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挑戦の先に何があるかわからない——北海道から未来を切り拓く24歳の経営者
武田 功平 株式会社TRIXIA
営業、AI、仲間づくりで北海道の可能性を広げる挑戦者
北海道札幌市
挑戦の先に何があるかわからない——北海道から未来を切り拓く24歳の経営者
あなたは、失敗をどこまで怖がらずに進めるだろうか。
会社がなくなる。
売上が止まる。
信じていた仕組みが崩れる。
一緒に走っていた仲間と別れる。
多くの人にとって、それは人生の大きな挫折になる。
しかし、株式会社TRIXIA 代表取締役・武田功平さんは、まるで少し道を間違えただけのように言った。
「別に、もう一回立ち上げればいいだけなんで」
その言葉は、自然だった。
武田さんは24歳。
高校生の頃から光回線のテレアポで成果を出し、高校卒業後は個人事業主として営業の世界へ入った。そこから仲間と法人を立ち上げるも、コロナ禍で飲食店向けの商材が止まり、会社は解散。その後、契約社員として入ったコールセンターで全国1位を取り続け、そこで出会った仲間と現在の会社を立ち上げた。
今は助成金関連の営業支援を中心に事業を伸ばしながら、訪問販売のインターン組織づくり、そして北海道でのAI導入支援にも挑もうとしている。
武田さんは、人生で一番大切にしている価値観を、迷わずこう答えた。
「挑戦し続けることです」
現状に満足できない。
次へ、次へと進みたくなる。
挑戦した先に何があるのかは、本人にもわからない。
「何があるかわからないから、挑戦し続けたいです」
これは、失敗を恐れない若者の物語ではない。
失敗しても終わらないと知っている人間が、北海道から新しい可能性を切り拓こうとしている、生き方の記録である。
第1章|「挑戦し続けることです」——現状維持を選べなかった少年
幼少期は、サッカーをしていた。
両親はどちらも自営業。
「親から何か言われたわけではないですけど、自分の能力で稼いでいくというのは、当たり前に見てきました」
誰かに雇われることだけが人生ではない。
自分の生業で稼ぐ大人が、身近にいた。

サッカーに打ち込んだ。
中学時代には東日本大会まで進み、高校もサッカーで進学した。
プロを目指した時期もあった。
しかし、高校の途中で、その道を自分で切った。
「現実的にプロになったとしても、トップは無理なんだろうなって分かっていました。そこまで熱量もなかったかもしれないです」
夢を諦めた、というよりも、冷静に見切った。
そして、その頃に別の憧れが生まれる。
先輩が、会社をやると言っていた。
当時19歳ほどの先輩が、将来の夢を語っていた。
「将来会社やるから、雇ってやるよ、みたいな感じで言っていて。いいな、自分でもやりたいなと思いました」
会社をつくる。
社長になる。
経営をする。
その響きに、武田さんは惹かれた。
「かっこいい」「自分もやりたい」——その感覚が、彼の中に火をつけた。
高校生のとき、武田さんはテレアポのアルバイトを始める。
そして、そこでいきなり成果を出した。
冬休みに集中的に働き、同世代ではなかなか経験できないほどの報酬を手にした。
成績も常に上位。
周囲よりも多く電話をかけ、誰よりも数をこなした。
なぜ、そこまで結果が出たのか。
武田さんはシンプルに答える。
「熱量じゃないですかね。質より量をこなせば、勝手に質がついてくるんで」
誰かが100コールするなら、自分は200コール、300コールする。
母数が違えば、最終的な件数で負けない。
その感覚を、高校生の時点で体で掴んでいた。
ただ、負けず嫌いだった。
かければ母数が取れる。
だから、かける。
そこに、複雑な理論はなかった。
高校時代のテレアポは、武田さんに営業力だけでなく、人生の進め方そのものを教えたのかもしれない。
やってみる。
数を打つ。
結果を見る。
足りなければ、もっとやる。
挑戦は、彼にとって。
行動量そのものだった。
第2章|「別に、死ぬわけじゃないんで」——失敗を挫折にしない感覚
高校卒業後、武田さんはそのまま個人事業主として光回線のテレアポを始めた。
だが、最初から順調だったわけではない。
契約や支払いに関する知識が十分ではなかったこともあり、売上が支払われないまま終わってしまった経験もある。
普通なら、ここで大きく落ち込む。
怒りも湧く。
社会の怖さを知り、足が止まる人もいるだろう。
