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愛を知らなかった少年は、なぜ愛をつなぐ生き方を選んだのか
畑中建設 畑中龍馬
挑戦でつながりを広げる男
愛媛県伊予郡砥部町
愛を知らなかった少年は、なぜ愛をつなぐ生き方を選んだのか
家に帰っても、誰もいない。
テーブルの上には、一万円札が一枚だけ置かれている。
それが、当たり前の毎日だった。
小学校に上がる頃には、すでに“ひとりで生きる”しかなかった。
食事も、生活も、すべて自分でなんとかするしかない。
寂しいという感情すら、うまく言葉にできないまま、ただ生きることだけを続けていた。
やがてその少年は、建設の仕事に就き、十六歳で父になる。
働いても働いても追いつかない現実。
結婚、借金、離婚。
それでも彼は、止まらなかった。
なぜか。
「とっくに心は折れとるんすよ。もうやめたいぐらいなんやけど」
そう笑いながらも、彼は働き続ける。
仲間を増やし、会社を育て、地域に場をつくり、そして今は海外まで視野に入れている。
愛媛県砥部町にある畑中建設。
建設業だけでなく、農業や無人の販売所まで手がけるこの会社の代表が、畑中龍馬さんだ。
だが彼が本当に築いてきたものは、事業だけではない。
それはきっと、かつて持てなかったもの——
“ファミリー”そのものである。
なぜ彼は、ここまで挑戦を続けるのか。
その根底にある「IKIGAI」をたどっていく。
ひとりぼっちだった少年が、自分の手で居場所をつくっていく。
第1章:名前を呼ばれない日々のなかで——ひとりで生きるしかなかった少年時代
畑中さんは、小さい頃は祖母と叔母さんに育てられていた。
両親はほとんど家にいなかった。
しかし、小学校に上がるタイミングで、両親に引き取られることになる。
父はトラックドライバー。
母はスナックをしていた。
家には、ほとんど誰もいなかった。
テーブルの上には、生活費が一日一万円置かれていた。
小学校一年生にとって、一万円は使い切れる額ではない。
ご飯を買っても、まだ余る。
欲しいものも買えた。
最新のゲームも、カードも、欲しいと思ったものは何でも手に入った。
生活は自由だった。
好きな時間に起きて、好きなだけ遊ぶ。
学校のことも、誰かがちゃんと教えてくれるわけではなかった。
「学校どうやって行けばええん?」
そう聞いても、返ってくるのは
「あっちにあるけん、歩いて行けばええ」
というような説明だった。
どうやって通えばいいのか、どの時間に起きればいいのか、そういうことを教えてくれる人はいなかった。
手元にお金があることで、周りの中学生が後ろからついてくることもあった。
ただ、小学一年生から金を取るのはさすがにダサいと思ったのか、お金を奪われることはなかった。その代わり、たまに何かを買ってあげることはあった。
学校には、うまく通えなかった。
昼もゲームをして、夜もゲームをして、起きるのは夕方。
生活のリズムはない。
そして、だんだん自分の名前が分からなくなった。
周りからは、その場その場の呼び方で呼ばれる。
きちんと名前を呼ばれることが少ないまま過ごしていくうちに、自分の名前の感覚も薄れていった。
食事もまた、同じだった。
最初はスーパーの惣菜で過ごしていた。
けれど、それもそのうち食べ尽くした。
毎日同じようなものばかりで飽きてしまった。
だから、自分で料理をつくるようになった。
まだ小学校一年生。
誰かに教えてもらったわけではない。
親がやっていたのを見た記憶を頼りに、見よう見まねでやった。
そうやって生活していたある時、火事が起きる。
ライターを投げたことがきっかけで、火が燃え移った。
この火事をきっかけに、畑中さんは施設に入ることになる。
第2章:施設生活の中で知った“普通”——そして最初の進路
小学三年生から中学三年生まで、畑中さんは施設で過ごした。
火事をきっかけに入ることになったその場所で、生活は大きく変わる。
毎日、学校へ行く。
帰ってからも勉強する。
作文を書き、漢字を書く。
そうやって、それまで抜けていたものを、一つずつ埋めていくような日々だった。
その生活は、決して楽なものではなかった。
