もっと自由に働ける場所を——ジェラートバーでつなぐ、生産者と人の未来

もっと自由に働ける場所を——ジェラートバーでつなぐ、生産者と人の未来

木下久美 gelateria NOCE

生産者と多様な働き方をつなぐジェラートバーのつくり手

福岡県福岡市

もっと自由に働ける場所を——ジェラートバーでつなぐ、生産者と人の未来

 

あなたは、自分に使える時間や力が限られている時でも、誰かの役に立てると思えるだろうか。

糸島の乳業会社を退職し、自分の事業を一人で動かし始めた頃、木下久美さんは心身の調子を崩した。会社にいた時とは違い、商品、販売、資金、今後の方向まで、すべて自分で考えなければならない。不安は少しずつ大きくなり、日常生活にも影響が出た。

「会社を辞めて、一人でやるとなった時、少し心を壊してしまったんです。考えることが一気に増えて、不安になりました」

木下さんはもともと、よく働く人だった。自営業の両親の姿を見て育ち、会社員になってからも、決められた仕事を終えれば十分だとは考えなかった。時間があれば次にできることを探し、新しい提案をし、もっと役に立とうとする。その木下さんが、思うように動けなくなった。

苦しい時期を経験して、働くことへの見方が広がったという。世の中には、働きたい気持ちがあっても毎日決まった時間に通えない人がいる。外へ出ること自体が難しく、10分や15分なら動ける日もあるという人もいる。

「来られる時に来て、できる仕事をやる。もっと自由に働ける場所を探している人もいるんじゃないかなと思いました。むしゃらにやることが、すべてじゃないですよね」

福岡市西区でgelateria NOCEを立ち上げた、代表・木下久美さん。九州の果物などを使い、無香料・無着色の手作りジェラートバーをつくろうとしている。目指しているのは、おいしい商品を届けることに加え、生産者の思いを受け継ぎ、子育て中の女性や心身の事情を抱える人も、それぞれの時間と力で関われる製造の仕組みである。

その構想は、さまざまな経験を重ねながら少しずつ形になっていった。盲導犬の訓練士を目指した時期、犬のおやつをつくる小さな店で過ごした約5年間、三人の子どもを中心に選んだ働き方、乳業会社でアイスをつくり続けた約10年間。さらに、農業を学ぶ息子から聞いた地域の現実と、自分自身が動けなくなった経験が重なっている。

一生懸命を大切にしてきた一人の女性が、頑張れる量や速さは人によって違うと知り、一本のジェラートバーから、誰もが役割を持てる場所と、人と地域が支え合う仕組みを育てていく歩みである。 

第1章|明日どうなるか分からない——自営業の家で育った、働くことの基準

木下さんは、福岡市西区で生まれ育った。

木下久美さんの活動の様子

父は、自営業の電気工事士である。仕事が順調な時もあれば、依頼が少ない時もある。会社に勤めていれば、毎月決まった日に給与が支払われる。自分で仕事をする父には、同じ保証がなかった。

木下さんは、そんな父の姿を子どもの頃から見ていた。

母は専業主婦として家庭を支えた。木下さんの記憶に残っているのは、両親がとにかくよく動く姿である。仕事でも趣味でも、一日中何かをしている。家の中に、時間を持て余すような空気はほとんどなかった。

「うちの両親は、めちゃくちゃ働き者です。ずっと何かをしています。そういう姿しか見ていなかったので、会社員になってからも『この時間だけ働けばいい』という感覚はなかったですね」

働くとは、自分で動き、次の仕事を考えること。今日の仕事があるうちに、明日の準備をしておくこと。木下さんにとっては、家庭の中で見てきた日常だった。

後に木下さんが会社員として働いた時、周囲との違いを感じることもあった。

「明日どうなるか分からないのに、怖くないのかなと思っていました」

今ある仕事が、明日も同じようにあるとは限らない。父の仕事を見てきた木下さんには、その感覚が強く残っていた。

高校を卒業した頃、木下さんの心は犬と福祉の世界へ向いていた。家で犬を飼っていたこともあり、動物に関わる仕事がしたい。さらに、誰かの役に立てる仕事がしたい。その二つが重なる盲導犬訓練士を目指し、ドッグトレーナーの専門学校へ進んだ。

