大切なものに、時間を戻す——家族への想いから生まれた「余白」という生き方

大切なものに、時間を戻す——家族への想いから生まれた「余白」という生き方

石井嵩大 株式会社C.C

AIによって時間を取り戻す余白設計士

東京都港区

石井嵩大さんのプロフィール

株式会社C.Cを双子の弟と経営。営業・マーケティング・事業構築を担い、AIやシステムを活用した業務の仕組みづくりに取り組む。企業や経営者が大切なことに時間を使える「余白」を生み出している。

大切なものに、時間を戻す——家族への想いから生まれた「余白」という生き方

あなたは、大切な人への感謝を「いつか」のままにしていないだろうか。

母に、脳の病気が見つかった。

「親とか家族って、当たり前にいるものだと思っていたんです。『あ、いついなくなるか分からないんだ』って」
そのとき石井嵩大さんを突き動かしたのは、「焦り」だった。

いつでもできると思っていた親孝行に、突然「間に合わないかもしれない」という期限が生まれた。

建築の仕事をする母が見たがっていたのが、麻布台ヒルズだった。
そして、一つの目標が生まれた。
いつかここに住んで、母を招待したい。

そのためには、お金も必要だった。何かあれば地元の福岡へすぐに戻れる、時間の自由も欲しかった。
高校生の頃から「いつか経営者になる」と考えていた石井さんにとって、母の病気は、

「いつかやる」を「今からやらないと間に合わない」へ変えた出来事だった。

そこから石井さんは走った。

現在、石井さんは双子の弟、皓晟さんと株式会社C.Cを経営している。営業・マーケティング・事業構築を担う兄と、エンジニアリングや仕組みづくりを担う弟。AIやシステムを活用し、企業や経営者に「余白」を生み出す仕事をしている。

掲げる言葉は、「経営に余白を。人生に本質を。」

「余白がないと、自分が本当に大切にしているものには、なかなかたどり着けないと思うんです」

仕事を減らすこと自体が目的ではない。

空いた時間を、誰に使うのか。
何を大切にして生きるのか。

これは、生まれた時間を本当に大切なものへ戻すために、「余白」を自分の人生と仕事の両方で設計し続ける、一人の経営者の物語である。

そして、あなた自身が「誰に時間を使いたいのか」を問い直す物語でもある。

第1章|「普通だと思っていた」——自由に育った双子と、離れて気づいた家族への感謝

石井さんは福岡で育った。幼少期について尋ねると、返ってきたのは率直な言葉だった。

石井嵩大さんの活動の様子

 

「めっちゃ普通ですね」

母は一級建築士として仕事をし、父は建築関係の会社を経営していた。特別に裕福だったという感覚も、特別に厳しい家庭だったという感覚もない。石井さんにとって、その環境はただの日常だった。

印象に残っているのは、両親が進路や行動へ細かく口を出さなかったことだ。

「ああしなさい、こうしなさいって言われた記憶があまりないんです。そんなに関与してこない。別に冷めているわけじゃなくて、自由にさせてもらっていました」

何かあれば支えてくれる。その一方で、普段の進む方向は本人に任されていた。石井さんは取材中、その距離感について「信用してくれていたんじゃないかなって、僕がいいように解釈しているだけです」と笑った。

そして家庭には、同じ年齢のライバルがいた。双子の弟・皓晟さんだ。

二卵性の双子で、性格はかなり違う。現在の石井さんは営業やマーケティングを担い、人と会い、人前で話すことを好む。一方の皓晟さんは技術を突き詰める職人気質で、なるべく人と話さず仕事ができるなら、その方がいいというタイプだという。

「めちゃくちゃ仲悪かったです。ずっと喧嘩していました」

石井嵩大さんの活動の様子

二人ともテニスをしていて、ダブルスを組んだ時期もある。ところが、仲が悪すぎて解散した。さらに石井さんには、弟への強いライバル心があった。

勉強でも運動でも、少し弟が上を行く。家のインターホンが鳴り、女の子から「石井くんいますか」と聞かれる。母が「どっちですか」と尋ねると、呼ばれるのは弟であることが多かった。

