- ホーム
- IKIGAIを持つ者たち
- 山中智貴 株式会社KOKU

仲間がいるから、未来へ行ける——23歳が地方に掲げた、挑戦の旗
山中智貴 株式会社KOKU
仲間と地方の未来へ旗を掲げる人
神奈川県横浜市
仲間がいるから、未来へ行ける——23歳が地方に掲げた、挑戦の旗
あなたにとって、一番大切なものは何だろうか。
お金だろうか。
時間だろうか。
肩書きだろうか。
それとも、誰かに認められることだろうか。
株式会社KOKU 代表取締役・山中智貴さんは、その問いに迷わずこう答えた。
「一番大事なのは、仲間じゃないですかね」
23歳。
大学卒業の直前に会社を登記し、AI、DX、Web制作を通じて地方企業の支援に挑む若き経営者である。
福島で生まれ、経営者である父と祖父の背中を見て育った。
小学校1年生で東日本大震災を経験し、街が変わっていく姿を見た。
親元を離れた高校時代にはバスケットボールに打ち込み、大学では数百人規模の学生イベントをつくった。
その歩みの中で、山中さんは「仲間とともに何かを動かす力」を身につけていった。
いま山中さんが見つめているのは、AIやWebの力を使い、地方企業の挑戦コストを下げることだ。
地方に残る価値を、未来へつなぐ。
仲間と夢を見たい。
仲間と売上をつくりたい。
仲間と飯を食いたい。
そしていつか、地方に戻りたい人が戻れる未来をつくりたい。
これは、仲間とともに自己実現を分かち合い、地方の未来へ火を灯そうとする一人の青年経営者の物語である。
そしてあなたに、
「誰と未来へ行きたいのか」
を問いかける物語でもある。
第1章|父は地元に残った——福島で見た、経営者の背中
山中さんは福島県で生まれた。
父は、金属加工の製造業を営む経営者だった。
もともとは祖父が創業した会社で、父は二代目として会社を継いでいた。
幼い山中さんにとって、父や祖父は遠い存在ではなかった。
経営者という生き方は、テレビの中の特別な誰かではなく、家の中にある日常だった。
会社を持つ。
人を抱える。
仕事を守る。
地域の中で事業を続ける。
そうしたことが、幼い頃から自然に目の前にあった。
「そこに行くのが当たり前だなと思っていました」
山中さんは、経営者になることを特別な夢のようには語らない。
むしろ、父と祖父の背中を見ながら、「そういうものだ」と受け取っていた。
その日常は、小学校1年生の時に大きく揺らぐ。
東日本大震災である。
山中さん自身に直接大きな被害があったわけではない。
それでも、船が陸に上がり、祖父母の家が流され、身近な地域では亡くなった人もいた。
子どもながらに、「この先、大丈夫なのか」と感じた。
震災後、地域には復興の空気が流れた。
みんなで頑張っていこう。
地元に貢献しよう。
この街を、もう一度立て直そう。
そんな空気があった。
一方で、山中さんの心の中には、外の世界へ出たいという思いもあった。
田舎の狭いコミュニティに収まるのではなく、人の多い場所へ行きたい。
もっと広い世界を見たい。
震災後、山中さんは母と姉とともに、一時的に北海道のニセコへ避難した。
その間、父は地元に残り、仕事を続けていた。
「僕たちが北海道に行っている間、父は地元で一人残って仕事をしていました」
家族を避難させ、自分は地元に残る。
会社を守り、仕事を続ける。
その姿を、山中さんは「めちゃくちゃかっこよかった」と振り返る。
事業を守るとは、そういうことなのだ。
地域に残るとは、そういうことなのだ。
経営者とは、逃げられないものを背負う人なのだ。
小学校1年生の山中さんが見た父の背中は、言葉ではなく、生き方として残った。
山中さんは幼少期の自分を「一匹狼タイプ」だったと振り返る。
あまのじゃくで、人の話を素直に聞くタイプではなかった。
先生の話も、表向きは真面目に聞いている。
ただ、本当のところでは、自分の頭で考えていた。
大人に言われたから動くのではない。
自分で納得した道を選びたい。
その感覚は、のちの人生の選択にもつながっていく。
