何者かになりたかった、その先へ——受けた恩を力に、運送業界の誇りをつくる

何者かになりたかった、その先へ——受けた恩を力に、運送業界の誇りをつくる

村松真次 行政書士事務所リンクス

受けた恩を力に、運送業界の誇りをつくる行政書士

大阪府大阪市

村松真次 行政書士事務所リンクスさんのプロフィール

村松真次 行政書士事務所リンクス
受けた恩を力に、運送業界の誇りをつくる行政書士
大阪府大阪市

何者かになりたかった、その先へ——受けた恩を力に、運送業界の誇りをつくる

あなたは、自分が「何者でもない」と感じたことがあるだろうか。

周りの人間は前へ進んでいく。高校を卒業した友人には役職がつき、大学へ進んだ友人は社会人になっていく。かつて同じ場所にいたはずの人たちが、それぞれの人生を築いていく。

「自分は何をしているのだろう」

二十代前半の頃、村松真次さんはそんな感覚の中にいた。飲食業で働き、目の前の仕事はきちんとこなしていた。楽しい瞬間もあった。それでも、人生そのものを前に進めている感覚がなかった。

村松さんは、その頃のことをこう表現した。

「胸に風が吹いているような、空しさがあったんです」

何者かになりたい。けれど、本気で勝負するところまでは踏み込めない。自分にはもっと何かできる気がする。それなのに、時間だけが過ぎていく。

現在、村松さんは行政書士事務所リンクスを営み、運送業界を中心に企業を支援している。独立から約8年が経ち、9年目を迎えた。

だが、村松さんの歩みを辿ると、最初から明確な志を持って行政書士を目指していたわけではなかったことが分かる。音楽の世界を目指しながら勝負し切れなかった時期がある。フリーターとして働き、自分だけが取り残されているように感じた時間がある。

「みんなが笑顔になっているのを、後ろから『しめしめ』と楽しめたら最高ですね」

何者かになりたいと願った青年は、どのようにして、誰かが輝く仕組みをつくる人へ歩み始めたのか。

これは、勝負できなかった自分も、受け取った愛も、独立の痛みも抱えながら、自分の力を社会へ使おうとしている一人の男の記録である。

第1章|「自分にも役割がある」——内側の世界で生きた少年が見つけた居場所

村松さんは愛知県で生まれ、小学校へ上がる頃に大阪へ移った。幼い頃は静かで、人見知りだったという。知らない人が家へ来れば、カーテンの陰へ隠れる。大勢で騒ぐより、一人で過ごす時間を好んだ。

村松真次さんの活動の様子

夢中になった遊びの一つが、段ボールを使って家の中に自分だけの家をつくることだった。漫画を読み、一人で空想し、頭の中に世界を広げていく。

「自分の世界をつくるのが好きだったんです。一人でアイデアを出したり、いろんな空想をしたりしていました」

人と関わることが嫌いだったわけではない。友達と遊ぶことも、チームスポーツも楽しんだ。

だが、大勢でつるみ続けることには、どこか居心地の悪さがあった。

周囲の空気にも敏感だった。誰かの表情や声の調子を見ながら、「今、怒っているのかな」「もう帰りたいのかな」と察することが多かったという。何気なく言われた一言が、自分だけには深く刺さることもあった。

その感受性は、他者へ向くこともあった。幼い頃、友達が吐いてしまったことがある。周囲の子どもたちが距離を取る中、村松さんは「大丈夫?」と声をかけ、背中をさすった。

「誰かが悲しんでいるのを見るのが、すごくつらかったんです」

自分が一番になることにも、強い興味はなかった。目立てば、人から見られる。見られれば、その視線まで感じてしまう。二番手、三番手にいながら、自分の役割を果たす方が心地よかった。

そんな村松さんに、一つの役割を教えてくれたのが、中学時代のラグビーだった。

村松真次さんの活動の様子

仲の良い友人がいたことや、まだ経験したことがない競技だったことから、ラグビー部に入った。

ところが、思春期の成長が周囲より遅かった村松さんにとって、ラグビーの体格差は大きかった。身体の大きな選手に押され、足の速さでも差をつけられる。次第に気持ちは腐り始めた。

