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生かされた命で、人を元気にする——水と歌で“生きててよかった”を届ける女性経営者の物語
アール・シー・アイ株式会社 松藤嘉美
水と歌で、生きる力を手渡す人
福岡県福岡市
生かされた命で、人を元気にする——水と歌で“生きててよかった”を届ける女性経営者の物語
「あなた、死ぬわよ」
18歳の松藤嘉美さんは、病室のベッドの上でその言葉を聞いた。
五島列島での交通事故。
頭蓋骨骨折、脳内出血、全身打撲。意識不明の重体だった。
一度は長崎大学病院への転院も断られた。
当時の手術では、命は助かっても、感情や理性や感性を司る大切な部分まで失われていた可能性があった。
そのとき、たった一人の医師が判断した。
手術をせずに、寝かせよう。
脳が血を吸収するかもしれない。
その判断で、松藤さんは三ヶ月後に目を覚ました。
だが、戻ってきた世界は優しいだけではなかった。
頭も身体も、死ぬほど痛い。
それでも、松藤さんには諦められない夢があった。
スチュワーデスになりたい。
病室に試験対策の本を持ち込み、目だけでも動かして勉強しようとした。
その姿を見た看護師が言った。
「あなた、死ぬわよ」
上空に上がれば、気圧の変化で脳に負担がかかる。
痙攣、引きつけ、呼吸不全を起こすかもしれない。
だから、あなたはスチュワーデスにはなれない。
夢を追おうとした瞬間、夢そのものを奪われるような言葉だった。
それでも松藤さんは、諦めきれなかった。
命を救ってくれた山口先生に、懇願するように聞いた。
「先生、私はスチュワーデスになれないんですか。なっちゃいけないんですか」
先生は、きょとんとした顔で松藤さんを見た。
「あなた、なりたいんでしょ?」
松藤さんは答えた。
「なりたいです」
すると先生は、あっさりと言った。
「だったら、なったらいいじゃない」
その一言が、松藤嘉美さんの人生をもう一度動かした。
後に松藤さんは、本当にスチュワーデスになる。
そして今、アール・シー・アイ株式会社 代表取締役として、イアソー化粧品の販売や浄活水システムを届けながら、昭和歌謡のライブ活動、レイキヒーリングまで通して、人を元気にする活動を続けている。
松藤さんが届けているのは、
一度終わりかけた命を、人の生命力を立ち上げるために使う生き方である。
「自分が生きててよかったと思えること。そして、あなたと会えてよかったと思ってもらえることです」
これは、一度死の淵から戻った女性が、
生かされた命を誰かの元気のために使い続ける物語である。
第1章|病院で生きた父と、走り続けた母——命のそばで育った少女
松藤さんの人生には、幼い頃から「命」の意味を考えることが身近にあった。
父は三菱重工業で船に関わる仕事をしていた。
働きながら学び、自分の腕で道を切り拓いてきた人だった。
そんな父が、松藤さんに繰り返し伝えていたことがある。
「女の子でも、腕に職をつけなさい」
それは、ただ資格を取りなさいという意味ではなかった。
誰かに頼らず、自分の足で立てる人になりなさい。
どんな時代でも、自分の腕で生きていける人になりなさい。
父は、娘にそう伝えていた。
松藤さんが4歳の頃、父は34歳で胃がんになった。
胃の全摘出手術を受けたものの、当時の医学は今ほど進んでいなかった。
命はつながった。
だが、その後の父の身体は少しずつ悪くなっていった。
入院する。
退院する。
また具合が悪くなる。
また病院へ戻る。
その繰り返しだった。
父の入退院は、およそ100回にも及んだという。
松藤さんは、人生の多くを病院で過ごす父の姿を見て育った。
父の入退院は、松藤さんにとって特別な出来事ではなく、日常の一部だった。
命や身体のことを、幼い頃から遠い話として見られなかった。
そして、父のそばには母がいた。
母は、中学校の家庭科の先生だった。
朝、家族のご飯を作り、弁当を準備する。
それから学校へ向かい、先生として働く。
仕事が終わると、そのまま父の病院へ向かった。
今のように交通が便利な時代ではない。
何度も乗り換えながら、遠い病院まで通う。
父の看病をして、また家に帰る。
それを、ずっと続けていた。
「母には感謝しています」
松藤さんは、そう言った。
その一言の中には、子どもの頃に見てきた母の背中が詰まっている。
疲れていたはずだ。
苦しかったはずだ。
先の見えない不安もあったはずだ。
それでも母は、日々を止めなかった。
家族を支え、仕事を続け、父のもとへ通い続けた。
