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心の奥にある希望を、見失わない——父との別れから、日本と世界をつなぐ挑戦へ
ブロック飛朗 株式会社アドバンス
人の希望を信じ、日本と世界をつなぐ経営伴走者
大阪府大阪市
心の奥にある希望を、見失わない——父との別れから、日本と世界をつなぐ挑戦へ
あなたは、大切な人の中に、自分には理解しきれない弱さを見つけたとき、その人を信じ続けられるだろうか。
「僕が人生で一番大事にしている価値観は、心の奥にある希望を見失わないことです」
この言葉を語ったのは、株式会社アドバンスでCOOを務めるブロック飛朗さんである。経営戦略や営業戦略、コンサルティング、採用、パートナー連携までを横断して担い、企業が成長し続けるための仕組みづくりを行っている。
その言葉が強くなったのは、高校2年生のときだった。
ある日、父が自ら命を絶った。
父は、幼い頃の家庭環境から愛着の形成に難しさを抱え、大人になってからも感情や行動をうまく制御できないことがあったという。高校1年生の頃には、父の問題行動が事件となり、家族の暮らしも大きく揺れた。
一方で、ブロックさんは父から惜しみない愛情を受けて育った。教育熱心で、子どもを一人の人間として尊重し、家族を深く愛していた父の姿を知っている。だから、父が起こした出来事だけで、父という人のすべてを決めることはしなかった。
「父のいいところも、僕はたくさん知っています。今でも尊敬しています」
人には、善い面もあれば、弱さもある。表に現れた一つの行動だけで、その人の存在すべてを決めることはできない。父との時間を抱えたまま、ブロックさんは人を信じる道を選んだ。
その後、大学で言語学と異文化コミュニケーションを学び、音楽事業を立ち上げ、フランスへ留学した。日本を外から見つめ、電子部品・半導体の専門商社で経験を積み、今は同じ志を持つ仲間と「日本経済の復興——JAPAN as No.1 againの実現」を掲げている。
これは、人の見えている部分だけで判断せず、弱さも魅力も含めて、その人の奥にある希望を見ようとしてきた一人の少年の物語である。そして、人を信じるために何が必要なのか、誰かの命に希望を灯すとはどういうことなのかを、語りかけてくれる記録である。
第1章|「父のいいところも、僕は知っている」——愛情に満ちた家庭と、突然の別れ
ブロックさんは、アメリカ人の父と日本人の母のもと、滋賀県で育った。
幼い頃を振り返るとき、最初に出てくるのは「幸せだった」という記憶である。家には父と母がいて、自分は二人から愛されている。その感覚を疑うことはなかった。
父は教育に熱心な人だった。子育てに関する本を数多く読み、英会話を教える仕事にも携わりながら、息子の学びに深く関わった。大人が決めた答えを一方的に渡すより、なぜそう考えるのかを問い、一緒に話すことを大切にしていたという。
ブロックさんによれば、父と母は自分をただの子どもとして扱わず、一人の人間として話をした。家族を一つのチームとして捉え、その中に息子も加えていたという。年齢が低いからといって意見を軽く扱わず、家族の中で起きていることを可能な範囲で伝え、考える機会を与えた。ブロックさんは幼い頃から、子どもの視点だけでなく、家族全体を見ようとする習慣を身につけていった。
父には、少年の好奇心を広げる力もあった。異なる文化や言葉に触れることが日常にあり、分からないことがあれば調べ、互いの考えを言葉にする。ブロックさんが後に言語や異文化へ強く惹かれていく前から、家庭には「自分とは違うものを知る」時間があった。
母が息子へ繰り返し伝えたのは、「人を見下さない」ということだった。勉強ができるか、仕事ができるか、立場が上か下か。そうした基準で人の価値を決めるような言葉を、母は厳しく戒めた。
「母は、人を見下すことだけは本当に許さなかったです。どんな人にも、その人の事情や良さがあるということを教えてくれました」
