子どもに、いい世界を残してやりたい——宇治の香りを次世代へ手渡す茶人の物語 

後藤恭子 INCENSE KITCHEN

宇治の香りで、未来に誇れる文化を残す人

京都府宇治市

子どもに、いい世界を残してやりたい——宇治の香りを次世代へ手渡す茶人の物語 

 

あなたは、子どもたちにどんな世界を残したいだろうか。

「子どもに、いい世界を残してやりたいんです」

そう語るのは京都府宇治市を拠点に、抹茶のお香づくり体験と抹茶印香の販売を行うINCENSE KITCHEN代表・後藤恭子さん。

その一言の奥には、後藤さんがこれまで歩んできた人生と、いま命を使っている理由が、まっすぐに宿っていた。

後藤さんは、宇治の製茶の過程で生まれる、通常であれば捨てられてしまう茶葉に、新しい役割を与えている。
その茶葉を、燃やすのではなく温めることで、本来のお茶の香りを立ち上がらせる。

香料でつくった「お茶っぽい香り」でもない。
抹茶そのものが持つ、やわらかな香り。

「お茶って、やっぱりいい香りだな」と、
子どもも大人も、海外の人も、ふと立ち止まる香り。

後藤さんは、その香りを通して、宇治という土地の記憶を届けている。

「子どもにも宇治の良さを知ってほしい」

その想いが、お香づくりと抹茶を結びつけた。

娘さんと一緒にお香を作った時間。
粘土のように香りの原料をこねる楽しさ。
その場に広がる、やさしい抹茶の香り。

それは、子どもに文化を教える時間というより、子どもが自然と文化に触れるための入口だった。

これは、捨てられるはずだった茶葉に、もう一度香りとして命を与える物語である。

そして、子どもたちにいい世界を残したいと願った一人の女性が、宇治の文化を未来へ手渡していく、生き方の記録である。

第1章|日常の中に、和があった——母の茶道と、少女の心に残った静けさ

後藤恭子さんは、一般的なサラリーマン家庭に生まれた。

兄は勉強がよくできた。
一方で後藤さん自身は、勉強もスポーツも、何かひとつを特別にやり遂げたという感覚はあまりなかったという。

「兄はすごく勉強ができたんです。私は勉強も普通くらいで、スポーツができるわけでもなくて、部活を頑張ったということもありませんでした」

その等身大の少女時代の中に、今の仕事につながる感覚が息づいていた。

それが、和の文化だった。

母は茶道や華道、着付けに親しんでいた。
家には季節の花が飾られ、お香が焚かれることも、暮らしの中に自然にあった。

玄関に上がれば靴を揃える。
ものを大切に扱う。
お茶の時間に流れる静けさを、身体で覚えていく。

後藤さんにとって、それは「文化を学んでいる」という感覚ではなかった。
家の中にある当たり前だった。

「当時は気づいていませんでした。でも今思えば、日常の当たり前のところに、和の文化が溶け込んでいたんだと思います」

後藤さんにとって文化は、教科書の中ではなく、暮らしの中にあった。

特に大きかったのは、お茶だった。
茶道には、お茶室の空間、花、掛け軸、庭、器、お菓子など、さまざまな日本文化の要素が込められている。

「お茶自体が、日本のいろいろな文化的な要素を取り入れているんです。今思えば、他の子は経験していないようなことも、普通にさせてもらっていたのかなと思います」

京都市で生まれ、十歳の頃に宇治の隣にある城陽市へ移り、宇治という土地を身近に感じながら育った。

宇治には、平等院、抹茶スイーツ、宇治川の景色。
後藤さんにとって宇治は、暮らしの延長にある誇れる場所だった。

進路を考える時期になると、「手に職をつけたい」と考え、歯科衛生士の道を選んだ。
学校へ進み、資格も取った。

ただ、実際に歯科医院へ研修に行き、現場を見たとき、心には違和感が生まれた。

「歯科医院に研修へ行ったり、就職のことを考えたりする中で、どうもこの狭い世界は自分に向いていないのではないかと思ったんです」

資格を取った後藤さんは、その資格を生かし、歯科機材を扱う輸入商社に就職する。

