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人生が変わる「きっかけ」をつくりたい——1,500万円の借金を越え、ゴミ屋敷の片付けで誰かの再起を支える理由
中島健太 株式会社ウルタロウ
片付けから女性の再起を支える経営者
埼玉県戸田市
人生が変わる「きっかけ」をつくりたい——1,500万円の借金を越え、ゴミ屋敷の片付けで誰かの再起を支える理由
あなたは今、何のために働き、何のために生きているだろうか。
人は、突然「死」を目の前にしたとき、何を思うのだろうか。
ある日、一人の男が倒れた。一時は、命さえ危ぶまれる状態だった。
一週間ほど意識が戻らず、目を覚ました場所はICU。全身に管が通され、言葉を発することもできなかった。それまで毎朝筋力トレーニングをし、栄養にも気を配ってきた。健康には人一倍気をつけていた。そんな生活の中にも、死は前触れなく近くまで来た。
「意外と、人ってすぐ死ぬんだなと思ったんです。どうせ死ぬんだったら、何か爪痕を残しておかないといけないなって」
株式会社ウルタロウ代表・中島健太さん。現在、女性のゴミ屋敷や汚部屋の片付けを支援する「オカタシ!」をはじめ、片付けに関わる事業を手がけている。
ここにたどり着くまで、中島さんは何度も人生を立て直してきた。教員を目指した学生時代。広告営業で結果を追い続けた会社員時代。友人との起業の失敗。そして、個人で背負った1,500万円の借金。妻と子どもたちがいる中、資金繰りに追われながら生きるために仕事を作っていった。
「10年前の俺みたいな人を救いたいんだよね」
苦しかった当時、お金を借りようとしても、信用も実績もなく、誰にも頼れなかったという。
「あのときの俺みたいな人に投資できる人になりたい。たぶん、いっぱい騙されるんだろうけど、それでも救える人になりたい」
その言葉は、すでに仕事の中にも表れている。
中島さんの会社では、かつてゴミ屋敷で生活していた人を、特別な枠ではなく一人の働き手として雇用することがある。
「外に出るきっかけになればいい。パソコンが使えなくても、うちだったらゴミ屋敷を片付ける仕事がある。そこから働き始めることはできるから」
自分が苦しかったとき、誰かに差し出してほしかった「きっかけ」。今度は、自分がそれを渡せる側になろうとしている。
これは、何度失敗しても諦めなかった一人の男が、自分の人生を立て直し、今度は誰かがもう一度歩き出すための「きっかけ」をつくっていく物語である。
第1章|先生になりたかった少年——目立ちたがりの先にあった教員への道
中島さんは東京都多摩市で育った。父は高校教員、母は小学校教員。両親とも学校の先生だった。
ただ、家庭はいわゆる堅い「先生の家」とは少し違っていた。
「親父は結構自由奔放で、よく旅に出ていました。母親は逆に、地域の行事とかによく顔を出す人で。二人とも先生なんですけど、全然違うタイプだったんですよね」
両親から「こうしなさい」と型にはめられることも少なく、中島さん自身も比較的自由に育てられた。
幼い頃の中島さんは、忘れ物が多く、じっと目立たずに過ごすような子どもではなかった。小学校、中学校と進むにつれ、人の前に出ることや周囲を楽しませることを好むようになる。
中学時代には少しやんちゃな仲間と過ごし、高校ではバンドや芸能活動、イベントにも関わった。
目立ちたい。面白いことをしたい。人がいる場所に行きたい。そんな感覚で動くことが多かった。大学でもイベントサークルに関わり、遊びやギャンブルに時間を使った時期もある。結果として卒業までには二度の留年を経験した。今から振り返れば遠回りにも見えるが、中島さんは当時から、慎重に正解を選んでいくより、興味を持ったものへまず入ってみる人だった。
後に事業を始めてから語る「楽しいことをやりたい。自分だけじゃなく、周りも楽しくしたい」という思いは、学生時代の姿と重なる。当時から中島さんは、人が集まる場へ自分から入っていくタイプだった。
一方で、将来の進路として考えていたのは教員である。中学生の頃から教員を将来の選択肢として考え、両親の仕事を身近で見ながら、大学では教職課程を履修した。実際に教員免許も取得している。
