- ホーム
- IKIGAIを持つ者たち
- 安西玉栄 (山田玉栄)株式会社チェリー・BPM

お母さんを迷子にしないで——母を守るGPS靴が導いた優しい社会への約束
安西玉栄 (山田玉栄)株式会社チェリー・BPM
母への祈りを、見守りの靴に変えた人
東京都渋谷区
お母さんを迷子にしないで——母を守るGPS靴が導いた優しい社会への約束
あなたには、どうしても守りたい人がいるだろうか。
その人のためなら、自分が予定していた人生の道を、いったん横に置くことができるだろうか。
人は、いつも自分の夢だけを追って生きているわけではない。
ときには、誰かの一言に背中を押されることがある。
ときには、思いがけない頼まれごとによって、人生の進路が大きく変わることがある。
株式会社チェリー・BPM 代表取締役・安西玉栄(山田玉栄)さん。
安西さんは、認知症高齢者や子どもの迷子を防ぐため、GPS靴や見守りアプリケーションの開発に取り組んできた人だ。
けれど、最初から起業家を目指していたわけではない。
GPSの事業をやりたかったわけでもない。
むしろ安西さんは、10年という時間をかけて、カウンセリングを学び、子どもたちを支える仕組みをつくろうとしていた。
その道が、ようやく形になりかけていたときだった。
妹から、一本の電話がかかってくる。
「お母さんが迷子になる夢を、3回も見た」
「お姉ちゃん、GPSの入った靴を作ってよ」
2011年3月、東日本大震災が起こる。本当にショックだった。わずかなお金を寄付することしかできないのが、悲しかった。
当時、介護の現場では、認知症を苦にしての無理心中・自殺・行方不明を目の当たりにしていた。
カウンセリングの勉強の場では、悲惨な体験で傷ついた方の話をたくさん聞いていた。
もう誰かが悲しむのを見るのは、本当に嫌だと思った。
私にできることは「何?」
そんな時にかかってきた妹からの電話。
GPSのことが頭から離れなくなった。私の背中が押されている気がした。
GPSが入った靴は、きっとたくさんの人の役に立つかもしれない。
できるところまで、やってみよう。
東日本大震災から5ヶ月後、2011年8月11日 53歳のお誕生日に一人で起業した。
そこから人生が、思いも寄らない全く違う方へ動き出した。
GPSを入れる靴ができるのかもわからない、出来たとしても世の中に受け入れてもらえるのかもわからない。
真っ暗な中を、一点の光だけを頼りに進む日々が始まった。
何もわからなかった。何も知らなかった。だから始められたと今は思う。知らないとは時に最強の武器かもしれない。
GPSの開発会社・アプリケーションの開発会社・シューズの開発会社を探し始めた。
そもそも、自分がこの事業をやっていいのかもわからない。既に、大手企業も手がけていたため特許を取得した。これで自由に開発できると思えた時は嬉しかった。
開発資金もない中、各開発会社の協力で、無理だと言われていた、超小型GPS機器が数年後にようやく出来た。最高のエンジニアたちが作り上げてくれた。
その頃には、完成を待ち望んでくれる方がたくさんいた。
ようやくモニタリングを始めることが出来た。
ただ、母を守りたい。
家族が泣きながら探し回る未来を避けたい。
認知症になった母が、どこかで一人きりになってしまうことだけは、どうしても嫌だった。
でも母がこのGPS搭載シューズを履くことはなく、今は施設で暮らしていて外に出ることはなくなった。
母のために始まった靴は、やがて認知症の見守りへ、子どもの迷子対策へ、災害時の安心へ、そして地域で人を見守り合う仕組みへと広がっていく。
安西さんは今、自分の状況を「失敗中なんです」と笑って話す。
うまくいったことばかりではない。
広がりかけたものが止まったこともあった。
想いだけでは越えられない現実にも、何度も向き合ってきた。
それでも安西さんは、終わらせていない。
「神様と約束したんじゃんって思っているんです」
これは、母を守りたいという祈りから始まり、GPS靴を通して優しい社会をつくろうとしている、一人の女性の約束の物語である。
第1章|「人を悪く思ってはいけないよ」——誠実さを育てた父の言葉と母の温もり
安西さんが人生で一番大切にしている価値観は何か。
そう尋ねると、少し考えたあとで、彼女はこう答えた。
