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貧困をなくすために、農業で勝つ——“愛”を仕組みに変える若き経営者の挑戦
上村 威 株式会社扇会
愛を仕組みに変え、農業の未来に挑む若き経営者
長崎県雲仙市
貧困をなくすために、農業で勝つ——“愛”を仕組みに変える若き経営者の挑戦
あなたは、あえて一番きつい道を選んだことがあるだろうか。
楽に稼げる道が見えていた。
もっと早く結果を出せる場所もあった。
理由はシンプルだった。
「一番きつい農業だから、戻ってきたんです」
株式会社扇会・代表取締役 上村 威さんは
幼い頃、家は裕福ではなかった。中国残留孤児をルーツに持つ家庭で育ち、貧しさも、人種差別も経験した。
高校一年生の時、自分でアルバイトをしてお金を貯め、フィリピンへ渡った。
そこで見たのは、道端でお金を求める子どもたちだった。
日本で自分は貧しいと思っていた。
でも、世界にはもっと切実な貧困があった。
そこから上村さんの問いは始まる。
なぜ、人は貧困になるのか。
どうすれば、人は自分の力で生きていけるのか。
その答えを探す中で、上村さんはオーストラリアの農業、グアテマラの山奥の養鶏事業、日本の一次産業の現実へと向かっていく。
そして今、彼が挑んでいるのは、かぼちゃを中心とした農業の仕組みづくりだ。
生産し、売り、輸出し、資材まで自分たちで調達する。
利益を現場に残し、社員や農家が貧困にならない循環をつくる。
上村さんは言う。
「愛とは、自分の損得感情なく、その人のことを考え続けて、なおかつ行動してあげることだと思います」
これは、貧しさを知る一人の青年が、愛を感情で終わらせず、一次産業の未来を変える仕組みに変えようとしている物語である。
第1章|貧しさの中にあった愛——中国残留孤児のルーツと、家族から受け取ったもの
上村さんの人生をたどる時、最初に触れなければならないのは、家族のことだ。
曽祖母が中国残留孤児で、祖父母は中国で農家をしていた。
戦後の混乱と貧しさの中で家族は日本へ渡り、上村さんは日本で生まれ育った。
暮らしは決して裕福ではなかった。
外食をする。
旅行へ行く。
何かを買う。
子どもにとって当たり前に見えることにも、家の中ではいつも重さがあった。
上村さんは、その感覚を「心理的ステップの重さ」と表現した。
お金を使うことに、どこか慎重になる。
生きていくために必要なもの以外へお金を使うことに、簡単には踏み出せない。
でも、寂しくはなかった。
「貧乏だったんですけど、僕の場合は、家族の絆がすごく強かったんです。両親から大切に育ててもらったので、そこに対して特別な劣等感はありませんでした」
小学校、中学校、高校と進む中で、上村さんがより強く感じた生きづらさは、人種差別だった。
自分では変えられないものを理由に、周囲から何かを言われることがあった。
逃げられない場所で、自分の違いを突きつけられる。
上村さんは、その時期をこう振り返った。
「向こうが人種で自分との違いを見出してくるなら、僕は僕で、その人たちと違うところ、なおかつ自分が勝っているところを出すしかないと思っていました」
上村さんにとって、それは勉強だった。
小学校、中学校の頃から、気づけば学業では良い結果を残すことが多かった。
自分の可能性を広げる手段として、勉強が自然とそばにあったのかもしれない。
そして両親から学んだことをこう語る。
「人を選ばない無償の愛というか。損得感情とか、この人だからとか、そういうことではなくて、もっと全員が良くなるように考えることは、両親から学んだことだと思います」
この言葉は、上村さんの人生を貫いている。
人は、自分に悪意を向けてきた相手に対して、同じように悪意を返したくなる。
何かを言われたら、言い返したくなる。
傷つけられたら、傷つけ返したくなる。
上村さんにも、その感情が全くないわけではない。
本人も「今でもちょっとある」と言った。
それでも、その先にもう一つの視点を持っていた。
「どこかで誰かが我慢しないと、負の感情は止まらない」
上村さんの原点には、貧困がある。
