IKIGAIと志の違いとは?「今を生きる力」と「未来への意志」を考える

「志とIKIGAIって何が違うの?」

ある日の会議で、IKIGAIと志の違いを問われ、私は一瞬固まった。今まで何千ものIKIGAIを聞いてきたにもかかわらず、明確に言語化できなかったのである。

私にとってIKIGAIとは、お金や地位だけでは測れない、自分の真実を追求する力の源である。何に心を動かされ、何を大切にして生きるのか。その人自身の生き方に関わる問いだと考えてきた。

それでは、志と何が違うのか。

すると、ある方がこんな言葉をくださった。

志は、自分が目指す未来や実現したい社会の姿である。一方、IKIGAIは、その未来に向かって歩む日々の中で感じる喜びや充実感である

鳥肌が立った。

志は未来にある。
IKIGAIは今この瞬間にある。

志が人生の方向を示し、IKIGAIが人生を歩み続ける力になる。私の中にあった抽象的な感覚が、一つ輪郭を持った。

「志は未来、IKIGAIは今」という気づきから、IKIGAIと志の違い、そして両者のつながりを深めてみたい。

IKIGAIと志を考える二人の対話と、庭から未来へ続く道を描いたイラスト

IKIGAIと志の違いを、「向かう方向」と「生きる価値」から考える

志は、これからどう生きたいか、何を実現したいかという方向に関わる。一方、IKIGAIは、何が自分にとって生きる価値の源になっているかに関わる。この違いに目を向けると、二つの言葉が少し捉えやすくなる。

志を持っていることと、今の生活に生きる価値を感じられることは、いつも一致するとは限らない。目指す未来が明確でも、毎日が消耗だけになってしまうことはある。反対に、大きな未来像を言葉にできなくても、家族との時間や何かをつくる営みに、確かな生きがいを感じる人はいるだろう。

だからこそ、私はこの二つを、どちらが上かを比べる言葉にはしたくない。

IKIGAI JAPANでは、一人ひとりの人生とIKIGAIを本人に直接聞き、その言葉を記録してきた。公開インタビューは110名に達している(2026年9月18日時点)。本稿では、そのうち二つの取材記録を読み直し、私自身の考察を研究や思想と照らし合わせる。

IKIGAIと「生きがい感」を分けると、対話の意味が深まる

会議でいただいた言葉を、もっと丁寧に捉えるために、まず区別したいことがある。「生きがいになるもの」と、「生きがいを感じていること」は、同じではないという点である。

家族が生きがいだというときは、その存在を指している。人と話していて生きがいを感じるというときは、関わりの中で生まれる実感を指している。

Tee・Tsukamoto・Stegerによる2026年のスコーピングレビューは、学術文献と一般向け文献でIKIGAIがどう定義されているかを整理している。そこで重視されているのが、生きる価値を感じる経験や認識を「生きがい感」とし、その源を「生きがい」と捉える区別である。定義の揺れや、測定方法のばらつきも指摘されている。

IKIGAIを「人生の目的」という一語だけに置き換えると、取りこぼすものがある。このレビューは、一つの定義を実験で証明するのではなく、言葉の重なりや違いを整理している。

この区別を借りるなら、私の考えはこう言い直せる。

誰かと問いを深める時間が、私のIKIGAIである。そこで、自分の中にまだなかった言葉に出会い、生きる喜びや充実を感じる。その実感は、生きがい感と呼べるだろう。

そして、その対話から見えてきた哲学を、次世代に残していきたい。その未来へ向けた意志が、私にとっての志である。

IKIGAIは、今の楽しさだけを意味するわけではない

ここで、「今この瞬間にある」という言葉を、「今さえ楽しければよい」と読み替えてしまってはいけない。

楽しい時間は大切である。だが、何かを深く考えたり、誰かを理解しようとしたりする時間は、いつも心地よいとは限らない。答えが出ずに迷うことも、自分の見方を問い直すこともある。それでも、その営みを自分にとって大切だと感じることはできる。

