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自分を曲げてまで、売りたくない——誰のためにつくるのかを問い続けた先に生まれた、人に寄り添うウェブ制作
迫優華 株式会社zuante
誰のためにつくるのかを問い、人の隣に立つウェブ制作者
熊本県熊本市
自分を曲げてまで、売りたくない——誰のためにつくるのかを問い続けた先に生まれた、人に寄り添うウェブ制作
あなたは、自分の仕事が誰のためにあるのか、分からなくなったことがあるだろうか。
パソコンの画面に、新しいホームページ制作の案件が届く。
ヒアリングシートに書かれているのは、会社名と業種。その会社が何に困っているのか。どんな人へ商品を届けたいのか。なぜ、その事業を続けているのか。制作を担当する人間には、ほとんど伝わってこない。
納期だけは決まっていた。
スマートフォンで見ても崩れにくい構造を選ぶ。以前つくったサイトの土台を複製し、写真や文章、色を入れ替える。情報が少ない以上、大きく外さないデザインにするしかない。
一件を納品すると、次の案件を開く。一週間で九件。多い月には、五十件を超えるサイトを制作した。
「会社名と業種しか分からない状態で、『とりあえずつくってください』という感じでした。誰に向けたサイトなのかも分からない。何を根拠につくればいいんだろうと思っていました」
そう振り返るのは、株式会社zuante代表取締役・迫優華さんである。
現在は熊本を拠点に、ホームページ制作やSNS支援を行っている。月額制ホームページサービス「Hitoトナリ」では、依頼者から直接話を聞き、公開後も更新や相談に関わり続ける。
最初から、今の仕事を目指していたわけではない。
鹿児島で花屋を営む両親のもとに生まれた。高校ではダンスに打ち込み、大学時代には海外を巡った。物販を試し、完全歩合制の営業会社でカーワックスを売り、いくつかの仕事を経てWeb制作の世界へ入った。
一つの道を、迷わず進んできた人生ではない。
「何か面白い働き方はないか」と探し、その時々で目の前の仕事へ飛び込んだ。違うと感じれば離れ、次の方法を試した。やればやるほど収入になることが、楽しかった時期もある。
制作を重ねるうちに、サイトの向こう側にいる人の姿が少しずつ見えるようになった。
仕事を依頼する経営者。その会社の商品を必要としている人。実際にサイトをつくるフリーランス。
誰か一人に負担が偏らない形をつくれないか。迫さんは今も、その答えを探している。
周囲からは、もっと売れる仕組みにした方がいいと言われる。「稼げる設計にすれば、もっと稼げる」と助言されることもある。
迫さん自身、会社を続けるには利益が必要だと分かっている。スタッフや制作に関わる人を守るには、安定した売上も必要になる。
そのうえで、迫さんは言う。
「お金はあって困るものではありません。経営者として、もっと売れる仕組みにしなきゃいけないことも分かっています。ただ、自分を曲げてまで、お金のためだけに売ることはできないんです」
これは、誰のためにつくるのかを問い続け、自分を曲げずに人の隣に立つ仕事を形にしてきた、その歩みの記録である。
第1章|花屋の家で育った——母の背中と「露地栽培」の幼少期
迫さんが生まれたのは、鹿児島県。
両親は、現在も花屋を営んでいる。店が始まったのは、迫さんが生まれた年だった。姉は二歳。母は迫さんを産んで、まだ一カ月ほどしか経っていなかった。
その時、父が「花屋を始める」と言ったという。
幼い子どもが二人いる中での開業だった。母は父が始めた仕事を支えるため、夜に勉強を続けた。やがて、1級フラワー装飾技能士の資格を取得し、審査員として呼ばれるほどの技術を身につけていった。
畳一枚ほどの限られた空間に植物を配置する。枝を切り、花の向きを整え、一つの景色をつくり上げる。母は仕事として求められる以上の時間を使い、自分の技術を磨き続けた。
「母は、儲かるかどうかとは別に、仕事そのものを楽しんでいました。すごくパッションがある人なんです。人としても誠実で、今でもかっこいいと思っています」
迫さんが仕事への情熱を最初に見たのは、母の背中だった。