「そうですね。やっぱり、誠実であること。人を大切にすること。それを一番大事にしているというか、そうしたいなと思っています」
誠実であること。
人を大切にすること。
「人がどうとかではなく、自分はそうして生きていきたいなと思っているだけです」
自分は人を大切にする人間でありたい。
自分は誠実に向き合う人間でありたい。
その価値観の根には、幼い頃の家庭がある。
安西さんは、三姉妹の長女として育った。
父は自動車関係の会社を経営していたが、安西さんが小学生の頃に会社が倒産する。
家庭は、突然、経済的に苦しい状況へと変わった。
昨日まで当たり前だったものが、当たり前ではなくなる。
お金の不安が、大人たちの表情ににじむ。
幼いながらに、安西さんもその変化を感じていた。
それでも
「大変な状況ではありましたけど、家族仲良く、それなりに幸せに育っています」
父は頑張り屋だった。
母は苦労しながらも、家庭を守っていた。
貧しくても、家には温かい食事があった。
帰れば、待ってくれる人がいた。
そして安西さんの母は、肩書きや学歴で人を見る人ではなかった。
成績を厳しく言われた記憶もないという。
ただ、日々の暮らしの中で、食事をつくり、家族を支え、愛情を注いでくれた。
「帰ってくると、温かい食べ物があって。貧しくても、家に場所がないとか、そういう経験はなかったです」
安西さんは、母の愛を日々感じていた。
一方で、父からはよくこう言われていた。
「人のことを決して悪く思ってはいけないよ」
「人にはみんな、それぞれいいところがあるから、いいところを見て付き合いなさい」
それは、安西さんの人間観の土台になっていく。
一人の人を、一方向からだけ見ないこと。
一度の出来事で判断しないこと。
表に見えている態度だけで、その人のすべてを決めつけないこと。
安西さんは、自然とそういう見方を身につけていった。
ただ、その教えは美しいだけのものではなかった。
大人になり、事業を始め、いろいろな人と出会う中で、安西さんはときどき思うようになる。
「それに、結構縛られちゃったなと思う時もありました」
人にはいいところがある。
人を悪く思ってはいけない。
その価値観は、確かに優しい。
けれど、世の中には、誠実な人ばかりではない。
信じたいのに、傷つくこともある。
良いところを見ようとするほど、自分が苦しくなる場面もある。
安西さんは、そこから目をそらさなかった。
「自分にも、生きていく中でバイオリズムとかいろんな状況がある。相手にもあるから。一度のことで批判するより、今相手にあることを上辺だけで判断しない。いろんな角度から見る。それは自然にできてきたのかなと思います」
誠実であること。
人を大切にすること。
それは、安西さんにとって、 父の言葉と、母の温もりと、人との関係の中で傷ついてきた時間が、少しずつ重なってできた生き方だった。
そしてその生き方が、のちに一つの頼まれごとを、ただの頼まれごとで終わらせない力になっていく。
第2章|好きなことの先に、人を支える道があった——アパレルからカウンセリングへ
安西さんの最初の道は、福祉でも、GPSでも、起業でもなかった。
アパレルだった。
子どもの頃から、洋服をつくることが好きだったという。
2、3歳の頃には、もう針を持っていた記憶がある。
何かを切る。
縫う。
形にする。
自分の手の中で、ただの布が服になっていく。
その感覚は、安西さんにとって喜びだった。
進路を考える頃、安西さんにはスチュワーデスへの憧れもあった。
しかし、身長がわずかに足りず、その道は閉ざされる。
そして安西さんは、自分の好きだった服飾の道を選ぶ。
専門学校卒業後、大手アパレルメーカーに就職する。
本当はデザイナーになりたかった。
就職試験でも、デザイナーになれると聞いていた。
だが入社後、現実を知る。
「デザイナーになるには、3年勤続しないといけない」
安西さんは、社会に出て最初に、思い描いていた道と現実のずれを味わう。
それでも、仕事は楽しかった。
洋服は好きだった。
ものづくりに関わる時間には、喜びがあった。
だが、その働き方はあまりにも過酷だった。
片道2時間かけて通勤し、毎日のように終電で帰る。
タクシー代のために働いているような感覚になる。
体力的にも、少しずつ限界が近づいていた。
