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生業の先に、選べる未来を増やす——引き受けた仕事と、その人の一歩を見届ける
大庭平八郎 合同会社High Trevor
英語で選択肢を増やし、その一歩を見届ける経営者
福岡県
大庭平八郎さんのプロフィール
合同会社High Trevorの代表。英国留学と海外勤務、帰国後の英語教育を経験し、社会人への英語指導、企業研修、翻訳、海外進出支援に取り組む。英語の習得を通じて、人生や仕事の選択肢を広げる支援を行っている。
生業の先に、選べる未来を増やす——引き受けた仕事と、その人の一歩を見届ける
あなたは、最後までやり切ることを大切にしてきたからこそ、「逃げる」という決断が怖くなったことがあるだろうか。
仕事へ向かうため家を出ると、涙が止まらなくなった。
しばらく泣き続け、会社に着く頃になると涙が引く。本人は病院で診断を受けていないため、病名は分からない。ただ、自分がかなり追い詰められていることは分かっていた。
その会社は、大庭さん自身も立ち上げに深く関わった英語学校だった。経営者のコミュニティでは何年も、「うちの代表はすごい」「この教え方なら英語は伸びる」と話し続けてきた。辞めれば、これまで自分が信じて語ってきた言葉まで、周囲から嘘だと思われるかもしれない。そんな恐怖があったという。
「このままだと、本当に自分が崩れると思ったんです。逃げることも、一つの選択肢なんだと気づき、退職を決めました」
現在、大庭平八郎さんは合同会社High Trevorの代表として、社会人向けの英語教育、企業研修、翻訳、海外進出支援などに携わっている。High Trevorが掲げるのは、「新しい世界への一歩を踏み出してほしい」という思いだ。英語を身につけることそのものより、その先に増える人生の選択肢を大切にしている。
大庭さんが人生で大切にしている価値観は、「引き受けたら最後までやり切ること」。一方で、人生の中で身につけたもう一つの考えは、「本当に自分が壊れるほど苦しいなら、逃げてもいい」というものだった。一見すると反対に見える二つの言葉。
なぜ大庭さんは今、人に「気づき」と「選択肢」を渡そうとしているのか。
これは、自分が知らなかった道の存在に何度も驚いてきた人が、今度は誰かの世界を広げる側へ回るまでの記録である。
第1章|いい子でいたら、お菓子がもらえる——幼少期から高校まで、優等生と海外への憧れ
大庭さんは福岡で育った。父は鹿児島出身で、厳しい人だったという。母については、自由人気質だったと振り返る。6歳年上の姉もいた。家庭の中で、ルールを守るよう繰り返し教えられた記憶は、あまりない。
父を怒らせないようにしていたことは覚えている。母の自由な振る舞いを見て、自分はしっかりしていようと感じたところも、あったのかもしれない。家族の影響を断定するより先に、大庭さんは、自分が小さい頃から持っていた気持ちを言葉にした。
「しっかりと優等生でいよう。それが両親を安心させる材料なのかなとか」
幼稚園の頃の記憶も残っている。いたずらをする子を見て、今それをしたら先生に怒られるのに、どうしてするのだろうと考えていた。4歳、5歳の自分には、少し冷めたところがあったのかもしれないと話す。

「大人の前でいい子でいたら、お菓子がもらえる、みたいな。それぐらいではありますけど」
小学校では、学級委員などの役割を担うことが自然に増えていった。何を求められているのかを考え、マニュアルがあれば、自分がするべきことを確かめる。
「マニュアルとかルールって、自分の中では当時、正義だったので。小さい頃から、ルールを逸脱している人には、結構厳しく言うタイプではありました」
頼まれたことは最後までやるという姿勢も、振り返れば、この頃からあったという。当時は、価値観として明確な言葉にはなっていなかったが、任されたことをきちんとするのは、優等生であることの一部だった。
そんな子ども時代に、海外への興味も育っていた。最初のきっかけとして思い浮かぶのは、ゲームの『ドラゴンクエストIII』だ。

「お城とか、鎧とか剣とかがあって、すごくかっこいいな、日本とは違う文化に触れてみたいなって」
海外への憧れとともに、英語を学びたいという気持ちも育っていった。「英語を習わせてほしい」と両親に頼んだが、その希望はかなわなかった。英語を学び始めたのは、中学校1年生だった。
「やっと英語の勉強ができる」
