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みんなで楽しく遊べばいいのに——福祉の現場で自分の弱さを認めた先に見えた、人を変える「役割」の力
株式会社花 清野 真知
空気に流される時代に、自分の根っこで立つ力を育てる人
北海道帯広市
目次
Toggleみんなで楽しく遊べばいいのに——福祉の現場で自分の弱さを認めた先に見えた、人を変える「役割」の力
「みんなで楽しく遊べばいいのに」
男女で分かれて遊ぶ。
障害のある子とない子が分けられている。
そんな光景に、強い違和感を抱いていた少女がいた。
18歳で子どもを産み、トランポリン競技を続けながら、やがてコーチとなり、さまざまな仕事を転々としながら生きてきた。
株式会社花 常務取締役
清野 真知。
彼女がずっと追い続けてきたもの。
それは、
「みんなで楽しく遊ぶこと」
どうして一緒に遊ばないんだろう。
どうして分けるんだろう。
できないことがあるなら、自分だって同じじゃないか。
でも、その子にしかできないことだって、あるはずなのに。
ただ、清野さんはそこで“正しいことを貫いた人”ではなかった。
本当はおかしいと思っていた。
本当は「一緒に遊べばいいのに」と思っていた。
それでも、嫌われたくなくて、ひとりになるのが怖くて、空気に負けた。
そんな時期が、清野さんにはあった。
「結局、全部優しい行動をとってたのも自分のためにやってたんじゃないかって」
人のためだと思っていたことの中に、自分を守る動機があったかもしれない。
必要とされたい、認められたい、その気持ちで動いていたのかもしれない。
そんなふうに、自分の弱さを真正面から見つめることは、きれいごとよりずっと苦しい。
清野さんはそこを問い続けた。
フラフラしていた時期もあった。
いろんな仕事をした。
トランポリンの選手として、コーチとして、育成にも関わった。
福祉の現場に入り、株式会社花という場所に出会い、人の力を信じるとは何かを何度も問い直してきた。
その中で、ようやく見えてきたものがある。
人は、守られることで変わるのではない。
社会の中で役割を持てたときに、生きる力を取り戻す。
そして、その役割を本当に信じられるのは、自分の弱さを見たことのある人なのではないか——。
清野さんの歩みは、ただ福祉の現場を語る話ではない。
人を信じるとはどういうことか。
みんなのためになるとは何か。
その問いを持ち続けながら、自分自身も何度もつくり直してきた、一人の人間の物語だ。
第1章:「みんなで遊んだ方が楽しいのに」——幼い違和感が、人生の原点だった
清野さんは、小さな頃から、じっとしている子ではなかったらしい。
お母さん曰く、「目を離したら、いなくなってた」ような子だったという。
お兄さんは習字を習っていた。
そんな兄の姿が、清野さんにはとても魅力的に見えていたのだろう。自分もやってみたい。そんな気持ちが、ずっとあった。
ある日、お兄さんが風邪で習字教室を休んだ。
すると、気づいたら清野さんの姿がない。慌てて探すと、本人はなんと習字教室にいて、「兄ちゃんの代わりに来ました」と言って、勝手に習字を受けていたのだという。
やりたいと思ったら、まず体が動く。
「行ってみたい」
「やってみたい」
その気持ちが先に立つ。
そんな子どもだった。
けれど、清野さんの原点は、その行動力だけではない。
もっと深いところに、ずっと消えずに残り続けた感覚がある。
それが、
「みんなで一緒にいた方が楽しいのに、なんで分けるんだろう」
という違和感だった。
小学校の低学年くらいまでは、男の子も女の子も関係なく遊ぶ。
ところが三年生、四年生と少しずつ年齢が上がるにつれて、空気が変わっていく。男の子は男の子、女の子は女の子。そんなふうに分かれていくことが、清野さんにはどうしても理解できなかった。
どうして分けるんだろう。
どうして一緒に遊ばないんだろう。
みんなで遊んだ方が、楽しいじゃないか。
その違和感は、男女のことだけではなかった。
学校の中には、障害のある子も、ない子もいた。できることが違う子もいた。
清野さんにとっては、それもまた同じだった。
なんで一緒じゃないんだろう。
なんで分けるんだろう。
なんであの子がいじめられるんだろう。
できないことは、誰にだってある。
