レールの外で、人は自由になる——「人間の凄さ」を信じ続けた母の物語

魏 秀芬 グローバル人材育成株式会社

人間の可能性を信じ、レールの外に居場所をつくる福祉事業家

長崎県大村市

レールの外で、人は自由になる——「人間の凄さ」を信じ続けた母の物語

 

誰かに引かれたレールの上を、ただ疑いもせずに走り続けていく。

いい学校、いい会社、いい成績、正しい生き方。 そのレールに乗り続けることが正解だと信じて、少しでも外れれば 「失敗」や「落伍」だと感じてしまう。

グローバル人材育成株式会社 代表・魏 秀芬さん。台湾出身。長崎県大村市を拠点に、児童発達支援・放課後等デイサービス・グループホームを運営する彼女は、約20年前、障害のある我が子とともに、言葉も通じない日本へと渡ってきた一人の母だ。

台湾の超競争社会でエリートコースを歩み、システムエンジニアとして最前線で働いていた彼女の人生は、我が子が「普通のレール」に乗れないことで一変した。 警察が来るほど子どもを怒鳴り続けた夜があった。 全てを捨てて異国に逃げ込んだ朝があった。

その果てに彼女が見つけたもの。
それは、「人間はシステムだ」という発見だった。

「人間もパソコンや携帯と同じように、フォーマットしてリセットできるんです。今までどんな人生でも、『発達障害』と言われても、それもみんな書いた『設定』なんですよ」

そう魏さんの目は、福祉の枠をはるかに超え、人間の本質、結局は世界平和に至るまで真っすぐに向けられている。

これは、社会の「設定」に立ち上がった母が、我が子への愛を通して人間の可能性を解き明かし、誰もが自分らしく生きられる世界を生み出すまでの、魂の探求の記録である。

 

第1章|競争のレールが刻んだ傷——「正しさ」という名の呪縛

魏さんの原風景は、息の詰まるような「競争」の中にある。

1970〜80年代の台湾。アジア特有のより厳しい競争教育が社会全体を覆っていた時代だった。

「とにかく小学校に入ったらいい中学校、中学に入ったらいい高校、試験のために勉強しなさいという競争の中で育てられたんです。貧乏でもお金持ちでも、みんな勉強しないと大変なことになっちゃうよっていう考え方だから」

普通のサラリーマン家庭に育った魏さんは、「勉強こそすべて」という価値観が、空気のように当然のものだった。

それが、重荷になった。

「たまたま1回すごい良い成績を取れたら、そのあとずっとその成績を保たないといけない。もし成績が落ちるとそれはすごい叱られる」

「できる子」のレッテルが貼られると、そのレッテルを維持することが理由になっていく。

「たまたまいい成績を取ってしまった一度だけ、ず​​っとその成績をキープしないといけない。だから、成績が悪いほうがいいんじゃないかと思うくらい、プレッシャーをかけられてました」

そう魏さんは振り返る。

しかし、レールを進むこと自体は、疑う余地のない「当たり前」だった。

台湾・新竹のサイエンスパークの隣にある大学へ進学し、今度は半導体やシステム開発を学ぶ。
そのすぐ横には、世界的な半導体企業が集まる巨大なサイエンスパークが進んでいた。

大学でエンジニアとしての勉強をし、卒業すれば、そのまま併設された大企業に入る。
それが「優秀な学生の正しいコース」とされていて、魏さんもまた、何の疑問も持たずにその道を歩いていた。

「レールの上を歩いている。それが『正解』だと思っていました」 

疑うことも、ほとんどなかった。社会に設定されたレールを走ることと、正しく生きることが、ほぼ同義だった時代。魏さんは優秀で、真面目で、期待に応えてくれた。

子どもの頃から敷かれ続けてきたレールの延長線上に、「エリートコース」がそのまま続いていく。 能力もあり、努力もしてきた彼女は、そのレールから外れる理由はなかった。

そのレールが、自分自身と、自分の子どもを追い詰めることになることを。

 

第2章|変えるべきは子どもじゃなくて、私の「正しさ」だった——追い詰められた母の夜 

結婚し、子どもが生まれた。
その子どもが育つ場所もまた、サイエンスパーク。

「最先端の街だから、無意識的な競争が子どもにも反映されていました。その街に子ども幼稚園を入れたんだけど、うちの子ども、これもできない、あれもできない、もう毎日言われて、お漏らしで失敗したらお尻叩かれていました」