松藤さんは、父から「自分の腕で生きること」を受け取った。
母からは「誰かのために動き続けること」を見た。
そして、両親の姿からもう一つの感覚を学んだ。
「起きたことをくよくよ悩んでいても、現実は変わらない」
父が病気になったこと。
母が苦労したこと。
家族の形が、思い描いたようにはならなかったこと。
それらは、簡単に受け入れられるものではなかったはずだ。
けれど、そこで立ち止まっていても、現実は変わらない。
起きたことは、起きたこととして受け止める。
そのうえで、自分らしく生きていく。
自分の腕で立ち、誰かの役に立てる力を持つ。
松藤さんの芯には、幼い頃からその教えが流れていた。
第2章|「歌くらいですかね」——挫折の先で見つけた、人を元気にする力
松藤さんには、幼い頃から夢があった。
歌手になりたい。
それは、有名になりたいという憧れだけではなかった。
人が笑ってくれることが嬉しかった。
自分の声や表現で、誰かの表情が明るくなることが好きだった。
高校1年生の頃、松藤さんはオーケストラ部に入った。
担当はバイオリンだった。
バイオリンは想像以上に難しかった。
練習しても、なかなかうまくならない。
夕方に音を出すと、ギー、ギーと心まで削られるような音がする。
先輩は一生懸命に練習に付き合ってくれた。
その優しさがあったからこそ、松藤さんはある日、これ以上迷惑をかけられないと感じた。
父に、辞めると伝えた。
父は、頭ごなしに否定しなかった。
無理に続けなさいとも言わなかった。
「だったら、何か好きな楽器を自分で見つけたらいいよ」
そう言って、楽器屋へ連れて行ってくれた。
その店の壁に、バンドメンバー募集の貼り紙があった。
松藤さんは、少しピアノができた。
キーボード募集のところに電話をした。
「キーボードをしたいです」
そこから、松藤さんのバンド人生が始まった。
最初から順調だったわけではない。
松藤さんは譜面を見るのが面倒で、耳で聴いた音をそのまま弾いていた。
絶対音感があり、耳で拾った音を手で再現できた。
当時は、今みたいにモニターで自分の音が返ってくる環境ではなかった。
音はアンプから出しっぱなし。
自分が何を弾いているのか、自分でもよく分からないままライブを終えた。
あとでカセットテープの録音を聴いたとき、松藤さんは愕然とする。
「全部、私のキーボード音がぶっぱずれていたんです」
バンドマスターから言われた。
「他に何かできる?」
そう聞かれて、松藤さんは答えた。
「歌くらいですかね」
その一言から、ボーカルとしての道が始まった。
バイオリンではなく、キーボードでもなく、最後に残ったのは歌だった。
歌うことは、松藤さんにとって、人がニコニコしてくれる時間をつくることだった。
その場が明るくなること。
誰かの心が、少しでも元気になること。
そこに、歌う意味があった。
歌手になる夢を追いかけた松藤さんは、日本テレビの「スター誕生」にも挑戦した。
全国大会まで勝ち抜いた。
本気だった。
ステージに立ち、自分の声で人を喜ばせたい。
歌で誰かの心を動かしたい。
小さい頃から抱いてきた夢に、手が届きそうなところまで進んだ。
レコード会社は、どこも手を挙げなかった。
歌手としてデビューする道は、一度途切れた。
それでも、歌そのものは松藤さんの中から消えなかった。
歌には、人を元気にする力がある。
その感覚だけは、松藤さんの中にずっとあった。
松藤さんにとって歌は、人に「生きててよかった」と思ってもらうための、最初の武器だった。
第3章|「だったら、なったらいいじゃない」——死の淵で諦めなかった夢
松藤さんには、歌手とは別に、もう一つ追いかけていた夢があった。
スチュワーデスになりたい。
母は、松藤さんに先生になってほしいと思っていた。
小学校の先生が難しいなら、幼稚園や保育園の先生の資格だけでも取ってほしい。
その思いもあり、松藤さんは純心女子短期大学の保育科へ進む。
実習に行くと、すぐに分かった。
「この仕事は、子どもたちに全力で向き合わないとできない仕事だと思いました。生半可な気持ちでは一切できない。もう全力投球だと、思い知らされたんです」
保育園や幼稚園にいる時間だけではない。
持ち帰りの仕事もある。
準備もある。
子どもたち一人ひとりに、本気で向き合う仕事だった。
松藤さんは、保育の仕事を軽く見たわけではない。
むしろ、やればやるほど、その仕事の重さが分かった。
だからこそ、自分の本音もはっきりしていった。
「この仕事は、100%心から“この仕事じゃないとだめだ”と思う人じゃないと無理だと思いました」
