耐えることをやめた先に、心から笑える場所があった——食と健康で人の可能性をつなぐ

中村逹也 Naka.株式会社

食と健康で、心から笑える場をつくる人

熊本県菊池郡

耐えることをやめた先に、心から笑える場所があった——食と健康で人の可能性をつなぐ

あなたは、いつから“耐えること”を当たり前にしてきただろうか。

苦しいことを乗り越えれば、強くなれる。
我慢すれば、いつか報われる。
自分の感情を抑えてでも、目の前の役割を果たすことが正しい。

そんなふうに生きているうちに、自分が何を感じているのかさえ、分からなくなってしまうことがある。

Naka.株式会社代表取締役・中村逹也さんは、熊本県菊池郡大津町を拠点に、コミュニティ運営、栄養士関連事業、パーソナルジム等の運動指導を行っている。

理念は、「地域の未来を、食と健康からデザインする」

管理栄養士としての専門性を土台にしながら、パーソナルジム「GROW」、栄養士が学び合い、つながり合う「栄養士の學ビバ」、レシピ監修、交流会、インタビュー活動などを通して、人が自分の可能性に気づき、動き出す場をつくっている。

今の中村さんだけを見ると、前向きで、人とのつながりを大切にし、人が喜ぶ姿に力を注ぐ人に見える。

だが、最初からそうだったわけではない。

「苦しいのが当たり前、耐えるのが当たり前みたいな。美徳が刷り込まれていました」

中村さんの人生には、長いあいだ“耐えること”があった。

小学生の頃から家業を手伝い、中学から親元を離れ、高校では理不尽な野球環境に入った。大学では栄養学を学び、管理栄養士の資格を取ったが、社会に出ると、資格を取っても報われない現実にぶつかった。

若い頃の中村さんは、人に貢献することさえ、素直には受け取れなかった。

「人に貢献だなんて、ふざけんなって思っていました」

それでも今、中村さんは「心から笑い合える人たちを増やしたい」と語る。

耐えるしかなかった時間があった。
報われない現実もあった。
人を信じられなかった時期もあった。

けれど、そのすべてを通ってきたからこそ、中村さんは今、ただ体を変えるだけではなく、人が自分の感情を取り戻し、誰かとつながり、心から笑える場所をつくろうとしている。

これは、管理栄養士の成功物語ではない。
ジム経営者の事業紹介でもない。

耐えることを当たり前にしてきた一人の男が、自分の感情を取り戻し、人との縁を信じ、今度は誰かが心から笑える場所をつくっていく物語である。

そしてあなたに、「心から笑える人生を選べているだろうか」と問いかけてくれる物語でもある。

第1章|「耐えるのが当たり前だった」——感情に蓋をしてきた原点

中村さんの原点には、実家の家業がある。

熊本県南小国町。
田舎で食堂を営む家に生まれた中村さんにとって、家業は幼い頃からすぐそばにあった。

両親は、朝から夜まで働いていた。
共働きで店を回し、休みの日も仕事がある。
その中で、中村さんもまた、自然と店を手伝う側になっていった。

「小一から店を手伝っていました」

そう言ったあと、中村さんは当時のことを続けた。

「友達が来ていて遊んでいるとか、関係なかったですね」

子どもにとって、友達と遊ぶ時間は大きい。
学校が終わり、誰かが遊びに来る。
外へ出たい。
同じように遊びたい。

だが、中村さんには、家の仕事があった。

それは「少し手伝ってくれたら助かる」というものではなかった。
家業の中に生まれた子として、手伝うことが当たり前だった。

「うちのばあちゃんからのお店だったので。田舎的にも、息子は継いで当然というところもありました」

寂しさもあった。
なぜ自分が働かなければならないのかという思いもあった。

けれど、そこに愛情がなかったわけではない。

「当時は全然分からなかったんです。最近、自分自身を深掘りしていって、これは愛情だったんだなってようやく気づいたりする部分も出てきています」

家業を手伝う。
寮生活をする。
野球を続ける。
目の前にあることを、とにかくやる。

その日々の中で、中村さんは少しずつ、自分の感情をしまい込んでいった。
本人も、今になってそのことに気づいたという。

「感情にだいぶ蓋をしていたというところにも、最近気づいています」

中村さんは、最初から「自分の感情を大切にしよう」と思える人ではなかった。
むしろ逆だった。

やがて中村さんは、中学校に進む。

家から学校までは十キロ以上離れていた。
そのため、町にある中学校付随の寮で過ごし、土日に家へ帰る生活になった。

中学生で親元を離れ、寮で暮らす。
当時の田舎では普通のことだった。

その頃も、中村さんの生活の中心には野球があった。
家を離れた寮生活の中で、学校に通い、野球を続ける。

家にいれば、手伝うことがある。
学校に行けば、寮生活がある。
日々の中には、野球の練習がある。
誰かに甘えることも、自分の寂しさを言葉にすることも、うまくできなかった。

