信じてくれた人を裏切らない——愛する人に恥じない“嘘のない経営”

秋吉 契佑 合同会社 笑麻琉

ケアマネジャーの働き方を変える、愛する人に恥じない経営者

大分県大分市

信じてくれた人を裏切らない——愛する人に恥じない“嘘のない経営”

 

あなたは自分に嘘をついていないだろうか。

自分一人なら、どこかで言い訳ができてしまう。
苦しくなれば、逃げることもできる。
理想を少し曲げても、「仕方がなかった」と自分に言い聞かせることもできる。

けれど、信じてくれた人がいる。
背中を押してくれた人がいる。
今も心の中で見てくれている人がいる。
そして、守りたい家族がいる。

その存在があるとき、人は簡単には自分に嘘をつけなくなる。

大分を拠点に、介護相談サービスを運営する合同会社笑麻琉 代表社員・秋吉契佑さん。
ケアマネジャーの働き方にリモートワークやDXを取り入れ、「楽をして、たくさん稼ぎ、楽しく働く」という言葉を掲げながら、介護職の働き方そのものを変えようとしている。

一見すると、それは介護業界の働き方改革の話に見える。
効率化、仕組み化、利益率の改善、職員の幸福。
確かに、秋吉さんの挑戦にはそのすべてがある。

けれど、話を聞いていくうちに、その奥にもっと深いものが見えてきた。

秋吉さんは、自分一人の力でここまで来た人ではない。
人生の節目で、人に救われてきた。
危ない時に声をかけてくれた人がいた。
背中を押してくれた人がいた。
そして、起業に踏み出す最後の一歩を、奥様が支えてくれた。

不安がなかったわけではない。
子どももいる。
守るべき暮らしもある。
会社を辞めて、自分で事業を始めるということは、理想だけでは済まされない。

それでも奥様は、秋吉さんの中にくすぶり続けていた火を見ていた。

「いつするん?」
「やったらできるやろ」
「失敗したら、私が働けばいいんやろ」

その言葉が、秋吉さんの背中を押した。

秋吉さんは、奥様を亡くした。
けれど、その言葉まで失ったわけではない。

今も、心の中にいる。
迷った時、苦しい時、自分をごまかしそうになる時、きっとその声が、秋吉さんの中で響くのだと思う。

だからこそ、嘘をつかない。

職員に恥ずかしくない経営をすること。
私利私欲のために会社を使わないこと。
働く人がちゃんと幸せになれる仕組みをつくること。
そして、家族に、亡き奥様に、子どもに、胸を張れる生き方をすること。

介護DXも、リモートワークも、利益率の改善も、秋吉さんにとっては目的ではない。
それは、信じてくれた人を裏切らないための手段であり、愛する人に恥じない経営を形にするための方法だった。

これは、介護DXの物語ではない。
人に救われ、愛する人に背中を押され、信じてくれた人を裏切らないために、嘘のない経営を貫こうとする、一人の男の生き方の記録である。

 

第1章|安定の中で芽生えた違和感——「自分の生活はどこにあるのか」

秋吉さんの幼少期の家庭は、

父は公務員。
母は銀行員。

本人の言葉を借りれば、幼少期は「普通のガキンチョ」だった。家庭に大きな不自由があったわけではなく、むしろ一般的には恵まれた環境だったという。小学生から中学生になる頃まで、自宅には世界各国からホームステイの人が来ていた。毎年のように、違う国の人が家の中にいる。

高校時代には、かつて家に来ていた女性のもとを訪ね、
アメリカでホームステイをしたこともある。

「今思えば、あの経験も何かになっているのかもしれません。なかなか普通の人ができない経験をさせてもらったと思います」

その言葉には、両親への感謝がある。
安定した家庭。
外の世界に触れられる環境。
人とのつながりを自然に受け入れる空気。

そのすべてが、秋吉さんの土台になっている。

しかし、安定した家庭に育ったからこそ、見えていたものもあった。
父の仕事。
母の仕事。
どちらも立派な職業だった。公務員も銀行員も、世間的に見れば堅実で、信頼される仕事だ。だが、子どもの頃の秋吉さんの目には、その働き方がどこか窮屈にも映っていた。

公務員として働く父は、定時で帰れるような仕事に見えて、実際にはそうではなかった。
選挙運動のようなものに関わらなければならない場面もあったという。
母も銀行員として、1円合わないだけで、帰りが遅くなることもあった。