自分にだって、できないことはある。
でも、その一方で、その子にしかできないことだって、きっとあるはずなのに。
清野さんはインタビューの中で、当時の感覚をとてもまっすぐに振り返っている。
「みんなで楽しく遊べばいいのに。なんでそれができないんだろう」
そこには、大人の理屈も、制度の説明もない。
ただ、誰かが外されることが嫌だった。
みんなで一緒にいた方が楽しい。
その感覚が、清野さんの中にはずっとあった。
小学校の頃、クラスには“仲間外れを順番に回していく”ような慣習があったらしい。今の感覚で聞けばぞっとする話だが、その場の子どもたちにとっては、奇妙な“流れ”として存在していた。そして、その順番は清野さんにも回ってきた。
学校では、誰も口をきいてくれない。
ひとりになる。
すごく悲しかった。
不思議なことも起きた。
学校が終わって、ひとりでいるクラスメイトに会うと、普通に喋れるのだ。普通に応答してくれる。ついさっきまで無視していた相手が、学校の外ではいつも通り話してくる。
ああ、この子たちも本当はそうしたいわけじゃないんだ。
ひとりになると普通に話せるんだ。
弱いから、集団の中でそうしてるだけなんだ、と。
それは、人間の弱さを初めてはっきり見た瞬間だったのかもしれない。
そして同時に、自分自身の弱さも見た瞬間だったのかもしれない。
本気でその風習を壊すのなら、ひとりの時だけ優しくするのではなく、集団の中でも立ち向かうべきだった。
けれど、清野さんにはそれができなかった。
嫌われないように。
自分が傷つきすぎないように。
最小限、自分を守れる場所を渡り歩いていた。
そのことを、清野さんは後になってこう言葉にしている。
「結局、嫌われたくないっていうところに全部帰ってくる」
「自己保身でしかなかったです」
賢さを、自分を守るために使ってしまった。
自分が嫌われないために、人の弱さに乗ってしまった。
その事実を、今も見つめている。
本当はおかしいと思っていた。
本当は「みんなで遊ぼうよ」と言いたかった。
でも、言えなかった。
結局、自分に負けた。
空気に。
集団に。
そして、嫌われることへの恐れに。
けれど、その幼い頃の体験は、ただ苦い記憶として残ったわけではなかった。
むしろ、ここから先の人生でずっと探求し続ける問いの原点になっていく。
なぜ、自分はあの時、立ち向かえなかったのか。
なぜ、人は分断の中で弱くなるのか。
なぜ、みんなで楽しく生きることは、こんなにも難しいのか。
清野さんは、その問いとともに、長い探求の旅へと向かっていく。
第2章:「どうせ」で止まる自分が嫌だった——トランポリンと福祉のあいだで見つけたもの
清野さんの人生は、早い段階から“まっすぐなレール”の上にはなかった。
中卒でバイトで働き、18歳のときに出産し、二年ほど専業主婦をしたあと、スーパーで働き、パチンコ店にも立ち、農家の手伝いもした。思い立って雑貨店を始めたこともある。
一見すると、ばらばらな経歴に見える。
本人の言葉を借りれば、
「本当にフリーターみたいに、いろんな仕事をしてましたね」
そんな時期だった。
けれど、その一方で、一貫して続いていたものがあった。
トランポリンだ。
清野さんは元トランポリン選手であり、引退後はコーチとしても関わっていた。人の身体を見て、変化を見て、成長を支える。その感覚は、この頃からずっと清野さんの中にあった。
ただ、その世界にも、少しずつ違和感が生まれていった。
トランポリンを教えること自体が嫌だったわけではない。
むしろ、選手が成長していく姿を見るのは嬉しかったし、できなかったことができるようになる瞬間に立ち会えることには、たしかなやりがいがあった。
それでも、どこか心の奥に引っかかるものがあったという。
ひとつは、「育てた先」が見えにくいことだった。
北海道で育った子どもたちは、競技を続けて力をつけると、進学や環境を求めて道外へ出ていくことも多い。それ自体が悪いわけではない。外に出て、より良い場所で挑戦するのは自然なことだ。
けれど清野さんの中には、ずっと残る問いがあった。
北海道に残りながら、力を伸ばしていける選手は育てられないのか。
地域に根を張りながら、競技を続けていける形はつくれないのか。
目の前の選手を一人ひとり教えることはできる。