その姿勢は、家庭の中でも変わらなかった。
父はアメリカで育つ中、身近な大人のアルコール依存や虐待にさらされ、安心して人と結びつく土台を十分につくれなかったという。後に母から聞いた言葉が「愛着障害」だった。家族を愛したい気持ちはあっても、感情が大きく揺れたときに自分を制御できず、社会生活の中で問題を起こすこともあった。
母は、父のそうした背景を知ったうえで家族として向き合い続けた。起きたことの責任を受け止めながら、弱さだけで父を切り捨てることはしなかった。ブロックさんは、そんな母を「本当に天使みたいな人です」と表現する。
父を支える母の姿を見ながら、ブロックさんは育った。父には難しい部分があった一方、自分は父から愛情をたくさん受け取り、尊敬しているところも多いと語る。父を美化することも、起きた問題をなかったことにすることもない。善いところも、弱いところも、同じ一人の中にある。その見方は、家庭で交わされた会話と、母が見せた姿から少しずつ身についていった。
幼い頃から続けていたものの一つが音楽だった。小学校では合唱に打ち込み、仲間と声を重ねた。中学・高校では短距離を中心に陸上競技へ取り組み、個人の記録と向き合いながら、地道に身体を鍛えた。音楽と陸上は形こそ違うが、自分の役割を果たすこと、一つのことを続けることを覚えた時間だった。
高校1年生の頃、父の問題行動が事件となった。
家族の外にも影響が及び、家庭だけでは抱えきれない現実が目の前に現れた。ブロックさんは、父が起こしたことの重さを受け止めた。同時に、父の善い面と、自分が受け取ってきた愛情も知っていた。
「父のいいところも知っているから、母と一緒に支えようと思いました。家族の問題だから、家族で向き合おうと」
家族を一つのチームとして見る。その教えを、今度は自分が実行する番になった。高校生のブロックさんは、母と並び、父の問題から目を背けずに過ごした。
翌年、高校2年生のとき、父が自ら命を絶った。
ブロックさんは、すぐには泣かなかった。母の方が深く傷ついている。自分まで崩れれば、母を支える人がいなくなる。そう考え、約1週間「心を消す」ように感情を抑えたという。
「最初の1週間ぐらいは、心を消していました。僕より母の方が絶対に辛いと思っていたので。自分がしっかりしないと、という感覚でした」
やがて、抑えていたものがあふれた。家族を愛しながら、自分の中の苦しさを抱えきれなかった父。その弱さと儚さを思ったとき、涙が止まらなくなった。
父が亡くなったあと、陸上へ向き合う意味も変わった。自分が結果を出せば、母が少しでも喜んでくれる。母を支えるためにできることとして、短距離の練習へ力を注いだ。
苦しさを比べれば、母の方が辛い。だから自分は動く。ブロックさんは自分の悲しみよりも、母を少しでも喜ばせることを優先した。陸上を続けながら、少しずつ日常へ戻っていった。
父の死によって、父から受けた愛情まで消えたわけではなかった。父の問題によって、父の善い面が嘘になったわけでもない。ブロックさんの中には、簡単に割り切れない両方が残った。
「心の奥にある希望を見失わないことです。自分に対してもそうですし、他人に対しても、その人の中にある希望を見失わないことを大事にしています」
人は、目に見える行動だけでは分からない。絶望の中にいるように見える人にも、奥には希望が残っているかもしれない。高校時代の経験を経て、ブロックさんは自分が生きる意味、人が生きる意味を問いながら、大学へ進んだ。
第2章|言葉の奥に、その人の世界がある——大学で出会った異文化とアカペラ事業
高校卒業後の進路を考えたとき、ブロックさんは、大学で何を学ぶかを自分なりに考えた。
経済や経営にも関心はあった。しかし、そうした知識の多くは、就職後の研修や実際の仕事を通しても学べる。大学では、社会に出てから触れる機会の少ない分野を、学問として深く学びたい。そう考えて選んだのが、言語学と異文化コミュニケーションだった。
