「人を愛することは、呼吸と同じ」——守ることから始まった、義理と人情を手放さない生き方

堤星也 合同会社スターズ

義理と人情を貫き、関わる人すべての幸せを追う経営者

神奈川県横浜市

「人を愛することは、呼吸と同じ」——守ることから始まった、義理と人情を手放さない生き方

 

あなたは、どれだけ傷ついても、人を信じ続けられるだろうか。

小学1年生のある日。学校から帰ってきた堤星也さんの目に入ったのは、キャリーバッグを持って家を出ようとしている母の姿だった。

「ママ、どこ行くん?」

母は言った。

「ちょっと出かけてくるから。妹のこと、よろしくね」

母は、そのまま帰ってこなかった。父は県外へ仕事に出ていて、すぐには帰ってこられない。家に残されたのは、小学1年生の堤さんと、4つ下の妹だった。

まだ、自分自身が誰かに守られている年齢だった。それでも、ご飯を用意しなければ妹が食べられない。洗濯をしなければ着るものがなくなる。自分が動かなければ、生活そのものが回らない。

「妹が死んじゃうんで。やらなきゃいけなかったんですよ」

近くに住む祖母の力も借りながら、堤さんは妹との生活を続けた。その後の人生でも、彼は何度も大きな出来事に直面する。

学生時代に営業と出会い、社会人になって短期間で全国トップの営業成績を記録した。一方で、職場へ向かう身体が動かなくなった。3度、自ら人生を終わらせようとしたこともある。

その後も、大切な人との別れ、人を信じたことによる金銭的な損失、事業の失敗を経験した。現在は合同会社スターズの代表として、助成金・補助金支援、WEB、セキュリティ、DXなど、企業経営に関わる事業を手掛けている。会社が大切にしているのは、「義理・人情・思いやり」

堤さんは、人のためにならない仕事は断ると話す。関わった人には、最後まで幸せであってほしい。その考えは、会社をつくってから生まれたものではない。

幼い頃に家族が離れ、社会に出てからも人間関係に傷つき、信じた相手との間で大きなお金を失った。それでも堤さんは、人そのものを嫌いにはならなかった。

むしろ、傷つくたびに「自分はどう生きるのか」を選び直してきた。

なぜ、そこまで人を信じられるのか。なぜ、自分が傷ついたあとも、誰かを幸せにしようと思えるのか。

これは、何度人生に揺さぶられても、人を愛することだけは手放さなかった、一人の男の物語である。

第1章|守ることを覚えるしかなかった——小学1年生から始まった、妹との暮らし

堤さんが幼稚園の年長頃までは、父と母、4つ下の妹と一緒に暮らしていた。やがて父が県外へ仕事に出るようになり、家庭の状況が変わり始める。母は精神的に不安定になり、家の中には空き缶やゴミ袋が増えていったという。手作りだった食事も次第に簡単なものへと変わり、近くに住む祖母の家で食事をすることも増えていった。

そして、小学1年生のある日。学校から帰宅した堤さんは、キャリーバッグを持つ母と鉢合わせた。

「ママ、どこ行くん?」

「ちょっと出かけてくるから。妹のこと、よろしくね」

母は家を出た。そのまま帰ってこなかった。

父は県外にいる。堤さんは祖母に助けてもらいながら、炊事、洗濯、生活に必要なお金の管理、妹の身支度を覚えていった。

「妹が死んじゃうんで。やらなきゃいけなかったんですよ」

まだ小学1年生だった。公的な支援につながれば、妹と離れて暮らすことになるかもしれない。幼い堤さんにとって、それは受け入れたくないことだった。

「妹と離れ離れになりたくなかったんです。唯一残った家族だったんで」

兄として妹を見るだけでは生活は回らない。父親のような役割も、母親のような役割も担う必要があった。そうした暮らしが続けば、同年代の子どもたちとの感覚も少しずつ変わっていく。学校が終われば遊びに行く友人たちがいる。一方、堤さんには家へ帰ってやることがあった。

地元の中学校は荒れた環境だった。本人が「『クローズ』の鈴蘭みたいな中学校だった」と笑って振り返るほどで、校内をバイクが走るような光景もあったという。そんな環境で、学校から外れていく同級生たちを見ながら、堤さんはあることを考えていた。