そのまま学校へ進む選択肢もあった。だが、就職を考える時期に一つの違和感を持つ。
「社会を知らないまま先生になって、人に教えるのは違うんじゃないかと思ったんです」
学校で働く前に、自分自身が社会へ出た方がいい。そう考え、中島さんはベンチャーの広告会社を選んだ。
先生になりたかった理由について中島さんはこう語った。
「たぶん、人生のきっかけになれる可能性が一番あるところだから、先生をやりたかったのかもしれないです」
まず動く。そして、時間が経ってから自分がなぜ動いたのかを考える。その生き方は、この先の人生でも繰り返されていく。
第2章|負けたくないから、誰よりも売った——広告営業と最初の起業失敗
広告会社には、入社前からインターンとして入った。同期には高学歴の人も多く、中島さんは「負けたくない」という気持ちを強く持っていたという。
営業では結果が出た。社内でも上位を走り続けた。
「周りは頭のいい人ばかりだったので、そこで負けたくなかったんですよね。だから、とにかく人より働こうと思っていました」
働き方も激しかった。週6日勤務。帰宅は深夜になり、週に1〜2回は会社へ泊まることもあった。その生活を続けながら、営業を約5年間経験した。
中島さんにとっては「売る」ことを徹底的に学ぶ時間になった。後に自分で事業を始めてからも、お客様を集め、提案し、売上をつくる力は何度も中島さんを支えることになる。
「営業では、ずっとトップを取るような感じでした」
華やかな実績の裏で、仕事そのものへの疑問も生まれていた。営業として数字をつくれていても、紙媒体を中心とした広告をこの先も続けていくことに、中島さんは限界を感じ始めていた。
そこで、自らマーケティング部門へ移る。しかし、そこでも会社の方針と自分がやりたいことの間にズレを感じるようになった。
「俺、何しに会社に来てるんだろうって思っていました。自分の能力を使う場所は、ここじゃないなって」
約2年間をそこで過ごしたが、中島さん自身、当時を「くすぶっていた」と表現する。
会社に残り続けても、自分が面白いと思える方向へ進んでいけない。そんな思いが強くなり、中島さんは会社を離れ、友人と一緒に起業する道を選んだ。
最初に始めたのは、コンサルティングを掲げたセミナー事業だった。自分は上手くできると自信があった。しかし、思うように事業は軌道に乗らず、わずか3か月ほどで解散することになった。
「会社員のときは営業で結果も出していたし、自分なら何とかできると思ってたんですよ。でも、実際に自分で商売をやってみると全然違った。全然うまくいかなかったですね」
それでも、中島さんは会社員に戻らなかった。次に稼げる可能性を探し、別のビジネスへと手を伸ばしていく。
2011年、中島さんはせどりを軸に事業を始めた。その後、埼玉県戸田市へ拠点を移し、ネット物販の支援から物流、システム開発、卸売などへ事業を広げていった。仕事が増えるにつれて人も増え、最盛期には最大30人を雇用する規模まで拡大した。
最初の起業では3か月で解散した。それでも、次に始めた事業では、人を雇い、組織をつくり、事業を大きくするところまで進んだ。
しかし、2017年、その事業は大きく崩れる。事業側では約5億円の負債を抱え、中島さん個人にも最終的に約1,500万円の負債が残った。
当時はすでに結婚し、妻と二人の子どもがいた。
事業に失敗したからといって、家族の生活が止まるわけではない。毎月の支払いはやってくる。手元のお金を確認し、次の入金を考え、足りなければ新しい仕事をつくらなければならない。
夜、布団に入ってもお金のことが頭から離れない。
「今月、どうするか」
そんなことを考えながら、眠れない夜もあったという。それでも、支払いは待ってくれない。このときの中島さんには、この苦しさの先に何があるのか、まだ何も見えていなかった。
第3章|1,500万円を返すために——せどり、出張買取、そして片付けの現場へ
事業に失敗したあと、中島さんが返済のためにまず戻ったのが、商品を仕入れて販売するせどりだった。クレジットカードで商品を仕入れ、リサイクルショップなどへ持ち込み、現金に換える。約3か月続けたあと、今度はより上流にある出張買取へ移った。売れるものを探し、現金に変え、次の支払いへ回す。必要なのは、壮大なビジョンよりも今日のキャッシュだった。
