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口にした夢を、行動に変える——妻への感謝を、人と企業を支える仕事へ
金川浩一 プラワン社長塾
妻への感謝を仕事に込め、経営者に伴走する社長塾運営者
大阪
金川浩一 プラワン社長塾さんのプロフィール
金川浩一 プラワン社長塾
妻への感謝を仕事に込め、経営者に伴走する社長塾運営者
大阪
口にした夢を、行動に変える——妻への感謝を、人と企業を支える仕事へ
あなたは、大切な人に語った未来のために、今日、何をしているだろうか。
仕事を終え、ビールを飲み、ソファーで阪神タイガースの試合を見る。かつての金川浩一さんには、そんな日常があった。妻には、成功したい、大きくなりたい、稼ぎたいと話していた。けれど、その未来へ向けた行動は、言葉に追いついていなかった。
その差を、愛する人は見ていた。
後に金川さんが「嘘をつかないこと」を大切な価値観として語るとき、話は仕事上の説明だけで終わらない。自分が口にしたことを、自分の行動で確かめる。身近な人の言葉を受け止め、日々の過ごし方を変える。その経験も、今の金川さんの仕事につながっている。
「プラワン社長塾」を運営する金川さんは、外資系生命保険会社で保険募集の仕事にも携わっている。経営者と継続して関わり、その人が望むことの実現を支える。保険の設計と提案を、自分の仕事の10分の1ほどと捉え、そこから先のお付き合いに重きを置く人だ。
大阪では、経営者が学び、実践する「プラワン社長塾」も運営している。月に1度、会社の理念や財務、マーケティングなどを学び、自社の経営へ持ち帰る。参加する企業同士の協業も生まれているという。人の挑戦に関わる仕事を語る金川さんに、IKIGAIを尋ねると、その答えは家族へ戻っていった。
妻が教えてくれた、人が喜んでいることを自分の幸せとして受け取る感覚。自分の言葉と行動のずれを指摘してくれたことへの感謝。それを仕事に込め、2人の娘にもつないでいきたいと話した。
これは、口にした夢を行動へ変えながら、大切な人から受け取ったものを、人と企業を支える仕事へつないでいく、1人の生き方の記録である。
第1章|真夏にも、長袖を着ていた——人の目を気にする少年と、明るい母のいる家
金川さんは大阪で育った。母と姉、妹と暮らす母子家庭だった。
母は朝から晩まで働き、後にスナックを経営するようになった。
金川さんはサッカー、姉はバスケットボール、妹は陸上競技をしていた。それぞれ帰宅する時間も違い、家族全員がそろう機会は少なかった。夜ごはんを1人で食べることもあったという。
「人の目をすごく気にしていたと思います。自分はほかの家庭と違って、お父さんがいない。『お前んち違うよね』って思われるのを避けていたような気がします」
母について金川さんが話すとき、仕事の忙しさとともに、その明るさが出てくる。人の話を引き出し、場をつくる。子どもたちを喜ばせたいという気持ちの強い人だったという。働く母の姿と、人を楽しませる母の姿。その両方が、金川さんの記憶にある。
「自分から『やりたい』って手を挙げて、人を楽しませたいと思う人でしたね。子どもの頃から、そういう姿は感じていました」
自分にも、人を喜ばせたいというところがある。金川さんは、母の性格を振り返りながら、自分との共通点を話した。家族の中で見てきたその姿は、大人になってからも覚えている。
一方、少年時代の金川さんは、人からどう見られるかを気にしていた。その記憶をたどると、サッカーのユニフォームの話になった。
サッカーを始めたのは小学校2年生の頃だった。クラブには一般クラスと育成コースがあり、小学4、5年生の頃、金川さんは育成コースへ移った。そのとき、まだ育成コースのユニフォームを持っておらず、一般クラスのものを着ていた。
それを周りの子たちに見られたくなかった。
「育成コースの子たちに見られたら、『あいつ、まだそっちのユニフォームなんだ。サッカー下手なんじゃない?』って思われる気がしてたんです。実際は誰もそんなこと思ってなかったと思うんですけど、勝手に自分でつくり上げていて」
