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最後の砦は、人の目にある——縁に育てられた経営者が、AI時代に守る品質
清水大輔 株式会社nascimento
AI時代のサービス品質を、人の目で支えるソフトウェアテストの専門家
東京都調布市
最後の砦は、人の目にある——縁に育てられた経営者が、AI時代に守る品質
2020年。新型コロナウイルスの影響で、宮崎の生産者たちは苦しい状況に置かれていた。それまで百貨店や商業施設の催事へ出店し、自分たちの商品を届けてきた人たちが、突然その販路を失った。ネットショップを始めようにも、ITに慣れていなければ簡単ではない。
だったら、自分が宮崎の商品を集めたECサイトをつくればいい。
生産者の力になれるかもしれない。地元・宮崎にも還元できる。そして、事業としても成立するかもしれない。
清水大輔さんは会社を辞め、株式会社nascimentoを立ち上げた。
東京と宮崎を行き来し、生産者のもとを訪ねた。商品は集まった。出品したいという企業も集まった。
だが、売れなかった。
Amazon、楽天市場、ふるさと納税。すでに多くの選択肢がある中で、立ち上げたばかりのECサイトは、商品を見てもらうことさえ簡単ではなかった。東京と宮崎を往復する交通費も重なり、半年ほどで資本金は尽きた。
「本当に全然だめだなと思いました」
会社員時代にも、似た現実を見ていた。スポーツ現場の安全を守るための仕組みを広げようとした。しかし、どれほど必要なものでも、価値が伝わり、対価を支払ってもらえなければ、事業として続けることはできなかった。
そして独立後、自分自身がもう一度、その現実にぶつかった。
「もう少しやってみて、それでも駄目だったら考えようと思いました」
そのとき、自分がこれまで経験してきた仕事を振り返った。そこで見つけたのが、多くの開発現場では地味な工程として扱われることもある、ソフトウェアの「テスト」だった。清水さんには、その仕事が違って見えていた。
「利用者さんが不具合を報告する前に止められる。言いすぎかもしれませんが、最後の砦だと思っています」
両親から選択を否定されずに育ち、仲間を信じてバスケットボールを続け、人に恵まれた会社員時代を過ごした。そして、良いものでも届かなければ続かないという現実に、仕事でも起業でも向き合った。なぜ清水さんは、それでも「人とのつながり」を何より大切にするのか。
そしてAIが急速に進化する時代に、人の目、人の感覚、人の判断を「最後の砦」として守ろうとしているのか。その理由を辿っていくと、品質保証という仕事だけでは見えてこない、清水さん自身の歩みと哲学がある。
受け取った信頼を、今度は自分が誰かへ返していく。
これは、人から受け取ってきたものを、仕事を通して次の人へ返そうとする、一人の経営者の物語である。
第1章|「やりたい」を否定されなかった——人を信じる心を育てた原風景
清水さんは、宮崎県宮崎市で生まれた。一人っ子だった。年齢の近い親戚も少なく、親戚が集まるとお年玉をたくさんもらえたという。本人は少し笑いながら、恵まれていた幼少期を振り返った。
家庭の中で強く残っているのは、何かをしたいと口にしたとき、両親から否定されなかった記憶である。父は、水泳のインストラクターやコーチとして働いていた。清水さんは0歳の頃から水に入り、小学校6年生まで水泳を続けた。
一方、小学校3年生頃からは、バスケットボールにも夢中になった。さらに英会話にも通った。水泳をしているから他のことはやめなさいとも、せっかく続けたのだから水泳だけにしなさいとも言われなかった。
「自分でやりたいと思ったことは、大体全部やらせてもらっていました。今振り返ると、本当に好きなことをやらせてもらっていたなと思います」
中学校へ進むとき、水泳とバスケットボールのどちらかを選ぶ時期が来た。選んだのは、バスケットボールだった。その決断には、少し意外な理由もあった。水泳を続ける中で視力が落ち、プールの向こう側にいる先生が出すスタートの合図が見えにくくなったのだ。
タイム測定で、先生が「用意、はい」と合図を出す。清水さんには、そのタイミングが分からない。見当違いの瞬間に飛び込み、正しくタイムを計れないことが続いた。度付きのゴーグルを買えば、解決できたかもしれない。
だが、清水さんは思った。そこまでして水泳を続けるより、今はバスケットボールの方が楽しい。
父自身が水泳の仕事をしていた。それでも父は、息子の選択を否定しなかった。小学校までは区切りよく続けるよう伝え、その後はバスケットボールへ進むことを認めた。
