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日本の山=ゴミを未来のエネルギーへ——丸太発電開発者が見つめた、山の価値を取り戻す“本質”の力
川島英雄 リブラン株式会社
本質を掘り、日本の山に未来の火を灯す開拓者
三重県桑名市
日本の山=ゴミを未来のエネルギーへ——丸太発電開発者が見つめた、山の価値を取り戻す“本質”の力
あなたは、誰も歩いていない道を選んだことがあるだろうか。
人がやっていることを、同じようにやるのは安心できる。
前例がある。
理解されやすい。
失敗しても、「みんなもやっているから」と言える。
けれど、まだ誰もやっていないことを始める人は、いつも孤独だ。
笑われる。
反対される。
「そんなものは無理だ」と言われる。
時には、負け犬のように見られることもある。
それでも、なぜ人は道なき道へ進むのか。
そこに、自分にしか見えない問いがあるからではないだろうか。
川島英雄さんは、ずっと「人がやっていないこと」を探し続けてきた人である。
ただ珍しいことをしたかったのではない。
誰も気づいていない不便。
当たり前になってしまった無駄。
本当は変えられるのに、誰も変えようとしていない仕組み。
そこに問いを立て、技術に変え、形にしてきた。
丸太燃料を活用したバイオマス発電・蒸気供給の仕組みに取り組む川島さん。
彼が見つめているのは、単なる発電ではない。
日本の山である。
そして、日本人が忘れかけている「自分たちの暮らしを、自分たちの手で回す」という感覚である。
日本の山は、いま使われない資源になりつつある。
そこに木はある。
枝も、葉も、間伐材もある。
けれど、それが地域の暮らしやエネルギーとして十分に生かされているとは言い切れない。
川島さんは、そこに丸太燃料という答えを見つけた。
チップでも、ペレットでもなく、丸太そのものを使う。
水分を含んだ木も、枝葉も、山に残されてきたものも、エネルギーへ変えていく。
山のゴミだと思われていたものに、もう一度価値を与える。
山を整え、地域に仕事を生み、日本のエネルギーを日本の中で回していく。
それは、技術であり、思想であり、未来への祈りでもあった。
これは、誰もやっていないことをやり続けてきた一人の開拓者が、本質を探求し、日本の山と未来に火を灯そうとしている生き方の記録である。
第1章|本当の賢さは、肩書きではなかった——父と母が教えた本質を見る力
川島英雄さんの人生の軸は、どこから生まれたのか。
それを辿っていくと、父と母の存在にたどり着く。
川島さんは、4人兄弟の末っ子として生まれた。
父は銀行の役員だった。
戦争を経験し、戦後の何もない時代に戻り、のちに日本を代表する企業の社長となるような人たちと学生時代を過ごしながら、自らも銀行の役員へと進んでいった人物である。
父は、多くを語る人ではなかった。
自分の仕事を誇ることも、子どもたちに自慢することもなかった。
家族も、父が何をしているのかを詳しく知っていたわけではない。
後になって川島さんは知る。
父が関わっていた仕事の大きさを。
戦後、日本に石油が入ってくる時代があった。
石油を積んだ船が来ても、それを受け入れる港の仕組みがなければ、エネルギーは社会に流れない。
受け皿がなければ、どれだけ大きな資源も使えない。
父は、名古屋港でその受け皿を整える仕事に関わった。
人を巻き込み、現場を整え、まだ誰も経験したことのないインフラを形にしていく。
それは、表に大きく名前が出る仕事ではなかったかもしれない。
だが、日本のエネルギーの流れをつくる、大きな役割だった。
川島さんは言う。
「親父は多くを語らなかったけど、やるべきことを淡々とやっていたんでしょうね」
その背中には、口数の少なさとは裏腹に、確かな重みがあった。
新しい時代に必要な仕組みを、仲間とともに形にしていく力。
川島さんは、知らず知らずのうちに、その姿を見て育った。
一方で、母はまったく別の意味で、川島さんの人生に深く刻まれている。
母は、周囲から「50年、100年に一度の神童」と言われるほど、賢い人だった。
家には、有名な学者や先生と呼ばれる人たちが訪れ、母に話を聞きに来るような環境があったという。
母は自分の賢さをひけらかすことがなかった。
