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主語を変えると、出会う人が変わる——AI時代に、人を信じ、次の世代へ学ぶ機会をつなぐ
泉陽一 株式会社Kai
妻を主語に、AIと学びの機会をつなぐ経営者
東京都港区
泉陽一さんのプロフィール
株式会社Kaiを率いる経営者。企業の人事・管理部門での経験を生かし、経営コンサルティングやAIを活用した業務効率化に取り組む。人を支えることと、次の世代へ学ぶ機会をつなぐことを大切にしている。
主語を変えると、出会う人が変わる——AI時代に、人を信じ、次の世代へ学ぶ機会をつなぐ
あなたの人生の「主語」は、どこに向いているだろうか。
「私の行動のすべての主語は、妻なんです」
経営コンサルティング会社を率いる泉陽一さんは、そう言った。経営コンサルティングやAIを活用した業務効率化に取り組みながら、複数の事業を育てる泉さん。会社員時代には大手企業をはじめ複数の企業で働き、人事や管理部門、経営者の右腕として経験を積んできた。
泉さん自身が振り返る人生には、最初から明確な目的や理念があったわけではなかった。
「本当に何も考えてなかったんですよ」
勉強よりも遊ぶことが好きだった少年時代。大学では、目先の誘いに乗って渡されたお金の大半を失ってしまい、アルバイトで取り戻そうとした。縁もゆかりもない体育会に、先輩の美人女性に誘われて入ったら辞められなくなり、やがて優秀な成績を残した。就職活動でも、当初決まっていた道が消え、慌てて高層ビルを回りながら履歴書を配った。
大手企業では結果を追い、部下にも結果を求めた。「自分が出世するために」と走った先で、気づけば周囲との関係が薄くなっていたという。
その後、40代で大企業の看板を外し、ベンチャーの世界へ入った。成果を出しても思うように評価されず、「自分には何が足りないのか」と考える時間が増えた。起業後には、人を信じたことで苦い経験も重なった。そうした経験を経て、泉さんは「自分を主語にする」という考え方を見直していった。
妻を大切にすること。目の前の人に、損得抜きで先に与えること。AIを使って効率化しながらも、最後は人間にしかできない部分を磨くこと。そして、自分の会社で得た利益を、次の世代が学ぶための機会へ変えていくこと。
「映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で見たような未来が、本当に現実になるのか。死ぬまでに見てみたいんですよね。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』に登場する空飛ぶタイムマシン『デロリアン』は、バナナの皮などのゴミをエネルギー源にする『ミスター・フュージョン』という装置を搭載。これはフュージョンエネルギー(核融合エネルギー)ですね」
人を支えたいという価値観と、まだ見たことのない世界への好奇心。
これは、何も考えずに走ってきたと話す、一人の経営者が、自分の人生の主語を見直しながら、誰と生き、何を残し、どんな未来を見たいのかを考えるようになった記録である。
第1章|「本当に何も考えてなかった」——恵まれた少年と、偶然つかんだ好成績
泉さんの父は、大手航空会社に勤務しており、国家ライセンスを維持するため、日々勉強と訓練を重ねる生活だったという。
父の働きもあり、泉さんの幼少期は経済的には恵まれていた。習い事や家族での外出の機会にも恵まれ、金銭的な不自由を感じたことはほとんどなかったという。
一方で、勉強は苦手だった。成績を気にして、人に見られないよう工夫していた時期もあったという。
「テストの点数が悪いと、それを隠すのに必死でしたね」
それでも、結局は家族に知られてしまうことが多かった。中学校では試験順位が掲示され、成績上位者ではなかった。
それでも、当時の泉さんに「勉強して将来こうなりたい」という明確な目標が生まれたわけではなかった。高校受験も、「父の出身校だから」「受かった中から選んだ」という程度だったと話す。県立高校へ進んでも、将来像はない。卒業後は一浪し、予備校へ通った。
「何か先が見えないというか、何だかよく分からなかったですね。本当に何も考えてなかったです」
まだ、自分がどこへ向かうのかも分からない。ただ、目の前にある道を、その都度進んでいた。
一年後、私立大学へ進学する。父は、息子が大学に入ったことを喜んだ。そして父は、泉さんにひとつの課題を出した。
大学生活の四年間で、「世界一になれ」。