かなり厳しかったという。
勉強も嫌だったし、やらされている感覚の方が強かった。
施設の中には怖い先輩たちもいて、気を張って過ごす時間も多かった。
担当の先生がつき、勉強のことも、生活のことも見てもらいながら、少しずつ日常を立て直していった。
そして小学校六年生ぐらいになって、ようやく気づく。
自分がそれまで送ってきた生活は、普通ではなかったのだと。
みんなにとって当たり前のことが、自分にはなかったのだと。
施設での暮らしの中で、初めて“普通の生活”の輪郭が見えてきた。
今振り返ると、あの時の施設生活には感謝しかないという。
厳しかった。
でも、その厳しさがあったからこそ、自分は普通の生活に戻ることができた。
抜けたままだった土台を、そこでようやく作り直してもらえた。
畑中さんにとって施設は、ただ預けられた場所ではなく、自分を立て直してくれた場所でもあった。
中学生になると、多少荒れた。
派手な格好もしていた。
ただ、畑中さんの中では「荒れていた」という感覚はあまりなかったという。
そっちの方が楽しそうだと思った。
悪いことが何なのかも、いまいちよく分かっていなかった。
中学校には、物凄く悪い先輩もいた。
けれど畑中さんにとっては、施設の中にいた先輩たちのほうがもっと怖かった。
そのため、中学で出会う“悪い先輩”たちに対して、特に大きく影響を受けることはなかった。
そんな生活をしながら、一つの夢ができる。
料理人になることだった。
小学校一年生の頃から、自分で料理をつくってきた。
誰にも教わらず、見よう見まねでやってきたことが、少しずつ「やりたい仕事」に変わっていった。
火事を起こした少年が、それでも「やりたい」と思えた仕事だった。
第3章:十六歳で父になる——働いても追いつかない現実
そして料理人になるための試験を受けに行った。
しかし、その場でめちゃくちゃ怒られた。
バイクで試験場に行ったからだ。
その時に、「ああ、ダメなんだ」と思ったという。
それをきっかけに、その道は選ばなかった。
その後、友達から「建設会社のほうがお金がいい」と聞き、畑中さんは建設会社に就職することになる。
そしてその頃、父になった。
16歳。パートナーは一つ上。
まだ社会的にも整っているとは言えない状況の中での出産だった。
翌年にはもう一人授かる。
結婚も子どもも早かった。
自分たちが若かったのはもちろんだが、親たちもまた若くして子どもを産んでいた世代だった。
そのため、三十二歳で祖父母になるような家族の流れの中にいたという。
ただ、当時は十分に支え合える環境が整っていたわけではなかった。
それぞれが精一杯で、余裕がある状況ではなかった。
だから、働いた。
建設会社での仕事を終えたあと、そのまま別の仕事に行く。
アルバイトを三つ掛け持ちしていた。
日中は建設。
終わったあとも働く。
家に帰る時間はほとんどなかった。
子どもが二人いる。
生活を回すために、とにかく稼がないといけない。
働く以外の選択肢はなかった。
朝から働いて、夜も働く。
寝る時間を削って、また次の日も働く。
その繰り返しだった。
家にいる時間が少ない分、家族と過ごす時間も限られていく。
同じ空間にいても、生活のリズムが合わない。
少しずつ、気持ちのすれ違いも生まれていった。
それでも、止まることはできなかった。
止まれば生活が回らなくなる。
成人式の時期となる。
自分たち自身のことにもお金がかかる。
さらに、子どもにかかるお金もある。
働いて働いて、結婚式も挙げることができた。
一つの節目として、大切な時間だった。
しかし、現実は厳しかった。
想定していたよりも費用は大きく、負担は残った。
もともと余裕があったわけではない。
そこにさらに現実の重さが加わっていく。
働いても追いつかない。
稼いでも足りない。
目の前の現実を回すだけで精一杯だった。
そうした状況の中で、少しずつ関係にも変化が生まれていく。
時間も余裕もない中で、それぞれが抱えるものが大きくなっていった。
そして、最初の結婚は一区切りを迎えることになる。
第4章:それでも働くしかなかった——独立と、背負い続けた責任
最初の結婚が一区切りを迎えたあと
新たな出会いがあり、再び家庭を持つことになる。
