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写真は、未来への手紙だった——家族の痛みを知るフォトグラファーが残す愛の証
高木信幸 フォトグラファー
愛を写真で未来へ渡す人
福島県いわき市
写真は、未来への手紙だった——家族の痛みを知るフォトグラファーが残す愛の証
あなたは、自分が愛されていた証を、受け取れているだろうか。
愛は、いつも分かりやすい形で届くとは限らない。
「大切だよ」と言葉にしてもらえる愛。
抱きしめてもらうことで伝わる愛。
何気ない日常の中で、少しずつ心に染み込む愛。
一方で、言葉にならない愛もある。
不器用で、近くにあるのに見えなかった愛。
その時には受け取れず、何年も経ってから胸に届く愛。
一枚の写真が、そんな愛を連れてくることがある。
福島県いわき市を拠点に、家族写真、プロフィール写真、企業PR動画、写真講座などを手がけるフォトグラファー・高木信幸さん。
高木さんが撮っているのは、単にきれいな写真ではない。
10年後、20年後に、家族が見返したとき、会話が生まれる一枚。
子どもが「自分はここにいてよかった」と感じられる一枚。
親が「この時間は宝物だった」と思い出せる一枚。
高木さんのまなざしは、最初から穏やかな家族愛の中で育まれたものではなかった。
幼い頃、家は安心できる場所ではなかった。
両親の不仲。
早く家を出たいという思い。
父に対する距離感。
心のどこかで満たされていない感覚。
大人になってから、父が残してくれていたアルバムを見た。
姉の結婚式の時に知った、父が大切に保管していた家族の記録。
そこには、言葉では受け取れなかった父の愛が残っていた。
愛には、時差がある。
その場では分からなかったものが、何年も経ってから胸に届くことがある。
写真は、その時差を越える。
言えなかった想いを、未来まで運ぶ。
高木さんの人生は、
家族の中で寂しさを知り、
できない側の痛みを知り、
独立後のどん底を知り、
それでも人に喜んでもらうことを手放さなかった人が、
未来の誰かに「あなたは確かに大切にされていた」と伝える側になるまでの物語である。
第1章|「早く家を出たかった」——笑わせる少年が本当に求めていたもの
高木さんが、人生で一番大切にしている価値観は何か。
そう尋ねると、少し考えたあと、こう答えてくれた。
「人に喜んでもらうことです」
その感覚は、子どもの頃から高木さんの中にあった。
小学生の頃、高木さんは人を笑わせるのが好きだった。
面白いことを言う。
ふざける。
周りが笑う。
その空気が好きだった。
小学校の卒業文集では、友人から「絶対芸人になる」と書かれていたという。
「子どもの頃から、人を笑わせるのがすごく好きでした。喜んでもらいたいという思いがあって、当時は笑わせるという手段しかなかったんだと思います」
勉強で目立つわけではない。
スポーツで誰かを圧倒するわけでもない。
周りを笑わせて、喜んでもらうことが好きだった。
だが、その明るさの奥には、寂しさがあった。
母は小学校の先生。
父はサラリーマン。
外から見れば、堅実な家庭だった。
家の中の空気は、穏やかではなかった。
両親は不仲だった。
口論や言い争い。
物心ついた頃から、家の中には張りつめた空気。
「辛いが8割くらいでした。早く家を出たかったんです」
長い時間の重さがあった。
母は、どんなに忙しくても子どもを優先する人だった。
自分よりも、人のことを先に考える人だった。
気を遣う。
相手のために動く。
高木さんは、その姿を近くで見ていた。
「母は、自分のことよりも人のことを優先する人でした。今思えば、人のために何かをするという感覚は、そこから来ているのかもしれません」
一方で、父の存在は分かりにくかった。
父は、家計を支えてくれていた。
家族のために働いてくれていた。
当時の高木さんには、そのありがたみが分からなかった。
「何でこんなに何もしてないんだろう」
近くにいるのに、心は遠い。
家族なのに、うまく受け取れない。
父の愛は、言葉にならなかった。
高木さんは、家の中で満たされないものを外で求めた。
誰かを笑わせること。
誰かに喜んでもらうこと。
自分がここにいてもいいと感じること。
大学に進学したかった理由も、学問への憧れというより、一人暮らしをしたかったからだった。