でも、その子たちが育っていく土壌そのものを変えるところまでは、自分は踏み込めていない。そんな感覚が少しずつ強くなっていった。
もうひとつ大きかったのは、言葉にしているわりに、自分が動けていないことへの苛立ちだった。
北海道のスポーツ環境をもっと良くしたい。
地域の中で育つ選手を増やしたい。
そんな思いは口にしていた。でも、本気でそこを変えるために行動していたかと問われると、胸を張れなかった。
「こうだったらいいのに」
「本当はこうすべきじゃないか」
そう思いながらも、結局は日々の指導の中にとどまり、自分の手で大きく何かを変えにいくところまでは行けていなかった。
その感覚は、やがて「どうせ」という言葉に変わっていく。
どうせ地域は変わらない。
どうせここで頑張っても限界がある。
どうせ自分一人が動いても何も変わらない。
本当は変えたいのに、変えるところまで踏み込めない。
理想はあるのに、行動が追いつかない。
そのズレが積み重なるたびに、トランポリンそのものまで少しずつ曇っていった。
そんな時だった。
障害のある子どもたちが、トランポリンの場に入ってきた。
脳性麻痺のある子。
重度の自閉症の子。
当時の感覚でいえば、トランポリンを教える対象としては想像しにくい子どもたちだったのかもしれない。
でも、その出会いが、清野さんの中に眠っていた何かを大きく揺らした。
自閉症の子は、とにかく跳ぶのだという。
床でもどこでも、ちょんちょん跳ねている。だから、トランポリンに乗せると、ずっと跳んでいる。止めるまで、延々と跳んでいる。どのくらい続けるのか試してみたら、10分でも30分でも跳び続けていたらしい。
そこには、集中があった。
没頭する力があった。
そしてそれは、明らかにひとつの才能だった。
さらに驚いたのは、自閉症の子どもたち同士の関わりだった。
会話しているようには見えない。別々の世界にいるようにも見える。でも現場では、教え合いが起きていた。
先に飛んでいる子の隣に新しい子を乗せて、
「同じことやってごらん」
と声をかけると、ちゃんと真似をする。新しい子が分からなくなって止まると、先輩の子も止まる。呼吸を合わせる。無言で、でも確かに伝わっている。
それは、清野さんにとって衝撃だった。
今まで“無理”とされていたことが、全然無理ではないかもしれない。
できないと思っていたことが、実はできるのかもしれない。
限界を決めていたのは、本人たちではなく、周りの大人たちの方だったのではないか。
そう思わされる場面が、次々と目の前で起きた。
評価されていないだけで、できることがいっぱいある。
見えていないだけで、力はある。
その力を見つけて、活かして、つないでいけたら、みんながもっと楽しくなれる。
その時、清野さんの中で、ばらばらだった点が一本につながったのだと思う。
「あ、やりたいのってこれじゃん」
子どもの頃からずっと持っていた、「なんで分けるんだろう」「みんなで一緒にいた方が楽しいのに」という感覚。
それが、ここで初めて仕事として立ち上がった。
清野さんは、その可能性に引き寄せられるように、福祉の世界へ入っていくことになる。
第3章:「リハビリとは再び笑顔にすること」——株式会社花との出会いが、福祉観を変えた
福祉の仕事に興味はあった。
でも、それは最初から明確なビジョンとしてあったわけではない。人生がフラフラしている感覚もまだ残っていたし、このままではいけないという焦りもあった。
そんな時、清野さんの心をつかんだ言葉があった。
ハローワークの求人票に書かれていた、たった一文。
「リハビリとは再び笑顔にすること」
その言葉に、清野さんは強く惹かれた。
そして直感的に「ここで働きたい」と思ったという。
面接を受け、入社した。
当時、清野さんは32歳くらい。福祉業界は未経験だった。
入ってみてすぐに分かった。
ここは、ただの介護施設ではない。
むしろ、清野さんの言葉を借りるなら、
「介護ではない介護施設」
だった。
一般的に介護というと、手をかけること、してあげること、助けることが“良いこと”としてイメージされやすい。
ただ、株式会社花にはそれとは違う空気が流れていた。
無駄に手をかけない。
できることは奪わない。
できる力を残す。
必要以上に施さない。
清野さんの感覚で言えば、そこはまさに
“引き算の介護”だった。
それは、清野さんにとってとても自然に感じられたという。