そこには、英語を話す上司や同僚がいた。
ワーキングホリデーで海外へ行き、帰国後に働いている人たちもいた。

幼い頃から家の中にあった和の感覚と、目の前に現れた海外への憧れ。

その二つが、後藤さんの中で静かに交差し始めていた。

第2章|初めて、自分の足で立った——海外で見つけた挑戦と、日本へのまなざし

後藤さんが就職したのは、歯科機材を扱う輸入商社だった。

歯科医院で使う機械を輸入し、営業して回る仕事。
西日本が担当エリアで、沖縄や九州へ出張に行くこともあった。

仕事は楽しかった。
人と話し、知らない土地へ行き、商品を案内しながら誰かと関係をつくっていく。
その中で、後藤さんは自分が人と関わることが好きなのだと気づいていく。

職場には、英語を話せる人たちがいた。
海外メーカーとやり取りをする上司や同僚、ワーキングホリデーで海外へ行き、帰国して働いている人たち。
その姿が、後藤さんにはまぶしく映った。

「英語を話せる上司や同僚の話を聞いていたら、海外って楽しそうだな、という憧れが出てきたんです」

その興味は、少しずつ大きくなっていった。

後藤さんは、それまでの自分をどこかで分かっていた。
大きな失敗はない。
大きく挑戦した記憶もない。
嫌なことを避けるように進路を変え、何となく自分が行ける場所へ進んできた。

二十代後半に差しかかる頃、その思いは胸の中で大きくなっていった。

このまま会社員として働き、結婚して、何となく人生が進んでいく。
本当にそれでいいのだろうか。

「それなりに挑戦をせずに生きてきたけれど、自分の中では“何にも挑戦していないじゃん”という感覚がありました。このままでいいのかなと思ったんです」

そして、二十六歳の時、後藤さんはオーストラリアへのワーキングホリデーを決める。

当時は、正社員という働き方が強く信じられていた時代だった。
安定した仕事を辞めて海外へ行くことは、簡単に理解される選択ではなかった。

それでも後藤さんにとっては、初めて自分の中から「やってみたい」が生まれた出来事だった。

「いつも嫌なことから逃げているような人生だったんです。でも、海外に行きたいという気持ちは、せっかく芽生えた“やりたいこと”でした。それを諦めるのは、もったいないと思いました」

それまでは、向いていない場所を避けることで道を変えてきた。
この時は、行きたいから行く。
試したいから飛び込む。

オーストラリアでの一年は、後藤さんにとって初めて「自分で選んだ道を、自分で進んでいる」と感じられる時間だった。

英語が得意だったわけではない。
それでも働ける場所を探し、日本人向けのツアーガイドの仕事に就いた。
現地では、タクシーの二種免許のような資格も取った。

「英語もそんなにできなかったんですけど、すごく勉強しました。免許を取るのも、海外での大きなチャレンジでした」

免許を取ると、仕事の本数も増え、単価も上がった。
努力が現実の変化として返ってくる。
それは、後藤さんにとって新鮮な感覚だった。

「やってみたら、楽しかったんです」

後藤さんは、オーストラリアという国を好きになった。
海外で働く楽しさも、異文化の中で人と関わる面白さも、そこで知った。

そして、外へ出たことで見えてきたものがあった。

日本良さだった。

日本に帰ってからは、フラダンスに夢中になり、ハワイの文化やグッズにも惹かれた時期があった。
その時間を経ても、心の奥では、だんだんと日本へ戻っていく感覚があったという。

「オーストラリアも好きな国です。でも、やっぱり日本の文化がいいな、という感じがありました。着物の雰囲気や、日本の本物感に惹かれたんです」

派手ではないのに、長い時間をかけて積み重ねられてきたものだけが持つ重みがある。

子どもの頃に家の中にあったお茶、着物、花、お香、季節のしつらえ。
当たり前すぎて、価値だとも思っていなかったものが、海外という遠い場所を経由して後藤さんの心に戻ってきた。