家業をそのまま継ぐのではなく、自分で外に出る。
就職する前に、自分で起業してみる。
失敗しても、自分で選んだ道なら前に進める。
震災で見た地域の現実。
父が地元に残って働き続けた姿。
そして、自分の人生は自分で選びたいという性格。
山中さんの中には、早い段階から二つの火があった。
地元への思い。
そして、外の世界へ出たい衝動。
その両方が、この先の人生を動かしていく。
第2章|地元を離れて知った、やり切る力——バスケが鍛えた根性と実行力
山中さんは、外へ出たい気持ちも強かった。
きっかけの一つは、姉の存在だった。
姉は陸上に打ち込み、福島県内でも上位に入るほどの選手だった。
より高いレベルで競うため、地元を離れて進学することになる。
山中さんも、その姿に影響を受けた。
人が多い場所へ行きたい。
レベルの高い環境に身を置きたい。
外の世界を知りたい。
高校は、地元から車で3時間ほど離れた場所を選んだ。
親元を離れ、一人暮らしをしながら通うことになる。
地元を捨てたわけではない。
外に出て力をつけ、いつか還元する。
その感覚が、少しずつ芽生えていった。
高校時代、山中さんはバスケットボールに本気で打ち込んだ。
進学した高校は、スポーツに力を入れている学校だった。
部活動はかなり厳しかった。
合宿では、朝6時に起き、7時から練習が始まる。
昼に短い休憩を挟み、午後も練習。
夜にも練習がある。
体力的にも精神的にも、簡単な環境ではなかった。
「本当に、何度も吐きそうになるくらいきつかったです」
そう笑いながら話すほど、過酷な時間だった。
それでも、山中さんは楽しかったという。
全国へ行きたい。
仲間と結果を出したい。
本気でやるからこそ、見えてくるものがある。
ここで学んだのは、根性だった。
継続力だった。
量をこなした上で、質を求める感覚だった。
さらに、練習メニューは高校生たち自身で組んでいた。
目標を決める。
その目標に対して行動を組み立てる。
実行し、改善する。
それは、のちに事業をつくる上でも必要になる力だった。
「継続しないと見えてこない部分ってあると思うんです。初めに量をこなした上で質を求める。目標をまず決めること、それに向けた行動と実行力は学べたと思っています」
この言葉には、山中さんの人生の進み方がにじんでいる。
いきなり正解を探すのではない。
まずやる。
量をこなす。
そこから見えてきたものを、少しずつ質に変えていく。
山中さんは、大きな挫折をあまり感じたことがないという。
それは、失敗してこなかったという意味ではない。
失敗を、挫折として止めてこなかったということだ。
自分で決めた道だから、失敗しても自分の責任。
ならば、次に活かせばいい。
挫折がないのではない。
挫折で止まらない。
その強さは、高校時代の厳しい環境で培われた。
親元を離れて暮らすこと。
自分の生活を自分で回すこと。
厳しい練習の中で、仲間と同じ目標へ向かうこと。
理不尽に感じることがあっても、目の前の行動を止めないこと。
山中さんの中で、外の世界へ出ることは、ただ地元を離れることではなかった。
外で負荷をかけること。
自分を鍛えること。
いつか戻れる力をつけること。
地方への思いは、まだ言葉にはなっていなかったかもしれない。
それでも、この時期に身につけた実行力は、後のKOKUの土台になっていく。
第3章|会社に愚痴を言う前に、自分でやってみたかった——大学で始まった実践の時間
高校卒業後、山中さんは神奈川大学へ進学した。
田舎から横浜へ出た。
人も多い。
面白い場所もたくさんある。
大学1年生の頃は、よく遊んだという。
高校時代は部活ばかりだった反動もあった。
ただ、流されて大学生活を送っていたわけではない。
山中さんには、学生中に起業したいという目標があった。
その理由が、就職すれば、会社に属することになる。
会社に入れば、上司や会社に対して不満を持つこともあるだろう。
「もっと上司はこうした方がいい」
