- ホーム
- IKIGAIを持つ者たち
- 株式会社Space Food Lab 浅野高光

意図がある発言は嘘—興味関心を追い続けた先で、宇宙関連事業に出会った
株式会社Space Food Lab 浅野高光
取締役
福岡県久留米市
意図がある発言は嘘—興味関心を追い続けた先で、宇宙関連事業に出会った
人を動かすのは、うまい言葉ではない。
相手に気持ちよく話してもらい、こちらが聞きたいことを自然に引き出し、最後にはきれいな言葉でまとめる。
人を惹きつける人とは、そういう“話し方の上手い人”なのだと、どこかで思っていた。
けれど、浅野高光さんとの対話は、その前提を崩していった。
「意図がある発言は、言葉上の表現からすると嘘になると思います」
そう語るのは、株式会社Space Food Lab.で食を中心とした宇宙関連事業に向き合う浅野高光さんだ。
一見すると、宇宙という遠く大きなテーマに向き合う人に見える。
けれど今回、強く心に残ったのは、その華やかさではなかった。
浅野さんが見つめていたのは、その手前にある、もっと人間的で、もっと根本的なものだった。
人は何に面白いと思う(興味関心を抱く)のか。
なぜ、同じ情報でも届く言葉と届かない言葉があるのか。
知識があっても、人を動かせないのはなぜなのか。
そして、自分の言葉に意図が混ざった瞬間、なぜその違和感は相手に伝わってしまうのか。
今回の対話は、浅野さんの価値観を聞く時間のはずだった。
けれど気づけば、自分の問い方そのものを見つめ直す時間になっていた。
良い質問をしよう。
良い流れをつくろう。
相手の魅力を引き出そう。
その善意の中にさえ、知らないうちに“意図”が入り込む。
そして、その意図は言葉になる前の段階で、相手に伝わってしまう。
浅野さんの言葉は、そのことをまっすぐ突きつけてきた。
この記事では、浅野高光さんの言葉をたどりながら、
その人間理解がどのように宇宙関連事業へつながっていったのかを追っていきたい。
それは、ひとりの人間が人と社会と世界にどう向き合ってきたのかを見つめる物語でもある。
第1章 面白くなければ、人は動かない
「面白いと思って勉強してる人って、やっぱり入るんですよね」
「興味関心とか、好奇心とか、つまり、面白いと思える気持ちの方が大切だと思ってるんです。個人のその力で、それを面白いと思えるのか。提供する側の工夫として、それを面白い形で提供できるのか。全部含めて、面白いことがすごく重要だと思ってます」
面白いこと。
楽しいこと。
それは、単に雰囲気のいい言葉ではなく、浅野さんの中ではかなり本質に近いものとして置かれていた。
「逆に、面白くないと思ってるものって、基本的に入らないんですよ。九九ですら覚えられないぐらい、やっぱり人ってそういうところがあると思っていて。経済成長右肩上がり、誰でも2割以上のバッターになることができて、打席に立てばほぼヒットを打てる時代は別ですが」
相手が面白いと思えなければ、どれだけ価値がある内容でも届かない。
知識があっても、正しさがあっても、それだけでは人は動かない。
「マーケティングって結局、受け手側の視点なんですよ。受け手側が興味関心を持つ内容を、どれだけこちらが発信者として発信できるか。そこが一番重要だと思ってます」
浅野さんの話を聞いていると、「面白さ」という言葉がどんどん広がっていく。
勉強の入口でもあり、仕事の入口でもあり、伝わるかどうかを分ける境目でもある。
「人って、面白いと思えた瞬間に、自分の中に入ってくる。逆に、面白くないと思ったままだと、なかなか入らない。それって、子どもでも大人でも、結構同じじゃないですかね」
だが浅野さんの中では面白さはそれはかなり実務的で、かなり現実的なものとして扱われているようだった。
「だから、何を言うかも大事なんですけど、どういう形で届くかの方が大きいんですよね。こっちが正しいことを言ってても、相手が面白いと思えなかったら、基本的には入らないので」
そしてこの感覚は、そのまま浅野さんの仕事にもつながっているように見えた。
遠いテーマに見えるものを、どうやって相手の関心とつなげるのか。
複雑なものを、どうやって入口のあるものに変えるのか。
その最初の起点に、浅野さんはずっと「面白さ」を置いていた。
第2章 会社員時代に形式知化された、“受け手側の視点”
幼少期のこと、学生時代のこと、今の価値観がどこから来たのか。