ただ、どこかで感じていた。
自分は、耐えなければならないのだと。
その感覚は、高校に進み、野球特待としてさらに厳しい環境へ入ったとき、より強くなっていく。

「野球が嫌いになりました。高校に入ってすぐ」

好きだったはずの野球が、楽しくなくなった。
それでも、辞めることは簡単ではなかった。

野球特待で入った以上、続けなければならない。
途中で投げ出せない。
耐えなければならない。

「なんでこんな高校に来たんだろうって、ずっと思いながら三年間やっていました。ほんと耐える、耐える、耐える。なんも楽しくないけど耐えるっていう感じでしたね」

苦しいことは当たり前。
耐えることは当たり前。
努力しないと次に進めない。
苦しさを経験しなければ、成長できない。

そういう感覚が、中村さんの中に染み込んでいった。

「それを超えればどうにかなるんじゃないかなと思っていたけど、苦しい時代は変わらなかったですね。環境が変わっても」

中村さんの中には、ずっと“耐えること”が残っていた。
それは強さでもあると思っていた。
でも同時に、自分の感情を遠ざける癖にもなっていった。

第2章|「頑張っても意味ないのかな」——資格を取っても報われない現実

中村さんは大学で栄養学を学び、管理栄養士の資格を取った。
卒業後、最初は実家を継ぐ流れもあり、飲食店に社員として入る。
しかし職場環境が合わず、三か月で退職した。

その後、中村さんは管理栄養士として病院で働くことになる。
ようやく、資格を活かす仕事に就いた。
大学で学んだことを、現場で使う道に入った。

だが、そこでまた別の現実にぶつかった。
「生きていけはしましたけど、めっちゃ勉強したのに、これだけかよって思うようなお給料でした」

国家資格を取った。
大学で勉強した。
人の健康を支える専門職として働いている。

それなのに、
給料は安い。
仕事量も多い。
待遇は厳しかった。

それでも中村さんは、目の前の仕事に向き合った。
前任の人や上の人たちよりも成果を残すように働いた。
できることをやった。
結果も出した。

ただ評価されない。
給料も変わらない。

「頑張って、上の方たちよりも成績を残すような感じでやったけれども、何も評価されないな、面白くないなって思っていました」

この時、中村さんの中に、栄養士業界への失望が生まれる。

頑張っても、評価されない。
資格を取っても、給料は高くない。
人の健康を支える仕事なのに、自分自身の未来が広がっていく感覚がない。

「この業界って、頑張っても意味ないのかなと思ったのが自分で何かを始めようと思う最初のスタートでもあります」

栄養士として、もっと違う働き方はできないのか。
病院の中だけではなく、自分の知識を活かして収入をつくる方法はないのか。

何をすればいいのか分からない。
どう仕事にすればいいのか分からない。
栄養士として外に出る方法も、ビジネスの作り方も、まだ見えていなかった。
そんな中で、最初に勤めていた病院で仲良くしていた先生が独立し、クリニックとフィットネスジムを立ち上げることになる。

そのタイミングで、中村さんにも声がかかった。

副業も認められていた。
だから中村さんは、その場所で働きながら、副業にも力を入れていく。

会社員として働く。
現場で学ぶ。
副業で外の仕事にも触れる。
業務委託で仕事を受ける。
栄養指導やダイエット指導にも関わっていく。

働きながら、中村さんは少しずつ知っていった。

資格があるだけでは、仕事にはならない。
知識があるだけでは、人には届かない。
誰かに求められる形にしなければ、収入にはつながらない。

その一方で、外で仕事をする難しさも知った。

業務委託で仕事を受けても、突然案件がなくなることがある。
学びにお金を投資しても、思うように成果につながらないこともある。
栄養士として自分の名前で稼ぐことは、簡単ではなかった。