だが、その奥に両親から受け取った愛がある。
だから上村さんは、貧しさを恨みに変えなかった。
自分を守るだけの強さにも閉じなかった。
人を選ばず、相手にとって何が本当に良いのかを考える姿勢を、少しずつ自分の生き方にしていった。
第2章|教科書では、貧困はわからない——フィリピン、オーストラリア、グアテマラで深まった問い
上村さんの行動力は、かなり早い時期から表れていた。
高校一年生の時、図書館で読んだ本をきっかけに、海外留学を知る。
そして、自分でアルバイトをしてお金を貯め、フィリピンへ渡った。
多くの高校生が、アルバイト代で服を買ったり、遊びに使ったりする。
上村さんが選んだ投資先は、自分自身だった。
海外へ行き、自分の目で世界を見ることだった。
フィリピンで見た光景は、上村さんの中に強く残った。
そこには、お金を求めて乞食をする子どもたちがいた。
上村さんの弟や妹と同じくらいの年齢の子どもたちが、平気で路上で暮らしている。
日本では、自分も貧困の側にいると思っていた。
でも、目の前の子どもたちを見た時、上村さんの中で何かが変わる。
「日本では自分は貧困かなと思っていたんですけど、自分は恵まれている方なんだなと思いました」
その気づきは、上村さんを次の問いへ向かわせた。
なぜ、こんなことが起きるのか。
貧困とは何か。
どうすれば人は、貧困から抜け出せるのか。
上村さんは、貧困や開発について学ぶため、長崎大学へ進学する。
AO入試で、自分に合った道を選んだ。
早く大学へ入りたい。
貧困について学びたい。
その思いが、進路を動かしていった。
大学では、貧困、開発、一次産業について学んだ。
さらにオーストラリアへワーキングホリデーにも行く。
最初は仕事がなかなか見つからなかった。
18歳でスキルもなく、大学が始まるまでの3か月しか働けない。
履歴書を配っても、雇ってくれる場所は少なかった。
そこで行き着いたのが農業だった。
ブロッコリーの収穫。
肉体労働。
作業はシンプルでも、決して楽ではない。
それでも、オーストラリアの農業は上村さんに強い衝撃を与えた。
時給がいい。
1〜2か月働くと、50万円ほど貯まった。
「日本と全然違って、農業ってこんなに儲かるんだと思いました」
日本では、農業は儲からないものとして語られがちだ。
高齢化、低収益、後継者不足。
上村さんも、そのイメージを持っていた。
オーストラリアでの経験は、その前提を揺さぶった。
農業そのものが儲からないのではない。
儲かる仕組みになっている国もある。
制度、時給、流通、規模、作物の扱い方。
仕組みが変われば、農業の見え方も変わる。
この実感は、後の上村さんの農業観に大きく影響していく。
さらに上村さんは、グアテマラへ向かう。
山奥で、委託養鶏業のインターンシップに従事した。
無給で、約半年。
水も電気も安定しないような場所で、現地の人たちと一緒に暮らした。
毎朝、現地の農家に鶏の卵の管理や飼育状況を指導する。
その事業は、鶏の卵を売るビジネスを通じて、現地農家に安定的な収入をつくることを目指していた。
ここで上村さんは、教科書の中にある貧困と、現場で起きている貧困の距離を感じた。
「教科書で貧困を語っているだけでは、全然わからないと思ったんです」
貧困の理由は一つではなかった。
子どもを多く産む文化や歴史的背景。
医療の発達による人口構造の変化。
教育の不足。
土地や気候。
民族や文化。
外から持ち込まれる制度や支援のズレ。
ヨーロッパや先進国の事例を、そのまま別の地域に当てはめても、うまくいくとは限らない。
そこには、その土地の文化があり、土壌があり、人の暮らしがある。
上村さんは、その複雑さを肌で感じていった。
「貧困は一つの理由で起こるものではない。だから本当に難しいし、考え続けなければいけない」
この言葉には、現場を見た人の重みがある。
かわいそうだから助ける。
お金を渡す。
一時的に支援する。
それだけでは、根本は変わりにくい。
よく言われるように、魚を与えるだけではなく、魚の釣り方を伝える必要がある。
上村さんはさらに、その人たちが魚を釣って生きていける環境や仕組みそのものに目を向けていった。