待ち望んでいた科目だけに、勉強にも力が入った。英語の成績も良かったと、大庭さんは振り返る。
中学校3年生の夏頃、通っていた塾で、オーストラリアから帰国した生徒と出会う。自分より一つ上の学年で、受験の都合から同じ学年の生徒たちと勉強していた。海外で長く暮らした人が、身近にいる。そのことが、大庭さんには衝撃だった。
自分も海外の高校へ行きたいと言い出した。両親には費用の心配があり、当時は海外の高校への進学を、日本での受験がうまくいかなかった場合の進路として捉えていたようだという。優等生でいたいと思ってきた自分に、その見方は気になった。両親の話を受け、大庭さんは県立高校へ進んだ。
高校2年生のときにも、1年間休学してオーストラリアの高校へ行き、戻ってきた生徒が同じクラスにいた。海外で暮らすことは、身近な誰かが実際に選んでいる道だった。大庭さんは、その人たちと出会いながら、自分も長く海外で生活したいという気持ちを持ち続けていた。
第2章|どうしても、海外で暮らしたい——大学進学と一年間の英国留学
高校を卒業した大庭さんは、大学で英語を学んだ。大学でも勉強を続けながら、海外で長期間暮らす道を考えていた。形になったのは、大学の交換留学だった。
出発は、大学4年生の8月。英国の大学で、現地の学生とともに1年間学ぶ。留学すれば卒業は5年目になり、同級生たちと同じ時期に就職する流れからは外れることになる。両親からも、就職について言われた。
大庭さん自身も、本当に行っていいのか、就職活動をどうするのかと悩んだ。大学院へ進むことも、もともとの選択肢にはあった。先の進路を考えながらも、少なくとも1年は海外で生活したいという思いが強かった。
「もう自分は行く。そこは頑固に言い張って決めちゃいました」
費用の準備も必要だった。生活費などとして約200万円を考え、その半分にあたる100万円近くは、自分で貯めた。残りを大学の奨学金でまかなえればと考えたが、受け取ることはできなかった。
そこで、足りない分は両親や親族に借りた。きちんと返すことを前提に相談し、必要な費用をそろえていく。交換留学のため、海外の大学の学費が追加でかかる形ではなかった。日本の大学の学費は、これまでどおり両親に支えてもらうという話もした。
行きたいと言うだけで終えず、自分で貯めたお金と、家族に借りたお金で、出発できる状態をつくった。卒業や就職の時期も含めて悩んだうえで、大庭さんは留学を選んだ。
英国での暮らしは、居心地が良かった。自分はこのまま一生、海外で暮らすのかもしれないと感じるほどだった。長く思い描いていた場所で生活することに加え、大学での学びにも、大きな楽しさがあった。
日本の大学でも、勉強にはきちんと取り組んでいた。英国では、論文を書くことが特に楽しかったという。知識を深く掘り下げながら学ぶ面白さを、実感した。
「勉強って本当はこうやって知識の深掘りをしてやっていくものなんだなって気づいたときは、すごく楽しかったですね」
大学の勉強を、自分がもっと知りたいことへ向かう時間として経験した。日本で学んでいたときとの違いから、大学の学び方について考えるきっかけにもなった。大庭さんは、留学をすごくいい経験だったと話す。
一方で、現地では、自分が知らなかった留学の方法にも出会った。同じように1年間来ていた日本人の学生が、大学を休学し、奨学金を使って学費や寮費をまかなっていると教えてくれたのだ。
海外へ行くために使える奨学金がある。大庭さんは、その制度を知らなかった。
自分も知っていたら、試験に向けて努力するなど、準備の仕方が変わったかもしれない。費用を貯め、借りて渡航した自分とは違う方法を知り、そんな道もあったのかと思った。
大庭さんは、留学を振り返って、自分で決めたことを実行する力が強くなった気がすると話す。周囲と比べるよりも、これをしようと決めたら行動する。悩んで選んだ留学が楽しかったという経験は、その後も残り続けた。

第3章|自分には、自分の役立ち方がある——卒業後の海外勤務、帰国後の英語教育と出会い
大学を卒業して、大庭さんが最初に就いたのは塾講師の仕事だった。その後、ワーキングホリデーで英国へ渡り、1年間、飲食店で働く。大学で学んだ英語を、仕事の中で使った。
続いて向かったのは、米国フロリダにあるディズニーワールドだった。そこでのレストラン勤務は、1年2か月。学ぶために海外へ行った学生時代から、英語を使って働く時期へと進んでいった。

