ペルーの富裕層が日本で汚物掃除? 言語の壁をぶち壊した「パッション」という最強のスキル

株式会社Ceci Educational Academy カルピオセシリア

CECI 園長

福岡県福岡市

ペルーの富裕層が日本で汚物掃除? 言語の壁をぶち壊した「パッション」という最強のスキル

 

「正解を選べば、後悔しない」

いつの間にか、私たちはそう信じるようになった。

失敗しない進路、安定した職業、周りが納得する人生設計。リスクを避け、傷つかないように、計算して生きる。合理的に考えれば、それが賢い選択だと誰もが言う。

確かに失敗は減る。恥をかくことも、どん底を味わうことも少なくなるだろう。

けれど、その分だけ——心が震えるような冒険も、想像もしなかった自分に出会う奇跡も、一緒に閉ざしてしまってはいないだろうか。

「導かれている方を信じれば、人生は動き出す」

カルピオ・セシリア。株式会社Ceci Educational Academy 創業者。
福岡を拠点に、英会話スクールから保育園、学童保育まで幅広く展開し、全国にフランチャイズを広げる企業だ。

彼女は常に、頭で考えた「正解」を捨て続けてきた。ペルーの裕福な家庭に生まれ、工学を学びながらも、家族全員の反対を押し切って地球の裏側へ飛んだ。言葉も仕事もない異国で、コンビニで汚物を掃除しながら「これは今だけ」と自分に言い聞かせた。

1年で日本語を習得し、公園でチラシを配って事業を築き上げた。しかし人生最大の成功の後、すべてを失う絶望が訪れる。うつ病、15キロの激痩せ、薬漬けの日々。それでも彼女は、また立ち上がった。

そして今、不思議なことが起きている。

すべての痛みが、誰かを救う力に変わり始めている。NPO法人の設立準備、薬に頼らない心のケア、200平米のスペースでの「心の教会」構想——自分の経験が、同じ苦しみを抱える人の希望になろうとしている。

これは頭で考えた「正解」ではなく、導かれる方を選び続けた女性の物語。

何度折れても立ち上がり、自分の痛みは人を救うエネルギーに変えてきたその生き方に、あなたはきっと、今抱えている苦しさの意味を問い直さずにはいられなくなる。

 

第1章|「危ない・だめ」を一度も言われなかった子ども時代

 

セシリアの実家は複数の会社を経営する裕福な家庭で、彼女はインターナショナルスクールに通い、英語とスペイン語を自在に操るバイリンガルだった。

そんな恵まれた環境以上に、彼女の人生を決定づけたのは独特な教育方針だった。

7歳のある日、運命を変える出来事が起きた。

いとこたち5人と山に登った時のこと。岩肌がむき出しの険しい斜面の頂上に、一本の小さな木が生えているのが見えた。

「あの木に触れたら勝ちね」

誰かがそう言った瞬間、セシリアは迷わず登り始めた。いとこたちが「怖い」「無理」と言う中、一人だけ頂上に辿り着き、目当ての木を掴んだ。

「やった!私が一番!」

その瞬間——手が滑った。

体は宙に投げ出され、岩場を転がり落ちていく。体操を習っていた彼女は、とっさに側転の動きで回転しながら落下した。

「パパ!」

駆けつけた父が、間一髪で彼女を受け止めた。奇跡的に骨折はなく、小さな擦り傷だけで済んだ。

奇跡的に骨折はなく、小さな擦り傷だけで済んだ。

普通なら「危険なことをするな!」と激怒する場面だろう。
しかし父は怒らなかった。それどころか、セシリアが大人になるまで「危ない」「だめ」「怖い」という言葉を使わなかった。

後に日本で、セシリアは父に尋ねた。

「どうして小さいころ、危ないとか怖いとかって言葉を使わなかったの?」

父の答えはシンプルだった。

「自分で経験した方が学ぶから。お前がやりたいことをやって、痛みを知る。それが一番の教育だと思った。だから見守っていた。もし落ちても、受け止められる場所にいればいい」

これは放任ではなく、徹底した「見守り」だった。子どもの挑戦を止めず、失敗する権利を奪わず、しかし最悪の事態だけは防げる距離にいる。

この教育方針が、セシリアの脳に強烈な前提を刻み込んだ。

失敗=学び

転んでも痛くても、それは「悪いこと」ではない。次はもっとうまくやればいい。だから何度でも挑戦できる。そして「あなたには無理」と言われると、逆に燃える性格が形成された。