「グレられる環境って、僕は贅沢やと思ってたんです」

荒れている人を羨ましいと思っていたわけではない。

「グレても帰る家があるじゃないですか。お父さん、お母さんがいて。僕がグレたら妹が困る。ご飯も作れない。だから、グレられること自体が幸せなんやろなって思ってました」

子どもらしく反抗する環境さえ、自分にはなかった。一方で、自分より恵まれて見える人の悩みを軽く扱うこともしない。

「彼女に振られたことが、命に関わるくらい重い人もいるじゃないですか。それを他人が『そんなこと』って言うのは違うと思うんですよ」

同じ出来事でも、その重さは人によって違う。その考えは、後に再会した母にも向けられた。幼い自分と妹を残して家を離れた母。それでも、堤さんは母を責めなかった。

「母親も人間なので。母親っていう頂上生物じゃないんですよ。逃げたくなることもある。僕ができるのは、許すことやなと思いました」

堤さんは、母にも母なりの事情や苦しさがあったと受け止めている。その人にとって何が重かったのかを、自分の物差しだけでは決めつけない。

そんな生活を送りながら、堤さんの中で強くなっていったものがある。

知りたいという欲求だった。苦しい環境に目を向け続けるより、その中で面白いものを探す。

「環境が辛いことばっかり見てたら、自分も引っ張られるじゃないですか。だから、辛い中でも楽しめるものを見つけようと思ってました」

その一つが勉強だった。中学生の頃、堤さんは自分の成績を見ながら疑問を持った。

「なんで俺、勉強できへんねん」

その問いから、彼の知的好奇心は一気に広がっていく。

第2章|心より先に、身体が止まった——営業で頂点に立った若者の限界

中学生の頃、堤さんの5教科の点数は、500点満点で200点ほどだったという。

そこで単純に勉強時間を増やすより、「なぜ自分は勉強できないのか」を調べ始めた。

勉強法。記憶の仕組み。脳科学。生理学。

知らない英単語があれば辞書を引きながら、図書館で医学書まで読むようになった。学ぶ内容より先に、「人間はどうやって覚えるのか」を調べ、自分で試した。その結果、中学3年生の頃には、5教科で450点ほど取れるようになった。

「何か分からないことがあったら調べるのは、今でもずっとやってます。知的好奇心は昔から強いですね」

高校でも学業を続け、大学へ進学した。当初は理系分野を学んでいたが、父の再婚によって家庭の所得状況が変わり、奨学金の条件にも影響が出たという。そのまま学び続けるため、学費負担を考えて別分野へ移った。

学生生活を続けるには、自分でもお金をつくらなければならない。編入前から始めたアルバイトに加え、大学では複数の仕事を掛け持ちした。その一つが、新聞販売の営業だった。

学生スタッフの多くが担当していたのは、既存契約の更新だったという。

ところが堤さんは、自分からこう言った。

「新規営業させてください」

本人も、今になって笑う。

「今でも思いますよ。なんで俺、あんなこと言ったんやろって。普通に更新やってた方が楽に稼げたのに」

初めて新規営業へ出た地域には、「ヤクザの人も多かった」集合住宅があった。

建物の5階。

堤さんが一軒の部屋を訪ねると、大柄で丸刈り、身体に刺青の入った男性が出てきたという。

「新聞の営業です」

「いらん」

ドアが閉まった。堤さんは、もう一度ドアを叩いた。再び断られた。それでも、また叩いた。

とうとう男性が怒って出てきた。そこで堤さんは殴られ、後ろへ倒れたという。ドアは閉まった。普通なら、そこで終わる。だが、堤さんは立ち上がった。

「ここで帰ったら、俺、殴られ損やん」

もう一度、玄関へ向かった。すると、男性の反応が変わった。

「お前、根性あんな」

ようやく会話が始まった。そこで堤さんは、玄関の奥に阪神タイガースのユニフォームがあることに気づいた。当時、新聞契約の特典には、甲子園球場のペアチケットがあった。堤さんはすぐに提案した。

「甲子園、行きます?」

男性の反応が変わった。数か月契約すればチケットを渡せると説明すると、その場で契約が決まった。堤さんにとって、人生で初めての新規契約だった。話はそこで終わらなかった。