アメリカ人の父と日本人の母のもとで育ったブロックさんにとって、異なる文化や価値観は幼い頃から身近にあった。同じ出来事を見ても、育った国や家庭、使ってきた言葉によって、受け取り方は変わる。人によって異なる前提や、言葉の奥にある考え方を知ることに、純粋な面白さを感じていた。
「世界中の人と話して、その人たちがどんな価値観を持っているのかを知りたいんです。自分と違うことが、すごく面白いんですよね」
人を理解するには、見えている言動の奥にある環境や文化、過去まで見にいく必要がある。ブロックさんは、言葉と文化を学びながら、人が世界をどう捉えるのかへ関心を広げていった。
大学生活でもう一つ、ブロックさんが打ち込んだのが音楽だった。
小学生の頃から合唱団で歌い続けてきたブロックさんは、大学ではアカペラサークルに入った。楽器を使わず、人の声だけで一つの曲をつくるアカペラ。主旋律、低音、リズム、和音と、それぞれが自分の役割を果たし、互いの声を重ねることで一つの音楽が生まれていく。
ブロックさんがアカペラへ打ち込む中で、特に力を入れたのが、口や喉を使って打楽器の音を表現するボイスパーカッションだった。
アカペラでは、主旋律やコーラス、ベース、リズムなど、それぞれに役割がある。歌の経験が浅くても、何か一つの能力を認めてもらえれば、チームに必要な存在として声をかけてもらいやすくなる。
「すべてが得意じゃなくても、一つの能力を認めてもらえたら、チームに入りやすくなるんです」
当時は、ボイスパーカッションを体系的に学べる教材や、初心者へ教えるサービスがほとんどなかった。そこでブロックさんは、自分が身につけてきた音の出し方や練習方法を整理し、学びたい人へ教える活動を始めた。
当時のTwitter、現在のXで練習方法やボイスパーカッションの魅力を発信しながら、参加者を集める。興味を持ってくれた学生へオンラインで指導し、一人ひとりの課題に合わせて内容を改善していった。
「ちゃんとゼロから一を経験するために、一度、自分で起業してみようと思ったんです」
まだ世の中になかったものをサービスとして形にし、自分の言葉で発信する。必要としている人を集め、価値を届け、その対価を受け取る。ブロックさんにとって、それは音楽活動の延長であると同時に、初めて自分の手で事業を動かす経験でもあった。
しかし、発信が広がるにつれて、批判や誹謗中傷も増えていった。
「そのレベルで人に教えて、お金をもらうのか」
知らない人から長文のメッセージが届き、投稿を拡散されることもあった。自分への批判が、所属しているサークルや周囲の仲間にまで迷惑をかけるかもしれない。次第にSNSを開くことさえ怖くなり、ブロックさんは最終的に事業をやめ、Facebook以外のアカウントもすべて削除した。
「しばらくは、SNS恐怖症のようになっていました。もうここで終わりにして、就職へ切り替えようと思ったんです」
自ら生み出した事業を、最後まで思い描いた形にすることはできなかった。それでも、まだ存在しなかった価値を形にし、発信し、誰かへ届けるところまでを経験した。その挑戦と痛みの両方を抱えながら、ブロックさんは次の道へ進んでいった。

第3章|「やるだけやって、無理なら仕方ない」——フランスで知った余白と、日本の強さ
大学生活を続ける中で、自分の知っている世界の外へ出たいという思いも強くなった。大学3年生のとき、ブロックさんはフランスへ留学する。
そこで学んだのは、知識よりも、人が失敗とどう付き合うかだった。
日本にいた頃のブロックさんには、自分を追い込む癖があった。できるまでやる。うまくいかなければ、自分の努力が足りないと考える。ところが、現地の学生たちの姿勢は大きく違っていた。
「やるだけ全力でやって、無理だったら仕方ないよね、という手離れの良さがあるんです。優秀な学生でも、できなかったことを誰も責めないし、本人も必要以上に落ち込まない。それがすごく素敵でした」
