弱さを知る人は、強くなれる——父の技と志を継ぎ、美学を磨き続ける経営者 

伊波啓太・有限会社アルファーシステムサービス

地域の安心を守る二代目経営者/武士道経営コンサルタント

熊本県熊本市

弱さを知る人は、強くなれる——父の技と志を継ぎ、美学を磨き続ける経営者 

 

 

あなたは、自分の弱さと、まっすぐ向き合えているだろうか。

できていないこと。怖くて言えずに飲み込んだ本音。
「本当は、もっと違う生き方をしたかった」と、夜にふとよぎる後悔。
それらを見ないふりをして、「大丈夫」「これが現実だから」と、自分に言い聞かせていないだろうか。

武士道を磨く人。
居合を学び、
経営者の在り方を説く。
そういう人は、さぞ強い人なのだろうと思うかもしれない。

「僕は、まだまだヘナチョコです」

有限会社アルファーシステムサービス代表取締役・伊波啓太。熊本を拠点に、防犯カメラ・消防設備・入退室管理機器などのセキュリティ設備を手がける技術会社の二代目経営者であり、武士道経営コンサルタントとしての顔も持つ。

だが、肩書きより先に知ってほしいことがある。伊波さんは、長男として自分を押し殺してきた少年だった。受験から逃げ、アメリカへ渡った若者だった。現場で怪我をして、初めて自分の人生を問い直した男だった。父を怒らせ、父が倒れ、自分の甘さを骨の髄まで思い知った息子だった。

そして、熊本地震の夜、自分も被災しながら、それでも身体が勝手に動いて、見知らぬ隣人の瓦礫を片付けに行った人間だった。

表向きには、地域の安心と安全を支える仕事をしている人。けれど、その奥にある物語は、そんな一言では到底おさまりきらない。

これは、弱さを知る者が、それでも人のために技を磨き続ける、一人の男の生き方の記録である。そして同時に、読んでいるあなた自身の中に眠る、「美学とは何なのか」という問いに、火をつける物語でもある。

第1章|自分を押し殺す——「自分らしくありたい」という原点

伊波啓太さんは、三人兄弟の長男として生まれた。

父は職人。平成2年11月に有限会社アルファーシステムサービスを設立し、無線機器の修理から始まり、無線基地局の設置、大手の下請、放送設備や入退室管理機器へと、時代のニーズに合わせて仕事の形を変えてきた人。技術一本で、家族を食わせてきた。多くを語らない。背中で見せるタイプだった。

「父は、ほんと”職人”という感じでしたね。堅実で、あんまりしゃべらない。何を考えているのか、子どもからするとよく分からないところもあって」

一方で、母は教育熱心だった。長男としての期待。弟や妹の見本であることを、どこかで求められている感覚。良い子でいなければならない、という空気。

その中で、伊波さんは自然と「自分を引っ込める」ことを覚えていく。弟や妹のために自分が我慢する。わがままは言わない。自分の意見を言わない、言えない。「自分を押し殺す」クセが、幼い頃から身体に染みついていった。

「長男だから、というのは大きかったと思います。自分の気持ちより、家族の空気を優先してしまう。『こうしたい』よりも、『こうあるべき』を選び続けてきた感じです」

だが、彼の中には、もう一つの種も同時に育っていた。小学校3年生頃から始めたボーイスカウト。自然の中でのキャンプ、野外活動。地域での奉仕やボランティア。

誰かの役に立つこと。人が喜んでくれること。それが、理屈ではなく、身体で嬉しいと感じられる体験だった。

「ボーイスカウトでは、人のために動くことが当たり前にあるんですよね。困っている人を手伝ったり、地域の掃除をしたり。それをして『ありがとう』と言われるのが、単純にうれしかった」

自分を押し殺しながらも、人のために動くことには喜びを感じる。この相反する二つの感覚が、まだ言葉にならないまま、少年の中で共存していた。

不器用に、長男としての役割に応えようとする少年。
伊波さんの価値観の種は、この「押し殺す長男」の時代に、土の中で芽を待っていた。

第2章|外の世界で気づいたもの——逃げるように飛び込んだ海の向こう

中学・高校時代、伊波さんはギターに出会う。バンドを組み、友達とライブをする。表現する楽しさ。「長男としての”いい子”な自分」とは別の、自分の中の衝動が顔を出す。

「本当は、前に出たい自分もいたんです。ギターを弾いて、人前で音を鳴らすのは楽しかったですね」

だが、勉強や受験は苦手だった。机に向かうことが苦しい。将来のビジョンも、まだはっきりしない。進路を決める時期になっても、「これがやりたい」と胸を張って言えるものがない。