子どもは、大人の言葉よりも背中を見る。
何が正しいかよりも、その人がどんな表情で生きているかを見てしまう。

秋吉さんは、就職を考える年齢になったとき、ふとこんな感覚を持った。

「自分の生活って、どこにあるんだろうと思ったことがありました」
父も母も、家族を支え、暮らしを守ってくれた。だからこそ、感謝もある。

それでも、自分は同じように生きたいのか。
会社や組織に属することは、どういうことなのか。
働くことは、生活を守るためだけのものなのか。
自分の時間、自分の人生、自分の価値は、どこに置かれるのか。

この問いは、まだ若い秋吉さんの中で、はっきりした答えにはならなかった。

ただ、小さな違和感として残った。

安定は大切だ。
収入も大切だ。
家族を守ることも大切だ。

けれど、人は安定だけで、自分の人生を生きていると言えるのだろうか。

秋吉さんは、最初から起業家だったわけではない。
むしろ、始まりは静かだった。

それはまだ、火種だった。

のちに秋吉さんは、自分という人間の価値について深く考えるようになる。
だが、その問いのいちばん奥には、この頃に見た風景があったのかもしれない。

家族のために働く大人たち。
安定の中にある窮屈さ。
そして、「自分の生活はどこにあるのか」という、消えない問い。

安定の中で育った一人の少年が、自分の人生の置き場所を探し始めたところから、始まっていた。

第2章|たまたま隣にいた人が、人生の進路を変えた——福祉という道の入口

大学を卒業した秋吉さんは、大手メーカーに就職した。

当時の現場では、派遣社員として働く人たちも多く、秋吉さんは若くしてラインを管理する立場にいた。まだ二十代前半。周りには自分より年上の人もいる。その中で、ライン全体の仕事を把握し、人が休めば自分が入ることもあった。

仕事そのものは、社会的に見れば安定していた。
大手メーカーの社員。
若くして現場を任される立場。
そのまま勤め続ける道も、十分にあった。

けれど、秋吉さんの中には、すでにどこか満たされない感覚もあった。

ライン作業は、どうしても同じ作業の繰り返しになる。
もちろん、そこにも大切な役割はある。
だが、若い秋吉さんには、その繰り返しの先に自分の未来を描き切れなかった。

そんなある日、現場で欠勤者が出た。
連絡も取れない。
ラインは止められない。

「もうしょうがない。じゃあ自分が入るか」

そうして秋吉さんがラインに入ったとき、隣にいたのが、年上の男性だった。

最初は、会話がうまく噛み合わなかった。
話しかけても、返答が少しずれる。
秋吉さんは、はじめは「そういう人なのかな」と思った。

けれど、一緒に作業をするうちに、その男性は聴覚障害のあることを知った。
少しずつ距離が縮まっていく。相手は年上で、秋吉さんから見れば人生の先輩でもあった。立場としては秋吉さんが社員で、相手はラインで働く人だったかもしれない。だが、人と人として向き合ううちに、肩書きや立場では見えないものが見えてくる。

その人は、自分の障害のことを話してくれた。
そして、幼少期にソーシャルワーカーに助けられた話をしてくれた。

秋吉さんは、そのとき初めて知った。

社会福祉士。
ソーシャルワーカー。
困っている人の相談に乗り、その人の人生を支える仕事。

「そんな仕事があるなんて、それまで知らなかったんです」
相談に乗り、制度や生活をつなぎ、人の人生の伴走者になるような仕事があることを、社会福祉士の仕事を秋吉さんは知らなかった。