一緒に英語の授業を受けていた、学年でも特に優秀な学生がいた。何事も完璧に仕上げる性格だったが、ある日、宿題をせずに授業へ来た。理由を聞くと、前夜は家族と食事へ行き、取り組む時間がなかったという。
授業中、彼女は宿題の箇所を当てられた。準備はしていない。その場で考え、先生は答えがまとまるまで待った。発表を終えると、授業は何事もなかったように進んだ。宿題をしなかったことを責める人はいなかった。
学校の事務窓口には、担当者が一人しかいなかった。長い列ができていても、その担当者は休憩時間になると煙草を吸いに行く。初めは「適当だ」と感じたが、一人で全員を相手にしている以上、休んでいる間は待ってもらう。それも一つの働き方だと分かった。
本人なりに力を尽くす。できる範囲を終えたら、自分の生活へ戻る。失敗した人を「失敗した人」として見続けない。フランスの日常には、自分と他人を追い詰めすぎない余白があった。
もう一つの発見は、日本の良さだった。
海外へ出る前は、日本の足りないところがよく目についた。外から日本を見て、再び戻ると、暮らしを支える仕組みや、日常の基準の高さに気づいた。国民の生活を支える制度があり、日本語で国内だけでも大きな経済が成り立っている。
「ヨーロッパの小さな先進国が、すごくキラキラして見えていたんです。でも、日本は人口も多くて、日本でしか使われていない日本語だけで、かなり経済が成り立っている。意外と日本って強かったんだ、と思いました」
フランスの「失敗した人を責め続けない感覚」と、日本の高い基準。その両方を知ったことで、どちらかを理想化する見方から離れた。それぞれの国には、長い時間をかけて形づくられた強みと課題がある。異文化を学ぶことは、自国を否定することでも、相手を持ち上げることでもなかった。
帰国後、起業を続けるか、就職へ切り替えるかを考える時期が来た。
周囲には学生起業家も多かったが、ブロックさんの目には、事業をつくることよりも「起業家としてどう見られるか」を大切にしているような人が多いように映った。「この界隈に居続けたら、自分の中の大事なものまで壊れそうだ」と感じたという。よく見せるために言葉を飾る姿勢は、ブロックさんが大切にしてきたものと合わなかった。
起業は、ゼロから一を経験するために始めたものでもあった。十分に学んだとは言い切れない。やり切れなかった感覚も残った。その未完成さを抱えながら、ブロックさんは就職活動へ進んだ。
当時好きだったのは、パソコンを組み立てることだった。電子部品一つひとつを見るだけで気持ちが高ぶるほどで、進路をエレクトロニクス商社に絞り、売上規模の大きい会社から順に受けた。
もう一つ、譲れない条件があった。ブロックさんは一人っ子で、父を亡くしたあと、母を滋賀に一人残すことが気になっていた。少なくとも社会人の最初は実家から通いたい。最初の配属先を選べる電子部品・半導体の専門商社へ入社した。
第4章|居心地の良さに、甘えたくなかった——商社での成長と、代表との出会い
入社したのは、約80年の歴史を持ち、国内外に多くの拠点を構える企業だった。取引先の基盤は厚く、経営も安定している。ブロックさんは後になって、「外へ出てから、改めて本当に良い会社だったと分かりました」と振り返る。
最初の1、2年は失敗も多かった。指示された範囲だけを守るより、新しい提案や拡販へ動いた分、うまくいかない回数も増えた。失敗したときには周囲へ説明し、次の方法を考え、また試した。
京都の大手メーカーを担当し、新規拡販のプロジェクトにも関わった。社内のプレゼンテーション大会では、約600人の中から選ばれ、準優勝を経験した。3年目には社内での信頼も高まり、仕事は進めやすくなっていた。
「1、2年目は結構やらかしたんですけど、3年目には社内で信頼を勝ち得て、すごく居心地が良くなっていました」
仕事は楽しい。プライベートも充実している。母の近くで暮らせる。続ける理由はいくつもあった。