そしてもうひとつ、安西さんの心に引っかかっていたことがある。
母が、帰りを待ってくれていたことだ。
どれだけ遅くなっても、母は待っている。
娘が帰ってくるまで、眠らずにいる。
その姿は、愛情であると同時に、安西さんにとっては申し訳なさでもあった。
「楽しかったんですけど、きつかったというのと、そこに母を巻き込んでいたなというのがあって」
好きな仕事だった。
それでも母を巻き込んでまで続けるには、あまりにも苦しかった。
安西さんは、アパレルメーカーを辞める。
その後、近所の眼鏡店で働きながら、身体を休め、自分を整える時間を過ごした。
やがて結婚し、子どもが生まれる。
それでも、洋服とのつながりは手放さなかった。
子育てをしながら、自宅で型紙を取る仕事を続ける。
家計を支えながら、自分の好きだったものづくりを、暮らしの中で続けていた。
年齢を重ねる中で、型紙の仕事も少しずつ大変になっていく。
娘さんが、家で母が仕事をすることを嫌がったこともあった。
老眼も入り、細かな作業がきつくなる。
そんな頃だった。
安西さんは、不思議な夢を見る。
「カウンセラーになって、子どもをサポートしなさい」
夢だった。
安西さんにとってそれは、ただの夢では終わらなかった。
その日、本屋へ行った。
カウンセラーになるにはどうすればいいのかを調べた。
自分は服飾の専門学校しか出ていない。
大学で心理学を学んだわけでもない。
臨床心理士にならなければ無理なのではないか。
そう思っていたが、調べていくうちに、道があることが分かった。
安西さんは、カウンセリングの学校に通い始める。
その学費のために、介護職に入った。
そこから約10年。
安西さんは、カウンセリングの勉強と介護の仕事を並行して続けていく。
介護職も、どうせなら国家資格を取ろうと、介護福祉士の資格まで取得した。
週に何度か学校に通い、レポートを抱え、介護の現場にも立つ。
決して楽な日々ではなかった。
それでも、安西さんはやめようとは思わなかったという。
「面白かったんですよ。人と話をして、人のいろんなことを聞くのは嫌じゃないなと思ったんです。自分が優しくいられるような感じがしたのかもしれないです」
安西さんが目指していたのは、ただ個人としてカウンセリングをすることではなかった。
子どもを早いうちから支えられる仕組みをつくりたい。
中高生の自殺を防ぎたい。
母親だけでは抱えきれないものを、社会として支えられるようにしたい。
「小学生で自殺なんて、あり得ないじゃないですか。なんでそういうことになっちゃうのって」
安西さんの言葉には、怒りにも似た悲しみがある。
子どもが死を選ばなければならないほど追い詰められる社会。
その前に、誰かが気づけないのか。
早くからケアできる仕組みをつくれないのか。
母親も含めて、家庭を支える形をつくれないのか。
安西さんは、それを本気で考えていた。
あるとき、高齢者の方のカウンセリングを終えたあと、トイレで鏡を見た。
そこに映っていた自分の顔を見て、安西さんは思ったという。
「私、自分はこんなに優しい表情になれるんだなと思ったんです。だから、カウンセリングっていいなと思いました」
人の話を聴く。
その人の痛みや孤独に触れる。
何かを解決できるとは限らない。
そして、その時間の中で、自分自身も優しい表情になれる。
カウンセラーの道は、安西さんにとって、誰かを支える道であると同時に、自分自身を好きでいられる道でもあった。
10年かけて学び、実技も通り、あとは筆記試験だけ。
もう少しで、子どもを支える仕組みづくりへ踏み出せる。
そう思っていた。
しかし、人生はその直前で、安西さんをまったく別の場所へ連れていく。
第3章|「お母さんが迷子になる夢を見た」——妹の頼まれごとが人生を変えた
10年かけて学んできたカウンセリング。
介護の現場で働きながら、レポートを書き、学校に通い、積み上げてきた時間。
安西さんはようやく、子どもを支える道へ進もうとしていた。
産業カウンセラーの学校でも、実技はパスしていた。
残るは筆記試験だけ。
来春からは、カウンセラーとして子どもや家庭を支える仕組みづくりに進めるかもしれない。
そのタイミングで、東日本大震災が起きる。
当たり前にあった暮らしが、一瞬で失われる。
その数か月後、安西さんに妹さんから電話がかかってきた。
