IKIGAI(生きがい)の見つけ方|1000名以上のIKIGAIを聞いて見えた共通点

IKIGAIは、好きなことを探すだけでは見つからない。

これまで私は、営業、相談、取材、そしてIKIGAI JAPANでのインタビューを通じて、1000名以上の人生に触れてきました。
その中で感じたのは、IKIGAIとは「好きなこと」や「得意なこと」を探すだけで見つかるものではない、ということです。困難、挫折、絶望。
何者でもないと感じながら、それでも人生を歩み続けてきた人が、ある出会いや経験を通じて、自分の意味に気づく瞬間があります。
最初から明確な夢があったわけではない。
だけど、歩んできた道を振り返ったときに、「ああ、これが自分のIKIGAIだったんだ」と気づく瞬間がある。

この記事では、1000名以上の人生に触れてきた中で見えてきた、IKIGAIを見つけるための共通点をお伝えします。

1000名以上の人生を聞いて見えた、IKIGAIを持つ人の共通点

共通点1|IKIGAIの始まりは、「好き」よりも消えなかった違和感にある
共通点2|遠回りや挫折を、「自分の物語」に変えている
共通点3|誰かの笑顔や「ありがとう」が、仕事の原点になっている
共通点4|お金や肩書きの奥に、「守りたいもの」「残したいもの」がある
共通点5|共通点5|理解されなかった選択の中に、IKIGAIの種が眠っている

共通点1|IKIGAIの始まりは、「好き」よりも消えなかった違和感にある

IKIGAIを見つけようとすると、多くの人はまず「好きなこと」を探そうとします。

何が好きなのか。
何をしていると楽しいのか。
どんな仕事なら夢中になれるのか。

もちろん、それも大切な問いです。
しかし、IKIGAIの始まりは、必ずしも「好き」から始まるわけではないということです。
むしろ、その人の人生を深く聞いていくと、消えなかった違和感が原点になっている場合が多いです。

私がこれまでインタビューした中でいうと、
福祉施設で空気に流される時代に、自分の根っこで立つ力を育てる人を育てる活動をしている株式会社花の清野真知さんは、幼い頃から「どうして人は分けられるのだろう」という違和感を抱いていました。

男女で分かれて遊ぶこと。
障がいのある子と、そうでない子が分けられていること。
誰かが仲間外れにされること。
子どもの頃の清野さんの中には、いつも「みんなで楽しく遊べばいいのに」という違和感がありました。

清野さん自身も、嫌われたくない気持ちや、人に必要とされたいという想いを抱えながら、さまざまな仕事を経験していきます。主婦、スーパー勤務、パチンコ店員、農家の手伝い、雑貨店の経営。まっすぐ福祉へ進んだわけではなく、むしろ好奇心のままに動きながら、自分の居場所を探しているような時間がありました。

そんな中で、トランポリンの指導を通じて、障がいのある子どもたちと出会います。
その子たちは、身体を動かし、笑い、挑戦し、自分の可能性を広げていく存在でした。

その姿を見たとき、清野さんの中にあった子どもの頃からの問いが、もう一度立ち上がります。
「どうして分けるんだろう」
「本当は、もっと一緒にできることがあるんじゃないか」
その違和感が、やがて福祉という仕事につながっていきました。
清野さんのIKIGAIは、最初から「福祉が好き」という明確な言葉で始まったわけではありません。
幼い頃から消えなかった違和感が、人生の経験を通して形を変え、誰かの可能性を信じる仕事へとつながっていったのです。

もう一人、藤本鬼瓦製作所の藤本修悟さんもそうです。
藤本さんは、鬼瓦職人の家に生まれました。
祖父も父も職人。幼い頃から、家には鬼瓦があり、仕事場があり、継ぐことを期待される空気がありました。

藤本さんは、最初から「鬼瓦職人になりたい」と思っていたわけではありません。
かなり反発していました。
「継ぎたくない」
「縛られたくない」
「自分の人生は自分で決めたい」

生まれた時から人生の半分が決められているような感覚。
その違和感から、藤本さんは一度、料理の世界へ進みます。
しかし、タイミングが重なり実家へ戻ります。しかしすぐに鬼瓦に命を込められたわけではありません。
三年間、モヤモヤしていたといいます。