その男性が周囲の知人たちへ声をかけてくれたという。

「あいつ根性あるから、契約したってや」

そこから紹介が紹介を呼び、契約は芋づる式に増えていった。成果報酬だったこともあり、時給で2万円ほどになっていた。営業には向いている。結果も出せる。

それでも堤さん自身は、心にもやもやが残っていた。

「向いてるなとは思ったんです。でも、数字を追いかけて、今月頑張っても来月またゼロからじゃないですか。それ、しんどいなって」

大学卒業後は、その営業力を生かして営業職へ進んだ。

学生時代に厳しい新規営業を経験していた堤さんは、入社直後から結果を出した。入社2日目で契約を取り、その後約1か月で全国トップの営業成績を記録した。だが、結果を出すほど職場では別の問題が大きくなっていった。同期は100人以上いた。

その中で、一人だけ急速に成績を伸ばしていく。

堤さんによれば、同期からの嫉妬や嫌がらせが続いたという。

「99対1みたいな感じでしたね」

結果は出ている。会社から評価もされる。一方、同じ立場の仲間の中には、味方と呼べる人がいなかった。堤さんは、その状況でも営業を続けた。

「しんどいから休みたい」という感覚を、自分でうまく認識できていなかったという。

最初に現れた異変は、手のしびれだった。当時は筋力トレーニングもしていたため、「筋肉が神経を圧迫しているのかな」と考えた。少し休むと、一度は収まった。

ところが、ある日。

勤務先のオフィスへ向かい、自分のフロアへ着いたところで突然吐いた。気持ち悪いという前兆もなかった。体調不良だと思い、その日は早退した。数日休み、再び会社へ行こうとした。

今度は、職場へ近づいたところで再び吐いた。それでも堤さんは、会社へ向かおうとした。すると、足が動かなくなった。

「心は行こうとしてるんですよ。でも足が動かない。ほんまに何かに掴まれてるんちゃうかっていうくらい、動かなかったんです」

身体の検査では、大きな異常が見つからなかった。精神疾患を経験している友人へ相談し、精神科を受診したところ、若年性うつ病と診断されたという。堤さん自身には、自分がそこまで追い込まれているという感覚がほとんどなかった。後になって、その理由をこう振り返っている。

「昔から抑圧して生きてきたじゃないですか。甘えたいとか、しんどいとか、そういうのを我慢するのが無意識になってたんですよ」

小学1年生の頃から、止まれなかった。止まるのが許されなかった環境。自分が止まれば妹の生活が回らなくなる。苦しくても、やる。その積み重ねで、「我慢している」という自覚さえ持たなくなっていた。

「我慢を無意識にできる。でも、ちゃんとストレスはかかってるんですよね。僕の場合、ある日突然、身体に出るんです」

会社は、堤さんに直行直帰の働き方を認めた。職場へ行くことが難しくなった後も営業を続け、全国トップの成績を守った。入社から半年ほどで、大勢の社員が集まる表彰式の壇上に立った。

その場で堤さんは、会社を辞めることを告げたという。外から見れば、全国トップまで上り詰め、結果を残して辞めていく若者だった。その内側では、身体も心も限界まで来ていた。

退職から一週間ほど後。

堤さんは、自ら人生を終わらせようとした。一度目、そして二度目。いずれも命を取り留めた。三度目には、自宅マンションの5階から飛び降りた。それでも、大きな怪我を負わずに生き残った。

三度、自分で人生を終わらせようとして、三度とも生きていた。堤さん自身にも、意味が分からなかった。

「もう死ねへんな、と思いました」

そこで、自分の中で一つ区切りをつけた。

「3回死んだことにしよう。一旦ここで俺は死んだ。リセットやって」

同じ身体がある。同じ記憶もある。だが本人の感覚では、その前と後では「同じ自分なのか分からない」ほど何かが変わった。

「死ぬより怖いものってないじゃないですか。だから、もう怖いものないなって」

22歳。ここから、堤さんはもう一度、生きる側へ歩き始めた。

第3章|「助けられなかった」が残したもの——関わる人を幸せにすると決めた日

22歳の苦しい時期、堤さんのそばには幼い頃から知る一人の女性がいた。精神的に落ち込んでいた時も、自分を支えてくれた人だった。堤さんは、その人との未来を考えた。

「この人のために、時間もお金もつくりたい」

当時、手元に残っていた貯金は約2万円だったという。堤さんは投資を始めた。最初は大きなリスクを取った。そこで資金が大きく増え、その後はデータを取り、自分なりのルールをつくりながら試行錯誤を重ねた。

