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学校の外にも、居場所はつくれる——“できない子”だった元SEが、地域を学び場に変えるまで
龍崎 明信 株式会社テラコ
学校の外に、若者の居場所と学びをつくる人
神奈川県横須賀市
学校の外にも、居場所はつくれる——“できない子”だった元SEが、地域を学び場に変えるまで
あなたは、学校や会社の評価だけで、自分の価値を決めてしまったことはないだろうか。
勉強ができる子、言われた通りに動ける人、集団の中で器用に立ち回れる人、組織の中で求められた役割を間違えずに果たせる人。社会はそういう人を「できる人」と呼ぶ。
けれど、その評価の外側で、自分を責め続けている人がいる。ちゃんとやりたいのに、うまくできない。頑張っているのに、周りと同じように進めない。好きなことはあるのに、それが評価される場所がない。そうしていつの間にか、自分は「できない人間」なのだと、心の奥で決めつけてしまう。
龍崎明信さんも、かつてその一人だった。
勉強が得意ではなかった。学校の評価軸にうまくはまれなかった。好きだったものづくりの感覚も、決められた枠の中ではだんだん苦しくなっていった。高校で出会った情報技術に救われ、やがてSEとして働くようになったが、会社員としての生き方の中で、また同じ苦しさにぶつかった。
「すごく辛かったです」
現在、龍崎明信さんは株式会社テラコの代表取締役として、地域と学びをつなぐ活動をしている。学校の外にある人、場所、仕事、課題、そして関係性を、若者たちの学びの場へと変えていく。地域を舞台にしたワークショップや、学生と地域をつなぐプログラムを通して、若者が自分の役割や可能性に出会える機会をつくっている。
龍崎さんがつくろうとしているのは、学校や会社の評価軸だけでは見えなかった人の可能性が、地域の中で息を吹き返す瞬間である。
自分はできない。自分には価値がない。自分の居場所はどこにもない。そう感じてきた人が、もし学校の外で、会社の外で、地域の中で、誰かに必要とされる経験をしたら。もし、自分の特性や好きなことが、誰かの役に立つと知ることができたら。人は、もう一度、自分を信じられるのではないか。
龍崎さんは、自分自身が居場所を探し続けてきた人だった。
だからこそ今、誰かの居場所をつくる側に立っている。
これは、“できない自分”を抱えてきた一人の元SEが、地域と学びをつなぎながら、若者たちの可能性にもう一度光を当てていく物語である。
第1章|「できない子」だった自分を抱えて——評価されない少年が守った小さな創造性
龍崎さんの原点には、学校という場所で感じた痛みがある。それは、誰かに激しく傷つけられたというより、日常の中に染み込むような痛みだった。
勉強ができない。言われた通りにできない。学校が求める形に、自分をうまく合わせられない。
点数や通知表は、いつの間にか「自分はどういう人間なのか」という自己認識に変わっていった。
「勉強できる子しか評価されない風潮があったんですよね。自分は結局、勉強ができない子なんだなっていうのを知ってしまう。それがだんだん自己認識になってしまったんです」
学校で評価されないことは、そのまま「自分はできない」と感じることにつながってしまっていた。
「自分は、できない人間なんだ」
誰かに直接言われなくても、自分で自分に貼ってしまうラベル。
そのラベルは、心に深く残っていた。
一方で、龍崎さんには好きなこともあった。プラモデル、工作、自分で何かをつくる時間。それは、学校の勉強とは違った。誰かに一方的に正解を決められるのではなく、自分の手を動かしながら、目の前のものが少しずつ形になっていく。その時間だけは、自分のままでいられた。
「プラモデルとか、自分で何かをつくる工作系がすごく好きでした。そういうのをやっている時が、自分の世界に入れて、自己肯定感を保てていた時間だったのかもしれません」
自分の手で何かをつくっている時だけは、自分を少し信じられた。
ただ、その好きなことも、やがてまた別の枠に入れられていく。小学生の頃は、自由につくることができた。だが、中学校の美術になると「こうつくらなければならない」という決まりが出てくる。自由だったはずのものづくりにも、評価の基準が入ってくる。その通りにやらなければ評価されない。
