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自分に光を当てる人生から、人に光を当てる人生へ——不動産で誰かの「助けて」に応える女性の歩み
槌井洋子 日本移住ライフスタイルコンシェルジュ
日本移住ライフスタイルコンシェルジュ
広島県広島市
自分に光を当てる人生から、人に光を当てる人生へ——不動産で誰かの「助けて」に応える女性の歩み
誰もが、自分らしく生きられる社会をつくるために。
住まいに困った人が、ひとりで立ち尽くさなくていいように。
離婚や貧困、相続、老後、災害、海外からの帰国など、人生の節目で居場所を失いそうになった人が、もう一度安心して暮らしを立て直せるように。
不動産を、誰かの人生を立て直す力に変えようとしている槌井洋子さんは、住まいに困る人をひとりにしないため、不動産に関わる女性たちと支え合いの団体づくりに向けて歩みを進めている。
目指しているのは、ただ物件を紹介する場所ではない。
住まいのことを相談できる人がいる。
相続や法律、行政手続きにつながれる人がいる。
困った時に「ここに相談すれば、何かが動き出す」と思える場所がある。
そんな、人と人が支え合う拠点をつくることだ。
槌井さんは言う。
「自分に光を当てるんじゃなくて、人に光を当てる仕事がしたい」
その言葉は、きれいな理想だけで生まれたものではない。
様々な人たちとの出会い、葛藤、挫折の中で育まれていった。
不動産は、家を売る仕事ではない。
ただ物件を紹介する仕事でもない。
人がどこで生きるのか。
どこで立ち直るのか。
どこに帰る場所を持つのか。
その人生の土台に関わる仕事である。
これは、自分に光を当てようとしてきた一人の女性が、人生の後半で「人に光を当てる」ことへ向かっていく物語だ。
誰かの「助けて」に、不動産という自分の力で応えようとする、プロフェッショナルの歩みである。
そして、私たちにも問いを残してくれる。
あなたは、自分の力を何に使うのか。
第1章:稼がなければならなかった少女時代——「守るために強くなる」という原点
槌井洋子さんは、奈良県で生まれ育った。
ひとつ上には姉がいた。
その姉は、体も弱く、気も弱く、泣いて帰ってくることもあったという。
幼い槌井さんにとって、姉の存在は大きかった。
「この人は、守ってあげなければいけない」
そう感じていた。
それは、幼い子どもが持つ優しさというよりも、もっと切実な感覚だったのかもしれない。
目の前に、守らなければいけない人がいる。
弱い人がいる。
傷ついて帰ってくる人がいる。
だから、自分が強くならなければならない。
槌井さんは、自分の幼少期について「ちょっと屈折して強くなってしまった」と振り返る。
家庭にも、余裕があったわけではなかった。
父は朝早くから働き、夜遅くまで帰ってこない。
母も身体が強い方ではなく、長い時間働けるわけではなかった。
家のことは母が担い、父は仕事のあともなかなか帰ってこない。
幼い槌井さんの中には、早い段階で現実的な問いが生まれていた。
姉妹は途方にくれていた。
姉は泣いてばかりいて、自分には力がないから側で寄り添うことしかできない。
「この負のループを、どうやって越えたらいいのだろう」
豊かになりたい。
稼げるようになりたい。
このままではいけない。
その思いは、きれいな夢というよりも、生き延びるための感覚に近かった。
女性が稼げる仕事は何か。
奈良にいては難しい。
ならば大阪へ出よう。
そうして槌井さんは、大阪へ向かう。
当時の槌井さんが求めていたのは、まず「お金」だった。
自分が生きていくため。
弱いままではいられないから。
いくつかの会社を見た中で、ひときわ印象に残った会社があった。
大阪・本町にあった不動産デベロッパーだ。
受付の雰囲気、会社の大きさ、動いているお金の大きさ。
そのすべてが、槌井さんには「ここなら稼げるかもしれない」と映った。
不動産の世界は、大きなお金が動く。
人生の中でも大きな決断に関わる。
そこに、槌井さんは飛び込んだ。
最初から、誰かを救いたかったわけではない。
まずは、自分が生きていくこと。
弱さに飲まれないこと。
けれど、今振り返れば、その原点にはすでに、今の槌井さんにつながるものがあった。