「お母さんが迷子になる夢を、3回も見た」
「お姉ちゃん、GPSの入った靴を作ってよ」
安西さんは、すぐに「やろう」と思ったわけではない。
「なんで、せっかく10年かけて、やっとカウンセラーとして子どもをサポートできるのに、と思いました」
10年かけて学んできた。
介護の仕事をしながら、学校に通い、資格も取り、ようやく形になりかけていた。
それを、まったく違う方向へ変えなければならない。
しかもGPSなど、詳しく知っているわけではない。
会社を起こすつもりも、 社長になりたいとも思っていない。
それでも、安西さんはその頼まれごとを無視できなかった。
なぜなら、それは他人事ではなかったからだ。
母が迷子になる。
その未来を想像した瞬間、安西さんの中で何かが止まった。
母がいなくなったら、妹たちは泣きながら探し回るだろう。
そして何より、本人がどこかで不安なまま一人になってしまう。
「それは無いなと思ったんです。さすがに」
安西さんは、介護職として働いていた時期に、認知症の方が行方不明になる現実を見ていた。
探す家族の大変さも、本人の不安も、分かっていた。
当時の見守り端末には、使い勝手の課題もあった。
身につけても、外してしまう。
どこかに置いてきてしまう。
必要なときに、うまく機能しない。
そんな中で、安西さんは以前から妹さんに話していたことがあった。
「靴にGPSが入ったらいいのに」
認知症が進んでも、多くの人は靴を履いて外へ出る。
靴なら、身につけ忘れにくい。
本人にとっても自然で、家族にとっても安心につながるかもしれない。
「だって、自分の母のことだから。母が迷子になることは、さすがに考えられなかったんです」
大きな理念が最初からあったわけではない。
ただ、母を守りたかった。
家族が泣きながら探す未来を避けたかった。
そしてもうひとつ、安西さんの中には、介護職として見てきた現実があった。
もしこれができたら、きっと自分の母だけではなく、たくさんの人の役に立つかもしれない。
その思いが、安西さんを動かしていく。
GPSとはどういうものなのか。
どうすれば扱えるのか。
片っ端から調べたら
そのとき、GPSのメーカーからこう言われた。
「GPSは法人でないと取り扱えない」
その時は、安西さんは思った。
会社を起こして社長になるなんて、考えたこともない。
「できるところまでやってみようと思ったんです」
この一言が、安西さんの人生を変えた。
カウンセラーとして子どもを支える道に進もうとしていた人が、母を守るためにGPS靴を作る道へ進む。
自分で選び取ったというより、頼まれごとに導かれるようにして。
その頼まれごとは、安西さんの人生にずっと流れていたものと、確かにつながっていた。
人を大切にすること。
誠実であること。
誰かが悲しむ姿を、見過ごせないこと。
母を守るための靴は、その価値観が形になった最初の一歩だった。
第4章|神様に頼まれた仕事だった——小さな会社に集まったご縁と、止まらなかった歩み
安西さんは、何もかも一人で手探りしながら進めていった。
GPS端末の製造メーカーを探す。
靴に関わる人を探す。
アプリを作れる人を探す。
自分にできるところまでやって、できないところは、できる人に頼む。
それは、安西さんがこれまで生きてきた姿勢そのものでもあった。
人を大切にする。
誠実に頼む。
自分一人で抱えきれないものは、誰かの力を借りる。
そうやって、少しずつ形が見え始めた。
安西さんは、この流れを振り返って、こう語る。
「今から思えば、神様がくれたギフトなんだなと思っています。使命なんだなって、今は思います」
不思議な出来事もあった。
まだ作りかけだったホームページが、本来は閉じているはずなのに、担当者の操作で一瞬だけ公開されたことがある。
そのわずかな時間に、日経BPの記者が偶然そのページにたどり着いた。
そこから取材につながり、安西さんの取り組みは「日本を救うベンチャー100」に選ばれる。

さらに、NHKやテレビ番組にも取り上げられ、多くの人が関心を寄せてくれるようになった。
偶然というには、あまりにも不思議だった。
安西さんは、そのたびに思ったという。
「神様に頼まれたことなんだろうな、って思うんです」
もちろん、現実は奇跡だけでは進まない。