さらに転機になったのが、人からの紹介だった。片付け業者のもとへ入り、実際の現場で仕事を学び始めた。そこで中島さんは、これまで取り組んできたせどりや出張買取とは違う、お金の流れに気づく。
片付けは、お客様から依頼を受け、作業そのものに対して代金をいただく。一件ごとの単価も小さくない。そこから処分費や人件費などを差し引いたものが利益として残る。さらに、片付ける家の中には、まだ価値を持っている物がある。
買い取れる物は買い取り、再販できる物は販売することができた。最初に大量の商品を仕入れる必要もない。
「仕入れで先にお金を出す必要がない。片付けをして、売れるものはまた売れる。キャッシュフローが全然違ったんです」
借金を抱え、何よりも資金繰りに苦しんでいた中島さんにとって、この違いは大きかった。そして、ここで会社員時代に培ってきた経験も生き始める。
どうすればお客様から仕事を依頼してもらえるのか。どうやって集客するのか。どうやって仕事として回していくのか。かつて会社の中で身につけたものを、今度は自分が生き残るために使った。
一件が終われば、また次の一件をつくる。借金を返すために飛び込んだ片付けの仕事が、少しずつ事業として形になっていった。
借金を抱えていた頃、何度も「お金があれば」と思ったという。手元に資金がない。一度事業に失敗しているため、信用もない。お金が必要なときに、借りることもできない。
「10年前の自分は、本当にお金がなかった。事業を頑張ろうと思っても、信用がないから借りることもできなかったんですよね」
だから、一件ずつ積み上げた。返して、働いて、また返す。そうして何年もかけて返済を続け、2022年。中島さんは、個人で背負っていた約1,500万円を完済した。
事業に失敗した2017年頃から、およそ5年が経っていた。ずっと背中にあった「返さなければならない」という重圧が、ようやくなくなった。
少しずつ余白が生まれ始めた。
ところが、そこで人生がすべて晴れたわけではなかった。むしろ中島さんにとっては、別の問いが始まっていく。
借金があるときは、理由を考える必要などなかった。返さなければならない。家族を守らなければならない。だから働く。それだけで、走り続ける理由としては十分だった。
「0から1は好きなんです。でも、大変なのも知っているから、面倒くさいなとも思うんですよね」
では、次は何のために走るのか。
借金という明確な敵がいなくなったとき、中島さんは初めて、自分自身でその答えを探すことになる。
第4章|片付けた先に、外へ出るきっかけを——女性のゴミ屋敷と雇用
現在、中島さんが力を入れているテーマの一つが、女性のゴミ屋敷や汚部屋である。
女性に特化した発想の入り口には、マーケティングの視点もあった。限られたWeb集客予算の中で、広く男女を狙うより対象を絞った方がいいと考えた。実際、女性からの依頼も多かった。ゴミ屋敷の片付けで知られる事業者はすでにいる一方、「女性のゴミ屋敷」をはっきり打ち出す事業者はまだ少ない。そこで、女性専用へと対象を絞っていった。
同時に、現場へ入ると、片付けだけで終わらない事情が見えてくる。介護などの仕事で心身をすり減らした人、精神的に追い詰められた人、部屋から外へ出にくくなった人。社会との接点が細くなり、生活を立て直すきっかけを失っている人もいる。
介護の仕事などで精神的にしんどくなり、だんだん外へ出られなくなる。部屋を片付けることも難しくなり、物が溜まっていく。中島さんは、そうした人が「怠けている」のではなく、何かをきっかけに生活が崩れ、自分一人では戻しづらくなっていることがあると話す。現場に入り、部屋を片付けることが、もう一度外へ出て生活を立て直すきっかけになることもあるという。
中島さんは、片付けで関わった人たちが再び外へ出る方法の一つとして、働く場をつくっている。
「うち、ゴミ屋敷だった人たちを3、4人ぐらい雇ってるんですよ。パソコンが使えなくても、片付けの仕事ならできることがある。外に出るきっかけになればいい」
福祉制度の枠組みとは別に、通常の雇用として一緒に働いている。最初から何でもできる人を求めるより、今できる仕事から始め、働ける状態をつくっていく。
