犬猫の殺処分ゼロへ——自分にできることで社会を変えていくトリマーの愛の返し方

猪野わかな WANBO

命と人をつなぐトリマー

東京都荒川区

犬猫の殺処分ゼロへ——自分にできることで社会を変えていくトリマーの愛の返し方

 

あなたは、社会の大きな問題に違和感を覚えたとき、目の前の小さな一歩を踏み出せているだろうか。

大きな社会を変えたい。苦しんでいる命を救いたい。世の中の仕組みを、少しでも良くしたい。そう願う人は少なくない。

社会の問題は、あまりにも大きく見える。自分ひとりが動いたところで何が変わるのか。目の前の一匹を助けたところで、社会全体は変わらないのではないか。そんな思いが、人の足を止めることもある。

猪野わかなさんは、その問いの前で立ち止まらなかった。

東京都荒川区・西日暮里でトリミングサロンWANBOを営みながら、保護犬・保護猫の譲渡、野良猫の避妊去勢、被災地でのトリミング支援、保護団体との連携を続けてきたトリマーである。

猪野さんが掲げる目標は、犬猫の殺処分ゼロ。

その言葉は、遠くに置かれた理想ではない。彼女は、目の前の一匹を洗い、整え、向き合い、その命がもう一度、人のぬくもりに出会えるようにしてきた。トリミングという技術を、お金のためだけではなく、命と人の心をつなぎ直すために使ってきた。

猪野さんが大切にしている価値観は、とてもシンプルだ。

「自分が動くことによって、その先に幸せが生まれるのかどうか」

仕事も、保護活動も、被災地支援も、すべてこの問いから始まっている。犬を綺麗にすることで、その子が心地よくなる。飼い主が笑顔になる。保護した犬猫を新しい家族へつなぐときも、ただ「欲しい人」に渡すのではなく、その家庭に幸せが生まれるかどうかを考える。

その根にあるのは、幼い頃に動物たちから受け取った愛だった。

何も持っていない自分を、ただ喜んで迎えてくれた犬たち。寂しさを埋め、存在を全肯定してくれた命たち。その愛をもらった少女は、大人になり、今度はその愛を社会へ返す側になった。

これは、保護活動の物語であり、同時に、一人の人間が自分の生業を通して社会に何を返せるのかを問い続けてきた記録でもある。

これは、動物から愛を教わった一人の女性が、自分にできる小さな行動を積み重ね、殺処分ゼロという大きな未来へ歩き続ける、生き方の記録である。

第1章|「動物たちが、私を待っていてくれた」——愛を教えてくれた幼少期

猪野さんの原点には、いつも動物がいた。

おじは獣医師だった。いつも犬を抱えていて、どこに行くにも犬を連れてくるような人だった。いとこは馬に乗っていた。動物病院や馬術クラブが身近にある環境に、幼い猪野さんは自然と惹かれていった。

自分の家で犬や猫を飼える環境ではなかった。「犬が欲しい」「猫が欲しい」と言っても、家では「ダメです」と言われる。片親の家庭で、家の中で一人で過ごすことも多かった。

外に出れば、動物たちがいた。 

隣の家には外につながれている犬がいた。近所には猫を飼っているおばちゃんがいた。
近所の人が「あんた暇なら、お散歩行ってきなよ」と声をかけてくれた。

振り返って、猪野さんは言う。

「小さい頃、私は動物から愛情をもらっていた側なんだと思います」

助けられていた。

「私が会いに行くと、犬はしっぽを振って、私よりも喜んでこっちに来てくれたんです。おやつを持っているわけでも、何かしてあげられるわけでもないのに、ただ私が来たことを喜んでくれる。その姿に、自分の存在をまるごと受け止めてもらっているような気がしていました」 

動物たちは、ただそばにいてくれる。来てくれたことを喜んでくれる。存在そのものを受け止めてくれる。

猪野さんは、その時間の中で愛を知った。

「一人で寂しい思いもしたけど、その子たちがいたから寂しさがなかったんです」

物心ついた頃から、将来の夢を聞かれると「獣医さん」と答えていた。

思春期になると好奇心があちこちへ向かった。親の言うことを素直に聞く子ではなかった。反対されても、自分でどうにかして動きたくなる性格だった。

16歳の頃には、親に内緒でアルバイトをしてお金を貯め、パスポートもチケットも用意し、出発の3日前に「イギリスに行ってきます」と伝えたこともあった。

目的は、犬だった。

「テレビでイギリスを見た時に、すごく派手な犬たちが普通に歩いていたんです。日本では見たことがない光景で、“犬と人がどう暮らしているのか、自分の目で見たい”と思いました」

