- ホーム
- IKIGAIを持つ者たち
- 吉沼枝里子 Lism Smile

選んだ道を、正解にしていく——健康と人生の選択を支える薬剤師の歩み
吉沼枝里子 Lism Smile
健康と生き方の選択肢を広げる薬剤師
東京都 渋谷区
選んだ道を、正解にしていく——健康と人生の選択を支える薬剤師の歩み
あなたは、周囲から見れば順調な人生の中で、「このままでいいのだろうか」と立ち止まったことがあるだろうか。
好きな仕事がある。職場にも恵まれている。結婚を考える相手もいる。これまで積み重ねてきたものを手放すほどの、明確な不満があるわけでもない。それでも、30代、40代の自分を思い浮かべたとき、胸の奥に小さな違和感が残る。
Lism Smile代表・吉沼枝里子さんは、薬剤師として約9年間、漢方薬局でカウンセリングや店舗運営、人材育成に携わった後、31歳で独立した。現在は「薬に頼らない薬剤師」として、健康相談やファスティング、講演、企業へのコンサルティング、商品開発など、幅広い活動を続けている。
「薬に頼らない」という言葉には、必要なときには薬の力も借りながら、食事や生活、心身の状態に目を向け、自分の身体と向き合える人を増やしたいという願いが込められている。
「パワフルで健康で、一生夢を追いかけられる人を増やしたいんです」
その言葉にたどり着くまでには、植物が好きだった少女時代、病院実習で直面した幼い命、漢方薬局で出会った女性たち、東日本大震災で一変した日常、そして結婚と独立の間で揺れた3年間があった。
吉沼さんは、自分の歩みをこう語る。
「自分が選んだものを、正解にしたいんです。たぶん、違う道を選んでいたとしても、『私の人生はよかった』と思えるようにしていたと思います」
迷いながら選び、選んだ後の行動によって、その道を正解にしてきた。これは、誰かが決めた幸せの形から一歩離れ、自分の人生を引き受けた一人の女性の物語である。
第1章|「ちゃんとしなきゃ」の中で育った——厳しさと自由を受け取った少女時代
吉沼さんは、茨城県で育った。父は剣道八段。母は小学校の教員だった。祖父母がガーデニングをする環境で育ち、幼い頃から花や自然、植物や薬草に夢中になった。
母が教員だった小学校時代には、「先生の娘」として見られる緊張があったという。
「小学校の頃は、『ちゃんとしなきゃ』という思いが強かったです。母も世間体を気にしていたと思いますし、私もよく思われたい気持ちがありました」
父からは礼節を教わり、「言ったことはやる」という姿勢を求められた。
「父は『言ったことはやりなさい』という人でした。父からは、昔から頑固だったとも言われます」
一度決めたことを簡単には曲げない。その頑固さは、幼い頃から吉沼さんの中にあった。
小学校からは剣道を始めた。家庭でも剣道でも礼節を求められ、周囲からどう見られているかを意識しながら過ごしていた。
当時は、与えられた厳しさが何につながるのか分からなかった。失敗すれば母に迷惑をかける。「先生の娘なのに」と思われたくない。周囲の期待に応えようと、「ちゃんとしなきゃ」と自分を律し続ける日々は、つらかったという。
「厳しく育ててもらったからこそ、しかもお金もかけてもらったから、今はありがたいって気持ちしかなくて」
今では、「あの時があってよかった」と思える。現在の感謝と、当時のつらさ。その両方を含めて、吉沼さんはあの頃を受け止めている。
両親は厳しく育てながらも、吉沼さん自身が進路を選べるよう、上手に背中を押してくれた。中高一貫校へ進むと、母の勤務先から離れ、学校の中でも少しずつ自由に振る舞えるようになった。
その後も剣道を続け、生徒会や文化祭の実行委員、学級委員、部長などを任されることも多かった。人前に立つ機会は多かったものの、先頭に立ちたいタイプではなかった。自分が最も力を発揮できるのは、尊敬する先輩や仲間を支える位置だった。
「負けず嫌いではあるんです。でも、誰かを蹴落として勝ちたいわけではなくて。先輩たちの後ろで支えながら、『枝里子ちゃんがいたからよかったよね』と言ってもらえるような、縁の下の力持ちになりたかったんです」