親もエリート、子どももエリートにならなければという空気に包まれていた。 そして魏さん自身も、気づけばその圧力に飲み込まれていった。

「もう無意識的にみんながやってるから、結局、私もそれをやらないとだめだと自然にその空気に飲まれていました」

魏さんの子どもは周りと比べてしまうとできないことが多かった。

「訓練、訓練、訓練。でもできるようにならない。私の育て方が悪いのかなって気付けば怒鳴っていることもありました」

なぜ普通にできないのか。自分の育て方が悪いのか。

ある日、
魏さんは、ものすごい勢いで怒鳴り続けた。

「警察が来たんですよ。調べに来ました。自分にしてはいつも通り。え?何で警察が来るのって?そのくらい近所が心配になって通報されたのかなあと思います」

それは、魏さんにとって決定的な瞬間だった。

我が子を愛しているにもかかわらず、社会の基準に合わせようとするあまり、我が子を押さえつけ、自分自身も壊れていく。

この時期に離婚も重なる。

「大変な状態の中で、この子を一体何考えてるの、どう生きていきたいの?って」

振り返れば、昔の魏さんは「正しいレールに乗せなければ」という思い込みの中にいた。ずっとレールの上で育てられたから、子どもにも同じことを課していた。

「小さいときからその競争のレール。子どものこともあり、初めて私は、このレールにはもう乗れないし、正解でもないのではって疑問が生まれた」

最初は、自分も「レールに乗れなくなった」感覚 。 それは恐怖であり、同時に解放の始まりでもあった。

「もう誰も私たちのことを知らない土地に行きたい」という一心で、3歳の子どもを連れて日本行きを決めた。 比べられることも、評価されることも、もう嫌だった。

 

第3章|誰も知らない場所で出会った温かさ——ピカチュウが運んでくれた「無条件の受容」

貯金だけを持って、3歳の子どもを育てながら日本語学校に入学した。

「お金もどんどん減っていって。めっちゃ怖かったです。だから1年だけだよって、自分に言い聞かせて学校に通いだしました」

日本語学校が終わってからの進路を考えなくてはいけなくなったころ、魏さんは就職フェアに足を運んだ。

「たまたまその半導体の会社が人材募集してて。ちょうどそれが台湾の会社の取引先だったんです。すごいご縁を感じて面接が決まりました」

偶然が、人生を動かした。

そして無事内定が出て長崎でシステムエンジニアとしての新しい人生が始まった。

異国でシングルマザーとして、発達障害の子どもを抱えながらの仕事。 

「会社はすごく良い人ばっかりだったので。家族みんなでピクニックとか会社のイベントとか一緒に行っていました」

そして、ふと起きた小さな出来事が、魏さんの心に深く刻まれることになる。

「同僚のお嬢さんが、すごくうちの子どもを可愛がってくれて、ピカチュウをくれたんですよ。すっごく子どもが喜んで。そのピカチュウを今だに持ってるんですよ。もう20数年ボロボロなんだけど」