自分をはめていくこと。決められた枠に合わせていくこと。本当はそこにあるはずの自分の感覚が、少しずつ窮屈になっていくこと。龍崎さんの人生の問いは、この頃から始まっていた。
人の価値は、本当に学校の評価だけで決まるのか。「できる」とは、誰が決めるのか。好きなことや、自分の感覚は、どこで活かされるのか。まだ言葉にはならなかったその問いは、やがて彼を次の場所へ連れていくことになる。
第2章|好きなことなら、学びは苦しくなかった——情報技術が開いた最初の扉
高校受験は、思うようにはいかなかった。龍崎さんは、自分で「失敗した」と振り返る。
その失敗の先にあった高校には、専門的なコースがあった。
そこで出会ったのが、ITだった。コンピューター、情報技術。それは龍崎さんにとって初めて、「勉強」という言葉の意味を変えてくれるものだった。
それまで勉強とは、興味のないものをやらされるものだった。国語、数学、理科、社会。決められた内容を覚え、テストで点を取り、評価される。その世界の中で、龍崎さんはずっと苦しんできた。
しかし、情報技術は違った。自分がもともと興味を持っていたものが、教科書に載っている。テストに出る。学ぶ対象になっている。その体験は、龍崎さんにとって大きかった。
「自分の興味のあるものが、勉強になってもいいんだって知ったんです」
龍崎さんは、情報関係の成績だけは良かったという。
好きなことなら、自分にもできる。興味があることなら、学び続けられる。自分の中にも、評価される力がある。その実感は、小さくなっていた自己肯定感を少しずつ回復させていった。
高校で情報技術を学び、推薦で情報系・工学系の大学へ進む。受験勉強を必死に突破したというより、自分の好きな領域が道を開いてくれた。そして大学でも、情報系の勉強を続ける。
「コンピューター系の勉強をしていたので、そういう業界に行くんだろうなと、なんとなく思っていました」
自然な流れだった。好きなものに出会い、それを学び、仕事にしていく。学校の評価軸に苦しんだ少年が、得意な分野を見つけ、SEとして社会へ出ていく。
だが、会社という場所に入ったとき、彼はもう一度、あの頃の苦しさと向き合うことになる。
「できない自分」の呪縛から逃げられなくなっていく。
第3章|好きで選んだはずの場所で、自分を失った——SE12年の劣等感と“機能”になる痛み
SEとして働き始めた龍崎さんは、すぐに違和感を覚えた。高校や大学で学んできた情報技術。自分が興味を持ち、得意だと感じられた分野。その延長線上にある仕事のはずだった。それなのに、会社に入ると、龍崎さんの中にはまた中学時代の感覚が戻ってきた。
「会社時代は、中学みたいな感じになったんですよね」
言われたことがうまくできない。人の話を聞き続けることが難しい。会社の中に入ってしまうような生き方が、どうしてもできない。
1年目、2年目、3年目。新人として必死にやっているつもりでも、なかなか自分の中に「できるようになった」という感覚が生まれない。後から新しい人たちが入ってくる。その人たちが、どんどん仕事を覚えていくように見える。自分だけ、新人感が抜けない。
「周りが全部できる人に見えてしまって、自分はできないなと感じていました」
それは、学生時代の劣等感が戻ってくるような時間だった。
得意だと思っていた領域で、また自分ができないと感じる。
好きなことなら大丈夫だと思っていたのに、そこでも苦しくなる。
龍崎さんは、その現場で12年間働いた。
自分ができないのではないかという思いが強いほど、そこから抜け出すことにも勇気がいることだった。
誰かがすでにやっていることをやると、どうしても比べてしまう。そして、その誰かの方が優秀に見える。それなら、誰もやっていないことをやる。
「他のメンバーがやらないような仕事や領域に、あえて進んでいた時期がありました」
そこには、龍崎さんなりの生き残り方があった。比較される場所では、自分の力が出せない。だったら、比較されない場所を探す。誰もまだ役割を持っていない領域に入る。そこで、自分が必要とされる場所をつくる。
「誰かがやっているものだと、どうしても比べてしまうんです」
やがて、その領域は少しずつ確立されていく。その仕事といえば龍崎さん、というように頼られる場所ができていく。初めて、自分の存在意義を感じられるようになる。しかし、それで全てが解決したわけではなかった。