新しい生活が始まり、さらに子どもが生まれる。
守るものは、また増えた。
新しい家庭があり、これまでの家族もいる。
それぞれを大切にしながら、すべてを守っていく必要があった。
当然、簡単ではなかった。
稼ぐ責任は、これまで以上に大きくなっていく。
その中で畑中さんは、強く思うようになる。
もう、やるしかない。
自分が支えるしかない。
腹を括った。
ここで、独立を決める。
それまで以上に、仕事に集中するようになった。
生活のために働く。
家族のために働く。
守るべきものを守るために働く。
独立は、夢を追うためというより、現実を引き受けるための決断だった。
当然、楽な道ではない。
すべての責任は自分に返ってくる。
仕事を取ることも、回すことも、続けることも、自分でやるしかない。
ただ、仕事に向き合えば向き合うほど、時間はそちらに使われていく。
そのバランスは、簡単に保てるものではなかった。
それぞれが必死に生きる中で、また少しずつ方向性の違いが生まれていく。
そして、二つ目の結婚も一区切りを迎えることになる。
自分の生活もある。
仕事も続けなければいけない。
止まるという選択肢はなかった。
やめたいと思うこともあった。
もういいかと思う瞬間もあった。
それでも、やるしかなかった。
働く。
支える。
また働く。
その繰り返しの中で、少しずつ前に進んでいった。
やがて現在のパートナーと出会い、新たな生活が始まる。
未来をつくるために力を使える時間がだんだんと生まれていく。
畑中さんの人生はここからさらに広がっていく。
第5章:“ファミリー”を広げていく——会社、地域、そして海外へ
ようやく会社そのものに力を注げる時間が生まれていく。
従業員も、少しずつ増えていった。
仕事を続ける中で、畑中さんが大事にしてきたのは、誠実に向き合うことだった。
派手なことをするというより、目の前の仕事にきちんと向き合う。
その積み重ねの中で、人も増えていった。
その中で、外国人の採用も進んでいく。
そして畑中さんは、そこで強い刺激を受けることになる。
インドネシアから来た人。
朝の五時には起きて、自分で弁当を作る。
自転車で三十分かけて資材置き場まで来る。
しかも、七時でいいと言っているのに、六時四十五分にはもう来ている。
それを毎日、淡々と続ける。
畑中さんは、その姿を見て「すごいな」と思ったという。
雇う側、雇われる側というより、一人の人間として尊敬した。
そして、その頑張りを見ていると、自分もやらなければいけないと思わされる。
畑中さんは立場や権威は関係なく「人」を見ている。
会社を続ける中で、畑中さんの意識は仕事の枠だけにとどまらなくなっていく。
地域に、何か空間をつくりたい。
何か循環が生まれる場所をつくりたい。
そう考えるようになった。
そこでつくったのが、無人野菜販売所だった。
ただ野菜を売る場所ではない。
地域のいいものを置ける場所にしたい。
人が関わり、何かが回り、少しでも循環が生まれる場所にしたい。
そういう思いがあった。
会社のロゴマークは、学生が作ったものを使っている。
この会社が有名になったら、お互いもっと良くなれる。

そんな約束もしていたという。
自分だけが良くなるのではなく、関わった人たちも一緒に良くなっていく。
そういう形を、畑中さんは仕事の中で少しずつつくっていった。
そして、視線はさらに海外へ向く。
海外を目指すようになったきっかけの一つが、バリ島に行った時だった。
その時に、ふと思ったという。
外国人として日本に来ている人たちも、本当はできれば自分の国に帰りたいはずだと。
ずっと異国で働き続けるより、帰れるなら帰りたい。
でも、帰った先に仕事がなければ、それは難しい。
だったら、自分がその母国でビジネスをつくればいい。
そうすれば、その人たちはいつでも帰れる。
帰りたい時に帰れて、また働ける。
その方が、みんな楽しいはずだと考えた。
この発想は、ただ会社を大きくしたいという話ではなかった。
一緒に働く人たちの人生ごと考えた先に出てきたものだった。
実際に、アメリカに行って投資家への説明もしている。
まだ、これからもっと進めていく段階ではある。