槌井さんの物語は、華やかな夢から始まったのではない。
「稼がなければ」
「強くならなければ」
「生きるすべを確立しなければ」
その切実さから始まっている。
そしてその切実さこそが、後に昇華され「生涯、自分ができることで誰かを助けたい」という哲学へと変わっていく。
第2章:自分を証明したかった大阪時代——お金、評価、そして見えない孤独
大阪に出た槌井さんは、不動産デベロッパーで働き始める。
しかし不動産の仕事は、決して簡単ではなかった。
開発の現場では、市役所との打ち合わせも、 近隣住民への説明、会社の代表として前に立たなければならない場面もある。
新入社員でありながら、地域開発に関わり、ライフラインの打ち合わせや近隣対応を任されたこともあった。
そこには、会社の利益があり、開発側の論理があり、そして住民側の感情があった。
建物を建てたい会社。
建てられることに不安を抱く地域の人たち。
その間に立つ槌井さん。
会社の人間として説明する以上、相手にとっては自分も「敵」になる。
どれだけ丁寧に話しても、どれだけ仲良くしたいと思っても、立場が違えば、簡単には分かり合えない。
その時、槌井さんは自分の力不足を感じたという。
だが、それは単に交渉がうまくいかなかったという意味ではない。
実際には、仕事としては進んだ。
しかし、槌井さんの中には問いが残った。
会社のためにはなった。
でも、地域のためにはなったのだろうか。
住民の人たちにとって、本当に良かったのだろうか。
自分は、誰のためにこの仕事をしていたのだろうか。
この問いは、すぐに答えになるものではなかった。
若い頃の槌井さんにとって、不動産は「稼ぐための仕事」だった。
大きなお金が動く世界に入り、自分の力を試す。
女性であっても、前に出る。
厳しい現場にも向き合う。
できない自分を感じながらも、それでも食らいつく。
その姿は、強かった。
ただ、その強さの奥には、孤独もあったのだと思う。
女性が会社の代表として前に立った時に向けられる視線。
若い女性だからこそ受ける冷たさ。
立場の弱さ。
会社の論理と、地域の人の感情の間で揺れる苦しさ。
建築知識の乏しさと人をまとめる器の難しさ。
その経験は、槌井さんの中にひとつの感覚を残した。
成果を出すことと、人の役に立つことは、本当に同じなのだろうかと。
第3章:家族、会社、評価の中で生きた時間——できるのに、満たされない理由
その後、槌井さんは結婚し、子どもを授かり、旦那さまの仕事で広島へ転勤
子育てが始まると、働き方も変わる。
実家を離れ慣れない土地での、子育て生活がはじまる。
不動産業界は、火曜・水曜休みの会社も多い。
しかし子どもがいると、土日に休める仕事でなければ難しい。
その現実の中で、槌井さんは不動産の現場から一度離れていく。
広島では、税理士事務所やハウスメーカー、橋梁メーカーなどで働いた。
橋梁メーカーでは、社員が転勤する際の宿舎探し、現場事務所探しなど、社内の不動産部のような役割も担った。
さらに、得意の経理分野でシステム化されていない業務を整理し、効率化し、業務改善で表彰された。でも、、、
仕事は面白かった。
やりがいもあった。
評価もされた。
現場の方々のためになることで、社内を改善していった。
それでも、槌井さんの心には、だんだん虚しさが積もっていった。
なぜだろうか。
仕事ができなかったからではない。
業務を改善すれば、会社は良くなる。
社員の役にも立つ。
仕組みが整い、効率も上がる。
評価もされる。
しかし、それはあくまで会社のためだった。
世の中で本当に困っている人に届いているのだろうか。
住まいに悩んでいる人に寄り添えているのだろうか。
人生の途中で立ち止まっている人の伴走者になれているのだろうか。
私が大切にしているものは何だろうか。人生で嬉しいと感じることとは。
槌井さんは、会社員という大きな枠の中で働くことの限界を感じていった。
会社のためには動ける。
会社の中の人のためには役に立てる。
たが、困っている人に、直接手を伸ばすことは難しい。
だれかの「ありがとう」に携わりたい。
何故だかわからないけど、猛烈に誰かに必要とされたい。
槌井さんは、次第に思うようになる。
私は本当は、誰かの人生にもっと直接関わりたいのではないか。