実際にイギリスで見たのは、犬が人の生活の中に自然に溶け込んでいる風景だった。

「イギリスでは、大きな犬が人と一緒に電車に乗っていたり、街の中を自然に歩いていたりするんです。日本だと“犬を飼っている”という感覚が強かったけれど、向こうでは“家族として一緒に暮らしている”という感じがありました」

その光景は、猪野さんの中にひとつの理想を残した。

動物は、商品ではない。飾りでもない。人間の都合で振り回される存在でもない。家族として、共に生きる存在なのだ。

その理想を胸に、猪野さんはやがてトリマーの専門学校へ進んだ。 

 

第2章|「命が、商品になっていた」——ペットショップで見た現実と怒り

専門学校を卒業して、最初に勤めたのはペットショップだった。

最初は、ペットショップに並んでいる犬や猫は、きっと大切にされている存在だと思っていた。高い値段がついている。綺麗なショーケースに入っている。その高いお金を払って迎えられるのだから、幸せな家庭につながっていくのだろう。そう信じていた。

「自分が思っていた世界と、真逆の世界が広がっていました」

売れ残った子。病気が見つかった子。仕入れられたものの、販売できないと判断された子。その命が、まるで物のように扱われていた。

繁華街にあるペットショップだったこともあり、客層も特殊だった。お酒に酔った人が、その場の勢いで犬を買いに来る。夜の仕事をしている人が、お客さんを連れて、その場の流れで犬を買いに来ることもあった。

猪野さんには、その人たちが本当にこの子の一生を背負えるようには見えなかった。
育てる覚悟がない人に、命を渡すことはできない。
猪野さんは、そういう人たちに絶対に犬猫を売りたくなかった。

店の方針は違った。

「欲しいと言われたら、売りなさい」

売った次の日、犬が捨てられていることもあった。子犬が具合を悪くし、死んでしまうこともあった。病気が見つかると「この子は売れないから戻さないと」と言われる。戻されれば、その先に待っているものが何か、想像できてしまう。

「命がこんなふうに流れてくるの?と思った時、これはここにいてはいけないと思いました」

セリ。オークション。販売。売れ残り。処分。

動物が好きでこの世界に入ったはずだった。愛をもらった動物たちのそばで働きたいと思ったはずだった。目の前にあったのは、命をお金に変える仕組みだった。

猪野さんは戦った。

警察に言いに行ったこともある。動物愛護センターに物申すつもりで出向いたこともある。ペットショップの社長に意見したこともある。お客さんと真正面からぶつかったこともある。

「あなたには売れません」

そう言えば、相手は怒る。

「俺は客だぞ、売れ」

それでも、譲れなかった。

一度渡してしまえば、その子の一生は決まってしまう。
「誰にこの怒りをぶつけたらいいんだろうって、ずっと葛藤していました」

命が人間の都合で振り回されていた。

「悲しんでいる場合じゃないくらい、困っていることがいっぱいあったんです」

怒っても、悲しんでも、仕組みは変わらない。自分はどのポジションに立つべきなのか。

業界が変わらなければいけない。一般の人たちにこの実態が届くはずがない。ペットを飼いたいと思っている人に、ペットショップの裏側は見えない。

だったら、自分が伝えられる場所をつくるしかない。誰に気を使うこともなく、「家族募集中」と胸を張って言える場所をつくるしかない。

猪野さんは、独立を決めた。

第3章|「そんなのお前にできるわけない」——極貧でも守りたかった命

独立を決めた猪野さんは、親に伝えた。

自分のお店をやりたい。

返ってきたのは、反対だった。好奇心のままに動き、親の心配を何度も振り切ってきた娘が、今度は店を出すと言う。お金も十分にあるわけではない。安定が約束されているわけでもない。

親は言った。

そんなこと、お前にできるわけがない。

猪野さんの中で、火がついた。

「親に“そんなのお前にできるわけない”と言われて、やけくその根性で始めました」

自分の力でやる。もう力は借りない。

そう決めて、持っていたお金をすべて使い、とにかく店ができる状態をつくった。立派な内装の店舗ではなかった。それでも、自分でつくった場所だった。

2008年、猪野さんは荒川区・西日暮里にトリミングサロンWANBOを開いた。

そこは、ただ犬を可愛くするためだけのサロンではなかった。迷子の犬を保護する。飼えなくなった子を預かる。行き場のない子を新しい家族へつなぐ。「家族募集中です」と言える場所を、自分の手でつくった。