自分は本当にこの道でいいのか。
料理への未練もある。
家業を継いだはずなのに、心が定まらない。
鬼瓦に向き合っているようで、どこか中途半端な自分がいる。

藤本さんが向き合ったのは、鬼瓦そのものだけではありませんでした。
「自分は何者として生きるのか」という、自分自身への問いでした。

そして、その問いから逃げずに向き合い続けた先で、藤本さんは鬼瓦を“継がされた仕事”ではなく、“自分の仕事”として受け取り直していきます。
最初は反発だった。
違和感だった。
逃げたい気持ちだった。
その違和感をなかったことにせず、自分の人生として引き受け直したとき、鬼瓦は藤本さんにとってのIKIGAIへと変わっていきました。

この2人に共通しているのは、最初から「これが好きです」と明確に言えたわけではないことです。
清野さんには、分けられることへの違和感がありました。
藤本さんには、決められた人生への違和感がありました。

その違和感は、最初は苦しさだったかもしれません。
怒りだったかもしれません。
モヤモヤだったかもしれません。

だけど、その違和感を無視せずに生きてきたからこそ、やがて自分の仕事、自分の役割、自分のIKIGAIへとつながっていったのだと思います。
もし今「好きなことがわからない」と感じているなら、無理に好きなことを探さなくてもいいのかもしれません。
まずは、自分の中に残り続けている違和感を見つめてみる。

なぜか忘れられないこと。
どうしても納得できなかったこと。
本当はこうだったらいいのに、と思い続けてきたこと。
見過ごせなかった痛みや、失われてほしくなかった価値。
そこには、自分が本当に大切にしているものが隠れています。

IKIGAIの始まりは、いつも明るい夢とは限りません。
むしろ、消えなかった違和感こそが、人生を動かす最初の火になることがあります。

清野真知インタビュー記事
藤本修悟インタビュー記事

共通点2|遠回りや挫折を、「自分の物語」に変えている

IKIGAIを持っている人の多くは、最短距離で今の場所にたどり着いたわけではありません。
むしろ、遠回りをしている。何度も失敗している。
人には言いづらい過去を抱えている。
もう終わったと思うような挫折を経験している。
だけど、その遠回りを「なかったこと」にしていない。

人生の途中で傷ついたこと。
失ったこと。
恥ずかしかったこと。
悔しかったこと。
誰にも理解されなかった時間。

それらをただの失敗として終わらせるのではなく、
自分がなぜ今この仕事をしているのかを語るための物語に変えている人が多いのです。
たとえば、B∞C Groupの島野廣紀さんは、もともと福祉の世界の人ではありませんでした。
通信機器や複合機の営業として、数字を追い、成果を出すことに向き合ってきた人です。
その頃の島野さんは、障がい者雇用に対しても、決して最初から深い理解を持っていたわけではありません。
むしろ、最初は偏見を持っていた側でした。

しかし、ある施設を訪問したとき、その思い込みが崩れます。
支援する人と、支援される人。
働ける人と、働けない人。
強い人と、弱い人。
そうやって無意識に分けていた自分の見方が、現場に立った瞬間に揺らいだのです。
そこから島野さんは、福祉の世界に営業マンとしての突破力を持ち込みました。

「待つ福祉」ではなく、自ら企業へ出向き、働く場所を開拓する。
「守る福祉」ではなく、障がい者が戦力として働ける場所をつくる。
「できない」と決めつける社会に対して、「できる」を証明していく。
その挑戦は順調なことばかりではありませんでした。

新しい拠点づくりの途中で、建設会社に資金を持ち逃げされ、1億円もの損失を抱える出来事もありました。信じていた計画が崩れ、スタッフや利用者にどう向き合うのかという重い現実も背負うことになります。
普通なら、そこで折れてもおかしくありません。

だけど島野さんは、その挫折を「終わり」にしませんでした。
騙された経験すら、次の一手に変えた。
怒りを、仕組みに変えた。
悔しさを、事業を広げるエネルギーに変えた。
そして今では、就労支援、食品加工、通信制高校、グループホームなど、障がいのある人が「点」ではなく「線」で人生を歩める仕組みをつくっています。
島野さんの物語が教えてくれるのは、IKIGAIとは、きれいな成功体験だけから生まれるものではないということです。
偏見を持っていた自分。
信じた相手に裏切られた経験。
大きなお金を失った痛み。
それでも前に進まなければならなかった現実。

