年かかるのか。東京に出て既に一人目の子供も生まれ、守るべき存在を持つ身として、その不安は無視できず、その話は断ることになった。
でもこの時、蓋をしてきたものが開いてしまった。
「自分にバレたんです。自分は本当は、この場所に全く満足していないんだって。」
もう、元の会社に気持ちを戻せなかった。これまで「ここでいい」と言い聞かせていた言葉が、すべて嘘だったことを、自分自身が知ってしまった。
限界が来る。道田さんの場合、それは心と身体に現れた。
眠れない。思考が止まらない。自律神経が乱れる。仕事へ行けなくなる。適応障害、そしてうつ。
その頃、二人目の子どもが生まれる時期でもあった。妻は里帰り出産で福岡へ戻っていた。道田さんは東京に一人残り、休職しながら過ごした。家族を守るために選んできたはずの道。正しいと思おうとしてきた道。その道が、自分を壊していた。
「世の中の全員を騙せても、自分は分かっているんです」
道田さんは、そう語る。周りが「それは仕方ない」と言ってくれても、自分は知っている。「やるだけやった」と言われても、自分の中で本当にやり切ったかどうかはわかる。「これは正しい選択だ」と理屈を積み上げても、本当は気持ちが死んでいることを、自分だけは知っている。
「お天道様が見ていなくても、自分は見ているんです。神様がよそ見をしていたとしても、自分は自分を見ているんです」
心の奥にいた子どもの自分は、もうずっと閉じ込められていた。
「それ、本当に面白いの?」「それ、本当にやりたいの?」
その声を聞こえないふりをしてきた。けれど、子どもの自分は消えなかった。黙ったまま、ずっと見ていた。

第4章|家族がいてくれたから——もう一度、立ち上がるまでの日々
東京での生活は、終わりを迎えることになる。妻の里帰り出産を機に、道田さんも東京での生活を引き払い、福岡へ戻ることにした。広島出身の彼にとって、福岡は最初に仕事の基盤をつくった場所だった。知り合いもいる。縁もある。もう一度生活を立て直すなら、福岡だった。
一度は福岡で転職先を決めて戻った。しかし、その環境は厳しかった。再び心身の調子を崩し、わずか一か月ほどで退職することになる。そこから、長い暗黒期が始まった。
完全に何もできなかった期間が、約一年。
その後もしばらくは、妻のパート、親からの援助、周囲の支え、道田さんは、自分一人の力では生活を立て直せない時間を過ごした。
子どもが二人いる。育ち盛りの子どもたちを守りたい。父親として、家族を支えたい気持ちはある。それなのに、自分は思うように働けない。生活を、自分以外の誰かに支えてもらっている。その頃の自分を、道田さんは「とにかく情けなかった」と振り返る。
子どもたちの存在が、道田さんをこの世界につなぎ止めてくれた。仕事ができない時期でも、父親であることまで失ったわけではなかった。育児に関わる。子どもたちのそばにいる。小さな日常の中で、自分にもまだ役割があるのだと感じる。
その時間が、道田さん自身の存在を保ってくれていた。何より、辛い時期に回復を辛抱強く待ってくれた妻の存在がありがたかったという。両親の援助、妻の支え、子どもたちの存在。そのすべてに支えられながら、道田さんは少しずつ生活を立て直していった。
少しずつ回復していく中で、道田さんはバイトをした。知り合いから小さな依頼を受け、似顔絵を描いたり、映像を作ったりした。完全に戻ったわけではない。けれど、少しずつ、自分の手で何かを作る感覚を取り戻していった。
やがて、選択の時が来る。会社に再就職するのか。フリーランスとして生きるのか。ものすごく悩んだという。
会社に入れば、安定があるかもしれない。良い環境に出会えるかもしれない。けれど、また調子を崩す可能性もある。嫌な仕事を我慢し続けることになるかもしれない。
フリーランスは自由がある。自分のスキルもある程度ある。誰かと知り合い、縁が生まれれば、やっていける可能性もある。だが、収入は不安定だ。
未来は、どちらを選んでも分からなかった。考え続けた末に、道田さんが見つけた違いは、たった一つだった。
「こっちは好きだと思えたんです」
どうせ分からない未来なら、心が素直にやりたいと想える方を選んでみよう。好きなことなら、頑張れる力もきっと違う。
それは、何も考えずに飛び込むということではない。考えた。悩んだ。現実も見た。その上で、それでも最後に残ったものが「好き」だった。