当時、大庭さんには、英語を仕事で使わなければ、これまで学んできたことを無駄にしてしまうのではないかという思いがあった。進路を選ぶうえでも、その考えは強く残っていた。
「大学も英語学科を卒業しているから、当時はやっぱり、絶対に英語を使った仕事をしなければいけないという考えが強かったとは思います」
海外に関わること自体は、好きだった。英語を人に教えることも、自分が英語で海外の人と交渉することも、その後、実際の仕事になっていく。英語へのこだわりに縛られたところもあったが、大庭さんは、その経験が結果として今の仕事につながっていると振り返る。
日本へ帰国してからは、社会人に英語を教えた。独立するまでに、合計で7年ほど携わったという。その間には、代表となる人と一緒に、英語学校を立ち上げる経験もした。
学校の立ち上げに関わる中で、経営者の集まりへも足を運ぶようになった。そこで学校の良さや代表について話し、人とのつながりをつくっていった。会社員として働いてきた大庭さんが、さまざまな経営者と出会うようになった時期だった。
2015年には、ビジネスの紹介を通じてつながる組織に加入した。幼少期からルールを守ることを大切にしてきた大庭さんは、そこで、それまでの自分の感覚とは異なる光景に出会う。
「ルールはちゃんとしているのに、なんでこの人たちは守っていないんだろう、知ろうとしないんだろうって。でも、一応、組織としては回っている。そこにすごくギャップを感じたことは覚えてます」
年上の経営者にも、決められたことはこうなっていますよねと、繰り返し伝えた。当時の自分について、本人は、強く言っていたと振り返る。それまで、会社のルールや上司の指示を守る人たちに囲まれていた分、違うあり方に接した衝撃は大きかった。
出会った経営者たちは、事業を営み、社会の中で役割を果たしていた。理念を持って社会に貢献し、仕事として収入も得ている。自分が見てきた世界が、すべてではなかったのだと感じた。
「なんなんだろう、今までの生き方なんだったんだろうとかって思うことはありましたよ」
ルールを守る人だけが、仕事で力を発揮しているという見方では、目の前の経営者たちを説明できなかった。ルールは何のためにあるのか。そのことまで考えなければ、自分の判断も揺らぐ。大庭さんは、そうした場面を経験した。
相手の自由な振る舞いには、そういう生き方もあると考えるようになった。いろいろな人がいる中で、ルールを理解し、きちんと運用する人にも、役割があると思うようになった。
「今まで培われたこの性格でもっての役立ち方があるから、それを生かしていこうっていう」
自分がしてきたことを、別の人にも一律に求める。その先に、自分の性格を生かして、その場にどう貢献できるかという見方が生まれた。ルールを大切にする姿勢を持ったまま、ほかの経営者のあり方も知っていく。
英語を教え、学校のために人と会い、経営者のいる場で学ぶ。その日々の中で、大庭さんには、学校を自分のこととして捉える気持ちも強くあった。やがて、学校の運営に関わる負担が、大庭さん自身に重くのしかかっていく。
第4章|自分のことを大切にしなきゃ——前職での葛藤・退職・独立
英語学校では、指導のほか、経理の仕事にも携わっていた。お金の動きを入力する中で、金融機関から借りた資金が減っていく様子が見えた。学校の運営が、この先どうなるのか。大庭さんは、不安を強めていった。
人を雇うことや、外部のコンサルタントに費用をかけることについても、当時の経営状態の中で本当に必要なのかと感じていた。一緒に立ち上げた学校だからこそ、自分のこととして受け止める。代表以上に気持ちが追い詰められていたのではないかと、大庭さんは振り返る。
辞めたいと思っても、すぐには離れられなかった。経営者の集まりでは、3、4年にわたって、学校や代表の良さを伝えてきた。そこで仕事につながる関係も築いていた。自分が辞めることで、それまで話してきたことまで否定してしまうように感じたという。
良い学校だと伝えたのなら、そこで働いて、もっと広めればいい。任されたことを最後までやるなら、ここで続けるべきなのかもしれない。そう考えながらも、心身のしんどさは増していった。
心はボロボロだった。
家を出た瞬間から、涙が止まらなくなった。会社に着くまで泣き続け、入る頃に涙が引く。大庭さんは、その頃を、かなり気持ちが弱っていた時期だったと話す。
この苦しい時期に受け始めたのが、理念マネジメント研修だった。代表は、大庭さんの一つ前の期で受講していた。研修で学びながら、自分が本当にしたいことと、今いる会社でしていることが一致しているのかを、考えるようになる。