利用者さんを信じて任せる。
「できるでしょ」
「自分でやれるじゃん」
その感覚が、この会社では否定されなかった。むしろ、それを土台にした支援が行われていた。
もちろん、それは放置ではない。
見捨てることでもない。
“何もしない”のではなく、“その人の力を信じて待つ”という関わりだ。
利用者さんの方から教えられることも多かった。
そばに立って様子を見ていると、
「あんた、気の利かない女だね。こういう時はこうするのよ」
と逆に教わることもある。
スタッフが一方的に世話をするのではなく、利用者さんもまた、関係の中で役割を持っているのだ。
さらに面白いのは、利用者さん同士が育ち合うことだった。
「これはこうやったら自分でできるんだよ」
そんなふうに、先輩利用者さんが新しい利用者さんに教えていく。
つまり、株式会社花がつくっていたのは、単なる“サービスを受ける場所”ではなかった。
そこは、人と人が関わり直し、役割を持ち直し、自分の力を思い出していく場だった。
だからこそ、利用者さんの側にも矜持がある。
当時、代表が現場に出ていた時に、利用者さんから
「デイサービスみたいなことしないでくれる?」
と言われていたという話もある。
その一言に、この場所の温かさと厳しさが同時に宿っているように思う。
ただ楽にしてもらうことではない。
ここで取り戻そうとしているのは、自分で生きる力なのだ。
そして、株式会社花が目指しているのは、立派な“施設”をつくることではない。
清野さんが何度も語るように、
「つくっているのは、繋がりのコミュニティー」
なのである。
本来、福祉は地域の中にあるべきものだった。
家族がいて、近所がいて、商店街があって、誰かの顔が見える中で助け合いながら暮らしていく。けれど、そのつながりが薄れ、分断され、制度として施設が必要になった。
だから代表と専務は、会社を立ち上げた時に、こんな会話をしていたという。
「うちの会社がなくなることが、世の中が良くなった証拠だね」
この言葉は、清野さんの中に深く残っている。
福祉の会社が繁盛し続けることが、必ずしも理想ではない。
本当に地域がつながり直し、人が人として支え合える社会になれば、本来こうした場所は今ほど必要なくなるはずだ。
それでも今は必要だから存在する。
でも、目指しているのは“施設の拡大”ではなく、“地域の再生”と“意識の改革”だ。
この思想に、清野さんは強く惚れ込んでいった。
第4章:パートから役員へ——承認を求めた自分と、役割を選び直した時間
清野さんのスタートは、パートだった。
当初から、現場には強く惹かれていた。
ここで行われていることは、ただの介護ではない。
“守られる側”にしてしまうのではなく、その人の力を信じ、できることを残し、社会とのつながりを取り戻していく。
そういう支援の思想に触れたとき、自分はここでやっていきたい、と素直に思えたのだという。
ただ、現場で一生懸命やればやるほど、別の感情も膨らんでいった。
もっと良くしたい。
もっとこうした方がいい。
自分はここまで考えている。
ここまで利用者さんに向き合っている。
そんな思いが強くなる一方で、心の奥では少しずつ別のものも育っていた。
それが、「認められたい」という気持ちだった。
自分はこんなにやっている。
こんなに考えている。
こんなに現場のことを思って動いている。
それなのに、どうして分かってもらえないんだろう。
今だからこそ、清野さんはそれをはっきり言葉にできる。
「あの頃の自分は、役割を果たしたいのと同じくらい、認めてほしいって思ってた」
頑張ったら見てほしい。
大切に思っていることほど、分かってもらいたい。
それ自体は自然な感情だ。
けれど、その思いが強くなりすぎると、いつの間にか、自分が何のためにそこにいるのかが見えにくくなる。
利用者さんのために動いていたはずなのに、
気づけば「分かってもらえない自分」に心が占められる。
ビジョンに惚れ込んで入ったはずなのに、
いつしか「評価されないこと」が一番つらくなってしまう。
清野さんは、そこにぶつかった。
そしてある時、会社を離れる決断をする。
今振り返れば、本人は少し笑いながらこう語る。
「社長が認めてくれないから辞めます、みたいな感じでした」
けれど、その言葉の裏には、当時の切実さがある。
