自分の人生は、自分で決めていい——免疫学の研究者が辿り着いた真の健康と幸せへの処方箋

笠木ウェルネスクリニック 笠木 伸平

医師・免疫学者・幹細胞医療研究者

京都府京都市

自分の人生は、自分で決めていい——免疫学の研究者が辿り着いた真の健康と幸せへの処方箋

「自分の体のことなのに、いつの間にか誰かに委ねてしまってはいないだろうか」

病院で「薬を飲んでいれば大丈夫ですね」と言われて、心から安心できるだろうか。 血圧の数値は下がった。コレステロール値も基準値内に収まった。 でも、なんとなく体調がすっきりしない。以前のような元気が戻ってこない。
それでも「医師がそう言うのだから」と、自分を納得させようとする——。
この小さな違和感を探究の道へと変えた医師がいる。


笠木ウェルネスクリニック院長の笠木伸平。
神戸大学医学部卒業後、米国国立衛生研究所(NIH)で免疫学研究に従事。制御性T細胞(Treg)や免疫寛容の研究で、Science Translational Medicine、Nature Communicationsなど国際的な科学誌に論文を発表。
30代で大学教授選の話が出るほどの研究実績を持つ。


現在は京都・八瀬で「生きる力を取り戻す」「真の完治の追求」を掲げて臨床、研究に取り組んでいる。
世界レベルの免疫学研究者が、なぜ対症療法中心の現代医療に疑問を投げかけるのか。
彼が研究と臨床を通じて辿り着いた答えは、驚くほど明確だった。

「自分の人生を自分で決める。そこからずれたら病気になるんです」

人体のメカニズムを分子レベルで解明してきた科学者が、数え切れない患者と向き合った末に確信した一つの答えだった。
「症状を知って薬を出すだけなら、AIでもできますよ」

データや検査値から最適な薬を選ぶことは、すでにAIの方が優れているかもしれないし、今後更に進んでいくだろう。 それなら、人間の医師にしかできないことは何なのか。 そして、本当の意味で「治る」とは、どういうことなのか——。

この記事では、笠木さんのこれまでの歩みとインタビューでの言葉をもとに、現代を生きる私たちが見失いがちな「自分の人生を自分で決める」ことの本質的な意味を探っていく。

最後にもう一度、あなた自身に問いかけてほしい。
「自分の人生は、自分で決めていい」——この言葉を、どこまで本気で信じられているだろうか。

第1章|喋らない父の背中——本物を追求する研究者の原点

笠木さんの「自分の人生を自分で決める」という揺るぎない信念の原点には、幼い頃から見続けてきた一つの背中がある。
父親の背中だった。

笠木さんの父親は医師であり、研究者でもあった。「本物志向が強かった」と笠木さんは振り返る。その父親に、幼い笠木さんはよく研究室に連れて行かれていた。

白衣を着た研究者たちが行き交う廊下、実験器具の並んだ無機質な部屋。そんな研究室の片隅で、笠木少年は一人、ゲームをして遊んでいた。
「研究室に連れられて、1人でゲームして遊んでたんですね」

医学や研究について何かを教え込まれるわけではない。ただ、父親が仕事をしている空間で、時間を過ごす。それだけのことだった。

しかし、ゲームの手を止めてふと顔を上げると、そこには必ず、研究に没頭する父の姿があった。
言葉ではなく、背中で示された「本物」

父親は多くを語らない人だった。
「喋らないんですよね。背中で教えてくれた」

「こうしなさい」とも、「将来は医師になれ」とも言わない。ただ、目の前の研究に集中し、一つのことに深くのめり込み続ける姿だけが、いつもそこにあった。

「一つのことにのめり込む人だったんです。かっこいいなって思っていましたね」
その背中から、幼い笠木さんは「本物を追求する」ということの意味を、言葉ではなく感覚として学んでいった。妥協を許さず、真実を追い求め続ける研究者としての姿勢。それが、何よりも雄弁に「生き方」を物語っていた。
父親が取り組んでいたのは、まだ解明されていない病気の研究だった。その姿を見続けるうちに、笠木さんの中で一つの思いが自然に芽生えていく。

「病気の研究がしたい」

それは誰かに押し付けられた夢ではない。「医師になりなさい」と言われたからでもない。父の真摯な研究姿勢を見続けた少年が、自分の内側から湧き上がってきた純粋な興味として選んだ道だった。
喋らない父の背中が教えてくれたのは、「真実を追求し続ける」ことの大切さだった。それこそが、笠木さんの人生を貫く一本の軸となっている。