そういう流れで問いを重ねていった時、浅野さんは少し立ち止まるようにして、こう言った。
「いただいた質問に答えることを重視しなくてもいいですか?」
もちろんです、と返すと、浅野さんは続けた。
「たぶんその質問に答えてしまうと、若干ずれてくると思うんですよね。
何かをしたから何かが起きる、みたいな因果的な捉え方をすると思うんですけど、
人って、たぶんそんな単純じゃないと思っていて」
そして、こう言葉を重ねた。
「人生のいろんな事象って全部ループ化してるので、どれがどうだっていう話ではないと思うんですよ。
人間ってもっと自然な中で、どんどんつくられていくと思うので。
その中でターニングポイントはいくつかあるんでしょうけど、
あんまり無理やり因果的に捉えちゃうと、人が人でなくなってしまうと思うんです」
あの時の経験があったから今の自分がある。
そういう“わかりやすい話ではない。
浅野さんの話し方には、その一貫した姿勢があった。
「ただ、そのうえで少なくともかなり形式知化されたきっかけは会社員の時なんだろうなと思います」
浅野さんは会社員時代を挙げた。外資系の大手消費財メーカーで、生活者向け商品のマーケティングや事業企画に携わっていたという。
日々向き合っていたのは、「何を売るか」だけではなく、「人はなぜその情報に反応するのか」「どうすれば受け手の中に関心が立ち上がるのか」という問いだった。
そして、こう続けた。
「人間って無意識でいろんなことをやっていて。
その無意識でやってることが、どれぐらい認識できる段階に行くか。
それを抽象化って言ったり、メタ認知って言ったり、暗黙知がどう形式知化されるのかって話だと思うんですけど。」
会社員時代にやっていたことを、ただの実務経験として終わらせるのではなく、あとから意味を問い直している。
その感覚が、浅野さんの言葉の端々ににじんでいた。
「会社員でやってたことを、会社員をやめてから、あれはいったい何だったんだろうかってことを、心理学とかも含めて、その後ずっと学んできたんですよね。」
人の興味関心とは何か。
なぜ、人はある情報を受け取り、ある情報は受け取らないのか。
なぜ、同じことを言っても届く場合と届かない場合があるのか。
浅野さんは、それを仕事の現場だけでなく、その後の学びの中でも追い続けてきたようだった。
「マーケティングってさっきも言ったように、受け手側の視点なんですけど、この根本原理のところって、事業会社の中でそのまま学ぶようなことではなかったと思うんですよね。でも、なんでそもそもそうなるんだろうか、みたいなことを、自ら学んだ結果として、そう思うようになってきたんです」
自分がどう見せるかではなく、相手がどう受け取るか。
何を言いたいかではなく、何なら入っていくのか。
その視点が、生活者向けの商品やサービスを扱う会社での実務経験と、その後の学びの両方を通って磨かれてきたのだろう。
「結局、人の興味関心って、情報というものを受け入れる時にものすごく重要なんですよ。
そこが立ち上がってない状態で、どれだけこっちが正しいことを言っても、やっぱり入らないので」
浅野さんの「面白さ」は、ここでもやはり同じ場所につながっていた。
受け手の中で、何が立ち上がるのか。
その一点を、長く見てきた人の言葉だった。
第3章 正しさだけでは、人は動かなかった
話が大きく変わったのは、浅野さんがベンチャーの時代に触れた時だった。
「京大に行って京大大学院に行って、留学して、戻ってきて、大学院卒業して、P&Gに入社して。P&Gは8年間働いて、結構早く昇進していって。あんまり困ることもなかったです」
自分の持っている知識や能力が、そのまま社会の中で機能していた。
けれど、ベンチャーの現場に入った瞬間、風景は大きく変わった。
「ベンチャーとかに行くと、無名の看板を背負って、自分自身の言葉と体と、精神だけで物事やっていかなきゃいけないっていう時に、挫折するんです」
浅野さんは、そこで初めて、自分が持っていると思っていたものが、そのまま人を動かす力にはならないことを思い知ったのだという。
「通じないんです。こちら側の知識や知見を使っても、自分たちのサービスを買ってくれるわけでもないし」
知識がある。
言葉も持っている。
経歴もある。
けれど、それで人は動かなかった。
相手に届くわけでもない。
「自分自身の足らなさとか、愚かさとか、その能力のなさとか、至らなさとか、