その時、スチュワーデスになりたい気持ちは、さらに強くなっていく。
就職資料の棚で、松藤さんは「スチュワーデスへの道」「スチュワーデスの合格体験記」「スチュワーデスの傾向と対策」といった本を見つけた。
手に取って読んだ。
「当時のスチュワーデスは、頭脳明晰、容姿端麗の人しかなれないと思っていたんです。でも合格体験記に載っている写真を見たら、普通の人だったんです」
そこで、松藤さんの心に火がつく。
「普通の人でもなってるじゃん。こんな私でも可能性あるじゃん」
そこからは早かった。
時給380円のコンビニのアルバイトでお金を貯め、スチュワーデス専門学校の通信教育に申し込んだ。
ようやく、自分の夢に向かって動き出した。
その矢先、五島列島で交通事故に遭う。
命が終わっていてもおかしくない事故だった。
長崎大学病院への転院は断られた。
運ばれた病院でも、できることは限られていた。
周りの医師たちは、手術を考えていたという。
その時、山口先生だけが違った判断をした。
「彼女はまだ若い、彼女が持っている生命力にかけよう!!」
その判断で、松藤さんは三ヶ月後に目を覚ます。
目を覚ましたとき、頭も身体も、言葉にならないほど痛かった。
それでも、夢は消えていなかった。
松藤さんは、病室に試験対策の本を持ち込んだ。
身体は思うように動かない。
それでも、目だけでも動かして勉強しようとした。
その姿を見た看護師が言った。
「あなた、何してるの」
松藤さんは答えた。
「試験を受けないといけないから、勉強です」
返ってきた言葉は、あまりにも厳しかった。
「あなた、死ぬわよ」
上空に上がれば、気圧の変化で脳に負担がかかる。
痙攣、引きつけ、呼吸不全を起こすかもしれない。
周りの人にも迷惑がかかる。
だから、あなたはスチュワーデスにはなれない。
その言葉を聞いた瞬間、松藤さんは「ガーン」となった。
命は戻った。
でも、夢は許されないのか。
生きているのに、生きがいを失うような瞬間だった。
それでも、松藤さんは諦めきれなかった。
自分の命を救ってくれた山口先生に聞いた。
「先生、私はスチュワーデスになれないんですか。なっちゃいけないんですか」
松藤さんの中には、切実な思いがあった。
ようやく見つけた夢だった。
自分でお金を貯め、通信教育を始め、これから挑戦しようとしていた夢だった。
山口先生は、きょとんとした顔で言った。
「あなた、なりたいんでしょ?」
松藤さんは答えた。
「なりたいです。なりたいです」
すると先生は、あっさりと言った。
「だったら、なったらいいじゃない」
その言葉は、医師としての冷たい許可ではなかった。
一人の人間の夢を、夢のまま終わらせない言葉だった。
松藤さんは、さらに確認した。
「今度、師長さんが同じように怒ったら、山口先生が勉強していいって言いましたって言っていいですか」
先生は答えた。
「おお、いいよ」
その瞬間、松藤さんの中で何かが戻った。
夢を追っていい。
諦めなくていい。
まだ、自分の人生は終わっていない。
それから松藤さんは、勉強を続けた。
試験を受け、合格する。
そして、本当にスチュワーデスになった。
事故で死んでいてもおかしくなかった。
手術をされていたら、今の自分ではなかったかもしれない。
看護師の言葉で諦めていたら、空を飛ぶ夢はそこで終わっていた。
でも、松藤さんは諦めなかった。
そして、山口先生はその夢を止めなかった。
「あなた、なりたいんでしょ?」
この一言が、松藤嘉美さんの人生をもう一度動かした。
松藤さんは、後にこう振り返る。
「山口先生が一人で手術を止めてくれたから、私の今があるんです。手術しなくてよかったからです」
命を救われた。
夢も救われた。
その体験は、松藤さんの中に深く残った。
誰かの一言で、人はもう一度立ち上がれる。
その事実が、後の松藤さんの「人を元気にしたい」という願いにつながっていく。
第4章|「この商品じゃなくて、人です」——導かれるように選んだ、水と美容の道
スチュワーデスとして空を飛ぶ日々は、松藤さんにとって、幼い頃からの夢が形になった時間だった。
死の淵から戻り、周囲に止められながらも掴んだ夢。
自分で選び、自分で追いかけ、ようやくたどり着いた場所だった。
その松藤さんが、次の人生へ進むことになる。
きっかけは、現在の仕事につながる一人の開発者との出会いだった。
家中の水を、地下1000メートル級の岩盤から湧き出るような水にする装置。
そして、その水から作った化粧品。