住まいの悩みを解決し、その人の人生に寄り添いたいのではないか。
家を売って終わり、借りてもらって終わりではなく、その人の人生を長く見ていける人になりたいのではないか。
その時、槌井さんの中でひとつのモデルが浮かんだ。
アメリカの不動産エージェントである。
日本では、不動産会社の担当者に頼むことが多い。
会社の名前で選び、その時の担当者に対応してもらう。
一方アメリカでは、「この人に頼む」という考え方がある。
家を買う時に信頼したエージェントに、次も頼む。
子どもが家を買う時も、同じ人に頼む。
その人のライフプランに長く関わる。
同じ不動産でも、やっていることは違う。
物件ではなく、人に頼む。
会社ではなく、人に人生を預ける。
槌井さんは、そこに強く惹かれた。
自分も、そういう人でありたい。
この時にこの人がこうだったから、次はこうした方がいい。
この家族には、こういう暮らし方が合う。
この人には、こういう支援が必要かもしれない。
住まいを軸に、人生に寄り添う人でありたい。
評価される人生と、納得できる人生は違う。
槌井さんは、会社員としてできることを積み重ねながらも、心の奥ではずっと、自分の力の使い道を探していた。
第4章:災害の前で感じた無力さ——不動産は、命と暮らしを守る仕事だった
槌井さんの中にあった問いを、さらに強くした出来事がある。
広島で起きた土砂災害だった。
同じ県内で多くの人が被害に遭った。
槌井さんはボランティアに向かった。
そこで自分にできたのは、土砂をスコップで運ぶことだけだった。力もなく役に立ってるのかどうか、自信がない
ただ、力になりたいと思った
私の出来ることで、出来る方に、出来る範囲で
けれど槌井さんの中には、別の悔しさが残った。
自分には、不動産の知識がある。
土地のことを考える力がある。
住まいのことを考える力がある。
危険なエリアや、暮らしのリスクについて考える視点もある。
それなのに、災害の前で、その力を十分に使えなかった。
「この土地の安全性についての認知はどの程度だったのか」
「他県からの移住の土地勘はどうなっていたのか?不動産知識の程度は?」
「安心して暮らせる場所を案内するナビゲーターのような存在が必要なのではないか」
そんな思いが、槌井さんの中に残った。
不動産とは、売買や賃貸だけの仕事ではない。
人がどこに住むのか。
その土地にどんなリスクがあるのか。
その家で安心して暮らせるのか。
それは、命と暮らしに関わる仕事でもある。
さらにその後、家の近くで陥没事故が起きた。災害のため、長く工事は続いている。
力になりたくて、派遣で手伝った。
でもそこで見たのは、苦しむ建設会社の現実だった。
何かが起きた時、自分は何ができるのか。
困っている人に、どう手を差し伸べられるのか。本当に動けるのか。
災害への危機感は、槌井さんの中で眠っていた使命感を呼び起こしていった。
「早く不動産業に戻らなければ」
そう思った。
ただ、槌井さんがたどり着いた答えは、災害時だけの話ではなかった。
災害が起きなくても、住まいに困っている人はいる。
海外在住で日本に住所がなく、保険証もなく、病気になって困る人がいる。
一人では賃貸保証が通らず、住まいを借りられない人がいる。
離婚後、家を借りることに苦労する女性がいる。
親が亡くなり、空き家をどうすればいいのか分からない人がいる。
高齢になり、住まいの選択肢が狭まっていく人がいる。
働いていても収入が十分でなく、安心して暮らせる場所を持てない人がいる。
そういう人たちは、実はたくさんいる。
行政に行けば、時間がかかる。
どこに相談すればいいか分からない。
不動産会社に行っても、条件が合わなければ断られる。
専門家に相談しようにも、誰に何を聞けばいいのか分からない。
その時に、間に立てる人がいたらどうだろうか。
住まいのことは自分が見る。
行政書士、税理士、弁護士など、必要な専門家につなぐ。
自分ができないことは、できる人に頼む。
でも、最後まで面倒を見る。
槌井さんは、そんなあり方を思い描くようになった。
自分にできることは、不動産しかない。
でも、不動産ならできる。
「これしかできない」からこそ、「これで助けられるかも知れない」「お役に立てるかも知れない」