その人は、自分を助けてくれた社会福祉士の話をした。
秋吉さんは思った。

「ものすごい仕事だ。自分もやりたい」

この感情は、単純な憧れだけではなかった。

当時は、福祉や介護の資格が社会的に広がり始めていた時代でもあった。

「正直に言えば、社会情勢も考えました。可能性も感じたし、自分のやりたい仕事でもあり、これからはそういう時代なのかなというのもありました」

美しい使命感だけで語らない。
人のために何かしたいという気持ちもある。
けれど、食べていけるか、資格として強いか、時代に合っているかも見ている。

きれいごとだけでは、人生は選べない。
でも、計算だけでも、人は動かない。

秋吉さんを動かしたのは、現実的な可能性と、隣で働いていた一人の男性の人生が交わった瞬間だった。

その出会いがなければ、どうなっていたか分からない。

「その人がいなかったら、たぶん人生は変わっています」

たまたま欠勤者が出た。
たまたま秋吉さんがラインに入った。
たまたま隣にいた人と仲良くなった。
たまたま、その人が社会福祉士に助けられた過去を話してくれた。

人生を動かす出会いは、いつもそんな顔をしてやってくる。

目の前の現場で、隣にいた一人の人。
その人の人生が、秋吉さんの人生を変えた。

大手メーカーを辞めた。
専門学校へ進み、社会福祉士を目指す。

ひとつの出会いに心を動かされ、現実を見て、可能性を感じて、自分の足で踏み出した道だった。

第3章|「ここにいたら人間が腐る」——人に救われ続けた医療法人時代

専門学校を経て、秋吉さんは社会福祉士として医療法人に入る。

ここから、秋吉さんにとって本当の意味での社会人生活が始まった。

相談員として働き、現場で人と向き合う。
利用者や患者、家族、職員、組織。
福祉や医療の仕事は、制度だけでは動かない。人間同士の感情、組織の事情、経営の現実、そのすべてが絡み合う。

秋吉さんは、その中で学んでいった。

だが、最初の医療法人で、秋吉さんは強い違和感にもぶつかる。
現場の仕事そのものだけではなく、法人の中にある空気。
本来、人を支える場所であるはずの組織の中で、自分がこのままここにいていいのかという感覚が膨らんでいった。

そのとき、上司が秋吉さんに言った。

「お前、もう辞めろ。ここにいたら人間が腐ってしまうぞ」

強い言葉だった。

普通なら、突き放されたように聞こえるかもしれない。

その言葉は秋吉さんを見捨てるものではなかった。
むしろ、救うための言葉だった。

その上司は、次の就職先の医療法人を受けるための小論文まで見てくれた。添削し、背中を押してくれた。ただ「辞めろ」と言ったのではない。次に進めるように手を貸してくれた。

人は、本当に危ない場所にいるとき、自分ではそこから出られないことがある。
環境に慣れてしまう。
我慢が当たり前になる。
違和感を飲み込み続けるうちに、自分の感覚の方を疑い始める。

そんなとき、外から「もう出ろ」と言ってくれる人がいることは、大きな救いになる。

秋吉さんは、その言葉に押されて次へ進んだ。

次に入った医療法人では、さらに深く仕事を学ぶことになる。最初は相談員として入ったが、法人の中で秋吉さんの価値を見出してくれる人がいた。二十代のうちに、フロアマネージャーのような役職をつくってもらい、看護師とも関わるような立場まで任されていった。

若くして、組織の中で役割を与えられる。
人から期待される。
自分の価値を見出してもらう。

それは、秋吉さんにとって大きな経験だった。

しかし、ここでもまた、人生を変える言葉を受け取ることになる。

ある日、事務局長から呼ばれた。

「この法人は潰れる。お前は若いから次がある。辞めた方がいい」

医療法人が潰れる。
その言葉を、すぐに受け止められる人は多くない。
それでも、その助言には切迫感があった。

秋吉さんの未来を考えたうえでの助言。

秋吉さんは、その言葉を受け取り、法人を離れる。
そして半年後、その法人は本当に倒産した。

「これも、その人に助けられていますよね、僕は」

秋吉さんは、そう振り返る。

人生の節目で、秋吉さんは何度も人に救われている。
隣にいた男性が、福祉という道を教えてくれた。
最初の医療法人では、上司が「ここにいたら人間が腐る」と言って外へ出してくれた。
次の法人では、事務局長が危機を知らせ、次へ進ませてくれた。

もちろん、秋吉さん自身も動いた。
決断した。
学び、働き、環境を変えた。

けれど、彼は自分一人の力だけでここまで来たとは語らない。

「僕は本当に、今までの人生、人に恵まれてきたんです」

人に恵まれてきた。
だから、人を軽く扱えない。
自分を信じてくれた人の存在を、なかったことにはできない。

そしてこの頃、秋吉さんの中で、ひとつの問いがはっきりしてくる。

会社は、自分という人間の価値を買っている。
では、別の会社なら、自分はどう評価されるのか。
自分の人間的価値は、組織によってどれほど変わるのか。
もっと高く評価される場所があるのか。
それとも、自分はどこへ行っても同じなのか。