そういったことに至らないと、いつまで経ってもこの状況って解決されないって気づきました」
この言葉は重かった。
相手が悪いとか、環境が悪いとか、そういう方向ではなく
むしろ、自分の中に足りないものがあることを認めない限り、何も変わらない。
浅野さんは、そのことをかなり厳しく引き受けていた。
「大手だったら給料もらえるので、そのまま過ごしていけるんですけど、
ベンチャーって稼がないと自分も死ぬし、家族も養えないしみたいな状況になるんで」
生活がかかっている。
家族がいる。
結果が出なければ終わる。
その状況の中で、自分の未熟さや伝わらなさと向き合うしかなかったのだろう。
「正しいだけ、知識がめちゃくちゃあるだけで、
なんかその興味関心に基づいてそれが生き生きとした情報であったり、
生き生きとしたものになってないから、
聞いてる側の人からしても、ただ情報を受け取ってるだけなんですよね」
ただ知識を並べるだけでは、人の心は動かない。
その情報が“生き生きとしたもの”にならなければ、相手の中には入っていかない。
それを、頭ではなく身体で知っていった時間だったのだろう。
「6年後ぐらいは地獄でした」
6年。
その時間の長さが、この言葉の重みになっていた。
数ヶ月の挫折ではない。
一度の失敗でもない。
かなり長い時間をかけて、知っていることと、届くことと、動かすことの違いを体に刻み込んでいったのだと思う。
自分の言葉が通じない時間。
動かせない時間。
足りない自分を認めざるを得なかった時間。
その積み重ねがあったからこそ、今の浅野さんの言葉には薄さがない。
第4章 悩むのではなく、考える
浅野さんは、ベンチャーでの苦しさを語る中で、復興庁事業として被災地の経営者たちに向き合った経験にも触れていた。
人が亡くなる。
泣き声が枯れる。
それでも前に進むしかない。
そういう極限の現場を生き延びた人たちの話を聞く中で、人は簡単な言葉では説明できないのだと、改めて感じたのだろう。
何か一つの“原因”で人が変わるわけではない。
それでも、確かに人は変わっていく。
その変化を、浅野さんはかなり丁寧に見ていた。
その中で、自分自身が変わった感覚として、浅野さんは「小脳的なところ」と表現していた。
言葉にする前の、もっと反射に近い部分。会った瞬間にびびるとか、挑戦する前に無意識に諦めるとか、そういう反応が変わったのだという。
「6年間、辛い思いをして大変な思いをした時に、
自分が一番変わったなと思ったのは、その小脳的なところですね。
パッと人に会った時に別に何も構えないようになる。
やるかやらないかって時に、やらない理由がなければ、基本的にはやるっていう」
その流れの中で出てきたのが、あの印象的な言葉だった。
「殺されることはないだろう、みたいな笑」
人は実際以上に怖がる。
断られるかもしれない。
失敗するかもしれない。
嫌われるかもしれない。
その恐れに無意識のうちに支配されて、やらない理由を探してしまう。
でも、本当に死ぬわけではない。
そう思えるようになった時、人の足は少し前に出るのだろう。
そしてその延長線上で、浅野さんはこう言った。
「悩むって基本的には、やらない理由探しなんですよ」
この言葉は、かなり強かった。
ただ、浅野さんはここで“考えること”を否定しているわけではなかった。
「考えることは良いことだと思います。
色んなオプションを組んで、どれを取るのか考えるのはすごく良いと思うんです。
でも悩むっていう行為は、ただ単にやらない理由探しみたいなものなので」
この区別は、浅野さんの話の中でとても印象に残った。
考えることは必要だ。
選択肢を並べて、どう進むのが最適かを見ていくことは大切だ。
でも悩むというのは、多くの場合、すでに行きたい方向があるのに、行かない理由を増やしているだけなのだと。
「だったらもう悩まない方が良いと思いますね。大して悩むことをしてないのかもしれないですが」
たぶんその境地に至るまでに、相当な時間があったのだろう。
止まりたい自分。
怖がる自分。
やめたい自分。
そういうものと何度も向き合ったうえで、それでも「悩む側」ではなく「考える側」に立つようになった。
第5章 意図がある発言は嘘
今回の対話の中で、最も強く残った言葉がある。
「意図がある発言は、言葉上の表現からすると嘘なんですよ」
その言葉が出た時、私は少し息を呑んだ。