第2章|「それはAIでもできる」——医師1〜2年目の根源的疑問

父の背中を見て「本物を追求する」ことを学んだ笠木さんが、神戸市立医療センター中央市民病院の内科で医師としてのキャリアをスタートさせたとき、すぐに心の中で一つの違和感が芽生え始めていた。
「1年目、2年目くらいで、もう思ってましたね。全然違うことしてるんじゃないかって」

笠木さんは冷静に現場を観察していた。
そして、日常的に行われている診療に対して、研究者としての鋭い疑問を向けていた。
特に引っかかったのが、生活習慣病の治療だった。

外来には毎日、高血圧や糖尿病、高コレステロールの患者が訪れる。診察では血圧を測り、血液検査の結果を確認し、薬を処方する。
一見、何の問題もない日常の診療風景。しかし、幼い頃から「なぜ?」を突き詰める習慣を身につけた笠木さんには、この風景がどうしても腑に落ちなかった。

「確かに高血圧とかコレステロールは良くなるにしても、他の部分で老化が進んだり、筋肉が壊れていったり、神経の機能が落ちたりするんではないか?」
薬で血圧をコントロールしている間も、体の見えない部分では静かに変化が起きている。筋力の低下、神経伝達機能の衰え——それらは検査数値には現れないが、退化していくのではないか。
「結局、薬を飲んで治ったかと言われたら、治ってないわけですよね。症状を抑えるとは、治ると違うんです」

血圧という数値は確かに改善する。しかし、それは「症状をコントロールしている」だけで、「病気の根本原因が解決された」わけではない。
この疑問は、笠木さんが目指してきた「病気を治す研究」とは明らかに方向性が異なっていた。
さらに笠木さんが疑問に思っていたのが、診療プロセスの機械的な側面だった。
もともと人工知能に興味を持っていた笠木さんは、日々の診療を客観視しながら、ある思いを抱くようになる。
「症状を抑えるようなものだったら、めっちゃプログラム組めば、AIでもできるなと感じたんです」

病名、症状の程度、年齢、検査データを入力すれば、ガイドラインに沿って最適な薬を選ぶ——このプロセスは、システム化が十分可能ではないのか。
まだAIが一般的ではなかった時代に、笠木さんはすでにこの可能性を見抜いていた。そして同時に、こんな問いも浮かんでいた。

「じゃあ、医師の価値って何?」

もし医療の目的が「症状に対応する薬を処方すること」に終始するなら、人間の医師の存在意義はどこにあるのか。
人間である医師にしかできないことは何なのか——。
医師1〜2年目という、キャリアの初期の段階で抱いたこの疑問は、笠木さんの人生を大きく変えることになる。

「治るってどういうことってことを考えたんです」

血圧が下がることが「治る」なのか。 症状が消えることが「治る」なのか。 それとも、もっと別の何かが「治る」という状態なのか——。
表面的な改善に満足せず、真の治癒とは何かを突き詰めようとする研究者の魂が、若き医師を次のステージへと導いていく。

第3章|世界レベルの研究と「やりたくないこと」を手放す勇気

「治るってどういうことなのか」——この根源的な問いに本気で向き合うために、笠木さんが選んだのは世界最高峰の研究機関への挑戦だった。
向かった先は、米国国立衛生研究所(NIH)の粘膜免疫部門。世界中から優秀な研究者が集まる、医学研究の最前線だった。
「研究しかしてなかった」理想的な環境
NIHでの日々を、笠木さんはこう振り返る。

「海外の米国国立衛生研究所行った時は研究しかしてなかったんで」
一つのことに深くのめり込み、真実を追求し続ける研究者の世界。診療業務もなく、会議もなく、雑務もない。ただ、自分の疑問を解明するための実験と思考だけに集中できる日々だった。

粘膜免疫部門で取り組んだのは、制御性T細胞(Treg)や免疫寛容といった、人体の免疫システムの根幹に関わる研究だった。なぜ体が自分自身を攻撃してしまうのか。どうすれば免疫のバランスを回復できるのか——その答えを追求し続けた。
「自分で研究費取ってきて,研究費を取ってきたら、あとは研究だけしていればいい環境」

