- ホーム
- IKIGAIを持つ者たち
- 加瀬浩之 株式会社FULL HOUSE

人生という映画を、もう一度観たいと思えるものに——夢を手放した先で、誰かの一歩を支えるまで
加瀬浩之 株式会社FULL HOUSE
自分を問い続け、誰かの可能性を広げるCOO
加瀬浩之さんのプロフィール
加瀬浩之さんは、株式会社FULL HOUSEでCOOを務める経営者。就活支援とWebメディア運営を通じて、人がより良い選択肢に出会う機会をつくっている。
人生という映画を、もう一度観たいと思えるものに——夢を手放した先で、誰かの一歩を支えるまで
あなたは、今日という一日を、自分で選んで生きていると言えるだろうか。
大学時代、就職活動で大切にしている価値観を問われたとき、自分の生き方に重なる言葉を探し続けた。その中で出会ったのが、ガンジーの言葉として知った「Man lives freely only by his readiness to die(人は死ぬ覚悟があった時に初めて自由に生きられる)」という一節だった。加瀬さんは、その和訳を自分なりに受け取り、今も心に留めている。
本来は非暴力と勇気について語られた言葉だが、加瀬さんはその言葉を、自分の人生に引き寄せて受け取っている。「いつ死んでも後悔しないように今を生きる。自分の中では、そう捉えています」
人生は一度きり。その時間を、何もしないまま過ごすことへのもどかしさがある。やりたいこと、将来のためにやるべきこと、引き受けなければならないことを自分で整理し、限りのある時間の中でやりきる。仕事をしている日も、仕事から離れた日も、一日一日に魂を込めて過ごそうとしている。
「やらぬ後悔よりやる後悔」
株式会社FULL HOUSEでCOOを務める加瀬浩之さんは、就活支援やメディア運営を通じて、人が次の選択肢に出会うきっかけをつくっている。かつて、自分の将来を託したのはサッカーだった。青春の大半を練習に費やし、世界で活躍する選手を目指した。その夢を見直すことになったフランス遠征と、大怪我によって動けなくなった半年間がある。
「サッカーとしては人生最悪の時期だったんですけど、内省の期間としては、人生で一番考えたんじゃないかというくらい濃い時間でした」
その後、浪人を経て大学へ進学。インターン、就職、そして仲間との起業へと進んでいく。
加瀬さんは、人生を一本の映画として捉えている。
苦しい場面も含めて、後からもう一度観たいと思える作品にする。
これは、自信を持てない自分と向き合いながら、選んだ人生を自分の手で育ててきた人の記録である。
「加瀬浩之という僕が主演の映画」を、面白くしていく。
そう決めて、自らの選択を積み重ねてきた一人の経営者の軌跡である。
第1章|「何者でもない」が、ずっとそばにあった——自分の生き方を考え続けた少年
「自分自身は何者でもない人間、という感覚がすごく強くて。少しでも自信をつけるためにどう生きればいいか、幼い頃から考えていたと思います」

加瀬さんは、幼少期の自分をそう振り返る。運動ができても、自分よりできる人がいる。何かで人並み以上の結果を出しても、広い世界を見れば、突き抜けた存在がいる。身近な集団の中で評価されることと、自分で自分を認められることの間には、本人にとって大きな隔たりがあった。
幼い頃に住んでいたのは、静岡県浜松市。サッカーが身近にあり、男の子ならサッカーをするものだと感じる環境だった。加瀬さん自身は、最初から競技に興味を持っていたわけではなく、始めるつもりもなかった。今も鮮明に覚えているのは、母親から決断を求められた場面だ。
「この地域ではサッカーをやっていないと男じゃないから、男になるのか、ならないのか、ここで決めなさい」
幼い加瀬さんは、男として生きたいからサッカーをやる、と答えた。
男三兄弟で、皆がスポーツに打ち込む家庭だった。心身ともに強くあること、弱い立場の人を守ること、自分に恥じない人生を送ること。家族から繰り返し伝えられた教えが沁み込んでいた。
サッカーを始めた頃は、ルールも分からなかった。自陣のゴールへボールを蹴り、得点したつもりで喜んでいたという。練習や行事にはきちんと参加し、集団の輪を乱さず、約束を守ることを大切にしていた。
一年ほど経つと、同世代が四、五十人ほど所属するチームの中で、自分は上手い方だと気づき始めた。もう一人のエースと比べても、負けないくらいにプレーできる。それまで興味のなかったサッカーに、自分は向いていると思った。続けてみようと思う理由が生まれた。