槌井さんにとって不動産は、物件を動かす手段ではなくなっていった。
それは、人の人生を受け止める器であり、
困っている人に差し出せる自分の専門性であり、
誰かの暮らしを守るための力だった。
住まいを整えることは、人の人生を守ること。
槌井さんの哲学は、ここで大きく深まっていく。
第5章:自分に光を当てる人生から、人に光を当てる人生へ
槌井さんには、もうひとつの時間がある。
自分に光を当ててきた時間だ。
美を競うコンテストの大会に出たこと。
モデル活動やイベント出演をしてきたこと。
自分を表現し、自分の存在を見せる場に立ってきたこと。

槌井さんもまた、そういう時間を過ごしてきた。
会社員として給料もあり、仕事もでき、自分は強いと思っていた時期があった。
自分、自分、自分。
そうやって走ってきた時間があった。
全て揃ってるし、持っている。
でも、、それだけじゃだめだ。
あるとき不思議な感覚が訪れる。
まるで憑き物が落ちたように。
「自分じゃない」
自分に光を当てることが、本質ではなかった。
自分の知名度を上げることも、本当は目的ではなかった。
人に光を当てた方が、人生はうまくいくのではないか。
そう感じるようになった。
その気づきには、若い頃の記憶も重なっている。
大阪で働いていた頃、槌井さんは疲れていた。
自分では「困っている」とは思っていなかった。
助けてほしいとも言っていなかった。
そこへ、知り合いの一人の女性が声をかけてくれた。
「今日夜家にきたら?」
最初は、なぜ呼ばれるのか分からなかった。
忙しいのに、何の用だろう。
おせっかいにも感じた。
それでも行ってみると、その女性は親子丼を作ってくれた。
「食べてみて、きっと美味しいから」
ただ、それだけだった。
その時の槌井さんは、素直に感謝できたわけではなかったかもしれない。
若かった。
余裕もなかった。
ひねくれた気持ちもあった。
けれど何十年も経って、その記憶がよみがえってきた。
あの時の食べた後の幸福感。そう、一生忘れられない食べ物の記憶。
切り抜きのワンシーンのような記憶。
あの時、自分は助けられていたのだ。
自分では助けてと言っていなくても、誰かが気づいてくれていたのだ。
おせっかいのように見えたあの優しさに、自分は確かに支えられていたのだ。
カラカラに乾いてた自分に少しの水をもらえた感覚。
約30年前の忘れられぬ記憶。忙しくて忘れてたけど深いところで覚えてた感覚。
槌井さんは、今でもその人に連絡をするという。高齢になられた恩人の近況を聞いて安心するという。
受け取った優しさは、その瞬間には意味が分からないことがある。
でも、時間が経ってから、人生の深いところで芽を出すことがある。
そして人は、受け取った相手にだけ返すのではない。
別の誰かに返していく。
槌井さんの中で、その記憶は今の活動へとつながっている。
誰かにとって、
「あの時あなたがいてくれてよかった」
と言われる人になりたい。
それが、今の槌井さんの願いになっている。
現在、槌井さんは女性たちとつながりながら、不動産を軸にした支援の形を模索している。
女性が安心して入れるシェアハウス。
困った人を一時的に受け入れられる拠点。
不動産に関わる女性たちが、それぞれの強みを持ち寄るネットワーク。
セミナーや相談ができる場所。
お茶を飲みながら、誰かの困りごとを誰かの専門性につなげられる場所。
誰かは融資に強い。
誰かは建物に詳しい。
誰かは法律や相続に詳しい。
誰かは人を集められる。
誰かは話を聞ける。
一人ですべてを背負う必要はない。
それぞれが「これはできる」を持ち寄れば、社会はもっと優しく回るのではないか。
槌井さんは、そう考えている。
最終的には、困っている人を受け入れられる物件を持ちたい。
「いいよ、ここに入っていて」と言える場所を作りたい。
その人が立ち直り、次へ進み、いつかその子どもまでまた関わるような、長く人生を見られる関係を作りたい。
それは、不動産エージェントであり、人生の伴走者でもある。
もちろん、まだ構想段階のものもある。
物件も探している。
法人の形も、融資も、運営体制も、これから詰めなければならない。
すべてが完成しているわけではない。