両親は、長い時間を花屋の仕事に使った。クリスマスを家族で祝う。誕生日を盛大に祝う。そうした時間は多くなかった。
両親が働いている時間、姉妹のそばにいたのは祖父母だった。
祖父母は、二人へ惜しみなく愛情を注いだ。両親が忙しいからといって、迫さんは孤独だと感じることは少なかったという。
祖父は、姉妹の育てられ方を独特の言葉で表現した。
「ほかの家庭が家庭菜園なら、あんたたちは露地栽培だ」
毎日、細かく手をかけられて育つのではない。雨が降る日もある。風に吹かれる日もある。自分で考え、自分で立つ。
迫さんは、その言葉を今も覚えている。
花屋の経営には波があった。売上が良い時もあれば、資金繰りが厳しい時もある。経営の状態によって、家庭の空気が変わることもあった。
「すごく成功して、豪華な暮らしをしたいわけではないんです。ただ、お金に困りたくないという気持ちは、姉も私も強い。お金によって感情まで変わってしまうのを見てきたからだと思います」
母の姿を見て、仕事へ情熱を注ぐ人の強さを知った。経営の波を見て、お金が家族の感情にまで影響する現実も知った。
迫さんの中には、働くことへの憧れと、お金だけに振り回されたくないという感覚が、幼い頃から同時に残っていた。

第2章|「電波さえあれば、どこでも働ける」——ダンスと旅が広げた世界
中学生の頃、迫さんは、ある高校のダンスステージを見た。
生徒たちが音楽に合わせて踊っていた。選ぶ曲が違う。体の動かし方も違う。同じ振り付けでも、踊る人によって見え方が変わる。
迫さんは、その自由さに惹かれた。
「ダンスは、センスが全部出るんです。曲選びも、動きも、人によって違います。その人にしか出せないかっこよさがある。そこが、すごく面白かったんです」
ダンスをしたい。
その気持ちから、迫さんはダンスが盛んな高校を選んだ。
高校生活の中心はダンスだった。鏡の前に立ち、自分の体がどう見えるのかを確かめる。友人と動きを合わせ、自分にしか出せない表現を探す。

高校を卒業する時、両親から一つの言葉を渡された。
「ここから先は個人戦。自分の分は、自分で稼いで生きていきなさい」
進む学校も、これから何を学ぶかも、自分で決める。必要なお金があれば、自分で働いてつくる。
「女の子だから守るという感じではなかったです。私も姉も、めちゃくちゃアルバイトをしました。それは今思うと、良かったと思っています」
高校卒業後、迫さんは地元の大学へ進み、語学を学んだ。
知らない国や、自分とは違う暮らしを見てみたいという気持ちがあった。
「観光地を見るより、路地裏に入る方が好きなんです。その国の人がどうやって洗濯しているのか、スーパーにどんな歯磨き粉が並んでいるのか。暮らしが違うことを見るのが面白くて」
大学二年生の春、迫さんは初めて海外へ出た。
行き先は、フィリピンのセブ島だった。
二十歳の迫さんの前に、日本とは違う街が広がった。整備されていない道路。日本とは異なる建物。その日を生きるために働く人。街の中を歩く子どもたち。
一カ月の滞在中、迫さんはホテルのロビーで、パソコンを開いて働く人たちを見かけた。フィリピンに進出していた日系IT企業の社員で、場所を選ばずに働いていた。
「電波さえあれば、どこからでも仕事ができるんだと思いました。そんな働き方があるなら、大人になるのも面白そうだと思ったんです」
その時、迫さんはパソコンを使う仕事に就くと決めた。
大学時代には、フィリピンの観光地やローカルフードを紹介する記事を書く仕事も経験した。自分が見た場所を文章にし、パソコンで納品する。
ホテルのロビーで見た働き方に、少しだけ近づいた。
その年の夏には、母が貯めていたお金を出し、迫さんをアメリカのボストンへ一カ月間送り出してくれた。
その後、迫さんは大学を休学した。アルバイトで費用をつくり、海外へ行く。旅先ではゲストハウスへ泊まり、自分とは違う生き方をしている人たちと出会った。
「自分は、すごく狭いコミュニティーの中で生きていたんだと思いました。旅で出会う人たちは自分で何かを決めて来ている人が多くて、本当に面白かったです」
迫さんは、フィリピンの離島にも何度も足を運んだ。