自分の実力で研究費を獲得し、純粋に研究だけに没頭する。それは笠木さんにとって、理想そのものだった。
その成果は、客観的な形でも現れていく。Science Translational Medicine、Nature Communicationsなど、世界トップクラスの科学誌に論文が掲載され、国際的な評価は着実に高まっていった。

そして帰国後、ある話が舞い込んでくる。
「30代ぐらいで教授選の話がでていました」

多くの研究者が目指す大学教授のポスト。それも通常なら成果を上げ続け50代、60代でようやく到達できるかもしれない地位に、30代で声がかかるというのは異例の評価だった。
しかし、笠木さんの答えは明確だった。

「やりたくないことに時間費やすのはなくない?」

教授職を断った理由を、笠木さんはこう説明する。
「大学は雑用が多いので、あまり研究に集中できんなっていうのはあったんですよね。やりたくないことに時間費やすのはなくないっていう」

大学教授という地位には、確かに研究環境や予算、社会的な評価がついてくる。しかし同時に、会議、事務作業、組織運営といった「研究以外の業務」も膨大に存在する現実があった。

NIHで味わった「研究だけに集中できる感覚」を知ってしまった笠木さんにとって、その道に戻ることはできなかった。
「自分が研究したいと思ったんで、研究を自由にできる環境をずっと置きたいと思って」
この決断は、単なるキャリア選択ではない。笠木さん自身が「自分の人生を自分で決める」という哲学を、自らの生き方で体現した瞬間でもあった。

社会の期待や常識よりも、自分が本当にやりたいことを優先する。周囲がどう評価しようと、自分の納得できる道を選ぶ——それは「本物を追求する」姿勢の延長線上にあった。

そして、この選択の背景にある哲学こそが、後に笠木さんが患者たちに繰り返し伝えることになる核心的なメッセージと完全に一致していた。
「やりたくないことを一生懸命やっていると、人は病気になりますから」

世界レベルの免疫学研究を通じて、笠木さんは人体のメカニズムを更に理解していった。そして同時に、もう一つの真実にも気づいていく。

第4章|患者が泣く瞬間——「どっちでもいい」から始まる変化

世界レベルの免疫学研究を経て臨床現場に戻った笠木さんが目にしたのは、同じ病気を抱えながらも、まったく異なる経過をたどる患者たちの姿だった。

治っていく人。治らない人。
そして治らない人の共通項も見つける。

「治らない人の多くは、だいたい自分を責めるか、人のせいにするかのどっちかに行き着くんですよね」

一つは「どうせ私はダメなやつだから」「私はこういう体質だから」と自分を責め続けるタイプ。もう一つは「あの人のせいで」「環境が悪いから」と他人や状況のせいにするタイプだった。

「『どうせやっても変わらない』とか『私はこういう体質だから』っていうところで、ぐるぐる回ってると、その先を考えなくていいんです」
一見正反対に見える自責と他責だが、構造は同じだった。どちらも「行動変容」——つまり、自分の生活や考え方を実際に変えることから逃げる理由にしてしまう。

「自分で考えない人から、病気って治らないんです」

では、そんな患者に対して笠木さんはどう向き合うのか。
多くの医師なら「生活習慣を改めなさい」「考え方を変えなさい」と指導するところだろう。しかし笠木さんのアプローチは、まったく違っていた。

「無理に改めなさいとかするんじゃなくて、別に僕は、まあどっちでもいいんやけどって内心思ってることもあるんですよ」
一見、患者を突き放しているように聞こえるかもしれない。しかし、これこそが笠木さんの医療哲学の核心だった。
「変わってほしいなって思いはあるけど、最終的に決めるのはあなただし。そこはどちらでもいいなと思うから、それが自然ですし自分で決めないと完治に近づかないと考えています」
医師が「こうすべきだ」と答えを押し付けた瞬間、患者は「言われた通りにする人」になってしまう。

「どっちでもいい」という姿勢は、無関心ではない。患者の「自分で決める力」を最大限に尊重する表れだった。

笠木さんと患者との対話で、
「大体、全員起きるのは、泣くんです」
診察室で、患者が涙を流す。

「今までの人生を悔やんで泣いてる人もいたら、自分いじめしてて申し訳なかったなと思って悲しんで泣く人もいるし」
それは、自分がこれまでどう生きてきたのか——何を我慢し、何を諦め、誰のせいにしてきたのかと、ようやく真正面から向き合う瞬間の涙だった。