組織の中で働く以上、人と人の事情を調整しなければならない。あの人はこう言っている。この人はこう言っている。どちらの意見をまとめればいいのか。まとめればまとめたで、また別のコメントが来る。そのやり取りが、だんだん辛くなっていった。
第4章|ニュースの向こうに、自分の問いがあった——不登校・いじめ支援と、教える喜びの発見
SEとして働き始めて数年が経った頃、龍崎さんは教育に関するニュースに心を奪われるようになった。とくに、いじめのニュースだった。
誰かが学校の中で苦しんでいる。自分の居場所を失っている。評価される場所も、安心できる関係もなく、ひとりで追い詰められている。そのニュースを見たとき、龍崎さんの中で何かが動いた。
「いじめのニュースを見たときに、すごく自分の中でそっちが気になっていたんです」
自分にも何かできないかと思ってしまう。
そして龍崎さんは、ボランティア団体に関わるようになる。それは、不登校、ひきこもり、いじめといったテーマに向き合う団体だった。立ち上げたのは、横須賀の教育委員会に関わっていた元先生。横須賀でかなり早い段階から、不登校問題に取り組んできた人だった。
龍崎さんは、そこに見学へ行き、手伝うようになった。会社員として働きながら、土日はボランティア。決して楽な生活ではなかったはずだ。それでも続いたのは、そこに会社とは違う手触りがあったからだ。
市民活動、大人が参加できる文化祭のような企画、みんなで集まり、実行委員会をつくり、場を動かしていく時間。そこでは、自分が動いたことが、そのまま活動になった。誰かから決められた役割をこなすだけではなく、自分で考え、自分で動き、挑戦できる感覚があった。
「ここは、自分がやったことが仕事になったり、自分に挑戦できている感覚があったんです」
不登校やひきこもりの当事者、その保護者、支援者。さまざまな人と出会う中で、龍崎さんの問題意識は、少しずつ具体的なものになっていく。そんな時期に、もう一つの出会いがあった。プログラミング教育である。
当時、プログラミング教育が注目され始めていた。情報技術を学んできた自分なら、何かできるかもしれない。そう思っていた龍崎さんは、ある日、市民センターでいつものようにボランティア団体のミーティングに参加していた。隣の部屋で、子どもたちを集めたイベントをしている団体があった。耳を澄ませると、どうやらプログラミングのようなことをしている。
龍崎さんは思った。これだ、と。
終わった後、その団体のところへ行き、自分の名刺や資料を渡した。今度見学させてください。そんなふうに声をかけた。
「このチャンスは逃すわけにはいかないなと思いました」
ずっと探していたものに、ようやく触れた。頂上はまだ見えない。けれど、登る山がそこにあると感じた。
翌週、龍崎さんはその人のもとへ見学に行き、次の週から一緒に教えるようになった。
その人は、個人事業として子どもにプログラミングを教えていただけでなく、療育にも関わっていた。
やがて、児童発達支援と放課後等デイサービスの施設を横須賀につくる流れが生まれる。
龍崎さんは、サラリーマンを辞め、フルタイムでその現場に入る。最初は事務のようなことをするのかと思っていた。だが、現場では人が足りない。
気付けば、指導員として子どもと直接関わるようになる。
資格の必要性も出てきて、保育士の勉強もした。
龍崎さんにとって、それは初めての子どもの仕事だった。自分が子どもと関われるとは、まったく思っていなかった。小さな子どもが家族にいたわけでもない。子どもと接するイメージもなかった。
実際にやってみると、楽しかった。
1時間、その子と向き合う。何かを伝える。何かを経験してもらう。その時間が、その子の未来に少しでもつながっていく。龍崎さんは、そこで強い実感を得る。
「自分の時間を使ったら、その子の人生の可能性が出てくるんだって思ったんです」
自分のために時間を使えば、自分が幸せになれる量には限界がある。
誰かのために時間を使い、その誰かの可能性が広がっていけば、幸せは広がっていく。
龍崎さんは、その仕事をこう表現した。
「こんなにタイパが良い仕事はないなって思いました」
自分の1時間が、誰かのためになる。自分の時間が、目の前の子どもの未来に変わっていく。その実感に、龍崎さんは強いやりがいを感じた。