「浪人の予備校代と、これから4年間でかかる学費が合わせてかなりの額だったんです。父から『4年間で世界一になったら、それは返さなくていい。さらにお金をあげる。ただ、世界一になれなかったら卒業式の日に全部一括で返せ』って言われました」
息子に対して、父が出した少し変わった条件だった。泉さんは、そのお金を手に大学生活を始める。
ところが入学して間もなく、先輩からある投資話に誘われた。
「人生変えよう、みたいな話になったんですよ。それまでやったこともない話だったんですけど、渡されたお金の大半をそこに使っちゃって」
一瞬で、ほとんどなくなった。
「父にはバレちゃいけないと思って、そこから朝から晩までアルバイトしていました」
世界一を目指すために渡されたお金。大学生活のスタートで待っていたのは、華々しい挑戦ではなく、失ったお金を取り戻すために働き続ける日々だった。
そんな大学生活の序盤、今度は先輩の女性から部活動へ誘われた。食事もご馳走してもらえる。相手が魅力的だったこともあり、軽い気持ちで見学へ行った。そこは体育会系のクラブだった。
ところが、入ってみると想像以上に厳しかった。
「その日に『辞めます』って言ったんですけど、『そんなの連帯責任で辞められない』って言われて。結局、4年間やることになっちゃったんですよ」
合宿では、あまりの厳しさに逃げたくなることもあった。主将になれと言われても、断っていたという。
そして、この部活動との偶然の出会いが、父と交わした「世界一」という約束につながっていく。
その競技には大きな大会があった。父との約束を思い出した泉さんは、「この舞台なら結果を残せる可能性があるかもしれない」と考えた。優秀な成績を残した。父との約束を、本当に果たした。
泉さんは、その結果を「運が良かった」という調子で振り返る。
「良い結果にはなったけど、私にとっては何の価値もないんですよ。興味もなかったので」
ただ、その偶然が来たとき、なぜかその場には残っている。そして、残った場所で結果を出していく。

第2章|結果を出すためなら、空気は読まなかった——会社員時代に駆け上がった日々
大学4年生になる頃も、泉さんには明確な就職観がなかった。父親は泉さんに同じ大手航空会社に入り、世界に羽ばたいてもらいたいと思っていた。「三度の飯よりパイロットが好きか」と問われ、泉さんはすぐには答えられなかったという。自社養成の試験に臨んだが、あと一歩のところで自社養成の道は途絶えた。
「あの時は正直、悔しかったですね。でも、どこかでホッとしていた自分もいたんです」
「もしパイロット人生だったら、機長で定年が見えるタイミングですね」と、泉さんは笑いながら振り返る。
結局、泉さんはその道には進まなかった。
「周りはもう内定をもらっている時期だったので、『やばい』ってなりました。そこから急に就職活動を始めたんです」
今のようにオンラインで企業へ応募できる時代ではない。大量の履歴書を用意し、企業が多く入る高層ビルを上から下まで回った。
「ハガキを出していても間に合わないと思って。だったら直接行って、『面接させてもらえませんか』って頼んだ方が早いなと思ったんですよ」
いくつもの高層ビルを訪ねては、「面接させてもらえませんか」と履歴書を渡した。結果として複数の会社から内定を得た。その中に、大手企業があった。
選んだ理由も、社名の響きから外資系企業だと思った、といった程度の場当たり的なものだったという。
「希望して入ったとかじゃないんですよ。本当に場当たり的で」
入社後、最初の勤務地は北海道だった。大学を出たのだから、企画に関わる仕事をするのだろう。そんなイメージもあった。実際に待っていたのは、現場での接客や清掃といった、地道な業務だった。
周囲では、会社を離れていく同期が続いたという。一方で、泉さんはその地に残った。何か強い覚悟があったのかと思えば、本人が語る理由はもっと人間くさい。
「赴任先で、生活費を使いすぎちゃって、身動きが取れなくなったんですよ。みんな真面目だったから、嫌になったら東京に戻っていったんです。でも私はしょうがないから、そこに残るしかない、みたいな感じでした」
そんな偶然にも近い理由で、泉さんは会社に残った。すると、人が減っていく中で次々と役割が回ってきた。現場のリーダー、拠点の責任者、そして経営指導を担う立場へ。本人が「運が良かっただけ」と笑う、その会社員人生がここから動き始めていく。
もちろん、数字を見て、仮説を立て、実行し、結果を検証する。泉さんは現場で結果を出した。そして、上司にも遠慮しなかった。