働くことへの厳しい基準を持ちながら、自分は何を仕事にするのか。その答えを探す時間が始まった。

第2章|好きなことを、仕事として続ける——犬のおやつの店で見た、好きなことでお金を稼ぐ姿

ドッグトレーナーの専門学校で学ぶ時間は、楽しかった。犬と過ごし、動物について知ること自体は好きだった。一方で、実習を重ねるうちに、自分の適性も見えてきた。

「犬と一緒に遊ぶことはできるんです。でも、犬をコントロールすることが、あまりできませんでした」

木下さんは、好きという気持ちだけで進路を決めず、自分には向いていない部分があると受け止めた。

もう一つ、福祉の世界について考えるようになったことがあった。人のためになる活動ほど、適正な対価を受け取りにくい場面がある。志を持って熱心に動く人がいても、ボランティアとして扱われ、生活を支えられる仕事として続けにくい。

「やることは好きでした。でも、仕事として生活していくところまでが見えなかったんです。福祉は、本当に良いことをしているのに、お金を受け取りづらいところがあると感じました」

人の役に立つことと、収入を得ること。その二つが自然につながる働き方はないのか。専門学校に通う時点で、木下さんはその難しさに触れていた。

卒業後の進路は、偶然通りかかった一軒の店から決まった。犬のおやつを手づくりし、ペットに関わるサービスを提供する個人店だった。店の前を通った木下さんは、「面白そうだ」と感じ、そのまま中へ入った。そして、卒業したら働かせてほしいと申し出た。

卒業後の進路は、その場で大きく動いた。気になった店へ自分から入り、仕事にしたいと伝えた。木下さんらしい動き方だった。

店を運営していたのは、一人の女性だった。自分の好きな犬の仕事を通して誰かの役に立ち、収入を得ていた。木下さんは毎日犬のおやつをつくり、店頭に立った。

「すごく楽しかったです。オーナーは、一人で誰かの役に立つことをやりたくて、事業を始めた方でした。すごく理想でしたね。あんなふうになりたいと思っていました」

専門学校で感じた、善意と収入が結びつきにくいという違和感。目の前の店では、好きなこと、誰かの役に立つこと、仕事として続けることが一つになっていた。小さな組織でも、自分の思いを形にし、働く場所をつくれる。その姿を、木下さんは毎日の仕事の中で見ていた。

店では約5年間働いた。やがて木下さんは結婚し、妊娠する。同じ頃、オーナーも家族の事情で地元へ戻る可能性が出てきた。そしてオーナーは、店を閉じることを決めた。

木下さんは、もったいないと感じた。出産後に戻りたいと思えるほど好きな仕事だった。後継者を募れば、店を引き継ぎたい人が見つかる可能性もあったと考えた。積み重ねてきた商品も、お客様との関係も、働く場所も残せたかもしれない。

「もっと続けられる方法があったんじゃないかなと思いました。私も、出産したら戻ってきたかったので、寂しかったです」

好きな仕事と、戻りたい場所を同時に失った。一方で、木下さんの生活には、新しい家族との時間が始まろうとしていた。

第3章|子どもを優先した十年の先で——戻ってきた、自分の時間

木下さんは、三人の子どもを育ててきた。

出産後に仕事を選ぶ基準は、はっきりしていた。子どもの行事にきちんと参加できること。決まった時間に仕事を終えられること。やりがいよりも、家庭の生活を守れる条件を優先した。

「つらいとか、自分の気持ちを押し殺していたとか、そういう気持ちは全くありませんでした。今の生活が楽しかったんです。子どもを優先して働ける場所を選んでいました」

自分の夢を諦めたという意識もなかった。目の前にいる子どもたちを育て、生活をつくることが、その時の木下さんにとって自然な選択だった。

子どもを優先できる仕事をいくつか経験する中で、木下さんの働き方に合っていたのが、糸島の乳業会社の工場だった。勤務時間が決まっており、家庭の予定を組みやすい。木下さんはそこで約10年間、飲食店などへ卸す業務用の大型アイスを製造した。