道田さんは、フリーランスを選んだ。あのときに戻っても、同じ選択をすると思うと語る。
それは、人生が楽になったという意味ではない。フリーランスとして長く続けることは簡単ではない。イラストレーターとして十年以上生き残ること自体、決して当たり前ではない。それでも、その選択は、自分を裏切らないための選択だった。
壊れた自分を見捨てずにいてくれた家族がいた。本来は慎重派なのに、いざという時には腹をくくってくれる妻がいた。子どもたちの存在があった。
だから、もう一度立てた。そして、フリーランスとして歩き出した道田さんは、少しずつ自分の強みを形にしていく。
ただ絵を描くのではない。依頼の文脈を読み取る。構造を理解する。相手が本当に伝えたいものを汲み取り、わかりやすく、面白く、届く形に変える。
コピーライターとしての経験。広告制作の経験。絵を描き続けてきた感性。それらが、ようやく一本につながっていく。
納期を守る。必要な説明を添える。相手が不安にならないように先回りする。やり取りのストレスを減らす。当たり前のことを、当たり前にやり切る。
「自分が大事にしてきた当たり前が、案外、人ができていない部分なんだと最近気づきました」
その言葉には、派手さはない。けれど、そこにプロの強さがある。
作品だけではない。そこに至るまでの過程まで含めて、仕事である。こうして、道田さんは少しずつ自分の働き方を取り戻していった。
第5章|おふとんの中からでも冒険はできる——子どもの自分と、これからの未来
道田さんは、長くクライアントワークを続けてきた。
誰かの想いを形にする。伝わりにくいものを、伝わる形に変える。難しいものをわかりやすく、おカタいものを柔らかくする。
その仕事に誇りを持ちながらも、ここ数年、もう一つの願いが強くなってきた。
「自分自身の世界観を、もっと出していきたいんです」
依頼されてつくるものだけではなく、自分から生まれた作品をつくっていく。
「一つ作ったものが、ずっと残ってほしい。誰かのお気に入りになってほしい」
何年経っても、誰かの手元に残るものをつくりたい。
そして何より、自分の中にいる子どもの自分が「これ、面白い」と言ってくれるものをつくりたい。
「子どもの頃の自分を喜ばせたい」
子どもの頃の自分は、忖度しない。世間体も、実績も、肩書きも関係ない。
面白いか。ワクワクするか。心が動くか。
その子に向かって、「どうだ、これすごいだろう」と見せたい。「これ欲しかったわ」と言わせたい。
その思いが、今の道田さんを動かしている。
道田さんには今、二人の子どもがいる。自閉症やADHDといった特性を持つ子どもたちは、それぞれに葛藤や困難と向き合っている。だからこそ、自分自身が面白いと思うものを追いかけ、自分の人生を生きる姿を見せたい。
これから様々な壁にぶつかるであろう子どもたちに、「自分の人生を愛していい」と思える背中を見せられたら。
そんな道田さんが、これからも大切にしていきたいのが「冒険」だ。
道田さんは、自分のことを「おふとん冒険家」と名乗っている。
その背景には、「移動距離とクリエイティビティは比例する」という言葉への反骨精神があった。
旅は好きだ。知らない土地や文化に触れることは面白い。けれど、家庭や身体、仕事の事情によって、誰もがいつでも遠くへ行けるわけではない。
そこで思い出したのが、広島の荒地で遊んでいた子どもの頃だった。行ける場所は限られていても、重機を巨大生物の化石に見立て、何もない荒地に古代文明を想像していた。
「おふとんの中からだって、冒険はできる」
その発想をさらに広げ、おふとんも、部屋も、デスクも、トイレも、こたつの中も、日常そのものを大きくは変えずとも、ほんの少しだけ「ズラす」ことで、
毎日を面白がれる冒険のフィールドにしてしまおうと産まれたのが、個人活動ブランド「おふとんダンジョン」だ。
タイパやコスパ、効率化が求められる世界から少しだけ外れ、何でもない日常を自分なりに面白がってみる。
例えば、腰が痛くて整骨院へ行った日は「腰をもいできた」。
お腹を壊してデスクとトイレを何度も往復した午後は、「おしり大瀑布」。
そんな何気ない一日の出来事に想像を重ね、一つの“冒険”としてイラストに描いていく。
普通ならそのまま過ぎてしまう日常を、少し違う世界に変える。それが、道田さんの「日常をちょっとバグらせる」表現だ。