それでも、中村さんは動き続けた。

病院の中だけでは見えなかった世界を知る。
副業を通して、働き方の可能性と難しさを知る。
自分の知識を、自分の力で仕事に変える大変さを知る。


副業も軌道に乗ってきた。
そんな時、思いもよらない事件が起きる。

「副業辞めるか、会社辞めるかどっちか選んで」
理事長にそう言われた。

中村さんは、その時の感覚をこう振り返っている。
「副業もしていいという話で、どこからお金をもらっているかも伝えていたんです。でも、最後はどんでん返しを食らったような感覚でした」

また、選ばなければならなかった。
耐えるのか。
従うのか。
それとも、自分でやるのか。

中村さんはここで、もう一度、自分で道を選ぶことになる。

第3章|「ここであと三十年、四十年働くのか」——自分の人生を生きる決断

会社を辞めた中村さんは、自分でやる道を選んだ。

最初の一年間は、オンラインを中心に、ダイエット指導や栄養系の仕事をしていた。

病院やクリニックの中だけではなく、自分の知識を使って、人に届ける。
誰かに求められる形にして、仕事をつくる。
簡単ではなかったが、それでも中村さんは、自分の足で少しずつ外の世界へ出ようとしていた。
ようやく、自分の人生を少しずつ動かし始めたように見えた。

しかし、幼い頃から続いていた家業の流れは、まだ終わっていなかった。
その後、実家から連絡が来る。
「いい加減に帰ってこい」

実家を継ぐその道が、もう一度、目の前に現れた。

家族を否定したかったわけでもない。
それでも、中村さんの中には、どうしても飲み込めないものがあった。

このまま戻れば、自分の人生がまた同じ場所に吸い込まれていく。
自分の感情に蓋をし、耐えることを当たり前にしてきた時間の延長線上に、また立つことになる。

中村さんは、自分に問いかけた。
この先も、本当にこのままでいいのか。

「小学校一年生のときから、自分を犠牲にしてまで手伝っていたのに、自分の人生の選択肢がないまま、ここであと三十年、四十年働くのはどうなんだろうと思ったんです」

家業を継ぐか、継がないか。
自分の人生を、自分で選ぶのか。
それとも、また耐える方へ戻るのか。
でも、ここでまた同じように耐え続ければ、自分の人生はどうなるのか。