毎日、アイスをつくる。原料に触れ、製造の流れを覚え、品質を守る。地元の牛乳を使い、福岡や九州のお店へ届ける仕事を続けるうちに、木下さんの中には、その牛乳と商品への愛着が育っていった。

当時は、将来の独立に備えて技術を身につけている意識もなかった。子どもの生活に合わせて選んだ工場で、目の前の製造に取り組んでいた。約10年の積み重ねによって、アイスは木下さんが自分の手で確実につくれるものになっていた。

子どもたちが成長すると、家庭での時間の使い方が少しずつ変わった。子どもの一人が中学生になった頃、木下さんは、これまでより仕事に時間を使えると考えるようになる。乳業会社で働き始めてからも、ちょうど10年ほどが経っていた。

「もっと仕事の量を増やしたいと思ったんです。時間はできたんですけど、やることが増えなかったんですよね」

木下さんは、会社へ新しい提案をした。地元の飲食店へ業務用アイスを卸すだけでなく、もっと遠くへ届けられる形にできないか。九州以外の人にも、糸島の牛乳のおいしさを知ってもらえないか。

「せっかく良いものがあるし、もっと遠くの人に届けたいと思いました。私はアイスしかつくってこなかったし、自分にできることもアイスだったんです」

現場の各部署は、日々の業務で手いっぱいだった。新しい企画を始めるには、人も時間も足りない。提案は実現しなかった。

そこで木下さんは、自分で挑戦する道を選んだ。

「会社でできないなら、私がやってみます、と伝えました」

会社からは、「応援するよ。頑張ってね」と送り出してもらったという。長く働き、製造を覚え、商品へ愛着を持った場所とのつながりを残したまま、自分がやりたい形を外でつくる独立だった。

独立への抵抗が小さかった背景には、自営業の父や夫を身近に見てきたこともある。会社が用意した仕事を待つより、自分で仕事をつくる。子どもの頃から見てきた働き方が、現実の選択肢として目の前にあった。

子どもを大切にする暮らしを続けながら、自分の仕事に使える時間が戻ってきた。木下さんは、その時間を、地元の素材をもっと遠くへ届けるために使おうとした。

第4章|一人で始めた途端、動けなくなった——不調が広げた、働く場所の輪郭

ジェラートバーの構想には、農業高校に通っていた息子との会話も重なっている。

息子は学校で農業を学び、現場の仕事にも触れていた。糸島には使われていない土地があること。良いものをつくっている生産者がいても、後継者が不足していること。農作業は体力的な負担が大きく、仕事量と収入のつり合いから、続けることを断念する人もいること。家庭で交わされる話を通して、木下さんは地域の農業が抱える課題を知っていった。

「すごく良いものをつくっているのに、仕事量やお給料の面で、やめざるを得ない生産者の方もいます。何かの形で、一緒にできたらいいなと思いました」

木下さんが持っている技術は、アイスの製造である。地域の果物や牛乳を、保存しやすく、遠くへ運べる商品へ変えられる。必要な時にまとまった量を製造し、冷凍で保管できれば、店頭で毎日売り切る商品よりも廃棄を抑えやすい。生産の時間も組み替えやすいと考えた。

店舗を構える案もあった。店を開けば、決まった時間は店頭に立つ必要がある。朝から夕方まで営業する形は、お客様と直接会える一方で、働く時間を固定する。木下さんが選んだのは、製造を中心にした工場の形だった。

「工場だったら、自分がやりたい時間帯に仕事をぎゅっと詰められると思ったんです。仕組みさえあれば、子どもを育てながらでも、やりたいことはできるんじゃないかなって」

地域の生産者と一緒に商品をつくる。子育て中の人も、自分の生活に合わせて製造に関われる。保存性のある商品をつくり、販売先を広げる。木下さんは、ジェラートバーを中心に、それぞれの課題がつながる仕組みを考え始めた。

ところが、会社を辞め、一人で動き始めると、不安が一気に押し寄せた。会社では、製造という役割に集中できた。独立後は、何をつくるか、どこへ売るか、どう資金を回すか、誰に相談するかまで、自分で決めなければならない。