転職を重ねれば、少しは見えるかもしれない。
すべてを試すことはできない。

考えれば考えるほど、きりがない。

そのとき、秋吉さんの中に、ひとつの答えが生まれる。

「それなら、自分でやった方が早い。自分の価値は、自分で決めることができる」

それは、野心だけではなかった。
誰かを見返したいという怒りだけでもない。

自分の人生を、自分で引き受けたい。
自分の価値を、会社や役職だけに委ねたくない。
自分が何者なのかを、自分の仕事で証明したい。

その思いだった。

けれど、思いが生まれたからといって、すぐに起業できるわけではない。
家族もいる。
生活もある。
守らなければならないものがある。

そこから、長い時間の葛藤が始まる。

 

第4章|「いつするん?」——妻の一言が、最後の火をつけた

三十歳頃に芽生えた起業への思いは、すぐには形にならなかった。

秋吉さんはその後も、会社に尽くした。
ただ不満を抱えて過ごしていたわけではない。
目の前の仕事に向き合い、組織の中で役割を果たしながら、自分の将来に必要な人脈もつくっていった。

その時間は、決して無駄ではなかった。

法人の決定を見る。
現場の動きを見る。
人の配置を見る。
経営判断を見る。

そのたびに、秋吉さんは頭の中で考えていた。

自分ならどうするか。
この判断をしたら、結果はどうなったか。
自分のプランなら、成功したのか。
失敗したのか。

もちろん、会社員である以上、自分の考えをすべて実行できるわけではない。
法人の決定があり、組織の方針がある。
自分のプランを試すことはできない。

秋吉さんは、それを「奇想天外な空論」と表現した。

けれど、その空論を考えることが楽しかったという。
不安よりも、期待があった。
自分が前に進んでいる感覚があった。
生きている感覚があった。

「自分が進んでいる感覚を感じられ続けたんです」

九年間。
簡単な時間ではない。

人の熱は、普通なら冷める。
理想は日常に削られる。
家族ができれば、守るものが増える。
収入の安定を考えれば、踏み出す理由よりも踏みとどまる理由の方が強くなる。

秋吉さんにも、不安はあった。

子どもがいる。
守るべき暮らしがある。
会社を辞めて、自分で事業を始めるということは、理想だけでは済まされない。

うまくいかなかったらどうするのか。
収入がなくなったらどうするのか。
家族に迷惑をかけるのではないか。

そう考えるのは、当然だった。

その火を、ずっと見ていた人がいた。
奥様だった。

秋吉さんが三十歳頃から起業への思いを持って働いていたことを、奥様は知っていた。
口に出すたびに、夢物語として聞いていたわけではない。
目の前の人間が、本当は何をしたいのか。
その奥に、どんな火があるのかを、見ていた。

だから、奥様は言った。

「いつするん?」

その言葉は、優しいだけの言葉ではなかった。
問いだった。
背中を押す言葉だった。
そして、逃げ道をそっと塞ぐ言葉でもあった。

秋吉さんは、不安を口にした。
子どもが生まれたばかりだ。
家族の生活がある。
簡単には踏み出せない。

すると奥様は、こう返した。

「やったらできるやろ」
「失敗したら、私が働けばいいんやろ」

頑張って、という応援だけではない。
あなたならできる、という信頼だけでもない。

万が一うまくいかなくても、自分が支える。
だからやってみろ。
その覚悟が、そこにはあった。

「そう言ってくれたのが、最後の着火でした」

同時に、怒りもあった。

医療法人の現場を見てきた中で、職員の使われ方や組織のあり方に対して、「これはおかしい」と感じることがあった。文句を言っても環境は変わらない。自分がやるしかない。そう思うようになっていた。

怒り。
理想。
九年間消えなかった火。
そして、奥様の言葉。

それらが重なり、秋吉さんは起業へ踏み出す。

奥様は、秋吉さんの中にあった本音を見抜いていた人だった。
秋吉さん自身が、不安や責任を理由に立ち止まりそうになる時、その奥にある「本当はやりたい」という声を聞いていた人だった。

だから、「いつするん?」と言えた。

人は、自分の本音を自分でごまかすことがある。
家族のためと言いながら、本当は失敗が怖いだけのこともある。
現実的な判断だと言いながら、自分の火を消そうとしていることもある。