日本に来て、公園で遊ぶ親子を見た時、セシリアは文化的な違いを感じた。「危ない!」「だめ!」という言葉が頻繁に飛び交う光景。それは子どもの安全を守る愛情表現でもあり、どちらが良い悪いという話ではない。

ただ一つ確実なのは、セシリアは「失敗してもいい」という絶対的な安心感を土台に育ったということだ。

 

第2章|全員反対の中で選んだ「地球の裏側」

 

大学で工学を学んでいたセシリアは、21歳のときに運命を変える出会いを果たす。

同じ工学部に通う青年。日本の苗字を持ち、見た目は完全に日本人だった。祖父母が100年以上前に日本からペルーへ移住した日系三世。ペルー生まれペルー育ちなのに、ラテン系の明るく感情豊かなクラスメイトたちとは全く違う。

静かで、落ち着いていて、何を考えているのか読めない。

「この人、面白いな」

セシリアの興味は一気に惹きつけられた。もっと知りたい。どんなことを考えているのか。そうして始まった2年半の交際は、彼女にとって初めての「理屈では説明できない感情」を教えてくれた。

そして卒業を迎えた24歳の春、彼が告げた。

「九州大学から奨学金のオファーが来た。1年間、福岡で勉強できる。一緒に来てほしい」

日本政府は当時、少子化対策の一環として海外に移住した日系人の子孫を呼び戻すプログラムを実施していた。彼はその対象者として選ばれたのだ。

セシリアに迷いはなかった。

「面白そうじゃない?行こう」

しかし、家族と親戚は全員が反対した。

「日本語もできないのに、どうするの?」
「工学の学位もある。ペルーで会社だって作れるのに」
「ついていくだけで、あなたは何もできない。家にこもるだけになる」

どの言葉ももっともだった。合理的に考えれば、ペルーに残る方が正解だ。裕福な実家の支援を受け、安定したキャリアが約束されている。言葉も通じない異国でゼロから始める理由なんて、どこにもない。

でも、セシリアの中では別の声が響いていた。

「私はチャレンジが好き。みんなが反対するなら、なおさら行ってみたい」

幼少期に培われた「無理と言われると燃える」性格が発動した瞬間だった。

決断したら行動は早い。彼が先に日本へ渡り、友人のツテで農業のアルバイトを紹介してもらえることになっていた。セシリアはペルーのホームセンターで稲刈り用の道具を買い揃え、スーツケースに詰め込んだ。

「これで働ける。頑張る」

希望と不安を胸に、地球の裏側へと飛び立った。

しかし、福岡に着いて数週間後、現実が牙をむいた。

農業の雇い主が困惑した顔で言った。

「セシリアさん、あなたは若くて賢い。工学を学んだんでしょう?こんな仕事、もったいないよ。やめた方がいい」

善意からの言葉だった。しかし、唯一のあてが消えた瞬間でもあった。

日本語は話せない。
コネもない。
スキルも資格も、日本では通用しない。

ノースキル・ノーコネ・ノージャパニーズ。

わざわざペルーから持参した稲刈り道具は、一度も使われることなく部屋の隅に置かれた。

7歳で崖から落ちても立ち上がった少女は今、言語も文化も何もかもが違う異国の地で、再び「落下」を経験していた。

今度は誰も受け止めてくれない、本当のサバイバルが始まろうとしていた。

 

 第3章|「Please, please」——言語ゼロで仕事をもぎ取る

 

農業の仕事を断られたセシリアは、すぐに次の行動に移った。友人が持ってきたタウンワークを片手に、片っ端から電話をかけ始める。

「すみません、外国人の友人がアルバイトを探しているんですが…」
「日本語話せる?」
「話せません」
「ああ、じゃあすみません」

ガチャン。何度も同じやり取りが繰り返された。

英語教師の求人にも応募した。

「私、英語ペラペラです。4歳からバイリンガルで」

しかし返ってきたのは冷たい現実だった。

「ネイティブスピーカーじゃないとダメなんです。ペルー出身だと…」

20年前の日本では、英語教師といえばアメリカ人、カナダ人、イギリス人。スペイン語が母語のペルー人は「本物の英語」として認められなかった。工学の学位も、多言語能力も、ここでは何の武器にもならない。