「一人でいろいろ考えないといけないことが多くなって、すごく不安になりました。このまま進められるかな、もう無理かもしれないと思いました。その時は、運転もできない状態でした」

木下さんは、働くことに人一倍前向きだった。時間があれば動き、何かを加え、前へ進もうとしてきた。その自分が、外へ出ることにも苦労する状態になった。

この経験によって、働き方への考えが変わったと木下さんは話す。以前から、子どもを育てながら働きやすい仕組みをつくりたいという思いはあった。自分が調子を崩したことで、その対象はさらに広がった。

毎日の通勤が難しい人。定職に就きたいのに、心身の状態によって続けられない人。長時間は難しくても、短い時間なら外へ出られる人。そうした人も、その日の状態に合わせて仕事を担い、対価を受け取れる場所があればいい。

「もっと自由に働ける場所を探している人もいるんじゃないかなと思いました。10分や15分でも外に出る機会があって、そこでできることがあればいいですよね。自分の身に起きたことで、その思いが確信に変わりました」

働ける時間に応じて仕事を分け、それぞれが担える形にする。一人で進められる製造工程を土台にできれば、人が入れ替わりながら関わる形も考えられる。

現在、木下さんは「今はワクワクしかない」と笑う。働く場所は、まだ完成していない。販売先も、雇用の形も、これからつくる段階である。自分が動けなかった時間を通して、どんな場所をつくりたいのかは以前より具体的になった。

木下久美さんの活動の様子

第5章|働ける時に、できることを——ジェラートバーからつくる、未来に残る仕組み

gelateria NOCEの名刺には、五つの企業理念が記されている。

自然と共にあるものづくり。生産者への敬意と共創。健康とおいしさの両立。人にやさしい働き方。未来への責任。

木下さんが考えてきたことは、この五つに整理されている。九州の果物や乳素材を活かし、香料や着色料に頼らず、素材が持つ味を伝える。生産者の思いを受け継ぎ、商品を通して価値を届ける。嗜好品であるアイスにも、身体への配慮を持たせる。そして、つくる人が生活や心身の状態に合わせて働ける環境を整える。

現在は、地元の乳業会社と協力しながら牛乳を使ったジェラートバーを広げる構想に加え、牛乳を使わない「リカバリーアイス」も考えている。ジム、ヨガスタジオ、サウナや温泉など、アイスを扱う機会が少なかった場所へ届け、運動や入浴の後に楽しんでもらう商品である。

リカバリーアイスを出したいと考えていた時、木下さんはアルギニンなどを含むオーガニックの果物の粉末と出会った。その商品は、購入・使用されることで、売上の一部がマニラの子どもたちや国内の児童養護施設へ寄付される仕組みになっている。

木下久美さんの活動の様子

商品を選び、消費することが、遠くにいる誰かの力になる。そのことを知った時、木下さんの中で自分の事業に向き合う意味はさらに深まった。

「私一人の力は微々たるものです。でも、商品を消費することで誰かの力になれることを知りました。いつか自分でも、チャリティーイベントができるように少しずつ形にしていきたいです」

商品をつくる技術はある。今後の大きな課題は、販売先と、お客様へ価値を伝える仕組みを整えることだ。実店舗はまだなく、ECサイトやSNS、広報、営業もこれから形にしていく。

木下さんが販売先を増やした先には、人を受け入れられる事業の姿がある。

「まずは、人をもっと受け入れられるくらい、いろいろな販売先を広げていきたいです。一番にあるのは、働き方かもしれません」

商品が継続して売れれば、仕事が生まれる。仕事が増えれば、製造に関わる人を受け入れられる。短い時間しか働けない人も、その中の一工程を担えるようになる。理想を続けるために、売上と販路が必要になる。

福祉の仕事を目指していた頃、木下さんは、人の役に立つ活動と適正な対価が結びつきにくい現実に違和感を持った。だから今、自由に働ける場所を善意だけで維持しようとは考えていない。商品として選ばれ、利益が生まれ、その利益から働く人へ対価を渡せる形をつくろうとしている。

自分が出産した頃にあればうれしかった働き方。心身の調子を崩した時にも、「あればうれしかった」と思える場所。木下さんは、過去の自分が必要としていたものを、これからの誰かが使える仕組みに変えようとしている。