清水さんは、両親から何か特別な教訓を言葉で教わった記憶を強く持っているわけではない。ただ、自分の選択肢を狭められなかったことは覚えている。
「できないとか、やらない方がいいとか、言われたことがないんです」
やりたいと口にしていい。途中で別のものを選んでもいい。自分で決めたことを、周囲が受け止めてくれる。
その家庭で育った清水さんは、人を疑ってかかるより、まず相手を信じる側にいた。中学生になると、地元の個別指導塾へ通った。そこには、年上の大学生たちが講師として出入りしていた。
清水さんは、そんな年上の人たちとも自然に話し、可愛がってもらった。
「人懐っこかったのかもしれません。良い意味で、調子に乗っていたところもあったと思います」
自分より多くを知る人に近づき、その言葉を素直に受け取る。斜めに構えて拒むより、信じてみる。清水さん自身は当時、その姿勢を才能だとは考えていなかった。ただ振り返ると、自分の周りには多くの人がいて、何かと力を貸してくれたという。
その塾で、中学3年生の頃、塾長から言われた。
「あなたは将来、社長になるよ」
なぜ、そう言われたのか。当時の清水さんには分からなかった。社長という職業に、特別な憧れがあったわけでもない。
「何を言っているんだろう、くらいの感じでした」
それでも、その言葉は消えなかった。高校へ進み、大学生になっても、清水さんは同じ塾に関わり続けた。生徒だった場所で、アルバイトとして働くようにもなった。
塾長の言葉は「自分はいつか社長になるのかもしれない」という、輪郭のぼやけた未来として、頭の片隅に残り続けた。与えられたものを、今度は自分が返していく。その循環は、少年だった頃、大人たちの姿を見ることから始まっていた。
第2章|パスが来なければ、シュートは打てない——バスケットボールで知った信頼
清水さんがバスケットボールに惹かれた理由は楽しかったからだ。
練習すれば、シュートが入るようになる。試合に勝てる。周囲から褒められる。
水泳には、自分のタイムと向き合う面白さがあった。一方、バスケットボールでは、一人では完結しない喜びがあった。
「バスケットは5対5です。ベンチも含めて、全員で戦うスポーツだと思っています」
どれだけ上手な選手でも、一人で試合を成立させることはできない。仲間からパスが来なければ、シュートは打てない。チーム内で孤立すれば、本来の力を発揮できない。技術だけでは届かない場所に、人との関係がある。
中学時代、清水さんは、能力が高いにもかかわらず、チームメイトとの関係がうまくいかず、思うようにパスを受けられない先輩を見た。なぜ、あの人にボールを渡さないのか。あの人なら、もっと攻められるはずなのに。
外から見れば、そう思える。それでも、コートの中では、日頃の関係がプレーに表れていた。
「一人よがりでは、絶対にうまくいかないスポーツだと思います。仲間との信頼感は、すごく勉強になりました」
高校では、強い選手たちが複数の中学校から集まった。同じ中学校から進学した仲間の中には、周囲のレベルの高さを見て、別の部活動へ移った人もいた。清水さん自身も、入学した当初は簡単にはかなわないと感じていたという。
「一緒の中学校から上がった子たちもいたんですけど、レベルについていけないと思って、ハンドボール部に行ったり、別の部活に入ったりしていました。僕も全然かなわないなと思っていました」
それでも、清水さんはバスケットボール部に残った。
「でも、ずっと小学校からやってきたことでしたし、もしかしたら上を狙えるのかもしれないと思って。3年間、ちゃんとバスケットをやろうと決めました」
宮崎県では、延岡学園高校や小林高校など、全国でも知られる強豪校が上位にいた。その下で、どの学校が県3位へ入るのか。清水さんたちは、その位置を目指して練習を重ねた。
結果は、県大会3位。
清水さん自身は、最後まで絶対的なレギュラーだったわけではない。チームの中で8番目、9番目ほどの位置におり、試合へ出る機会もある選手だった。すべてが美しい思い出として残っているわけでもなかった。
ある試合で、監督から攻めるよう求められた場面があった。清水さんは、自分なりに状況を見て、今は攻めるタイミングではないと判断し、仲間へパスを返した。監督は、なぜ攻めなかったのかと怒った。
清水さんにも、自分なりの理由があった。だから、その指示を素直には受け取れなかった。その後、試合へ出る機会は減った。
「言われたことを、そのままやっていればよかったんですけどね。それで試合に出なくなった経験もありました」