半年ほど続ける中で資産はさらに増えていった。そこで、自分だけで続けるより、人にも教えられるのではないかと考えた。

最初に声をかけたのは4人。主婦。会社員。学生。経営者。

立場の違う4人へ、無料でモニターになってもらった。4人がそれぞれ結果を出し始めると、口コミで人が集まるようになった。最終的には数百人と関わるようになったという。

そこで堤さんが目にしたのは、お金の問題だけではなかった。

パートナーとの関係。家庭内の問題。親との関係。子どもとの関係。

「お金がない」という悩みの奥に、それぞれの人生があった。投資を教える時間は、少しずつ相談を聞く時間へ変わっていった。

ある夜、一人から電話がかかってきた。堤さんは眠っていて、電話に出ることができなかった。翌朝、知らない番号から電話があった。

警察だった。前夜に電話をかけてきた人が亡くなったと告げられた。履歴を見ると、亡くなる前の時間に自分への着信が残っていた。

「助けられる命を助けられなかった、って思ったんですよ。手からこぼれた感覚でした」

その後、堤さんは極端に睡眠時間を削りながら、人からの相談に応じる時期を過ごしたという。また自分が眠っている間に誰かが助けを求め、その電話に出られなかったら。そのことを考えると、眠ることさえ怖かった。

この経験について語ったあと、堤さんは現在の会社理念とのつながりを明確に口にした。

「うちの会社の『関わる人はすべて幸せにする』っていう理念は、そこから来てます」

一度関わったなら、最後まで向き合いたい。なぜ、そこまで人に向き合うのか。堤さんは、幼少期の自分にも重ねながら話した。

「愛に飢えてたからこそ、愛を与えたいんですよ。僕みたいに、愛を受けられなかった人間を生み出したくない」

「愛を教えてもらったわけじゃない。でも愛し方は知ってるんですよ。妹を愛してきたから」

自分の愛し方が、誰かにとって正しい形なのかは分からない。そこも、堤さんは決めつけない。

「他の人の愛を僕は知らないんで、僕の愛が正しいのかは分からないです。でも僕なりの愛は、誠意を持って、義理、人情、思いやりを持って接することだと思っています」

地域の中で触れてきた義理と人情。そして、大人になって出会った人たちの苦しさ。それらを話した上で、堤さんはこう言った。

「どれだけ人に騙されようと、お金を取られようと、それでも僕は人を愛します。これからもずっと」

しかし、この後も人を信じたことで大きな損失を経験する。

第4章|すべてを手放して、もう一度始めた——大阪から神奈川、そして合同会社スターズへ

堤さんは投資を教えるだけでなく、複数の事業に関わるようになっていた。コンサルティング。美容関係の事業。IT関連の仕事。「一財産できた」と言えるほど経済的にも余裕が生まれていた。

次に考えたのは、家庭を持つことだった。苦しい時期から支えてくれていた女性との結婚を決め、結婚式の準備も進めていた。

2020年。

新型コロナウイルスの感染拡大によって、仕事の環境が大きく変わった。堤さんが行っていた美容関係の事業でも店舗運営が難しくなり、テナントを離れる判断をしたという。

その頃、婚約者との関係にも大きな出来事が起きた。

「本当に辛かったです」

その時、堤さんが感じたのは「この場所に居続けたら、自分がまた壊れるかもしれない」という危機感だった。一度、心より先に身体が止まった経験がある。だからこそ、自分の中に近い感覚が現れたことに気づいた。