美しいことばかりではなかった。1対1の療育は、心身ともに大きな負荷がかかる。利用者が増え、夏休みなどには回数も増える。指導員の数が増えるわけではない中で、龍崎さんは一時的に何人もの子どもを見ることになり、倒れた。原因不明の症状が出て、「これは過労ではないか」と感じるほどだった。
やりがいがある。でも、倒れるほど大変でもある。想いだけでは続かない。仕組みがなければ、人も場も続かない。龍崎さんは、その現実にも直面していく。それでも、この時期に得たものは大きかった。
子どもと関わること。人の可能性が開く瞬間に立ち会うこと。自分の時間を誰かの未来に使うこと。それは、龍崎さんにとってIKIGAIの入口だった。学校で評価されなかった自分、会社で苦しんだ自分、そのすべてが、目の前の子どもと向き合う時間の中で、少しずつ別の意味を持ち始めていた。
そして龍崎さんは、次に考えるようになる。学校ではない学びの場をつくりたい。その思いが、やがて会社設立へとつながっていく。
第5章|学校の外にも、居場所はつくれる——地域ソンとテラコが残す未来
龍崎さんの中には、ずっと「学校ではない学びの場をつくりたい」という思いがあった。
ボランティア団体で活動を続けながら、龍崎さんはその思いを形にしようとしていた。だが、ちょうどその頃、コロナが起きる。それまで使っていた市民センターが使えなくなった。人が集まる場をつくることが難しくなった。
そこで龍崎さんは、オンラインで始めることにした。それが、テラコの前身となる「テラコ学校」だった。
学びたい人が集まり、それぞれのテーマで学びをつくっていく。誰かが一方的に教えるのではなく、集まった人たちが自分の関心を持ち寄り、学びを育てていく。
「学校じゃない学びの場をつくりたいと、漠然と思っていました」
その漠然とした思いが、少しずつ形になっていく。オンラインで集まる人が増えた。そこからさらに、龍崎さんは地域へと学びを広げたいと考えるようになる。大学生を横須賀に呼べないか。地域を舞台にしたワークショップができないか。
その時、龍崎さんの同級生が、地元で収穫体験を行う会社をやっていた。
そこで、学生たちが収穫体験を企画し、お客さんに出せるようなプログラムをつくる産学連携の企画を考えた。
知り合いの大学の先生がいて相談してみると、「うちのゼミで参加しよう」と言ってくれた。
こうして、大学生が横須賀に来るプログラムが始まった。
最初から完成された事業だったわけではない。龍崎さん自身も、先がすべて見えていたわけではなかった。ただ、自分の問題意識、ボランティアでの経験、プログラミング教育、療育、地域とのつながり。それらが少しずつ結びついていった。いや、結びついたというより、龍崎さん自身が結びつけていった。
年に1回のペースで続き、やがて2泊3日の合宿型にも変わっていく。学生が地域に入り、地元の人と出会い、課題に触れ、考え、企画をつくる。学校の外にあるリアルな社会と出会う。そこには、龍崎さんがずっと探してきたものがあった。
学校の中だけで完結しない学び。一人ひとりの興味や特性が、地域の中で役割に変わっていく時間。若者が「自分にも何かできるかもしれない」と感じられる機会。
やがて、大学との契約のために法人格が必要になる。個人事業主では契約できない。一般社団法人にするか、合同会社にするか。迷いながらも、龍崎さんは株式会社という形を選んだ。2024年9月、株式会社テラコを設立する。
それは、きれいな理想だけでできた決断ではなかった。事業として続けるには、お金が必要になる。これまでやってこなかったことも、やらなければならない。想いがあっても、続かなければ意味がない。残すためには、事業にしなければならない。龍崎さんは今、その難しさの中にいる。
どれだけ形が変わっても、変えたくないものがある。
「学生さんたちの成長につながることは、やめたくないですね」
この言葉に、テラコの芯がある
「学校という範囲を超えて、自分の居場所をつくれるんだっていう感覚を持ってほしい」
学校の中だけが社会ではない。会社の中だけが居場所ではない。自分を評価するものさしは、一つではない。一歩外に出れば、自分を必要としてくれる人がいるかもしれない。自分の興味や特性が、誰かの役に立つ場所があるかもしれない。地域は、その出会いが起きる場所になり得る。