外へ出ることは、後藤さんにとってそれは、自分の中に眠っていた日本の感覚を、もう一度見つける時間だった。

この経験を経て、後藤さんの「和が好き」という感覚は、少しずつ輪郭を持ちはじめた。

その気づきが、やがて宇治の抹茶とお香を結びつける未来へと、つながっていく。

第3章|子どもが楽しめなければ、文化は残らない——抹茶の香りに見つけた未来への入口

オーストラリアから帰国した後、後藤さんの中には、日本文化へのまなざしが残っていた。

日本には、静かで、深くて、長い時間をかけて育まれてきた美しさがある。
それを、いつか何かの形で伝えられないだろうか。

その思いがすぐに仕事になったわけではない。

帰国後、後藤さんは結婚し、ホテルのフロントや受付など、接客の仕事をしながら暮らしていた。

「結局、接客業ばかりしていたので、人と話したり、案内したりするのが好きなのかなと思っていました」

海外で日本を外から見た経験。
観光や接客の現場で、人に何かを伝える楽しさを知った経験。
幼い頃から暮らしに溶け込んでいた和の感覚。

それらは、まだ一つの形にはなっていなかった。
後藤さんの中でつながり始めていた。

本当の意味で人生のまなざしが変わったのは、子どもが生まれてからだった。

後藤さんは、四十歳で母になった。
子育ては、想像以上に大変だったという。

「子育ての時は、娘を育てるだけで精一杯でした。四十歳で生まれた子どもなので、体力的にもしんどかったんです」

文化を残したい。
日本の良さを伝えたい。
そんな大きな言葉を考える余裕が、いつもあったわけではない。

目の前には、日々の子育てがあった。
その時間の中で、後藤さんにとって文化は、遠くにある立派なものではなくなっていく。

子どもに触れさせたいもの。
子どもが楽しみながら、自然に受け取れるもの。
未来へ残していくべきもの。

ある日、娘さんと一緒にお香づくりをした。

後藤さんはもともと、趣味でお香づくりをしていた。
香りの原料を混ぜ、粘土のように柔らかくして形をつくる。
手のひらで香りの原料をこね、形をつくるたびに、やさしい香りが広がっていく。
娘さんと一緒に作ってみると、それはとても楽しい時間になった。

その時、後藤さんの中でひとつのひらめきが生まれる。

宇治といえば、抹茶。
では、抹茶でお香を作れないだろうか。

「娘と一緒にお香を作ったら、とても楽しかったんです。宇治といえば抹茶なので、抹茶のお香づくりなら、お子さんでも観光客の方でも楽しめるのではないかと思いました」

それは、大きな事業計画から生まれたアイデアではなかった。

子どもが楽しんだ。
だから、他の子どもたちも楽しめるかもしれない。
宇治に来た人たちが、抹茶を飲むだけではなく、香りとして触れることができたら面白いかもしれない。