貧困の現場を見て、農業の可能性を見て、上村さんの中で一つの線がつながっていく。
農業を通じて、人が自分の力で稼げる状態をつくれないか。
一次産業の中に利益が残る仕組みをつくれないか。
自分の会社を通じて、貧困ではない人を増やしていけないか。
この問いが、上村さんを日本の農業へ引き戻していく。
第3章|一番きつい農業だから、戻ってきた——商社ではなく一次産業を選んだ覚悟
大学を卒業した上村さんは、上場企業の測量機械メーカーに就職した。
そして医療機器部門に配属され、眼科関連の商品を販売する仕事に携わった。
2年ほど働く中で、上村さんの中には少しずつ違和感が生まれていく。
医療の仕事に意味がないわけではない。
営業として学ぶこともあった。
それでも、自分の軸はやはり農業の方にある。
社内で農業系の部署への異動を希望するか。
会社を辞めるか。
上村さんは、辞めることを選んだ。
次に入ったのは、農業スタートアップだった。
そこでサツマイモの新規事業に関わる。
上村さんが入ったのは、事業が始まって2年目のタイミングだった。
1年目の売上は約5,000万円。
そこから2年目には約4億円規模へ伸ばした。
販売で動き、仕入れを担当し、営業責任者にもなり、製造の責任者も担った。
サツマイモを仕入れ、パッキングし、日本国内や海外へ売る。
一次産業の上流から下流までを、現場で一気に経験した。
スタートアップの現場では、責任の範囲が一気に広がる。
足りないところを誰かが埋めなければならない。
できる人がやるしかない。
上村さんは、その中で仕入れ、製造、営業、販売を体で覚えていった。
そして、独立する。
ここで興味深いのは、上村さんが最も儲かりやすい道を選ばなかったことだ。
商社のように間に入り利益を取る。
上村さんの経験と能力があれば、そちらの方が早く収益化できた可能性は高い。
本人も、それを分かっていた。
それでも、上村さんは一次産業の現場へ戻った。
理由を聞いた時、返ってきた言葉が強かった。
「一番きつい農業だから戻ってきたんです」
普通なら、一番きつい場所は避ける。
天候に左右される。
人も難しい。
土地も難しい。
作物の状態も毎年変わる。
売価も安定しない。
投資も必要で、回収にも時間がかかる。
「一番きついということは、できる人が少ないということだと思っています。そこで儲かる仕組みを作って、勝てるのが自分だと信じていました」
上村さんにとって、農業は「農作物を作る仕事」だけを意味しない。
0から価値を開発し、生産し、売っていく仕事。
地域に雇用をつくり、農家に利益を残し、社員の暮らしを守る仕事。
自分が生きている意味とつながる仕事だった。
「僕は自分の手で会社を作って、貧困じゃない人を増やしていきたい」
そこに、上村さんが農業を選んだ理由がある。
彼は、ただ農業が好きで戻った人ではない。
社会課題を感じたから農業へ行った人でもない。
自分が見てきた貧困の問いに対して、最も難しく、最も根本に近い場所として、農業を選んだ。
上村さんの挑戦は、ここから本当の意味で始まっていく。
第4章|愛は、仕組みにできる——かぼちゃ、直販、輸出で農家を貧困にしない設計
上村さんの話で何度も出てきた言葉がある。
「愛」
上村さんの言う愛は、感情で終わるものではない。
上村さんは、愛についてこう語った。
「愛とは、自分の損得感情なく、その人のことを考え続けて、なおかつ行動してあげることだと思います」
考えるだけでは足りない。
心配するだけでも足りない。
相手が本当に良くなるために、行動まで移すこと。
上村さんにとって、愛とはそこまで含んだものだった。
それは農業の現場でも同じだった。
たとえば、ある農家が「今年はレタスがたくさん取れたけど、お金にならなかった」と話す。
その時、「大変でしたね」で終われば、ただの同情になる。
上村さんは、そこからもう一歩踏み込む。
レタスは価格の浮き沈みが激しく、収穫量や相場によって収益が大きく左右されやすい。
では、かぼちゃならどうか。
あるいは玉ねぎならどうか。