しかし、武田さんの受け止め方は違った。
「そんなに気にしてなかったですね」
生活を立て直せるだけの余力はあった。
何より、次に進めばいいと思っていた。
裏切られた、傷ついた、もうだめだ——そういう方向へ深く沈み込まない。
もちろん、何も感じていないわけではないはずだ。
ただ、そこで止まらない。
「バカなんですかね。分からないですけど」
本人は笑うようにそう言った。
その“気にしなさ”は、弱さを見ない鈍感さではなく、次へ進むための生存本能にも見える。
その後、武田さんは憧れだった先輩と一緒に法人を立ち上げる。
立場としては代表ではなかったが、現場を統括する右腕のような役割だった。
クローザーとして、現場から上がってくる案件を巻き取り、クロージングする。
シフト管理や雑務も担う。
まさに現場を回し続けた。
扱っていたのは、飲食店向けのLINE公式アカウント運用商材。
コロナ禍で飲食店が閉まり、売上は止まった。
ある日、社長から「今月でやめよう」と連絡が来る。
最後の整理をして、その会社は解散した。
8ヶ月で終わる。
また、会社がなくなった。
普通なら、ここも挫折になる。
自分の見通しの甘さを責めるかもしれない。
あの時こうしていれば、と後悔するかもしれない。
それでも武田さんは、こう振り返る。
「そのとき、ずっと休みなしで働いていたので、久しぶりに休めて嬉しいな、ぐらいの感覚でした」
武田さんは、失敗を挫折と受け止めていない。
失敗とも思っていないのかもしれない。
「別に死ぬわけじゃないんで」
この言葉が、武田さんという人をよく表している。
事業が終わっても、人生まで終わるわけではない。
環境が変わったら、次の環境で勝てばいい。
失ったものがあるなら、また積み上げればいい。
武田さんは、失敗の前で長く立ち止まらない。
だからこそ、次の扉を開けるのが早い。
第3章|「つまらない仕事」で眠り、「営業」で全国1位になった日
会社が解散した後、武田さんはしばらく休んだ。
ちょうどその頃、中学時代から仲の良かった友人が大学を辞めて地元へ戻ってきた。
その友人が会社に入ると言ったため、武田さんも一緒についていくことにした。
入ったのは、さまざまなコールセンター業務を請け負う会社。
最初に配属されたのは、カスタマー対応だった。
だが、武田さんにはまったく向いていなかった。
「お客さんからの質問に答えるだけみたいな業務だったので、自分は今まで営業しかしてきていなくて、まじで向いてなかったです」
一日の半分、寝ていたこともあったという。
当然、契約は更新されずにクビになった。
武田さんは何でもできる万能型ではない。
興味のない仕事、熱の入らない仕事では、驚くほど力が出ない。
目の前の業務を淡々とこなすことが苦手で、退屈に耐えられない。
次に移ったのは、解約を阻止する窓口だった。
カスタマー対応ではあるが、内容は営業に近い。
電話を受け、相手の不満を聞き、解約を止める。
光回線のテレアポ経験が、そのまま使えた。
「周りは受信対応のイメージだったんですけど、自分だけ結構ゴリゴリの営業チックな感じでいったら、めちゃくちゃ簡単でした」
そこから半年間、武田さんは全国1位を取り続ける。
自分の武器が活きる場所に入ると、一気に突き抜ける。
そして、その場所で出会ったメンバーを連れて、今の会社を立ち上げることになる。
「こういうのをやろうと思っている」と話す。
仲間が「一緒にやりましょう」と言う。
助成金という商材を見つけ、営業代理店として勝負できると判断した。
なぜ助成金だったのか。
武田さんは、これまでの営業について「人の役に立っている実感が少なかった」と話している。
一方、助成金は企業にとって目に見える価値がある。
新しい設備を整えることもできる。
人材育成や事業の前進につながる場合もある。
「企業にとって大きな支援につながるものだし、価値あるものだなと思いました」
もちろん、営業としての現実感もあった。
伝わりやすい。
必要としている企業がある。
事業としても続けられる手応えがある。
きれいごとだけではない。
だが、価値があり、届ける意味があり、事業として成り立つ。
そのバランスがあったからこそ、武田さんは勝負できると判断した。
立ち上げ当初から、手応えはあった。
仲間とともに営業を進め、少しずつ結果を積み上げていく。
思うように整っていない部分もあったが、そこは現場で作り直した。
「仕組みはボロボロだったので、正直1から全部作り直しました。光回線の営業経験があったので、どういう言い回しをしたら刺さるかは、何となく分かっていました」