KonoとWalkerの2020年の研究は、日本の大学生27人への写真を用いたインタビューと、672人のオンライン調査を組み合わせ、IKIGAIを求める経験を検討した。楽しさだけでなく、努力、刺激、安らぎといった、自分が価値を置く経験が扱われている。負担が大きくなった経験から、いったん離れることも理論に含まれる。

対象は大学生であり、その結果をあらゆる年代や生活状況に当てはめることはできない。また、特定の行動をすれば誰でも生きがいが得られる、と因果を確定する研究でもない。

私にとっても、問いを深める喜びは、簡単な答えを得ることだけにあるのではない。分からなかったことに向き合い、自分の考えが少しずつ形を変えることにもある。

生きる喜びは、苦労がないことと同じではない。ただし、苦労しているから意味がある、と反対向きに決めつける必要もない。IKIGAIや志を、無理を続ける理由にはしたくないのである。

「志は未来、IKIGAIは今」は、時間で分断する言葉ではない

今という時間の中には、過去の記憶も、未来への願いもある。

昔、誰かに助けてもらった経験が、今の仕事の意味になる。今向き合っていることが、いつか実現したい未来につながっていると感じる。そうしたつながりもまた、現在の生きる実感を支えているのではないだろうか。

KonoとWalkerの2021年の研究は、IKIGAIの時間的な側面を検討している。日本の大学生27人への写真を用いたインタビューから理論を組み立て、672人のオンライン調査で検討した。過去・現在・未来を結びつける「人生の方向性」が、IKIGAIの感覚に関わるものとして示されている。

IKIGAI研究の中にも、未来への方向性が含まれている。「志は未来、IKIGAIは今」という言葉は、時間を分断する定義ではなく、未来へ向かう意志と、その道を生きている実感を見つめるための視点なのである。

志もまた、未来の成果だけではなく、今日の生き方に表れる

志についても、遠い未来の目標という説明だけでは捉えきれない。

何を実現するかと同時に、そのために今日、どう振る舞うのか。何を守り、何はしないのか。そうした選択にも、志は表れると私は考える。

そのことを考えるために、思想の原点の一つとして古典に立ち返りたい。『論語』述而篇第六章には、「志於道,據於德,依於仁,游於藝」とある。道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ、という言葉である。

ここから現代の私たちが受け取れるのは、目指す方向と、日々どのように学び、どうあるかを、切り離さない視点ではないだろうか。古代の思想を、現代の志やIKIGAIと同じ概念だと主張するものではない。ただ、志を将来手に入れる地位や成果だけに縮めないための手がかりにはなる。

生きがいの側も、未来や使命と無関係ではない。神谷美恵子の『生きがいについて』は、1966年に初版が刊行された。本稿で参照した出版社の公開目次には、生きがいを感じる心、使命感、未来性への欲求、生きがいの対象などが並んでいる。

新しい実証研究の代わりではなく、生きがいを考えてきた思想の広がりを確かめる原典として、この著作に触れている。

二つをきれいに切り離すよりも、どこで重なり、どの問いに光を当てるのかを考える。その方が、人の生き方に近づけるのではないかと思う。

インタビューの記録にも、喜びと未来への意志が重なっている

人の人生を聞いていると、喜びを感じる活動と、未来へ残したいものが、一つの営みの中に重なることがある。

株式会社TOMO RUNの中川智博さんの取材記録には、子どもたちと共に走る営みと、スポーツを通じて自分を好きになれる人を育てたいという方向が、重なって描かれている。一人ですべてを担う限界に向き合い、運営を仲間に任せていく変化も記録されている。

自分の好きなことを、誰かの未来へどうつなげるかを考えたい方は、中川智博さんのインタビューを補足として読んでほしい。続けたい活動と、残したい価値の関係を考えられる記録である。

また、役に立てた喜びが、その経験を無理なく続けるための、仕事の仕組みづくりへつながる場合もある。

株式会社zuanteの迫優華さんは、仕事を通して感謝される瞬間の嬉しさを語っている。同時に、顧客と制作者のどちらかへ負担を押しつけない仕組みを、考え続けている。

誰かの役に立つ実感を、どのような仕事のあり方へ育てていくかを考えたい方は、迫優華さんのインタビューを補足として読んでほしい。日々の実感と、譲れない価値観が、事業の設計に関わっていく過程がある。