代表から共有された学びと、自分が研修で受け取った内容に、違いを感じることもあった。一緒に働き続けていいのだろうかという疑問も出てきた。その中で、自分が何を大切にしているのかを、あらためて振り返った。
高校進学の際に、海外へ行くための情報をもっと集めていたら、別の道を選べたかもしれない。大学で出会った学生のように、奨学金を使う方法を知っていたら、留学の準備も変わったかもしれない。過去の出来事が、自分の判断の仕方を考える材料になった。
選んできた人生について、後悔しているという話ではなかった。今の選択で幸せだと感じている。同時に、ほかの道を選んでいても、幸せだったかもしれないと思う。そもそも選べる道を知らなかったことが、大庭さんの中に残っていた。
「周りの人に選択肢を与えられる人になりたい、気づきを与えられるような人になりたい」
研修で自分と向き合う中で、その思いが強くなった。人に何かを伝える姿勢についても、考え直した。それまでは、自分の言いたいことを、言いたいタイミングで話していただけだったと気づいたという。
相手に何かを言うとき、その人と長く関わっていきたいのかを考えるようになった。気づいてほしいことを伝えたなら、その後も見届けたい。現在の大庭さんが大切にする、人への関わり方を言葉にしていった時期でもある。
学校を辞める最後のきっかけは、外部のコンサルタントの言葉だった。学校のために頑張っているつもりなのに、失望したと言われた。なぜ、そのように言われなければならないのか。大庭さんは、その言葉が最終的に響いたと話す。
周囲にどう思われてもいい。このまま続けていたら、自分が崩れてしまう。
そして退職を決断した。
独立した時のことを、大庭さんは、大きな計画を語るより先に、前職から逃げるためだったと説明する。それほど落ち込んでいたからこそ、自分のことを大切にしなければと感じた。離れるという選択もあるのだと、自分の経験を通して気づいた。
「本当に自分がしんどいんなら、逃げるっていうのは一つの選択肢です」
引き受けたことをやり切ろうとする気持ちは、大庭さんの中に残っている。そのうえで、自分が崩れるほどになったときには、続ける必要があるのかを考えていい。頑張ってみても難しいことがあると知った経験は、今、同じように苦しむ人に伝えられることの一つになっている。

第5章|みんな、すごい人になってほしい——独立後の仕事と、現在から描く未来
独立後、大庭さんは、英語を教える仕事を続け、自分の事業を育ててきた。2021年には『世界を広げる英語リーディング』を出版した。母の70歳の誕生日に合わせた出版だった。そして、2022年4月には、High Trevorを法人化した。
現在は、社会人への英語指導に加え、海外進出を考える企業への支援にも取り組んでいる。外国人講師や英文チェックを担う人たちの力を借りながら、仕事を進めている。英語を習得すれば、その人がこれから選べることは増える。そのための指導には、本気で取り組みたいと話す。
一方で、これまで十分にできていなかったと感じていることもある。英語が使えるようになったら、何をしたいのか。どんなことができるのか。学ぶ人の未来を、一緒に描くところだ。
大庭さんの指導経験では、目標が明確な人は、そこへ向けて勉強に取り組み、習得も進みやすいと感じている。
「相手のビジョンを膨らませるような感じで、相手に寄り添いながら、向かいたい方向へ一緒に進められたらなとは思ってます」
海外進出を考える企業についても、進出した先で、どのような状況を実現したいのかを一緒に描ける人でありたい。英語そのものを教える仕事と、その英語を使って実現したいことを考える仕事。その両方に取り組もうとしている。
「やり切る」という言葉の意味も、最近、あらためて考えている。以前は、相手が求めるところまで自分にはできない気がすると、依頼を断っていた。
経営者たちと話す中で、それでも大庭さんにお願いしたいから依頼しているのではないかと、助言を受けた。その言葉に、なるほどと思った。依頼を受けるかどうかを、自分だけで判断していたことにも気づいた。
「今までは相手に確認せず、自分で勝手に考えて、『これできない気がする、やめとこ』みたいに断っていました。たぶん、自分の理想と相手の理想の基準が違ったりするんでしょうね」
これからは、不安があるなら、その気持ちをきちんと伝えたうえで引き受ける方法も考えている。どこまでできるのか、何を期待されているのかをすり合わせる。取引先と、やり切る範囲について共通の認識を持つことが必要だと感じている。