武田さんにとって営業は、特定の商材だけに通用する技術ではなかった。
人と話し、相手の関心を掴み、価値を届ける。
形が変わっても、その本質は変わらない。
「多分、人と話して物を売るところは、形が変わってもどんな形式でもいけると思います」
自信がある。
だが、その自信は根拠のないものではない。
高校時代から電話をかけ続け、数字を取り、会社を失い、また現場で全国1位を取り直してきた。
その積み重ねがある。
営業は、武田さんにとって単なる職能ではない。
失敗しても食い直せるという、自分への信頼そのものなのだ。
第4章|「会社が潰れたら、メンバーの保証ができない」——挑戦者が初めて背負った恐怖
武田さんは、自分自身の失敗には強い。
売上が止まっても、また動けばいい。
会社が解散しても、また作ればいい。
向いていない仕事で契約を切られても、自分に合う場所で勝てばいい。
そうやって、これまで何度も環境を変えながら前へ進んできた。
自分一人の人生であれば、何度でもやり直せる。
その感覚が、武田さんの強さだった。
だが、そんな彼にも、今怖いものがある。
「チームの従業員が30代の人も多いので、今の会社が潰れたら、メンバーの保証ができなくなってしまうんですよね」
この言葉を聞いたとき、武田さんの挑戦は、新しい段階に入っているのだと感じた。
怖いのは、自分が失敗することではない。
自分についてきてくれた仲間の生活を、守れなくなること。
会社が止まることで、メンバーが働く場所を失うこと。
挑戦したいと思って集まってくれた人たちの未来を、自分の判断ひとつで閉ざしてしまうこと。
一人なら、いくらでもやり直せる。
若いから、失うものも少ない。
自分のメンタルが強ければ、また立ち上がれる。
しかし、会社は一人の挑戦ではない。
正社員がいる。
アルバイトがいる。
業務委託がいる。
生活がある。
家族がある。
年齢も背景も違う人たちが、自分の会社に時間を預けている。
現在、武田さんの会社には正社員、アルバイト、業務委託のメンバーがいる。
さらに訪問販売の領域では、大学生インターンの研修も進めている。
今後は、さらに人数を増やしていく構想もある。
人が増えるということは、可能性が広がるということだ。
同時に、背負うものが増えるということでもある。
自分だけなら、転んでも立ち上がればいい。
だが、仲間がいる以上、自分の転び方ひとつで、誰かの生活や未来まで揺らしてしまう。
その重さを、武田さんは感じ始めている。
彼は、強い。
でも、完璧ではない。
失敗を怖がらない。
ただ、仲間の人生を背負う怖さは、確かに感じている。
そして、その怖さを感じ始めたことこそが、武田さんをただの挑戦者から、経営者へ変えていく。
会社を存続させる。
仕組みをつくる。
人が安心して働き続けられる場にする。
挑戦したい若者が、ちゃんと挑戦できる環境を整える。
その責任が、今の武田さんの背中に乗っている。
挑戦とは、いつまでも一人で走ることではない。
誰かの生活を背負い、誰かの可能性を預かりながら、それでも前に進むことだ。

第5章|「AIだったら北海道だよね」——挑戦の先に描く、地元の未来
武田さんが今、次の柱として力を入れようとしているのが、AI導入支援だ。
きっかけは、シンプルだった。
「自分がAIをおもろいなと思って。触って、これいけるなという感じです」
自社でもAIを活用し、業務効率化や自動化に取り組んできた。
そこで感じた可能性を、中小企業にも届けたいと考えるようになった。
内容としては、企業の業務をヒアリングし、自動化できる部分を整理し、業務効率化を進める。
最終的には、クライアントが自分たちで内製化できるよう支援していく。
営業で売りに行けば、売れる。
武田さんはそう感じている。
ただ、ここで彼は、あえて慎重になっている。
「営業で売りに行ったら売れちゃうんですけど、雑な広め方をしたくないんです」
北海道では、まだAIへの受け入れが十分ではない。
紹介で話しても、温度感が高くないまま話が進まない案件も多い。
だからこそ、1社目を大事にしたい。
本気で一緒に取り組める会社とやりたい。
やる気がない相手に無理に売っても、成果は出ない。
成果が出なければ評判が悪くなる。
北海道という狭い地域で事業を広げるなら、口コミの影響は大きい。
この慎重さは、これまでの武田さんの印象とは少し違う。
失敗しても次に行けばいい。