ゴミ屋敷の片付けは、お客様の部屋をきれいにする仕事である。同時に中島さんの現場では、その経験を持つ人が次は働く側へ回ることがある。
「使えない、で終わりじゃなくて、使えるようになるんじゃないかなと思うんです。うちがやっている仕事は、最初から難しいことばかりを求めるわけじゃないから」
中島さんは、今後、女性が働ける仕事をさらに増やす可能性にも触れた。サロンのような事業も一案として考えているという。自社で働く人の福利厚生にもなり、働く場所の選択肢も増える。ゴミ屋敷清掃を入口に、複数の事業を持つことも考えている。
「いろんな事業にも手を出さざるを得ないのかなと思っています。雇用をつくること自体が、何かのきっかけになると思うから」
ただ、自分一人が楽しいだけではない。
「自分が楽しいことをやりながら、周りも楽しませたいんですよね」
教員を目指したことも、広告営業も、起業も、片付けも。やってきたことは違っても、中島さんはそのたびに人と関わり、誰かの次の一歩につながる仕事を選んできた。
そして今は、雇用をつくることで、その「きっかけ」をさらに多くの人へ広げようとしている。
第5章|「何で生きているんだろうね」——死の手前から始まった、次の問い
借金は返した。事業も続いている。暮らしにも、以前ほどの不安はない。
では、次は何を追うのか。
中島さんは、大きな趣味はなく、酒もやめ、ブランド品への興味も薄い。片付けの現場で人の死や、その後に残された物を見ることもあり、物そのものへの執着も以前ほど感じないという。
「今、すごく強いモチベーションがあるわけじゃないんですよね。借金を背負っているわけでもないし。何で生きているんだろうって、考えながら深めているのかもしれない」
その感覚を大きく揺らしたのが、倒れた経験だった。一週間ほど意識を失い、目覚めたらICUにいた。健康に気を配っていた自分でも、突然、死の近くまで行く。「人は急に死ぬ」と、身体で知った。
そこから、「何かを残したい」という感覚が強くなった。
残したいものを、立派な思想として決めているわけではない。中島健太という人間が、誰かに関わった痕跡。「あの人がきっかけだった」と一人でも思ってくれるような関わりを、中島さんは「爪痕」と表現する。
「人生が変わるきっかけを与えられれば、それでいいのかなと思います。お金がなくて頑張っている人もいるし、ゴミ屋敷の中で絶望して、視野が狭くなっている人もいる。何かで関わって、その人の視野が広がるきっかけになれたら」
きっかけは、片付けを頼むことかもしれない。外へ出ることかもしれない。働いてみることや、資金を得てもう一度挑戦することかもしれない。
本人が次の一歩を踏み出すための接点は、さまざまな場所に眠っている。
中島さん自身も、片付けの仕事へ進んだのは、人からの紹介があったからだった。資金繰りに追われる中で新しい仕事を知り、その現場へ入ったことで、返済への道がつながった。
誰かとの接点一つで、次に取れる選択肢が増える。その経験を持つからこそ、今度は自分が接点を渡せる側へ回ろうとしている。
お金がない。何とかしたい。けれど、信用がなく、借りることもできない。
中島さん自身が、その場所を通ってきた。
「多分、10年前の俺みたいな人を救いたいんですよ。そういう人に投資できる人になりたい。そこでいっぱい騙されるのかもしれないけど、救えるような人にはなりたいなと思います」
IKIGAIについて尋ねても、最初に出てきたのは、「家族なのかな」「子どもなのかな」「でも、何で頑張るんだろうね」という迷いだった。
答えを急いでつくらない。その姿勢も含めて、現在の中島さんである。
一方で、会社として実現したい未来だけは、はっきりしている。
「ゴミ屋敷などで視野が狭くなってしまった女性を、一人でも多く救っていきたいと思っています。女性が強くなることによって、日本も強くなると思っているんです」
部屋が荒れ、誰にも見せられない状態になるほど、人との関わりを避け、外へ出る気力まで失ってしまうことがある。仕事ができなくなり、恋愛や結婚、家庭を築くことなど、自分がかつて思い描いていた未来まで諦めてしまう人もいる。