負けず嫌いなのに、苦しくなると理由をつけて手放してしまう。その癖を、村松さん自身も感じていた。

そこで顧問の先生から言われたのが、「リンクプレイヤーになれ」という言葉だった。

ラグビーには、大きな選手だけが必要なわけではない。ボールを運ぶ人がいる。誰かと誰かをつなぐ人がいる。それぞれ違う役割を持つから、一つのチームになる。

「自分にも役割がある。それなら頑張れるかもしれないと思いました」

自分は一番大きくなくてもいい。一番速くなくてもいい。誰かと誰かをつなぐ役割なら、自分にもできる。

その言葉があったから、中学時代のラグビーを続けられたと村松さんは振り返る。

後に立ち上げる行政書士事務所の名前は「リンクス」。

少年時代に教えられた「つなぐ」という言葉は、年月を経て再び村松さんの仕事の中へ現れることになる。

第2章|「勝負すらできていなかった」——音楽を夢見て、自分から逃げ続けた時間

高校へ進む頃、村松さんは音楽に惹かれていた。
高校では周囲にもバンドを始める友人たちが増えていった。

自分も音楽をやりたい。そんな気持ちはあった。

だが、人間関係に悩んでいた時期でもあった。友達はいる。学校生活がすべて苦しかったわけでもない。一方で、誰とどう関わればいいのか分からなかった。

「表向きはみんなと楽しくしていたんです。でも、自分だけはどこか心を開けていないというか。人の顔色を見ながら、どう関わればいいのかずっと悩んでいました」

高校3年生の時、友人たちのバンドが大会に出場した。村松さんは出演する側ではなく、身の回りを手伝う側にいた。そのバンドは優勝する。

仲間たちが喜び合う姿を見たあと、村松さんは一人で帰った。

「羨ましいなと思いました。僕はお客様として見ているだけだったので」

高校を卒業後、村松さんは音楽の専門学校へ進んだ。
しかし、この経験を村松さんは、社会に出てからほとんど人に話してこなかったという。
「音楽の専門学校に行っていたことって、社会に出てから知り合った人には基本的に話してないんですよ。僕の中では、ずっと黒歴史みたいになっていて」
専門学校では、音楽を仕事にしようとする人たちが集まっている。高校までとは環境が違った。プロダクションから声がかかる人もいる。練習生として所属する道を選ぶ人もいる。音楽だけでなく、芝居やタレント活動など、表現の世界へ本気で進もうとする人がいた。

村松さんにも声がかかる機会はあった。それでも、踏み込まなかった。

「やるんだ、勝負するんだって言いながら、結局できてなかったんです。何が何でもやるっていう泥臭さがなかった。最大限努力したかと言われたら、していなかった。怖かったんだと思います」

学校へは通い続け、練習もした。人とのつながりもあった。それでも、自分のすべてを懸けて勝負するところまでは踏み込めなかった。

卒業アルバムの集合写真にも写らなかった。

「挫折と言えば挫折なんですけど、打ちひしがれるほど努力してないんですよ。勝負すらできていなかった自分に、がっかりしたというか」

卒業後、フリーターとして飲食業などで働いた。仕事をすれば、そこには楽しさもあった。人の表情を読むこと。どうすれば喜んでもらえるのかを考えること。
しかし、自分の人生そのものについては、動けていなかったことを自分だけは知っていた。

高校卒業後に就職した友人には役職がつく。専門学校の仲間には、ライブを続け、CDを出し、メディアへ出る人も現れる。自分だけが、その場に残っているように感じた。

「自分はチャレンジしないのに、このまま終わっていくんだと思っていました。焦りもあったし、空しかったし、くすぶっていました」

「何者でもないし、何かになろうという根性もない。でも時間だけは過ぎていく。自分を諦められなかったから、余計につらかったんだと思います」

そんな日々を動かす出来事が、起こる。

第3章|「俺がお前に愛を注ぐ」——自分より自分を信じた師匠との出会い

当時働いていた飲食店には、村松さんより年上の料理人がいた。その人は機嫌によって周囲への接し方が変わることがあり、村松さん自身も強い言葉を向けられた。

ある時、村松さんが「それは違うんじゃないですか」と意見すると、上から押さえつけるように言われた。その瞬間、強い悔しさが残った。

「このままだったら、僕はずっとこういう立場なのかもしれない。自分一人で生きていける力を身につけなきゃいけないと思ったんです。この悔しさは忘れないでおこうと思いました」