「会社はこういう働き方にした方がいい」
「給料をもっと上げてほしい」
もし普通に就職していたら、自分もそういう愚痴を言う側になっていたかもしれない。
山中さんは、そう感じていた。
だからこそ、先に自分で事業を起こしてみたかった。
経営の難しさを知った上で会社に入るなら、きっと見方が変わる。
もし事業がうまくいかずに就職することになっても、経営者の大変さを知っていれば、本気で会社に貢献できる。
「事業を起こした経験がないまま企業に属しても、本当に自分はサラリーマンでいいのか、という思いを払拭できないと思っていました。だったら、先に自分で会社を起こしたり、事業を立ち上げる経験をしたかったんです」
この考え方の根底には、父の存在があった。
経営者である父を見てきた。
その大変さも、かっこよさも知っていた。
だからこそ、自分も一度やってみたかった。
家業を継ぐという選択肢も、なかったわけではない。
しかし、山中さんはすぐにその道を選ばなかった。
製造業をやりたいのか。
地元に残って、それを自分の人生として選びたいのか。
そこにはまだ、自分の中で答えがなかった。
だから、まずは自分で事業をやってみる。
その上で、家業に興味を持つなら戻ればいい。
就職するなら就職すればいい。
大学在籍中に挑戦したのは、ブログとアフィリエイトだった。
独学でWebを学び、検索1位を取り、数千円から数万円ほどの収益も出した。
だが、山中さんはそこで気づく。
いま自分が活かすべきなのは、画面の中だけではなく、大学という人が集まる環境そのものではないか。
そこで目を向けたのが、サークルだった。
大学2年生の春。
新入生歓迎会の時期に、山中さんはバスケサークルを大きくしようと動き出す。
ブースで待っているだけではダメだ。
とにかく声をかける。
呼びかけの量を増やす。
学生が「入りたい」と思う空気をつくる。
LINEオープンチャットには2日間で約300人が集まり、新歓イベントにも多くの学生が参加した。
気づけば体育館に入りきらず、週に2回に分けて開催するほどの規模になっていた。
それは、単なるサークル運営ではなかった。
人を集める。
人を動かす。
場をつくる。
仕組みにする。
営業であり、マーケティングであり、組織づくりだった。
サークル運営で手応えをつかんだ山中さんは、さらに大きな挑戦へ進んだ。
神奈川大学のバスケサークルという枠を超え、学生イベントを立ち上げる。
専門学校生、他大学の学生。
さまざまな学生を巻き込み、オフラインイベントをつくった。
チームメンバーは、リファラルで約50人。
2か月に1回の頻度でイベントを開催し、最大で400人から500人ほどを集客した。
売上は最大で約500万円規模になった。
学生のうちに、数百人規模の人を集める。
チームをつくり、動かす。
売上をつくる。
それは、山中さんにとって大きな実践の場だった。
山中さんは、経営に必要なものをこう捉えている。
営業力。
マーケティング力。
組織マネジメント力。
個人の営業力だけが伸びても、それを仕組みに落とし込めなければ意味がない。
人を動かし、チームで成果を出す必要がある。
学生イベントは、そのすべてを学ぶ場所だった。
「学生ですけど、50人規模をマネジメントして、売上を作っていったというのは、まさに事業そのものだったと思います」
仲間と何かをつくる。
仲間と結果を出す。
一人ではできない規模のことを実現する。
山中さんの「仲間」という価値観は、この時期に深まっていった。
第4章|一番大事なのは、仲間——売上も夢も分かち合う経営へ
山中さんに、人生において一番大事にしている価値観を聞いた。
返ってきた言葉は、シンプルだった。
「一番大事なのは、仲間じゃないですかね」
山中さんの言う仲間は、友人だけではない。
一緒にご飯を食べる人。
一緒に売上をつくる人。
一緒に夢を見て、現実も背負う人。
クライアントも、その輪の中に含まれている。
山中さんにとって経営とは、ただ売上を上げることではない。