日本で駄菓子を買い、島の子どもたちへ配った。両親が出稼ぎへ行き、親族と暮らしている子どももいた。生活の環境は、日本と大きく違っていた。
その中で、子どもたちは明るく笑っていた。
「生活環境は日本より厳しい。それでも、子どもたちは明るかったんです。日本には何でもあるのに、どうしてこんなに息苦しいんだろうと思いました」
大学卒業が近づき、迫さんは仕事を選ぶ時期を迎える。
場所に縛られずに働きたい。自分で扱うものを選びたい。若いうちに力をつけ、自分の仕事を持ちたい。
その思いを抱えたまま、迫さんは進んでいく。

第3章|「もうこれ以上、頑張れません」——売ることと、自分を曲げないこと
大学を卒業した迫さんが入ったのは、完全歩合制の営業会社だった。
基本給はない。商品を売った本数が、そのまま収入になる。
求人には、結果を出せば自分の好きな商材を扱い、やがてオーナーを目指せると書かれていた。海外の商品も扱える。若いうちに努力すれば、自由な働き方を手に入れられる。
迫さんは、その言葉に惹かれた。
入社すると、販売することになったのはカーワックスだった。迫さんは、ネイルに関わる商品を扱いたいと希望した。
返ってきたのは、こういう言葉だった。
「カーワックスを売れない人間は、ネイルの商品も売れない」
毎日、人に声をかけた。車を持つ人を探し、商品を見せ、説明する。売れなければ収入はない。休みは週に一度だった。
その会社で、迫さんは一人の尊敬できる女性上司と出会った。
何人に断られても、そこで態度を変えない。売れていない時ほど、明るく振る舞う。声を出しすぎて喉を痛めた日は、病院へ行き、その足で午後から現場へ戻ってきた。
「普通だったら、その日は休むと思うんです。でも、その人は病院に行った後、現場に戻ってきて、二十分くらいで商品を売ったんです。本当にすごい人でした」
声がほとんど出なくなった時には、商品を説明するための紙芝居のような資料を用意した。それを一枚ずつ見せながら、二十本近く販売したこともあったという。
雨が降っているから。人通りが少ないから。今日は商品を買いそうな人がいないから。
売れない理由を口にすると、上司は厳しく指摘した。
「それは、売れない理由を探しているだけだと言われました。雨が降ったから売れない、人が少ないから売れないというのは、自分が売れなかった理由を外につくっているだけだって」
上司が繰り返していたのは、結果よりも、商品を届ける時の姿勢だった。
「最高の態度で百五十人に声をかければ、そのうち一定数は必ず買ってくれる。そこで『今日は売れないかもしれない』と思いながら声をかけたり、一人のお客さまに『この人には絶対に買ってもらわなきゃ』とすがったりすると、数字が崩れると言っていました」
売れている時も、売れていない時も、同じ声で話す。
一件も売れていないからといって、弱気な表情を見せない。商品を買ってもらおうと相手へしがみつかず、目の前の一人へ同じ言葉を届け、次の人へ向かう。
「売れていないように見せるんじゃなくて、一件も売れていなくても、すごく売れている人のように振る舞うんです。営業は、全部アティチュード(姿勢)なんだと言われました」
迫さんは、その姿をすぐそばで見ていた。
働き方には、次第に違和感を抱くようになった。それでも、目の前の仕事へ向かう上司の熱量には、何度も心を動かされた。
「その人がいると、本当に人が集まってくるんです。明るくて、外に出せるパッションがある。私はどちらかというと静かな方なので、そういう強さにすごく惹かれました」
迫さんは、その上司の中に、花屋の仕事へ黙々と情熱を注いできた母と重なるものを見ていた。
「母にも似たようなものを感じます。母も、仕事を楽しみながら、静かに熱を持っている人なんです。その上司も、簡単に諦めないし、自分がやると決めたことに全部を注いでいました。すごくかっこいい女性でした」
環境のせいにしないこと。
自分の気持ちが整っていないまま、相手の前に立たないこと。
結果が出ていない時ほど、態度を崩さないこと。
迫さんがその会社で学んだのは、商品を売るための話し方だけではなかった。仕事に向かう時、自分がどのような状態で相手の前に立つのか。その姿勢は、現在の仕事にも残っている。