「あなたの人生は、あなたが決めていい」と完全に委ねられることで、患者は初めて「自分が自分の人生の主人公であること」を思い出すのだ。
笠木さんは何も指示しない。ただ、患者が自分自身と対話する時間を、静かに見守る。
そして、次の診察で驚くべき変化が起きる。

「何も言わなくても、次会った時めっちゃ変わってるっていうか。『え、何したの?』って」
食事を変えている。運動を始めている。人間関係を整理している。仕事のやり方を見直している——笠木さんが何も言わなくても、患者は「勝手に」行動を変えていた。
「お医者さんが言うからそれに従っているんじゃなくて、それをやってみたいなとか、やった方が良いよねって自分で思うから、別に僕はどうこう言わなくてもやるんです」

外側からの「強制」ではなく、内側からの「納得」。
この違いが、変化の質を決定的に分ける。
「人ってやっぱり良くなる力っていうのは、その人に秘められていると思っていて。それを信じられている人からやっぱり良くなっていくんです」笠木さんの「どっちでもいい」という姿勢は、患者に対する究極の信頼だった。

あなたには、自分で考える力がある。 あなたには、自分で選ぶ力がある。 あなたには、自分の人生を変える力がある——。
その信頼が、患者の中に眠っていた「自分で決める力」を呼び覚ます。そして、その力こそが、どんな薬よりも強力なエネルギーとなる。
笠木さんの診察室で起きているのは、単なる医療行為ではない。それは、一人ひとりが「自分の人生の主人公」として生き直す、再出発の儀式なのだ。

第5章|IKIGAI——「自分の真実を探求し続ける」という生き方

2023年、笠木さんは人生の新たな章を開いた。
京都・八瀬。豊かな自然に囲まれたこの地で、笠木さんは研究施設を併設したクリニックの院長に就任した。それは、これまでのすべての探求が結実する場所だった。
「研究施設も作って、研究員も雇ってくれるっていう話があって、研究費用も払っていただける」
笠木さんの研究実績と医療哲学に深く共鳴した人物からのオファーだった。それは、NIHで味わった「研究だけに集中できる日々」と、臨床現場で患者と向き合う「真の治癒を追求する医療」——その両方を同時に実現できる、まさに理想の環境だった。
「月2人しか診ないので。研究に没頭できるクリニックです」

一人ひとりの患者と深く向き合い、その人が「自分の人生を自分で決める」プロセスに真剣に寄り添う。そのためには環境が必要だった。
現在、笠木さんが研究テーマの一つとして掲げているのは、一見すると意外な言葉だ。
「いかにサボって健康になるか。それを結構追求してますね。やりたくないことを一生懸命してる人が多いと思ってて、そういう人って病気になっちゃうんですよね」

無理なダイエット、苦しい運動、我慢だらけの食事制限。それらは「やりたくないこと」であり、結局は長続きしない。それどころか、義務感や強迫観念そのものがストレスとなって、体を蝕んでいく。

だからこそ笠木さんは、「いかにローコストで楽して、でもちゃんと体が良くなっていくか」を研究している。
「できるだけ楽に人生が良くなればみんな良いし、そのハードルが低ければ低いほど、人生が変わっていくんだったら楽しくなって、どんどん主体的に行動していきますもんね」

効果のない努力で消耗するのではなく、「効果がある小さな行動」を積み重ねていく。その循環が回り出すと、人は自然と主体的に生き始める——それこそが「自分の人生を自分で決める」ための、最も現実的なアプローチなのだ。
医師としてのキャリアの初期に「AIでもできる」と気づいた笠木さん。では、これからの時代、医師の存在意義はどこにあると考えているのだろうか。
「データなんかで勝てるわけがないからね。最終は感性」
検査データを分析し、ガイドラインに沿って薬を選ぶ——そうした「情報処理」の領域では、すでにAIの方が優れているかもしれない。画像診断の精度も、AIが人間を上回り始めている。

では、人間の医師にしかできないことは何か。
患者の言葉の奥にある本音を感じ取ること。表情や声のトーンから、心の状態を読み取ること。データには現れない「その人らしさ」に寄り添うこと。そして何より——「あなたには、自分で決める力がある」という信頼を、心から伝えること。

「感情のやりとりというか、それを、もっと詰めれば愛とかそういうのになっていくんでしょうけど」
世界トップレベルの免疫学研究者が、最終的に行き着いたのは「感性」と「愛」だった。それは、データや数値だけでは決して測れない、人間同士の魂の共鳴だ。