この二人が、志とIKIGAIを本稿と同じ言葉で定義したという意味ではない。記録された人生を、今回の問いから私が読み直しているのである。

志を達成するまで、今日の人生に価値がないわけではない

志が方向を示し、IKIGAIが歩み続ける力になる。この考えを大切にしながら、もう一つ、忘れたくないことがある。

今を、未来の達成のためだけの手段にしないことである。

目指す未来があると、そこへ近づけたかどうかで、一日の価値を測りたくなる。だが、何も大きく進まなかった日にも、誰かと向き合った時間や、ものを丁寧につくった時間の価値まで、なくなるわけではない。

MartelaとStegerの2016年の理論論文は、人生の意味を、人生が理解できるという感覚、中心的な目標や方向、生きること自体の価値という三つの側面から整理した。新たな参加者を調査した研究ではなく、概念を区別するための基礎的な論考である。その原典として、発表から10年を超えるこの論文を参照している。

この整理を借りれば、目標があることと、生きる価値を感じることは、関わり合いながらも同じ問いではないと考えられる。ただし、英語のpurposeをそのまま志、significanceをそのままIKIGAIと訳して、同一視することはできない。

私は、志があるから今日に価値が生まれる、という一方向だけで考えたくない。今日、大切だと感じた経験があるから、それを未来へ残したいという志が育つこともあると思う。

誰かとの対話が嬉しかった。自分にはなかった見方を知り、考えが深まった。だから、そのような時間や、そこで生まれた哲学を次の世代へ手渡したい。

私にとって、IKIGAIと志は、このように行き来する関係にある。

IKIGAIと志の違いを、自分の経験から考える三つの問い

違いを覚えるだけでなく、自分の生活へ戻して考えるなら、私は次の三つの問いを置きたい。

  1. 最近、自分にとって大切だった時間は何か。
  2. その時間の中で、何に喜びや意味を感じていたのか。
  3. そこで大切にしたいと感じたものを、これからどう残し、育てたいか。

一つ目は源となる経験、二つ目はそこでの実感、三つ目は向かいたい方向を考える問いである。実際の時間や関わりから始めることで、漠然としていた願いを具体的に捉えやすくなる。

立派な答えを求めるものではない。すべてに答えたり、その答えを一生の決定にしたりする必要もない。未来の願いが浮かばなくても、大切だと思えた時間まで否定しなくてよい。

そして、誰かと話すなら、相手の経験を「それは志」「それはIKIGAI」と急いで分類するより、なぜそれを大切に感じるのかを聞いてみたい。冒頭の会議で私の考えが深まったように、違いを問うことが、互いの哲学を知る入口になるからである。

本稿の考察と資料について

本稿は、冒頭の対話と、中川智博さん・迫優華さんの2本の取材記録を出発点とする考察であり、公開インタビュー全体の統計分析ではない。志とIKIGAIの関係を、両者を直接比較した実験による分類として示したものでもない。

論文は公開抄録、神谷美恵子の著作は出版社の公開情報と目次、『論語』は公開原文を参照した。実証研究の対象は日本の大学生であり、本稿の三つの問いの効果を検証した研究ではない。

問いは、人の哲学を磨く

「志は未来にある。IKIGAIは今この瞬間にある」

この言葉を、私は今も大切にしたい。ただ、未来と現在の間に線を引くためではない。どこへ向かいたいのかと、今、何に生きる価値を感じているのか。その両方を、自分に問い続けるためである。

志が人生の方向を示し、IKIGAIが人生を歩み続ける力になる。そして、日々のIKIGAIから、次の志が育っていくこともある。

これが唯一の正解だとは思わない。

しかし、あの対話で、私の中にあった抽象的な哲学が一つ輪郭を持った。その輪郭を研究や思想と照らし合わせることで、問いはさらに深まっていく。

問いは、人の哲学を磨く。

こうして誰かと問いを深める時間こそ、私にとってのIKIGAIである。

そして、この哲学を次世代に残すことが私にとっての志である。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

WRITER PROFILE

尾﨑弘師 (おざき ひろし)

IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役

これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。

掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。

さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。

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