剣道でも、同学年を率いる場面では責任やプレッシャーが強くなり、先輩がいるときのほうが、のびのびと力を出せた。表から見える「優等生の吉沼さん」と、誰かを支えることで自分らしくいられる内面。その両方を抱えながら成長していった。
剣道を通して学んだのは、礼節や技術だけではなかった。指導者や先輩から教わったことを自分のところで止めず、今度は後輩へ渡していく。直接受けた恩を返す「恩返し」とともに、その恩を次の人へつなぐ「恩送り」を大切にしてきた。
「恩送りとか、恩返しとか。人は人でしか磨かれないと思っています」
先輩に支えてもらった経験があるから、次は自分が後輩を支える。見られているかどうかにかかわらず礼を尽くし、言ったことを行動へ移す。その積み重ねが、吉沼さんが今も大切にしている「義理人情」「信用と信頼」「筋を通すこと」につながっていった。
高校生になると、幼い頃から好きだった花や植物を将来の仕事にしたいと考えるようになった。
「花の図鑑がぼろぼろになるくらい、花や植物が好きでした。高校生の頃は、花屋になりたいと先生に相談したんです」
教師から「花は趣味でも続けられる」と言われた吉沼さんは、もう一つ、自分が大切にしていた気持ちへ目を向けた。
「人の役に立つ仕事がしたいと思っていました。理系だったので医療職を考えて、植物や薬草にもつながる薬剤師なら、自分にもできるかもしれないと思ったんです」
医師や看護師ではなく、薬剤師。植物への興味と、人の役に立ちたいという思いが重なる進路だった。吉沼さんは自分の中で納得できる選択肢を探し、薬学部へ進学する。地元を離れて仙台で暮らし、大学でも剣道を続けた。
第2章|病気になる、その手前で——漢方と予防を選んだ薬剤師
薬学部で学び始めた吉沼さんは、大学病院での実習を通じて、自分の無力さと向き合った。特に忘れられなかったのが、小児病棟で出会った子どもたちである。
翌日に手術を控えた、まだ5歳ほどの子ども。その姿を前にすると、涙が出た。患者さんの苦しみに感情が引っ張られ、この光景を日々見続ける働き方は自分には難しいと感じた。
同時に、吉沼さんの中には別の考えが浮かんでいた。
「病気になった方に薬を届けることも大切です。でも、こうなる前の人を増やせないだろうか。病院へ行く手前でできることがあるんじゃないかと、何となく思っていました」
調剤薬局の実習では、限られた時間の中で多くの患者さんへ薬を渡す仕事を経験した。一人ひとりと深く話し、生活や体調の背景まで理解するには時間が足りない。その一方、漢方薬局では、カウンセリングを通じて身体全体の状態を聞き、体質に合わせて漢方薬を提案できる。
植物や薬草への関心。病気になる前に関わりたいという思い。目の前の人と丁寧に話したいという性格。吉沼さんは、新卒で漢方薬局へ入ることを決めた。
当時、薬学部の卒業生が漢方薬局を選ぶことは珍しかった。吉沼さんは、学びの環境が整い、業界を牽引していた漢方薬局を志望した。病院も検討していたが、人事担当者との対話を通して、働き方や目指す方向が異なることに気づいた。
「漢方薬局に受かったら行く、と決めていました。落ちたら、そのときにまた考えればいいと思っていました」
2006年に入社してからは、漢方の勉強を続けながら、お客様へのカウンセリングを重ねた。学べば学ぶほど、目の前のお客様の体調が変わっていく。後輩も少しずつ、自分の力でお客様へ提案できるようになっていった。
「お客様がよくなっていく姿を見るのも、部下が成長する姿を見るのも、どちらも嬉しかったです」
25歳で店長となり、新規店舗の立ち上げも経験した。店舗運営、後輩の育成、売上管理、現場で起きる問題への対応。誰かを支える立場が好きだった吉沼さんにとって、人が育ち、店が成長していく仕事には大きなやりがいがあった。
漢方薬局には、月経の悩みや子宮・卵巣の疾患、不妊治療など、女性特有の悩みを抱えた方も訪れた。同じ症状でも、生活環境や仕事、家族との関係、抱えている不安は異なる。カウンセリング中に涙を流す女性もいた。
薬を選ぶ前に、その人がこれからどのような生活を送りたいのかを聞く。身体だけを切り離さず、心や暮らしも含めて一緒に考える。そこで重ねた対話は、吉沼さんが独立後に始めるヘルスカウンセリングへつながっていった。
仕事は楽しかった。職場にも恵まれ、自分は食いっぱぐれないだろうという安心もあった。