加瀬さんは、自分に自信を持てるタイプではなかった。
「容姿がいいわけでもない。頭がいいわけでもない。運動もできるけど、世界的に何か一つ突き抜けているわけじゃない。だから、自分自身に自信がない状態は、今も含めてずっとあります」
サッカーは周囲の人たちより上手かった。それでも、全国へ行けば自分より上手い選手が数多くいる。中には努力では埋められないほどの才能を持つ選手もいた。
「身の回りだけで上手くても、自分の中では自信にならなかったんです。もっと広いところを見て、その中でも自分が上だと思えた時に、やっと自信になるような感覚でした」
自信を持てないまま生きることには、もどかしさがあった。どうすれば変えられるのか。どんな生き方なら、自分自身で納得できるのか。
「自信がない人生って、自分自身ももどかしいじゃないですか。だから、どうやって生きれば変えられるんだろうって、小学生の頃から考えていました」
同じようなことを考える仲間は、身近にはいなかった。
「常に将来のことを考えていたんですけど、小学生でそういう話をする人ってほとんどいなくて。誰に話しても乗ってこないので、ずっと自分の中で考えていました」
周囲と遊びながらも、将来への思いは、自分自身で引き受けるものになっていった。
父親は会社員、母親は専業主婦。夫婦仲も良く、加瀬さん自身「すごくいい家庭環境だった」と振り返る。
それでも、朝早く会社へ向かい、夜遅く帰る父の姿には違和感があった。
「人生の大半を会社に使う生き方が、あまり楽しそうに見えなかったんです」
父を否定していたわけではない。ただ、自分は違う生き方で生計を立てたい。そう小学生の頃には考えていた。
そこで、すでに続けていたサッカーで生きていこうと決める。プロになるために、チームの練習がない日も自主練をした。漠然としていた将来への思いが、毎日ボールを蹴るという行動につながった。
続けた時間が長ければ長くなるほど、途中でやめたらそれまでの努力が無駄になる気がした。後から始める人は、自分が積み重ねた練習の日数を追い越せないとも考えた。自分に向いている実感と、ここまで費やした時間を手放せない思い。その両方を抱えて、加瀬さんはサッカーを続けた。

第2章|世界の壁を知ったあと、身体が止まった——フランス遠征と、半年間の内省
競技を続け、より広い舞台へ出るほど、加瀬さんは自分より上手い選手に出会った。身体の使い方、プレーの判断、発想。自分ほど練習をしていなくても、圧倒的なセンスを持つ人がいる。頑張ってできることが増える一方で、届かない相手を知り、自信が薄れていく経験も重なった。
近くの仲間より上手いだけでは、自分を認められなかった。全国を見れば、また別の優れた選手が見える。その人と比べても明確な差をつけられた時に初めて自信を持てる。そんな基準で自分を見ていたため、努力がそのまま安心につながることは少なかった。
中学でも、高校でも、辛かったがサッカーを続けた。同世代が過ごす青春の時間を、自分は練習に費やしてきた。それほど打ち込んできた人生を、途中で手放すことが惜しかった。
高校二年生の時、フランスへ一か月ほど遠征した。
そこで運命を変える、衝撃を受ける。
現地の同世代のチームと試合をする機会。
同じ年代の選手同士でありながら、まるで十歳ほども差があるように感じた。
「世界の壁を知った、というのが一番分かりやすいですね。悔しかったです。認めたくはないけど、今から世界で活躍する選手になるのは、現実的に考えて難しいなと思ったんです」
自分も相手も、それぞれの人生の時間を使ってきた。その同世代の間に、これほどの差が生まれている。国内なら、ある程度の選手になれるかもしれない。けれど、加瀬さんが目指していたのは、世界へ出て活躍することだった。とことんやりきるつもりで続けてきたからこそ、目標との距離が重かった。
帰国後も、サッカーを優先する気持ちは持っていた。同時に、高校生活が終わるまでに、ほかの道も探す必要があると考え始める。万が一サッカーがなくなった時、自分には何ができるのか。
当時出した答えは「何もない」だった。
「もしサッカーがなくなった時に、『自分は何ができる人間なのか』って聞かれたら、何も答えられなかったんです。サッカーしかしてこなかったので、このままでいいのかって、すごく考えるようになりました」