「働き方そのものは、私には合いませんでした。でも、あの人から教わったことは、今もすごく生きています。うまくいかない理由を探す前に、自分の態度はどうだったのかを見る。そこは、今の仕事でも大事にしています」
仕事へ全力を注ぐ中で、働き方そのものへの疑問が大きくなっていった。
「その一、二年を狂ったように頑張れば、あとは自由が手に入ると言われていました。最初は信じていたんです。だんだん、『これって本当にそうなのかな』と思うようになりました」
入社から八カ月ほどが過ぎた頃、迫さんは伝えた。
「もうこれ以上、頑張れません」
会社を出た。
「辞めてもいいんだ、と思いました。会社を出た帰り道にスキップしたのを、今でも覚えています」
退職後、迫さんはいくつかの仕事を経験した。思い描いていた働き方とは違うと感じ、再び次の道を探した。
その後、ホームページ制作会社へ入った。未経験から制作を学び、やがて外部の制作者をまとめ、納品されたサイトを確認する立場になった。
ミスを見つけ、修正し、依頼者の要望と制作者の事情の間に立つ。外で制作する人たちの働き方を見ながら、迫さんは思った。
自分も、つくる側として力を試したい。
会社の社長は、独立を止めなかった。
「やりたいなら、やりな」
迫さんは会社を離れ、フリーランスとして制作の仕事を始めた。
セブ島のホテルで見た、パソコン一台で働く人たち。その景色へ、ようやく近づいていた。

第4章|「誰のためのサイトなんだろう」——月50件の制作現場で残った問い
独立した当初、迫さんは業務委託でホームページ制作を受けていた。
つくれば、つくった分だけ収入になる。会社員時代には得られなかった金額を、自分の力で稼ぐことができた。
「独立して半年くらいは、やればやるだけお金になることが楽しかったです。『外に出たら、こんなに違うんだ』と思いました」
一週間で九件を納品した。多い月には、五十件を超えた。
「鬼のように納品してきたので、制作スピードはつきました。短時間でも、ある程度のクオリティーを出せるようになった。あの経験は、無駄ではなかったと思っています」
その中には、大手の月額制ホームページサービスから依頼される下請け案件もあった。
報酬は、驚くほど低かった。
サイトを一つ完成させるまでの時間。公開前の調整。スマートフォン表示の確認。納品後の修正。すべてを時給に置き換えたら、いくらになるのか。計算することをためらうような水準だった。
制作担当者へ届くヒアリングシートには、会社名と業種しか書かれていないこともあった。
通常であれば、事業の課題、顧客層、デザインの好み、競合との違いなどを確認する。その情報がない。
依頼者は、契約したサービス会社の担当者と話している。迫さんたち下請け制作者は、依頼者と直接話すことができない。
限られた情報を見ながら、サイトを組み上げる。求められるのは、まず納品の速さだった。
誰が見ても大きく外れない構成を選ぶ。以前つくったサイトの土台を複製する。写真、色、文章を変える。スマートフォンで崩れにくく、修正しやすい状態にして納品する。
時間が経ってから、修正依頼が届くこともあった。その対応に、追加報酬は発生しない。
会社名。業種。限られた文章。写真。納期。
サイトは完成する。
その事業を必要としている人の姿は、見えなかった。
「誰のための、何のサイトなんだろうという感覚が、ずっと残っていました。お客さまのことを知らないまま、お金のために作業している感じがあったんです」
独立から一年ほど経つと、迫さんは自分で顧客を探し始めた。経営者の集まりへ参加し、直接仕事を受ける機会が増えていった。
顧客と話すと、下請け時代には見えなかった情報が届いた。
塗装会社のサイトをつくった時のこと。迫さんは、塗装を依頼する高齢の家主が、主な閲覧者だと考えていた。
話を聞くと、問い合わせをするのは本人だけではなかった。離れて暮らす息子や娘が、実家を心配して連絡することも多いという。
文字の大きさ。情報を伝える順番。安心できる写真。
必要なものは、流行的で洗練されたデザインだけではなかった。
