後悔のない人生を、目の前の人とつくる——不安を安心へ変える、影の立役者の歩み

後悔のない人生を、目の前の人とつくる——不安を安心へ変える、影の立役者の歩み

田中誠 株式会社アンサングヒーロー

不安を安心へ変え、目の前の人を勝たせる経営者

東京都

田中誠さんのプロフィール

株式会社アンサングヒーローの代表取締役。警察官としての経験を経て、経営者の財務相談や経営支援に取り組む。採用・人材育成・経営判断の相談にも応じ、お金や将来への不安に向き合っている。

後悔のない人生を、目の前の人とつくる——不安を安心へ変える、影の立役者の歩み

あなたは、もし今日で人生が終わるとしたら、「やり残したことはない」と言えるだろうか。

警察官として働いていた頃、田中誠さんは、人の人生が一瞬で変わる場面を何度も見てきた。事件や事故によって命を失う人。犯罪の被害を受け、それまでの日常が崩れていく人。苦しみの中で、自ら命を絶つ人もいた。
「いつ何が起こるか、本当に分からないんですよね。だから、いつ終わっても後悔しないように生きたいと思っています」

現在、株式会社アンサングヒーロー代表取締役の田中 誠さんは、経営者を中心に、財務や経営にまつわる相談に向き合っている。ただ、田中さんが見ているのは数字だけではない。お金の向こうにある不安を聞き、その人が本当はどう生きたいのかを一緒に考える。
十分な資産があっても、税金や将来が心配で眠れない人もいる。田中さんは、その違いを「お金の量ではなく、感情の問題」と捉えている。

不安の根源を聞き、どうすれば安心できるのかを考える。やりたいことがあるなら、時間とお金を整理して計画へ変える。経営者であれば、財務だけでなく、採用や人材育成、理念、経営判断の壁打ちにも付き合う。
社名の「アンサングヒーロー」は、「影の立役者」という意味から名付けた。
自分が前面に立って引っ張るより、主役を支える。目の前の人を勝たせる。その名前をたどっていくと、幼い頃に好きだったヒーロー、警察官として向き合った正義、そして現在の「顧客を勝たせる」という仕事観まで、田中さんが歩いてきた時間が見えてくる。

これは、「後悔のない人生」を自分にも、目の前の人にも問い続けてきた一人の生き方の記録である。

第1章|守りたい人がいた——「迷惑をかけない」と規律が染み込んだ原風景

田中さんに幼い頃のことを尋ねると、最初に返ってきたのは意外な答えだった。
「あまり覚えていないんですよ。両親から『全然覚えてないよね』と言われるくらいで」
家族から聞く話では、幼い田中さんは少しいたずら好きで、大人を困らせることもある、わんぱくな子どもだったという。

小学校に入る頃になると、両親の関係が冷え込んでいることを、子どもながらに感じるようになった。
その中で、田中さんは母の側に立ちたいと感じるようになった。
「どこかで母親の味方になりたいというか、ならないとな、みたいな感覚が芽生えていったんですよね」

父は消防士、母は近所のスーパーでパート勤務をしていた。田中さんが母から強く受け取ったものの一つが、「他人に迷惑をかけない」という感覚だった。
決められたことを守ること、当たり前のことを当たり前に続けることが自然と身体に入っていった。
「習慣を守るということも、知らないうちにすり込まれていたのかもしれないですね」

真面目であること。規律を守ること。人へ迷惑をかけないこと。
田中さんにとって、それは苦しみながら従うルールではなかった。
「今振り返っても、あってよかったと思います。自分の中の『当たり前』の基準が高くなったのは、そこが大きいと思います」

田中誠さんの活動の様子
学生時代は、将来の就職を考えて商業高校へ進学した。当時は就職氷河期の影響がまだ残る時代。少しでも就職に有利な力を身につけたいという、現実的な理由からの選択だった。

そこで田中さんが得意になったのが簿記だった。数字の左右が最後にぴたりと合う感覚を、本人は「パズルみたいなもの」と表現する。
周囲の生徒が日商簿記3級を目指す中、高校時代に2級まで取得した。同級生から「教えて」と頼まれることも増え、高校2年生の頃には「この得意なことを仕事にできないか」と考えるようになった。
簿記の先生になる。さらに学んで、税理士や公認会計士を目指す。そんな進路も一度は思い描いた。
ただ、高校3年生になり、実際に自分が働く姿を考えたとき、少し違和感があった。