「家を出たかったんです。一人暮らしをしたいから大学に行った、というのが正解かもしれません」
笑いは、ただの明るさではなかった。
寂しさを抱えた少年が、誰かとつながるために見つけた最初の方法だった。
第2章|「この人みたいになりたい」——勉強嫌いが塾講師を選んだ理由
高木さんは、勉強が好きではなかった。
「勉強が大嫌いというか、テスト期間中だけ勉強すれば点数は取れる、という感じでした。要領はよかったのかもしれません」
本気で打ち込んでいたのは、剣道だった。
高校も大学も、スポーツで進学した。
入試というものを、ほとんど経験していない。
鉛筆の代わりに竹刀を握っていたような人生だった。
そんな高木さんが、大学卒業後に選んだ仕事は、塾講師だった。
理由は、就職活動の時に出会った「大人の姿」だった。
大学4年生になり、就職活動をしなければならなくなった。
やりたいことは特になかった。
興味のある仕事もなかった。
その時、アルバイト先の社長から言われた言葉があった。
「会社の上司が、将来の自分の姿だよ。その人みたいになりたいと思ったら、その会社を選べばいい。そうじゃないなら、違うかもしれないね」
その言葉を胸に、合同説明会を見て回った。
どの企業の説明者を見ても、心が動かなかった。
「この人みたいになりたい」と思える大人に出会えなかった。
そんな時、たまたま出会った塾の説明担当者がいた。
その人は、熱を持って語っていた。
自分たちの会社がどんな場所なのか。
この仕事が、どんな未来につながるのか。
どんな日本を作りたいのか。
高木さんは、その姿に心をつかまれた。
「塾の先生になりたかったのではなく、そこで話しているような人間になりたいと思ったんです」
職業に惹かれたのではない。
人に惹かれた。
大人の熱量に惹かれた。
子どもの頃、周りには「仕事が楽しい」と言っている大人がほとんどいなかった。
くたびれた大人を見て、子どもは未来に希望を持てるだろうか。
説明会で見たその人の姿は、強く刺さった。
「こんな大人になりたい」
その思いで、塾の世界に飛び込んだ。
入社後すぐに現実を突きつけられる。
学力が足りない。
授業がうまくいかない。
生徒に届かない。
上司からは、今で言えばパワハラ、モラハラに近い厳しい言葉も浴びた。
「生徒より頭が悪いのか」
そう言われても、高木さんは「その通りだ」と思ったという。
変に反発するプライドもなかった。
自分に力がないことを、正面から突きつけられていた。
最初から、優秀な先生だったわけではない。
できない側にいた。
分からない側にいた。
つまずく側にいた。
その経験が、後に力になる。
3年ほど経つ中で、高木さんは少しずつつかんでいく。
勉強には技術がある。
教え方にも技術がある。
何より、興味を持たせることが大切だ。
どこでつまずくのか。
どう伝えれば届くのか。
どんな言葉なら、子ども達に伝わるのか。
高木さんは、自分が理解できないと、人に伝えられない。
だからこそ、自分の中で噛み砕いた。
難しいことを、簡単な言葉に置き換えた。
できない子の目線に降りた。
次第に高木さんは、人気教師になっていく。
「僕ができないから、できない子の気持ちが分かるんです」
できなかった過去は、恥ではなかった。
誰かに寄り添うための感覚になっていた。
第3章|勢いで独立した先にあった、1000万円の借金というどん底
塾講師として9年働いた後、高木さんは福島へ戻る。
塾の仕事が嫌になったわけではない。
静岡で就職し、教師として充実した時間もあった。
人気教師にもなった。
長男として、いつかは実家に戻る流れがあった。
30歳を迎える頃、そのタイミングが来た。
福島へ戻った高木さんは、就職するか、独立するかを迷う。
心にあったのは、新しいことに挑戦したいという思いだった。
「とにかく自分でやってみたい」
明確な事業計画があったわけではない。
何を売るのか。
誰に届けるのか。
どうやって収益を作るのか。
細かく詰めないまま、勢いで独立した。
当時は、ノマドワーカーという言葉が流行り始めていた。
スタバでMacを開く。
場所に縛られず、パソコン一台で稼ぐ。
そんな働き方が、きらびやかに見えた。
「Macを買ったら稼げると思っていたんです。パソコンを持って、スタバでいじっていたら、稼げるようになるんだなって」