笑って言えるようになったのは、ずっと後のことだ。
本当は、辞めたかったというより、苦しかったのだと思う。
こんなに思いを持っているのに伝わらない。
こんなに向き合っているのに届かない。
利用者さんのためにやっているつもりなのに、いつの間にか「分かってもらえない自分」を抱えている。
そのズレに耐えられなくなった時、人は、自分が大切にしていた場所からさえ離れてしまうことがある。
会社を離れた後、清野さんは運動指導の仕事に携わった。
その時間は決して悪いものではなかった。
むしろ、本人は
「のびのびしてました」
と語る。
張りつめていたものが一度ほどけた。
評価されなければ、認められなければ、という緊張から少し距離を置けた。
呼吸をし直すような時間だったのかもしれない。
不思議なことに、離れたからこそ見えてきたものもあった。
それが、株式会社花のビジョンだった。
人が人として役割を持ち直せる場所。
守られるだけではなく、自分の力を思い出せる関係。
地域と人とが、もう一度つながり直していく場。
離れてみて初めて、清野さんは気づいたのかもしれない。
自分が惚れ込んでいたのは、肩書きでも、評価でも、自分の頑張りを認めてもらうことでもなかった。
もっと根っこのところにある思想そのものだったのだと。
だからこそ、再び代表から声がかかったとき、清野さんは迷わなかった。
障害部門をやらないか、と。
その時、清野さんは二つ返事で戻ったという。
やはり自分は、このビジョンの中で生きたい。
そう思えたからだ。
ここに、清野さんの大きな変化がある。
かつては、認めてほしい気持ちが先に立っていた。
なぜ分かってくれないのか、という感情に飲まれていた。
でも、戻るときの清野さんは、もっと本質的に自分の役割を見つめていた。
認められるかどうかではなく、
自分が何を引き受けるのか。
どこで役に立ちたいのか。
その問いに対して、自分で答えを出しにいっていた。
第5章:根無し草になった社会へ——“きょろめ、ヒラメ”だった清野さんが、子どもたちに渡したい根っこ
自分の役割を選び直した清野さんの視線は、やがて現場だけでなく、今の社会そのものにも向かっていく。
教育と福祉の両方の現場に立つ中で、清野さんがどうしても外せない危機感として持っているものがある。
それは、コミュニティが弱まり、社会そのものが“根無し草”になっているという感覚だ。
拠り所がない。
根っこがない。
自分の中に、判断の基準がない。
だからこそ、人は遠くから必死に空気を読む。
上の顔色を伺う。
自分の内側から出てきた言葉ではなく、自分の“解釈”だけで周りに合わせようとする。
清野さんは、それを独特の言葉で表現する。
「きょろめ、ヒラメ」
きょろきょろと周囲を見渡し、ヒラメのように上ばかりを見る。
そこにあるのは、本当の意味での協調性ではない。
自分の信念を持ったうえで人と関わる姿でもない。
ただ、外側に合わせることで、自分を守ろうとする姿だ。
さらに清野さんは、その根底にあるものを、厳しい言葉で見つめている。
「自己保身のクズ」
それは誰かを切り捨てるための言葉ではない。
むしろ、自分自身もそうだったと認めている人だからこそ出てくる、痛みを伴った言葉なのだと思う。
他者に合わせることが正解だと思い込んでいる。
場を乱さないことが賢さだと思っている。
空気を読むことが優しさだと思っている。
けれど、その奥底にあるのは、
「損をしたくない」
「嫌われたくない」
「自分だけは傷つきたくない」
という極めて利己的な損得勘定なのではないか。
軸がないからこそ、人は究極の自己保身に陥ってしまう。
根がないからこそ、風向きの強い方へ流されてしまう。
自分の中に判断基準がないからこそ、誰かの顔色を“正解”にしてしまう。
清野さんが恐れているのは、まさにそのような時代の空気だ。
そして、その中で育つ子どもたちの判断基準が揺らいでいくことだ。
何を信じればいいのか。
誰の言葉を基準にすればいいのか。
自分は何を大切にして生きればいいのか。
その根っこが育たないまま、大人になってしまうこと。
清野さんは、そこに強い危機感を持っている。
だからこそ、彼女の中にはもう一つの言葉がある。
「自分から始まる」
誰かが変えてくれるのを待つのではない。
社会のせいにするだけでもない。
制度の不完全さを語るだけでもない。