「その戦略は違うと思います。僕だったらこうやって勝ちます」
当時は、上司へ異論を言うこと自体が今より難しい空気もあった。それでも泉さんは、結果を出すために必要だと思えば言った。空気を読むことより、結果を優先した。
その姿勢を評価する人もいた。反対に、生意気な部下だと感じる上司もいたという。管理職になると、その厳しさは部下へも向いた。成績が振るわない部下へ、今の基準では厳しすぎたと本人も振り返るような、強い言葉で結果を迫ったこともあったという。当時の自分が見ていたのは、結果だった。
「私が出世するためには、みたいなことしか考えてなかったんですよね」
数字をつくり、役職も上がった。管理職としての経験も積んだ。その先で、ふと気づいた。
「気がついたら、誰の仲間もいなかったみたいな感じです」
結果を出し、役職が上がった先で、泉さんは「自分が主語だと意外と幸せになれない」と感じるようになった。変化には、まだ時間がかかった。

第3章|看板が外れたとき、初めて自分が見えた——40代から始まった「足りなさ」と向き合う時間
泉さんは、最初の会社を離れた後も複数の企業で経験を重ねた。大企業にいた頃は、周囲から「すごい会社にいる」「優秀ですね」と言われることがあった。自分には力がある。そう感じていた部分もあった。
ところが40代になり、少人数のベンチャー企業へ移ると、その感覚が崩れた。
「看板が外れるじゃないですか。そうなったら、誰も評価してくれないんですよね。前の会社にいたからって、別に偉くもないし、何ともない」
人事、採用、管理部門。ベンチャー企業でもさまざまな仕事を任され、結果を出しているつもりだった。
「やったけど、褒められなくって。なんでかなって、ずっと悩んでたんですよね」
そこで初めて、自分に問い始めた。
「40過ぎて、こんなもんなのかなって。自分には専門的な力がないのかなと思って」
税務や労務・法務・IPO支援などを学び、知識を増やした。自分に足りないものを埋めようとした。しかし、この時期に変わっていったのは、仕事の能力だけではなかった。
泉さんが30代の頃に出会い、結婚した妻の存在も、少しずつ人生の中で大きくなっていった。二人は偶然、誕生日が同じだった。
「誕生日が一緒なんですよ。それで結婚しようと思ったくらいなので。365分の1じゃないですか。ある意味、運命みたいな人ですよね」
とはいえ、結婚した瞬間から人生の主語が妻へ変わったわけではない。「以前は自分でした。本当に変わり始めたのは、ベンチャーに入ってから。45、6歳くらいの時ですね」と泉さんは振り返る。
その変化をさらに強くしたのが、妻が手術を受けた出来事だった。「一回、妻が手術したんですよ。その時に、すごく大切なんだなって思って。『奥さんは絶対一番だ』っていうのは、そこから強くなりました」
かつては、結果を出すこと、出世することを考えていた。その人生の中心は、少しずつ変わっていった。「妻が幸せになるために、っていうのが最終的なゴールで。そこから全部、逆算しているかな」。泉さんは、それを「妻が主語」と表現する。
そして、過去の自分を振り返りながら、「自分が主語だと、意外と幸せになれないなと思ったんです。残り少ない人生を幸せに死ぬためには、もう逆張りするしかないなって」とも語った。
ちょうどその頃、経営者が集まる場で「ギバー」という言葉を何度か耳にした。「それで、『この精神が私には足りなかったんだな』って。だったら素直に取り入れてみようと思ったんです」
自分がどう評価されるか。自分がどう出世するか。自分が何を得るか。
「『自分が、自分が』って、ずっと主語が私だったんですよ。それを180度変えていこうかなって」
すると、人とのつながり方まで変わっていった。
「主語を変えるだけで、出会う人は変わりますよ。本当に」
これまで知り合うことのなかった経営者と出会い、相談を受け、人を紹介し、自分の経験を誰かのために使うようになった。
「今まで知り得なかった人と、芋づる式につながるようになったんです。管理職でサラリーマンをやっていても、そんなつながりってなかなかないじゃないですか」
そしてもう一つ、泉さん自身にも変化があった。自分では大したことがないと思っていた経験が、誰かにとっては価値になると知ったことだ。
「私が今まで培ってきたことなんて価値がないと思っていたけど、意外と人によっては価値があるんだなって」
少しずつ、持っているものを誰かのために使う生き方へ。泉さんの言う「ギバー」は、最初から持っていた美しい信念ではない。自分を主語にして走った時間があり、その先で「これでは幸せになれない」と気づいたからこそ、選び直した生き方だった。