始めてすぐ、ゴールデンレトリーバーの保護犬の話があった。引き取り手がいないという。その犬は、かつて猪野さんの愛犬が死にそうになった時に、輸血で血を分けてくれた犬だった。

猪野さんは、迷わず言った。
うちに迎えます。

しかも、そのゴールデンは兄弟でいた。兄弟を引き離すわけにはいかない。結果、店を始めたばかりでお金もない猪野さんのもとに、ゴールデンレトリーバーが二匹やってきた。

不安がなかったわけではない。当時の自分に、その子たちの幸せを本当に埋められたのか。そう問われれば、簡単に頷けるものではない。それでも、絶対に幸せにしなければならないという覚悟だけはあった。

その覚悟が、猪野さんの足を前に進めた。

だが、現実は甘くなかった。

お金はなく、生活は苦しかった。風呂なしのアパートに住んでいた。自分のご飯が食べられない日もあった。

「自分のご飯は食べられなくても、犬たちのご飯は用意していました」

最初の一年ほどは、近所の友人がほぼ毎日のようにご飯をご馳走してくれた。
お客さんが差し入れを持ってきてくれることもあった。誰かがご飯をくれた。誰かが助けてくれた。

猪野さんは、いろいろな人の助けで生き延びた。
その時間の中でも、犬猫を守ることをやめなかった。

「辞めようと思ったことは一度もないです。だって、もう辞められないじゃないですか」

辞めるという選択肢はなかった。犬がいる。猫がいる。守らなければならない命がいる。

「家族がいっぱいいるから、頑張るしかなかったんです」

この時期の猪野さんの暮らしは、簡単に美談にはできない。食べられない。苦しい。不安もある。命を抱えている以上、立ち止まることはできない。

その生活の中で、猪野さんはもう一度、愛を受け取っていた。子どもの頃は、動物たちから愛をもらった。独立してからは、人から助けてもらった。

友人がご飯をくれた。お客さんが差し入れをくれた。誰かが支えてくれた。その恩は、彼女の中に積み重なっていった。

受け取った愛は、どこかで返すもの。その感覚は、彼女が言葉にする前から、体で知っていた生き方だったのかもしれない。

やがて、その愛を返す機会が訪れる。

2011年、東日本大震災だった。

第4章|「トリマーでも、やれることがあった」——大震災で見つけた技術の意味

2011年3月11日。東日本大震災が起きた。

猪野さんが店を開いて、3年目のことだった。自分のご飯がようやく食べられるようになってきた頃。余裕があったわけではない。ニュースを見ながら、猪野さんは思った。

自分に何かできることはないのか。

人への支援は、たくさん動き始めていた。
しかし動物たちのことはほとんど報じられなかった。

犬たちはどうなっているのだろう。猫たちはどうしているのだろう。飼い主と離れた子たちは、どこにいるのだろう。

猪野さんは自分で調べた。
すると神奈川に、被災した犬たちが集まっているシェルターがあることを知った。まずは募金を集め、それを持って現地へ向かった。

震災からおよそ2週間後のことだった。

そこには、約500頭の犬がいた。

ドロドロになった犬たち。不安そうな犬たち。世話をするボランティアはいたが、犬を綺麗にできるトリマーはいなかった。

「震災の時、動物の人はあまり役に立たないのかなと思っていたんです。でも行ってみたら、やれることがいっぱいありました」

そこから、猪野さんはシェルターへ通うようになる。犬を洗う。ブラッシングする。汚れを落とす。毛玉を取り、皮膚の状態を見る。

被災地でのトリミングは、美容ではなかった。犬の身体を整えることは、その子の心を少しほぐすことでもあった。その先にいる飼い主の心を明るくすることでもあった。

被災地では、水が十分に使えないこともある。電気がないこともある。いつものようなシャンプー台も、ドライヤーも、整った設備もない。

普通のサロンで行うトリミングとは、まったく違う環境だった。

泥で汚れた毛。絡まった毛玉。慣れない場所で不安そうにしている犬たち。そこにいるのは、綺麗に可愛く整えるための犬ではなく、震災の中で飼い主と離れ、不安を抱えながら過ごしている命だった。

どうすれば、限られた環境で少しでも清潔にできるのか。
どうすれば、この子に負担をかけずに触れられるのか。
どうすれば、怖がらせずにケアできるのか。

猪野さんたちは、現場で一つひとつ試しながら学んでいった。水を使えない時のケア。電気がない場所での整え方。長く放置された毛玉への向き合い方。怖がっている犬との距離の取り方。