そして、真夏にもかかわらず長袖を着た。
「暑いのに、わざわざ長袖を着てユニフォームを隠してました。今振り返ったら、本当に誰も気にしてなかったと思うんですけどね」
努力も実り、中学校で中心選手としてプレーするようになった。サッカーは金川さんの生活の大きな部分を占めていた。身体を動かし、仲間と過ごし、試合に向き合う時間が続いた。

学校では、いつも周囲の空気にすばやく反応する子どもだったという。先生の言葉にも真っ先に反応し、誰かに何かが起これば、どう返せばその場が面白くなるかを考える。自然と、人の輪の中心にいることが多かった。
やがて、サッカーの推薦で高校へ進む。中学校までの経験を持って、新しいチームへ入った。そこには、自分と同じようにサッカーを続け、選ばれてきた選手たちが数多く集まっていた。
第2章|試合に出られない自分もいた——強豪校の控えから、19歳で働く選択へ
進学した高校は、部員が約100人いる強豪校だった。中学校では中心選手だった金川さんも、その中では控えに回った。Aチームへ入ることは難しく、Bチーム、Cチームでプレーする日々だった。
周りには、力のある選手がいる。自分が試合に出られるとは限らない。そこまで続けてきたサッカーの中で、金川さんは、自分の思い通りにならない現実を経験した。
当時は一生懸命に練習し、Aチームへ上がることを目指していた。そこに届かなかった時間を、今はこんなふうに振り返る。
「お疲れさん、次へ行こう、ぐらいの感覚です」
それまで続けた競技に区切りをつけ、別の道もあると考える。そういう受け止め方だった。
高校からは内部進学できる大学があったが、金川さんは別の大学を選んだ。同じ高校生活をしてきた人たちと、そのまま進んでも人生は変わらない。環境を変えたいという思いがあった。
そうして大学に進学するも、毎日は期待した方向へ進まなかった。
授業に出ず、遊んで過ごすようになった。
そんな生活を続ける中で、この先の3年間について考えた。
「このままあと3年間遊んだら終わる」
そこで、義理の兄から飲食の仕事を提案された。金川さんには、高校卒業後、母のスナックの向かいにある居酒屋でアルバイトをし、飲食の仕事を楽しいと感じた経験があった。「すぐに行く」と決め、入学から1年ほどで大学を辞めた。
19歳で大阪から東京へ移り、フランチャイズの居酒屋で仕事を始めた。
最初はアルバイトだった。そこから契約社員となり、正社員になる。
金川さんたちの会社は、もともと別の会社が直営で運営していた店舗に、フランチャイズという形で入ることになった。
店舗には、以前から働いていたアルバイトスタッフがそのまま残っていた。当然、彼らにはそれまで慣れてきた仕事のやり方がある。
一方で、新たに運営を担う側としては、利益を残すために人員配置やオペレーションを見直さなければならない。
たとえば、それまで4人で回していた仕事を3人で回す。人件費や役割分担も変わる。
そうなれば、現場からすれば、
「前まではこうだったのに、なんで変わるんですか」
という不満が出てくる。
実際に、運営方針が変わったことで辞めていくスタッフもいた。
19歳の金川さんは、そうした既存スタッフと新しい運営方針の間に立ちながら、店舗を回していくことになった。
翌年には、自分を誘った義理の兄が会社を辞め、大阪へ帰ることになった。金川さんは東京に残り、後から入社した社員と2人で、2店舗を見るようになったという。
「むしろ今でも、誘ってくれてありがとうと思っています」
先に辞めたことへのしこりはないと話した。自分が働く場所を選ぶきっかけをつくってくれた人として、今も感謝している。
2つの店を動かすだけでも大変だった。その先へ店舗を増やしていく姿は、当時の自分には想像しにくかったと振り返る。
その後、仕事は全国のリゾート地で飲食店を展開する現場へ広がっていった。季節ごとに人が集まる場所を捉え、そこで営業する。たとえば冬には、スキー場へ来る人たちがいる。12月から3月にかけての需要を見ながら営業し、価格の設定も含め、利益を残す仕組みを考える。