監督の判断が、すべて正しかったのか。清水さんの判断が、間違っていたのか。本人は、その出来事を単純な正解と不正解でまとめてはいない。
組織には、役割がある。求められていることがある。自分の考えを持つことと、チームの中で共通の方針に従うことの間には、緊張が生まれる。
清水さんは、バスケットボールを通して、仲間を信じることと同時に、組織で動く難しさも知った。大学では、英語を学べる環境を選び、授業の多くを英語で受ける語学系の大学へ進学した。就職活動では、学んできた英語を仕事でも使いたいと考え、商社やメーカーなどを探していた。
そのとき、学生向けのスカウトサービスを通して、あるソフトウェア会社から連絡が来た。
「スポーツビジネスに関われます」
「英語を使えます」
バスケットボールを続け、英語を学んできた清水さんにとって、その言葉は自分へ向けられたものだと感じた。そして面談を重ね、その会社へ入社する。ただし、入社前の社長との食事の席で、清水さんは一つのことを伝えていた。
「3年から5年以内には辞めて、独立します」
何の事業で独立するのかは、まったく決まっていなかった。本当に独立できる確信もなかった。それでも、中学生の頃に言われた「社長になる」という言葉は残っていた。清水さんは、まず未来を口に出した。
入社後、実際に任されたのは、スポーツと英語に関わる新規事業だった。スポーツ現場におけるEAP(Emergency Action Plan/緊急時対応計画)をシステム化するプロジェクトである。EAPは、競技中に重大な事故や急病が発生した際、誰が何をし、どこへ連絡し、救急車をどこまで入れ、どの医療機関へ搬送するかを事前に定める緊急時対応計画である。
選手が頭を打ち、意識を失ったらどうするのか。救急車は競技場のどの入口から入れるのか。その曜日、その時間に対応できる病院はどこか。
緊急事態が起きてから考えるのでは遅い。だから、会場ごとに必要な情報を一枚へまとめ、関係者が事前に共有する。清水さんは、アメリカのプロスポーツ現場で経験を積んだトレーナーたちと関わりながら、この仕組みの開発と事業化に携わった。
NBAやMLBなど、世界のトップレベルの現場を知る人たちと食事をし、話を聞く。Bリーグや実業団のチームへ提案に行く。好きだったスポーツが、そのまま仕事になった。
「最前線で働いている方と、仕事として関われたことは新鮮でした。すごく楽しかったです」
やりたいことを選び、好きな世界で働く。幼少期から続いてきた清水さんらしい歩みは、ここでも順調に見えた。だが、この仕事を通して、清水さんは初めて、良いものをつくることと、事業として続けることが同じではないと知ることになる。
第3章|良いものでも、売れなければ続かない——二度の失敗が教えた事業の現実
EAPは、人の命を守るために必要な仕組みだった。清水さんたちは、その価値を理解していた。現場のトレーナーにも必要性は伝わった。試験的に使ってもらえば、「これは良いかもしれない」と言ってもらえることもあった。
それでも、導入にはつながらなかった。そもそもEAPという考え方を知らない組織へ行けば、「それは何ですか」「本当に必要ですか」という説明から始まる。現場の担当者が必要だと感じても、予算を決めるのは別の人である。チームや競技団体には限られた資金があり、必要性を理解してもらい、費用を出してもらうまでには長い時間がかかる。
一緒に取り組んでいたトレーナーから、清水さんは言われた。
「スポーツビジネスは、我慢が大事だよ」
安全の考え方を広げる。組織へ伝える。現場の常識として定着させる。
その活動には、何年もの時間が必要だった。一方、清水さんが在籍していた会社は、ソフトウェア開発会社である。システムを開発し、利用してもらい、対価を受け取ることで社員の生活と次の開発を支えている。
思いが正しくても、売上がなければ事業は続かない。
「どんなに優れた考え方でも、組織に浸透していなければ、人は動かないし使わない。やりたいことだけでは、会社は成り立たないということを学びました」
新規事業には、すでに開発費がかかっていた。維持費も必要になる。無料で使ってもらうだけでは、投資を回収できない。いつまで続けるのか。
どこで手を止めるのか。前職の社長は、清水さんに「見極め」の必要性を伝えた。自分が好きだから続ける。
社会に必要だから続ける。その気持ちだけで進めば、会社全体を危険にさらすこともある。プロジェクトは、事業として大きく広がることなく、縮小することになった。