ブログ。
投資。
ネットワーク。
人脈づくり。
いろいろなものに手を出した。
どれも、うまくいかなかった。
振り返ると、高木さんの軸からずれていた。
高木さんにとって大切なのは、目の前の人に喜んでもらうこと。
誰かの反応が見えること。
ありがとうが返ってくること。
ブログを書いても、画面の向こうの誰かは見えない。
投資で数字が動いても、誰かの笑顔は見えない。
塾講師の時は、目の前に子どもがいた。
できた瞬間の表情があった。
喜びが返ってきた。
自分が本当に求めていたものは、そこにあった。
そのことに気づく前に、高木さんは深いトラブルに巻き込まれていく。
人脈を作ろうと、さまざまな交流会に顔を出していた頃。
ある人物と出会った。
事業を手伝うと言われた。
夢のある計画を見せられた。
自分には経験がなかった。
経営の知識もなかった。
フリーランスとして何をどう組み立てればいいのかも分からなかった。
お金が必要だと言われる。
最初は、これも必要な投資なのだと思った。
しかし、なかなか成果は出なかった。
売上は立たない。
手応えもない。
それでも「もう少し続ければ形になるかもしれない」と、自分に言い聞かせるしかなかった。
次第に、必要だと言われる金額は膨らんでいく。
親にも借りた。
気づけば、借金は総額1000万円ほどになっていた。
「本当にどん底でした」
収入の柱はない。
成果も出ていない。
借金だけが増えていく。
親にも迷惑をかけている。
誰にも相談できない。
心も壊れていった。
高木さんは、うつ状態になった。
「もし一人だったら、どうなっていたか分からないほど追い詰められていました」
あれほど早く出たかった実家。
その家に、命をつなぎ止められた。
親がいた。
相談できる人がいた。
弁護士にたどり着くことができた。
法的に整理し、人生のマイナスを一度止めることになった。
それは、終わりではなかった。
生き直すための選択だった。
「今までのマイナスがなくなって、なんとか人間らしい生活ができるようになりました」
もう少し遅れていたら、どうなっていたか分からない。
心がもっと深く沈んでいたかもしれない。
どこかへ逃げていたかもしれない。
取り返しのつかないところまで、自分を追い込んでいたかもしれない。
失ったものは大きかった。
傷も残った。
親への申し訳なさもあった。
それでも、ぎりぎりのところで止まることができた。
そこから、高木さんの人生はもう一度動き出していく。
そして自分の軸も定まっていく。
自分は、誰かに直接喜んでもらえる仕事がしたい。
反応が見える仕事がしたい。
ありがとうが返ってくる場所で生きたい。
その延長線上に、カメラとの出会いがあった。
第4章|「愛には時差がある」——アルバムが教えてくれた父の不器用な愛
高木さんが写真の意味を深く感じるようになった背景には、父が残していたアルバムがある。
姉が結婚した時のことだった。
父は、姉の生まれた頃から幼い頃までの写真をDVDにまとめて渡した。
長い年月をかけて残してきた写真を、娘の人生の節目に手渡した。
父は、とても几帳面な人だった。
リモコンの位置が少し曲がっているだけでも気になるほどの人。
そんな父が、家族の写真をずっと残していた。
姉の結婚をきっかけに、それを見た。
そこには、子どもの頃の時間が残っていた。
父が、言葉にできなかったものが残っていた。
「大切に思ってくれていたんだなと感じました」
その瞬間、高木さんの中で、父の見え方が少し変わった。
当時は、父の愛情を感じられなかった。
不器用で、何を考えているのか分からなかった。
家計を支えてくれている意味も、受け取れていなかった。
父は、言葉で愛を伝える人ではなかった。
昭和の父親らしく、不器用だった。
それでも、写真は残っていた。
家族の時間を、ずっと残していた。
その時には分からなかったものが、何年も経ってから届くことがある。
言葉では受け取れなかった愛が、一枚の写真になって返ってくることがある。
高木さんにとって、父が残した写真は、ただの記録ではなかった。
父の不器用な愛の証だった。
そして高木さんは、写真を仕事にしてから、ある記事に出会う。
家族写真は、子どもの自己肯定感を高める。
自分自身が、自己肯定感の低さを抱えてきた。