一方、学生時代に起業し、途中で離れたことが心に残っていた。ゼロから始めたものを最後までやり切れなかった感覚である。安定した環境が心地よくなるほど、「このままでいいのか」という問いも大きくなった。
会社への不満が理由ではなかった。良い環境だからこそ、自分で期限を決めなければ、いつまでも動けないと思った。3年目のある時期、ブロックさんは退職の意思を伝えた。口にしたのは、「一度、海外に出て、自分を試してみます」という言葉だった。
その頃、ビジネス目的ではないカジュアルな交流会で、同い年の品川瑞樹さんと出会った。
品川さんは個人事業から法人へ進み、これから会社を大きくしようとしていた。話していくと、目指している未来だけでなく、何を正しいと思うか、誰のために事業をするかという思いが重なった。
「価値観とか、正義感とか、持っているロマンが一致したんです。だったら、この人と一緒にやりたいなと思いました」
自分でもう一度起業する選択肢もあった。けれど、当時のブロックさんには具体的な事業案がなかった。そして、一人で事業をしていた頃に感じた孤独も覚えていた。
うまくいっても、一緒に喜ぶ人がいない。誰かへ話せば、自慢のように聞こえてしまう。うまくいかないときに相談しても、同じ状況を分かち合える人がいない。次に挑戦するなら、誰かとやりたかった。
ブロックさんは、品川さんが立ち上げた株式会社アドバンスへ草創期から参画した。自分のアイデアを一人で証明する道より、志を共有できる相手と会社を育てる道を選んだ。

第5章|「人の命に、希望の火を灯す」——日本の課題を、世界の可能性へ変える
株式会社アドバンスへ参画してから、2年余り。ブロックさんはCOOとして、会社の現場を横断している。
目の前の役割は、会社を一つの企業として強くすることだ。案件を増やし、売上をつくる。同時に採用を進め、人を育て、仕事の進め方をマニュアルへ落とし込み、個人の力に頼りすぎない組織へ整えていく。経営戦略、営業戦略、コンサルティング、採用、パートナーとの連携までを担い、ナンバー2として代表の構想を現場で動かしている。
「直近のミッションは、現場統括としてしっかり機能して、ちゃんと一つの企業にしていくことです」
現在の中心事業は、BtoB企業への営業支援と経営コンサルティングである。企業ごとに異なる課題を整理し、商品やサービスの設計、営業の仕組み、実行体制まで一緒に組み立てる。助言を渡して終わるより、経営者が実行を続けられるところまで伴走することを大切にしている。
その先に掲げているのが、「日本経済の復興——JAPAN as No.1 again」である。
ブロックさんは、フランスから戻ったとき、日本の中にある強さを知った。品川さんもまた、海外で日本を外から見た経験を通して、日本の経済や情報が海外へ流れていることに危機感を持った。関わるほどに、二人が実現したい未来は重なっていった。
「僕のやりたいことと代表のやりたいこと、ひいては会社としてやりたいことが、かなり一致しているんです」
中長期で目指すのは、日本と海外の間に事業の橋を架けることだ。日本企業が海外へ進むための支援を行い、海外の企業や人材が日本へ入るための接点もつくる。さらに、日本が先に直面している少子高齢化や労働人口減少などの課題に対して生まれた解決策を、これから同じ課題に直面する国へ届けていく。
国内で解決した事例を海外へ運び、現地の課題を事業として解決する。その価値が日本へ戻り、次の挑戦を生む。日本の良さを語るだけで終えず、世界で機能する仕組みとして示すことを目指している。
会社の成長と、自分の成長。会社のビジョンと、自分が実現したい未来。その距離がほとんどないことを、ブロックさんは幸せだと語る。同時に、仕事と自分を簡単に切り離せない難しさも感じている。
ではブロックさんのIKIGAIは何か。
「人の命に、何か希望の火を灯すことですね」