田中さんはそれまでずっと部活動を続け、身体を動かしてきた。机に向かって資格を生かす仕事よりも、身体を動かしながら人の役に立つ仕事の方が、自分には合っているのではないか。
そこで浮かんだのが、公務員だった。
身体を動かす仕事であり、不況の影響も比較的受けにくい。候補に挙がったのは、消防、自衛隊、警察だった。
父親は消防士だった。ただ、当時の田中さんには父と同じ道へ進みたいという気持ちはなかった。そのため消防は選択肢から外れ、身近に感じた警察官を受験することにした。

警察官を幼い頃から夢見ていたわけではない。
「全然なかったです。本当に高校3年生くらいに、ふと思いついて受験したぐらいでした」
そして受験し、合格する。

第2章|正義だけでは救えない——警察官として見た命と、組織の限界

警察学校では、約10か月の集団生活を送りながら、現場活動、体力訓練、武術などを学んだ。当時は厳しい指導が当たり前だった。
それでも、田中さんには「辞める」という発想がほとんどなかった。
中学時代にも厳しい部活動を経験しており、体力にも自信があった。暗記も得意だった。警察学校の学科試験は、教科書の内容を覚えることが大きな比重を占める。田中さんの得意なことが、その環境には合っていた。
「職業訓練校とは、こういうものなんだな、という感覚でした。学校で投げ出すという選択肢は、まずなかったですね」

高成績を狙っていたわけでもない。
試験日が決まっている。その日までに必要なことをやる。やれることを100%やる。
その積み重ねの結果、田中さんは警察学校を主席で卒業した。
「順位にこだわっていたというより、やらないで後悔するのが嫌なんです。やれることを100%やったら、結果として順位がついてきたというだけです」

卒業後は現場へ配属され、仕事を覚えていった。20歳の頃には刑事となった。
当時、刑事は希望すれば誰でもなれる仕事ではなく、限られた人が進む道だったという。だが田中さん自身には、「どうしても刑事になりたい」という強い願いが最初からあったわけではなかった。
「周りの期待が高まると、応えようと思ってしまうんですよね。『お前がならないで誰がなるんだ』と言われると、それに応えようとしていた。そっちの方が強かったと思います」
期待されれば応え、仕事があれば引き受け、誰かがやらなければならないなら自分がやる。

幼い頃から身についた「当たり前のことを当たり前にする」という思いは、警察組織の中でも変わらなかった。
だからこそ、違和感も生まれた。
当たり前だが、警察は営利企業でなければ、営業会社のような成果主義ではない。大変な仕事を積極的に引き受けても、避けても、給与がそのまま成果に連動する世界ではなかった。誰かが避けた仕事は、引き受ける人のところに集まってくる。
田中さんには、「やらない」という選択が難しかった。

「自分は、それができないんですよね。やらないという選択肢が取れない。手を抜くという選択肢も取れない」
仕事は集まった。期待にも応えた。昇任し、そのまま進めば、警察組織の中でキャリアを築く未来も見えていた。
一方、現場では別の現実を見続けていた。
事件の被害に遭った人。突然、大切なものを奪われた人。一瞬で命を失った人。

そして、警察官にできることの限界。
犯罪を捜査し、犯人を捕まえることはできる。しかし、盗まれたものが必ず戻るわけではない。失われたお金が戻るとも限らない。何より、奪われた命は戻らない。
「自分たちにできるのは、基本的に捕まえるところまでなんですよね。被害救済まではできない。その部分は、葛藤だったと思います」
さらに、人を疑うことも仕事の一部だった。

交通違反を否定する人。犯罪への関与を否認する人。証拠があっても「自分はやっていない」と主張する人。
警察官としては、目の前の言葉をそのまま信じるのではなく、事実を確認し、嘘を見抜く必要がある。
田中さんは、当時の環境を「性悪説で人を見る仕事だった」と振り返る。
仕事として必要な姿勢だった。その一方で、「このままここに居続けるのか」という問いは少しずつ大きくなっていった。

正義を守る仕事に就きながら、救いきれない人がいる。
期待に応え続けながら、自分の意思がどこにあるのか分からなくなる。
田中さんは、やがて警察という安定した道を離れることを選んだ。