高校では二人の進路が分かれ、弟は勉強へ力を入れ、石井さんはテニス部で活動する。生活時間も離れ、比べられる機会は次第に減っていった。

その頃の石井さんには、すでに「いつか経営者になるだろう」という感覚があった。父が会社を経営していたこと、車が好きで将来は格好いい車に乗りたいと思っていたこと、周囲に高校を辞めて起業したり飲食店を始めたりする友人がいたこと。いくつもの要素が身近にあった。

「格好いい車が欲しいとか、ギラギラした生活がしたいとか、そういうのもありました」

その欲求も含め、経営者は選択肢にあった。
「起業するなら東京」という思いもあり、進学を機に福岡を離れた。

両親は、その選択にも強く口を出さなかった。

一人暮らしを始めてから、石井さんは少しずつ自分の家庭を外側から見るようになる。周囲には、家庭の事情で進路の選択肢が限られていた友人もいた。自分は行きたい学校を選び、双子の兄弟二人とも私立の学校へ進み、東京で学ぶことまで支えてもらった。

「大学も自由に選ばせてもらいました。振り返ったら、当たり前じゃなかったなって。両親が頑張ってくれていたんだと思います」

福岡を離れたことで、自分が与えられていた自由の大きさが見えてきた。家族への感謝は、東京で少しずつ具体的なものになっていった。

第2章|「金が足りん」から始まった留学——働き詰めの大学生活で、当たり前がほどけていく

大学に入った頃、石井さんの生活の中心にあったのはアルバイトだった。最初のキャンパスは神奈川にあり、単位を取りながら複数の仕事を掛け持ちしていた。

そこへ友人から、海外留学の話を聞いた。

「面白そうだな。俺も行くか」

決断は早かった。行き先はフィリピン。当初は20万円ほどで行けると思っていたが、自分が友人とは違うプランを選んでいたことが分かり、必要な金額は大きく膨らんだ。

「金が足りんってなりました」

そこで石井さんは、さらに働いた。コンビニ、飲食店、深夜の仕事。朝まで働き、そのまま別の勤務へ向かい、さらに次の仕事へ行く。時期によっては四つほどのアルバイトを並行していたという。

「若かったんじゃないですか。爆裂に体力があったんで」

行きたいと思った。費用が足りなかった。だから働いた。その行動の速さは、後の仕事にも繰り返し表れる。

そうして自分で費用をつくり、フィリピンへ向かった。現地では、さっそく大きな失敗をした。タクシーを降りた後、スマートフォンがないことに気づいたのだ。自分で車内に置き忘れていた。

旅に必要な情報も入っている。翌朝、「iPhoneを探す」の位置情報を頼りに空港周辺へ向かった。表示される場所は大まかで、簡単には見つからない。それでも歩いて、人に事情を聞いた。

すると、現地で出会った家族が朝食まで一緒に食べさせてくれたうえで、「頼れる人がいる」と地域のまとめ役のような人物を紹介してくれた。その人も一緒になり、タクシー運転手の家を一軒ずつ回ってくれた。