そんな時、愛する人の一言が、自分をごまかせなくする。

秋吉さんにとって、奥様の言葉は、ただの励ましではなかった。
自分に嘘をつかせない言葉だった。

その言葉があったから、秋吉さんは自分の価値を自分で引き受ける道へ進んだ。

そして、介護職の働き方を変える挑戦が始まった。

 

第5章|嘘をつかない経営——亡き妻と子どもに恥じない生き方

起業後、秋吉さんが取り組んだのは、介護職、とくにケアマネジャーの働き方を変えることだった。

掲げた言葉は、強い。
「楽をして、たくさん稼ぎ、楽しく働く」

介護の世界では、なかなか言いにくい言葉かもしれない。
楽をする。
稼ぐ。
楽しむ。

どれも、福祉や介護の文脈では誤解されやすい。
献身。
我慢。
自己犠牲。
そういう言葉の方が、しっくりくる場合もあるという。
けれど、秋吉さんはそこに違和感を持っていた。

働く人が疲れ切っているのに、利用者を幸せにできるのか。
職員が我慢し続けているのに、家族を支えられるのか。
利益が出ていないのに、給料を上げられるのか。
休みを増やせるのか。

きれいごとだけでは、介護は続かない。
秋吉さんは、居宅介護支援事業所のあり方を見直した。

ケアマネジャーの仕事は、利用者を担当し、訪問し、関係機関と調整し、その人の生活を支える仕事である。もちろん責任は重い。だが、働き方として見れば、必ずしも全員が毎朝同じ場所に集まり、同じ時間に事務所で仕事をしなければならないわけではない。

秋吉さんは、その当たり前に疑問を持った。

なぜ、職場に行って朝礼をするのか。
なぜ、みんなで「行ってきます」と言うのか。
なぜ、訪問に出る人も、書類を作る人も、同じ場所に集まらなければならないのか。

「これって、別に会社じゃなくてもよくないか。事務所って」

コロナ禍でリモートワークが広がったことも、ひとつのきっかけになった。
ケアマネジャーの仕事は、やり方次第でリモートワークと相性がいい。
クラウドを使い、無駄を減らし、働く場所や時間の自由度を上げる。
それによって、職員の負担を減らし、効率を上げる。

ただし、秋吉さんにとって効率化は目的ではない。

利益が出なければ、給料は増えない。
休みも増えない。
職員の生活は良くならない。

秋吉さんは、居宅介護支援事業でも、やり方次第で利益を出せると考えた。
一般的には4%ほどと言われる中で、10%以上の利益率がある。
それは、単に数字を追うためではない。

「利益が出なければ、給料も休みも増えません」

この現実を、秋吉さんは直視している。

働く人を幸せにするには、気持ちだけでは足りない。
制度も、仕組みも、数字も必要だ。
しかし、数字だけを追えば、今度は人を置き去りにする。

その危うさも、秋吉さんは分かっている。
だからこそ、彼の経営の中心には、ひとつの言葉がある。
嘘をつかないこと。

秋吉さんは、経営者として自分ができていることを一つ挙げるなら、それだと語った。
「嘘をついたら終わりです。会社というのは」

ここでいう嘘は、ただ事実と違うことを言うという意味だけではない。
言わなくていいことを言わない、という判断もある。
優しい嘘のようなものも、現実にはある。

それでも、会社経営として、職員に恥ずかしくない経営をすること。
私利私欲のために会社を使わないこと。
お金に目がくらんで、本来守るべき人を裏切らないこと。

秋吉さんにとって、それが嘘をつかない経営だった。
「私利私欲のために会社を使うことは、従業員に嘘をつくことになると思うんです。これはしてはいけない」
この言葉は重い。

経営は、きれいごとだけではできない。
お金のこともある。
理想だけでは会社は続かない。
秋吉さん自身も、ビジネスの難しさや汚さを知っている。正しいことをしていれば必ずお金が生まれるほど、現実は単純ではない。その矛盾も抱えている。