まず、自分の中に尊いものを見出すこと。
自分の中に、判断の根っこを持つこと。
自分はどうするのかを、自分の内側から決めること。
清野さんはそこに、日本人が本来持っていた精神性を見ている。
外に神を探すというより、自然の中に、暮らしの中に、自分の内側に、尊いものを見出していく感覚。
自分を映す鏡のように世界を見つめ、自分の姿勢を問う文化。
それは、神道的な精神性とも重なるものなのかもしれない。
清野さんが大切にしているのは、
「世界から日本を見る視座」だ。
自分の周りだけを見ていると、その場の空気がすべてになる。
そのコミュニティの評価がすべてになる。
その中での正解が、自分の人生の正解のように見えてしまう。
けれど、本当はそうではない。
世界という大きな俯瞰の位置から日本を見る。
日本という国の精神性や文化を見つめ直す。
そのうえで、自分はどうするのかを定義する。
狭い場所の空気に飲まれるのではなく、広い視座を持って、自分の立つ場所を決める。
清野さんは、子どもたちにそういう力を持たせたいと願っている。
そして、その願いには、清野さん自身の人生の逆転が重なっている。
清野さんが見ているのは、目の前の支援だけではない。
一人の人間が、子どもから大人になり、やがて老いていくまでの長い時間だ。
その時間の中で、人が自分の根を持ち、役割を持ち、誰かとつながりながら生きていける社会。
それこそが、清野さんがつくろうとしている環境なのだと。
「みんなで楽しく遊べばいいのに」
これは単なる優しい願いではない。
根無し草になりかけた社会への問いであり、
自己保身に流される人間への問いであり、
自分から始めることを忘れた私たちへの問いでもある。
だからこそ、清野さんの言葉には、優しさだけではなく、毒がある。
でも、その毒は人を傷つけるためのものではない。
眠っている根っこを揺さぶるための毒だ。
「あなたは、自分の足で立っているのか」
そう問いかけるための、愛のある毒なのだ。

第6章:想いだけでは、届かない。——役割が人を変えた現場と、IKIGAIが未来をつくっていく
社会が根無し草になり、人が自分の判断基準を失っていく。
だからこそ清野さんは、目の前の現場で「役割を持つこと」の意味を問い続けてきた。
どれだけ大きな時代観を持っていても、それが現場で誰かの生きる力に変わらなければ意味がない。
清野さんが現場の中で、何度も確信してきたことがある。
それは、人は守られることで変わるのではなく、役割を持てた時に、生きる力を取り戻すということだ。
その確信を決定的なものにした場面がある。
障害者施設にいた、60代の男性二人。
一人は脳出血による片麻痺があり、もう一人は口の機能障害があった。
花では利用者さんが地域に出て、役割を持つ機会を大切にしていた。
支えられるだけの存在として過ごすのではなく、地域の一員として関わること。
その具体的な実践のひとつが、商店街清掃だった。
二人は、最初は嫌がったという。
障害者施設から出てくるおじさん二人として見られることが嫌だった。
周りの目が怖かった。
恥ずかしさもあっただろう。
歩き方にも自信がなく、元気もなかった。
「言われたからしょうがなくやっている」
という感じだったという。
ところが、やっていくうちに変化が起きる。
商店街の人たちが、
「ありがとう」
と声をかけてくれる。
見ていてくれる。
喜んでくれる。
自分たちのことを、ただ“支援される人”としてではなく、地域の中で役割を果たしている存在として見てくれる。
その時、二人の中で何かが変わった。
「今日も元気な姿を見せたい」
そんな思いが生まれ、歩き方まで変わっていったという。
それを見た時、清野さんは思わず、
「ああ、なんてこった」
と感じた。
人は、守られるだけでは元気にならない。
役割を持てた時に、生きる力を取り戻すのだ。
この確信は、清野さんの実践の大きな柱になっていく。
だからこそ、介護部門でも、より“社会参加型”へと舵を切っていこうとした。
機能訓練中心の形から、地域とつながる形へ。
ただプログラムをこなすのではなく、その人が社会の中で役割を持てる方へ。
けれど、そこでまた壁にぶつかる。
業界から見れば、「社会参加型とは何をしているのかわからない」となる。
紹介がしづらい。
現場も揺れる。