最後の望みをかけて、セブンイレブンの面接に向かった。

事前に想定問答をメモに書き出し、カンペとして袖に忍ばせた。

面接官のオーナーが質問する。

「お名前は?」
「カルピオ・セシリアです」

ここまでは良かった。

「希望のシフトは朝番?夜勤?」

セシリアは必死にメモを探すが、該当する答えが見つからない。焦ってまったく関係ない文を読み上げた。

「ペルーから来ました!」
「いや、そうじゃなくて…」
「主人は日本人です!」

完全にトンチンカンな受け答え。オーナーは頭を抱えた。
「この人、無理だな…」

その瞬間、セシリアの目から涙が溢れた。

もうダメだ。言葉が通じないだけで、何もできない。
それでも、諦めたくなかった。

涙を流しながら、必死に英語で訴えた。

「Please, please, I really want to work…」

両手を合わせ、掃除の動作を真似してみせる。その時、店の奥から英語ができる日本人スタッフが現れた。

「オーナーさん、通訳します。彼女、日本語はできないけど、本当に働きたいって言ってます。掃除でも何でもやるから、チャンスをくださいって」

オーナーはじっと考え込んだ。確かに日本語はできない。でも、ここまで必死に頼み込む人間を簡単に断れるだろうか。

長い沈黙の後、ため息まじりに言った。

「…1ヶ月だけ。ダメだったら辞めてもらう」

言語も資格もスキルもなかった。

でも彼女には「パッション」があった。それは言葉の壁を超え、人の心を動かす力を持っていた。泣きながら訴えるその姿に、オーナーは「この人なら何とかするかもしれない」と感じたのだ。

こうして、セシリアの日本でのサバイバルが正式に始まった。与えられた猶予は、たった1ヶ月。その先に何が待っているのか、まだ誰にもわからなかった。

 

第4章|「これは今だけ」——汚物まみれの床で立てた誓い

 

1ヶ月の猶予をもらったセシリアだったが、任される仕事は限られていた。

漢字が読めないため、レジ操作は不可能だった。商品名も賞味期限も理解できない。「中華まん10%引き」を「ちょかてん、ワイ、ビキです」と言ってしまい、オーナーにもお客さんにも笑われる。


しかし、いつしか彼女はスタッフたちにもお客さんたちにも愛される存在となっていった。

彼女の主な仕事は清掃だった。

毎日、マスクと手袋をして便器を磨く。床を拭く。言葉がいらない仕事。誰とも話さなくていい仕事。それでも文句はなかった。

「これが今、私にできること」

そして、あの日が来た。

ホームレスの男性が店に駆け込んできた。トイレに入り、しばらくして出て行った。その直後、店内に異臭が漂い始めた。

スタッフがトイレを確認し、悲鳴を上げた。

便器から床一面に広がる汚物。トイレを利用した男性は、汚れた下着をタンクに突っ込んで去っていた。さらに悪いことに、汚水が溢れ出し、店内の床にまで流れ込もうとしていた。

誰も近づこうとしない。全員の視線が一斉にセシリアに向けられた。

「担当は…セシリアさんだから」

この瞬間、セシリアの脳裏に父の顔が浮かんだ。

ペルーで複数の会社を経営する父。インターナショナルスクールに通わせてくれた父。日本行きも最終的には背中を押してくれた父。

その父が、今のこの姿を見たらどう思うだろう。

工学を学んだ娘が、異国の地で、ホームレスの排泄物を処理している。
涙が止まらなかった。
「オーナー、お願いします…誰か他の人に…」

しかしオーナーは首を横に振った。

「セシリアさん、あなたの担当だから、しょうがない。

マスクを二重にして、手袋を重ねて、完全防備で作業を始めた。

泣きながらモップを動かす。吐き気を必死に堪える。プライドが音を立てて崩れていく感覚。
その時、心のどこかから、もう一つの声が浮かんできた。

「これは今だけ。私の人生じゃない」

そう、これは通過点だ。ずっと続くわけじゃない。この屈辱も、この痛みも、いつか必ず意味を持つ日が来る。

「今だけ、今だけ、今だけ…」

呪文のように繰り返しながら、セシリアは作業を続けた。この言葉が、彼女のプライドを守る最後の砦だった。

コンビニで働きながらセシリアは自分の英会話教室の創業を進めていた。
コンビニのチラシには、マーケティングのすべてが詰まっていた。

「10%オフ」「期間限定」「今だけ」。

人を動かす言葉の使い方を、セシリアは全部吸収した。

1年後、彼女は日本語を話せるようになり、手作りのチラシを持って公園に立っていた。

「私、英語の先生です。子どもに英語を教えられます」

汚物まみれの床で誓った「これは今だけ」は、本当に「今だけ」で終わった。あの日の屈辱は、彼女の中で確かな力に変わっていた。どんな困難も「今だけ」と意味づけ直せる力。それが、これから先の人生で何度も彼女を救うことになる。