取材の終盤、木下さんにとってのIKIGAIを尋ねた。すぐには答えが出なかった。

「難しいですね。考えたことがなかったです。合っているか分からないですけど、私がいなくなった後も残していけるものを、ということなのかな」

木下さんは、言葉を探しながら、自分の歩みを振り返った。自営業の父母が働く姿。好きな仕事と収入を結びつけていた女性オーナー。三人の子どもと過ごした時間。乳業会社で身につけたアイス製造の技術。息子から知った農業の現実。独立後、自分が動けなくなった経験。

対話を重ねる中で、木下さんはこう話した。

「自分ではない人のために、今は頑張りたいです。自分のためだけに頑張ろうとすると、私は力が出ないタイプなんです。でも、人のためにやっていることが、自分のためにもなっているんだと思います」

木下さんのIKIGAIは、まだ一つの言葉に固定されていない。ジェラートバーも、販売の仕組みも、働く場所も、これから育てていく途中にある。

その構想を現実にするには、商品を磨き、選ばれる理由をつくり、販売先を増やさなければならない。木下さんは今、その一つひとつに向き合っている。

自分がいなくなった後も、地域の素材を届ける商品と、誰かが役割を持てる場所が残っていくように。木下さんは、一本のジェラートバーから、その仕組みをつくり始めている。

木下久美さんの活動の様子

あとがき

人は、自分のためだけでは届かなかった場所へ、誰かのためなら進めることがある。

木下久美さんのお話を聞きながら、私はその力について考えていた。

木下さんは、自営業の父と、いつも活動的に家族を支えていた母の姿を見て育った。働くことも、今ある仕事に何かを加えることも、木下さんにとっては日常の一部だった。両親から受け継いだその姿勢が、長年にわたって木下さんを動かしてきたのだと思う。

一方で、木下さんが人生の中で強く惹かれてきたのは、自分の好きなことを誰かの役に立て、それを仕事として続けている人の姿だった。

犬のおやつをつくる店で出会った女性オーナーは、好きなこと、人に喜ばれること、収入を得ることを一つにつなげていた。木下さんはそこで働くことを心から楽しみ、「あんなふうになりたい」と感じていた。

その後、三人の子どもを育てる時間が始まった。木下さんは、子どもを優先する生活を我慢だとは感じていなかった。その時の自分にとって、家族と過ごすことが大切だったからだ。

それでも今、これまでの人生を振り返ることで、心の奥にはずっと、挑戦したい、誰かの役に立ちたい、そして、その思いを仕事として続けたいという願いが心の奥底に眠っていたことに気づいた。

子育てを経験したから、限られた時間でも働ける場所をつくりたいと思えた。農業を学ぶ息子の話を聞いたから、生産者が抱える問題に目を向けられた。自分自身が心身の調子を崩したから、毎日決まった時間に働けない人の気持ちを想像できた。

木下さんが経験してきた葛藤や困難は今、地域の素材を届け、生産者を支え、一人ひとりに合った働き方を生み出す事業へとつながろうとしている。

その原動力は、木下さん一人の願いだけではない。

近くにいる人。地域で働く人。これまで支えてくれた人。そして、働きたい気持ちを抱えながら、一歩を踏み出せずにいる人。そうした人たちが笑顔になれる仕組みを、一本のジェラートバーからつくろうとしている。

自分のためだけなら、途中で諦めてしまうこともある。それでも、喜んでほしい誰かの顔が浮かぶと、もう一歩進めることがある。

人のために動くことで、人は自分一人の限界を超えていけるのかもしれない。

あなたにも、本当はやってみたいのに、まだ心の奥へしまっていることはないだろうか。

自分の願いと、誰かのために生きたいという思い。その両方を追い、悩み、葛藤しながら、自分なりの形を探し続ける。そこに、人が生きる喜びや豊かさがあり、その歩みの中にIKIGAIが育っていく。

木下さんの物語は、そのことを私に教えてくれた。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

WRITER PROFILE

尾﨑弘師 (おざき ひろし)

IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役

これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。

掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。

さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。

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