そのすべてを背負ったうえで、「だからこそ、自分はこの道を進む」
と言えるようになったとき、挫折はただの過去ではなく、その人だけの物語になるのだと思います。

古森久雄さんの人生も、まさにそうです。
古森さんは、最初から整体師としてまっすぐ歩んできた人ではありません。
学生時代には進学の夢が崩れ、長く想い続けた恋人との未来も突然失い、仕事もうまくいかず、人生の軸を見失っていきました。
酒に逃げ、身体も心も限界を迎えたある日、古森さんは倒れます。
目を覚ましたとき、そばにいたのは母でした。

その母の涙を見たとき、古森さんの中で何かが変わります。
自分は何をしているのか。
このまま終わっていいのか。
もう一度、人生をやり直せないのか。
そこから古森さんは、マッサージの専門学校へ飛び込みます。

手元にお金があったわけではありません。
準備が整っていたわけでもありません。
それでも、「今しかない」と思い、両親に頭を下げ、自分の人生をもう一度握り直しました。
古森さんの挫折はそこで終わりません。

開業し、少しずつ人生を取り戻したあと、今度は家庭の崩壊、孤独、そして2200万円もの借金に追い込まれます。信じていたものが崩れ、誰にも頼れない夜の中で、古森さんは何度も自分自身と向き合うことになります。
そこで見えてきたのが、「許し」でした。

裏切られたこと。
傷ついたこと。
自分を責め続けたこと。
人生を恨みたくなったこと。
そのすべてを抱えながら、古森さんは最後に、自分自身にも「ここまで生きてきた」と向き合っていきます。

その経験が、今の施術につながっているのだと思います。
古森さんにとって、整体はただ身体を整える仕事ではありません。
自分自身が痛み、孤独、怒り、許しを通ってきたからこそ、目の前の人の身体だけではなく、心の奥にあるものにも触れようとする。
つまり、古森さんの施術は、遠回りした人生そのものから生まれているのです。
この2人に共通しているのは、挫折を「ただの不幸」で終わらせていないことです。
島野さんは、偏見を持っていた過去も、1億円を失った挫折も、福祉の仕組みを変える力に変えました。
古森さんは、喪失、孤独、借金、許しの経験を、人を癒す施術の深みに変えました。

遠回りしたからこそ、見えたものがある。
傷ついたからこそ、届く言葉がある。
失ったからこそ、守りたいものがわかる。
IKIGAIとは、何もない場所から突然生まれるものではありません。

むしろ、これまでの人生の中で、
「失敗だった」
「遠回りだった」
「恥ずかしい過去だった」
と思っていた出来事を、もう一度見つめ直したときに見えてくるものです。

挫折は、人生を止めるものではない。
その人だけの物語を深くするものでもある。
遠回りや挫折を、自分の言葉で語り直せたとき、
人は初めて、自分の人生を誰かの希望に変えることができるのかもしれません。

古森久雄インタビュー記事
島野 廣紀インタビュー記事

共通点3|誰かの笑顔や「ありがとう」が、仕事の原点になっている

IKIGAIを持っている人の仕事には、必ずと言っていいほど、誰かの顔があります。

売上を上げたい。
事業を大きくしたい。
技術を磨きたい。
もっと良いサービスを届けたい。
もちろん、それらも大切です。

けれど、深く話を聞いていくと、その奥にはいつも、もっと素朴で、もっと人間的な原点があります。
それは、誰かが笑顔になった記憶です。
そして、目の前の人から受け取った 「ありがとう」 という一言です。

株式会社あしたのたのしみ代表の我那覇奈緒さんは、沖縄を拠点に「色と心の専門家」として活動しています。
色の仕事と聞くと、多くの人は、似合う色を提案する仕事、ファッションやデザインを整える仕事を想像するかもしれません。
けれど、我那覇さんにとって、色はただ見た目を整えるためのものではありませんでした。
幼い頃、喘息があり、外で思いきり遊べない時間がありました。
その代わりに、絵本を読んだり、絵を描いたりする中で、我那覇さんは自然と色の世界に惹かれていきます。
父に買ってもらった色鉛筆を、すぐに塗り絵に使うのではなく、一度すべて紙に塗って、実際にどんな色が出るのかを確かめていた。
目で見た色と、紙に出る色の違いに違和感を持ち、自分の感覚で納得しながら色を扱っていた。