肩書きや学歴で人を見ることもなかった。
名のある大学を出た人。
社会的に評価された人。
先生と呼ばれる人。
そういう人たちが周りにいても、母は変わらなかった。
川島さんは、母についてこう語る。
「何が賢いとか、どこの大学を出ているとかではなくて、人間としてその人が良いかどうかを、本質的に見ていたんだと思います」
川島さんは、幼い頃から「賢さ」というものを、少し違う角度で見ていた。
学歴でも、肩書きでも、人からの称賛でもない。
その人が何を見て、どう考え、どう生きているのか。
母は、その基準を背中で示していた。
「母は、スタンスを変えずにずっと生きてきたんです」
その言葉には、深い敬意がにじんでいた。
父からは、仲間を巻き込み、仕組みを形にしていく力を見た。
母からは、肩書きではなく、人の本質を見る力を見た。
その二つが、川島さんの中で静かに重なっていく。
かっこいい大人とは、何か。
本当に賢い人とは、何か。
自分の能力をひけらかすことではない。
誰かを下に見ることでもない。
自分にできることを淡々とやり、人の本質を見て、必要なものを形にしていくこと。
川島さんの人生は、ここから始まっている。
本人は、自分のことを特別だとは言わない。
むしろ、周りには自分よりできる人がたくさんいたと語る。
だからこそ、自分は何か違う道を行かなければならないと感じていた。
「周りの人間が、自分よりできた人間ばかりだと思っていた。だから私は、何か違う仕事をしないといけないと思っていたんです」
人と同じ道ではない。
人がすでに歩いている道でもない。
自分にしか見えない問いを探す。
その感覚は、まだ言葉にならないまま、川島さんの中に根を張っていった。
第2章|常識の中に、無駄が見えた——銀行員時代に育った“本質を見る仕事”
社会に出た川島さんは、銀行に入った。
父のつながりもあり、銀行という世界に身を置くことになる。
ただ、川島さんは最初から銀行業務そのものに強い興味があったわけではない。
むしろ、銀行員として働きながらも、目は別の場所を見ていた。
取引先の工場へ行く。
経営者と話す。
現場を見る。
そこで働く人たちが、何に困っているのかを考える。
書類の数字だけでは見えないものが、工場にはあった。
機械の動き。
人の手間。
滞っている工程。
経営者の小さなため息。
川島さんは、そうしたものを見ながら考えていた。
川島さんにとって大事だったのは、書類の上の数字だけではなかった。
その会社が、何をしているのか。
どこで詰まっているのか。
どうすれば、もっと良くなるのか。
銀行員としてお金を見るのではなく、現場の本質を見ようとしていた。
「銀行の勉強なんて、ほとんどしたことがないんです。お客さんの工場に入って、何をやっていて、何に困っているのかを見ていました」
この言葉に、川島さんの仕事観が表れている。
みんなが同じようにやっていることを、ただなぞるだけでは意味がない。
本当に価値があるのは、誰も手をつけていない不便や、見過ごされている困りごとを見つけることだった。
そこに新しい仕組みをつくることができれば、人は喜ぶ。
当たり前だと思われていた不便が、少しずつ変わっていく。
川島さんは、その考え方で仕事を覚えていった。
相手の会社に入り込み、経営者や工場長と話す。
「こうしたらいいんじゃないですか」と、自分なりの答えを出していく。
それは、ただの銀行員の仕事を超えていた。
お金を貸すかどうかではなく、その会社がどうすれば良くなるのかを一緒に考えていた。
その姿勢は、お客様にも伝わっていった。
川島さんは、ただお金を扱う人ではなく、相手の仕事の中に入り込み、一緒に考える人になっていった。
やがて、その仕事ぶりは上司にも評価される。
任される仕事も増え、少しずつ出世していく。
その一方で、胸の奥には違和感も積もっていった。
銀行という組織は、簡単には変わらない。
決められたやり方がある。
昔から続いてきた仕組みがある。
なぜそうしているのか分からないまま、当たり前のように続けられている作業もある。
川島さんには、それがどうしても引っかかった。
本当にそれは必要なのか。
誰のためになっているのか。
もっと良いやり方があるのではないか。
なぜ、みんな疑問を持たないのか。