「僕、理想が高いんだと思います。完璧主義者なところも若干あるので」
そう言って、自分の基準も見直す。仕事を続け、人と話しながら、引き受け方を考え直している。自分の理想を相手に確かめるところから、次の仕事への向き合い方を変えていこうとしている。
今後は、海外へ進出したい企業や、英語研修を必要とする企業との接点を増やしたい。すでに付き合いのある人から思い出してもらい、声をかけられることはあるが、困っている人たちと新たに出会うための導線は、まだ弱いと感じている。
全く知らない人から申し込みが来て話すことには、少し怖さもあるという。紹介なら安心して聞けるという、自分の性格も分かっている。その怖さを自分の中の課題として捉えながら、新しいお客様に届く方法を考えている。
この先の会社の姿は、まだ細部まで決まっていない。5年後くらいまでには、少人数でも社員を迎え、一緒に目標を達成して喜べる人を増やしたい。好きな海外へ、仕事で一緒に出かけ、働いたあとには観光もする。そうした楽しい働き方を、形にしたいと話す。
IKIGAIについて尋ねると、大庭さんは、少し言葉を探した。
「自分も含めてですけど、周りの大切な人たちが、常に幸せである状態でいてほしいなと思います」
大切な人とは、どんな人なのか。
「自分のことに好意を持って関わってくれる人って、僕、もう誰でも好きになっちゃうんで。みんな幸せになるべき人だ、みたいなことは、まず思ってます」
その人たちに、どうなってほしいのか。言葉を探すうちに、大庭さんの願う姿が、少しずつ具体的になっていった。
「みんな、すごい人になってほしい。すごい人の定義もまた違うと思うんですけど、何かあったときに物事を解決できる。解決できる提案もできる。人生って、少し大変なこともないと楽しくない気もしてるから。
大変なことがあったときに、乗り越えられる人になっていてほしいし、それをほかの人に助言できるような人でもあってほしい。『なんであの人って、こういうことができるんだろう』って、すごいなと思ってもらえる人になってほしいんです。
それを達成していくごとに、心からの笑顔があふれるようになってほしいから」
大庭さん自身も、そうした人になりたいと話す。大切な人たちの幸せを願いながら、つらいことや困難もある人生を、どう歩んでいくかを考えている。
「時につらいことがあっても、それは仕方がない。それまで完璧に除外すると、ちょっと世界が違う気がするから。そんなきれいごとは言わないです。ただ、本当に自分にとって大切な人たちが、みんなすごい人になってほしい」
英語を身につけ、選べる道を増やす。その人が向かいたい未来を一緒に描き、歩みを見届ける。
大庭さんは、その仕事を通して、大切な人たちができることを増やしていこうとしている。

あとがき
大庭さんの話を聞いて、私は、強みと弱みは表裏一体なのだと感じた。自分が大切にしてきたものが、人の役に立つ力にも、自分を苦しめるものにもなり得る。
大庭さんには、正しいと思うことにまっすぐ向き合い、引き受けたことを最後までやり切ろうとする強さがある。その思いが、周囲にも同じ姿勢を求める厳しさや、自分を追い詰めるほどの責任感につながった時期もあった。
経営者たちとの出会いの中で、大庭さんは、自分とは違う生き方を知った。そして、自由に動く人たちがいる場で、ルールを理解し、守れる自分にも役立ち方があると考えるようになった。
その話から、自分の強みをどう扱うかまで考える必要があるのだと感じた。
正しさも、責任感も、誠実さも、大切にしたい。だからこそ、それを相手にも同じ形で求めていないか、立ち止まって確かめたい。
大切にしている基準と、相手が大切にしている基準は、いつも重なるとは限らない。
自分を認めるというのは、強みと弱みの両方を受け入れること。自分が担える役割を知り、人の力を借りたいところも知る。
得意なことも苦手なことも、どちらも認めたうえで、周囲にどのような価値を提供できるか考え、行動する。大庭さんとの対話から、私はそんな姿勢を受け取った。
あなたの強みは何だろうか。そして、その強さと背中合わせにある弱さは何だろうか。
自分を認め、人の力も認め合える関係の中に、
IKIGAIのある社会は少しずつ根づいていくのかもしれない。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