今まであまり自分の意見を言わなかった子が、少し意見を伝え始める。人の話を聞いていられなかった子が、別の生徒の話を聞けるようになる。大学生が地域の人と関係をつくり、プログラムが終わったあともその場所へ足を運ぶ。そういう変化に、龍崎さんは強く心を動かされる。
ある地域ソンでは、大学生が横須賀の学習支援や居場所支援を行う団体の子どもたちと関係性をつくった。そして、地域ソンとは関係なく、その団体のところへ遊びに行くようになった。
龍崎さんは、その出来事をこう受け止めていた。
「地域と関係性をつくってくれたことが、地域ソンで一番すごかった変化だと思います」
学びがイベントで終わらなかった。関係性として残った。地域の中に、若者の新しい接点が生まれた。それこそが、龍崎さんのつくりたいものなのだ。
そして、龍崎さんにとってのIKIGAIを尋ねると、こう語ってくれた。
「僕にとってのIKIGAIは、若者と直接接する時間の中にあるんだと思います。教えられるなんて思っていなかったんですけど、今はむしろ、これが自分なんじゃないのかなとすら思える時間になってきています」
かつて、自分が子どもと関われるとは思っていなかった。学校の評価軸の中で自信を失い、会社の中でも“できない自分”と向き合い続けてきた。それでも今、目の前の若者が少しずつ自分の言葉で話し始める瞬間に、龍崎さんは自分の場所を感じている。
その原点には、療育の現場で得た実感がある。
「自分の時間を使ったら、その子の人生の可能性が出てくるんだって思ったんです」
自分の時間を、誰かの可能性のために使うこと。
若者が地域と出会い、自分の居場所を見つけていく瞬間に立ち会うこと。
学校の中では見えなかった力が、地域の中で少しずつ動き始めること。
それが、龍崎明信さんにとってのIKIGAIだった。
かつて、学校の中で自分をできない子だと思った。
会社の中で自分を見失った。
その後、誰もやらない領域に進み、なんとか自分の居場所をつくってきた。
その龍崎さんが、今、若者たちに伝えようとしている。
あなたの価値は、学校の成績だけでは決まらない。
あなたの可能性は、会社の評価だけでは測れない。
あなたには、まだ出会っていない場所がある。
あなたを必要としてくれる人が、必ずいる。
龍崎明信さんは、かつて自分が探し続けた居場所を、
今度は若者たちの未来に手渡そうとしている。
IKIGAIに乗せて。
あとがき
龍崎さんの話を聞きながら、私は「人を決めつけること」の怖さを感じていた。
勉強ができない。
言われた通りにできない。
周りと同じように進めない。
会社の中でうまく立ち回れない。
それだけで、人は「できない人」と見てしまう。
そしてもっと怖いのは、周りからそう見られ続けるうちに、自分自身まで「自分はできない人間なんだ」と信じてしまうことだ。
人の価値はそんなもので決まってしまうのだろうか。
本当は、その人に合う場所にまだ出会っていないだけかもしれない。
その人の力が活きる環境が、まだ用意されていないだけかもしれない。
誰かがその人の可能性を、まだ信じきれていないだけかもしれない。
龍崎さんの人生は、そのことを教えてくれる。
人は、ありのままの自分を信じてくれる人が現れた瞬間、自分の価値を感じられるのかもしれない。
「あなたには可能性がある」
「あなたのままで、関われる場所がある」
「学校や会社の外にも、あなたを必要としている人がいる」
そう信じてくれる人がいるだけで、人はもう一度、自分を信じてみようと思える。
そして、自分の価値を感じられた人は、今度は誰かのために進んでいける。
龍崎さんがつくろうとしているのは、まさにその循環なのだと思う。
若者が地域と出会い、自分の言葉で話し始める。
誰かと関係性をつくり、学校の外にも居場所があると知る。
その経験が、次の一歩になる。
あなたは、誰かを「こういう人だ」と決めつけていないだろうか。
そして、自分自身のことも、どこかで決めつけてしまっていないだろうか。
人は、環境や出会いによって、もう一度自分を信じ直せる。
そして誰かに信じてもらえた経験は、いつか誰かを信じる力に変わっていく。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師