だからこそ、胸の内に生まれた違和感を説明することが難しかった。
「会社も嫌いではありませんでしたし、毎日は楽しかったです。それでも、30代、40代を考えたとき、『このまま店長を続けるのは少し違う』という感覚がありました」
転職サイトを開いても、心が動く会社は見つからない。毎日は充実しているのに、将来を考えると落ち着かない。答えのない感覚を抱えたまま、吉沼さんは28歳を迎えた。
第3章|結婚も、仕事も、私の人生も——答えの出ない3年間で選んだもの
2011年、東日本大震災が発生した。吉沼さんが通っていた大学は仙台にあり、地元の茨城県も大きな影響を受けた。当時は百貨店内の店舗で店長を務めており、早い時間に店を閉める対応に追われた。家族となかなか連絡が取れず、友人たちに連絡してよいのかさえ分からない。恐怖の中で、日常が一瞬で変わることを知った。
「明日やろうと思っていたことが、できなくなる日があるんだと初めて実感しました」
震災後も仕事は続いた。目の前の役割を果たしながら、これからの人生を考える時間が増えていった。
28歳から31歳頃の吉沼さんにとって、仕事の選択は、結婚、出産、働き方、住む場所とも結びついていた。同棲し、結婚を考えていた相手もいた。会社には愛着があり、結婚も現実的な未来だった。どちらも大切だからこそ、「本当はどうしたいのか」を言葉にできずにいた。
そんな時、同じ百貨店で店長をしていた栄養士の友人が、女性経営者を紹介してくれた。人材業界で営業や管理職を経験した後、女性のキャリアや人生に寄り添う活動をしていた人物だった。
初めて会った吉沼さんへ、その女性は尋ねた。
「枝里子ちゃんは、本当はどうしたいの?」
吉沼さんは、何も答えられなかった。
「毎日楽しく働いていたのに、自分が本当はどうしたいのか、全く考えられなかったんです。モヤモヤしているのに、言葉にできませんでした」
さらに、女性経営者の紹介で、後に人生の師匠となる男性経営者と出会った。20歳で世界一周を経験し、帰国後に新卒採用のコンサルティング会社を起業した人物だった。事業を譲渡した後、自分の次の道を探した経験も持っていた。
彼が吉沼さんへ伝えたのは、会社の事業計画を立てるように、自分の人生にも戦略を持つという考え方だった。
「独立するか、転職するかを先に決めるより、自分がどう生きたいのか、何に24時間を使いたいのかから、仕事や働き方を考えたほうが面白いと思ったんです」
2011年8月、吉沼さんは勝どきの区民館で開かれた小さな講演会に参加した。そこで、自分の現在地を突きつけられる問いに出会った。
「『一分一秒、わくわくドキドキしていますか』と聞かれたとき、私は手を挙げられませんでした」
独立を決めるまでには、ここから約3年かかった。経営者の話を聞き、経済やお金を学び、株式投資や事業投資にも挑戦した。ビジョンを持って事業を営む人たちと会い、自分が何をしたいのかを繰り返し尋ねてもらった。会社員として働きながら、考え続けた。
「もっともらしい手法を話す人はたくさんいました。でも、私が惹かれたのは、自分の理想を実現するために泥臭く行動している人たちでした」
同棲していた相手との間でも、将来の考え方に違いが表れた。28歳後半から31歳頃までの約3年間を共に暮らし、結婚も現実のものとして考えていた。大切に重ねた日常があったからこそ、自分の生き方を選ぶことが、その未来を手放すことにもつながる現実は重かった。
吉沼さんは、働き方を変え、自分で仕事をつくる方向へ進みたかった。一方、相手は、吉沼さんが薬剤師として安定した働き方を続ける未来を望んでいた。相手からは、自立を目指す人との結婚は難しいという思いを伝えられた。
「『自立する人とは結婚できない』と言われて。そこで、結婚を一度、“脳内解除”したんです」
「脳内解除」と言っても、気持ちはすぐには切り替わらなかった。結婚へ進めば、これまで描いてきた暮らしに近づけるかもしれない。その一方で、自分が目指し始めた生き方を抑えたまま家庭に入り、後から二人の関係を修復していけるのか。どちらかが折れることで一度は話が収まっても、その違いを抱えたまま、長い人生を共につくっていけるのか。吉沼さんは考え続けた。