選手として生きられる時間には限りがある。その先も、自分で人生の選択肢を持ち続けたい。
そして、帰国した頃に大怪我をした。左足の内側側副靱帯を断裂し、半年間はサッカーができない状態になった。世界との距離を痛感した直後の怪我を、加瀬さんは「とどめを刺された」という言葉で振り返る。
サッカーだけでみれば、人生で最悪の時期。
これまで毎日のように練習してきた身体が止まり、プレーで答えを出すことができなくなった。その半年間を、何に使うのかが目の前に残った。
「物理的には止まっているけど、思考自体はずっと進めるし、突き詰めることができる。この時間を、良い側面から見ようと考えていました」
何か特別な本に出会ったり、一人の大人から答えをもらったりしたことが、決定的なきっかけだったわけではない。加瀬さんは、自分で考え続けた時間として、その半年を語っている。幼い頃から教えられてきた、自分に恥じず、誇れる生き方とは具体的にどのようなものなのか。その意味も、自らの経験を通じて少しずつ言葉にしていった。
半年間の内省の先で、加瀬さんは身体とは別の武器を持とうと考え始めた。
「自分の頭で考えて事業を起こせるようになれば、脳みそはフィジカルみたいに衰えない。一生食いっぱぐれないようにするためにも、脳みそを鍛えようと思ったんです」
まだ、何の事業をやりたいのかは分からない。ビジネスの知識も経験もなかった。
だから、起業から逆算して道筋を考えた。
「まずは成長できる会社に入って修行しないといけない。がむしゃらに仕事をして能力をつけて、一緒にやれる仲間もつくる。そこからだと思いました」
そのためにも、まずは大学へ進み、ビジネスの世界に入るための選択肢を広げる必要があると考えた。
サッカーだけに時間を使ってきた加瀬さんの前に、今度は「勉強」という新しい壁が現れた。
第3章|もう一度、ゼロから自分をつくる——浪人の一年と、学習院大学で選んだ準備
高校三年生まで勉強をほとんどしてこなかった。英語のアルファベットをAからZまで言えないほどだった。大学を目指すとなれば、小学生の内容からやり直すような状態だった。
受験まで残り半年もない。現役で希望する大学へ進むには難しいと判断した。受験で結果が出るより先に、一年間浪人することを決め、親に土下座して頼んだ。もう一年、勉強する時間をもらう。
ここから恥ずかしいと感じる日々がはじまった。
「本当に何者でもない一年間だったんです。自分を証明するものが何もない。その期間が、一番辛かったです」
サッカー選手になる夢を断念し、高校生という所属も離れた。大学生には、まだなっていない。自分の存在意義がなく、社会から否定されているように感じた一年だった。
それまで十分に勉強してこなかった時間を、一年で取り戻す。
ほかの人たちが長く学んできたものを、自分は短い期間で学ばなければならなかった。
加瀬さんは、その一年を「これまでのツケを返す期間」と受け止めて、猛勉強した。
同時に、それだけの時間を一年で挽回できるなら、むしろ得だという見方もしていた。期限があり、目指す先があることが、続ける力になった。苦しかった感覚を抱えながら、途中で折れずに勉強を重ねた。その結果、学習院大学へ進学する。

第一志望には届かなかった。もっと上を目指していたのに実力が及ばず、本人の中では納得しきれない結果でもあった。
一年の猛勉強を経て大学に進学できたことと、望んだ結果には届かなかったこと。
その二つを、加瀬さんはどちらも語る。
「第一志望ではなかったけどこの大学でよかったと心の底から思える人生にしないといけない。そういうことを、後からどんどん考えるタイプなんです」
そして加瀬さんの思考は、進学後に何をするかに移っていった。
選んだのは、英語を中心に学ぶ学科。サッカーで世界へ出る夢は手放したが、仕事やビジネスで世界と関われる人になりたいという思いがあった。英語を身につけることは、その準備として必要だと考えた。
大学へ入ってからも、起業の内容は明確には決まっていなかった。四年間のうちに、やりたいことや仲間に出会うかもしれない。会社へ入り、経験を積む選択肢も残したい。そのどちらへ進むにしても、ビジネスの現場に触れる時間を持とうとした。