周りに流されること。
常識だと思い込むこと。
無駄な作業を、無駄だと気づかないまま続けること。
川島さんの中で、そうした違和感は少しずつ大きくなっていった。
それでも、ただ反発したわけではない。
目の前の仕事を投げ出したわけでもない。
川島さんは、与えられた場所の中で、本質を探した。
自分にできることを探した。
人が困っていることを見つけ、そこに答えを出そうとした。
やがて、人生の流れが大きく変わる。
奥様と結婚したことをきっかけに、奥様の先代が営む会社へ入ることになる。
その会社は、食品パッケージを手がける会社だった。
グリコや森永、亀田製菓など、日本を代表する食品メーカーの包装資材に関わる会社である。
戦後、まだ何もなかった時代から、食品をどう包み、どう届け、どう価値として見せていくかを、ゼロから作り上げてきた会社だった。
川島さんは、その会社の役員として迎えられる。
ただし、最初からすべてが分かっていたわけではない。
むしろ、何も分からないところからの始まりだった。
川島さんには一つの軸があった。
人がやっていないことをやる。
困っていることの本質を見る。
新しい仕組みに変える。
銀行員時代に芽生えたその感覚は、ここから本格的に、開発者としての人生へつながっていく。
第3章|接待ではなく、仕組みで選ばれた——“袋”の常識を変えた開発者の覚悟
食品パッケージの世界に入った川島さんは、また新しい問いと出会う。
袋とは何か。
包装とは何か。
それは、ただ商品を包むためのものなのか。
一見すると、袋やパッケージは脇役に見える。
だが、川島さんはそこに本質を見た。
商品は、中身だけでは届かない。
包むものがなければ、流通しない。
袋が破れれば、商品価値は落ちる。
虫が入れば、信用を失う。
積みにくければ、現場の作業効率が落ちる。
つまり、袋はただの袋ではなかった。
食品を守り、現場を支え、流通の仕組みそのものを支えるものだった。
この世界でも、川島さんは同じ問いを持ち続けた。
「なぜ、みんなこれを当たり前だと思っているのか」
「本当に、このやり方が一番いいのか」
「もっと相手が楽になる方法はないのか」
当時の商売の現場では、接待が大きな武器になることもあった。
ゴルフに行く。
酒を飲む。
相手との関係を深める。
そうやって仕事を取る人も多かった。
川島さんはそれが得意ではなかった。
酒も好きではない。
接待で相手の懐に入り込むようなやり方にも、どこか違和感があった。
だからこそ、別の武器を探した。
相手に気に入られるためではなく、相手が本当に困っていることを解決するために。
そこで川島さんが選んだのが、開発だった。
技術だった。
仕組みづくりだった。
人が接待に時間を使うなら、自分は現場を見る。
人が関係性で仕事を取ろうとするなら、自分は機能で選ばれるものを作る。
人が「昔からこうだから」と流しているところに、自分は問いを立てる。
その一つが、お米の袋だった。
当時、米袋には空気を抜くために穴を開けるような仕組みがあった。
だが、穴があれば、そこから虫が入る。
湿気が入る。
カビが生える。
せっかくの米の価値が落ちる。
川島さんは、その当たり前に疑問を持った。
「なぜ、穴を開けなければならないのか」
「穴を開けずに、空気を逃がす方法はないのか」
そこから、機能性を持たせた新しい袋の仕組みを考えた。
現場にとって使いやすく、商品を守り、流通にも適した袋。
ただ安いだけではない。
ただ見た目がいいだけでもない。
本当に必要な機能を備えた袋だった。
それは、やがて大きく広がっていく。
宮城、岩手をはじめとした経済連にも受け入れられ、同業者からも注目されるようになる。
「そんなことをされたら困る」と、競合から警戒されるほどだった。
川島さんは、売り込み方そのものも少し違っていた。
「頭を下げて、この袋を入れてくださいという商売ではなく、業界にこれが必要だから持っていく。そういう感覚でした」
相手にお願いするのではない。
相手の未来に必要なものを、こちらが先に形にして持っていく。
それが、川島さんの営業であり、開発だった。
川島さんにとって、それは勝ち負けの話ではなかった。
本当に必要なものなら、広がる。
相手のためになるものなら、選ばれる。
そこに本質があった。