「一番は、価値観がある程度同じでないと難しいと思ったんです。今回、私が折れて結婚したとして、それを後から修復しながら、この先の二人の未来をつくれるかと言われたら、少し違うのかもしれないと思いました」
二人が結婚後に望む暮らしと、仕事や挑戦への向き合い方は違っていた。安定した暮らしを望むことも、自分の可能性に挑みたいと願うことも、それぞれの人生にとって大切な選択だった。
別れを決めた後も、迷いは残った。
そんな時、吉沼さんの未来を信じ、「やるなら応援する」と言ってくれる人たちがいた。
「近くにいた人よりも、私の未来を応援してくださる方々に賭けた、という感覚だったのかもしれません」
吉沼さんにとって、仕事の選択は、結婚や出産、家族との時間とも重なっていた。すべての答えがそろうのを待たず、自分の可能性を自分で信じる道へ進んだ。

第4章|恩を返し、筋を通す——「あなたに頼みたい」を積み重ねた独立後
会社へ退職の意向を伝えたとき、吉沼さんは泣いていた。
「もう辞めたいです」
口にすることが苦しかったのは、約9年間お世話になった会社であり、共に働いてきた仲間がいたからだ。店長として担当する店舗には、次の店長を任せたい後輩もいた。自分がすぐに離れれば、その人が十分な準備をしないまま責任を背負う可能性がある。
吉沼さんは、退職の半年前に意思を伝えた。
「この子を次の店長にしたいので、半年かけて育てます。その後に辞めさせてください」
引き止めを受けながら店舗の仕事を続け、後輩を育成し、水面下では独立の準備を進めた。気持ちが決まった後の半年間が、最も大変だったという。それでも、引き継ぎを途中で投げ出さなかった。
「いつ辞めてもよかったのかもしれません。でも、お世話になった会社ですし、今の仕事観もそこで教えてもらいました。自分の中で筋を通したかったんです」
2014年末に退職し、2015年、31歳で独立した。最初に始めたのは、個人向けのヘルスカウンセリングと講座だった。漢方薬局で積み重ねた経験をもとに、体調だけを切り取らず、その人がどのように生きたいのかまで聞いていく。
独立当初、最も不安だったのは収入だった。薬剤師として就職すれば安定して働ける。自分で始める仕事には、毎月決まった給与も、会社の看板もない。
そこで吉沼さんは、会社員時代に見てきた経営者の行動を一つずつ実践した。毎月、自主開催の講座を開き、医療職の仲間たちとイベントを立ち上げた。紹介を通して参加者が増え、イベントには70人から80人ほどが集まるようになった。講座やカウンセリングへ来てくれる人も増え、約2年かけて100人近くとのつながりを築いた。
「300人規模の講演会をつくっている姿を見て、『その人にできるなら、私はまず100人を目指したい』と思ったんです。紹介で人が集まり、そこから講座へ来てくれる方や仲間が増えていきました」
その行動の土台には、師匠から教わった「100人のファンをつくる」という生き方があった。
「あなたにお願いしたいと言ってくれる100人のファンがいれば、どんな仕事でも成り立つ」
吉沼さんが目指した100人とは、考え方や仕事への姿勢まで知ったうえで、「あなたに頼みたい」と言ってくれる人たちである。目の前の一人に向き合い、約束を守る。その一人が、また次のご縁をつないでくれる。紹介を受けたら、紹介してくれた人へ必ずお礼を伝える。吉沼さんは今も、そうしてつながりを一人ずつ育てている。
「お願いされても、できないことはちゃんと『できない』と言います。『やれる』と言ったらやる。それを続けてきた感じです」
その姿勢は、紹介してくれた人との関係にも表れた。
「恩を返すことや、誰からの紹介だったのかを忘れずにお礼を伝えることを、細かくやってきました。当たり前のことですが、その積み重ねで人とのつながりが増えていったと思います」
当たり前のことを長く積み重ねる働き方を、吉沼さんは「泥臭い」と表現する。
「近道はないと思っています。泥臭く生きたいです。楽をして稼げるのは一番いいのかもしれませんが、それだけでは経験値が上がらないし、落ちた時に這い上がる力もつかないと思うんです」