失われていくのは、部屋の中の空間だけではない。その人が持っていたはずの、人生の選択肢まで狭くなっていく。
一人の女性が仕事や人とのつながりを取り戻し、自分の人生をもう一度選べるようになる。その積み重ねが、日本を強くしていくと中島さんは考えている。
「今、全国でゴミ屋敷の中に塞ぎ込んでしまっている女性を、一人でも多く救い出したい。それを会社として、本気でやっていきたいと思っています」
会社を大きくすることは、その未来へ近づくための手段になり始めている。
「何で生きているんだろうっていうのは、相変わらずそうなんです。でも、会社として、このビジョンだけは本気でやっていきたいと思っています」
自分が何のために生きているのか。その答えが完成していなくても、進む方向まで見失っているわけではない。
10年後の自分なら、今の自分に何と言うと思うか。
そう尋ねると、中島さんは少し考えて、こう話した。
「10年後に何かしら答えを見つけた自分は、『ほら、だからあの時期があったんだよ』って言っているような気がする」
借金を抱えた10年前の自分には、「諦めるな」と言える。
今の自分に対する答えは、まだ10年先にあるのかもしれない。
中島さんは人と関わり、仕事をつくり、誰かが外へ出るきっかけを増やしていく。立ち止まって答えを完成させてから進む人ではない。進みながら振り返り、振り返りながら次の意味を見つける。
「中島でもできるんだから、きっとあなたもできますよ」
弱さや失敗も見せながら、絡みやすい人でいたい。
一つの部屋が片付き、一人の女性の視野が開く。そこから、その人の人生がもう一度動き始める。
中島さんが残そうとしている爪痕は、誰かが自分の人生を取り戻すための、小さなきっかけから始まっている。
あとがき
中島さんとの対話を終えたあと、私の中に強く残ったのは、「分からない」と言える強さだった。
約1,500万円の借金を背負い、それを返し切った。事業をつくり、家族を守り、今では次の事業や雇用について考えられるところまで来ている。
ここまで歩いてきた人なら、「自分の使命はこれです」「これが自分のIKIGAIです」と、完成された答えを語っても不思議ではない。
でも、中島さんは違った。
「何で頑張ってるんだろうね」
「家族なのかな。子どもなのかな」
そんなふうに、何度も自分自身に問い直していた。
私は、それがめちゃくちゃ人間らしくて、すごく好きだった。
IKIGAI JAPANを通して、これまでたくさんの方に「あなたのIKIGAIは何ですか」と聞いてきた。
だからこそ、最近よく思うことがある。IKIGAIって、必ずしも最初から綺麗な言葉になっているものではない。むしろ、生きている途中では、自分でもよく分からないことの方が多いのかもしれない。
私自身も、なぜここまでIKIGAIというものに惹かれるのか、なぜこれだけ多くの人に会い、その人生を残したいと思うのか。そのすべてを、最初から言葉にできていたわけではない。
動いて、人と出会って、何かを感じて。
後から振り返ったときに、「だから自分はこれをやっていたのか」と気づくことがある。
中島さんも、そんな生き方をしてきた人だった。そして今、その現場で、社会との接点を失いかけた人たちと出会い、「雇用をつくることが、その人の何かのきっかけになるかもしれない」と考えている。
最初から一本の道が見えていたわけではない。
それでも、振り返ってみると、中島さんは何度も「人が動き出すきっかけ」に関わってきた。
答えがないから、まだ探せる。完成していないから、まだ深められる。
分からないまま働いて、迷って、人と出会って、今日できることをやる。その積み重ねの先で、ある日振り返ったときに、自分がずっと大切にしていたものが見えることもある。
あなたは今、自分が何のために頑張っているのか、言葉にできるだろうか。
答えが出ていなくても、人生は止まらない。
今日、自分が面白いと思えることをやってみる。目の前の誰かが一歩踏み出す、小さなきっかけを渡してみる。
もしかすると、その繰り返しの中に、まだ名前のついていないあなたのIKIGAIがあるのかもしれない。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