娘さんにとって、そのピカチュウは特別な存在だという。

「うちの娘が、このピカチュウは神様の存在みたいな感じです。いつも会話して『はーい』とか言えば、そのぬいぐるみを返して反応する」


人との繋がり、地域社会が彼女たちを包んでいた。

「この町に来た時、よさこいダンスを募集してるよって。子どもを連れて入ったんです。そこから20年くらい、そのチームが今うちの会場で練習してる」

比較されない環境で、魏さんは少しずつ母としての自信が取り戻していく。 そして同時に、子どもの教育について、もっと根本的な「違う形」を探し続けていく。

第4章|人間はリセットできる——システムとしての人間という発見

会社に入ってから、気づけばまた10年が過ぎていた。

仕事はできる。職場の人間関係も悪くない。日本での暮らしにも慣れた。表面だけ見れば、安定した生活だった。

しかし、心のどこかで、ずっとひっかかっているものがあった。

このまま会社に通い続けるだけで、本当にいいのか。
お金のためだけに働き続けて、この子の未来に、私は何を残せるのか。

「10年生きて、会社も安定してきて、私自身も仕事ができるようになってます。でも、子どもの教育をもっと別の形で探さないで、という気持ちが強くなりました」

そこで魏さんは、全く違う世界へ足を踏み入れる。

脳教育。瞑想。ヒーリング。
福岡では「認知技術」を教える教室にも通った。
人間の内面、心と脳の仕組み。その深いところに触れようとした学びだった。

「インドにも何回も行きました。脳の使い方とかを教えてくださいって、ずっと勉強してましたね」

そこで、エンジニアだった頃の視点と、新しく学んだ世界の心が、カチッと噛み合った瞬間があった。

「もともとシステム開発の人間だけど、人間のシステムを開発したいなと思ったんです。人間はシステムなんだって思ったようになった。人間には仕組みがあって、その仕組みの上で感情が動いたり、考え方のクセが動いたり」

感情も、思考も、行動パターンも、すべては「システム」であり「設定」だ。

競争しなければいけない、という設定。
できない子はダメだ、という設定。
レールから外れてはいけない、という設定。

「脳を学べば学ぶほど、もし感情が変な方向に行っても、それを“故障したシステム”として、少しずつ改善できるんじゃないかと思ったんです。それができるようになったら、すごく面白いなって」

かつて自分を、そして我が子を追い詰めた「正しさ」も、誰かに書き込まれていた設定に過ぎない。

「辛い人生じゃなくていい。いつでもリセットできるんです。今までどんな人生でも、あるいは『発達障害』って言われても、結局、それもみんなに書き込まれた『設定』 なんですよ」

システムがリセットできるように、人間もリセットできる。
古い設定を削除して、新しいプログラムを直接入れられる。
いつからでも、どこからでも、再起動できる。

それは、台湾で「普通になれ」と子どもを叱り続けていた頃の自分とは、まさに逆の発想だった。

 

この理論を、魏さんはまず自分自身と我が子との日々の中で実践していった。

家庭の中で、短い時間でも一緒に目を閉じてみる。呼吸を合わせてみる。最初は遊びのような感覚から始めたが、少しずつ、子どもの表情が変わっていくのを感じた。「訓練」ではなく、「自分の内側とつながる時間」を重ねることで、我が子の中にあった力が、静かに顔を出し始めた。

そこで魏さんは、驚くべきことに気づいた。大人は社会のレールという「設定」にガチガチに縛られているが、子どもは違う。本来、子どもにはそんな設定はないのだ。大人が勝手に「この子はできない」と限界を決めているだけだった。

その確信を胸に、魏さんは動き始めた。
長崎の半導体企業で働きながら、魏さんは自宅の一角を使って、小さな教室を始めた。

脳教育や瞑想、体を使ったワークなどを通して、「自分に書き込まれた設定を外す」ための場所として、子どもも大人も受け入れていった。週末に数人が集まるところから始まり、口コミで少しずつ人が増えていった。

やがてオンラインでも広がり始め、学びたいという人たちが遠方からも来るようになった。合宿も始めた。15時間、泊まり込みで一緒に過ごしながら、参加者それぞれの「設定」と向き合うプログラムを設計した。

「ジェニーの家」と名付けたそのコミュニティスペースは、魏さんにとって最初の「居場所づくり」の実験場だった。台湾で、日本で、ずっと「比べられる場所」の中を生きてきた彼女が、初めて「比べない場所」を自分の手でつくった。

手応えがあった。来た人たちが、少しずつ表情を変えていく。「できない自分」を責めていた人が、「そのままの自分」でいていいと気づき始める。その変化を目の前で見るたびに、魏さんの確信は深まっていった。

会社の仕事を続けるか。 教室のような場づくりを本業にするか。

「会社勤めをしながらだったので、最初は本当に小さくスタートしました。平日はエンジニア、夜や週末は教室の先生、みたいな感じでしたね」

二足のわらじを履きながら、魏さんの中で一つの感覚が強くなっていった。自分が本当に使いたいのは、半導体を動かす技術ではなく、人間のシステムを解きほぐす技術なのではないか。

——今度は、自分の設定も含めて、全部外してみよう。

会社を辞め、「ジェニーの家」の活動を本格化させた。学校にも行きづらく、家庭の中でも孤立しがちな子どもたち。福祉制度の中にちゃんとつながれば、もっと安心して生きられる子どもたち、家族たちがいる。