雑貨店で購入した商品が入った袋 も同じだった。
新しい商業の動きが生まれていく中で、川島さんはただ袋を納めるだけでは終わらなかった。
どこで作り、どう流し、どのように全体の仕組みにするか。
袋を売るのではなく、袋が動く仕組みを作っていった。
それは、単なる営業ではなかった。
商品開発であり、流通設計であり、ビジネスモデルづくりだった。
川島さんは、目の前の仕事をただこなしていたのではない。
いつも、その奥にある「本質」を見ようとしていた。
誰が困っているのか。
どこに無駄があるのか。
何を変えれば、現場は楽になるのか。
何を変えれば、社会の仕組みは少し便利になるのか。
もちろん、すべてが順調だったわけではない。
新しいことをやれば、反対される。
理解されない。
「そんなものは無理だ」と言われる。
時には、まるで負け犬のように扱われることもあった。
それでも、川島さんはスタンスを変えなかった。
川島さんにとって大切だったのは、肩書きでも、お金でも、誰かに気に入られることでもなかった。
本当に必要なものを見つけ、それを形にすることだった。
母から見た「賢さ」の本質。
父から見た「仕組みを形にする力」。
その二つが、川島さんの仕事の中で、少しずつ一つになっていった。
そして、開発者としての道を歩みながら、川島さんは次の決断へ向かっていく。
自分の箱を持つこと。
自分の責任で、自分の信じる技術をさらに形にしていくこと。
それは、独立という選択だった。
第4章|燃やすことで、山を生かす——日本の森林を変える丸太発電という答え
子どもが生まれ、家族の未来を考える時期でもあった。
奥様の先代の会社には、次の世代がいた。
その中で、自分がこのまま誰かの下にいるのか。
それとも、自分の名前で、自分の責任で、新しい仕組みをつくっていくのか。
川島さんは、独立を選んだ。
「やる気になれば、何でもできる」
そう言い切れるだけの経験があった。
ただ勢いだけではない。
仕組みを見つける目があり、現場を見て、必要なものを形にする力があった。
独立してからも、川島さんは開発を続けた。
米袋。
生活雑貨店のショッパー。
食品パッケージ。
ゴミ袋。 そして、さまざまな機能性を持った仕組み。
さらに、行政や大企業とも関わりながら、新しい技術や仕組みを形にしていった。
一つひとつは違う分野に見える。
けれど、根にある考えは同じだった。
人が困っている。
社会に無駄がある。
今までの当たり前では、もううまくいかない。
ならば、新しい仕組みをつくる。
それだけだった。
だが、開発を続けるほどに、別の現実も見えてきた。
良いものを作れば、自然に広がる。
そう信じたい気持ちはあった。
しかし、現実はいつもそこまで単純ではなかった。
本当に良い技術でも、思ったように広まらないことがある。
人のためになる仕組みでも、既存の利権や癒着、業界の都合に阻まれることがある。
お金の流れ。
立場。
メンツ。
今までの常識。
そうしたものが、本質を見えなくさせてしまう。
川島さんは、その現実に何度もぶつかってきた。
何度も反対された。
何度も理解されなかった。
それでも、技術を捨てなかった。
必要だと信じたものを、形にすることをやめなかった。
その道の先に、丸太発電がある。
川島さんが見つめていたのは、日本の山だった。
日本には山がある。
木があり、枝があり、葉があり、間伐材がある。
本来なら暮らしを支える資源になるはずのものが、山の中で価値を失っている。
整備されない山。
安く買い叩かれる国産材。
外国から入ってくる安い木材。
使われなくなった日本の木。
所有者が手放し、山そのものが外国へ売られていく流れ。
かつての日本は違った。
木を育てた。
木で家を建てた。
木で道具を作った。
木で火を起こし、暮らしを支えた。
山は、生活と切り離された場所ではなかった。
人の暮らしの循環の中に、山があった。
それは、本当の意味での地産地消だった。
エネルギーを外部に依存するようになってから、その循環は少しずつ崩れていった。
石油、ガス、電気。
便利さと引き換えに、日本の山は「使われない資源」になっていった。
近年、再生可能エネルギーとしてバイオマス発電が注目されるようになった。
だが、そこにも川島さんは違和感を持つ。