誰かを養い、誰かと飯を食い、同じ方向を向いて技術を磨き続けることだ。
「会社経営においても、結局、誰かを養うじゃないですけど、家族レベルで見るというところが一番大事だと思っています」
まだ23歳。
だが、その言葉には不思議な重みがあった。
理念だけでは続かない。
お金だけでも、人はついてこない。
一緒に夢を見て、一緒に現実も見る。
その両方を背負うものとして、山中さんは経営を捉えている。
「夢を共有する仲間がいて、それが寄与するだけじゃなくて、結局は売上で自分たちはご飯を食べる仲間じゃないですか」
仲間と理想を語る。
仲間と売上をつくる。
仲間と飯を食う。
その感覚が、山中さんの原動力になっている。
大学後半には、ショート動画制作、SNS運用、広告代理店でのマーケティング、AI・システム開発のインターンへと経験を広げていった。
もともとエンジニアだったわけではない。
SNSやマーケティング、学生時代のオフラインイベントが出発点だった。
そこから独学とインターンを通じて、AIやシステム開発の領域へ入っていった。
そして、山中さんの中で一つの課題意識が生まれる。
地方には、まだWebやDXが行き届いていない。
魅力ある会社がある。
技術を持った企業がある。
地域に根ざして頑張っている人がいる。
しかし、それが十分に伝わっていない。
デジタルの力を使いきれていない。
AIやDXの恩恵が、地方の中小企業まで届いていない。
山中さんは、自分の知識を地方に還元できないかと考えた。
Z世代の目線。
マーケティングの経験。
AIやシステムの知識。
そして、地元への思い。
それらが重なり、株式会社KOKUの創業につながった。
登記したのは、大学卒業の約2週間前。
実質的には、卒業直前の学生起業だった。
KOKUでは、Web制作やAI/DX支援、業務効率化ツールの開発などを行っている。
だが、山中さんの中で大事なのは、技術そのものを見せびらかすことではない。
AIを使えることがすごいのではない。
AIを使って、誰の何を楽にするのか。
Webをつくることが目的ではない。
そのWebによって、どんな会社の挑戦が前に進むのか。
そこに、山中さんのまなざしがある。
若いから挑戦できる。
若いから新しい技術を使える。
それも確かにある。
だが、山中さんの軸はそこだけではない。
父の背中を見て、経営者の責任を知った。
高校時代に、仲間と目標へ向かう力を身につけた。
大学時代に、人を集め、チームを動かし、売上をつくる経験をした。
AIの現場に入り、地方へ還元できる可能性を見つけた。
そのすべてが、いまの山中さんにつながっている。
「仲間」という言葉は、綺麗ごとではない。
一緒にご飯を食べる人。
一緒に売上をつくる人。
一緒に夢を見る人。
一緒に現実を背負う人。
山中さんにとっての経営は、その仲間を増やしていく営みなのだ。
第5章|100万円を5万円にする意味——地方企業の挑戦コストを下げる
KOKUの取り組みの中でも象徴的なのが、低価格でホームページを制作するモデルである。
山中さんは、これまで100万円かかっていたようなものを、AIを活用することで5万円で提供できるようにしたいと考えている。
それだけ聞くと、単なる価格破壊のように見えるかもしれない。
既存の制作会社にとっては、脅威に見えるかもしれない。
だが、山中さんの目的は、価値を安売りすることではない。
「今まで100万円使っていたところが5万円で済めば、95万円余るじゃないですか。それを他のものに当てられると思っていました」
地方企業にとって、100万円のWeb制作費は大きい。
もちろん、しっかり投資できる会社もある。
しかし、すべての会社がそうではない。
本当はWebを整えたい。
採用も強化したい。
業務効率化もしたい。
でも、最初の一歩にかかる費用が重い。
その結果、挑戦そのものを後回しにしてしまう会社もある。
いい技術があるのに、伝わらない。
いい人がいるのに、採用できない。