後藤さんは、宇治に遊びに来てくれる友人たちをよく案内していた。
大人にとって、平等院を巡り、抹茶スイーツを楽しむ時間は十分に楽しい。

子ども連れの友人を案内するようになると、違和感が生まれた。

宇治らしい体験で、子どもも楽しめるものが少ない。

「せっかく宇治に来たのに、子どもにも宇治の良さを知ってほしいと思ったんです」

この言葉が、後藤さんの事業の芯にある。

後藤さんは、文化を「教える」よりも、まず楽しい記憶として触れてもらうことを大切にした。

抹茶は、宇治を象徴するものだ。
子どもにとっては苦く感じることもある。

香りならどうだろう。

抹茶の香りは、苦くない。
作っている間にも、ふわっと広がる。
子どもも、大人も、海外の人も、同じように楽しめる。

「抹茶は渋みや旨みがありますが、お子さんによっては苦くて飲めない人もいます。でも香りなら、お茶の良い香りで老若男女楽しめますし、作っている間も良い香りがします」

抹茶を飲ませるのではなく、香りとして体験してもらう。
そこに、後藤さんらしい文化の残し方があった。

抹茶のお香づくりは簡単ではなかった。

最初は、お線香のように火をつけて香らせるものを考えていた。
抹茶は燃やすと焦げ臭くなってしまう。

「抹茶は燃やすと、葉っぱが焦げた匂いになってしまうんです。作っている間はすごく良い香りがするのに、燃やしてしまうとお香として成立しないと思いました」

後藤さんの中では、「お茶っぽい香り」では足りなかった。
届けたかったのは、宇治の抹茶そのものの香りだった。

そこで思い出したのが、茶香炉だった。
茶葉を火で燃やすのではなく、温めることで香りを立ち上がらせる道具である。

燃やすから焦げる。
ならば、燃やさずに温めればいい。

「茶香炉は燃やしていないな、温めているなと思ったんです。じゃあ、燃やさず温めるお香にしようと。そこで、やっとお香として成立すると思いました」

宇治の抹茶が持つ、本来の香りをどう残すか。
子どもも大人も楽しめる形に、どう変えるか。

その問いを、後藤さんは手を動かしながら深めていった。

そして2020年4月。
後藤さんは、INCENSE KITCHENを開業する。

宇治の抹茶を香りとして届ける。
子どもたちが楽しみながら、宇治の文化に触れられる場所をつくる。
捨てられるはずだった抹茶にも、新しい役割を与えていく。

幼い頃から身体に残っていた和の感覚。
海外で気づいた日本文化への愛。
母としての「子どもに残したい」という願い。

それらが、一つの形になり始めた。

事業を始めたその時代は、あまりにも厳しかった。

観光は止まる。
人の流れは消える。
体験に来るはずだった人たちは、街からいなくなる。

後藤さんの挑戦は、始まった直後に、大きな壁へぶつかっていく。

第4章|止まった観光、つながった縁——捨てられる抹茶が世界へ香り始めた日

開業直後、観光は止まった。

宇治に来てもらい、香りを感じてもらい、手を動かして文化に触れてもらう。
後藤さんが大切にしていた体験の前提が、世界的な感染拡大によって崩れていった。

「コロナの時期は、本当に二年くらい観光の方も少なかったです。戻ってきたかなと思ったら、また自粛になったりして、波がありました」

遠方でのポップアップ出店を考えた時期もあった。
ようやく営業して、つかんだ機会もあった。

当時はまだ子どもも小さかった。
親に子どもを見てもらっている以上、感染への不安を押し切ってまで動くことはできなかった。

「子どもを見てもらっている以上、親の反対を押し切ってまで行けへんなと思ったんです」

その葛藤は、後藤さんを何度も立ち止まらせた。

だが、その時間の中で別の道が少しずつ開いていった。

人が来られないなら、商品を届ける。
体験が難しいなら、物販を育てる。
国内の観光が止まっているなら、海外にも目を向ける。

後藤さんは、行政や支援機関、地域の人たちに助けられながら、事業をつないでいく。
JETROの海外展開支援にもつながり、INCENSE KITCHENの商品は海外へ向けても紹介されるようになった。

「体験はしばらく見込めなくても、商品販売の方はサポートしてくださったりして、なんとかつなげられたかなという感じでした」

後藤さん自身の行動があった。
試行錯誤があった。
諦めずに続ける意思があった。
同時に、周りの人が手を差し伸べた。

商工会の人が、抹茶の仕入れ先との縁をつないでくれた。
地元の人が、応援してくれた。
支援機関が、海外展開の扉を開いてくれた。

その象徴のひとつが、廃棄される抹茶との出会いである。

最初、後藤さんは普通に飲める抹茶を使っていた。
地元の商工会を通じて、通常なら廃棄される抹茶があることを知る。

製茶工場では、抹茶を細かくする工程で、空気中に細かな粉が舞う。
衛生管理された空間のフィルターには、食品としては販売できない抹茶が溜まっていく。
品質は抹茶そのものに近い。

後藤さんは、そこに新しい役割を見つけた。

「飲めるお抹茶と同じ品質だけど、作る工程で捨てられるお抹茶があると教えていただいたんです。今は、その廃棄されるお抹茶をリサイクルしています」

手間暇をかけて作られた抹茶が、食品としては使えないという理由で捨てられていく。

後藤さんは、その粉を燃やすのではなく、温める。
香料でお茶らしさを作るのではなく、抹茶そのものの香りを立ち上がらせる。
捨てられるはずだった抹茶を、もう一度、人の記憶に残る香りへ変える。

「もったいない」という言葉がある。
ものに宿った命や手間や時間を、最後まで大切にしようとする感覚でもある。

後藤さんの抹茶のお香には、その感覚がある。

地域の人たちも、その思いに協力したくなったのだろう。
自分たちの土地のものが、新しい形で誰かに届いていく。
それが、宇治を訪れた子どもや観光客、さらには海外の人の心に残る香りになる。