その経験は、普通のサロンだけでは身につかない知識と技術になっていった。
そして、その現場で猪野さんは、トリミングの意味が変わっていく瞬間を何度も見た。

ブラシを入れる。
固まっていた毛が少しずつほどけていく。
汚れていた身体が、少しずつ本来の姿を取り戻していく。

すると、犬の表情がやわらぐことがあった。じっと固まっていた子が、力を抜くことがあった。

その姿を見た飼い主の顔も、変わっていった。

「綺麗にしてくれて、ありがとう」

そう言って、涙ぐむ人もいた。

猪野さんは、その時に気づいた。

「トリミングは、ただ犬を綺麗にして終わりじゃないんです。犬を綺麗にすることで、その周りにいる人の心も少し明るくなるんです」

不安で固まっていた空気が、少しゆるむ。
沈んでいた飼い主の表情に、ほんの少し笑顔が戻る。
何もできないと思っていた場所で、自分の手で誰かの今日を少し明るくしていた。

「犬を綺麗にすることで、周りにいる人の心も洗われるんです」

それは、猪野さんにとって、トリマーという仕事の再定義だった。

東日本大震災をきっかけに始まった被災地支援は、その後も続いていく。能登半島地震の時も、猪野さんは動いた。最初は3人で向かっていた活動が、気づけば15人ほどの仲間に広がっていた。

人が増えれば、現地で生まれる笑顔の数も増える。

「被災地支援に関しては、今は“絶対にやれることがある”と自信を持って行けます」

かつて、トリマーは役に立たないのではないかと思っていた。今は違う。自分たちには、自分たちにしかできないことがある。トリマーだからこそできることがある。

猪野さんの技術は、愛を返すための手段になった。

幼い頃、動物からもらった愛。独立時のお金がなかった時、周りの人からもらった恩。それを、目の前の犬へ、飼い主へ、被災地へ返していく。

自分が動くことで、その先に幸せが生まれるのか。
その問いが、彼女の仕事の意味をさらに深めていった。 

第5章|「小さいことでも、やれば絶対に変わる」——荒川日暮里から、日本の殺処分ゼロへ

 

猪野さんの大きな目標は、保護される動物がいなくなる社会をつくることだ。

猪野さんは、最初から大きな場所に手を伸ばしたわけではない。まず、自分の周りから始めた。

荒川区・西日暮里でサロンを始めた頃、周辺には野良猫が多かった。隣の日暮里は「猫の町」と呼ばれ、猫グッズの店も多く、猫を観光資源にしているような場所でもあった。

実際には、交通事故で死んでいる猫もいた。
店に行くと、目の前で猫が亡くなっていることもあった。
そのほとんどが野良猫だった。

 

猫に食べさせてもらっているような町で、猫が守られていない。その事実に、猪野さんは強い違和感を覚えた。

野良猫は、放っておけば増えていく。

だからこそ、猪野さんは周りの猫たちの避妊去勢をしたいと思った。これ以上、不幸な環境で生まれてしまう命を増やさないためだった。

そう思い、荒川区で長くやっている動物病院の先生に相談した。

返ってきた言葉は、冷たかった。
そんなことをしても変わらない。自分もやってきたけれど、何も変わらなかった。やるだけ無駄だ。

東京都の殺処分をゼロにしたいと言った時も、言われた。
あなたが生きているうちに、そんなことが実現するわけがない。

それでも猪野さんは止まらなかった。

「そんなことをしても変わらないと言われました。でも、やってみないと分からないじゃないですか」

小さなことをしても変わらない。
そう言って動かなければ、何も始まらない。
大きなことを変えたいなら、目の前の小さなことから行動するしかない。

猪野さんは、周辺の野良猫の避妊去勢を始めた。
一匹。また一匹。
目の前の命に向き合い続けた。

その積み重ねによって、サロンのあるエリアでは、ほぼ野良猫がいなくなっていった。

そして、猪野さんがサロンを始めた2008年から約10年後。東京都は、2018年度に犬猫の殺処分ゼロを達成した。

「そんなことをしても変わらない」と言われた未来は、確かに変わっていた。

「大きなことを変えるためには、小さなできることからやるしかないんです。でも、ちゃんと行動していったら叶うんです」

その言葉には、現場で一匹ずつ向き合ってきた人にしか持てない重みがあった。

「次は日本の犬猫の殺処分をゼロにする。そのあとは、殺される子をゼロにしたい」

保健所に入る犬猫の処分数は、かつてより減ってきている。だが、数字に乗らない子たちがいる。ペットショップの裏側にいる子たち。劣悪な繁殖場にいる子たち。保護犬・保護猫という言葉を使いながら、実態はビジネスとして命を回している仕組みもある。