再生可能エネルギーと言いながら、燃料となるペレットを海外から輸入する。
海外で作られた燃料を、日本で燃やす。
それで本当に、日本の森は守られるのか。
それで本当に、地域の循環は戻るのか。
川島さんは、そこに問いを立てた。
だから、丸太だった。
チップでもない。
ペレットでもない。
加工に手間をかけた燃料でもない。
山にある木を、丸太のまま使う。
水分を含んだ木でも、燃料にできる。
枝や葉、山に残されているものまで、エネルギーの流れに巻き込んでいく。
山のゴミだと思われていたものを、地域の力に変える。
価値がないと思われていた木に、もう一度値段をつける。
木が売れるようになれば、山を整備する人が生まれる。
山が整えば、水が守られる。
土砂災害のリスクも減る。
地域に仕事が生まれる。
エネルギーが地域の中で回る。
これは、ただの発電ではない。
山を整え、地域を守り、暮らしを自分たちの手に取り戻すためのエコシステムだった。
川島さんがつくろうとしているのは、発電所ではない。
日本の山と暮らしを、もう一度つなぎ直す仕組みである。
捨てられているものに価値を戻す。
使われなくなった資源を、暮らしの中に戻す。
誰かが見捨てた場所に、もう一度未来を見つける。
丸太発電は、川島さんの開発人生のひとつの到達点だった。
そして同時に、日本の山と暮らしをもう一度つなぎ直すための、未来への問いでもあった。
第5章|「自分がやらなくちゃいかんこと」——丸太発電に託した、100年後の日本
川島さんにとってのIKIGAIとは何か。
そう尋ねると、少し考えるようにして、川島さんは言った。
「自分でやれること、自分でやらなくちゃいかんことを、いかに伝えて、実現できるか。それがIKIGAIなんだろうな」
派手な言葉ではなかった。
その言葉には、75年の人生をかけて積み上げてきた重みがあった。
川島さんは、自分の成功を語りたい人ではない。
自分の技術を誇りたい人でもない。
むしろ、何度も言う。
「自分は頭が良くない」
「うまく伝えられない」
「断片的にしか言えない」
だが、その言葉とは裏腹に、川島さんは誰よりも深く掘ってきた人だった。
みんながやっていないことをする。
誰も気づいていない不便を見つける。
当たり前になっている仕組みに問いを立てる。
そして、人のためになる形へ変えていく。
その道は、決して平坦ではなかった。
新しいことをやれば、反対される。
理解されない。
時には、上から押さえつけられる。
「そんなものは無理だ」と言われる。
自分の言葉が伝わらず、何度も歯がゆい思いをする。
川島さんは、その歩みを「絶えず負け犬のようだった」と表現した。
けれど、負け犬のように見える場所にしか、開拓者は立てないのかもしれない。
誰も歩いていない道を進む人は、最初から英雄として迎えられるわけではない。
むしろ、理解されず、疑われ、時には笑われながら、それでも歩いた先に、ようやく道ができる。
川島さんは、その道を歩いてきた。
形にしてきたものは違っても、川島さんが問い続けてきたことは同じだった。
人が困っている。
社会に無駄がある。
今までの当たり前では、もううまくいかない。
ならば、新しい仕組みをつくる。
それだけだった。
川島さんが残そうとしているのは、発電の技術だけではない。
日本の山を、もう一度暮らしの中へ戻すための考え方である。
外に依存しすぎた日本の暮らしを、自分たちの手の中へ取り戻すための仕組みである。
100年後の誰かが、こう言うかもしれない。
「あの時、この技術があってよかった」
「あの時、誰かが山を見捨てずにいてくれてよかった」
「あの時、川島英雄という人が、諦めずに伝えようとしてくれてよかった」
川島さんが見ているのは、その未来である。
今すぐ評価されることではない。
今すぐ広がることでもない。
今すぐ儲かることでもない。
100年後に残るかどうか。
次の世代の暮らしを支えられるかどうか。
日本という国が、自分たちの足で立つ力を取り戻せるかどうか。
そのために、川島さんは今も伝えようとしている。
「日本の山は、まだ終わっていない」
「日本には、まだ使える資源がある」
「自分たちで動けば、ちゃんとしたものはできる」
この言葉は、エネルギーの話だけではない。