 

第5章|夫婦で掴んだ頂点と、そこからの転落

 

公園で配った手作りのチラシから始まった英会話教室は、セシリアの予想を超える勢いで成長していった。

自宅のアパートで始めた小さなレッスンは、すぐに満席となった。窓を掃除している最中に「うちの子に英語を教えてほしい」と声をかけられることもあった。セシリアはその場で体験レッスンを提案し、気に入ってもらえれば営業し、送迎まで引き受けた。

 そしてセシリアは先生であり、営業であり、ドライバーでもあった。

「あなた、全部一人でやってるんですか?」と驚かれることもあったが、セシリアは笑って答えた。「今はこれが一番楽しいから」

生徒数が増え続け、自宅では限界になった。テナントを借り、本格的な英会話スクールとしてスタートした。

ちょうどその頃、夫が九州大学を卒業した。当初の予定ではペルーに戻るはずだったが、セシリアの事業は順調に拡大しており、二人で相談した結果「もう少し日本で挑戦してみよう」となった。

役割分担は自然に決まった。セシリアが営業と教育カリキュラムを担当し、夫が経理と管理を担う。漢字が読める夫の存在は、事業運営において心強い支えだった。

個人事業から株式会社へ、そして全国展開へ。

2014年、会社を株式会社にするタイミングで、株式の話が出た。

代表取締役は夫が担い、セシリアは現場の責任者として子どもたちと向き合い続ける。事業は英会話スクールから保育園、学童保育へと拡大し、フランチャイズ展開で全国に教室を持つまでになった。

やがて3人の子どもにも恵まれ、まさに人生の頂点を迎えていた。

しかし、成功の絶頂期に、静かな亀裂が生まれ始めていた。

3人の子育てと事業の両立は、想像以上に過酷だった。次第にセシリアは「子育てに専念した方がいい」という判断をし、会社運営の多くを夫に任せるようになった。

毎日の子どもの送迎、料理、洗濯、掃除。気づけば、朝から晩まで家事と育児だけの日々になっていた。

「私は誰?洗濯機を回す人?」

汚物掃除を乗り越え、公園でチラシを配り、ゼロから事業を築いた女性は、一体どこに消えたのか。鏡に映る自分が、誰だかわからなくなっていった。

パッションが日々のルーティンの中で色あせていく感覚。

「私、ちょっとおかしいかもしれない」

夫に相談しても、お互いの忙しさの中で十分に向き合う時間が取れなかった。すれ違いは深まり、やがてセシリアは「少し距離を置きたい」と別居を決意した。クールダウンのための別居。関係を修復するための時間。

しかし、その決断が想像もしない展開を招くことになる。

別居中、25年間一緒に歩んできた夫婦関係は修復不可能なほどにこじれていった。

 

 

そして、ある日突然、すべてが変わった。

 

 

体重は15キロ減り、夜は眠れず、動悸が止まらない。メンタルクリニックで診断された病名は「うつ病」だった。

「生きている意味がない」

初めて、そう思った。

医師から処方された薬は1錠、2錠、3錠と増えていった。それでも症状は改善しなかった。「このまま死ぬかもしれない」——その恐怖が、彼女を支配した。

7歳で崖から落ちても立ち上がった少女。汚物まみれの床で「今だけ」と自分を励ました女性。すべてを乗り越えてきたはずのセシリアが、今度は心の底まで落ちていった。

築き上げた会社も、温かかった家庭も、自信に満ちた自分も、すべてが指の間からこぼれ落ちていくような感覚。

成功の頂点から、深い谷底へ。

しかし、この暗闇こそが、彼女が本当に果たすべき「使命」に気づくための、長く苦しい準備期間だったのだ。

 

第6章|薬を捨てて「脳の仕組み」と向き合う

 