「このまま大阪にいたら、自分が潰れると思ったんです」

堤さんは、それまで築いてきたものの多くを手放した。事業には引き継ぐ人を立て、連絡先も携帯電話も変えた。手元には約40万円を残し、神奈川へ移ったという。

「彼女を思い出すものを全部捨てたかったんですよね」

堤さんは知人の転職エージェントへ連絡し、関東で働ける会社を探してもらった。面接でこれまでの経歴を見た経営者からは、

「お前、うちで働く必要ないやろ。起業した方がいい」

と言われたという。それでも堤さんは頼んだ。

「金ないんです。半年だけでいいんで、働かせてください」

結果的には約9か月、その会社で働いた。仕事自体は楽しかった。ところが、再び身体に異変が現れた。

眠れない。一方で、突然強い眠気に襲われる。さらに激しい頭痛にも悩まされたという。

仕事をしたい気持ちはある。身体が追いつかない。過去と似た状態だった。そこで会社員を離れ、もう一度、自分で仕事をつくることを決めた。

2022年、合同会社スターズを設立した。最初に取り組んだのは、人材紹介だった。一緒に始めたのは、堤さんが神奈川へ来るきっかけにもなった知人だったという。

信頼していた。相手には営業や現場を任せ、堤さんは会社の仕組みやインフラを整えた。事業は伸びた。ところが、会社へ入ってくるはずのお金が入ってこない。

確認していくと、金銭管理を巡る大きな問題が発生していた。6000万円。かつて自分を助けてくれた相手からの裏切りだった。堤さんは共同経営を終え、人材紹介事業も畳んだ。

「お金を持ったら人って変わることもあるんやな、って勉強になりました」

大きなお金を失っても、会社そのものは残した。せっかく法人をつくった。ここから、自分が納得できる会社をつくろうと考えた。

会社員として働いていた頃から、堤さんには日本企業の評価制度に対する違和感があった。

「めっちゃ頑張って責任ある仕事してる人と、そうじゃない人が同じ評価になるのが、僕は嫌なんですよ」

頑張った人へ、頑張った分だけ返したい。その考えから、成果を報酬へ反映しやすい営業会社へと方向を変えた。次に取り組んだのが、助成金・補助金に関わる事業だった。代理店になるため、約200万円を支払ったという。

営業には自信がある。堤さんは、約200件の商談機会を営業会社へつないだ。

「アポの段階で、もう『やりたい』って言ってもらってから渡してたんですよ。だから、さすがに決まるやろって」

成約結果は、0件だった。さすがにおかしい。自分でお客様へ連絡してみると、そもそも営業から連絡を受けていなかった。そこで堤さんは、代理店として不満を抱え続けるより、自分で仕組みを理解する方へ進んだ。

助成金・補助金について調べた。全国の社会保険労務士事務所を探した。一つひとつ話をした。その中で、自分と考え方の合う事務所と出会った。

そこから、助成金・補助金支援を自社で組み直していった。一つのサービスから始まり、お客様から相談される課題に応えていくうちに、扱う領域も増えていった。事業だけを並べると、幅広く見える。だが、堤さんが仕事を引き受ける基準はシンプルだ。

「人のためにならないことは断ります」

実際に、お客様から依頼されても、自分たちが役に立てないと判断すれば断るという。

「お金じゃないんです。そこじゃないんですよ」

必要なものがあればつくる。うまくいかなければ調べ直す。人へ任せて問題が起これば、自分でも仕組みを理解する。その繰り返しの先に、現在の会社がある。

堤さん自身は、まだ会社が軌道に乗り切ったとは考えていない。今の状態を聞くと、こんな表現が返ってきた。

「ようやくサーフボード持って、海に入ったぐらいですよ。ここからパドリングして、波に乗るところです」

32歳。これまで何度も仕事をつくり、失い、またつくってきた。それでも本人の感覚では、まだ海に入ったばかりだ。

第5章|まだ海に入ったばかり——人を愛する会社から、努力が報われる社会へ

合同会社スターズは現在、助成金・補助金支援をはじめ、セキュリティ、WEB制作・集客、DXなど、企業経営に関わる複数の支援を行っている。業務委託を含めて多くの人が関わる組織へと広がった時期もあり、一度人数を絞った上で、現在は管理体制を整えながら再び仲間を増やしている段階だという。会社づくりの中心にも、人がいる。

頑張った人には還元したい。力を持っている人が、その力を発揮できる環境をつくりたい。そして、関わる人を幸せにしたい。

「一生ついていきますって言ってくれる人がいるんですよ。ありがたいですよね」

もう一つ、現在の堤さんが語るのが、AI時代における人間の価値である。

「AIは、誰でもできる作業をやってくれればいいと思ってます。人間は新しいものをつくったり、こうやって対話したり、そこから価値を生み出すものだと思うんです」

特に営業は、人間が担う仕事だと考えている。その考えは、大学時代の新聞営業から変わっていない。AIによって効率化できる仕事が増えるほど、人と人との間にあるものが価値になる。堤さんがそこに置いているのが、義理、人情、思いやりである。