色は、外へ行けなかった時間の代わりであり、世界を理解するための道具であり、自分の感覚を信じるための入口だったのだと思います。

やがて我那覇さんは、ファッションの世界に憧れて東京へ出ます。
華やかな現場に立ち、最先端の世界も見ました。

けれど、その中で、ある感覚が消えませんでした。
「人と人で仕事したい」
流行の先端に立つことよりも、ただ美しいものをつくることよりも、我那覇さんが最後まで手放せなかったのは、人の心に触れることでした。

だから今、我那覇さんは色を、おしゃれやセンスだけで終わらせません。
色を通して、人の感情を整える。
空間の意味を深める。
建築、教育、福祉、地域の未来にまでつなげていく。

AIが配色を提案できる時代になっても、そこにどんな想いを乗せ、どんな人の感情に影響を与えたいのか。
そこに人間の仕事がある。

我那覇さんの仕事の原点は、色そのものだけではなく、色によって誰かの心が少し軽くなる瞬間にあるのだと思います。

自分の感覚を信じられなかった人が、色を通じて自分を肯定できる。
空間に意味が宿り、そこにいる人の気持ちが変わる。
「自分には、自分の色がある」と思える。
その表情の変化や、心がほどける瞬間が、我那覇さんの仕事を前へ進めているのだと思います。

矢野妙子さんの物語にも、誰かの笑顔が深く流れています。
矢野さんは、大分県別府市で、レストハウス やの助産院を運営する助産師です。
けれど、矢野さんが目指しているのは、ただ助産院をつくることではありません。
本当に目指しているのは、地域の中に 「孤立しなくていい空気」 を増やすことです。

ママになったばかりの人は、本当はしんどくても「大丈夫です」と言ってしまうことがあります。
泣きたいのに笑う。
限界なのに頑張る。
誰かに頼りたいのに、頼ることすら申し訳なく感じてしまう。

矢野さんは、そうした言葉になる前の痛みを受け止め続けてきました。
しんどい。
誰かに頼りたい。
泣きたい。
その声を、まずはそのまま聞く。
ただ受け止める。
正しいことを言う前に、安心して弱音を吐ける場所になる。
矢野さんがママたちにとって大きな存在になっているのは、どんなことでも受け止めてくれる母性があるからなのだと思います。

そして、その活動は助産院の中だけには収まりません。
ママ会、地域の公民館、温泉、高齢者との関わり、防災、学校での性教育。
矢野さんの活動は、少しずつ地域全体へ広がっていきました。
孤立していた人が、少しずつ顔を上げる。
子どもたちが笑う。
地域のおじいちゃん、おばあちゃんが見守る。
世代が混ざり合い、町の温度が少し上がっていく。

矢野さん自身、かつて孤独を知っています。
助けてと言えなかった苦しさも、傷ついた経験も知っています。
だからこそ、今度は自分が場になる。
誰かを一人にしないために動く。
みんなの笑顔を守るために、自分が受け止める側に立つ。

矢野さんは、自分のIKIGAIをこう語っています。
「ママたちが笑顔になり、みんなで笑っていられる状態をつくること」
この言葉には、矢野さんの仕事の原点がそのまま表れている気がします。
この2人に共通しているのは、仕事を自分のためだけで終わらせていないことです。

我那覇さんは、色を通して人の心が動く瞬間を見ている。
矢野さんは、安心できずにいたママたちが、もう一度笑える瞬間を見ている。
そこにあるのは、派手な成功だけではありません。
誰かの表情が変わること。
誰かが少し前を向けること。
誰かが「ここにいていい」と思えること。
自分の仕事が、誰かの人生の一部になること。

その記憶があるから、人はもう一度立ち上がれるのだと思います。
IKIGAIは、自分ひとりの内側だけで完結するものではありません。
誰かに喜ばれた経験。
誰かの役に立てた実感。
自分の仕事で、目の前の人の表情が変わった瞬間。

そうした小さな記憶の積み重ねが、やがて仕事の原点になっていきます。
だから、IKIGAIを見つけたいときは、
「自分は何が好きか」だけではなく、
「誰の笑顔を、もう一度見たいのか」

誰かから言われた「ありがとう」が、今も心に残っているなら。
それは、あなたのIKIGAIにつながる大切な手がかりかもしれません。

我那覇奈緒インタビュー記事
矢野妙子インタビュー記事

共通点4|お金や肩書きの奥に、「守りたいもの」「残したいもの」がある

IKIGAIを持っている人は、お金や肩書きを否定しているわけではありません。
事業を続けるためには、売上も必要です。
暮らしていくためには、収入も必要です。
誰かを雇い、場所を守り、活動を続けていくためには、現実的な数字から目をそらすことはできません。