そんなとき、浮かび上がったのが「アメリカ留学」という選択肢だった。明確な目的があったわけではない。「留学って、なんかかっこいいよね」。そんな感覚だった。

「受験から逃げたいという気持ちもありました。アメリカに行くと言えば、周りも納得してくれる。自分としても、”チャレンジしている風”になれる。そんな計算も、どこかにありました」

逃げるように飛び込んだアメリカ。
その「逃避の一歩」が、思いがけない出会いを連れてくる。
それが日本を外から見るという経験だ。

異国の地で暮らし、さまざまな国の人と出会う。その中で気づかされるのは、外国人たちが話す「日本」の話。礼儀正しさ、勤勉さ、繊細さ。四季の美しさ。食文化や、言葉の奥にあるニュアンス。

日本人の自分よりも、海外の人たちのほうが、日本の良さを知っている。

「海外に出て、初めて『日本ってすごい国なんだな』って実感しました。自分では当たり前すぎて気づいていなかった、日本の美しさとか、精神性の高さとか」

そこで芽生えた感覚がある。
日本の良さ。日本の美しさ。日本人としての誇り。
「自分は日本人で、日本に生まれてよかった」
それは「いつか、日本らしい何かを、ちゃんと身につけたい」という、小さな種が心のどこかに埋め込まれた瞬間だった。

帰国後は、アルバイトを転々としながら、「これだ」という道を見つけられないまま、時間だけが過ぎていく。

そんな伊波さんに、ある日、父から声がかかる。「そろそろ身を固めろ」。ちょうど、結婚を考えていた頃。父の紹介で、消防設備の技術会社に入ることになった。

25歳。そこから約10年間。彼は、ひたすら現場に立ち続ける。火災報知器の設備。配線。点検。ビルや施設、天井裏での仕事。安月給ではあったが、生活はできた。結婚し、子どもも生まれた。

「毎日、現場。真面目に働いてました。でも、30代後半になってくると、心のどこかでモヤモヤが出てきて……」

このままでいいのか。他に道はないのか。自分には、もっと何か可能性があるんじゃないか。仕事も家庭も、一見「ちゃんとしている」。でも、心の奥では、何かが欠けている気がする。

アメリカで感じた、日本の美しさ。ボーイスカウトで感じた、人の役に立つ喜び。ギターを弾いて、前に出たいと思っていた自分。それらが、すべて「遠い記憶」になりつつあるような、そんな焦り。

けれど、どう動けばいいか分からない。そんななかで起きたのが、「現場での怪我」だった。

第3章|「運命は自ら招く」——流されてきた人生に、自分の足で線を引く

30代後半。いつものように現場で作業をしていたとき、怪我をした。それは、肉体的な痛み以上に、「このままではいけない」と、自分の生き方に向き合わざるを得なくなる出来事だった。

休養の時間が生まれる。「この先、どうするのか」と、自分に問わずにはいられない。そんなとき、ある集まりのことを知る。倫理法人会。早朝に経営者たちが集まり、「自分を律する」ことを学ぶ場所。

「最初は、正直よく分からなかったです。ただ、現場で怪我をして、このまま流されていくのが怖くなった。何か変えないといけない。そのときに、熊本市倫理法人会のモーニングセミナーの存在を知って、これは行ってみようと」

自ら参加を決めたモーニングセミナー。そこで見たのは、早朝から集まり、自分と向き合い続ける経営者たちの姿だった。

「経営者が、自分を律するために学び続けている。その姿を見て、シンプルに『かっこいいな』と思ったんです。自分も、ああいう仲間の一人になりたい、と」

入会を決めた伊波さんに、倫理法人会がくれた最初の大きな言葉がある。「運命自招(うんめいじしょう)。運命は自ら招き、境遇は自らつくる」

「それまでの自分は、流されて生きてきた感覚があったんです。親に言われたから、周りがそうしているから。気がついたら、今ここにいるだけで。そんな自分が、この言葉に出会って、『あ、人生って、自分で創っていいんだ』と、初めて腑に落ちた」

それは、流されて生きる自分と自ら選んで生きる自分の境界線に自分の手で線を引いた瞬間だった。 

倫理法人会を通じて、もう一つ出会いが訪れる。居合を披露する先生を見たときのことだ。刀を抜き、静かに構え、一太刀を振り下ろす。会場の空気が、すっと張りつめる。

「単純に、『かっこいい』と思いました。説明じゃなくて、姿そのものに、何か惹かれるものがあった」

その「かっこよさ」に、アメリカ時代に感じた「日本の美しさ」がつながっていく。「日本らしい何かを身につけたい」と、あの頃に埋め込まれた種が、ゆっくりと芽を出し始めた。

伊波さんは、居合の道場に通い始める。
型を学び、礼を学び、所作を学ぶうちに、居合や武士道の奥にある「精神性」に触れていく。

「武士道って、刀を振り回すことじゃないんですよね。侍っぽく見せることでもなくて。もっと地味で、もっと日常的な『在り方』の話なんだと感じるようになりました」

流されて生きてきた自分。長男として、自分を押し殺してきた自分。現場で黙々と働くしかなかった自分。そのすべてに、「もう一度、自分で選び直していい」と告げてくれたのが、「運命自招」という言葉と、武士道の世界だった。