その方法として、大切にしているのが「励まし」である。
誰かの人生を代わりに変えることはできない。最後は、その人自身が気づき、自分で動く必要がある。周囲の人にできるのは、考えるためのヒントを渡し、励まし、必要な時間を隣で歩くところまでだと考えている。
「人に対してできることは、結局、励ますところまでだと思うんです。その人が良くなったり、変わったりするには、最後は本人が行動しないといけない。だから、ヒントを与えたり、励ましたり、伴走したりすることを大事にしています」
ブロックさん自身も、多くの人から励まされてきた。
父を亡くした高校時代。学生起業で批判を受け、SNSを閉じた時期。安定した会社を離れ、もう一度挑戦することを決めたとき。先輩たちは、簡単な言葉だけを渡したのではなかった。本人の表現を借りれば、「骨身を削る思いで」励まし続けてくれた。
「本当に骨身を削る思いで励ましてきてもらいました。そこに、すごく愛を感じたんです。温かかった。僕は励まされるのも好きですし、人を励ますのも好きなんだと思います」
自分が受け取ったものを、次の人へ渡す。相手の行動を奪わず、その人が自分で立ち上がる力を信じる。人の表面だけを見て可能性を閉じず、心の奥に残る希望を見つめる。
世界へ出れば、日本の弱さも見える。日本へ戻れば、この国が積み重ねてきた強さも分かる。フランスの余白と、日本の高い基準。その両方を知ったからこそ、どちらかを否定するより、それぞれの良さを次の仕組みに変えようとしている。
一人の人の中にも、一つの国の中にも、見えているものだけでは測れない可能性がある。
その希望を見失わず、励まし、本人が動き出すまで隣を歩く。ブロック飛朗さんにとってのIKIGAIは、そうして人の命に小さな火が灯る瞬間にある。

あとがき
愛は、つながる。
受け取った人の中で形を変えながら、また次の誰かへとつながっていく。
人には、良いところも悪いところもある。強さもあれば、弱さもある。そのすべてが同じ人の中に存在している。それが、人間なのだ。
ブロックさんは、人生を通してそのことを知っていった。
愛情を注いでくれたお父様。そのお父様の弱さも含めて支え続けたお母様。そして、ブロックさんの可能性を信じ、励ましてくれた周囲の人たち。
たくさんの愛を受け取ってきたからこそ、人の表面だけではなく、その奥にある善さや希望を見つめられるのだと感じた。そして、その愛を感じ取る感性もまた、ご家族から受けてきた教育の中で育てられたものなのだろう。
私は、ブロックさんと話し始めて間もなく、その人柄に強く惹きつけられた。
なぜなのか、その場ではうまく説明できなかった。
ただ、対話を振り返ったとき、その理由が少し分かった。言葉から、表情から、ご家族や仲間について語る眼差しから、愛が伝わってきたのだ。
もちろん、愛だけで仕事や事業が成り立つわけではない。技術も、収益も、責任も必要になる。
それでも、その根に愛があるかどうかで、仕事が誰のために存在するのかは大きく変わる。
受け取ってきた愛を土台に仕事をつくり、事業を通して次の誰かへ渡していく。それは、人や社会をより良い方向へ進める原動力になる。
そして、自分が受け取ってきた愛と、これから命を使いたい仕事がつながった瞬間、人は想像を超える力を生み出せるのだと、ブロックさんの姿から感じた。
ブロックさんの人生は、私たちに問いかけてくれる。
あなたは、人を信じているだろうか。
相手の良い面だけではなく、弱さや未熟さも含めて、一人の人間として本気で信じているだろうか。
そして、あなたがこれまで受け取ってきた愛を、これから誰へ手渡していくのだろうか。
愛は、受け取ったところで終わらない。
人を信じる言葉となり、誰かを支える行動となり、やがて仕事や事業となって、次の命へつながっていく。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