けれど、深く話を聞いていくと、IKIGAIを持っている人の中心には、お金や肩書きだけでは説明できないものがあります。

それは、守りたいものです。
そして、未来へ 残したいもの です。
土佐和紙と向き合う井上みどりさんの人生には、その感覚が強く流れています。
井上さんは、最初から和紙の世界にいた人ではありません。
長い間、会社員として働き、家庭を守り、母として、妻として、社会人として、目の前の役割を果たしてきました。
周りから見れば、きちんと生きている人生だったかもしれません。

それでも、井上さんの心の奥には、ずっと消えない問いがありました。
「ここは、本当に自分の居場所なのか」
「このままの人生でいいのか」
「自分が本当に命を使いたいものは、どこにあるのか」
その問いを抱えながら、井上さんは土佐和紙の魅力に出会います。

一枚の和紙に光が透ける。
手仕事の跡が残る。
自然の繊維が、人の手を通して、やわらかな表情を持つ。
その瞬間、井上さんはただ「きれいなものを見つけた」のではなかったのだと思います。

そこにあったのは、効率や大量生産では測れない価値でした。
人の手が入るからこそ残る温度。
時間をかけるからこそ宿る美しさ。
自然と人間が、対立するのではなく、静かにつながっている感覚。

井上さんが守ろうとしているのは、単なる商品としての和紙ではありません。
土佐和紙に宿る時間。
手仕事の感覚。
自然と人の関係。
そして、誰かが受け継がなければ消えてしまう日本の美意識。

そこに、井上さんのIKIGAIがあるのだと思います。

お金になるからやる。
肩書きになるから続ける。
有名になれるから挑戦する。
そういうものではなく、
「これを残したい」
「これを未来に渡したい」
「この価値が消えてしまうのは、あまりにも惜しい」
という想いが、井上さんを動かしている。
だから井上さんの仕事には、ぶれない強さがあります。

もう一人、永野文博さんの物語にも、「残したいもの」があります。
永野さんは企業や人の価値をどう社会につなげていくかを考え続けている人です。
ビジネスの世界では、どうしても数字が先に見られます。
けれど永野さんが見ているのは、数字の手前にある 人の想い です。

なぜその会社が存在しているのか。
なぜその人は、その事業を続けているのか。
どんな仲間と、どんな未来をつくりたいのか。
ただ売れるだけではなく、どんな価値観を共有する人たちと歩んでいきたいのか。
永野さんが掲げる「バリュービレッジ」という考え方には、ただ事業を伸ばすだけではない、人と人が価値観でつながる場をつくりたいという想いがあるように感じます。

それは、単なるビジネスマッチングではありません。
条件だけでつながる関係ではなく、
損得だけで切れる関係でもなく、その人や企業が持っている思想、熱量、原点に共鳴した人たちが集まる場所。
そんな場をつくること。
永野さんが残したいのは、商品やサービスだけではなく、人が人としてつながる文化なのだと思います。
AIが進み、効率化が進み、情報がどんどん速く流れていく時代だからこそ、
人間の感覚や、直感や、信頼や、関係性の価値がより問われていく。
その中で、企業がただ売上を追うだけではなく、
自分たちの価値をどう表現し、誰とつながり、どんな未来をつくるのか。
永野さんは、そこに向き合っているのだと思います。

井上さんと永野さん。
一見すると、まったく違う世界にいる2人です。
井上さんは、土佐和紙という手仕事の世界にいる。
永野さんは、企業や事業づくりの世界にいる。
けれど、深く見ていくと、2人の奥にあるものは似ています。

それは、目の前のお金や肩書きだけではなく、
このままでは失われてしまうかもしれない価値を、未来へ残そうとしていることです。
井上さんは、土佐和紙に宿る手仕事と日本の美意識を残そうとしている。
永野さんは、人や企業が価値観でつながる文化を残そうとしている。
IKIGAIを持つ人は、ただ自分が成功したいだけではありません。

自分が受け取ってきたものを、次の誰かへ渡したい。
自分が大切だと感じた価値を、未来に残したい。
自分の人生を使って、何かを守りたい。
その想いがあるから、困難があっても続けられるのだと思います。