23、24歳頃だった。何かを変えなければいけない。一人でも生きていける力が欲しい。そこで村松さんが考えたのが資格だった。

本人は、当時の動機を「すけべ心」と表現する。

士業の「先生」と呼ばれる立場になれば、周囲に少し追いつけるのではないか。学歴がなくても受験できる。そして、飲食業で培ってきた人との接し方も、士業の世界なら自分の特徴になるかもしれない。

そこで行政書士という資格を知った。勉強を始め、同時に実務の現場も探した。

ハローワークで見つけたのが、ある個人の行政書士事務所だった。

そこで出会った代表が、後に村松さんが「師匠」と呼ぶ人だった。

その師匠自身も、別の業界から行政書士資格を取り、修業させてもらった経験があったという。だから、資格を取ったばかりの人や未経験者を事務所へ迎え、仕事を経験させることがあった。

師匠は村松さんに、自分が行政書士という資格に助けられたからこそ、この業界へ恩返しをしたいのだと話していた。
そんな師匠から、村松さんはその後の生き方に深く残る言葉を受け取る。
「お前は実力の3割しか出していない」

村松さんには、その言葉の意味が分からなかった。自分では頑張っている。これが自分の100%だと思っていた。しかし師匠には、まだ出していない力があるように見えていた。

「もっと出せるエンジンを積んでいるんだから、全力を出せ」

何度もそう言われた。
師匠はその後も村松さんに期待を寄せ、厳しさの中に愛情を込めて向き合い続けてくれたという。

しかし、村松さん自身はその期待を素直に受け取れない時もあった。
「師匠は僕を買いかぶっている。僕の化けの皮が剥がれたら、違ったと思うんじゃないかと思っていました」

自分より、師匠の方が自分を信じている。そんな関係だった。

そして、ある時、さらに強い言葉をかけられる。家庭環境なども含め、村松さんが人との関係にどこか距離を置いていることを、師匠は感じ取っていた。

「お前の器には、まだ愛が満たされていない。ないものは、人に注げない。だから俺がお前に愛を注ぐ」

村松さんは、その言葉を今も覚えている。叱られる。期待される。信じてもらう。そして、本気で向き合ってもらう。

「僕にとっては、業界の父親というか。師匠であり、愛を教えてくれた親のような存在ですね」

その事務所で働きながら、村松さんは行政書士試験へ挑戦し、三度目の試験で合格する。仕事の責任も増え、やがて他のスタッフを見る立場にもなった。

仕事を任されるようになった一方で、村松さんは、事務所の外でも自分の力が通用するのかを確かめたくなっていた。

その問いが、やがて師匠の傘を出る決断へつながっていく。

第4章|「一度、自分で勝負したい」——師匠の傘を離れて知った、外の世界

師匠は村松さんに、将来について何度も声をかけていた。

事務所を継いでいく道。一緒に会社をつくり、さらに事業を広げていく道。師匠にとって村松さんは、その先を託したい人だった。

だが、村松さんの中には別の気持ちがあった。

「今できている仕事は、この事務所という傘の下だからできているんじゃないかと思ったんです。一回、自分でチャレンジしたかった」

事務所を継ぐという選択肢もある。だが、その前に一度、自分一人でお客様から選ばれる経験をしたかった。
師匠から共同で会社をつくる話を持ちかけられた時、村松さんは決断する。
一度、自分でやらなければ覚悟を持って答えられない。そう伝えた。