「直接聞いたら、想像していたお客さまと全然違ったんです。何でもトレンドっぽく、シンプルにつくればいいわけじゃない。つくる前に話を聞くことが、こんなに大事なんだと分かりました」
顧客の声を聞く。サイトを見る人を想像する。その人が知りたい情報を、分かる順番で置く。
同じホームページ制作でも、下請け時代とは見えるものが変わった。
迫さんは、短時間で品質を保つ力があれば、小さな会社にも無理のない金額で提供できると考えた。
顧客の話を聞かず、制作数だけを増やす形には戻りたくなかった。
依頼する人にも、つくる人にも、負担が偏らない形はつくれないか。
迫さんは、サイトのデザインだけでなく、仕事が流れる仕組みそのものを考え始めた。

第5章|「選べたらいいじゃない」——顧客と制作者の隣に立つ仕事
迫さんのもとには、ホームページの契約に関する相談も届くようになった。
高額な契約を結んだ。何年も支払いが続く。毎月料金を払っているのに、サイトは自社の所有物にならない。契約時点では、何が完成するのか分からなかった。
Webに詳しくない経営者ほど、提示された金額や契約期間が妥当なのか判断することが難しい。
迫さんは、自分が下請けとして関わった現場も思い出した。
価格を抑えるために、膨大な数を制作する。制作者へ届く報酬は低くなる。依頼者の声は制作現場まで届かない。公開後の修正が続いても、制作者の収入は増えない。
顧客だけを守ろうとすれば、制作する側へ負担が集まる。制作者の報酬だけを増やせば、顧客が支払う価格は上がる。
「お客さまだけを大切にすると、制作する人が苦しくなる。制作する人だけを守ろうとすると、お客さまの負担が増える。その間をどうつくるかは、今もずっと考えています」
迫さんが考えたのは、少人数で顧客の声を聞きながら、長く関係を続ける形だった。
顧客と直接話す。完成後も更新や相談に関わる。最初に大きな金額を払うのではなく、月額制にして初期負担を抑える。制作に関わった人にも、公開後の更新や修正という継続的な仕事を残す。
そうして始めたのが、月額制ホームページサービス「Hitoトナリ」である。
「大きな会社のように人数を増やしすぎず、お客さまの声が制作者へ届く場所で、一緒に歩けたら、同じくらいの価格でも、もっと良いものがつくれると思いました」
一定の期間利用した後は、そのまま運用を任せることもできる。希望すればサイトを自社で持ち、月額契約を終えることもできる。
「ずっと契約を続けてもいい。自分で持ちたいなら、持てるようにすればいい。選べたらいいじゃない、と思ったんです」
契約を長く続けてもらう方が、会社の売上は安定する。迫さんは、それだけを理由に顧客を縛りたくなかった。
「何が完成するか分からない状態で、最初に大きなお金を払うのも酷だと思いました。一生、自分の会社のものにならない形も違う。お客さまが選べる状態にしたかったんです」
相談を受けたすべての人へ、自社サービスを勧めるわけではない。別の方法が合うと判断すれば、対応できる事業者を紹介する。不要なものは提案しない。
「正直に何でも言ってしまうところが、信頼できると言っていただくことはあります。うちのサービスが本当に合うのか。一番負担が少なく、目的を達成できる方法は何なのか。そこは、ちゃんと考えたいです」
制作に関わる人の生活も、迫さんが考え続けていることの一つだ。
「フリーランスは、毎月仕事があるとは限りません。一回でも携わったサイトから継続して仕事が入れば、少しは安定につながる。フリーランスの悩みを、少しでも減らせたらと思っています」
現在の形が、完成した答えではない。
顧客の負担を抑えながら、制作者へ十分な報酬を支払う。会社として利益を残し、事業を続ける。どれか一つだけを優先すれば、別の誰かに負担が移る。
「経営者として、もっと売れる構造にしなきゃいけないことは分かっています。そこは、今も葛藤があります。稼げる人は、それでいいと思うんです。お金も必要です。ただ、思いのないものを、自分を曲げてまで売ることは、私にはできません」
Webの仕事だけを、一生の中心にしたいわけではないという。