後藤さんは、お香づくり体験の中で、廃棄抹茶の話をし、なぜ燃やさず温めるのかを伝え、源氏香や宇治と源氏物語のゆかり、菓子木型に込められた伝統模様の意味まで届けている。

「体験して作るだけでなく、そこから興味が広がってほしいと思っています」

その思いは、やがて海外でも確かめられることになる。

JETROの支援などを通じて、後藤さんの商品は海外へ向けても紹介されるようになった。
海外の展示会に出た時、後藤さんは思っていた以上の反応を目にする。

広い会場の中、ウェルビーイングをテーマにした空間の一角に、INCENSE KITCHENの商品が並んでいた。

最初は不安もあった。
抹茶のお香という小さな商品に、海外の人は興味を持ってくれるのだろうか。

反応は想像以上だった。

通りすがりの人が足を止め、商品を見る。

「通りすがりの方が見て、『あ、抹茶』と言って立ち止まってくださったんです。京都と言うと、『I LOVE KYOTO』『マーベラス』という感じで、京都への憧れをすごく感じました」

後藤さんはそこで、改めて知る。

日本人が思っている以上に、海外の人は日本に憧れている。
京都という名前に反応する。
抹茶という言葉に足を止める。

「私が思っている以上に、海外の方は抹茶や京都が好きでした。もっと京都と抹茶を大きく書いておけばよかったなと思いました」

海外では、抹茶や京都という言葉に人が立ち止まる。
一方で日本では、町家が壊され、古い景観が失われていく。
その現実に、後藤さんは「もったいない」と感じている。

「町家が壊されたりする話を聞くと、もったいないなと思います。いつか自分のお店を持つなら、そういう町家でやりたいと思っているので」

海外に出て評価されるものが、日本では失われていく。
外から見ると輝いているものを、内側にいる私たちが見落としている。

日本の文化には、まだ力がある。
宇治の抹茶には、まだ届けられる物語がある。

後藤さんにとって宇治の文化を次世代へ手渡すための、歩みだった。

第5章|長く続けることが、未来を残すこと——子どもに胸を張れる大人でいるために

後藤さんは今、宇治の抹茶を香りとして届けながら、文化に触れる入口を育て続けている。

抹茶のお香づくり体験、抹茶印香の販売、海外への発信、地域の製茶工場や商工会、行政、支援機関とのつながり。
そのすべてが、宇治の文化を楽しく触れられる形にし、子どもたちへ記憶として手渡すための活動になっている。

目標を聞くと、後藤さんはこう答えた。

「少しでも長く続けたいです」

大きく広げたい。
有名になりたい。
一気に店舗展開したい。

そうした言葉ではなかった。

もちろん、夢がないわけではない。
いつか自分のお店を持ちたい。
できるなら、町家のような場所でやりたい。
海外にも店舗を持てたらいい。
東京にも構えられたらいい。

そんな思いも、確かにある。

「海外にも持てればいいとか、東京にもお店を構えられたらとか、それももちろんあります。でも、そんなことをして潰れるよりは、今の状態を長く続けていきたいなという感じです」

この言葉には、宇治という土地で老舗を見てきた人の感覚がある。

宇治には、創業何百年というお茶屋がある。
長い時間を生き残ってきた店がある。
コロナ禍でも簡単には折れなかった底力がある。

後藤さんは、その姿に「続けること」の重みを見ていた。

「老舗のお茶屋さんがたくさんあって、創業何百年というところもあります。コロナでも全然潰れていないんですよね。長く続けるのは、それだけ底力がいるんだなと感じました」

長く続ける。

それは、とても強い覚悟である。

十年、二十年、三十年と続けていくには、誠実であり続けなければならない。
地域に対して。
お客様に対して。
抹茶を作る人たちに対して。
体験に来てくれる子どもたちに対して。
そして、自分の子どもに対して。