松藤さんが惹かれたのは、商品そのものだけではなかった。
「この商品だけじゃなくて、人です」
その言葉には、松藤さんの人生の選び方が表れている。
この人の生き方に惹かれる。
この人が見ている未来に心が動く。
この人のそばで学びたい。
松藤さんは、そうやって人生の方向を決めてきた。
その開発者は、佐賀県武雄市の温泉旅館に生まれ、幼い頃から良い水に触れて育った人だった。
福岡で暮らした時、水道水に違和感を持ち、家中の水を良い水に変える装置を作ろうとした。
毎日の暮らしの中にある水が、身体や肌や感覚にどれほど影響するのか。
その人は、自分の体験から本気で考えていた。
松藤さんは、まだ開発中だったその装置に触れながら、商品以上のものを感じていた。
この人は、自分が感じた違和感を、そのままにしない人だ。
必要だと思ったら、自分で作る人だ。
誰かの暮らしを良くするために、本気で動く人だ。
そこに惹かれた。
その人がよく話していた言葉も、松藤さんの中に残っている。
「人生は一度きりだから、ワクワクして生きないと損だよ」
「ぼーっとしていたら、あっという間に人生は終わってしまう」
その言葉で心が動いた。
父の病気を見てきた。
自分自身も死にかけた。
命が当たり前ではないことを、身体で知っていた。
だからこそ、「人生は一度きり」という言葉は、松藤さんの中に深く入った。
ついていこう。
そう思った。
松藤さんは、その化粧品と浄活水システムを、カウンセリングという形で届けるようになる。
一人ひとりと向き合いながら、商品の説明だけではなく、その人の悩みや状態を聞いていった。
最初から信じてくれる人ばかりではなかった。
半信半疑の人もいる。
本当に変わるのかと不安に思う人もいる。
いろいろ試してきたからこそ、簡単には信じられない人もいる。
それでも松藤さんは、向き合い続けた。
自分が良いと思ったものを、必要としている人に届けたい。
やがて、お客様は5000人ほどになっていく。
その頃、開発者から言われた。
独立宣言をしなさい。
松藤さんは、最初から独立したかったわけではない。
その人の下にいたかった。
一番弟子のままでいたかった。
「独立したくないです」
それが本音だった。
それでも、開発者は松藤さんを旅立たせようとした。
経営は教えていくから。
その言葉に背中を押され、1999年、松藤さんは独立する。
アール・シー・アイ株式会社として、自分の足で歩き始めた。
松藤さんは、人が元気を取り戻すきっかけを届ける人になった。
「この商品じゃなくて、人です」
そう言って惹かれた人から受け取った火を、今度は自分の手で渡していく。
その覚悟から、松藤さんの経営は始まった。
第5章|「売りたいんじゃなくて、伝えたい」——必要な人へ、元気になる入口を届ける
松藤さんの今の活動は、形だけ見ると一つに見えない。
肌に触れ、水を伝え、歌い、手をかざす。
けれど、その根っこにある願いは一つだった。
人を元気にすること。
それだけだ。
松藤さんは、商品を売りたいわけではない。
水のすごさを押しつけたいわけでもない。
自分の活動を大きく見せたいわけでもない。
本当に必要としている人に、届いてほしい。
その思いがある。
「必要じゃない人のところにいくら言っても、はいはいとなるんです。でも、そういう人はきっといっぱいいるはずなんですよ。そういう人のところに、この声を、売りたいとかじゃなくて、伝えたいんです」
売ることと、伝えることは違う。
売ることは、相手を動かそうとすることかもしれない。
伝えることは、相手の中にある苦しさに届こうとすることだ。
肌で悩んでいる人。
体の不調を、仕方ないと諦めている人。
毎日の水が、暮らしや身体に影響していることを知らない人。
何を変えればいいのか分からず、ひとりで抱えている人。
松藤さんは、そういう人に届けたい。
「この水を変えるだけで、いろんなものがいい方向に動き出すんです」
その言葉は、商品説明ではない。
これまで向き合ってきた人たちの変化を見てきた人の実感だった。
肌が変わる。
表情が変わる。
自信が戻る。
人と会うことが少し怖くなくなる。
暮らしの中に、小さな明るさが戻る。
松藤さんが見ているのは、そこだ。
水も、化粧品も、歌も、レイキも、入口でしかない。
本当に届けたいのは、その先にある元気である。
だから歌も続けている。
松藤さんは、ライブで知らない曲を歌わない。
来てくれた人が、一緒に楽しめる曲を歌う。
懐かしい曲を聴いて、昔の自分を思い出す。
笑ったり、少し泣きそうになったり、あの頃の感情が戻ってくる。