私たち一人ひとりの生き方にも向けられている。
みんながやっていることを、ただ後追いするのか。
それとも、自分にしか見えない問いを信じて、まだ誰も歩いていない道へ進むのか。
人がやっていないことをする。
そこには、絶えず反対がある。
孤独がある。
言葉にならない葛藤がある。
潰されそうになる瞬間もある。
だが、その道の先にしか、自分にしかできない役割は開かれない。
川島さんの生き方は、そう語りかけてくる。
それは、古い意味での侍のような生き方なのかもしれない。
流行ではなく、信念で動く。
評価ではなく、本質を見る。
誰かに褒められるためではなく、未来に残すために技術を磨く。
日本人が本来持っていたはずの、ものづくりの哲学。
自然とともに生きる知恵。
自分たちの暮らしを、自分たちの手で守る誇り。
川島英雄さんの物語は、そのことを私たちに問いかけている。
あなたは、誰もやっていない道を歩く覚悟があるだろうか。
あなたは、今ある当たり前を疑えるだろうか。
あなたは、自分がやらなければならないことを、未来に残せるだろうか。
川島さんは、今日もきっと、深く掘っている。
日本の山の奥で、まだ誰も見つけていない未来を掘り当てるように。

あとがき
川島英雄さんの話を聞きながら、私はずっと考えていた。
本質とは何なのだろうか。
私たちは、目の前のことで必死になる。
今日の仕事。
今日の売上。
今日の生活。
今日の不安。
自分のことで精一杯になりながら、毎日を生きている。
それは決して悪いことではない。
生きるとは、まず目の前の現実と向き合うことでもあるからだ。
その日々の中で、ふと胸が熱くなる瞬間がある。
自分の力が、誰かの役に立ったと感じた時。
自分の技術が、誰かの暮らしを少し良くした時。
自分の仕事が、未来の日本や次の世代につながっていると感じられた時。
人は、ただ自分のためだけに生きている時よりも、誰かのために自分の力を使えた時に、深い幸せを感じるのかもしれない。
川島さんは、ずっと本質を探求してきた人だった。
人がやっていないことをやる。
当たり前を疑う。
みんなが見過ごしている不便や矛盾に目を向ける。
そして、それを技術や仕組みに変えていく。
本質とは、一度見つけたら終わりのものではないのだと思う。
時代が変われば、正解も変わる。
社会が変われば、昨日まで当たり前だったものが、今日にはもう当たり前ではなくなることもある。
だから私たちは、ときどき立ち止まらなければならない。
自分が信じているものは、本当に未来につながっているのか。
自分が本質だと思っているものは、誰かの幸せや、次の世代の暮らしに届いているのか。
その問いから逃げないことが、本質を探すということなのかもしれない。
私は、その葛藤こそが美しいのだと思う。
それこそが、人間の営みなのだと思う。
私たちは、すぐに正解を求めてしまう。
分かりやすい答え。
すぐに結果が出る方法。
誰かに評価されやすい選択。
失敗しにくい道。
本質を探求する道は、きっとその反対側にある。
すぐには理解されない。
何度も反対される。
時には、負け犬のように見えることもある。
それでも、自分が見つけた問いを手放さず、深く、深く掘り続ける。
その先に、自分だけの役割が見えてくるのだと思う。
川島さんの物語を受け取って、私の中でも問いが深まった。
日本のために、私は何ができるのか。
未来のために、次世代のために、何を残せるのか。
そして、それを一時的な熱で終わらせず、どうすれば次の時代にも回り続ける仕組みにできるのか。
IKIGAIコネクターとして。
経営者として。
そして、一人の人間として。
私は、これからも考え続けたい。
あなたは、どうだろうか。
未来のために、自分にできることは何だろうか。
あなたが本質だと思っているものは、何だろうか。
そして、その本質を、さらに深めることはできないだろうか。
深めれば深めるほど、それは自分だけのものではなくなっていく。
誰かのために。
地域のために。
日本のために。
まだ出会っていない未来の人たちのために。
その問いの先に、きっとあなた自身のIKIGAIも眠っている。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師