この土地で、この人が、この条件でやるなら、どの作物が利益につながるのか。
そこまで考え、提案する。
「相手にとって何が一番メリットなのかを考えるようにしています」
この姿勢が、上村さんの農業の根にある。
日本の農業には、いくつもの課題がある。
上村さんは大きく三つ挙げた。
一つ目は、直販ができないこと。
多くの農家は、自分で売り先を開拓する力を持ちにくい。
市場や農協に出す仕組みはある。
ただ、そこで価格が決まり、農家側に十分な利益が残らないことも多い。
二つ目は、大規模化が難しいこと。
土地が細かく分かれている。
地権者が複雑で、貸してもらえない土地もある。
先祖からの土地という意識が強く、活用されないまま残っている場所もある。
北海道のように農地がまとまっていれば機械化もしやすいが、本州や長崎のような地域では簡単ではない。
三つ目は、農家自身が自分の作業を時給換算しないこと。
長時間働いているのに、自分の労働価値を正しく計算していない。
近くのドラッグストアで時給1,200円で働いた方が収入としては良い場合もある。
それでも、慣習や惰性の中で働き続け、低収益のスパイラルに入ってしまう。
さらに、豊作貧乏がある。
せっかく多く取れても、価格が崩れる。
市場の規格が厳しすぎることで、形やサイズの選別に時間を取られ、本質的ではない労働が増える。
規格外品は価値が下がる。
農家は時間をかけても利益が残りにくい。
上村さんは、その現実を強く問題視している。
自社では、直販や卸、輸出を自分たちで行う。
中間マージンをできるだけ自社内に残し、その利益を社員や地域の農家に還元するためだ。
農資材も、足りなければ自分で動く。
中国へ買い付けに行く。
フィリピン、マレーシア、中国、台湾など、海外の販路も視野に入れる。
現状では国内が約9割を占めているが、海外展開も少しずつ伸ばしていこうとしている。
上村さんが戦略的に選んだ作物の一つが、かぼちゃだった。
かぼちゃは重い。
作業も大変。
高齢農家にとっては負担が大きく、作る人が減っている。
だからこそ、若い自分たちがやる意味がある。
しかも、かぼちゃは機械が少なくても作れる。
山沿いの狭い土地や、機械化しにくい場所でも勝負できる可能性がある。
上村さんたちは、従来とは違う作り方も試している。
露地で這わせるだけではなく、ビニールハウスで縦に伸ばす。
他の作物の栽培方法を応用する。
かぼちゃの品種も30種類ほど試す。
どうすれば2週間早く取れるのか。
どうすれば欲しい時期に、欲しい品質で出せるのか。
社員の中には、生育や定植を定量的に捉える人もいる。
「売るだけが強い会社になってはいけない。生産も強くならないといけない」
上村さんの会社は、販売だけで勝とうとしていない。
生産から販売まで、両方を強くしようとしている。
作る人の感覚と、売る人の戦略をつなげようとしている。
そこにあるのは、農業を「頑張れば報われる世界」に戻したいという願いにも近い。
作物を選び、販路をつくり、規格を見直し、利益が残る構造をつくること。
相手が本当に良くなるところまで考え、行動に変えること。
上村さんは、その愛を農業の仕組みにしようとしている。
第5章|家族を増やす会社へ——社員を守り、農業で胸を張れる未来をつくる
上村さんが起業した時、そこには仲間がいた。

大学の後輩。
前職のスタートアップ時代の同僚。
グアテマラと一緒に貧困解決に勤しんだ同僚
4人で独立し、同じ古民家に住みながら会社をつくってきた。
一緒に住み、一緒に働く。
それも1年半ほど続いている。
続けられている理由を上村さんに聞くと、役割分担と対話、そして信念を挙げた。
「4人で会社をやっていくという強い信念があるからだと思います」
ただ、信念が強い人同士は、時にぶつかる。
上村さんもそれを理解している。
そのうえで、互いに支えたいという気持ちがある。
「自分と一緒に起業した3人と一緒にやっていきたい、支えたいという思いがある。そこも愛だと思います」
上村さんにとって、社員は家族に近い存在だ。
自分の人生のキャリアを捨て、自分と一緒に独立を決めてくれた人たち。
その人たちのためにも、絶対に走り続ける。