結果として、売上は大きく落ち込んだ。
清野さんは、自分のことを、
「この施設で未だかつてないくらい売上を下げた女」
と笑って語る。
自分が信じて進めたことが、現実としては崩れを生んだ。
本質を目指していたはずなのに、続けることすら難しくなってしまった。
そこで清野さんは、またひとつ大事なことを学ぶ。
それが、想いだけでは物事は進まないということだった。
想いを現実に変えるには理論であり、仕組みであり、構造だった。
なぜそれが必要なのかを説明できること。
どうやって回していくのかを設計できること。
誰が関わっても一定の価値が生まれる形にすること。
そうした土台がなければ、どれだけ良い思想でも続かない。
このことは、会社の代表との関わりの中でも、繰り返し突きつけられてきた。
自分では考えていたつもりだった。
でも、代表から見ると「考えてない」。
その言葉の意味が最初は分からなかった。
ただ、次第に理解していく。
考えるとは、ただ悩むことではない。
理論とビジョンと成功確率を合わせて、
結果を取りにいく答えを出すこと
なのだと。
本当に何がその人のためになるのか。
何がみんなのためになるのか。
どうすれば、その幸せを持続できるのか。
その問いを考え続けることでしか、幸せの総量は増えていかない。
清野さんは、それを理想ではなく、自分の失敗の中から学んできた。
そして今、その実感は、単なる現場の確信を越えて、もっと大きな未来へつながっていっている。
清野さんは「みんなで楽しく遊べばいいのに」
という幼い頃からの感覚を、ずっと手放さずにいた。
そして今、その感覚は、ただの願いではなく、
「みんなで一緒に楽しくするために、環境をつくること」
という言葉にまで育っている。
それは、清野さんにとってのIKIGAIだった。
自分がやりたいことをやる、というだけではない。
誰かに必要とされる、というだけでもない。
人が自分の役割を持ち直し、地域とつながり直し、誰かの生きる力がもう一度動き出す。
そのための環境をつくること。
人と人のあいだに、もう一度“楽しく生きられる関係”を編み直していくこと。
清野さんにとってのIKIGAIはそこにある。
だからこそ、清野さんが見ている未来もまた、施設の中だけに閉じていない。
若い人たちが、自分の言葉で哲学を持つこと。
自分は何を大切にしたいのか、何を残したいのかを語れるようになること。
利用者さん一人ひとりが、支えられるだけの存在ではなく、役割を持った一人の人間として生きられること。
そして、地域の中に、そういう人たちが自然につながっていけるコミュニティーが育っていくこと。
それは、清野さんがずっと探し続けてきた
「みんなが楽しくいるためには何が必要なのか」
という問いの、今の時点での答えなのかもしれない。
もちろん、それはまだ完成していない。
だからこそ、清野さんはこれからも問い続けていく。
ずっとずっと問い続ける。
人を信じるとは何か。
何がみんなのためになるのか。
どうすれば幸せの総量を増やしていけるのか。
その問いに終わりはない。
でも、終わりがないからこそ、人は深まり続けられる。
関わり続けられる。
よりよい形を探し続けられる。
そして清野さんのIKIGAIは、きっとこれから、新しい誰かのIKIGAIを育てていく。


あとがき
「弱さを認められる人は、きっと強い」
清野さんの話を聞いていて、何度も心を動かされたのは、自分の弱さを、何度も見つめ、探求し続けてきた人だったからだ。
嫌われたくなかったこと。
必要とされたいと願っていたこと。
人のためにやっているつもりで、その奥に自己保身が混じっていたかもしれないこと。
認めてほしくて、承認を求めて、苦しくなっていた時期があったこと。
そして、正しいことをやっているつもりでも、想いだけでは物事が進まないという現実にぶつかったこと。
普通なら、見たくないはずだ。
隠したくなるはずだ。
なかったことにしたくなるはずだ。
でも清野さんは、そこから逃げなかった。
自分の中にある“ずるさ”も、恐れも、弱さも、きれいに塗り替えずに、そのまま引き受けようとしてきた。
私は、それこそが強さなのだと思う。
強い人とは、最初から迷わない人ではない。
傷つかない人でもない。
まっすぐで、ブレずに、何も怖がらず進める人でもない。
本当の強さを知っている人は、