家族のため。
店のため。
周りの期待のため。
そう言い聞かせながら、自分の感情を見ないまま生きていくことになるのではないか。
その怖さがあった。

もちろん、簡単に割り切れる話ではなかった。

家業を継げなかったことへの後悔もある。
一方で、ようやくしがらみから外れたという感覚もある。

「継げなかったことは後悔する部分もあるし、ない部分もある」

家族への思いも、申し訳なさも、過去への複雑な感情も残る。

それでも、中村さんは選んだ。
自分の人生を、自分で切り開く方へ。

中村さんにとっては自分の人生を取り戻すための決断だったのかもしれない。

耐えるだけでは変わらない。
頑張るだけでも報われない。
そして、自分の感情に蓋をしたままでは自分の人生は歩めない。

中村さんはレールの外へ出た。

その一歩が、次の出会いへつながっていく。

第4章|「この人とやりたいかどうか」——人に恵まれていたことに気づいた日

実家の流れから離れ、自分の人生を選び直そうとしていた頃、中村さんの前にひとつの話があった。

信頼している先輩が、パーソナルジムのフランチャイズを出すという話だった。

中村さんは、その話に乗る。

ただ、それは市場性だけを見て決めたわけではなかった。
儲かりそうだから、流行っているから、という理由だけでもなかった。

中村さんが見ていたのは、人だった。

「魅力というより、この人とやりたいかどうかだと思っていて」

さらに、こう続ける。

「この人だったら信頼できるから、一回話を深めさせてもらおうかな、というところからスタートしています」

かつての中村さんは、人に貢献することさえ素直には受け取れなかった。
「人に貢献だなんて、ふざけんな」と思っていた時期があった。

それほど、人を信じることも、きれいな言葉を信じることも、簡単ではなかった。

しかし、この時の中村さんは違った。

信頼できる人がいた。
この人とならやってみたいと思えた。
失敗するかもしれない。
うまくいく保証もない。

それでも、動いた。

「失敗したら失敗したでしょうがないかな、ぐらい。ほんとそんな感じです」

完璧な確信があったわけではない。
でも、信頼できる人との縁があった。

中村さんは、フランチャイズという形でパーソナルジムを始める。

最初から、自分が現場に立つつもりだったわけではなかった。
しかし、知り合いが来てくれることになり、自分が担当する流れになった。

やってみると面白かった。

人の体と向き合う。
食事を見直す。
運動を続ける。
少しずつ体が変わっていく。

そして、中村さんが見た変化は、体型だけではなかった。

表情が変わる。
言葉が変わる。
自分を見る目が変わる。
「自分にもできるかもしれない」という感覚が、その人の中に生まれていく。

その変化に立ち会うことが、中村さん自身の心も動かしていった。

人に喜ばれることが、うれしい。
目の前の人が変わっていく姿を通してやりがいを感じる。

人のために何かをする。
誰かが喜ぶ。
その姿を見て、自分も嬉しくなる。

かつて疑っていた「人に貢献する」という言葉が、中村さんの中で少しずつ別の意味を持ち始めた。

それは、立派なことをするという意味ではなかった。
自分を犠牲にすることでもなかった。

目の前の人が変わる。
その変化を一緒に喜ぶ。
その先に、またご縁がつながっていく。
それが、中村さんにとっての喜びになっていった。
そして少しずつ、中村さんの関心は一対一の支援だけに留まらなくなる。

ジムで人が変わる姿を見る。
栄養や運動を通して、自信を取り戻していく姿を見る。
その一方で、中村さん自身もまた、人との出会いやご縁によって、人生が動いてきたことに気づき始めていた。

人は、一人で変わるわけではない。
誰かと出会い、話し、応援される中で、自分の可能性に気づくことがある。
だったら、そういう出会いの場をつくることにも意味があるのではないか。

その流れの中で、中村さんは栄養士の交流会を始める。

「求められていたのかなとか、それで開催することで喜ばれるんだったらやろうかな、からスタートしました」

誰かが求めてくれる。
やることで喜ばれる。
だったら、やろうかな。
その小さな動機が、人との縁を広げていった。

交流会を開く。
人が集まる。
ご縁がつながる。
そこからまた、新しい出会いが生まれる。
その流れの中で、中村さんは少しずつ気づいていく。

自分は、人に恵まれているのだと。

第5章|「心から笑い合える人たちを増やしたい」——次は、自分が環境をつくる側へ

やがて中村さんは、Naka.株式会社として法人化する。
きっかけは、信頼している人からの一言だった。

「もうそろそろした方がいいんじゃない」

中村さんは、その言葉を受けて法人化を決めた。
「信頼している人から、もうそろそろした方がいいんじゃないって言われたから、じゃあそろそろかって」

最初から、大きな戦略があったわけではない。

だが、会社にしたことで、中村さんの意識は変わっていった。
「会社にしたことによって、個人の働きじゃなく、周りも巻き込んでというところが強くなったのは会社にしてからです」
自分一人で働くのではない。
自分一人が頑張るのでもない。
次は、自分が環境をつくる側になる。

人が集まれる場所。
学べる場所。
挑戦できる場所。
自分の得意なことで誰かに喜ばれる場所。
中村さんは、そこへ向かっていく。

パーソナルジム「GROW」。
栄養士が学び合い、つながり合う「栄養士の學ビバ」。
レシピ監修。
交流会。
インタビュー活動。
形は違っても、根っこにあるものは同じだ。

人が自分の可能性に気づくこと。
自分の感情を取り戻すこと。
誰かとつながり、喜ばれること。
そして、心から笑えるようになること。
中村さんは、今後の目標を聞かれてこう答えた。
「心から笑い合える人たちを、一緒に増やしていきたいですよね」
この言葉が、今の中村さんの幸せを表している。

かつては、耐えることが当たり前だった。
自分の感情に蓋をしていた。
人に貢献することさえ、信じられなかった。

でも今は、人が喜ぶ姿を見ることがうれしい。
ご縁がつながることがうれしい。
誰かが自分の力を信じ始める瞬間に立ち会うことがうれしい。

その人が、自分の感情を出せているか。
「作り笑顔なのか、腹の底から笑っているのかって、全然違うと思うんです」
中村さんは、自分自身が感情に蓋をしてきた人だからこそ、その違いを大切にしている。