そして、2016年4月。熊本を襲った大地震が、その決意を試すように訪れる。

第4章|「働くとは、人を喜ばせること」——熊本地震で知った、仕事の本当の意味

2016年4月14日、そして16日。熊本地震が熊本を襲った。 家は大きく揺れた。照明器具が外れ、タンスが倒れる。ガラスや物が散乱し、家の中は一瞬で非日常に変わった。

家族は寝ていた。子どもたちを抱きしめ、その身体を自分の腕の中に包み込む。恐怖がなかったわけではない。「この家は大丈夫か」「次の揺れで何が起きるか分からない」。その不安とともに、一晩を車の中で過ごした。

自分の生活がある程度落ち着くと、心の奥から湧き上がってきた感情があった。「外には、もっと困っている人がいる」
自分も被災している。決して余裕があるわけではない。でも、なぜか身体が勝手に動いた。

倒れた家具の片付けを手伝う。散らかった部屋のものを、一緒に整理する。工具を使える自分だからこそできることを、ただ淡々とやり続けた。

「損得とかじゃないんですよね。仕事にしようとか、評価されようとか、そういう発想は一切なくて。ただ、『あの家、大変そうだな』と見えたら、気がついたら身体がそっちに向かっている。そんな感じでした」

「ありがとうございます」
片付け終わったときに、ふと聞こえるその一言。その「ありがとう」に、心が震えた。

「あのとき、働くことの意味を、身体で理解した感覚がありました。働くって、本来こういうことなんだなって。人が困っているところに、自分の持っている技や力を差し出して、『助かった』『ありがとう』と言ってもらえること。それが、仕事の一番の根っこなんだと」

「助けたいのに助けられない悔しさ」も、そこにはあった。お金がない。物がない。もっとできることがあったのではないか。もっと早く動けたのではないか。もっと多くの人を支えられたのではないか。心のどこかに、そんな歯がゆさが残る。

その悔しさも含めて、「人のために、自分の技を磨き続ける」という今の生き方の土台になっている。怪我から始まった倫理法人会。「運命自招」という言葉。居合と武士道との出会い。そして熊本地震。

すべてが少しずつ線でつながり始める。「人のために、自分にできることを差し出す」。それが、働くことの意味であり、生きることの意味であり、自分がこれから歩くべき道だと、うっすらと輪郭を帯びていった。

そんな中で、もう一つ大きな転機が訪れる。父の会社に入る、という選択だ。熊本地震や倫理法人会の学びを通じて、「流されて生きる」のをやめようと決めた伊波さん。それまで勤めていた消防設備の会社を辞める決断をする。

奥様も背中を押してくれた。「やってみたらいいよ」。
その一言は、とても心強かった。そんなタイミングで、父から声がかかる。年齢的にも、事業を縮小しようと考えていた父。会社をたたむことも視野に入れていた。

「もし、お前がやる気があるなら、うちの仕事をやっていくか」

39歳。伊波啓太は、父が創業した有限会社アルファーシステムサービスに入る。

第5章|父の背中と、「仕事を奪ってしまった」悔しさ——会社は”一時預かりもの”である

前職も消防設備関係だったため、現場仕事はある程度分かっていた。
しかし、「父の会社を継ぐ」となると、話は別だ。

「どこかで、『まだ父がいるから大丈夫』という甘さがあったと思います。代表としての覚悟を口では言いながらも、本気で背負いきれていなかった」

父は頑固な職人気質。コミュニケーションは決して得意ではない。

「父は、本当に”仕事の人”でした。家族を食わせるために、ただ黙々と技を磨き続けてきた人。会社を大きくしようとか、華やかなことをしようとか、そういう発想はなかったと思います」

そんな父と、一緒に仕事をする日々。会社のこれからについて、考え方の違いも出てくる。ある出来事をきっかけに、父を怒らせてしまう。その一件で、血圧が高かった父は倒れた。

「それから、父は仕事ができなくなりました」

父が現場に出られなくなり、会社のすべてを、一人で背負うことになる。

「当時は、とにかく必死でした。やるしかない。お客さんもいるし、現場もある。目の前のことをこなすだけで精一杯」

時間が経ち、振り返ったとき、伊波さんの口からこぼれた言葉がある。

「仕事を奪ってしまったのは、やっぱり僕の甘さだったかな、と思うんです」

黙々と家族を支え続けた父の背中が、
どれほどの重さを背負っていたのか。
家族を食わせるとは、どういうことだったのか。

「父が現場に立てなくなって、初めて父の偉大さを本当に知りました。あんなに黙々と、あんなに責任を背負って、ずっとやってきてくれていたんだな、と」

父は、言葉では多くを語らなかった。しかし、その背中が語っていたものは、あまりに大きかった。「父から事業を継いだ」というよりも、「父から仕事を奪ってしまった」という感覚。その痛みを、自分の中でどう受け止めるのか。