数軒目で、前日に乗った運転手が見つかった。スマートフォンは保管されていた。

「治安が悪いってめちゃくちゃ聞いていたので、すごく構えていたんです。でも、みんなめちゃくちゃいい人だった。びっくりしました」

一方で、衛生環境や食事、人々の「普通」の基準は日本と大きく違った。同じ世界にいても、場所が変われば当たり前はこれほど変わる。その違いを、現地で実感した。

「国が変わるだけで、だいぶ違うんだなって。あと、日本って最高だなって思いました」

海外へ出たことで日本が見えたように、東京へ出たことで福岡の家庭も見えるようになった。

そして、東京では出会う人も、入ってくる情報も一気に増えていった。

「東京ってすごいんですよ。いろんな人がいて、いろんなチャンスをもらえたんです」

その一つが、友人からの誘いだった。

友人がBtoB営業のインターンをしており、ちょうど人を募集していた。

「やってみる?」

何気ないその一言が、石井さんを経営者たちの世界へと連れていった。

ちょうどその頃、母の病気が分かった。

それまで石井さんにとって、経営者になることは「いつか叶えたい未来」だった。

高校時代から、起業したいという思いはあった。
けれど、明確な期限があったわけではない。

しかし、母の病気を知った瞬間、その前提が崩れた。

「親孝行って、いつでもできるわけじゃないんだ」

母の病気は、石井さんの進む道を一気に加速させた。

第3章|「間に合わない」が原動力になった——母の病気、営業への没頭、そして「あり方」との出会い

家族と過ごせる時間にも、感謝を伝えられる時間にも、限りがある。
では、自分は何を返せるのか。

そんなことを考えていた頃、母が東京を訪れた。
そして、建築の仕事をする母が見たがっていた麻布台ヒルズへ、一緒に足を運んだ。

二人で建物を見て回る中で、石井さんの中に一つの思いが浮かんだ。
いつか、自分がここに住んで母を招待したい。
漠然としていた「親孝行」が、その瞬間、一つの具体的な目標になった。

同時に考えたのは、働き方だった。福岡の家族に何かあったとき、動ける自由が欲しい。金銭面でも、長い時間をかけて準備するだけでは間に合わないかもしれない。

「就職しない選択をするなら、大学にいる間からマネタイズできていないといけない。あと2年しかない。まずい、やろうって」

その焦りの中で、友人に紹介されたBtoB営業のインターンへ飛び込んだ。

営業を始めた石井さんは、結果を出している人の会話を録音させてもらい、電車の中で何度も聞いた。自分の営業も録音し、「なぜ取れないんだろう」と聞き返した。言葉の順番、伝え方、相手の反応を一つずつ見直した。

その積み重ねによって、初月から大きな売上をつくれるようになった。成果が出ると任されることも増え、経営者との接点、マーケティング、事業づくりへと領域が広がっていった。

そこで出会った一人が、当時働いていた会社の代表・安達さんだった。

最初の接点は、採用面談というより、食事の場だった。会社のことや互いのことを話す中で、石井さんは「この人についていきたい」と感じた。

「なんとなく、この人についていきたいと思ったんです。人で選びました」

石井さんは、その会社の最初期のインターンとして働いた。営業し、仲間を集め、組織をつくっていく。社内で営業成績を競った際には、代表や役員も参加する中でインターン側が一位になったこともあった。

営業力やマーケティング、事業の進め方。実務として身についたものは多い。
そんな中でも、石井さんが今も強く覚えているのは、代表が繰り返した話だった。

「BtoBの内容とか事業のことは、いずれ分かるから今は学ばなくていい。それより、自分が何のためにやるのか。やり方より、あり方のほうが大事だって教えてもらいました」

会社の短期的な売上だけを考えれば、営業手法を教えた方が早かったかもしれない。石井さんは当時を振り返り、「安達さんは僕本人を見てくれていた」と話す。

前のめりに学び、結果を求めて走る若者に、あえて「何のためにやるのか」を問い続ける人がいた。その後も石井さんは、マーケティング、人材紹介、経営者コミュニティ、企業の新規事業立ち上げなど、多くの機会へ飛び込んでいく。会いたい経営者がいれば自分から声をかけ、学びたいと思えば中へ入った。

できることは増えた。

一方で、機会へ飛び込み続けるほど、「自分は何者なのか」が見えにくくなる時期もあった。

母の病気を知ったときに生まれた「間に合わない」という焦りは、確かに石井さんを前へ進ませた。仕事が増え、経験が増え、成長の速度も上がっていく。

気づかないうちに、「何のために働いているのか」を考える余白さえ失っていった。

石井嵩大さんの活動の様子

第4章|「あれ、俺、何やってんやろ」——弟がつくったシステムと、初めて生まれた余白

石井さんは、学生でありながら複数の仕事や事業を並行していた時期がある。大学へ行き、経営者コミュニティを運営し、人材紹介に関わり、企業でも働く。三つ、四つを同時に進める生活だった。

「そんなにめちゃくちゃやっているっていう自覚もなかったんです」

走ることが日常になっていた。
始めた理由には、家族があった。

親孝行をしたい。
何かあったときには、すぐ福岡へ戻れる自分でいたい。
時間にも、お金にも、選択肢にも縛られず、大切な人のために動ける力をつけたい。

そのために、石井さんは必死に力をつけてきた。

営業を学び、事業を学び、経営者と出会い、できることを増やしていった。
結果が出れば、また次の仕事が増える。
任されることが増えれば、さらに応えようとする。

その積み重ねの中で、少しずつ余白は失われていった。
毎日予定が埋まっていることも、複数の仕事を同時に抱えていることも、いつしか「普通」になった。

家族のために始めたはずなのに、家族のことを考える時間が減っていく。
自由を得るために走っていたはずなのに、自分の時間は仕事で埋まっていく。
気づかないうちに、手段だったはずの「働くこと」が前に出て、その先にあった目的が少しずつ見えなくなった。

