障がい者と健常者を繋ぐ元音楽教師のにんにく栽培の挑戦

矢野 公博

株式会社IKIGAI 代表取締役

愛媛県今治市

私が死ぬ一秒前にこの子を殺して

当時、障がい者学校の音楽教師をしていた矢野さんは、生徒の母親からこの言葉を聞いた。この言葉が矢野さんの人生のライフワークを決めるきっかけとなった。

音楽教師として38年、矢野さんは健常者と障がい者を繋ぐために尽力してきた。健常者の多くが持つ障がい者へのイメージは、「交わることのできない、異なる世界を生きている」という世間の思い込みであった。この誤解の原因は「知らないから」に他ならないと矢野さんは感じ、もし知る機会があれば、繋がれると信じて教師生活を送った。

音楽療法の先駆けとなる独自メソッドを開発し、健常者と障がい者を繋ぐ活動を数えきれないほど行ってきた。時には、うまくいかないことも、心無い言葉をかけられることもあった。しかし、くじけそうなとき、矢野さんはいつもあの言葉を思い出した。

「私が死ぬ一秒前にこの子を殺して」
「私が辞めるわけにはいかない、あんな言葉を二度と言わなくていい社会を作るんだ」
矢野さんはその信念を貫き続けた。

にんにく栽培への挑戦

障がい者を社会と繋ぐためには、働ける仕事が必要だと矢野さんは考えていた。多くの障がい者の家族は、仕事をすることに諦めを感じ、家に閉じ込められてしまう。しかし、仕事をしなければ社会との繋がりを持つことはできない。だからこそ、障がい者でもできる仕事が重要だと矢野さんは語る。

そして、矢野さんが辿り着いたのが「にんにく栽培」であった。

重度の障がい者は家から出られないことが多く、自宅でできる作業を探す必要があった。にんにくは、少ないスペースでも育てられ、手入れも比較的簡単で、成長が早い作物だった。矢野さんは、障がい者が自宅で作業をすることで自立を促し、自信を持たせ、達成感を感じてもらいたいと考えた。

さらに、にんにくは加工品にしやすいという点も重要だった。にんにくオイルやにんにくパウダーなどに加工することで、付加価値をつけることができ、より多くの収入を得る機会が生まれると考えた。矢野さんはこの取り組みを通じて、障がい者が社会の役に立っているという実感を得ることができると確信していた。

試行錯誤と確信

矢野さんは、最初に他の作物も試してみたが、手入れが難しく、収穫量も少なかったため、うまくいかなかった。にんにく栽培に取り組むことで、障がい者が自宅で作業しやすくなる可能性が見えてきた。社会との繋がりを持ち、健常者と共に生きるためには、にんにく栽培のような小さな成功が重要だと矢野さんは信じていた。

決意と病気の試練

矢野さんは、がんの宣告を受けた。事業がようやく形になり、これから進むべき時期に、突如として襲いかかってきた病気。しかし、矢野さんは決して挫けなかった。自分の病気の治療に全力を尽くしながらも、事業を続けていくと力強く語った。この活動が、矢野さんにとって生涯をかけて成し遂げたい夢であり、ライフワークだからだ。

あとがき

矢野さんの決意には一切の曇りがなかった。がんという試練を前にしても、その目には揺るぎない信念と熱い情熱が宿っていた。IKIGAIを持つ人の強さ、その底知れぬ力を感じずにはいられなかった。矢野さんは自分の活動を通じて、たくさんの人々にIKIGAIを与え、その意義を伝え続けてきた。矢野さんのIKIGAIは次々と人々に影響を与え、その輪は広がり続けている。いや、矢野さん自らがそのIKIGAIを繋げ、広げていくのだ。

日本のどこかに、必ず矢野さんのIKIGAIが必要な人がいると信じている。矢野さんの活動は、希望と勇気をもたらし、障がい者と健常者が共に生きる未来を築くための架け橋となっている。矢野さんの夢、そして彼のIKIGAIは、多くの人々の心に灯火をともす力を持っている。その灯火が消えることはなく、これからもずっと輝き続けるだろう。矢野さんのIKIGAIは、未来を切り開く鍵となり、彼の活動が多くの人々にとって希望となるのだ。

「この命が続く限り、私はこの活動を続ける」 と矢野さんは固く誓っている。彼の熱い思いと強い意志は、多くの人々に勇気と希望を与え、共に生きる社会の実現へと繋がっていく。

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