授業についても、先々から逆算していた。当時は取得する単位の上限がなく、一年目に約七十単位を取った。朝から晩まで大学へ通い、二年目以降に使える時間を増やすつもりだった。
「そうすれば、大学二年生以降はすごく時間が空くので。将来的に事業を起こしたいと考えていたので、自分が実際にいろいろ経験するために、たくさんの時間を費やせると思っていました」
並行して、文化系の部活動にも入り、サッカーやインカレのフットサルサークルを自分でつくった。会社から選ばれる人になるために、行動した経験を持っておきたいという思いもあった。
「就活の時に話のネタに困らないように、たくさんやっておこうという思いもありました」
入学直後から、都内の常勤インターンを探し回った。募集する会社を見て、気になれば応募し、面接を受けた。
「ビジネス経験をとにかく積みたいという、成長意欲しかなかったんです」
中でも関心を持ったのは、自分と同じ学習院大学を卒業したばかりの人が立ち上げた会社だった。自分で事業を起こす人が、何を考えているのかを知りたかった。
「将来的に起業するのであれば、疑似起業することがすごく大事だと思っていました。そのためにもできたばかりの会社に行く必要があると考えていました」
面接を経て、創業期の新卒採用支援会社に加わることになる。机上で組み立てた道筋は、そこから現場の経験に移っていった。待っていたのは、学生生活という言葉から想像するよりも、はるかに厳しい毎日だった。
第4章|電話の向こうでつけた力を、仲間と使う——インターン、就職、そして三人の起業
インターン先には、専用のオフィスがなかった。創業期のメンバーは七、八人ほどで、学生や大学を卒業したばかりの人が中心だった。渋谷のシェアハウスを仕事場と生活拠点にし、リビングで寝袋を使って暮らしたという。そこには、人生をかけて成長したいと考える人たちが集まっていた。

朝八時頃から夜中の二時頃まで働き、土日も仕事に使った。それでも働いた時間や成果に対する報酬はなかったと加瀬さんは振り返る。大学二年生の頃はそうした生活を続けた。当時の環境について語る言葉は厳しく、楽しかったかと尋ねても、答えははっきりしていた。
「一切楽しくなかったですね。自分自身の成長のためだけにやっていたので」
一日に三百件以上の電話をかけていた。採用支援の提案をするためのテレアポだ。アポイントが取れれば企業へ出向き、一日に五件ほど商談のために会社を訪問することもあった。
名だたる大企業にも実際に商談へ行った。人事担当者や役員に向き合い、採用を進めるために何ができるかを提案する。契約を取れれば、自分の働きが結果になったと分かる。そうした経験の積み重ねが、少しずつ自信になった。
加瀬さんは、この時期に積み重ねた圧倒的な行動量が、その後の仕事の土台になったと捉えている。
将来の就職にも、いずれ事業を起こす時にも、この経験は役に立つはずだと考えていた。
大学二年生の終わり頃からは、就職活動も進めた。採用支援の商談で接していた企業から、入社を誘われることもあった。学生だと伝えていなかった相手に就活生だと明かすと、驚かれたという。すでに一緒に仕事をした経験が、本人への信頼になっていた。
誘いを受ける一方で、まだ接点のない企業についても自分で調べ、選考を受けた。起業したばかりのスタートアップで、ゼロから一を生み出す段階には触れてきた。次は、すでにある事業を一から十へ育てる段階を知りたい。そのために、百人から三百人ほどの規模のミドルベンチャー企業を中心に見ていった。
「大学二、三年生の就活の時に、『座右の銘は何ですか』『大切にしている価値観は何ですか』と聞かれることが多くて。自分にはそういう座右の銘がないまま生きてきたなと思って、意識的に探したんです。自分の琴線に触れるものや、これまでの生き方に近い考え方は何だろうと調べまくって、出会ったのがガンジーの『Man lives freely only by his readiness to die(人は死ぬ覚悟があった時に初めて自由に生きられる)』という一節でした」
「ガンジーが言った本来のニュアンスとは違うかもしれませんが、自分の中ではすごくしっくりきました。その言葉によって、清々しい気持ちになれたことが大きくて。今でも、一番大切にしている価値観に近いと思います」