「始めたきっかけが家族だったのに、何か目的を見失っていたり、ネガティブになりかけたこともありました」

そんな時、弟の皓晟さんが業務を効率化するシステムをつくった。

「僕は営業とか、人と話すのも好きで、表に出ていくタイプなんですけど、弟は全く真逆で、職人気質なんです。僕が人とつながって、弟が仕組みをつくる。今はその違いが、すごく噛み合っています」

弟がつくったシステムを導入すると、これまで多くの時間を使っていた業務が一気に減った。突然、予定のない時間が生まれた。

その時、石井さんの中に出てきた言葉がある。

「あれ、俺、何やってんやろ」

何もない時間ができたとき、初めて目的と日々の行動を見比べることができた。

「余白がなかったなって振り返って思いました。そもそも、それまで『余白』という言葉すら気にしたことがなかったんです」

何もしない時間ができたことで、自分は何を大事にしたかったのかを考えられた。

家族。仲間。自分が好きなもの。何のために働くのか。何を選び、何を選ばないのか。

「余白がないと、そこには本質的にたどり着けないと思うんです。考えているつもりでも、本気で考えられているのか。お金の余裕もそうですし、トータルで余白が必要だと思っています」

皓晟さんがつくったシステムを周囲の経営者へ見せると、反応があった。同じように仕事へ追われている人がいて、時間を取り戻したい人もいる。システム自体にも需要があった。

そこで兄弟は、一緒に法人化することを決めた。

現在、株式会社C.CはAI・システム導入支援やCAIO顧問、AIシステム受託開発などを手がけている。

石井さんが取材中に繰り返したのも、削減した時間の先にある話だった。

「皆さん、何もしていない時間を嫌うと思うんです。スマホを見たり、音楽を聴いたり、何かをしている。一度、その何もない時間をつくってみてほしいんですよ」

そして、その時間に何が浮かぶのかを見る。家族かもしれない。仕事かもしれない。趣味かもしれない。そこに正解を置かず、自分の中から出てくるものを確かめる。

「何もない時に頭の中へ浮かんでくるものが、自分にとって一番大切なものだと思うんです」

2026年には、経営者同士の人脈を紹介につなげるサービス「PAS」も始めた。日程調整や紹介文作成といった繰り返し業務を仕組み化し、接点づくりに使う時間を減らすサービスだ。

「空いた40分を何に使うのか。そこまで設計して、初めて意味がある」
効率化の先に、会うべき人と会う時間や、自分の本質を考える時間を置く。
その考えは、自身が弟のシステムによって余白を得た経験と重なっている。

石井嵩大さんの活動の様子

第5章|「愛のない行動は、しない」——本質を選び続けるための判断軸

余白ができれば、自分が大切にしたいものを考えられる。では、その答えを日々の選択へどうつなげるのか。

取材の中で、もう一つ繰り返し出てきた言葉がある。愛だ。

「愛って何ですか」

そう尋ねると、石井さんは少し考えた。

「僕が言語化するなら、条件のない自己犠牲という言葉が一番近いと思っています」

石井さんが例に挙げたのは、見返りを条件にしない行動だった。家族のためなら、自分に直接の利益がなくても時間やお金を使える。誰かが自分に何の利益もないのに時間を使ってくれたときにも、強く愛を感じるという。

「家族に対してだったら、自分に全く利益がなくても何かをすることを惜しまないんです。逆に、相手に何の利益もないのに僕へ時間を使っていただいた時にも、すごい愛を感じます」