頭の中だけの話ではなく、すでに動き始めている。
では、なぜそこまでやるのか。
畑中さんの中にある答えは、はっきりしている。
それは、自分のファミリーを守るためである。
家族のため。
従業員のため。
地域の人たちのため。
自分の周りにいる人たちが、少しでも幸せになってくれるため。
そのために、自分は挑戦する。
どこへ向かうのか、まだ全部が見えているわけではない。
ただ、その軸はぶれない。
だからこそ、パワーがある。
情熱がある。
同じような熱を持った人たちが集まってくる。
畑中さんにとってのIKIGAIは、挑戦することだった。
自分がドキドキするから。
楽しいから。
そして、その挑戦が誰かのためになるから。
ひとりぼっちだった少年は、
今、自分の手で“ファミリー”を広げている。
家族をつくり、会社をつくり、地域に場をつくり、さらにその先にいる誰かの居場所まで、つくろうとしている。
ここから先も、畑中さんの挑戦は続いていく。
IKIGAIと共に。
あとがき
畑中さんのお話を伺っていて、何度も心に浮かんだのは、「なぜ進み続けられたのか」ということだった。
幼い頃、家に帰っても誰もいない。
名前を呼ばれることも少ない。
学校の行き方も、生活の整え方も、誰かが教えてくれるわけではない。
そんな時間を生きてきた人が、大人になってからは、家族を持ち、子どもを育て、会社をつくり、仲間を増やし、地域に場をつくろうとしている。
結婚も、借金も、離婚も、養育費も、どれも軽くはない。
むしろ、何度も心が折れていておかしくないどころか、本人の言葉を借りれば、もうとっくに心は折れている。
それでも歩みを止めない。
そこに、畑中さんという人の本質があるのだと思う。
印象的だったのは、畑中さんが「強い人」に見えて、実は“折れない人”として自分を語っていないことだった。
しんどいものはしんどい。
やめたい時はやめたい。
それでも、守るものがあるからやる。
働く。
払う。
また働く。
その積み重ねの先に、今の畑中さんがいる。
そして今、畑中さんの視線は、自分や自分の家族だけに向いているわけではない。
従業員のことを考え、外国人スタッフの人生を考え、地域の循環を考え、その先の海外まで見ている。
それは、昔ひとりぼっちだった少年が、自分の世界を少しずつ広げながら、“ファミリー”の輪郭を大きくしているようにも見えた。
家族。
仲間。
地域。
国を越えて出会う人たち。
畑中さんにとっての挑戦とは、ただ大きくなるためのものではなく、誰かが安心して生きられる場所を増やしていくことなのかもしれない。
IKIGAIとは何か。
その答えは人それぞれ違う。
けれど畑中さんの人生を通して見えてきたのは、IKIGAIとは、完璧な人だけが持てるものではないということだった。
迷ってもいい。
壊れてもいい。
しんどくてもいい。
それでも、自分の足で前に進み、誰かのためにもなる挑戦をやめないこと。
その姿そのものが、IKIGAIなのだと思う。
ひとりぼっちだった少年は、
今、自分の手で居場所をつくっている。
そしてその居場所は、きっとこれからも、
家族の外へ、地域の外へ、国の外へと広がっていく。
畑中龍馬さんの挑戦は、まだ途中だ。
だからこそ、この物語は、過去の話ではなく、これから先へ続いていく物語だ。
最後に、強く感じたことがある。
それは、畑中さんの人生には、幼少期に施設で受け取った愛が、流れ続けているということだ。
あの頃はきっと、厳しさの方が先に残っていたはずだ。その厳しさの中には、畑中さんを普通の生活に戻そうとする大人たちの愛があった。
その愛があったからこそ、今の畑中さんは、家族を守り、仲間を想い、地域や外国人スタッフの人生にまで心を向ける人になったのではないかと思う。
「愛には、時差がある」
その時すぐには分からなくても、何年も経ってから「あれは愛だったのだ」と気づくことがある。
そして受け取った愛は、形を変えながら次の誰かへ渡っていく。
畑中さんの人生を見ていると、愛は途切れないのだと思う。
愛は、いつかつながる。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師