「教室という形だけでは限界が見えてきました。もっと公的な枠組みの中で、継続的に支援できる形にする必要があると感じるようになったんです」

発達に凸凹のある子どもたちへの支援。 放課後の居場所づくり。 そして、親亡き後も自分らしく暮らしていけるグループホーム。

その延長線上に、児童発達支援・放課後等デイサービス、障がい者グループホームの構想が立ち上がり、2021年、グローバル人材育成株式会社の設立へとつながっていった。

そして今、魏さんは振り返る。

「最近、うちの児童発達の事業所でも、子どもたちと一緒に瞑想をやってみたんです。それで、できるんです。これも結局、大人が決めた『この子たちは集中できない』っていう概念だったんですね。できるんだ、って。私も意外でした。子どもの方が、すごく入るんですよ」

落ち着きがないと言われていた子どもたちが、静かに目を閉じ、15分間も深い集中状態に入った。

「終わってから『何が見えた?』って聞いたら、『なんか深いところ……海の中に潜っていくような感じ』って。うまく説明はできないけど、普段の意識とは全然違う世界を感じていましたね」

「集中できない」「普通じゃない」と言われ続けてきた子どもたちが、誰よりも深く自分の内側へ潜っていく。できないのではなかった。ただ、その力を引き出す場がなかっただけだった。

「子どもの集中力もつくし、人と比べなくなるし、自分の世界を感じられる。それがすごく大事だなと思いました」

「障害があっても自分らしく生きてほしい」

台湾の超競争社会でレールに縛られてきた一人の女性が、今度はレールの外側に「居場所」というインフラをつくる側に立った。魏さんは、それを自分の人生で証明している。

 

第5章|正義のぶつかり合いを超えて——人間の凄さを証明し、世界を平和にする

事業を立ち上げると、理念に共感したスタッフたちが集まってきた。

「障害があっても、その人らしく生きられる場所を作りたい」
「子どもたちの可能性を伸ばしたい」

みんな、それぞれの現場で経験を積み、理想と情熱を持ってここに来ていた。

だから、魏さんは期待していた。
このメンバーなら、新しい福祉を一緒に形にしていける、と。

しかし現実は、理想とは違う方向に転がっていく。

「この施設で、居場所づくりのために集まったスタッフが最初、ぶつかるシーンがすごく多かったんです」

会議で誰かが意見を出す。
別の誰かは、その意見をきちんと聞いていない。
「聞いているふり」をして、自分の中の正しさだけを握りしめている。

「1週間、2週間だけの時間でお互いを攻撃し始めます。お互い勇気持ってるし、『これ違うやろ』みたいな」

みんな「福祉のために」「利用者さんのために」と言う。

「みんなそれぞれ良い理想を持って、情熱を持って入ってきたわけですよ、新しい会社に。でも、すごく短い時間でお互いを攻撃し合ってしまいました」

魏さんは、その光景に衝撃を受けた。

「みんなの『正義』がぶつかってるんですよね。みんな情熱もあって、正しい考え方も持っているのに、みんな一緒に協力し合えないって、何なんだろうって」

そして、世界のニュースが頭に浮かんだ。

「これで世界戦争が起きたんだと思いました。世界も同じですよね。みんなそれぞれ良い志を持って、良くしようと思って動いているのに、それぞれの『正義』がぶつかって戦争になる」

それぞれが、過去の経験で培ってきた「福祉とはこうあるべきだ」という設定を持っている。その設定には勇気、痛みも、成功体験もこだわっている。

「現場が、一番優先される業界なんです。どこかで何か問題があったら、すぐそこに行き着いて、一生懸命対応する。そうやって1個1個の場面にたまたまなってしまうと、元の問題に戻って消えてしまうんですよ」

お互いの良さを持ち寄って、新しいやり方を一緒につくる。
その「リセット技術」があれば、現場のトラブルは確実に変えていける。

「大人こそ、リセットの技術が必要なんです。子どもたちよりも、大人のほうが『設定』に縛られているから」

そして自社ではスタッフ向けの研修や、日々の対話の中で、少しずつ「みんなが尊重しあえる環境」を整え続けている。

そして一つの施設や会社だけではなく、もっと大きなところを見ている。

「一番の望みは、みんなが本当にこの『人間の凄さ』に目覚めてほしいということなんです。人間の凄さは、今までの教育とか今までのレールとか、今までで考えている世界じゃないです」