本当は苦しいのに、平気なふりをする。
寂しいのに、気づかないふりをする。
嫌だったことを、仕方ないと飲み込む。

そうやって耐えてきた人が、少しずつ自分の感情を取り戻す。
「ちゃんと心のままに出せるようになったら、腹から笑えるようになるんじゃないかなと思っています」

その言葉には、中村さん自身の人生が重なっている。

だから、GROWはただ体を変える場所ではない。
栄養士の學ビバも、ただ学ぶ場所ではない。

自分を信じられなかった人が、もう一度自分を信じる場所。
栄養士としての可能性を閉じ込めていた人が、自分の得意を社会に届ける場所。
ご縁がつながり、心から笑える人が増えていく場所。

中村さんは、自分の役割をこう見ている。

「僕はご縁をつないでいくような状況を作ることが、今の目指すべきものなのかなって感じです」

この言葉の中に、中村逹也さんのIKIGAIがある。

それは、管理栄養士という資格だけでは語れない。
ジム経営という事業だけでも語れない。
健康という言葉だけでも、まだ足りない。

中村さんがつくろうとしているのは、人がもう一度、自分を信じられる環境だ。

耐えることが当たり前になり、自分の感情に蓋をしてきた人。
資格や知識はあるのに、どう活かせばいいのか分からない人。
本当は変わりたいのに、一歩を踏み出せずにいる人。

そんな人たちが、誰かとの出会いやご縁の中で、自分の可能性に気づいていく。
そして、作り笑顔ではなく、心から笑えるようになっていく。

中村さんにとってのIKIGAIは
「その人が変わるきっかけとなる場所をつくること」
「人と人をつなぎ、その人の中に眠っていた力が動き出す環境をつくること」

かつて耐えるしかなかった人が、今は誰かの感情がほどける場所をつくっている。
人に貢献することを信じられなかった人が、今は人が喜ぶことに幸せを感じている。
ご縁をつなぎ、可能性をひらき、心から笑い合える人を増やしている。

中村さんの歩みは、私たちへ問いかける。

あなたは、耐えることを人生の前提にしていないだろうか。
本当は笑えていないのに、笑っているふりをしていないだろうか。
誰かの期待や役割の中で、自分の感情を置き去りにしていないだろうか。

心から笑える人生は、誰かに与えられるものではない。
自分の感情に気づき、人とのご縁を受け取り、少しずつ自分の足で選び直していくものなのだ。

中村逹也さんは、食と健康を通して、その選び直しの場所をつくっている。
そしてこの物語は、最後にあなたへこう問いかける。
あなたは今、心から笑える人生を選べているだろうかと。


あとがき

中村さんの話を聞きながら、私は何度も自分自身に問いかけていた。

自分は、本当に心から笑えているだろうか。

耐えることは、決して悪いことではない。
人生には、踏ん張らなければならない時がある。
逃げられない現実もある。
歯を食いしばることでしか越えられない夜もある。

だが、耐えることが当たり前になりすぎると、人は自分の感情を置き去りにしてしまう。

本当は寂しかったのに、寂しいと言えなかったこと。
本当は苦しかったのに、平気なふりをしたこと。
本当は違う道を選びたかったのに、「仕方ない」と飲み込んだこと。

中村さんの人生には、そうした時間があった。

それでも中村さんは、最後まで自分の感情を諦めなかった。
人とのご縁を受け取り、喜ばれることの嬉しさを知り、今度は誰かが自分を信じ直せる環境をつくる側へと歩き出した。

私はそこに、中村さんの生き方の強さを感じた。
それは、我慢し続ける強さではなく、自分の感情を取り戻し、もう一度人を信じようとする強さだった。

あなたは、耐えることを人生の前提にしていないだろうか。
あなたが心から笑える場所は、どこにあるだろうか。
あなたは、自分の感情を置き去りにしたまま、前に進もうとしていないだろうか。

中村さんの物語は教えてくれる。

心から笑える人生は、誰かに与えられるものではない。
自分の感情に気づき、人とのご縁を受け取り、少しずつ自分の足で選び直していくものなのだと。

あなたのIKIGAIも、もしかすると、耐えてきた時間の奥に眠っているのかもしれない。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

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