そこから話は一気に進んだ。

「じゃあ、いつ辞めるんだ」

3年後では長すぎる。村松さんは、1年後に退職すると決めた。

そこから退職までの一年間、師弟関係はぎくしゃくした。師匠が描いていた未来と、一度は外の世界で自分を試してみたい村松さんの思いが、重ならなかった。

互いに思いがありながら、腹を割って話せない時間が続いた。

村松さんは、担当していたお客様へ独立を告げて回ることもしなかった。師匠の事務所で出会ったお客様を、自分のものにするような形にはしたくなかった。

退職後、村松さんには十分な仕事がなかった。
そして、独立した身でありながら、再び師匠のもとを訪ねた。

当時は余裕がなく、細部は曖昧だと村松さんは振り返る。自分から頭を下げ、「仕事をさせてください」と頼んだという。

師匠は、その願いを受け入れた。

約一年、外注という形で仕事を任せてもらいながら、自分の事務所の仕事を少しずつ増やしていった。

独立したからといって、師弟関係がすぐ元通りになったわけではない。人づてに、師匠が自分へ厳しい言葉を口にしていると聞くこともあった。周囲から「もう関係を切ればいいのでは」と言われることもあった。

それでも、村松さんの中では答えが決まっていた。

「僕の中では親なんですよ。何を言われても、最初に拾ってもらったことや、教えてもらったことは変わらない」

自分の事務所の仕事を少しずつ増やしていく中で、村松さんは自分で営業するようになった。師匠の傘の外で出会ったのは、自分の会社の利益だけでなく、社会や業界を良くしようと動く人たちだった。

駆け出しの自分へ仕事を紹介してくれる。食事をごちそうしてくれる。力になろうとしてくれる。最初は、その理由が分からなかったという。

「なんでこの人たちは、僕にこんなことをしてくれるんだろうと思っていました」

その人たちは、見返りを求めていなかった。村松さんが誰かに同じことを返せばいい。そう言ってくれる人もいた。

「人は誰かに応援されているから、誰かを応援できるんだと思うようになりました。僕も本当に困っている人を助けたい、力になりたいと思えるようになったんです」

こうした出会いを通じて、村松さんは、身につけた専門性を自分のためだけに使うことを問い直すようになった。

いま、その力をどう使うかについて、村松さんが大切にしている言葉がある。

「自分の能力を私物化してはならない」

仕事を紹介してもらい、力になろうとしてもらった自分が、今度は専門性で誰かを支える。外へ出て受け取った応援が、仕事に向かう姿勢を変えていった。

第5章|「その力を、何のために使うのか」——師匠から受け継いだ士業の哲学

独立して自分の事務所を営むようになっても、師匠から教えられた仕事の姿勢は手放さなかった。お客様のために、真っ当に仕事をする。自分の利益だけを見ない。

行政書士として村松さんが向き合うのは、行政と民間企業の間にある隔たりだ。行政には行政の事情があり、企業には企業の現実がある。同じことを話していても、互いの言葉や前提が違えば、話は届かない。

双方の言葉を翻訳し、現実的な着地点を探す。村松さんは、自分の仕事をそう捉えている。

法律に照らして、白か黒かを示すことはできる。けれど、現実の会社が抱えている問題は、その答えを伝えただけですべて解消するわけではない。改善しなければならないことがあっても、明日から何もかもを変えられるとは限らない。

だからこそ、グレーな現実にも向き合う。何が問題なのかを確かめ、会社の事情を聞き、どうすれば改善へ進めるのかを考える。白黒を伝えるだけで終わらず、その先の道を一緒に探す。

ただし、不正まで引き受けるわけではない。たとえば、必要な実務経験を偽ることには加担しない。依頼者が何かを実現したいという気持ちは受け止めても、そのために事実を偽る仕事はしない。現実に寄り添うことと、越えてはならない線を守ること。その両方が必要になる。

この仕事への姿勢には、師匠の影響がある。資格を取って「先生」と呼ばれるようになっても、それは自分一人の力で得た信用ではない。先人たちが積み重ねてきた信用が、その資格を支えている。受け継いだ信用を、自分の利益だけのために使わない。村松さんは、そのことを大切にしている。