IKIGAIを見つけたいときは、
「自分は何で稼げるか」だけではなく、
「自分は何を守りたいのか」
を問い直してみることが必要なのかもしれません。

肩書きがなくなっても、残したいものは何か。
お金にならなくても、なぜか気になってしまうものは何か。
自分がいなくなった後も、未来に渡したい価値は何か。
その問いの先に、自分のIKIGAIの輪郭が見えてくることがあります。

井上みどりインタビュー記事
永野文博インタビュー記事

共通点5|理解されなかった選択の中に、IKIGAIの種が眠っている

IKIGAIを持っている人の人生を聞いていると、必ずと言っていいほど、どこかに 「理解されなかった選択」 があります。
周囲から反対された道。
安定を手放した決断。
誰にもわかってもらえなかった挑戦。
「なぜそんなことをするのか」と言われた一歩。
その時代には早すぎて、すぐには評価されなかった取り組み。

けれど、不思議なことに、あとから人生を聞き直していくと、その理解されなかった選択の中にこそ、その人のIKIGAIの種が眠っていることがあります。
たとえば、西耕一さんの物語には、理解されにくい選択がありました。

西さんは、日本人作曲家の作品に光を当て続けてきた人です。
多くの人が知っている有名な曲や、すでに評価された音楽だけではなく、まだ十分に知られていない日本人作曲家の作品を掘り起こし、世に出していく。

それは、すぐに大きな収益になる仕事ではなかったかもしれません。
わかりやすい成功が見える道でもなかったかもしれません。
周囲から見れば、「なぜそこまでやるのか」と思われるような道だったかもしれません。
けれど西さんにとって、それは放っておけないことでした。

誰かが残さなければ、消えてしまう音楽がある。
誰かが見つけなければ、埋もれたままになる作品がある。
誰かが届けなければ、未来の人たちが出会えない日本の音がある。
西さんの記事では、「誰もやらないなら、僕がやる」という覚悟や、「音楽が消えてしまう未来」への危機感が語られています。さらに、伊福部昭さんの音楽を“音楽として”聴いてほしいという想いから、ゴジラ音楽のコンサートへと挑戦していきます。

それは、単なる音楽イベントではありませんでした。
誰も演奏しなかった音を、もう一度舞台に戻すこと。
サブカルとして扱われてきた音楽の中にある、本物の文化価値を見つけ直すこと。
日本人が生み出した音を、未来へ残すこと。

評価されるかどうか。
すぐに広まるかどうか。
お金になるかどうか。

それだけでは測れない価値がある。
西さんの選択は、短期的には理解されにくかったかもしれません。
けれど、人生を聞き直していくと、その選択の奥には、はっきりとしたIKIGAIがあります。
それは、失われてしまうかもしれない日本の音を、未来へ手渡すことです。

もう一人、小川三郎さんの人生にも、理解されにくい選択があります。
小川さんは、佐賀県多久市で地域復興に取り組む市議会議員です。
けれど、その人生は一度、大きく断ち切られました。
2018年、地元のお祭りの片付け作業中に起きた事故で、小川さんは記憶を失います。半年間動けず、目覚めたときには親の顔すらわからない状態だったと記事では描かれています。医師からは「運転も難しい」「話すことも難しい」と告げられたほどでした。

普通なら、そこで人生を諦めてしまってもおかしくありません。

過去がわからない。
自分が誰だったのかもわからない。
できることも限られている。
周囲からも、もう元のようには戻れないと思われていたかもしれない。

けれど小川さんは、そこで立ち止まりませんでした。
記憶を失ったからこそ、過去に縛られず、未来を見た。
支えてくれた人たちの「頑張れ」という声を受け取り、もう死なない、やりたいことをやると決めた。
そして、15年勤めたケーブルテレビ会社を辞め、「多久未来プロジェクト」を立ち上げ、市議会議員にも立候補していきます。
その選択も、周囲から見れば理解されにくかったかもしれません。

事故で記憶を失った人が、なぜ町の未来を背負おうとするのか。
なぜ安定した会社を辞めてまで、地域復興に挑むのか。
なぜ「何もない」と言われ続けた町を、そこまで信じようとするのか。
小川さんにとって多久市は、ただの地元ではありませんでした。

自分が倒れたときに支えてくれた人たちがいる場所。
過去を失っても、もう一度生きる力をくれた場所。
「何もない」と言われながら、本当は誰も伝えきれていない魅力が眠っている町。
小川さんは、過去を失ったからこそ、未来を信じ直したのだと思います。