どん底にいた時、セシリアの頭に一つの疑問が浮かんだ。

「なぜ私の脳は、こんな反応をしているんだろう?」

これまでなら「誰が悪い」「何が間違っていた」を考えていただろう。しかし今回は違った。工学を学んだ人間らしく、システムとしての「脳」に興味を持ち始めた。

「どうして不安になるのか」「なぜ心臓がバクバクするのか」——メカニズムを知りたくなった。

この思考の転換が、すべての始まりだった。

セシリアが選んだのは「チャイルドコーチングアドバイザー」の資格だった。自分のためだけではない。3人の子どもたち、そしてこれから出会うであろう子どもたちとその家族、特に女性が、同じような心の痛みを抱えた時、何かしてあげられる大人になりたかった。

 

 

 

 

学べば学ぶほど、すべてのピースがはまっていった。

不安、動悸、不眠——これらは脳の「防衛システム」だった。脳が「危険だ」と判断すると、戦闘モードに入る。心拍数を上げ、消化を止め、眠りを妨げる。

「私の脳は壊れていたんじゃない。必死に私を守ろうとしていたんだ」

空腹でお腹が鳴るのと同じ。感情は脳からの「お知らせ」に過ぎない。この理解が、セシリア自身への見方を根本から変えた。

さらに驚いたのは、幼少期の教育との関連だった。

父が「危ない」「だめ」と言わなかった理由。7歳で崖から落ちても怒らなかった理由。それは脳科学的に正しいアプローチだったのだ。

「失敗してもいい」という安全基地があったからこそ、セシリアの脳は「チャレンジ=危険」ではなく「チャレンジ=学習機会」として記憶していた。

一方で、「危ない」「だめ」を頻繁に聞いて育った子どもの脳は、新しいことを「危険信号」として処理してしまう。

コーチングを学ぶ過程で、もう一つの大きな気づきがあった。

これまでセシリアは、すべてを自分でコントロールしようとしてきた。来日も、仕事獲得も、会社経営も、すべて「自分の意志」で切り拓いてきた。

しかし今、何一つ思い通りにならない現実がある。

天気も、他人の心も、病気も、未来も——人間がコントロールできることなど、実はほとんどない。なのに「すべて自分で何とかしなければ」と思い込んでいた。

幼い頃から持っていた信仰が、戻ってきた。

科学と信仰——一見矛盾するこの二つが、セシリアの中で美しく統合された。

脳科学は「なぜそうなるのか」の仕組みを教えてくれる。
信仰は「すべてを委ねていい」という安心を与えてくれる。

どちらも真実だった。脳の仕組みを理解し、できることは行動し、結果は大きな力に委ねる。

そして、セシリアは新しい意味づけを手に入れた。

「これは今だけ」——あの日、汚物まみれの床で自分に言い聞かせた言葉。それは単なる自己暗示ではなく、脳科学的に正しいアプローチだった。

困難を「永続的な状態」ではなく「一時的な状況」として認識することで、脳の防衛システムを和らげることができる。

そして今、さらに深い意味づけが生まれた。

「この痛みは、誰かを救うために必要だった」

自分と同じように苦しんでいる人がいる。薬だけに頼るしかないと思い込んでいる人がいる。子どもの心のSOSに気づけない親がいる。

その人たちに、別の選択肢があることを伝えたい。脳の仕組みを理解し、感情を意味づけ直し、大きな力に委ねる方法があることを。

薬を辞めて、セシリアは確信を深めていった。

食事が喉を通るようになり、夜も眠れるようになった。鏡に映る自分が、少しずつ「本来の自分」に戻っていく。

うつ病という絶望は、セシリアに新しい武器を与えた。自分の痛みを、他人を救う力に変換する技術を。

人生最大の転落は、人生最大の使命への入り口だった。そしてその使命は、もうすぐ具体的な形を取ろうとしていた。

 

第7章|IKIGAI——「導かれる方」を選んで生きる

 

心身が回復してきた頃、ペルーの父から国際電話がかかってきた。
「セシ、帰っておいで。こっちで新しい会社を作ろう。孫たちの教育費も全部私が出すよ」

それは、あまりにも魅力的な「安全な港」だった。

家族、資金、人脈、母語——すべてがペルーにある。一方、日本には複雑な状況と回復途中の心身しかない。合理的に考えれば、帰国が100点満点の正解だった。

それでもセシリアは、すぐには答えを出さなかった。毎日静かな時間を作り、自分の内側に問いかけ祈り続けた。

そこで確信が生まれた。

「まだ日本にいなさい」

頭はペルーを選べと言う。でも魂は日本を指している。セシリアは、あえて茨の道を選んだ。

再び立ち上がった。

 