小さな会社が、新しい市場をつくることは簡単ではない。
開発にはお金がかかる。
製造には技術がいる。
販売には仕組みがいる。
通信規格も変わる。
パートナー選びにも、難しさがある。
想いが強いだけでは越えられない壁が、次々に現れる。
安西さんのGPS靴は、多くの関心を集めた。
認知症高齢者の見守りという社会課題に対して、靴にGPSを入れるという発想は、確かな可能性を持っていた。
一方で、新しい市場が広がっていく過程では、安西さん自身の力だけでは届かない現実もあった。
大きな企業、福祉用品の流通、通信の仕組み、開発体制。
そうしたものの中で、小さな会社が自分たちの理想を守りながら進むことの難しさも、安西さんは身をもって知っていく。
それでも安西さんは、自分のアイデアそのものを疑わなかった。
「アイデアとしては間違いじゃなかったんだなと思っています」
その手応えは、確かにあった。
必要としている人がいた。
待ってくれている人がいた。
使いたいと言ってくれる人がいた。
だからこそ、簡単には終われなかった。
だが、また大きな壁が来る。
通信規格の変化だった。
当時進めていたサービスは、3G通信を前提としていた。
だが、3G通信の終了が発表される。
ようやく量産へ向かえるかもしれないというタイミングで、これまで積み上げてきた形を見直さなければならなくなった。
開発は止まる。
販売も止まる。
売る商品がない状態になる。
安西さんは、その現状をこう表現する。
「失敗中なんです」
ただし、それは諦めの言葉ではなかった。
失敗中。
でも、終わっていない。
安西さんの挑戦は、まっすぐには進まなかった。
広がりかけたものが止まることもあった。
想いだけでは届かない現実もあった。
それでも、安西さんは「終わった」とは言わなかった。
むしろ、その経験すべてが、次に本当に必要な形を考えるための時間になっていった。
母を守るために始まった靴は、まだ途中にある。
そして安西さんは、その途中に意味を見ている。
神様に頼まれた仕事だったのだと。
まだ、約束は終わっていないのだと。

第5章|失敗中でも、終われない——優しい社会をインフラにするために
安西さんが次に目指しているのは、インソール型のGPSである。
これまでのように、靴のかかとに端末を入れ、取り出して充電する仕組みではない。
インソールに端末を入れ、玄関に置いたマットの上に靴を置けば、自動で充電できるような仕組みを考えている。
一人暮らしの高齢者でも使いやすい。
家族が何度も充電を気にしなくていい。
本人が特別な操作をしなくても、日常の中に自然に溶け込む。
安西さんが大切にしているのは、そこだ。
見守りは、使われなければ意味がない。
どれだけ高性能でも、本人が嫌がったり、家族の負担になったりすれば続かない。
だからこそ、日常の中で自然に使えること。
本人の尊厳を奪わないこと。
家族を少しでも楽にすること。
その発想は、介護の現場を見てきた安西さんだからこそ生まれたものだった。
そして安西さんの視線は、認知症高齢者だけに向いているわけではない。
子どもの迷子対策。
テーマパークでの見守り。
旅行先での安心。
災害時の所在確認。
GPSという技術には、さまざまな可能性がある。
安西さんには、最初から持ち続けている夢がある。
それは、ディズニーランドへの導入だ。
もし、家族で探せる仕組みがあったら。
もし、迷子センターに頼るだけではなく、家族がすぐに居場所を確認できたら。
親の不安も、子どもの不安も、少し減らせるかもしれない。
「作りたいのは、優しい社会ですよね」
安西さんはそう言った。
優しい社会。
それは、 困っている人を、家族だけに背負わせない社会。
認知症の人がいなくなったとき、家族だけが泣きながら探し回るのではなく、地域のみんなで見守れる社会。
高校生や大学生も、地域の見守りに関わる。
若い人たちが高齢者とつながる。
誰かの不安を、誰か一人のものにしない。
そんな仕組みがあれば、若い人たちにとっても、未来は少し温かく見えるのではないか。
安西さんは、プロトタイプをつくり、地域で見守り事業をやりたい企業や団体に提供し、それぞれの場所で広げてもらえればいいと考えている。
自分の名前でなくてもいい。
自分の会社だけが前に出なくてもいい。