それは、誰にでもすぐ理解される選択ではなかったかもしれません。
人生を聞き直すと、その選択の奥には、小川さんのIKIGAIが見えてきます。
それは、自分を支えてくれた町の未来を、今度は自分が支えることです。

西さんと小川さん。
2人の道はまったく違います。
西さんは、消えかけていた日本の音楽文化を未来へ残そうとしている。
小川さんは、過去を失った経験を越えて、町の未来を信じ直そうとしている。
2人には共通点があります。
それは、周囲にすぐ理解されなくても、自分の中にある問いを手放さなかったことです。

「なぜこれが大切なのか」
「なぜ自分はこれを放っておけないのか」
「なぜこの道を選んでしまうのか」
その答えは、選んだ瞬間にはわからないことがあります。

むしろ、進んでいる途中では迷う。
理解されずに傷つく。
結果が出ずに苦しむ。
自分でも、本当にこの道でよかったのかと問い続ける。
そして、人生を語り直したとき、はじめて見えてくることがあります。

あの選択は、間違いではなかった。
あの遠回りには、意味があった。
理解されなかったあの挑戦こそ、自分が本当に守りたかったものにつながっていた。

IKIGAIは、最初から周囲に歓迎される道にだけあるわけではありません。
ときには、理解されなかった選択。
反対された一歩。
時代に早すぎた挑戦。
誰にもわかってもらえなかった孤独な時間。
その中にこそ、その人のIKIGAIの種が眠っていることがあります。

だから、もしあなたの人生にも、周囲に理解されなかった選択があるなら。
「あれは失敗だった」と、簡単に片づけなくていいのかもしれません。

なぜ、自分はその道を選んだのか。
なぜ、そこまでして続けたかったのか。
なぜ、誰に理解されなくても手放せなかったのか。
その問いをもう一度見つめたとき、あなたの人生の中にあったIKIGAIの種が、見えてくるかもしれません。

西耕一インタビュー
小川三郎インタビュー

 IKIGAIは、人生の中にすでに眠っている

ここまで、1000名以上の人生に触れてきた中で見えてきた、IKIGAIを持つ人の5つの共通点をお伝えしてきました。
IKIGAIの始まりは、必ずしも「好きなこと」ではありません。
消えなかった違和感。
遠回りや挫折。
誰かの笑顔や「ありがとう」。
お金や肩書きの奥にある、守りたいもの。
そして、理解されなかった選択。

一見すると、それぞれはバラバラの出来事に見えるかもしれません。
しかし、その人の人生を深く聞いていくと、過去の出来事が少しずつ一本の線でつながっていく瞬間があります。

あの違和感があったから、今の仕事につながった。
あの挫折があったから、人の痛みに気づけるようになった。
あの「ありがとう」があったから、もう一度頑張れた。
あの守りたいものがあったから、困難があっても続けられた。
あの理解されなかった選択があったから、自分だけの道が見えてきた。

IKIGAIは、何もない場所から突然生まれるものではありません。
すでに歩んできた人生の中に、種のように眠っているものです。
大切なのは、その種に気づくこと。
そして、自分の人生をもう一度見つめ直すことなのかもしれません。

自分のIKIGAIについて考えてみる

ここまで読んでくださったあなたに、最後にひとつだけ問いを渡したいと思います。
私のIKIGAIは何だろうか。

すぐに答えが出なくても大丈夫です。
はっきりした言葉にならなくてもいい。
仕事や使命のような、大きなものにならなくてもいい。

ただ、少しだけ立ち止まって考えてみる。

自分は何に違和感を持ってきたのか。
どんな遠回りをしてきたのか。
誰の笑顔が忘れられないのか。
何を守りたいと思ってきたのか。
誰に理解されなくても、手放せなかったものは何か。
それを、今日ほんの少しだけ考えてみる。

もしかすると、答えは出ないかもしれません。
何者にもならないかもしれません。
明日から急に人生が変わるわけでもないかもしれません。

それでも、自分の人生について考える時間には、美しさがあります。
効率や成果だけでは測れない、
人間らしさがあります。

IKIGAIは、無理に探し出すものではありません。
人生を聞き直したときに、ふと見えてくるものです。
ここまで言ってなんですが、なくたっていいんです。

私のIKIGAIは、何だろうか。
その問いを持つこと自体が、自分の人生をもう一度、大切に扱うことなのかもしれません。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

他のコラムを見る