家庭の中で満たされなかった感覚を知っていた。
塾講師時代にも、自分に自信がない子どもたちをたくさん見てきた。
家族写真が、その子たちの心に少しでも役に立つなら。
「自分はここにいていい」と思えるきっかけになるなら。
それは、とても意義のあることだと感じた。
「僕自身がそういう家庭で育ったので、自己肯定感が低かったんです。塾の先生をやっていた時も、自分に自信がない子や消極的な子は多かった。家族写真を撮ることで、少しでも役に立つなら、すごく意義のあることだと思いました」
家族写真は、ただの記念ではない。
「あなたはここにいていい」
「あなたは大切にされていた」
「あなたには、帰れる記憶がある」
そんなメッセージを、未来に残すものだった。
高木さんは、写真がもっと生活の中にあっていいと感じている。
大切な人の存在は、忘れてしまう。
一緒にいることが当たり前になる。
愛されていることも、愛していることも、忙しさの中で見えなくなる。
写真は、それを思い出させてくれる。
撮った瞬間だけではない。
何年も経ってから、また意味を持つ。
その時に受け取れなかった愛を、未来で受け取ることができる。
高木さんは、写真に救われた。
父の愛を、写真から受け取った。
だから今度は、自分が誰かの未来に残す側になる。
第5章|「10年後、20年後にじわっとくるものを残したい」——未来の家族へのギフト
高木さんは今、家族写真、プロフィール写真、企業PR動画、写真講座など、幅広い仕事をしている。
企業向けのプロフィール撮影や広報撮影、動画制作にも力を入れている。
企業の魅力を引き出し、伝わる形にする。
クライアントからは「話しやすかった」と言われる。
そこには、塾講師時代に培った聞く力、伝える力が生きている。
できない人の気持ちが分かる。
緊張する人の気持ちが分かる。
自信がない人の表情が固くなる理由も分かる。
だから高木さんは、撮影現場で急がない。
無理に笑わせようとしない。
その人らしさがふっと出る瞬間を待つ。
「自然なカメラ目線で、ふとした瞬間に、撮影されていることに気づいていないような時こそ、その人らしさが出ると思います」
写真を撮ることは、相手をコントロールすることではない。
その人が本来持っているものを、そっと引き出すこと。
「あなたは、こんなにも魅力的なんですよ」と、目に見える形で返すこと。
高木さんは、仕事のない時期を経験している。
何もなかった時期を知っている。
精神的に追い詰められた時間も知っている。
だから、選んでもらえることへの感謝が深い。
「仕事があるということが、どれほど幸せなことかを、今でも思っています。数あるカメラマンの中から僕を選んでくれた方には、120%、価値の10倍くらいのものを届けたいという一心でやってきました」
選ばれることは、当たり前ではない。
依頼が来ることは、当たり前ではない。
目の前にお客様がいることは、奇跡に近い。
お金や評価を一度横に置いた時、高木さんが撮りたいものは何か。
答えは、親子写真だった。
「10年後、20年後、見た時に、じわっとくるものがあると思います」
高木さん自身、親子で写っている写真がほとんどないという。
子どもだけの写真はある。
親が撮った写真はある。
でも、親と子が一緒に写っている写真は少ない。
だからこそ、残したい。
子どもにとっても、親にとっても、そこに写っている時間は、後から意味を持つ。
今は何気ない一日でも、未来から見れば宝物になる。
そのことを決定的に感じた出来事がある。
5年ほど前、地元で大きな台風と洪水が起きた。
隣町が川の氾濫で水浸しになった。
親戚の家も被災し、高木さんは土砂かきに向かった。
家電も家具も駄目になっていた。
家の中は泥だらけだった。
その中で、親戚のおばさんが一番悲しんでいたもの。
それは、アルバムだった。
紙の写真が水浸しになり、使い物にならなくなっていた。
家電よりも、家具よりも、取り戻せないもの。
それが写真だった。
「高価なものよりも、一番価値があるのは写真なんだなと思いました」
写真は、思い出を閉じ込めるものではない。
思い出を、未来でまた開けるようにするものだ。
家電は買い替えられる。
家具も、時間をかければ揃え直せる。
でも、あの日の笑顔は戻らない。
幼かった子どもの表情は戻らない。
若かった親の姿も戻らない。