独立後も仕事を続け、売上は少しずつ伸びていった。その中で、自分の事務所の理念を言葉にするようになっていった。

数年前、師匠と再び食事をした時のことだった。これからつくりたい会社について問われ、村松さんは答えた。

「ちょうど今、それをやっているんです」

誰をお客様として支えたいのか。仕事で何を守り、何をしないのか。これから何を実現したいのか。村松さんは、言葉にし始めていた自分の理念を師匠に話した。

師匠は、村松さんにこう言った。

「お前、泣かせるなよ」

その後、独立後の売上について話した時にも、師匠は「頑張ったな」と受け止めてくれた。そして、人を介して聞こえてくる師匠の言葉も変わっていった。

「あいつは成長している」

独立をめぐってぎくしゃくした時間を経て、二人の関係にも少しずつ変化が表れていた。

「師匠からすると、自分が僕にしたことが社会へ返っていけば、それでいいんでしょうね。恩返しでもあるし、恩送りでもあるのかなと思います」

村松さんには、大切にしている言葉がある。

「刻石流水」

受けた恩は石に刻み、自分が人へ施したことは水に流す。返してもらうことを求めない。だが、自分が受け取ったものは忘れない。

独立したことも、ぶつかったことも、離れたことも消えない。それと同時に、自分を拾ってくれたことも、自分以上に可能性を信じてくれたことも、「愛を注ぐ」と言ってくれたことも消えない。

村松さんは、その両方を抱えながら独立後の8年間を歩いてきた。師匠や、外で出会った人たちから受け取ったものを、今度は自分の仕事を通して、次の誰かへ渡していく。

第6章|「後ろから、しめしめと笑っていたい」——運送業界に新しい誇りをつくる

現在、村松さんが主に向き合っているのは運送業界である。
運送会社の経営者と話し、その仕事を知るほど、業界への違和感が強くなっていったという。

運送業界は、長時間労働や未払い残業などの問題が語られることが多い。「ブラック」「きつい仕事」という印象を持たれることもある。

もちろん、改善すべき会社もある。だが村松さんが実際に出会ってきた中には、社員を大切にしながら、本気で会社を良くしようとしている経営者も数多くいた。

「そういう社長たちまで一緒に悪く見られているのが、かわいそうだなと思っていたんです」

行政書士として、許認可や監査対策を支援する。その仕事を200%の品質で届けることはできる。しかし、それだけで業界全体が良くなるわけではない。

ある時から、村松さんは考えるようになった。そもそも「運送業界が良くなる」とは、どういう状態なのだろう。

そこで浮かんだのが、パイロットだった。飛行機を操り、人や物を運ぶ。子どもたちから憧れられる職業でもある。

トラックドライバーも、大きな車両を操り、社会に必要な物を運んでいる。

「トラックドライバーも、パイロットみたいに『かっこいい』と子どもから思われる職業になったらいいなと思ったんです」

そのために、自分の仕事で何ができるのか。

現在、村松さんが形にしようとしているものの一つが、運送会社の「質」を可視化する仕組みである。

これまで会社を評価する時には、車両台数、売上、利益、従業員数など、目に見える数字が使われることが多かった。しかし会社の価値は、それだけでは測れない。

コンプライアンスへどこまで取り組んでいるのか。社長の理念が現場へ伝わっているのか。働く人を大切にする仕組みがあるのか。本来やるべきことへ、どこまで向き合えているのか。

そうした要素を細かく整理し、スコアとして可視化する。

村松さんは現在、顧問先で行っている内部監査の仕組みを広げながら、その形を模索している。まだ完成していない。開発者と話しながら、何を評価し、どう実装するのかを詰めている途中だ。