ただ、考え方を変えたからといって、人との関係がすべてうまくいくようになったわけではなかった。その後、起業した泉さんは、あらためて「人」の難しさに向き合うことになる。
第4章|人を見る仕事をしてきたのに、人でつまずいた——起業後に変わった信じ方
人生の遅咲きで、泉さんは50代になって現在の経営コンサルティング会社を立ち上げた。若いWebデザイナーから声をかけられたことが、大きな後押しになった。
会社員として働きながら、「この先どうするのか」は考えていた。自分の世代が会社員人生の終盤へ向かう中で、定年後も含めてどう生きるのか。独立を勧められたことは何度もあったが、役職も収入もある中で、大きなリスクを取る必要性までは感じていなかった。
そこへ、若いWebデザイナーから「一緒に会社を立ち上げたい」と声をかけられた。それまで何度も独立を勧められながら、踏み出さなかった泉さん。そのときは、若い世代からの言葉に背中を押される形で起業を決めた。
最初は、そのWebデザイナーの強みを活かし、Web制作を中心に事業を始めた。しかし、会社を立ち上げて約半年後、共同経営者は会社を離れることになる。
さらに、採用や業務委託でも、思うようにいかないことが続いた。紹介だからと信頼して迎えた人が結果につながらなかった。複数のメンバーが一度に離れ、組織が揺れたこともあった。泉さんは長く人事に関わり、「人を見る」ことも仕事にしてきた。
だからこそ、自分でも不思議だったという。
「人事部長とかやってて、人を見る目は良かったはずなのに、なんでこんな風になるのかなって」
そこで泉さんは、原因を紹介者や相手だけに置かなかった。「この人が紹介してくれたから大丈夫」という性善説で見ていたこと。自分が受け入れすぎていたこと。そして、経営者として最後に判断したのは自分だったこと。
「これも自分の責任だしね」
人を信じることは、やめなかった。変わったのは、信じ方だった。
甘い話が来たときは、100回ぐらい高速で疑ってみる。自分の感情だけで決めず、違う角度から判断する。コンサルティングでAIが答えを出しても、「本当にこれが正しいのか」と考え直す。泉さんは、その感覚を独特の言葉で表現する。
「もう一人の泉を3人くらい置いて、自分をずっと見ているようにしています」
一つの判断を何度も頭の中で回す。自分は間違える。その前提に立ったからこそ、以前より俯瞰して見るようになった。組織のつくり方も変わった。
「社長の権限は与えていないのに、私と同じ能力を求めちゃいけない」
以前は、周囲にも自分と同じ基準やスピードを求めていたかもしれない。今は役割と権限が違えば、求めるものも変えなければならないと考えている。
人材面で苦しんだ時期には、Claude Code の技術が急速に広がってきた。これまでエンジニアがコードを書かなければ難しかったことが、短時間で形になる。
だったら、人を増やすことだけを前提にしなくてもいい。泉さんは少人数の体制へ切り替え、Claude Code を積極的に使うようになった。その延長に、現在のAI活用がある。
経営コンサルティング、業務の自動化、AIエージェント。技術を使って、人がやらなくていい作業を減らす。
そして、AIを使うほど、泉さんの関心は人間へ戻っていく。
「AIがこれだけ発達すると、人間は考えなくなっちゃう。成長しなきゃ退化だと思っているんです」
AIは答えを出す。その答えを本当に採用するのか。仮説を立て、試し、修正し、最後までやり切るのか。泉さんは、そこに人間の役割が残ると考えている。
「AIは答えを教えてくれる。でも、人を感動させて動かすところは、まだ人間の力だと思うんですよね」
人の難しさに向き合う一方で、泉さんは技術を使い、少人数でも回る体制をつくってきた。その先で、人間にしかできないことを考える。泉さんは今も、その答えを実験している途中にいる。
第5章|見たい未来がある——妻と生き、学ぶ機会を次の世代へ残す
「人生で一番大切にしている価値観は何ですか」
そう尋ねたとき、泉さんは少し考えてから答えた。
「こんな私と結婚してくれた奥さんを大事にすることじゃないですかね」
世界には多くの人がいる。その中で出会い、同じ誕生日だったことに驚き、夫婦になった。
「私の行動のすべての主語は妻であって」
言葉にすると大げさに聞こえるかもしれない、と泉さんは話す。普段から愛情を言葉にしているわけでもないという。それでも、人生を組み立てる最後の基準には妻がいる。目標を尋ねても、最初に返ってきたのは会社の売上ではなかった。