田中誠さんの活動の様子

第3章|正解のない世界へ——肩書きを脱ぎ、人生の不安に向き合い始めた

警察官を辞めることに、大きな恐怖はなかったという。
当時26歳。家庭があり、妻も仕事をしていた。経済面で、すぐに生活が立ち行かなくなる状況ではなかった。
それ以上に、田中さんの中には、組織の中でそのまま出世していく人生への問いがあった。
「そのままとんとん拍子に上がっていって、それで何が面白いんだろう、という感覚があったんですよね」

それまで積み重ねてきた警察官としての実績や評価を手放し、田中さんは民間の世界へ移った。
選んだのは、FP・保険の仕事だった。
警察官時代、田中さんは人生が突然変わってしまう場面を何度も見てきた。金融の世界へ入ると、今度は人生と「お金」がどれほど密接につながっているかを知ることになる。
人が亡くなったとき、いくら保障が下りるのか。病気になったとき、いくら必要なのか。老後に向け、どれくらい準備すればいいのか。

けれど、数字を扱うほど、田中さんの中では別の感覚が強くなっていった。
「誰かが亡くなって数千万円が下りたから、それですべて解決するわけじゃないですよね」
お金は必要だ。
同時に、お金だけを残しても、人生そのものの後悔までは消せない。

行きたい場所があるなら、行く。今すぐ行けないなら、三か月後、半年後、一年後の予定を決める。そのために必要なお金を考え、時間を確保し、誰と行くのかを決める。
一つずつ準備すれば、「いつかやりたい」は目標へ変わっていく。
「すぐにできることなら、やればいい。時間やお金が必要なら、計画を立てればいい。やりたいことを、やらないまま終わらせたくないんです」

警察官時代に見た命の現場と、金融の仕事を通して見た人生設計。その二つが重なる中で、「後悔のない人生」という価値観はより具体的になっていった。
そして仕事を続ける中で、田中さんが強く意識するようになったのが、お金の相談の奥にある「感情」だった。
相談の入り口はお金である。

貯金が少なく、来月の生活を心配する人もいる。
一方で、大きな資産を持ちながら、税金や将来への心配で眠れない人もいる。
どちらにも不安がある。
「お金の量じゃないんですよね。結局は感情的な、心の不安なんです」

田中さんは、その不安を深く聞くようになった。
何が怖いのか。何が分からないのか。どうなれば安心できるのか。
「不安の根源をじっくり聞いて、その人が何を不安視しているのか、どうしたら安心できるのかを考える。不安から安心へ切り替わる瞬間を見つけた時、『この人の話を聞けてよかったな』と思えるんです」
警察官時代は、人を疑うことも仕事だった。

民間へ出ると、目の前に座るのは、自分の人生を相談しに来る人へ変わった。
関わる人が変わり、田中さん自身の人の見方も変わっていった。
一方、会社員として金融の仕事を続ける中では、新しい葛藤も生まれた。
会社には販売方針がある。特定の商品を推奨する事情もある。

「本当にこの人にとって最適なのだろうか」
その問いが残った。
会社員という安定と、自分の責任でお客様に最適なものを選ぶ自由。
田中さんは後者へ進んだ。

独立性の高い働き方へ移り、保険だけでは解決できないことがあれば財務を学び、税務や金融商品など、必要な知識を増やしていった。
扱う領域は少しずつ広がった。
その中心に置いた言葉は、シンプルだった。
「顧客を勝たせることです」

第4章|弱さを直すより、受け入れる——人を疑う世界から、人を信じる世界へ

田中さんに「人生最大の挫折」を尋ねると、少し考えた後、こう答えた。
「挫折はないんですよね。挫折と捉えていないんです」
もちろん、うまくいかなかったことがないわけではない。
金融を扱う以上、期待した結果につながらなかったこともある。今もフォローやリカバリーを続けながら、お客様と向き合っている案件もあるという。

田中さんは、そのことを隠さなかった。
「上手くいかなかった案件はあります。でも、それならアフターフォローをするしかない。リカバリープランを考えて、最後にみんなで成功できるようにやっていくしかないと思っています」
結果が出なかった時に、関係から離れれば終わる。
だから、できることを考え続ける。