そして、その先には、「日本国家を買う」という大きな夢がある。

その夢を話せば、笑う人もいる。「そんなことできるのか」と言う人もいる。本人も、それは分かっている。

では、なぜ日本を買いたいのか。その先に、どんな社会をつくりたいのか。答えは、意外なほどシンプルだった。

「ちゃんと努力したら報われる社会にしたいんです」

堤さんは、能力を持っていても、環境や仕組みによって力を発揮できない人を見てきたという。会社員として働き、自分自身も結果を出した。経営者になり、人を雇う側にもなった。その中で、頑張る人が頑張った分だけ報われる環境をつくりたいという思いは強くなっていった。

才能のある若者が、入り口で潰れない社会。挑戦した人が、その努力に見合う機会を得られる仕組み。会社で取り組んでいることの延長線上に、堤さんが語る大きな夢がある。

途方もない目標を語りながら、自分自身については「まだ海に入ったばかり」と言う。その距離すら、堤さんはこれから進む場所として見ている。

そしてインタビューの最後、堤さんにIKIGAIを尋ねた。

「人を愛することですね」

見返りも求めない。愛したから、愛してほしい。助けたから、返してほしい。そんな交換条件を置くものでもないという。

「これからずっと、どんなに損をしても、どんなに痛い思いをしても、辛い思いをしても、それでも人を愛そうと思ってるんです」

そして、こう続けた。

「それが僕の生き様で、呼吸と一緒ですね。呼吸って、何か感じながらするものじゃないじゃないですか。人を愛することも、わざわざ意識してするものじゃない。僕にとっては、それが生きてるっていう感覚なんです」

インタビューの終盤、私はもう一つ聞いた。戻りたい時代はあるか。答えはすぐに返ってきた。

「ないです。やり直したいと思わない。今の僕が一番最高だから」

過去に起きた出来事を、すべて「良かったこと」に塗り替えているわけではない。苦しかったものは、苦しかった。嫌だったこともある。失ったものもある。

それでも、その経験を最後までマイナスのまま置いておくことを堤さんは嫌う。

「無駄だったなって思うことはあってもいいと思うんですよ。でも、そのままで終わらせるのが嫌なんです。どんな些細なことでも、絶対プラスに持っていく」

人生は有限だから。起きてしまった出来事は変えられない。その時間をどう受け取り、その後をどう生きるかは、自分で決められる。そして、堤さんは人を愛する。

何度傷ついても。何度失っても。それを特別なことだとも思っていない。呼吸をするように、人を愛する。

それが、堤星也さんのIKIGAIであり、生き方そのものなのである。

あとがき

人は、愛を与えられることで、愛を知るものだと思っていた。
親から愛される。誰かに大切にされる。必要とされる。そうやって受け取った愛を、今度は誰かへ渡していく。

けれど、堤さんの人生を聞いて、その前提が変わった。愛は、与えられて初めて知るものではない。誰かを愛することで、自分の中にある愛を知るのだと思った。

「愛を教えてもらったわけじゃない。でも愛し方は知ってるんですよ。妹を愛してきたから」

堤さんは、何度も傷つき、何度も人を信じて失ってきた。自ら人生を終わらせようとしたこともあった。助けたかった人を助けられなかった経験もあった。信じた人との間で、大きなお金を失ったこともあった。それでも今、堤さんは「人を愛する」と言う。

多くの痛みを知っている。
だからこそ自分と同じように愛に飢える人を生み出したくない。
そして、その思いが人や会社、そしてこれからつくろうとしている社会へ向けられている。

過去をやり直すことはできない。起きた出来事を消すこともできない。それでも、その出来事が自分の人生にとってどんな意味を持つのかは、その後の生き方によって変えていくことができる。

「今の僕が一番最高だから」

何度も傷つき、落ち、絶望し、それでも今日まで生きてきた。今の自分を一番好きだと言えるところまで生きてきた。

あなたは今、「もっと愛されたい」と嘆いてはいないだろうか。誰かに分かってほしい。大切にしてほしい。認めてほしい。

けれど、もしかすると、その答えは「愛されることを待つ」ことだけではないのかもしれない。自分から誰かを愛すること。誰かを大切にすること。守りたい人のために、自分から愛を渡していくこと。そこから初めて見えるものもある。

堤さんの人生を受け取って、私はそう感じた。
愛されることを待つのではなく、愛することから始める。
その先に、何かがあるのかもしれない。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

 

合同会社スターズウェブサイト

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