不思議なことに、必要な人との出会いも増えている。
同じように何かをやりたい女性たちと出会う。
不動産の世界で挑戦する女性と共鳴する。
「私もそんなことをやりたい」と言う人が現れる。
まるで、人生のパズルが急に揃い始めたように。
槌井さんは言う。
このタイミングでなければ、全部は揃わなかったのだと。
子育てが一段落してきたこと。
会社員としての経験を積んだこと。
不動産の知識があること。
災害の前で無力さを感じたこと。
人に助けられた記憶がよみがえったこと。
自分に光を当てる人生に、どこか区切りがついたこと。
そのすべてが重なって、今がある。
槌井さんにとってのIKIGAIは、
誰かに「ありがとう」と言われること。
「あの時あなたがいてくれてよかった」と思ってもらえること。
自分の得意な不動産で、誰かの人生の困りごとを少しでも軽くすること。
そして、自分ではなく、人に光を当てること。
かつて槌井さんは、自分に光を当てることで、自分の存在を確かめようとしていた。
その光は別の方向を向いている。
困っている誰かへ。
住まいを失いそうな人へ。
一人で家を借りられない女性へ。
相続や空き家で悩む人へ。
人生の途中で、誰に相談していいか分からず立ち止まっている人へ。
自分のために磨いてきた力は、誰かを照らすために使うことができる。
人生で受け取った優しさは、時間を越えて、別の誰かを照らす力になる。
それが、槌井洋子さんの今の歩みなのだ。

あとがき
槌井さんの話を聞きながら、私はずっと考えていた。
人は、何のために力を磨くのだろう。
稼ぐため。
認められるため。
家族を守るため。
自分の存在を証明するため。
私もそうだ。
自分のために生きる時期は、誰にでもある。
自分を守るために、強くならなければいけない時がある。
自分に光を当てなければ、立っていられない時もある。
槌井さんもそうだった。
自分に光を当てる場所にも立った。
だが、その時期にたくさんの人に助けられた。
自分が若い頃に受け取った優しさが、何十年も経ってから心に戻ってきた。
親子丼を作ってくれた、あの女性の記憶。
その時は、おせっかいに感じたかもしれない。
素直に受け取れなかったかもしれない。
自分が助けられていることに、気づいていなかったかもしれない。
でも、愛には時差がある。
受け取ったその瞬間には、意味が分からないことがある。
迷惑に感じることもある。
ありがたさに気づけないこともある。
それでも、その優しさは消えていない。
何十年も経ってから、自分の中で芽を出す。
そして今度は、別の誰かに向かって差し出されていく。
槌井さんの不動産への思いは、単なるキャリアの話ではない。
「私には不動産しかできない」
その言葉の中には、覚悟がある。
何でもできる必要はない。
すべての人を救える必要もない。
完璧な支援者である必要もない。
自分にできることを、誰かのために差し出す。
できないことは、できる人につなぐ。
それぞれが自分の強みを持ち寄る。
それだけで、救われる人がいる。
私は、槌井さんの話を聞きながら、自分自身にも問いかけていた。
自分の武器は、誰のために使うのか。
自分が磨いてきた力は、誰の「助けて」に応えるためにあるのか。
自分に集まった光を、誰に向けて差し出せるのか。
その光を誰かに向けられるようになった時、人生はもう一段深くなるのかもしれない。
槌井さんは今、不動産という仕事を通じて、誰かの人生に光を当てようとしている。
住まいに困っている人。
一人では進めない人。
行政や制度の前で立ち止まっている人。
誰に相談していいか分からない人。
自分では「助けて」と言えない人。
そういう人に向かって、そっと手を差し出そうとしている。
それは、派手な成功物語ではない。
完成された事業の話でもない。
でも、私はそこにこそ、IKIGAIの本質があると思う。
自分の人生で傷ついたこと。
悔しかったこと。
助けられたこと。
磨いてきたこと。
それらすべてを、次の誰かのために使おうとすること。
自分に光を当てる人生から、人に光を当てる人生へ。
槌井洋子さんの歩みは、その転換の美しさを教えてくれた。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師