後藤さんが残したいのは、抹茶という商品だけではない。
宇治の香りの奥にある、ものを大切にし、次の世代へ手渡していく感覚である。

子どもの頃にふと嗅いだお香の香り。
母が飾っていた季節の花。
お茶室の静けさ。
玄関で靴を揃える感覚。

後藤さんは、そうした記憶の種を、次の世代に渡そうとしている。

「今は娘も、まだ分からないかもしれません。でも、小さい頃から触れておけば、またいつか帰ってきてくれるかなという気がします」

この言葉が、後藤さんの仕事の芯を物語っている。

すぐに理解されなくてもいい。
今すぐ価値が分からなくてもいい。
いつか戻ってくるかもしれない。

香りの記憶のように。
ふとした瞬間に、身体の奥からよみがえるものとして。

最後に、後藤さんにとってのIKIGAIを聞いた。

返ってきたのは、事業計画でも、売上目標でも、海外展開の夢でもなかった。

「子どもに誇れるような生き方をしたいです」

自分がしていることを、子どもに胸を張って見せられるか。
この生き方でいいのだと、背中で伝えられるか。

後藤さんにとって、子どもに誇れる仕事をすることは、そのまま社会への責任につながっている。

「次世代に、と言うと大それたことになってしまいますが、自分でやっていることが残せていけたらいいなという感じです」

大人が、次の世代のことを考えて行動すること。
自分の都合だけでなく、未来の誰かのために仕事をすること。

それでも、続ける。
長く続ける。
子どもに胸を張れる形で続ける。

その姿勢が、人を動かしてきたのだと思う。

商工会の人が縁をつないでくれた。
製茶工場が協力してくれた。
行政や支援機関がサポートしてくれた。
海外の人が足を止めてくれた。

思いは、言葉だけでは届かない。
行動になって初めて、人に伝わる。
その行動が誠実であり続ける時、人は自然と手を貸したくなる。

小さな行動の積み重ねが、未来をつくる。

後藤さんは、宇治の抹茶を香りに変えながら、次の世代へ問いを渡している。

あなたは、子どもたちに何を残したいだろうか。
あなたは、未来の誰かに胸を張れる仕事をしているだろうか。

宇治の香りを、子どもたちへ。
日本の記憶を、次の世代へ。

そのために後藤さんは今日も、長く続けるという覚悟を、積み重ねている。

あとがき

後藤恭子さんの話を聞いて、私は「残す」という言葉の重さを考えた。

残すとは、守ることだけではない。
次の世代が受け取れる形に変えることでもある。

自分が大切にしてきたものを、子どもたちが楽しいと思える入口にして手渡すこと。
そこに、後藤さんの覚悟があった。

文化は、遠くにある立派なものだけではないのだと思う。

玄関で靴を揃え、季節の花を飾り、お香を焚き、お茶の香りに立ち止まる。
ものを粗末にせず、子どもに見られても恥ずかしくない行動を選ぶ。
そうした一つひとつの所作が、大人の背中となって、次の世代へ渡っていく。

後藤さんの行動は、未来への責任があった。

残すとは、声を大きくすることではなく、次の世代が受け取れる形に変えていくことなのだと感じた。

私たちは、ときどき大きなことをしなければ価値がないと思ってしまう。
目立つこと。
広がること。
数字になること。
誰かにすぐ認められること。

だが本当に次の世代に残すべきものは、もっと静かなものなのかもしれない。

誠実に続けた仕事。
誰かを思って選んだ行動。
捨てられるものを大切にしたまなざし。
子どもに胸を張りたいと願う、大人の覚悟。

後藤さんの物語は、私たちに問いを返してくる。

あなたは、子どもたちにどんな世界を残したいだろうか。
あなたは、未来の誰かに、どんな背中を見せたいだろうか。
あなたの仕事は、誰の記憶に残るだろうか。
あなたの生き方は、何を次の世代へ手渡しているだろうか。

抹茶の香りは、強く叫ばない。
静かに広がる。
そして、心の奥に残る。

人の生き方も、きっと同じだ。

後藤さんが宇治で灯している香りは、商品でありながら、祈りでもある。
日本の文化を未来へつなぐ、小さくて確かな祈りである。

その祈りは、私たち一人ひとりにも向けられている。

次の世代に、何を残すのか。

その問いから逃げずに、自分の仕事と暮らしを見つめ直したい。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

 

INCENSE KITCHENウェブサイト

 

他の記事を見る