現在は公式LINEで自身のコンテンツを発信しながら、「おふとんダンジョン前 どうぐや」というオリジナルアイテムショップの準備も進めている。

届けたいのは、いつもの景色を少し違って見せてくれるもの。
子どもの頃のように、目の前の世界をもう一度面白がるためのきっかけだ。
思えば、その原点はずっと変わっていない。
広島の荒地で、誰も気に留めない重機や土管を見ながら、自分だけの世界をつくっていた少年。
あの頃は、自分一人の中で広がっていた世界だった。
今は、それを作品や「おふとんダンジョン」という形にして、誰かにも手渡そうとしている。
その人が、いつもの帰り道で少し足を止める。
何でもなかったものを見て、「これ、なんか面白いな」と思う。
昨日と同じように見えた日常の中に、小さな冒険を見つける。
そんな瞬間をつくることも、道田さんがこれから届けていきたいものの一つなのだ。
昨日と同じように見える一日にも、見方を変えれば、まだ知らない面白さが隠れている。自分が面白がって描いたものによって、誰かの日常にもほんの少し彩りが生まれるかもしれない。
どんな状況でも、冒険はできる。どんな年齢でも、世界は描ける。どんなに世界を知っても、子どもの自分を裏切らずに生きることはできる。
荒地で遊んでいた少年は、今もまだ、世界の続きを描く。
そして、あなたの中にもきっといる。
「本当は、こっちの方が面白い」と知っている、子どもの頃の自分が。
その声を、あなた自身だけは知っている。
そこにIKIGAIがあるかもしれない。

あとがき
今回、道田さんの記事は、IKIGAI JAPANにとって100人目の物語となった。その節目に、道田さんの物語を書けたことには、私にとって特別な意味がある。道田さんは、IKIGAI JAPANを、一緒に創ってきてくれた人でもある。
まだ何者でもなかった私を信じ、形になりきっていなかった頃から関わってくれた。何度も一緒に考え、 クリエイティブの力で、このメディアの世界観を支えてくれた。
道田さんから、クリエイティブとは相手の想いを汲み取り、まだ言葉になっていない価値を形にし、人の心に届くものへ変えていくことなのだと教えてもらった。AIで、誰もが簡単に画像や文章を作れる時代になった。
それでも、人が人にクリエイティブを任せる意味は、きっとなくならない。道田さんは、それを仕事で体現している人だ。自分の中の子ども心を裏切らず、目の前の人の想いにも誠実に向き合い、冒険をやめない人。
道田さんの話を聞き終えたあと、私の中に残った問いがある。
「自分は、子どもの頃の自分に嘘をついていないだろうか」
私は、今の自分が好きなことをやっている感覚はある。けれど、道田さんの言葉を聞きながら、ふと立ち止まった。子ども心を忘れずに生きているだろうか。自分の中の小さなワクワクを、どこかで置き去りにしていないだろうか。
大人になると、少しずつ賢くなる。それは、生きるために必要な知恵でもある。家族がいて、責任があって、守るものがある。でも、その賢さの中で、私はいつの間にか“バカになる力”を失っているのかもしれない。
ただ面白そうだからやってみる。うまくいくかわからないけれど飛び込んでみる。人に笑われても、自分の胸が高鳴る方へ進んでみる。
子どもの頃なら、もっと簡単にできていたことが、大人になるほど難しくなる。「お金になるのか」「誰にどう見られるのか」「失敗したらどうするのか」そんな言葉が、心の中の冒険を止めてしまう。
現実を捨てることはできない。責任も守りたい人も生活もある。それでもなお、自分の中の子どもを黙らせてまで進む道は、本当にIKIGAIと呼べるのだろうか。
道田さんの話を聞きながら、私は「冒険」という言葉を少し違って受け取るようになった。冒険とは、遠くへ行くことだけではない。自分に嘘をつかないこと。小さな違和感を無視しないこと。何もないと勘違いしている場所に、もう一度価値を見つけること。
そして、子どもの頃の自分を喜ばせるように生きること。
あなたはどうだろうか。
子どもの頃の自分が今の自分を見たとき、「面白そうだね」と笑ってくれるだろうか。
道田さんの物語は、私たちの胸の奥で眠っていた“小さな冒険者”の肩をそっと叩いてくれる。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