AIが登場し、多くの仕事が自動化されていく時代。
「人間は何をするのか」という問いが語られるたびに、魏さんは違和感を覚える。

見たことのある世界しか知らなければ、その範囲でしか未来を想像できない。
今まで歩いてきたレールの延長線上でしか、「これが人間だ」と思われて消えてしまう。

長崎という場所も、魏さんにとっては象徴的なのだ。
原爆が投下され、多くの命が一瞬で奪われた街。

「この『戦争をしない日本』から、日本が、長崎が、平和のメッセージを出すべきだと思います。うちのスタッフ同士の戦いを見ていても、考え方のぶつかり合い」

人間の素晴らしさに目覚めるとは、相手より優れた存在になることではない。
自分の中の設定を知り、その外側にある「本当の自分」とつながることだ。

魏さんのIKIGAIは、今までの自分じゃない、本当の自分を探求し続けること。
そして、その探求のプロセスを、次の誰かに手渡していくこと。

それが、魏さんのIKIGAIだ。

「IKIGAIは、自分だけのためじゃなくて、いろんな人に使っていけば、もっとみんな幸せになる。世界は平和に近づく。私はそう信じています」

台湾から逃げるように日本へ渡り、孤独の中で我が子を抱きしめ続けた母は今、人間の無限の可能性を信じ、世界平和という大きな目標に向かって歩みを進めている。

 

 

あとがき|あなたの悩みは、いつか誰かのIKIGAIになる

魏さんの話を振り返ってみて、レールを外れるということは、どれほど怖いことなのかを改めて考えた。

みんなが進んでいる方向。それが正解だと思って進む。そこから外れる瞬間、足元が崩れるような感覚がある。魏さんの場合、それは自分を、そして家族をありのままに認めることから始まった。

台湾の競争社会で「できる子」のレッテルを貼られ、期待に応え続けてきた幼少期。 サイエンスパークのレールに乗り、半導体エンジニアとしてエリートコースを歩んだ20代。警察が来るほど怒鳴り続けた夜。

どうにかして、愛しているからこそ、「正しいレール」に乗せなければという思いだった。

だから、認めることは本当は一番つらいはずだ。
しかし魏さんは、そこから目をそらさない。
その事実から逃げずに、「なぜあの時、自分はああなってしまったのか」を問い続けてきた。

ここで、一つ考えてみた。
そもそも、そのレールは誰が引いたのだろうか。

世間が作った常識。世間が作ったルール、レール。それを歩めるのは、その世間が作った「正解」とされる人物だけなのかもしれない。
そして、そのレールに合わせようとするたびに、個性は削られていく。
自分に嘘をつく。
辛くなる。
そしてそれが普通のことだと、いつしか思い込んでしまう。

「いい学校に行くべき」
「ちゃんとした会社に入るべき」
「親としてこうあるべき」
「大人なんだから我慢すべき」

魏さんはその常識を脱ぎ捨て、自分で自分のレールを作って歩んだ。
だから今、幸せだと胸を張って言えていた。
異国の地で、ピカチュウのぬいぐるみを抱きしめる我が子。その小さな背中に、「比べられない世界」の温かさを学びながら、魏さんは自分の中の設定を書き換えていった。

そして私は、誰かのレールを歩いていると感じても、それでもいいと思う。
レールなんて見えないと迷っていても、それでもいいと思う。

迷って、葛藤して、悩んで、進んでいった道が、後から振り返ったときに、自分だけの道だったんだと気づくのかもしれない。

あなたの悩み、葛藤は無駄ではない。
いつか誰かの力になる。
いつか誰かのIKIGAIになる。

あなたが今、どうしても乗れないレールがあるとしたら、それは乗らなくていいのかもしれない。
あなたのIKIGAIは、そのレールの外に、まだ誰にも見つけられないまま待っているのかもしれない。

魏さんが長崎の地で灯した火は、人間の可能性という無限のエネルギーを秘めて、これからも多くの人の心を溶かし、つないでいくに違いない。
その火が、あなたの心の中にある「設定」を、優しく焼き尽くしてくれたように。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

グローバル人材育成株式会社 

 

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