清水さんは、この経験を振り返ってこう話す。
「やりたいことだけじゃ、事業としては成り立たないんだなと学びました。会社としてやっている以上、対価としてお金をいただかないと続けられない。あとは、どこまで続けて、どこで手を止めるのか。その『見極め』は、前職ですごく学ばせてもらいました」
*
2020年、世界は新型コロナウイルスの感染拡大に直面する。宮崎の生産者たちは、百貨店や商業施設の催事へ出店し、商品を販売していた。人が集まる催事が開けなくなると、販路を失う。
清水さんのもとにも、地元の生産者が困っているという話が届いた。ネットショップを一からつくることは、ITに慣れていない人にとって簡単ではない。それなら、宮崎の商品を集めた一つのECサイトをつくればいい。
自分が箱を用意し、商品を載せ、生産者の代わりにオンラインで届ける。地元の魅力を発信でき、生産者の助けになり、事業にもなるかもしれない。
「すごく思いつきでした」
清水さんは、会社員時代から宣言していた独立へ踏み出す。個人事業から小さく試したのではなく、最初から法人を設立した。
そして株式会社nascimentoが誕生した。nascimentoは、ポルトガル語で「誕生」を意味する。2021年6月には、宮崎県の特産品を扱うECサイト「日和商店」を公開した。日和商店には、宮崎の魅力を広く届け、生産者の思いを購入者へ直接伝えたいという願いが込められていた。
東京と宮崎を行き来し、生産者のもとを訪ねた。商品は集まった。出品したいという企業も集まった。だが、商品は思うように売れなかった。
インターネット上には、Amazonや楽天市場がある。ふるさと納税という仕組みもある。知名度も広告予算も限られた新しいECサイトは、まず見てもらうことが難しかった。良い商品を載せれば、誰かが見つけてくれる。
生産者の思いを伝えれば、買ってもらえる。現実は、そこまで単純ではなかった。
「どんなに良いものでも、そもそも見られない。知られない。知ってもらっても、買われない。大企業がかけられるコストには勝てませんでした」
東京と宮崎を移動する交通費も重なり、半年ほどで資金は尽きた。良い商品と生産者への思いがあっても知ってもらい、購入してもらう仕組みがなければ続かなかった。前職で味わったときと同じ現実に、別の場所でもう一度向き合うことになった。
清水さんは、EC事業を縮小する。
「もう少しやってみて、それでも駄目だったら撤退と考えていました」
生活するための売上が必要だった。
自分に何ができるのか。
その問いの先で生業を見つけることになる。
第4章|地味な作業を、「最後の砦」へ——品質と人の幸せが重なったとき
前職で経験してきた仕事を振り返ったとき、思い浮かんだのがソフトウェアのテストだった。エンジニアがつくったシステムを実際に操作し、不具合がないかを確認する。ボタンを押し、入力し、条件を変えながら何度も同じ操作を繰り返す。
開発現場では、エンジニアやPM、カスタマーサポート、営業などが、本来の仕事と並行してテストまで担うことも多かった。地道な工程だった。けれど、清水さんには以前から、この仕事の見え方が少し違っていた。
「世の中に出る前のサービスを事前に触ることができる。利用者さんが不具合を報告する前に、それを止められる。言いすぎかもしれないですけど、“最後の砦”だと思っていました」
公開する前に、不具合を見つける。利用者さんが困る前に、止める。そして第三者がテストを担えば、エンジニアは開発へ、営業は営業へ、カスタマーサポートは利用者さんへの対応へ、それぞれが本来の仕事に集中できる。
「僕らが第三者として入れば、それぞれの職種の人が、自分のメインの仕事にリソースを割くことができるんです」
EC事業では見つけられなかった事業の手応えが、そこにはあった。品質保証を必要としている会社があり、自分には前職で培った経験がある。少しずつ依頼が入り、nascimentoの事業の中心は、ソフトウェアの品質保証へ移っていった。
そんな清水さんの中には、前職時代からもう一つ残り続けていた考え方があった。
ウェルビーイングである。
前職時代、清水さんは、科学技術倫理やウェルビーイングを研究する大学教授と出会った。技術者が、どうすれば働きがいを持てるのか。研究や開発の現場で、不正を防ぐために何が必要なのか。
会社やチームが、どうすればより良い状態で働き続けられるのか。そうしたテーマについて話を聞く中で、「より良く生きる」という考え方に触れた。