最終的に選んだのは、自ら選考を受けた株式会社VOYAGE GROUP(現・株式会社CARTA HOLDINGS)だった。加瀬さんは、事業の意思決定をグループ会社に委ねる仕組みに魅力を感じたという。組織としての土台がありながら、小さな単位で事業を動かせる。そこなら、自分が次に経験したいことに取り組めると考えた。
大学三年生から内定者インターンを始めた。グループ内で新卒採用支援事業を展開する株式会社サポーターズの立ち上げ期に、それまでの経験を買われ関わることになった。内定者という立場で、再び事業をつくる過程に入る。加瀬さんは、この時期に事業の立ち上げ期から、その規模を拡大していく経験ができたと振り返る。
社会人として成果を重ねる中で、加瀬さんの中には、自分たちで意思決定し、その結果に責任を負う環境で挑戦したいという思いが強くなっていった。組織の中で経験を積むことには大きな意味があった。一方で、自分で事業の方向を決め、つくった価値を次の挑戦へと投じていく働き方にも惹かれていた。
そこで働く人たちにも、それぞれの目標があった。新卒の頃の飲み会では、将来の話をする機会が多かった。社内でどんな立場になりたいかを語る人もいれば、自分の人生で何を成し遂げたいかを語る人もいる。加瀬さんは、後者の考え方に近かった。
自分の目標へ近づけるなら、今の会社に限らず、より良い手段を選びたい。同じような熱量と、似たもどかしさを抱える同期がいた。幼い頃は、先々の人生を語り合う相手が身近にいなかった。その加瀬さんが、将来を考える仲間と、具体的に何かをつくろうとするようになった。
社会人二年目になった頃、就業時間外に同期三、四人でウェブサービスをつくり始めた。会社の業務とは別に、自分たちの力で動かす取り組みだった。
自分たちで売上をつくり、その中から報酬を決める。やりたい事業や進みたい方向へ、自分たちの時間を使う。全ての責任を負うことになっても、得られるものがあり、自分たちで考えて動ける。その働き方が性に合っていると、加瀬さんは感じた。
創業した三人は、総合職の二人とエンジニアの一人。それぞれが担う役割は明確だった。加瀬さんは、採用支援で積んだ経験を生かして組織や営業の領域を担う。エンジニアがサービスを形にし、もう一人の総合職の仲間が事業設計や収益化、財務面で力を発揮する。ヒト・モノ・カネを、三人それぞれの強みで動かしていく形だった。
「自分にはない強みを持ち、心から信頼できる仲間と組めたので、自分が上に立つ必要はありませんでした。それぞれが最も力を発揮できる役割を担うことが、事業にとって一番良いと考えたんです」
自分がCEOになることにはこだわらなかった。仲間の強みと役割適性を考え、その人がCEOを担うのが最も良いと判断し、自分はCOOとして事業を前へ進めることを選んだ。こうした人と同期として出会えたことを、加瀬さんは運がよかったと話す。狙ってつくれる出会いとは思っていないからこそ、三人で進めることを大切にしている。

第5章|「あなたに会えてよかった」が、次へ進む力になる——一人の可能性から、未来の当たり前へ
取材時、FULL HOUSEは十一期目を迎えていた。掲げているのは、「一人ひとりの可能性を最大化する。」というビジョンだ。それは、加瀬さんが人と関わる時に大切にしている思いでもある。
現在は、学生の就職活動を支援する事業に加え、エリアや条件から自分に合ったジムを探せる検索・比較メディア「ジムさがーす」など、複数のWebメディアを運営している。
領域は異なっても、その根底にあるのは、必要な情報や選択肢を届け、一人ひとりが自分に合った一歩を選べる状態をつくることだ。何かのサービスをやりたいというところから始めるよりも、人の人生が良い方向へ進むきっかけをつくりたい。そのために、どんな形なら役に立てるかを考える。新規事業についても、つくりたい世界や会社の思想につながるものを選んでいくという。
そのために、事業の仕組みを考えるだけでなく、一人ひとりと接点を持ち、対話を重ねながら関係を築くことも大切にしている。
その先に持っているのは、創業当初からの「未来の当たり前をつくりたい」という思いだ。身の回りにある常識を見て、改善できるところを探す。今ある仕組みに不都合があっても、慣れてしまえば、そのまま受け入れられることがある。自分たちの力で変えられる部分から、より良い形をつくっていきたいと考えている。
変えたものが少しずつ受け入れられ、広がれば、かつて当たり前ではなかったものが、次の当たり前になる。加瀬さんは、その過程を思い描く。最初は身近な人や、出会った人が次へ進めるきっかけをつくる。