田中さんが話す「誠実さ」は、失敗しないことではなく、起きたことから逃げないことに近い。
その姿勢は、自分自身との関係にも向けられている。
完璧という意味ではない。
「自分で8時に起きようと決めてアラームをかけたのに、二度寝して9時に起きることだってあります。自分との約束を破ってるじゃないですか。だから完璧な人間じゃないですし、100%じゃないですよ」

田中さんが、自分自身をここまで言語化できるようになったのは、ここ数年のことだという。
大きかったのが、自己理解に取り組んだ時間だった。
そこで、
期待に応えすぎてしまうこと。

真面目であることと、柔軟に力を抜くことが苦手なこと。
長所と短所を切り離さず、自分の反応を一つずつ見ていった。
そこで田中さんが得た答えが、「自己受容」だった。
「ここを変えなきゃ、ではなくて、『自分はそういうものなんだ』と受け入れる。こういう反応をする自分もいるよね、と。そのうえで、じゃあこれをどう活かそうかと考えるようになりました」

自分自身への向き合い方が変わるにつれ、人を見る目も変わった。
警察官時代には、仕事として人を疑う必要があった。
今は「基本的には性善説で生きています」と話す。
「どんな人にも良いところは絶対にあると思っています。まずはそこを見るようにしています」

もちろん、現実には自分を都合よく利用しようとする人もいる。情報だけを求める人もいる。それでも、最初から人を疑う方を選ばない。
「自分からは裏切らないというか、ギブを出し続ける。自分自身が満たされていれば、そこから溢れるものを人に渡せるようになると思うんです」
相手から何かが返ってくることを前提にしたギブではない。自分が満たされているから、渡せる。
「社長と言われても、別に何も嬉しくないんですよね。名声にも全く興味がないです」

田中さんが求めているのは、地位や名声よりも、後悔のない人生を歩き、同じ感覚を持つ人たちと楽しく進みながら、自分が持っているものを目の前の人へ渡していくことだった。
その在り方は、会社名にも表れている。株式会社アンサングヒーロー。「影の立役者」。
幼い頃に好きだった仮面ライダーやウルトラマン。警察官として向き合った正義。そして現在は、誰かの人生や経営の隣に立つ。田中さんにとって「ヒーロー」という言葉は、自分だけが主役になることとは違う意味を持つようになっていた。

第5章|「出会えてよかった」を積み上げる——目の前の人を勝たせるというIKIGAI

「顧客を勝たせる」
現在の仕事で絶対に外したくない軸を尋ねると、田中さんはそう答えた。
判断するときは、自分自身に置き換える。
「自分だったら、それをやるのか」

「自分がこの財務状態で、この提案を受けたら、本当にいいと思えるのか」
自分なら選ばないものを、お客様には勧めない。
その人を勝たせるために、どんな話をすればいいのか。
今だけでなく、数年後に何が必要になるのか。

すべてを「その人が勝つ」という一点から考えていく。
田中さんが話してくれた、一人の経営者の事例がある。
数年前に出会った、ある会社の後継者だった。
現社長である父親が長い年月をかけて育ててきた会社を、これから数年かけて引き継いでいく立場にある。

田中さんは、最初に会社の財務状態を見るところから関わった。
数字の見方を伝える。財務の原理原則を伝える。銀行とどのように話すのかを伝える。税理士へ何を依頼すればいいのかも、一緒に考えていった。やがてその後継者は、自分自身で財務数値を読み、銀行と交渉し、税理士へ要望を伝えられるようになったという。
財務だけではない。採用、人材育成、理念、経営判断。
月に一度、田中さんとの面談で考えを整理する時間が続いている。

田中さんは、自分を永遠に必要としてほしいとは考えていない。
「もう卒業してもいいんじゃないですか」
本人へそう伝えたこともある。
しかし返ってきたのは、「この月一回の時間がないと、身が引き締まらない」という言葉だった。

「ああいう時は、本当に伴走してきてよかったなと思います」
会社の未来を尋ねても、田中さんから「年商〇億円」「従業員〇人」という答えは出てこなかった。
増やしたいものは、別にある。
「『田中に出会えてよかった』『アンサングヒーローのサービスを受けてよかった』という声を、一件でも多く積み上げていきたいんです」