猪野さんは、そこに強い危機感を持っている。

保護犬だから迎えればいい。保護猫だから迎えれば、それだけで正しい選択になる。
そう単純に考えてしまうと、知らないうちに劣悪な保護ビジネスを支えてしまうことがある。ペットショップと変わらない構造の中で、譲渡金、フードの長期契約、保険加入などが組み込まれ、命がまたお金の仕組みに回収されてしまう。

だから、知ってもらう必要がある。

どこから迎えることが、本当に犬猫の未来を救うことにつながるのか。保護団体とは何か。本当に必要な医療や避妊去勢とは何か。命を迎えるとは、どういう責任なのか。

猪野さんは、それを伝え続けている。

「不幸な犬を作るのも、幸せな犬を作るのも人間なんです」

犬猫の問題は、人が思い直し、学び、誰かの優しさに触れることで変わっていくこともある。 

「私はこの動物とはもう生活できない」と思い詰めていた飼い主に、少しアドバイスをするだけで、表情が変わることがある。

お金がなくて「この犬ともう死ぬしかない」と言った人に、「ドッグフードを支援するから」と声をかけたこともあった。その一言で、その人は立ち直った。

「姉ちゃんにそんなことさせられないよ。俺、もう一回頑張るよ」

人の優しさに触れた時、人は思い直すことがある。

「私のIKIGAIは、やっぱり人の笑顔を見ることですね」

犬や猫を通じて、人を笑顔にする。

「ハッピーな人が増えないと、不幸になる動物は減っていかないと思っています」

動物から愛をもらった少女は、今、人を笑顔にすることで動物を守ろうとしている。

その道は、まだ終わらない。

荒川から始まり、木更津にも広がり、被災地へもつながり、保護団体の横の連携へも広がっている。何百という野良猫の手術を進め、シェルターの犬を洗い、飼い主の相談に乗り、社会に知ってもらうために声をあげる。

大きな未来を変えるために、猪野さんは今日も小さな命と向き合う。

目の前の一匹。

目の前の一人。

そして自分ができること。

そこからしか、社会は変わらないと知っているからだ。

あとがき

猪野さんの話を聞いて「自分の生業を、社会のためにどう使うのか」という問いが残った。

猪野さんの生業は、トリマーである。
犬が綺麗になる。犬の表情が少しやわらぐ。飼い主が笑顔になる。保護犬が新しい家族に迎えられやすくなる。被災地で不安を抱える飼い主の今日が、少し明るくなる。

技術を人の笑顔を生むために使っている。

同じ仕事でも、何のために使うのかで、社会とのつながり方は変わるのだと感じた。
自分の手にある技術や仕事を、誰の幸せのために使うのか。
その問いによって、生業の意味は変わっていく。

猪野さんは、自分にできることから始めた。目の前の一匹を綺麗にすること。行き場のない子の家族を探すこと。地域の野良猫を一匹ずつ避妊去勢手術につなげること。 被災地で犬をブラッシングすること。飼い主の悩みに耳を傾けること。

その一つひとつは、小さな行動に見える。
社会全体から見れば、ほんの小さな点かもしれない。
それでも猪野さんは、その小さな点を積み重ねてきた。
そして、その点が少しずつ人を巻き込み、地域を変え、東京都の殺処分ゼロという未来へつなげていった。

私たちは、自分の仕事を通して、何を生み出しているだろうか。
ただ働くために働くのか。
ただお金を得るために働くのか。
それとも、自分の仕事を通して、誰かの笑顔を増やすのか。

どんな仕事も、社会とつながっている。
その誇りを持って、自分の力を誰かの幸せへつなげていく姿は、本当にかっこいい。
お金や権威のためではなく、自分の力を社会の幸せにつなげていく。

猪野さんは、トリマーという生業でそれを証明している。
人が幸せになれば、動物の未来も変わる。
その循環を信じて、猪野さんは今日も自分の手を動かし続けている。

あなたの生業は、誰の笑顔を増やしているだろうか。
大きなことを変える始まりは、いつも目の前の小さな行動から生まれる。
猪野さんの生き方は、そのことを力強く教えてくれている。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

 

WANBOウェブサイト

 

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