人生の選択肢を増やすために、必要な情報を届ける。自分の時間を楽しめるよう、後ろから支える。そうした一つひとつが広がり、社会や世界の変化につながるなら、その規模まで育てたい。大きな未来を描くことと、今目の前にいる人に働きかけること。加瀬さんは、その両方を地続きのものとして考えている。
IKIGAIは何かと尋ねた時、加瀬さんの答えは明確だった。
「僕と出会えてよかったと思う人を、一人でも多く増やすことです」
これまでに、自分との出会いが人生のターニングポイントになったと伝えてくれた人がいた。出会っていなければ歩めなかった人生を、今は歩めているという。
「言葉に表せないような、自分の存在意義が認められたというか。自分のアイデンティティを形成するうえで、大事なきっかけでした」
幼い頃から、自分は何者なのかと考えてきた。サッカーに打ち込み、自分より優れた選手に出会うたびに、その問いが残った。仕事で成果を出せるようになってからは、契約を一つずつ重ねることが自信になった。そして今、自分との出会いで人生が変わったと伝えてくれる人がいる。
加瀬さんが、最も大きなIKIGAIを感じているのは、その出会いだ。まだ見つかっていない自分の良さに気づき、これまで選べなかった一歩を踏み出す。そのきっかけをつくるために、これからの事業も考えていく。「会えてよかった」と思う人を、一人でも多く増やしたい。
自分が主演の映画を、面白くしていく。その物語には今、出会った人が新しい人生を歩み始める場面も重なっている。
誰かの人生が動く。その瞬間が、加瀬さん自身を、また次の一歩へ連れていく。

あとがき
対話を終えたあと、私の中に残ったのは、「内省はどこまでも深められる」ということだった。
加瀬さんは、身体が止まった半年間に、自分のこれからを徹底的に考えた。誰かに答えを与えてもらうのではなく、自分はこれから何を選ぶのかを、自分の内側へ問い続けた。
その話を聞きながら、私は、内省には終わりがないのだと思った。自分は何者なのか。何ができるのか。何に力を使いたいのか。問いを深めるほど、自分の弱さだけでなく、自分の中にある力も見えてくる。
加瀬さんも、自分に自信を持てないところから、考え、動き、経験を重ねてきた。その積み重ねの中で少しずつ自分を認められるようになり、今では自分が持つ力を、誰かの可能性を広げるために使っている。
そして自分を認めた先で、力の向き先は自分の外へ広がっていく。
加瀬さんから、「僕と出会えてよかったと思う人を、一人でも多く増やすこと」がIKIGAIだと聞いた瞬間、私は魂が震えるのを感じた。
自分を磨き続けてきた力を、今度は誰かの可能性を広げるために使っている。
今回の対話を通して、私は改めて、IKIGAIは「見つけた答え」だけに価値があるものではないと思った。そこへたどり着くまでに、自分とどれだけ向き合い、何を選び、その力をどこへ向けるようになったのか。その過程にこそ、その人にしか残せないものがある。
IKIGAI JAPANで私が残したいのも、きっとそこだ。完成された言葉だけを切り取るのではなく、その言葉が生まれるまでの時間を残したい。その過程に触れた時、読者は誰かの答えを真似するのではなく、自分自身の問いへ戻ることができる。
あなたは今、自分の内側にある問いと、どこまで向き合えているだろうか。
すぐに答えが出なくてもいい。問い続けた時間の先で、自分を少し認め、その自分の力を誰かのために使いたいと思えた時、IKIGAIは少しずつ形になっていく。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師
WRITER PROFILE
尾﨑弘師 (おざき ひろし)
IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役
これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。
掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。
さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。