今の事業を続けた先で、子どもや教育、地域のために自分の力を使いたいと考えている。
「高校までは、みんなと一緒にしなさいと言われる。社会に出ると、急に個性を出しなさいと言われます。その間で、行き場を失う子どももいると思うんです」
ダンスで、自分にしか出せない表現に出会った。海外へ出て、日本とは違う暮らしや考え方を知った。いくつもの仕事を経験し、自分に合う働き方を探してきた。
迫さんは、その経験を子どもたちへつなげたいと話す。自分の意見を持てること。違う考えを持つ人の話を聞けること。生まれ育った地域や、自分の国について知ること。
迫さんは今、目の前の仕事を続けながら、次に自分の力を使う場所を探している。
IKIGAIについて尋ねると、少し考えた後、家族や大切な人、仕事を通して出会う人たちについて話し始めた。
「自分のためだけでは、これ以上は頑張れないと思ったんです。家族や大切な人のためなら、体を張れる。誰かのためなら、頑張れるんだと思います」
仕事を通して、「ありがとう」と言われる。「助かった」と言われる。その瞬間が嬉しいという。
「誰かの困りごとを、自分の力で少しでも助けられるなら、それがいいなと思っています。人が相手なんだと思います。家族でも、地域の人でも、仕事で関わる人でも。その人のために自分の力を使えることが、今の私にとってのIKIGAIに近いのかもしれません」
利益と信念。自由と安定。顧客の負担と、制作者の報酬。
現在の仕事と、これから関わりたい人たち。
利益と信念、自由と安定。その間で、迫さんは今も考え続けている。
「誰のためにつくるのか」
その問いを手放さないまま、人の隣に立つ仕事を続けていく。

あとがき
利益を残しながら、自分の思いを続けられる仕組みをどうつくるのか。迫さんの話を聞きながら、私は何度もこの問いを考えていた。
今の社会では、どれだけ稼いだか、どれだけ会社を大きくしたか、どれだけ効率よく売ったかが、その人の価値を測る基準になりやすい。お金は必要だ。事業を続けるためにも、働く仲間を守るためにも、新しい挑戦へ進むためにも、利益から目を背けることはできない。
迫さんも、その現実を分かっている。もっと売れる設計にした方がいい。もっと効率よく利益を出せる。そう言われるたびに、自分の信念と経営者としての責任の間で考え続けている。
それでも、迫さんは自分が信じられないものを売らない。顧客だけが得をすればいいとは考えない。制作する人だけを守ればいいとも考えない。誰かの負担の上に成り立つ仕組みではなく、関わる人が長く歩いていける形をつくろうとしている。
私は、そこに経営者としてのかっこよさを感じた。
お金より大切なものがあると言って、お金から逃げるのではない。利益だけを追い、自分の理念を手放すのでもない。現実と向き合い、迷い、仕組みを整えながら、それでも譲れないものを守り続ける。
迫さんは、自分の望む働き方を探し、違うと感じた場所を離れ、何度も挑戦してきた。
自分が自由になるために始めた仕事の中で、顧客の声が見えない現実や、制作する人が安定しない構造にも出会った。そのたびに、「誰のためにつくるのか」を問い直してきた。
本当に人のためになる仕事を、それぞれの分野のプロが本気で考え、実行できたなら、社会は少しずつ良くなっていく。誰かを言葉で救う人がいる。技術で暮らしを支える人がいる。商品を届けることで、人生の選択肢を増やす人がいる。
大切なのは、何をつくるかだけではない。その力を、誰のために使うのか。
利益を残し続けながら、その問いを手放さない姿にこそ、人としての本当の強さがあると私は感じている。
あなたの仕事は、誰のためにあるだろうか。あなたが利益を残してまで、守り続けたいものは何だろうか。そして、あなたは自分の力を、誰の隣で使いたいだろうか。
迫さんがこれからどんな人と出会い、誰に仕事を託し、どんな場所へ進んでいくのか。その歩みは、私たち自身にも問いかけている。
自分を曲げずに生きるために、あなたはどんな仕組みをつくるだろうかと。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