地域に必要な会社なのに、デジタルの入り口で止まってしまう。
山中さんは、そのハードルを下げようとしている。
AIを使って制作費を下げることは、地方企業が次の挑戦に使えるお金を残すことだ。
そのお金で、人を採用できるかもしれない。
新しい事業に挑戦できるかもしれない。
Web制作は、目的ではない。
地方企業が未来に向かうための入り口である。
山中さんには、今後やりたいことがある。
それは、地方にアプローチし続けること。
そして、Uターンを増やすことだ。
「Uターンを増やしてあげたいですね、地方に」
自分自身が福島で育ち、外に出た。
外の世界で学び、経験を積んだ。
だからこそ、地方に戻る選択肢の大切さも感じている。
父の会社を、将来誰が引き継ぐのか。
地元の企業を、誰が守っていくのか。
都会に出た若者が、地元に戻って事業を起こせる状態をどうつくるのか。
山中さんは、そこに関心を持っている。
そのためには、山中さん自身も力をつけなければならない。
組織規模。
資金力。
技術力。
営業力。
仲間。
一つひとつ積み上げながら、地方に還元できる会社をつくっていく。
山中さんの会社は、まだ始まったばかりである。
今は一人からのスタートだ。
そこに顧問が入り、業務委託の仲間が加わり、少しずつ組織が形になっていく。
そしていつか、地方に戻りたい人が戻れる未来をつくる。
地元で挑戦したい人が、挑戦できる環境をつくる。
地域に残る会社が、AIやWebの力で次の時代へ進んでいく。
若さとは、まだ誰も見ていない未来へ手を伸ばせる力でもある。
山中さんは、その力を自分だけの成功に使おうとしていない。
仲間とともに。
地方企業とともに。
そして、いつか地元へ戻る誰かのために。
今日もまた、地方の未来を動かす一歩を積み重ねている。
あとがき
「一番大事なのは、仲間じゃないですかね」
この言葉が、ずっと胸に残った。
私はこの言葉を聞きながら、自分の弱さを見ていた。
経営をしていると、どこかで「自分が頑張ればいい」と思ってしまう。
自分が動けばいい。
自分が背負えばいい。
自分が結果を出せばいい。
そうやって前に進んでいるつもりで、気づけば一人で未来へ行こうとしている時がある。
でも、本当に未来は、一人でたどり着く場所なのだろうか。
一人で見た夢は、どこかで自分だけの夢になる。
一人で背負った現実は、いつか孤独になる。
一人で掴んだ成功は、分かち合う相手がいなければ、薄れてしまうかもしれない。
山中さんは、そこを自然に見ていた。
仲間と夢を共有する。
仲間と売上をつくる。
仲間と飯を食う。
仲間と現実を背負う。
人を巻き込むということは、その人の人生を預かるということ。
仲間と飯を食うということは、夢だけでなく、責任も分け合うということ。
私は、山中さんの言葉を聞きながら、経営とは「誰と未来へ行くか」を決めることなのだと感じた。
何をやるか。
どこでやるか。
いくら稼ぐか。
もちろん、それも大切だ。
でも、その前にある問いがある。
誰と行くのか。
誰と苦しみたいのか。
誰と笑いたいのか。
誰と飯を食いたいのか。
誰と未来を見たいのか。
人は、誰と未来へ行くかで、自分の命の使い道が決まる。
山中さんの「仲間」という一言には、福島で見た父の背中も、震災後の街の記憶も、外へ出て自分を鍛えてきた時間も、仲間と場をつくってきた経験も流れていた。
山中さんが地方に掲げた旗は
「一人で勝つのではなく、仲間と未来へ行く」という生き方の宣言だ。
あなたは、誰と未来へ行きたいだろうか。
誰と飯を食い、誰と夢を語り、誰の人生を背負いたいだろうか。
そして、あなたの持っている力は、誰の未来のために使われるべきなのだろうか。
人生は、一人で勝ち上がるものなのか。
それとも、誰かと未来へ行くために、自分の力を使うものなのか。
その問いの中に、私たち自身のIKIGAIが眠っている。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師