自分の弱さを知っている人
だと思った。
弱さを知っているから、簡単に人を裁かない。
弱さを知っているから、人の未熟さに対しても、すぐに見切りをつけない。
弱さを知っているからこそ、誰かの中にある可能性を、諦めずに見続けることができる。
清野さんの福祉に、あたたかさと厳しさが同居しているのは、きっとそのためなのだろう。
甘やかさない。
でも、見捨てない。
奪わない。
でも、放っておかない。
その人の力を信じるというのは、ただ優しい言葉をかけることではない。
ただ「あなたならできる」と励ますことでもない。
その人の力を、こちらの都合で小さく決めつけないこと。
今すぐ見えないからといって、可能性まで消してしまわないこと。
そして、何が本当にその人のためになるのかを、考え続けることだ。
どこまで手を貸すのか。
どこで待つのか。
何を差し出して、何を差し出しすぎないのか。
どこまで支え、どこから信じるのか。
その答えは、ひとつではない。
だからこそ、考え続けるしかないのだと思う。
何が本当にみんなのためになるのか。
どうすれば幸せの総量を増やしていけるのか。
その問いを持ち続けることでしか、人も、現場も、社会も、少しずつ深まっていかない。
清野さんは、そのことを、自分の人生そのもので教えてくれる。
その歩みのすべてに共通しているのは、
“強く見せること”ではなく、
“弱さから目をそらさないこと”
だったように思う。
そして今回、清野さんの話をさらに聞いて、私はもう一つ大切なことを感じた。
それは、清野さんが向き合っているのは、福祉の現場だけではないということだ。
教育と福祉の現場に立ちながら、清野さんは、今の社会そのものを見ている。
コミュニティが弱まり、人が拠り所を失い、社会そのものが“根無し草”になっている。
その中で、子どもたちは何を基準に生きればいいのか。
何を信じればいいのか。
誰の顔色ではなく、何を自分の根として立てばいいのか。
清野さんが発する「きょろめ、ヒラメ」という言葉には、強烈な毒がある。
けれど私は、その毒にこそ、清野さんの深い優しさがあるように感じた。
なぜなら、それは誰かを見下すための言葉ではないからだ。
かつて自分もそうだった。
空気を読み、自己保身に逃げ、嫌われないために自分を守っていた。
その弱さを自分の中に見た人だからこそ、今、社会に向かって言えるのだと思う。
「そのままではだめだ」と。
それは裁きではない。
問いかけだ。
あなたは、何を根っこにして生きているのか。
誰かの顔色ではなく、自分の中にある尊いものを見ているのか。
狭い世界の空気に飲まれるのではなく、世界から日本を見つめ、自分はどうするのかを定義できているのか。
この問いは、子どもたちだけに向けられたものではない。
私たち大人にこそ向けられている。
自分の弱さを認めること。
自己保身を見つめること。
そして、そのうえで「自分から始まる」と決めること。
それは簡単ではない。
でも、そこからしか本当の根っこは育たないのだと思う。
株式会社花がつくっているのは、ただの施設ではない。
繋がりのコミュニティーだ。
ただ福祉を受ける場所ではなく、人が人として役割を持ち直し、社会の一員として息を吹き返していく場所だ。
そして、清野さんがこれから残していきたいものも、きっと同じなのだろう。
若い人たちが、自分の弱さから逃げずに、自分の哲学を持つこと。
自分の役割を引き受け、自分の言葉で立てるようになること。
そのための場をつくり、問いを渡していくこと。
人は、守られることで変わるのではなく、
社会の一員として役割を持てたときに、生きる力を取り戻す。
だから、学ばないといけない。
だから、考えて行動しないといけない。
優しい社会をつくることの第一歩は、自分の弱さを認める強さから始まるのかもしれない。
だからこそ、人は助け合うことができるのかもしれない。
清野さんのIKIGAIは、誰かを守ることだけではない。
人が自分の根を持ち、役割を持ち、社会の中で生き直していくための環境をつくること。
そのIKIGAIは、きっとこれからも、子どもたちや若い人たち、利用者さん、そして関わるすべての人の中に、新しい根っこを育てていく。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師