「“幸せ”という言葉だけだと、受け取り方によっては宗教的とか、スピリチュアルな印象を持たれることもあると思うんです。でも、ウェルビーイングは研究されている考え方です。何をもって働くのか、会社としてどうあればより良い状態になるのかを考えるようになりました」
清水さんは、その考え方を自分の仕事にも重ねていった。テストをする。不具合を見つける。
一見すると、それだけの仕事にも見える。けれど、その先にはサービスを使う人がいる。システムをつくっているエンジニアがいる。お客様がいて、その会社で働く人たちがいる。
一つの不具合を事前に見つけることで、利用者さんが困ることを防げるかもしれない。テストを任せてもらうことで、開発者が本来やりたかった仕事へ時間を使えるかもしれない。清水さんの中で、「品質を守ること」と「人がより良く働き、安心してサービスを使えること」が、少しずつ重なっていった。
そして、時代が動いた。
AIやローコードの普及によって、専門的なプログラミングの経験が少ない人でも、以前より簡単にシステムをつくれるようになった。清水さんのもとには、新しい相談が届くようになった。AIと対話しながらサービスをつくり、そのまま公開した。ところが、利用者さんから不具合や使いにくさを指摘する声が次々に届く。
調べてみると、そもそもの要件が整理されていなかったり、「テストを通ったから大丈夫」と判断されていたりする。つくる速度が上がったからこそ、公開していい状態なのかを誰が判断するのか。その問いが、以前より大きくなっていた。
「AIが機械的に操作して、技術的にはパスと判断することはできます。でも、人が見たときに『ここ、使いにくいな』と感じることがある。それは、その人がこれまで見てきたものや、経験、価値観から生まれる感覚だと思うんです」
仕様通りに動いている。それだけで、本当に使いやすいのか。
初めて使う人が迷わないか。不安にならないか。世の中へ出して、本当に大丈夫なのか。最後にその問いへ答えるためには、人が考え、人が判断する必要があると、清水さんは考えている。
「全部をAIに任せてしまうと、その人がいる意味まで薄くなってしまうと思うんです。人の価値観や考え方、感情を入れながら、AIをどう使いこなすかが大事だと思っています」
会社員時代、命を守るEAPという仕組みを広げようとした。起業後には、宮崎の生産者を支えようとEC事業を始めた。どちらも、良いものをつくるだけでは続かなかった。
そして今、清水さんが向き合っているのは、つくられたものを「安心して使える状態」に整える仕事である。人の目で確かめ、人が判断し、誰かが困る前に止める。かつて地味に見えていたテストの仕事は、清水さんの中で、人の安心を守る「最後の砦」になっていった。
第5章|人から受け取ったものを、人へ返す——関わるすべての人が幸せになる会社へ
品質保証を中心に据えてから、nascimentoには少しずつ人が集まるようになった。正社員として働く人がいる。業務委託や副業という形で関わる人もいる。そして、サービスを依頼してくれるお客様がいる。
清水さんは、その一人ひとりについて話すとき、「選んでくれた」という言葉を使う。業界には、自分たちよりはるかに規模の大きな会社がある。その中で、nascimentoで働きたいと言ってくれる人がいる。仕事を任せたいと言ってくれるお客様がいる。
前職を離れてからも、清水さんを手伝ってくれる人までいる。
「大きな会社がある中で、うちを選んでくれる。それが、本当にありがたいんです」
その感覚には、これまでの人生で受け取ってきたものが重なっている。子どもの頃、自分がやりたいと言ったことを両親は否定しなかった。塾では、多くの年上の人たちに可愛がってもらった。
会社員時代も、人に恵まれた。独立してからも、以前のつながりが途切れることなく、自分を支えてくれた。
「せっかく数ある会社の中から、自分のところを選んでくれた人がいるのであれば、その人たちに何とかして還元したいという思いがすごく強いんです」
清水さんが、会社をどこまで大きくしたいのか。その問いに対して、明確な上場目標や人数目標を掲げているわけではない。若くして会社を大きくする経営者を見れば、「自分はまだまだだ」と感じることもある。
一方で、清水さんが繰り返し口にするのは、規模よりも、関わる人たちが不自由なく生活できる状態をつくりたいということだった。社員だけを指しているわけでもない。一緒に仕事をする人。
仕事を依頼してくれるお客様。その先でサービスを利用する人。
「関わってくれているすべての人が幸せになるというところは、ぶらさずにいたいです」