それが、現在の田中さんにとってのIKIGAIにもつながっている。
目の前にいる人の不安に耳を傾ける。
本人がまだ気づいていない目標があるなら、その言葉が出てくるまで話を聞く。
田中さんは、「気づきを与えられた瞬間」が嬉しいと話した。

「『そういう考え方もあるんですね』『目標ができました』『やりたいことをノートに書きました』と言ってもらえる。そうやって人の意識が変わっていくことが、自分にとっては嬉しいんですよね」
「影の立役者」という言葉は、田中さんの生き方そのものに重なる。
自分が前に出ることより、目の前の人が前へ進み、その人自身の人生を歩き始めることに喜びを感じる。取材を通して、田中さんの中にはずっと自分なりの正義が流れているように感じた。

お客様へ何かを提案するときには、「自分だったら、本当にこれを選ぶのか」と自分に問いかける。期待した結果につながらなければ、アフターフォローやリカバリープランを考え、今できることを続ける。その姿勢が、「顧客を勝たせる」という言葉に表れている。
警察官として命が一瞬で失われる場面を見てきた。金融の仕事では、お金が人生の選択肢を広げる一方、それだけでは埋められない不安があることも知った。だから田中さんは、やりたいことを「いつか」のままにせず、今できることは今やり、準備が必要なら時間とお金を整えて計画に変える。

その生き方を、自分一人のものにもしていない。財務を整え、不安に耳を傾け、時には問いを投げながら、目の前の人が後悔のない人生へ踏み出せるように伴走する。
会社をどれだけ大きくするかより、「田中に出会えてよかった」「アンサングヒーローに出会えてよかった」と言ってくれる人を一人ずつ増やしていく。
その一つひとつが、田中さんにとってのIKIGAIを、今日も形にしている。

あとがき

田中さんの話を聞き終えて、私は「自分はどういう人間でありたいのか」と問い続けることこそ、自分の真実を探究することなのかもしれないと思った。
田中さんの人生には、ずっと「正義」がある。警察官として救いきれない現実に向き合った時も、金融の世界で「本当にこの人にとって最適なのか」と迷った時も、違和感を押し込めず、自分が大切にしたいものへ向かって選択を変えてきた。

そしてアンサングヒーローに辿り着いた。

私は、その生き方に勇気をもらった。
人それぞれ、正義の形も、幸せの形も違う。だからこそ、胸の奥に生まれた「何か違う」という感覚を、誰かの正解で消してはいけないのだと思う。
信念も、IKIGAIも、最初から完成した言葉としてあるわけではない。もがき、迷い、「自分はどうありたいのか」を問い、そのたびに選び直す。後から振り返った時、点だった出来事が一本の線につながり、「あの時があったから、今の自分がいる」と言える瞬間がくる。

田中さんの物語を通して、私はIKIGAIが深まっていく過程を見せてもらった。
あなたは、自分が何を大切にして生きているのか、言葉にできるだろうか。
まだ言葉になっていなくても、形になっていなくてもいい。始まりは、胸の奥に生まれる小さな違和感なのかもしれない。
みんなが気づいていなくても、あなただけは気づいている。

自分だけの真実を。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

株式会社アンサングヒーローウェブサイト

WRITER PROFILE

尾﨑弘師 (おざき ひろし)

IKIGAIコネクター/IKIGAI JAPAN 主宰/株式会社ミトミト 代表取締役

これまで延べ1,500人以上に「生きがい(IKIGAI)」をヒアリングし、経営者を中心に100本以上の長編インタビュー記事を執筆。経営者インタビューメディア「IKIGAI JAPAN」を運営し、人生・価値観・哲学・仕事への想いを取材・言語化し、次世代へ残す活動を続けている。

掲げるのは、「その人の人生は、誰にもコピーできない。だからこそ、残すべき価値がある。」という考え方。AIによってコンテンツが大量生産できる時代だからこそ、その人にしかない経験や思想、技術、物語こそが差別化資産になると考えている。

さらに、発掘したIKIGAIをブランド・採用・集客・営業へつなげ、経済の力へ変える「IKIGAIマーケティング」を実践。インタビューによる価値の発掘・言語化を起点に、Webサイト・漫画LP・アニメーションなどのクリエイティブ制作から、広告運用・営業設計まで一気通貫で支援し、「その人だから選ばれる」マーケティングの仕組みを構築している。

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