それでも、捨てない。

嘘をつかないこと。
自分に嘘をつかないこと。
職員に恥ずかしくない経営をすること。

そして、その奥には家族がいる。

秋吉さんにとって、今のIKIGAIは何か。
そう尋ねると、秋吉さんは迷わず、子どもの存在を挙げた。
「今は、子どものためですね」

その言葉は、短かった。
けれど、短いからこそ重かった。

自分のためだけなら、折れてしまう日もある。
もう十分だと、立ち止まりたくなる瞬間もある。
けれど、自分の背中を見ている子どもがいる。

だから、秋吉さんは止まれない。

秋吉さんは、奥様を亡くした。
起業の最後の火をつけてくれた人。
「やったらできるやろ」と言ってくれた人。
「失敗したら、私が働けばいいんやろ」と言ってくれた人。

その人は、もう隣にはいない。
だが、秋吉さんの言葉を聞いていると、奥様の存在は今もずっと近くにあるのだと感じる。秋吉さんは、奥様のことをこう話してくれた。

「たぶん、妻なら『私が死んだぐらいで何やってるの。ちゃんとやれよ』って言うと思うんです」

それは、奥様がどんな人だったのかを、秋吉さんが一番よく知っているから出てきた言葉だった。
甘やかすだけではない。
寄り添うだけでもない。
本当に信じているからこそ、背中を叩いてくれる人。

「あなたならできる」と信じてくれた人。
「やるならやれ」と、人生の前に立たせてくれた人。
その声は、今も秋吉さんの中に残っている。

迷った時。
苦しい時。
自分をごまかしそうになる時。
きっと、その声が秋吉さんの中で響く。

そして、目の前には子どもがいる。
守るべき家族がいる。
背中を見せなければならない存在がいる。

だから、嘘をつかない。

愛する人がいるから、人は正しくあろうとする。
信じてくれた人がいるから、裏切れなくなる。

秋吉さんの経営は、介護の仕組みを変える挑戦である前に、亡き妻と子どもに恥じないように生きる、一人の男の約束なのだ。

秋吉さんの心の奥には、今もいつも奥様がいる。
だからこそ、自分を裏切れない。
誰よりも近くで、今もその生き方を見てくれているのだから。

 

あとがき

秋吉さんの話を聞き終えたあと、私はしばらく、自分自身に問いかけていた。

今、自分は本気で、大切な人に恥じない生き方ができているのだろうか。

人は、簡単に自分に嘘をつく。
「これくらいならいいだろう」
「今は仕方がない」
「お金のためだから」
「家族を守るためだから」

そんなふうに、もっともらしい理由をつけながら、本当は自分でもどこかで分かっている。
ああ、これは少し違う方向に進んでいるのかもしれない。
自分の中の何かを、少しずつ裏切っているのかもしれない。

そう感じる瞬間が、私にもある。

だからこそ、秋吉さんの「嘘をつかない」という言葉は、難しく重いことだと感じている。
経営者としての理想論でも、道徳的な正しさでもない。
もっと切実で、もっと人間臭い覚悟として胸に残った。

大切な人がいるから頑張れる。

でも、それだけでは足りないのかもしれない。
本当に人を強くするのは、
「大切な人が、心の中で見てくれている」
という感覚なのだと思った。

隣にいるかどうかではない。
言葉を交わせるかどうかでもない。
心の奥にその人がいて、いつも自分の生き方を見ている。

その人だけは裏切れない。
その人にだけは、胸を張れる自分でいたい。

そう覚悟したとき、人は初めて、自分をごまかせなくなるのだと思う。

立場が人を強くすることもある。
責任が人を変えることもある。
けれど、もっと深いところでは、肩書きでも役職でもなく、たった一人の大切な人に胸を張れるかどうか。

その単純な問いの方が、人の心をずっと強くするのかもしれない。

秋吉さんの経営は、介護業界の仕組みを変える挑戦である。
でも、私にはそれ以上に、愛する人に恥じないように生きるための実践に見えた。

自分は、誰に胸を張りたいのか。
誰を裏切りたくないのか。
何に嘘をつかず、生きていきたいのか。

秋吉さんの物語は、そんな問いを、私の胸に残してくれた。

当たり前に家族がいてくれること。
愛する人がそばにいてくれること。
その存在が、どれほど自分を支え、どれほど自分を正しい場所へ引き戻してくれているのか。

私は、もう一度考え直した。
自分が本当に大事にしなくてはいけないものを。
そして、その大事な人に恥じない今日を、ちゃんと生きていきたいと思った。


IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

 

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