「父が創業した会社を、後世に残すことが自分の使命だと感じました。会社は、自分のものじゃなくて、”一時預かりもの”なんだ、と」

技術も、時代も、変わっていく。アナログからデジタルへ。防犯カメラの形も、消防設備のあり方も、次々に更新されていく。けれど、変わらないものがある。

自分を磨くこと。技を磨くこと。知識を深めること。人のために、自分にできることを深め続けること。それこそが、父から本当に受け継いだものだと気づく。

「7世代先の素晴らしき未来を考えて行動していきたいんです」

売上の話でも、規模の話でもない。
父が黙々と守ってきたものを、技術という形に乗せて、次の世代へと渡していく。

だからこそ、彼は今日も、「まだまだヘナチョコです」と言いながら、現場に立ち続ける。防犯設備も、消防設備も、居合も、武士道経営も、根にあるものは同じ。

人のために、自分にできることを磨き続けること」
それが、伊波啓太のIKIGAIだ。
素直であること。人に迷惑をかけないこと。互いに支え合うこと。自分自身を磨き続けること。人のために技を極めること。

「僕の武士道は、”強さの誇示”じゃないんです。むしろ、自分の弱さをちゃんと知って、そのうえで『どう在るか』を問い続けること」

自分の弱さを認めた上で、それでも誰かのために立ち続ける強さ。「運命自招」と唱えながら、天井裏で汗を流し続ける強さ。熊本地震で、自らも被災しながら、身体が勝手に動いてしまう強さ。

そんな「志」の中に日本の魂があるのだ。

あとがき

伊波さんの話を聞きながら、日本人として、この時代に何を残していかなければならないのか、改めて自分自身に問いかけていた。

人のために、自分の生業で技術を極めること。誰かが困っていたら、お金や時間の損得を抜きにして身体が動くこと。言葉よりも背中で、その生き方を伝えていくこと。そこに、日本人がずっと大切にしてきた意思のようなものが、確かに息づいている。

愛には時差がある。父の愛は、後から気づくものなのかもしれない。

不器用だった父が背負ってくれていたものの重さを、息子が本当に理解したのは、父が現場に立てなくなってからだった。一緒にいるときには分からなかった愛の深さ。黙々と家族を支え続けた父の背中から受け取ったものを、今度は自分の生業の中で磨き直し、次の世代へと手渡していこうとする姿に、日本の継承のかたちを見た。

誰かと比べる必要はない。立派さを競う必要もない。大事なのは、自分の真実を、愚直に、何度でも磨き続けること。その姿勢の中にこそ、IKIGAIが宿るのだろう。

「僕は、まだまだヘナチョコです」

この言葉を、最初に聞いたとき、謙遜だと思っていた。でも、違った。これは、人のために腕を磨き続けるという、終わりのない道を歩むための決意と覚悟の言葉だ。完全ではない自分を引き受けたうえで、それでも誰かのために技を極め続けるという、静かで強い宣言なのだ。

なぜなら、極めれば極めるほど、人を救えるのだから。

防犯設備の知識が深まれば、守れる命が増える。消防設備の技が磨かれれば、防げる災害が増える。居合を通じて培われた精神性が深まれば、支えられる人が増える。技の向こうに、必ず誰かの「ありがとう」が待っている。

あなたは今、何のために、その手を動かしているだろうか。
それは、世間で『立派』と呼ばれるものでなくていい
工具でも、言葉でも、料理でも、誰かの話を聞くことでさえも、「人のために」と決めた瞬間から、それは技になる。大切なのは、あなたのその技が、誰かの明日を少しでも明るくしているかどうかだ。

完璧な人間など、この世にはいない。
私たちは皆、迷い、傷つき、弱さを抱えながら生きている。

だからこそ、自分の弱さから逃げなかった人だけが、他者の痛みに寄り添い、本当の意味で人のために技を極めることができる。

腕を磨けば磨くほど、届けられる安心が深くなる。誰に褒められなくても、評価されなくても、目の前の人のためにその技を磨き続けることは尊いことなのだと感じる。

あなたが命を使って積み重ねたその背中、その選択、その生き様こそが、誰かの心に「自分もあの人みたいに、誰かのために腕を磨こう」という決意の種になっていく。

それこそが、日本人が受け継いできた遺産なのだと思う。

先人たちのIKIGAIは
この国の底を、これからもずっと支えていく。
それを私たちが残していくのだ。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

 

有限会社アルファシステムサービスウェブサイト

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