その考え方は、ソフトウェアの品質保証という仕事だけに表れているわけではない。nascimentoは、新宿で「ほどよい酒BAR by *OTAKU」も運営している。「ほど良く、ほど酔う」
飲みすぎず、翌日も働ける。誰かと無理に距離を縮める必要もなく、それぞれが心地よい距離で人とつながる。IT企業がBARを運営するという、一見すると異なる事業にも、清水さんが前職時代から触れてきたウェルビーイングの考え方がある。
仕事をすること。人とつながること。無理をせず、長く続けられること。
清水さんが会社づくりの中で考えてきたことは、少しずつ形を変えながら事業にも表れている。そして今、清水さんが次に狙っている場所がある。
「『AI×品質』と言われたときに、nascimentoが出てくるような存在になりたいです」
AIによって、システムをつくる人はこれからさらに増えていく。開発する時間も短くなっていく。その一方で、誰がその品質を確かめ、誰が「世の中へ出して大丈夫です」と判断するのかという役割は、より重要になると清水さんは見ている。
10年後には、今よりさらにAIが進化しているかもしれない。そのとき、品質保証という仕事自体が今とは違う形になっている可能性もある。清水さんも、その未来を決めつけてはいない。
「10年後には、AIがもっと進んで、今と違うことを言っているかもしれません」
変わることを前提にしながら、今できることに向き合う。その先でも、清水さんが大切にしたいものは変わらない。インタビューの最後に、お金も時間も権威もすべて取り除いたとしたら、最後に自分へ残るパワーの源は何かと尋ねた。
少し考えて、清水さんは答えた。
「人とのつながりですかね。一人では生きていけないと思うので」
インタビューの前年には、子どもが生まれた。その存在について話したとき、言葉を続けた。
「子どもが、IKIGAIになっているのかもしれません。それも含めて、人とのつながりを大切にすることが答えなのかもしれないですね」
「社長になる」と言われた中学生の頃、どんな会社をつくるのかまでは決まっていなかった。会社員になるときも、何で独立するのかは決めていなかった。独立して始めたEC事業も、思い描いたようにはいかなかった。
清水さん自身も、最初から現在の形を知っていたわけではない。その時々で出会った人から何かを受け取り、目の前の状況から次の選択をしてきた。そして今、自分を選んでくれた人たちへ、受け取ったものを返そうとしている。
社員が安心して働けること。お客様が安心してサービスを任せられること。利用者さんが安心してシステムを使えること。
AIがどれだけ進化しても、その先にいる人を見る。清水さんが守ろうとしている「品質」の中心には、いつも人がいる。

あとがき
清水さんの話を聞きながら、私は「仕事に意義を持つとは、どういうことだろう」と考えていた。
ソフトウェアのテストは、外から見れば地味な作業として扱われることもあるという。けれど清水さんは、その先にいる利用者さんを見ている。不具合を事前に見つけることで、誰かが困ることを防ぐ。開発者が本来の仕事へ集中できるようにする。そして、安心してサービスを世の中へ届けられる状態をつくる。
自分の仕事が、誰のためになっているのか。その仕事が、社会のどこにつながっているのか。そこまで考えながら働くことができれば、日々繰り返している仕事の見え方は、大きく変わるのだと思った。
そして清水さんは、自分だけの成功を追いかけているわけではない。関わってくれる人が幸せに働けること、AIが進化しても人が考え、判断する価値を残していくこと。その先に、これからの世代へ渡せるものを考えている。
人の一生には限りがある。
どれだけ会社を大きくしても、どれだけ技術が進んでも、自分自身がこの世界にいられる時間はいつか終わる。だからこそ、自分が生きている間に何をつくり、誰に何を渡していくのか。私は、そこを考えながら仕事をする人の姿に、どこか儚さを感じる。
永遠には続かないからこそ、今ここで誰かのために仕事をし、受け取ったものを次の人へ渡していく。その積み重ねこそ、人が仕事をする意味の一つなのかもしれない。あなたの仕事は、今どんな形で社会につながっているだろうか。
そして、自分がいなくなったあとにも残っていてほしいものは、何だろうか。
その問いを持って働くこと自体が、自分自身のIKIGAIを見つめ直すきっかけになるのだと思う。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