インタビューの最後、笠木さんに尋ねた。
「笠木さんにとって、IKIGAIとは何ですか?」
少し考えてから、笠木さんはこう答えた。

「自分の真実を探求し続けること。何のために生まれ、何を残して死ぬのか」
それは、幼い頃に研究室で見た父の背中から始まった、一本の軸だった。医師になりたての頃に抱いた違和感も、NIHでの純粋な研究の日々も、診察室で涙を流す患者たちとの対話も——すべての経験が、「自分の真実を探求する」という一本の線で繋がっている。

「そこまで行ったら意外と楽よって思ってる」
この言葉には、長い探求の末に辿り着いた境地が表れている。
笠木さんは、自分の真実を探究し続けている。
その視線は、既存の医療の枠に収まりきらない、人間の健康や幸福のあり方へと向かっているように見える。
いまの科学で、まだ十分に言葉になっていない領域もあるだろう。だからこそ、その探究は、これからの時代の医療や生き方に新しい問いを投げかけている。

その信念のもと、彼は今日も研究を続けている。
どんな名医も、どんな薬も、あなたの代わりに人生を生きることはできない。
最終的に「どう生きるか」を引き受けるのは、あなた自身だ。

自分の内側の声に耳を傾け、自分の真実に従って選び続けること。
何度でも選び直していい。

その選び直しの先に、その人なりのIKIGAIは根を張っていく。

あとがき

この原稿を書きながら、私は何度も立ち止まった。
免疫学研究者が、真実を追求し続けた末に辿り着いた答えが、「感性」であり「愛」だった。
「データなんかで勝てるわけがない。最終は感性」

30代で大学教授という地位や名誉、安定した道が見えていたにもかかわらず、「やりたくないことに時間費やすのはなくない?」と、それを手放す。
社会の期待や常識よりも、ひたすらに「自分の真実」を探求し続ける。その生き方は、まっすぐで、一本筋が通っていた。
しかし、この取材を通じて最も心に残ったのは、笠木さんの「どっちでもいい」という言葉だった。

「最終的に決めるのはあなただし、僕はどっちでもいい」
一見、突き放しているようにも聞こえる。

けれど、話を聞くうちに、これが究極の「信頼」の言葉なのだと感じた。
——あなたには、自分で考える力がある。
——あなたには、自分で選ぶ力がある。
——あなたには、自分の人生を変える力がある。
だからこそ、僕が答えを奪うわけにはいかない——。

その前提に立っているからこそ、診察室で患者は涙を流すのだと思う。
誰かのせいにもできる。自分を責め続けることもできる。けれど、本当はずっとわかっていた。
「自分で決めてこなかった」という事実に、向き合わざるをえなくなる。

その瞬間に流れる涙は、弱さではない。あきらめでもない。
それは、「自分の人生のハンドルを取り戻す」瞬間の涙なのだ。

私たちは、あまりにも「正解」に頼りすぎているのかもしれない。
医師がそう言うから。
テレビでそう言っていたから。
ネットにそう書いてあったから——。
そうやって、自分の感覚を、自分の違和感を、自分の直感を、いつのまにか手放してしまう。
そのほうが楽なこともある。責任を引き受けなくて済むし、考えなくても済む。

誰かが決めた基準で評価され、誰かが決めた「正しさ」に合わせて生きる。
「生きていくためには仕方がない」と小さな我慢を重ね、誰かの期待に応えることを自分の幸せだと思い込もうとする。
けれど、そうした小さな諦めやごまかしの積み重ねが、少しずつ自分自身との距離を広げていくのだとしたら。

「自分の人生を自分で決める。そこからずれたら病気になるんです」
この言葉は、脅しではなく、人間の可能性を信じ抜いた希望のメッセージとして私には響いた。
「自分の人生は、自分で決めていい」

今日、何を食べるか。
誰と過ごすか。
何に時間を使うか——。
そうした小さな選択の一つひとつが、人生を形作っていく。
小さくていい。
誰も気づかないような、ささやかな選択でいい。

その一歩が、あなたの人生を作っていく。
この物語が、あなたの中に眠っている「自分で決める力」を呼び覚ますきっかけになることを、心から願っている。

そして、あなたが自分の真実と向き合い、
自分の人生を生き直す勇気を持つことを、信じている。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師



笠木ウェルネスクリニックウェブサイト

 

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