金川さんは、その仕事を通して経営者の判断を間近で見てきた。自分が目の前の店を動かすことに精いっぱいだったところから、人が集まる場所や時期を捉えて事業をつくる考え方に触れていく。
サッカーで望んだ場所へ届かなかった少年は、19歳で働く場所を選び、飲食の現場で経験を重ねていた。その日々の中で、22歳頃、後に妻となる人と出会った。
第3章|「何もしてないやん」——妻が見ていた、夢と日常のあいだ
妻との出会いは、神奈川でのことだった。
奥様がどんな人なのかを尋ねると、金川さんはこう話した。
「自分よりも、誰かのために動ける人なんです。『私はいいねん。周りの人がどうやったら喜んでくれるか。それが自分の幸せや』みたいな感覚を、22歳ぐらいの時にはもう持っていましたね」
10代の頃から姉の子どもの世話をしていたことも、その人柄を示す話として出てきた。身近にいる人のために動く。その姿勢を、金川さんは妻との暮らしの中で見てきた。
仕事でも、すごく力があった。周囲の人たちを引きつけ、売上や利益につなげていく。金川さんは、妻が自分を支えてきたことを、何度も話した。
一方、金川さんは、成功する、稼ぐと口にしながら、行動が伴っていないところがあった。仕事が終われば、ビールを飲み、ソファーで野球を見る。それを見ていた妻から、26、27歳頃、言われた言葉がある。
「そんなん言って、何もしてないやん。仕事が終わったらビール飲んで、ソファーにへこんで、阪神タイガースの野球を見てる。そんなやつが、絶対成功するわけないやろ」
金川さんは、その言葉を今も覚えている。
「一ミリも間違ってない」
金川さんは、そう受け止めたという。
その場では、もちろん腹が立った。けれど、少し冷静になれば、妻の言葉を否定できる材料はなかった。
自分はこれまで、「成功したい」「大きなことを成し遂げたい」「もっと稼げるようになりたい」と何度も口にしてきた。
一方で、仕事を終えればビールを飲み、ソファーに座り、阪神タイガースの試合を見る。
自分が語っている未来と、実際に積み重ねている1日。その2つを並べてみると、確かに一致していなかった。
金川さんにとって、それは単に「努力が足りなかった」という話ではなかった。
言葉では大きなことを語りながら、それに見合う行動をしていない。自分自身に対して、どこか嘘をついているような状態だった。
だからこそ、妻の言葉をきっかけに、生活そのものを変えていった。
夜の過ごし方を見直し、仕事に使う時間を増やす。早く休み、翌朝から良い状態で仕事に向き合う。目標から逆算しながら、日々の行動をつなげていく。
「宣言すること自体が悪いとは思ってないんです。でも、言っていることに対して行動が伴っていないのは違うなって」
この頃から、金川さんの中で「言葉と行動を一致させること」が、少しずつ自分自身への基準になっていった。
やがて飲食の現場は、コロナ禍に直面する。
リゾート地での仕事で、これまでのように営業し、人を迎えることが難しくなった。
金川さんは、社長や妻、社員、アルバイトの人たちと、その中で事業を続けた。具体策を考え、現場で実行する。その結果、2022年には、過去最高の売上と利益を達成した。
翌年には、その実績をさらに更新した。金川さんは、社長の判断、妻の働き、社員やアルバイトの人たちの力を挙げながら、その結果を振り返った。
しかし、自分の成果が、期待していた報酬へつながらないという思いもあった。子どもが生まれ、家族を支える責任もある。頑張ったことへの評価を受けても、収入の面では望んでいた変化を得られなかったという。
金川さんは、事業の損益を見れば、会社が簡単に利益を出せない事情も理解できたと話す。そのうえで、自分で事業をつくるか、成果と報酬がより連動する仕事へ移るかを考え始めた。関心を持ったのが、人と会話し、相手へ何かを届ける営業の仕事だった。
妻の言葉によって、自分の行動を見直した。厳しい営業環境の中では、妻や仲間と仕事を続け、結果をつくった。金川さんが妻へ抱く感謝には、暮らしの中の一言も、現場で共に働いてきた時間も含まれている。