人は、自分の人生を思い出したとき、もう一度元気になれることがある。
松藤さんは、それを知っている。
そして、これから作っていきたいのは、もっと多くの人が元気になる入口だ。
必要としている人に、必要なものが届く流れ。
水の大切さに気づくきっかけ。
肌や身体の悩みを諦めなくていいと思える場所。
歌を通して、心がふっと軽くなる時間。
松藤さんは、その入口を増やしていこうとしている。
一度、命が終わりかけた。
夢も奪われかけた。
でも、誰かの判断と、誰かの言葉に救われた。
だから今度は、自分が誰かの力になりたい。
松藤さんにとってのIKIGAIを聞くと、答えはまっすぐだった。
「IKIGAIは、人に喜んでもらうことです」
そこに、すべてが詰まっている。
誰かが元気になる。
表情が明るくなる。
自信を取り戻す。
「ありがとう」と言ってくれる。
その瞬間、松藤さんの命もまた、喜びで満たされる。
そして松藤さんは、笑いながらこう言った。
「誰かにすごく嬉しくなってもらうと、焼酎が飲みたくなるんです」
美しい理念だけではない。
人間らしい喜びがある。
誰かが喜んでくれた。
嬉しい。
今日は焼酎が飲みたい。
その温度の中に、松藤嘉美さんのIKIGAIがある。
生かされた命を、誰かの元気のために使う。
松藤さんは、これからも伝え続ける。
売るためではなく、必要な人に届くために。
そして、誰かがもう一度「生きててよかった」と思える日のために。

あとがき
松藤嘉美さんの話を聞きながら、私は何度も「信じる」ということについて考えていた。
人を信じること。
自分を信じること。
そして、信じた先にある未来へ踏み出すこと。
それは、簡単なようで簡単ではない。
信じるには、覚悟がいる。
見極めもいる。
傷つく可能性もある。
間違える怖さもある。
それでも人生には、理屈ではなく、心が先に動く瞬間がある。
この人だったら大丈夫。
この言葉なら信じてみたい。
この道なら、進んでみたい。
松藤さんの人生には、そんな瞬間が何度もあった。
山口先生の言葉を信じた。
「あなた、なりたいんでしょ?」
「だったら、なったらいいじゃない」
その一言を信じたから、松藤さんはもう一度夢に向かえた。
開発者との出会いもそうだった。
「この商品じゃなくて、人です」
松藤さんは、商品だけを見て選んだのではない。
条件だけで判断したのでもない。
その人の生き方を見て、この人についていこうと決めた。
そこには直感があった。
そして、その直感を信じる覚悟があった。
父から受け取った「自分の腕で生きる」という教え。
母の背中から見た「誰かのために動き続ける力」。
歌で人が元気になること。
水が暮らしを変えること。
そして、自分がまだ生きている意味。
松藤さんは、それらを一つひとつ信じながら歩いてきた。
一度、命が終わりかけた人だからこそ、松藤さんは知っている。
生きていることは、当たり前ではない。
夢を追えることも、当たり前ではない。
人と出会い、誰かを元気にできることも、決して当たり前ではない。
だからこそ、松藤さんは人を元気にしようとしている。
水で。
化粧品で。
歌で。
レイキで。
そして、松藤さん自身の明るさで。
その根っこにあるのは、目の前の人がもう一度元気になる可能性を信じることだった。
人は、誰かを信じることで人生が動くことがある。
同時に、自分を信じることでしか開かない扉もある。
松藤さんは、その両方を生きてきた。
「私はなりたい」
「この人についていきたい」
「人に喜んでもらいたい」
その一つひとつの選択が、松藤さんの今を作っている。
あなたは、自分の直感を信じられているだろうか。
この人なら大丈夫だと思える出会いを、大切にできているだろうか。
そして何より、自分の中にある「本当はこう生きたい」という声を、信じられているだろうか。
信じることは、怖い。
でも、信じなければ始まらない人生がある。
松藤嘉美さんは、死の淵から戻った命を、誰かを元気にするために使っている。
誰かを信じる。
自分を信じる。
目の前の人が元気になる可能性を信じる。
その覚悟を持った時、人の命は、誰かの光になる。
松藤さんの物語は、私にそう教えてくれた。
あなたは、誰を元気にしたいだろうか。
あなたは、誰に「会えてよかった」と思ってもらいたいだろうか。
あなたは、この命を何に使いたいだろうか。
その問いの先に、きっとあなたのIKIGAIがある。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師