時間、知識、お金、手間。誰かのために、自分が持っているものを使う。石井さんにとって、愛は感情だけで完結せず、行動に現れるものだった。

その話を仕事へ移すと、かなり細かなところまで降りてくる。

株式会社C.Cはシステムをつくる会社だ。機能として正しく動くことは当然の前提になる。石井さんがさらに意識しているのは、お客様がどう受け取るかという部分だ。

お客様へ説明する資料の、どこに矢印を置けば分かりやすいか。どんな順番なら理解しやすいか。小さな記号を一つ足すだけで、受け取る人の迷いが減るかもしれない。

「ただ作って、『はい、作りました。どうぞ』だけだったら、僕ならその会社のシステムを使いたいと思わないんです。相手がどう感じるかは、常に考えています」

「愛」という大きな言葉が、資料の矢印一つという具体まで降りてくる。

一方で、石井さんは自分を「結構冷めている人間」とも話す。中学生の頃から「心がない」と言われることもあったという。人を信じて裏切られた経験もあるが、必要以上に引きずることは少ない。

「もちろん裏切られるのは嫌ですよ。でも、『そういう人だったんだな』って切り替える。いい意味で、相手に期待していないんだと思います」

誰かのために行動する。それでも、相手が同じだけ返してくれることを前提にはしない。石井さんは「愛を与える相手を線引きしているか」と聞かれても、「考えたことがない」と答えた。

そして、自分が大切にしたい家族や仲間へ害が及ぶ可能性があるなら、たとえ利益が大きくても選ばないという。

「僕の人生の本質は、家族だったり、仲間だったり、メンバーだったりが大きいです。グレーなものを提案されて、たとえめちゃくちゃ儲かる話でも、それで仲間が本当に喜ぶのかって考える。違うなと思ったら、すぐ断れます」

石井さんにとって、余白には休息以上の役割がある。何を大切にするかを確かめ、その答えに沿って選ぶための時間でもある。

石井さんにとってのIKIGAIを尋ねた。

答えは速かった。

「家族です」

そして、こう付け加えた。

「あとは車ですね。家族と車。もちろん会社も大事です。会社も家族みたいなものなので」

家族がいる。仲間がいる。会社がある。好きな車がある。石井さんは、人生の楽しさを一つの言葉へ無理にまとめようとはしなかった。

「人生を楽しむためだと思います、結局。それを欠けさせないために、余白をつくるっていう感じです」

母を麻布台ヒルズへ招待するという目標は、まだ達成していない。

「そこは、これからやらないといけないですね。いずれ絶対やろうと思っています」

石井さんはまだ、自分の家族への感謝を返している途中にいる。会社も事業も、これから変化していく。

大切なもののために走り、仕事が増え、余白を得たことで改めて自分の本質を考えた。そこで見つけたものへ時間を戻しながら、その体験を今度は仕事として経営者へ届けている。

時間を空ける。そして、その時間を大切なものへ使う。

石井さんの「余白」は、そこまでを一つの設計として考えている。

石井嵩大さんの活動の様子

あとがき

石井さんの話を聞いたあと、私は自分に問いかけた。
私は、本当に大切なものを、大切にできているだろうか。

私にとって、人生で最も大切なのは家族である。
言葉にすることはできる。

けれど、その価値観を前提に生きているはずなのに、家族との時間を十分につくれていなかったり、そもそも時間をつくろうとしていなかったり、行動として示せていなかったりしてはいないだろうか。

そう考えたとき、私は「100%できている」とは言えなかった。

石井さんはどうだろう。

母のために、家族のために。
自分が大切だと思う人たちのために。
そのために、自分の能力を高め、行動し、目標へ向かって進み続けている。
私は、その姿に人としての豊かさを感じた。

何を持っているかではない。
どれだけ忙しくしているかでもない。
自分が大切にしたいものを知り、そのために時間を使えているか。
そこに、その人の生き方が表れると思った。

自分の強さも、弱さも。
これから進むべき道も。
もしかすると、余白があるからこそ初めて見えるのかもしれない。

あなたは、誰のために余白を使いたいだろうか。
何のためなら、自分の命の時間を差し出したいだろうか。
その答えの中に、まだ言葉になっていないあなたのIKIGAIが眠っているのかもしれない。

石井さんは私に、「余白をつくること」だけではなく、
その余白を何に使うのかまで問うことの大切さを教えてくれた。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

株式会社C.Cウェブサイト

WRITER PROFILE

尾﨑弘師 (おざき ひろし)

IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役

これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。

掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。

さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。

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