妻の言葉は、金川さんの日々を少しずつ変えていった。働き方も、時間の使い方も、そして自分自身を見る目も。そしてそこに愛を感じていたのだ。
第4章|契約から、長い付き合いが始まる——母の病気を経て選んだ保険と、伴走する仕事
飲食の仕事を続けていた金川さんに、大きな転機が訪れたのは30歳前後だった。
金川さんは、成果に対して分かりやすい形で報酬が返ってくることも期待していた。
しかし、会社側にも簡単には利益を還元できない事情がある。長く一緒に働いてきた社長の立場も、事業の数字も理解できた。
「ここで誰かを責めるというより、自分が望むものを得たいなら、自分で事業をやるか、成果と報酬がもっと連動する場所に行くしかないなと思ったんです」
そこで次の道として考えたのが、営業だった。
その時期に、もう1つ大きな出来事が重なった。
母が乳がんを患った。
母子家庭で、3人の子どもを育てるために働き続けてきた母。
その母の病気を目の前にしたことで、保険という仕事が急に現実味を持った。
「保険って、やっぱりいるなって思ったんですよ。何も情熱を注げない仕事に行くより、保険なら自分も意味を感じてやれる。人の役に立つ仕事に極まりないなって」
こうして金川さんは、長く続けた飲食の世界を離れ、生命保険の世界へ進んだ。
保険営業の仕事において、自分の仕事の割合について、こう説明した。
「保険を販売する設計をして、お客様に届けるというのは、仕事の10分の1くらいです」
保険を設計し、お客様へ届ける。そこには、もちろん専門的な仕事がある。けれど、金川さんが重く見ているのは、その提案の先に続く時間だった。
「残りの10分の9は、お客様とそこからお付き合いが始まって、伴走することが仕事です」
そして、保険の仕事の本質については、最終的にお金を届けることだとも話す。契約するまでと、必要なときに役割を果たすこと。その間を含めて、自分の仕事として考えている。
お客様が何を望んでいるのかを知り、その実現を支える。金川さんは、その関わり方を「お客様を勝たせる」という表現でも語った。提案が終わった後の付き合いが、仕事の大きな部分を占めているという。
保険営業の1年目には、とにかく働き、成果も出したという。一方で、個人のお客様との契約が増えるほど、一人ひとりの変化を追い続ける時間が足りなくなると感じた。届けた後も関わりたいという考えを、仕事の進め方にどう表すか。その課題があった。
金川さんは、徐々に経営者との関係を深めていった。会社に何か起きたとき、思い出してもらえる存在になりたい。そのために、継続して会い、経営に役立つ情報を届ける機会をつくろうと考えた。コンサルティング会社と連携し、経営者向けの「プラワン社長塾」を始めた。
出発点には、保険営業のマーケティングという目的があった。
月に1度、経営者が集まり、学ぶ。ミッション・ビジョン・バリューを整えることから、財務三表の読み方、銀行との交渉、マーケティング、KPI、事業承継まで、会社を続け、成長させるためのテーマを扱う。学んだことを、自社で実践することを重視している。
集まる人たちと関係が続くうちに、参加企業同士の協業や、新しいビジネスにつながる動きも生まれたという。金川さんがつくった継続的な接点に、参加する人たち同士の関係が加わっていった。
飲食の現場で金川さんが経験してきたのは、店を動かす難しさと、周りの人たちと結果をつくることだった。現在は経営者が会社に向き合う場へ関わり、学びと実践を続けるための接点をつくっている。
保険を届ける仕事から始まった付き合いの中で、相手が会社をどう続けたいのか、何を実現したいのかにも関わっていく。そのために、金川さん自身の仕事の範囲も広がっている。
第5章|誰かが喜ぶことを、幸せとして覚えていく——家族への感謝と、企業が育つ場のこれから
プラワン社長塾には、取材時点で約20社が参加していた。大阪で対面の機会をつくり、月に1度の学びと実践を続けている。
掲げているのは、「あなたの熱量を1度上げます」だ。