AIをはじめとする技術が広がり、学び方や仕事の進め方には多くの選択肢が生まれている。効率化は、人の時間を生み、新たな挑戦を後押ししてくれる。そのうえで、挨拶をすること、お礼を伝えること、約束を守ること、相手のために手間をかけることは、人と人との間でしか積み上げられない。吉沼さんは今の時代と並走しながら、信頼が育つまでの時間を省略しない。
「当たり前にお礼を言う。約束を守る。できないことは『できない』と言って、やれると言ったらやる。結局、その積み重ねなんです」
吉沼さんが言う「泥臭く生きる」とは、人への礼節と、自分が引き受けた責任を、一つずつ積み重ねる姿勢である。
独立して初めて、会社名や役職から離れた「吉沼枝里子」として見られるようになった。何ができるかと同じくらい、どのような人間であるかが仕事を左右する。
「私が一番大切にしているのは、信用と信頼です。恩を返すこと、義理を通すこと、筋を通すことは、ずっと大事にしています」
長く関係を築いてきた人から、「吉沼さんなら任せたい」と声がかかり、企業へのコンサルティング、商品開発、商品監修、メディアでの情報発信など、法人向けの仕事も広がっていった。
吉沼さんは、自分の選択を「運がよかった」とも表現する。実際、多くの出会いに支えられてきた。同時に、出会いを一度きりで終わらせず、感謝と行動を返し続けてきた。
「全部、自分の生き方を正解にしたいんです。たぶん違う道を選んでいたとしても、『私の人生はよかった』と思えるんじゃないかな。正解にしたかったというより、正解にしている。そうするって決めているんだと思います」

第5章|「私に会ってよかった」を増やしたい——人と生きる、これからの時間
吉沼さんは、現在掲げるビジョンをこう語る。
「ただ元気でいるということではなくて、パワフルで健康で、一生夢を追いかけられる人を増やしたいんです」
吉沼さんが考える健康には、年齢を重ねても、やってみたいことに手を伸ばせる状態まで含まれている。自分の未来へ期待を持ち、挑戦を続けるための身体と心の土台を整えるところまでを、健康の仕事として見つめている。
健康相談、ファスティング、漢方に関する助言、企業へのコンサルティング、商品開発、講演。仕事は複数の形へ広がっている。判断の軸にあるのは、その活動が目の前の人の健康と、その先の人生に役立つかどうかである。
「企業を大きくしたいという思いは、あまりないんです。まずは、目の前の20人、30人の方を大切にしたい。お役に立てることを、ひたすら続けていきたいと思っています」
もう一つ、力を注いでいる活動がある。28歳の吉沼さんが、自分の人生を考えるきっかけを得た「人生戦略」の講演会である。
自分が教わってよかったことを残したいと考え、独立を共に目指した仲間と活動を引き継いだ。経済や世の中の流れ、目標と目的、自分が望む生き方を考える約3時間の場をつくり、20代から70代までの参加者へ届けている。
「私たちが教わってよかったことや、続けたい思いを、今度は自分たちが引き継いでいこうと話しました。お金儲けのためというより、自分がつくりたい社会があるから続けています」
根底にあるのは、「一分一秒、わくわくドキドキする理想の大人を増やし、そんな大人に憧れる子どもがあふれる社会をつくりたい」という、かつて吉沼さん自身が受け取ったビジョンである。
「学生時代が一番楽しかったという大人も多いですよね。でも、今が一番楽しいと言える大人でいてほしいし、もっとわくわく生きてほしいんです」
かつて受け取った言葉は、吉沼さん自身の歩みと、これからつくりたい未来に重なっている。
「すごく大きなビジョンの下に、自分がやりたいことや、ありたい姿があると感じました。そこが一致したんだと思います」
かつて「本当はどうしたいの」と聞かれ、何も答えられなかった女性が、今は誰かへ同じ問いを渡している。完成された答えを教えるのではなく、その人が自分で答えを見つけ、選んだ人生を歩めるように支えている。
これからの40代、50代について、吉沼さんは、大切な人と大切な時間を過ごせる生き方を望んでいる。
「40代、50代は、大切な人と大切な時間を過ごすことに、一番重きを置きたいんです。震災もあって、会いたい人にすぐ会えなくなることがあると分かりました。後から『もっと一緒にいればよかった』と後悔しないように、今、そのための仕組みをつくっています」