「奥さんと、死ぬまで元気に生きて、最後はコロッといければいいなと思っています」
限られた時間を、できるだけ濃く生きる。今は、残りの時間を意識する。
もう一つ、泉さんが形にしたいものがある。教育支援だ。今は孫もいる。家族の次の世代を見ながら、泉さんは自分自身の学生時代も思い返す。
自分は教育を受けられる環境に恵まれていた。それでも、当時は学ぶことに十分な価値を感じられず、勉強に力を入れなかった。一方で、今の若者の中には、能力や学ぶ意欲があっても、経済的な事情によって選択肢が狭くなる人がいる。
「そういう人は助けたいなと思っているんです」
自分の家族だけに限らない。将来、事業を育てて売却する「バイアウト」を重ね、その資金を原資に、奨学金のような仕組みをつくりたい。財団法人という形も選択肢として考えている。そのためには、理念だけでは足りない。
「理念だけと言っても、お金を稼がなかったら単なるボランティアになっちゃう。お金だけを求めても人はついてこない。だから私は、理念が先でいいと思っているんです」
理念を先に置く。その理念を続けるために、利益をつくる。
泉さんは、会社を自分で抱え続けることだけを成功とは考えていない。育てた事業を、より力のある人へ渡す。その対価を次の挑戦や教育支援へ回す。最終的に見ているのは、会社の規模そのものより、その先にある教育支援だ。
では、泉さん自身のIKIGAIは何なのか。
「世の中が急に発達してきているじゃないですか。映画の世界みたいになるのか、死ぬまでに見てみたいですね」
車が空を飛ぶ。月へもっと自由に行ける。かつて映画や漫画の中にしかなかった技術が、少しずつ現実になっていく。泉さんは、それを自分の目で見たいという。
泉さんがIKIGAIとして語ったのは、未来を見届けたいという好奇心だった。知らない人と仕事をするのも、新しいAIを触るのも、自分が理解できない若い世代とあえて関わるのも、その好奇心と重なる。
「答えのない課題を解決する日々を送るしかないと思っていて。私には理解できない人と仕事をすればいいかなって」
知らない世界へ入り、人と掛け合わせながら考える。「1×1はどうやったって1じゃないですか。でも、人と掛け合わせたら1.1×1.1になって、1より大きくなる」
人に苦しんだ経験があっても、人を切り離した未来は選ばない。AIを使っても、人間の役割をなくそうとはしない。妻と生きることを一番に置きながら、事業をつくり、その利益を次の世代へ回したい。そして自分自身は、まだ見たことのない未来をできるだけ長く見ていたい。
人生の主語を変えた先で、泉さんの世界の彩りは鮮やかに残り続けていくのだ。
あとがき
泉さんのお話を聞いて、自分の人生の主語は、今どこを向いているのだろうかと考えてみた。人生のどこかで、「自分が、自分が」と、自分を主語にして生きる時期がある。
人の役に立つためには、まず自分を磨かなければならない。自分の能力を高め、できることを増やすことで、生まれる価値もあるだろう。
能力が上がれば、助けられる人の幅も広がっていく。けれど、それよりもっと前に、人にはできることがあるのではないか。
社会的に評価される能力を身につける前に。
身近にいる人のために、自分はどうありたいのか。目の前にいる人を、どうすれば幸せにできるのか。
そこを考えることからでも、人生は変わり始める。社会を見る前に、まず目の前を見る。
自分のすぐそばにいる大切な人の幸せを考え、そのために一つ行動してみる。その積み重ねによって、人生の彩りは変わっていく。
あなたはどうだろうか。
大切な人の存在を、忘れてしまってはいないだろうか。いつも目の前にいるからこそ、その存在が当たり前になってはいないだろうか。
「自分には価値がない」
本当にそうなのだろうか。
もしかすると、目の前にいる誰かは、あなたの大きな成功を待っているわけではないのかもしれない。
あなたからの一言を。
一つの行動を。
ほんの少しの優しさを。
待っているのかもしれない。
その一つの行動によって、誰かの人生に新しい彩りが生まれることもある。富や名声を手にすることよりも先に、目の前にある大切なものに気づく。そして、それを大切にするために行動する。
そういう心でいられることが、私たちにとっての豊かさなのかもしれない。泉さんの物語は、私にそう教えてくれた。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