扱うのは、経営の中で実際に使うテーマである。会社の理念を言葉にする。財務を読む。銀行とのやり取りを考える。マーケティングや、成果を測るための指標に向き合う。経営者が学んだことを持ち帰り、自分の会社で試す。その積み重ねを目指している。
そこでは、参加する人たち同士のつながりも生まれている。一緒に仕事をする可能性が見つかったり、互いの事業に役立つ関係ができたりする。始めた頃に考えていた継続的な接点は、参加者自身が使える場へ広がりつつある。
金川さんは、これから50社規模へ広げる構想も話した。岡山や島根への展開も考えているという。取材時点では、これから実現していく計画である。
人数を集めることと、参加した会社が前へ進むこと。その両方を見ながら、場を育てようとしている。集まった人が学び、仕事へ持ち帰り、また次の集まりで顔を合わせる。金川さんは、そうした継続的な関係に重きを置いている。
では、その仕事を続ける金川さん自身を動かしているものは何か。IKIGAIを尋ねると、答えの中心には家族がいた。妻と、2人の娘である。
妻に出会い、自分を見つめるようになった。自分の言葉に行動が伴っていないことを指摘され、仕事への向き合い方を変えた。そして、妻が持っていた、周りの人が喜ぶことを自分の幸せとして受け取る感覚を、自分も少しずつ覚えてきたという。
「今の仕事を通して、妻への感謝を届けていきたいというのが、僕のIKIGAIですね」
その答えには、仕事と家族の両方が入っている。妻から受け取ったものを、自分の仕事で使う。関わった人が喜ぶことを、自分も嬉しいと感じる。その感覚を2人の娘にも引き継いでいきたいと考えている。
金川さんは、誰かの喜びを自分の幸せとして受け取ることについて、少しずつ身につけてきたものとして語る。妻を見て学んだことを、今も仕事や暮らしの中で確かめている。
その途中に、保険のお客様との長い付き合いがある。経営者が学ぶ場がある。そこで新しいつながりが生まれ、仕事が動くこともある。金川さんが妻へ返していきたい感謝は、そうした関わりの中にも表れている。
これから、場の規模や開催する地域は変わっていくかもしれない。今ある計画も、実際に動かしながら形を変えていく。その中で、金川さんはお客様との付き合いを続け、経営者が学びを実践へ移す機会をつくっていく。
かつて妻へ語っていた未来には、自分が成功する姿があった。現在の金川さんが語る未来には、自分と関わる人や企業が育っていく姿もある。
妻から受け取った愛を、仕事で使い、社会へつなぐ。
金川さんは、その続きを生きている。
あとがき
金川さんの話を聞いていて、ずっと考えていたことがある。
大切な人から、自分にとって一番言われたくないことを言われたとき、自分はちゃんと受け止められるんだろうかと。
近い存在だからこそ、反発してしまうことがある。
たぶん、一番痛いところを突かれるからだ。
自分でも分かっている。
変わらないといけないことも、行動できていないことも。
でも、分かっているのに変われない。
だから、それを一番近くにいる人から言われると、苦しい。
金川さんは、奥様からの言葉を「一ミリも間違ってない」と受け止めた。
そして、本当に行動を変えた。
ここが、私はすごく強いと思った。
愛って、受け取る側にも力がいるんじゃないか。
そんなことを考えた。
優しい言葉だけが愛じゃない。
褒めてもらうことだけが愛じゃない。
時には、自分にとって一番聞きたくない言葉。
逃げたいところを突いてくる言葉。
「そこ、違うよ」と言ってくれる言葉。
でも、その愛を受け取れるかどうかは、自分次第なんだと思う。
皆さんはどうだろうか。
大切な人から受け取っている愛を、ちゃんと受け取れているだろうか。
金川さんの生き方は、私たちに問いかけてくれる。
あなたは、大切な人からの愛を、ちゃんと受け取れているだろうか。
そして、その愛を、次の行動に変えられているだろうかと。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