落ち込んでいる時間すらないほど、頑張りたい。
金銭的に苦しい時期はあった。
難しい局面も当然あった。
でも、他人からの愛があったから続けられた。
「彼らがいなかったら、挫折していたかもしれません。周りが、僕が頑張る意味を見つけて、支えてくれるんです」
仲間に支えられている。
強い信念を持ちながら、その信念を一人で保っているわけではない。
愛を与えるだけの人ではなく、愛を受け取ってもいる。
だからこそ、上村さんのIKIGAIを聞いた時、答えは自然と「家族」へ向かった。
「自分の愛する家族、友人。一緒に進んでいる彼らも家族だと思っています。社員は全員家族だと思っているので、家族を幸せにするために、貧困じゃない状態にするために頑張っていくんです」
ワンピースで言えば、白ひげのような存在。
血のつながりだけでなく、自分が守ると決めた人たちを家族として抱えていく。
上村さんが目指す会社の未来も、そこにつながっている。
目先では、社員を増やすこと。
家族を増やすこと。
売上で言えば10億。
ただ、上村さんが欲しいのは数字だけではない。
「5億、10億を儲けるのはもちろんです。そのうえで、信念も持てる会社にしたい。本当に社会のためになるんだよと胸を張れる会社にしたい」
社員が「まだ未熟な会社に入ってしまった」と後悔する場所にはしたくない。
この会社に入ってよかった。
自分たちは、社会のためになる仕事をしている。
そう実感できる場所にしたい。
上村さんがつくりたいのは、農業で生きる人が貧困に落ちない会社だ。
社員が胸を張れる会社だ。
地域の農家が、自分の作物にもう一度可能性を見出せる会社だ。
そして、愛が言葉だけでなく、利益の循環として形になる会社だ。
農業は厳しい。
だからこそ意味がある。
誰もが避ける場所に、誰かの人生を変える可能性がある。
上村さんは、その場所に立っている。
土を触り、作物を見て、海外へ飛び、農家と話し、社員と暮らし、家族を増やすように会社を育てている。
愛を仕組みにする挑戦は、まだ始まったばかりだ。
その歩みの先に、農業で胸を張って生きる人たちの未来がある。
IKIGAIと共に。

あとがき
上村さんの話を聞き終えたあと、私の中に残った言葉がある。
「愛とは、自分の損得感情なく、その人のことを考え続けて、なおかつ行動してあげること」
誰かを大切に思うこと。
誰かを応援したいと願うこと。
それは美しい。
けれど上村さんの言う愛は、そこからさらに一歩踏み込むものだった。
相手が本当に良くなるには何が必要なのかを考える。
その人に合う作物、利益が残る売り方、社員が胸を張って働ける環境まで考え抜き、行動に変える。
私自身も、IKIGAI JAPANを通じて、小規模事業主や職人、経営者の生き方を残したいと思っている。
ただ「応援しています」と言うだけでは足りない。
その人の価値が伝わるように言葉にする。
必要な人に届くように形にする。
仕事や縁につながるように仕組みにする。
上村さんの話を聞きながら、自分自身も問われている感覚があった。
自分は、本当に相手が良くなるところまで考えているだろうか。
言葉だけで終わっていないだろうか。
応援という綺麗な言葉に逃げていないだろうか。
愛とは、相手の人生に責任を持とうとする姿勢なのかもしれない。
相手のために考え続け、必要なら自分の手を汚し、現場に入り、仕組みを変えようとすることなのかもしれない。
上村さんは、貧しさを知っている。
差別も知っている。
海外の貧困も見てきた。
農業の厳しさも知っている。
それでも、恨む方向へは進まなかった。
諦める方向にも進まなかった。
上村さんは、愛する人たちが貧困にならない仕組みをつくる方へ進んだ。
あなたにとって、愛とは何だろうか。
誰のために、どこまで考え続けられるだろうか。
その人が本当に良くなるために、今日、どんな一歩を行動に変えられるだろうか。
私たちはそんな問いを考え続けていく必要がある。
未来の誰かのために。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師