必要な場所に、必要な形で届けばいい。
「できるところまでやってみて、あとはできる人に頼めばいい」
その感覚は、安西さんの歩みの中にずっとある。
人を信じる。
人に頼る。
人とつくる。
そして、人のために届ける。
安西さんにとって、見守りの仕組みは、誰かが安心して帰れるようにするもの。
地域の中に「見ているよ」「気にかけているよ」という温度を取り戻すもの。
その根っこには、安西さん自身のIKIGAIがある。
「ちょっとしたおやつを、美味しいコーヒーで飲んでいるとき」
安西さんは、そう話してくれた。
見守りとは、日常を守ることなのだ。
安西さんは、まだ約束の途中にいる。
何度止まっても、何度遠回りしても、まだ終わらせない。
母を守るために始まった靴は、いま、誰かの家族と、誰かの帰る場所を守るための仕組みへ変わろうとしている。
安西さんの挑戦は、まだ終わっていない。
そして、その歩みそのものが、優しい社会への約束になっている。

あとがき
安西さんの話を聞き終えたあと、私の中に強く残ったものがある。
人は、大切な人のために動くとき、自分でも信じられないほどの力を出せるということだ。
安西さんは、最初からGPS靴を作りたかったわけではない。
子どもたちを支える道へ進もうとしていた。
あと少しで、その道が形になろうとしていた。
そのタイミングで、妹さんから言われた。
「お母さんが迷子になる夢を見た」
「GPSの入った靴を作ってほしい」
この言葉を聞いたとき、安西さんはすぐに美しい使命感に燃えたわけではない。
なぜ今なのかと思った。
せっかく積み上げてきた道が、まったく違う方向へ変わっていく悔しさもあった。
私は、そこに愛の力を知った。
母がいなくなる未来だけは、受け入れられなかった。
妹さんたちが泣きながら探す姿を、想像したくなかった。
家族が不安の中で走り回る未来を、見過ごすことができなかった。
その一点が、安西さんを動かした。
知らない分野に飛び込む。
会社を作る。
人に頭を下げる。
何度も壁にぶつかりながら、それでも歩みを止めない。
それは、理屈だけでは続かない。
損得だけでも続かない。
でも、愛があると人は動ける。
自分でも信じられないほど、遠くまで行ける。
人は、自分のためだけなら諦められる。
もういいか、と言える。
仕方なかった、と自分を納得させることもできる。
だが、大切な人のために始まったことは、簡単には終われない。
安西さんの「このままここまで来て、ここで終われない」という言葉には、事業家としての執念だけではない、もっと深いものがあった。
それは、母への愛だった。
妹さんへの愛だった。
家族への愛だった。
そして、同じように誰かを探し回るかもしれない、まだ顔も知らない誰かの家族への愛だった。
母を守るための靴は、いつしか、誰かの大切な人を守る靴になっていった。
誰かの子どもを守る仕組みになっていった。
地域で人を見守り合う、優しい社会への約束になっていった。
私はそこに、IKIGAIの本質を見た気がした。
IKIGAIとは、最初から大きな夢として現れるものばかりではない。
美しい使命感から始まるものばかりでもない。
安西さんにとってのIKIGAIは、遠くにあるものではなかった。
美味しいコーヒーと、ちょっとしたおやつ。
大切な人と過ごす、穏やかな時間。
それは、本当にささやかな幸せだ。
けれど、そのささやかな幸せを守るために、人はとてつもない力を出せる。
誰かが無事に帰ってくること。
家族で食卓を囲めること。
「今日もよかったね」と思えること。
そんな当たり前のようで、決して当たり前ではない日常を守るために、安西さんは今も前へ進んでいる。
あなたには、守りたい人がいるだろうか。
その人のためなら、どこまで動けるだろうか。
何度つまずいても、まだ終わらせてはいけない約束があるだろうか。
大切な人のために動く力は、人生を変える。
仕事を変える。
ただの頼まれごとを、使命に変える。
安西さんの物語は、私にそう教えてくれた。
IKIGAIは、遠くに探しに行くものではなく、
大切な人を守りたいと願った瞬間、すでに胸の奥で動き出しているのかもしれない。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師