だから写真には価値がある。
高木さんがこれから残したい社会は、子どもが早く大人になりたいと思える世界である。
くたびれた大人ではなく、仕事を楽しむ大人。
自分の人生を生き生きと歩く大人。
そんな大人が周りにいれば、子どもは未来に希望を持てる。
「子どもが早く大人になりたいと思う世界がいいんです。周りにキラキラしている大人や、仕事って楽しいと言っている大人がいたら、子どもは『僕も早く大人になりたい』と思えるんじゃないかと思うんです」
高木さん自身も、そういう大人であろうとしている。
写真を撮ること。
動画をつくること。
人に教えること。
そのすべての奥にあるのは、変わらず「人に喜んでもらうこと」だ。
高木さんにとってのIKIGAIは何か。
そう尋ねると、彼はやはり原点に戻るように答えた。
「人に喜んでもらう。“ありがとう”と言ってもらえることかもしれないですね」
この言葉が、高木さんのIKIGAIだった。
その「ありがとう」は、撮影直後だけのものではない。
10年後、20年後、家族が写真を見返した時にも生まれる。
「あの時、こんな表情をしていたね」
「あんた、いい顔してるね」
「あの頃、こんなことがあったね」
そんな会話の中で、もう一度ありがとうが生まれる。
高木信幸さんは、未来の家族に向けてシャッターを切る。
その一枚が、いつか誰かにこう伝えるために。
あなたは、確かに愛されていた。
あなたは、ここにいてよかった。
あなたの時間は、残す価値のある宝物だった。
写真は愛を伝える手段なのだ。

あとがき
高木信幸さんの話を聞きながら、私は受け取った愛について考えていた。
人は、愛された記憶をどれだけ正しく受け取れているのだろうか。
その時には分からなかった愛がある。
言葉にされなかったから、愛だと気づけなかったものがある。
不器用すぎて、寂しさや誤解の中に埋もれてしまった想いがある。
高木さんにとって、幼い頃の家は、安心だけで満たされた場所ではなかった。
両親の不仲があり、早く家を出たいという思いがあり、父のありがたみも分からなかった。
その言葉には、きれいごとでは語れない家族の痛みがあった。
それでも、父は写真を残していた。
言葉で伝えることは得意ではなかったのかもしれない。
抱きしめることも、褒めることも、分かりやすく愛情を示すことも、不器用だったのかもしれない。
それでも、家族の時間を残していた。
その写真を見た時、高木さんは、遅れて届いた愛を受け取った。
「ああ、大切に思ってくれていたんだな」と。
私はそこに、人間らしい愛の形を感じた。
愛は、必ずしもその場で届くわけではない。
その時の自分には、受け取れない愛もある。
寂しさの中では見えない愛もある。
反発していた相手の中に、後から見つかる愛もある。
高木さんは、その愛を写真から受け取った。
そして今度は、自分が誰かの未来に愛を届ける側になっている。
高木さんの写真は、愛のメッセージを未来へ手渡している。
「人に喜んでもらう。“ありがとう”と言ってもらえること」
高木さんは、それが自分にとってのIKIGAIかもしれないと語ってくれた。
人に喜んでもらうことを、人生の真ん中に置き続けることは簡単ではない。
自分が傷ついても、どん底を見ても、仕事がない時期を経験しても、それでも目の前の人に喜んでもらうことへ戻ってくる。
そこに、高木さんの生き方があった。
あなたは、どんな愛を受け取ってきただろうか。
その場では気づけなかった愛。
今なら少しだけ分かる愛。
まだ胸の奥で、うまく受け取れずにいる愛。
もしかすると、私たちの人生には、まだ開いていないアルバムがあるのかもしれない。
そして同時に、私たちは誰かの未来に向けて、何かを残すこともできる。
写真でもいい。
言葉でもいい。
手紙でもいい。
背中でもいい。
大切な人に、大切だった証を残す。
それは、いつか誰かが愛を受け取るための入口になるかもしれない。
何年も後に、その人が自分は愛されていたのだと気づくきっかけになるかもしれない。
高木さんの写真は、未来への手紙だ。
受け取った愛を、次の誰かへ渡していく。
その循環の中に、人が生きる意味は宿るのだと思う。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師