その時間をつくるために、働き方や収入の形も変えようとしている。
「時間とお金に余裕をつくって、他人が決めた対価に縛られない生き方をしたいと思っています」
事業を続けながら、事業投資や株式投資についても学び、収入の柱を分散させながら時間を生み出す仕組みを整えている。
「事業投資や株式投資も含めて、自分のポートフォリオをつくっています。大切な人と過ごす時間を選べるように、今から仕組みをつくっているところです」
最後に、「IKIGAIは何ですか」と尋ねた。
少し考えた後、吉沼さんは答えた。
「人かな。私が応援したい人も、私を応援してくれる人もいます。周りの人が挑戦していることから、私もエネルギーをもらっています」
人とのつながりについて話す吉沼さんの声には、迷いがなかった。
「人と関わっていないと、たぶん沈んじゃうんです。エネルギー交換なんでしょうね。私に会ってよかったと思ってくれる人が増えたら、ハッピーです」
「結局、人からしかエネルギーはもらえないと思うんです。だから、人と関わりながら、一緒に幸せになっていきたいです」
人とのエネルギー交換は、誰かの未来を応援することにもつながっている。
「将来、私にやりたいことがなくなったとしても、やりたいことがある人の未来を一緒につくって、応援できる人になれたらと思います」
吉沼さんは、人に問いをもらい、人に支えられ、自分もまた誰かを支えてきた。その関係の中で、これからも選んだ時間を大切な人と分かち合っていく。そして、人から受け取ったエネルギーは、吉沼さんを通して、また誰かが夢を追い続けるための力へと渡されていく。

あとがき
吉沼枝里子さんの人生をたどりながら、私の中に最後まで残ったのは、「義理人情」「信用」「信頼」という言葉だった。時代や仕事の形がどれだけ変わっても、最後に人を動かし、人と人をつなぐのは、こうした人間らしさなのだと感じた。
インタビューをする前、経歴を見た私は、吉沼さんが迷いなく、スマートに人生を歩んできた人なのだと思っていた。薬剤師として経験を積み、独立し、健康を支える活動を広げている。その歩みだけを見れば、きれいな一本の線に見えた。
実際に話を聞いて見えてきたのは、誰よりも泥臭く、人間らしく、傷つき、迷い、葛藤しながら、それでも前へ進んできた姿だった。目の前の人に礼を尽くし、言ったことを行動へ移し、受け取った恩を次の人へ送る。そうして信用と信頼を一つずつ積み重ねてきた。その生き方を、私は心からかっこいいと思った。
そこには、お父様やお母様をはじめ、吉沼さんを支えてきた多くの人たちの存在がある。そして吉沼さんは、これまでに経験した苦しさや葛藤、挫折を振り返り、「あのとき、あの経験があってよかった」と話した。その言葉も、私の心に強く残っている。苦しかった事実まで消えるわけではない。それでも、あの時間が今の自分につながっていると受け止められるところに、吉沼さんの強さを感じた。
「選んだ道を、正解にしていく」
正解を一度で選び当てるための言葉ではない。自分で選ぶことは怖く、言い訳もきかない。その怖さを引き受け、選んだ後の行動によって、自分の人生を「これでよかった」と言えるものへ育てていく。吉沼さんの言葉から、私はそんな覚悟を受け取った。
泥臭く生きる。それが、かっこいい。
吉沼さんの人生は、私たちに問いかけてくれる。あなたが今、正解が分からず立ち止まっている選択は何だろうか。その道を選んだ後、誰と、どのように正解へ近づけていきたいだろうか。
IKIGAIも、最初から完成した答えとして見つかるとは限らない。人と出会い、迷い、自分で選び、選んだものを自分の手で育てていく。吉沼さんが語ったIKIGAIは、「人」だった。人と関わり、互いにエネルギーを交換し、一緒に幸せになっていくこと。人にしか渡せないものがあり、人からしか受け取れないものがある。その人間らしい営みの中で、IKIGAIは少しずつ形になっていく。
正解が見えない日も、人と関わり、泥臭く一歩を重ねる。その生き方の中に、これからの可能性も、まだ言葉になっていないIKIGAIも宿っている。吉沼さんの人生は、私にそう教えてくれた。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