近い将来には、運送会社と企業をつなぐマッチングの場や、M&Aなどでも、その会社が積み重ねてきた見えにくい価値を判断できる仕組みへ育てたいという。

内部監査で培った評価の基準を、ほかの人も使える形へ開く。専門性を私物化しないという姿勢が、ここでは仕組みづくりにつながっている。

良い会社が、良い会社として評価される。評価されれば、さらに良くしようと思える。何を改善すればいいか分からない会社には、進む方向が見える。

「そういう旗を振りたいんです」

一方で、村松さん自身も今、転換期にいる。間もなく40歳を迎える。

これまでは、何事にも全力で向き合うことで道を切り開いてきた。交流会へ行けば全力。プレゼンも全力。仕事も全力。任された役割にも全力。

かつて師匠から「3割しか出していない」と言われた青年は、いつしかエネルギーがなくなるまで走り、なくなってもさらに走るようになった。

その生き方で得たものは大きい。信頼も増えた。仕事も増えた。何者でもなかった頃から考えれば、自分でも「よくここまで来た」と感じる。

だが、その走り方だけでは次の景色には届かないとも感じ始めている。

「ずっと張り詰めているんですよね。走って、エネルギーがゼロになって、それでもまた走る。人生を噛みしめる余白がないというか」

今後、新しい仕組みを社会へ広げていくなら、自分一人がすべてを抱えることもできない。日々の業務を任せられる人。一緒に進める人。自分がこれから取り組みたいことへ時間を使える環境。それらを整える必要がある。

幼い頃は、一人で自分の世界をつくることが好きだった。大人になってからは、社会の中で人と関わる力を身につけた。

そして今、その二つを持った村松さんがつくろうとしているのは、自分一人だけの世界ではない。誰かが使える仕組みだ。

村松さんは、自分が「大樹」のようになりたいとも話した。木が大きく育てば、その周りに人が集まり、鳥や虫が集まり、木陰で誰かが過ごせるようになる。

誰かを無理に変えるのではなく、自分が育つことで、周囲もそれぞれに生きていける。その大樹の姿は、村松さんが仕組みを通してつくりたい未来にも重なる。

インタビューの最後、村松さんにIKIGAIを尋ねた。

「僕のIKIGAIは、誰もやっていないことを見つけて、そこでムーブメントを起こすことです」

そして、こう続けた。

「みんなが笑顔になっているところを、後ろから『しめしめ』と楽しめる瞬間がIKIGAIかな。自分が一番上に立って『俺がやったぞ』じゃなくて、僕がつくった仕組みを使って、みんながハッピーになっているのを見るのが好きなんです」

それは、中学時代に教わったリンクプレイヤーという役割とも重なる。

「誰も気づいていないけれど、この人のここって絶対に良いよね、というものを見つけるのが昔から好きなんです。それにスポットライトが当たって広がっていくことに、喜びを感じます」

何者かになりたいと願い続けた青年は、何者かという肩書きを手に入れた先で、また次の問いに向き合っている。

自分が身につけた力を、何に使うのか。

その答えは、まだ完成していない。だからこそ、村松さんは今も考え、つくり、試している。

いつか、運送会社を見る基準が変わる。良い会社が正しく評価される。働く人が自分の仕事へ誇りを持つ。そして、子どもがトラックを見て、「あの仕事、かっこいいな」と思う。

その景色の後ろで、村松さんはきっと「しめしめ」と笑っているのだろう。

あとがき

村松さんとの対話を終えて、私の中に残った言葉は「刻石流水」だった。

受けた恩は石に刻む。自分が与えたものは、水に流す。
私はこの言葉を聞きながら、「感謝する」ということについて考えていた。

人間関係には、綺麗な出来事だけが残るわけではない。大切だった人とぶつかることもある。期待が重荷に変わることもある。愛情が深いからこそ、傷つくこともある。

村松さんと師匠の関係にも、そのすべてがあった。

それでも村松さんは、自分を拾ってくれたこと、自分より先に可能性を信じてくれたこと、仕事を教えてくれたことまで消さなかった。

嫌だった出来事があったから、それ以前の恩までなかったことにする。
私は、そんなことをしていないだろうか。

問いが、自分に返ってきた。

村松さんが今、運送業界のためにつくろうとしているものも、師匠から受け取ったものの先にある。自分が助けられた。信じてもらった。応援してもらった。

だから今度は、自分が誰かの可能性を見つける。誰かが誇りを持てる仕組みをつくる。直接返せない恩まで、次の誰かへ送っていく。

恩送り。

あなたの人生にも、今の自分をつくってくれた人がいるだろうか。その人から受け取ったものを、これから誰へ手渡していくだろうか。

私も、受け取った恩を忘れずに石に刻む。
IKIGAIを、次の世代へ。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

行政書士事務所リンクスWEBサイト

WRITER PROFILE

尾﨑弘師 (おざき ひろし)

IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役

これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。

掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。

さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。

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