明確な目的があった。NPO法人の設立。自分のように苦しむ人たちに、薬以外の選択肢を届けたい。広いスペースを「心の教会」にする構想も具体化していった。心が疲れた人が安心して集まれる場所。
英会話スクールもコーチングを取り入れて更に本質的なアプローチをしていく。

「IKIGAIって何ですか?」

インタビューの最後、そう尋ねると、彼女は少し考えてから答えた。

「私にとってのIKIGAIは、『自分の痛みを、誰かを救う力に変えること』。うつ病で苦しんだから、同じ苦しみを持つ人の気持ちがわかる。コーチングを学んだから、科学的なアプローチができる。信仰があるから、魂のケアもできる。ゼロから事業を築いた経験があるから、実行できる」

「すべての経験。良いことも悪いことも。今この瞬間のために必要だったんだって気づいた時、人生の意味が見えたんです。これがIKIGAI」

うつ病を経験したからこそわかる心の苦しみ。コーチングを学んだからこその科学的アプローチ。信仰があるからこその魂のケア。ゼロから事業を築いた実行力。すべての経験が、この瞬間のために必要だった。

そしてペルーの父に電話をかけた。

「パパ、ありがとう。でも私は日本に残る」

頭で考えた「正解」ではなく、心が震える方を選び続けた結果が、今の彼女を作っている。

人生に「正解」は用意されていない。あるのは「選んだ道を正解にする力」だけ。

セシリアは、その力を持っている。そして今、その力を人に分け与えようとしている。これが、彼女のIKIGAI——生きる意味そのものだった。

もしあなたが今、「頭で考えた正解」と「導かれる道」の間で揺れているとしたら——。

セシリアの物語は静かに問いかける。

その苦しみは「一生続く絶望」ですか?
それとも、いつか誰かを救う物語の一部ですか?

 

 

あとがき

コンビニで、汚物まみれの床を前に泣きながらモップを握っていた25歳の女性。あの夜、彼女が自分に言い聞かせた言葉がある。「これは今だけ。私の人生じゃない」

この物語を書き終えた今、あの言葉の持つ意味が、より深く理解できる。セシリアにとって「今だけ」は、単なる現実逃避ではなかった。それは、どんな現実も”物語に変えていく覚悟”だったのだと思う。

ペルーの裕福な家庭で育った少女が、地球の裏側で汚物を掃除している。工学を学んだ女性が、カンペを握りしめて「Please, please」と泣きながら仕事を懇願している。事業を築き上げた経営者が、もう一度立ち上がろうとしている。一つひとつを切り取れば、理不尽で、意味なんてないように見える。

でも、少し引いて人生を見たとき、そこには不思議と一本の”流れ”がある。7歳で崖から落ちても「危ない・だめ」と言われなかった教育。「みんなが反対するなら、なおさら行ってみたい」という性格。汚物掃除の日につぶやいた「これは今だけ」という言葉。うつ病からの回復過程で出会った脳科学と信仰。バラバラだった出来事が、ある地点から繋がりはじめる。それが、「自分の痛みを、誰かを救う力に変える」というIKIGAIだった。

印象的だったのは、彼女がこう語ったことだ。「全部、私の選択が正しかったとは思わない。でも、導かれてきたんだな、とは思う」。強い人ほど「自分でなんとかした」と言い切りたくなるものだと思う。でも彼女は違った。”委ねながら進む”という強さを持っていた。

パッションとは、ただの勢いや根性ではない。自分の中にしかない線を、迷いながらでもなぞり続ける力だ。彼女は彼女だけの真実を探求している。

その在り方に、救われる人は多いはずだ。必ずしも、燃えるような情熱で前に進めなくてもいい。いつも自信に満ちている必要もない。ただ、自分の人生に起きた出来事を、ほんの少し違う角度から見てみる。

「これは今だけかもしれない」「もしかしたら、いつか誰かの役に立つかもしれない」。そうやって意味づけを変えた瞬間、現実は少しずつ変わりはじめる。

セシリアの物語は、転んでは立ち上がり、そのたびに自分の内側と向き合い続けてきた軌跡だ。頭で考えた正解ではなく、導かれる方を選び続けた結果が、今の彼女をつくっている。あの夜の「これは今だけ」は、本当に”今だけ”で終わった。そしてその経験は、今、誰かを救う力に変わっている。

あなたの「今だけ」も、きっと無駄にはならない。
その時間が、いつか誰かの希望になる日が来る。

きっと大丈夫。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

 

 

株式会社Ceci Educational Academy ウェブサイト

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