営業で取ればいい。
そういう勢いだけではない。
地域で事業を育てるには、雑に売ってはいけない。
最初の成功事例を大事にしなければならない。
その感覚が、彼の中にある。
武田さんは、東京や大阪と北海道の地域格差を強く感じている。
新しい技術や情報は、どうしても都市部に集まりやすい。
多くの若者が、迷わず東京や大阪へ出ていく。
だが、彼は北海道を捨てようとは思っていない。
「北海道民って、北海道が好きで、多分ほかの地域よりも地元好き率が高いと思うんです」
自分も東京や大阪に出たい気持ちはある。
でも、北海道の拠点をなくすつもりはない。
絶対に北海道の拠点は残したい。
そして、AIがまだ出てきたばかりの今なら、北海道が都市部に追いつく武器になるかもしれないと考えている。
「AIだったら北海道だよね。北海道にいればいい。そう思えるのが一番ベストだと思うんです」
この言葉には、若い経営者らしい野心と、地元への素直な愛情が同居している。
北海道から出ていかなくてもいい。
北海道にいながら、最先端のことができる。
地元で挑戦できる。
地元で稼げる。
地元で未来をつくれる。
そのために、AIを使う。
そのために、営業力を使う。
そのために、会社を伸ばす。
武田さんにとってのIKIGAIを聞くと、彼は少し考えたあと、こう答えた。
「常に挑戦者であること。どこまでいっても上を見つめ続けて、現状維持や満足をせずに突き進み続けることが、IKIGAIだと思います」
挑戦した先に何があるのか。
その問いに、彼はこう返した。
「何があるかわからないから、挑戦し続けたいです」
なんて正直な言葉だろう。
明確なゴールがあるから進むのではない。
答えが見えているから挑むのでもない。
わからないから、進む。
見えないから、面白い。
その先に何があるかを知るために、挑戦し続ける。
すべてを計算してから動く人は、見えている範囲の未来しか作れない。
まだ見えないものへ手を伸ばす人だけが、誰も見たことのない景色にたどり着く。
武田功平さんは、これから更に進化していく経営者だ。
だからこそ面白い。
挑戦者であり続けることを、自分のIKIGAIだと言い切る24歳が、北海道からどんな未来をつくるのか。
その先には、まだ誰にもわからない景色がある。
あとがき
武田さんの話を聞き終えたあと、私の中に残ったのは、少し不思議な感覚だった。
会社が解散したことも、売上が止まったことも、契約社員でクビになったことも、どこか淡々としている。
普通なら挫折として語られそうな出来事を、彼は「次に行けばいい」と受け止めている。
最初は、その軽さに驚いた。
しかし、聞いていくうちに思った。
これは軽いのではなく、前に進むための強さなのだと。
私たちは、失敗を大きくしすぎることがある。
まだ終わっていないのに、終わったと思ってしまう。
一度うまくいかなかっただけで、自分には向いていないと決めてしまう。
誰かに裏切られた経験を、次に挑まない理由にしてしまう。
そんな時、武田さんの言葉が胸に残る。
「別に死ぬわけじゃないんで」
この言葉は、乱暴に聞こえるかもしれない。
だが、挑戦する人間にとって、これほど本質的な言葉もないのかもしれない。
死なないなら、やり直せる。
失ったなら、また作れる。
うまくいかなかったなら、次のやり方を試せる。
そして今、武田さんは自分一人の挑戦から、仲間を背負う挑戦へ進んでいる。
会社が潰れたら、メンバーの保証ができなくなる。
その怖さを感じながら、それでも前へ進もうとしている。
私はそこに、経営者の覚悟を見た。
あなたにとって、挑戦とは何だろうか。
失敗した時、それでももう一度立ち上がれる理由はあるだろうか。
そして、あなたは何があるかわからない未来へ、それでも一歩を踏み出せるだろうか。
武田さんのIKIGAIは挑戦だ。
現状に満足せず、上を見つめ、北海道という土地に可能性を残しながら、まだ見ぬ未来へ進んでいくこと。
その姿を見て、私は思った。
挑戦する人は、やはり美しい。
何があるかわからない未来へ、それでも足を踏み出す。
失敗しても、終わりにしない。
仲間を背負う怖さを抱えながら、それでも前へ進む。
その原動力が誰かに伝わり、また別の誰かの挑戦につながっていけば、きっと未来はもっと面白くなる。
そう思わせてくれる時間だった。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師