インタビューとは、問いを立てて、相手の魅力を引き出すものだと思っていた。
でも浅野さんは、その前提そのものに切り込んできた。
「質問って、意図がある場合が多い。
それまでの会話とか、相手のプレゼンテーションをちゃんと受け取ったうえで
『今の話を聞いて僕はこう感じたんですけど』みたいに入るならいいんですけど、
前々から用意されてる質問をしたりすると、会話がおかしくなるし、目の前の会話に集中していないので相手に対してのリスペクトが足りてないと感じることが多いです」
用意してきた質問。
こういう話を引き出したいという流れ。
そこにある意図は、たとえ質問者が善意でやっていたとしても、受け手には違和感として伝わってしまう。
浅野さんは、その“微細な濁り”にかなり敏感だった。
「意図っていうのは、言葉上の表現からすると嘘なんですよ。
そういうのが少しでも入ると、人ってやっぱり感じるので」
その話は、インタビューだけのことではなかった。
営業でも、対人関係でも同じなのだろう。
少しよく見られたい。
少し誘導したい。
少し自分の都合のいい方向へ持っていきたい。
そういうものが言葉に混ざると、相手ははっきり言葉にはしなくても、「なんか違う」と感じる。
「微妙な意図が一番良くないんですよ。
発信者も気づいてないし、受信する側も何かちょっと嫌な質問されてるなと思うけど、
その人に意図があるなっていう風に感じさせない微妙な意図を紛れ込ませるようなタイ プが一番立ちが悪い、自戒も含めて言っています。」
でもその厳しさは、単に言葉遣いの問題を言っているのではない。
根底には、相手をどう見ているかという問題があるように感じた。
その後、話は「IKIGAI」という言葉にもつながっていった。
「IKIGAIってリスペクトですからね」
相手を思んばかること。
相手に対してちゃんとしたリスペクトを持つこと。
そのことと深く結びついた言葉として、IKIGAIを捉えていた。
「対峙した時に、その瞬間にその人のことを尊敬できるか。
できてない時に、なぜ自分はリスペクトできてないのかっていうことを、
自分の中でどれくらい振り返られるかっていうことがすごく重要なんだろうなって思います。全然できていないことも多いので、これも自戒を込めて。」
面白さ。
受け手側の視点。
頭の良さだけでは届かないこと。
悩むのではなく考えること。
意図を混ぜないこと。
それらは全部、相手をどう受け取るかという一点に集まっていくようだった。

Space Food Lab.が向き合っているのは、「食×宇宙」という一見遠く見えるテーマだ。
でも浅野さんの話を聞いていると、その派手さよりも先に、人と人がどうつながるか、どうすれば受け手の関心の中に入っていけるかという感覚の方が強く残る。
どれだけ価値があるテーマでも、入口がなければ入っていけない。
どれだけ意味がある事業でも、相手の興味関心と接続しなければ動かない。
浅野さんは、そのことをずっと見てきたのだと思う。
そして、その問いを追い続けた先で、「食×宇宙」という事業に出会った。
宇宙という言葉の先にあるのは、技術だけでも未来だけでもなく、人がどう動くかという、もっと根本的な問いだった。

あとがき
「人にしっかり向き合えているだろうか」
むしろ、人は何に反応するのか。
どうすれば本当に届くのか。
どうすれば、余計な濁りなく人と向き合えるのか。
そうした、本質的な問いを、浅野さんはずっと見つめ続けている。
「意図がある発言は嘘になる」
仕事でも、人間関係でも、誰かに何かを伝えようとする時でも、ほとんどの人は知らず知らずのうちに「こう思ってほしい」「こう受け取ってほしい」という意図を言葉に混ぜてしまうことがあるだろう。私自身もそうだ。
誰かに話しかける時、その言葉は本当に相手に向いているだろうか。
それとも、自分の期待や都合を、少しだけ忍ばせてしまってはいないだろうか。
本当に人を動かすものは、何なのだろう。
話し方の上手さだろうか。
整ったロジックだろうか。
印象的なフレーズだろうか。
それとも、もっと別のところにあるのだろうか。
浅野さんの話をたどっていくと、一つの輪郭が見えてくる。
それは、相手をちゃんと面白がること。
相手をちゃんと受け取ること。
自分の知っている枠の中に押し込めるのではなく、「この人は何を見ていて、何に反応し、何を大切にしているのか」を開いたまま受け取ろうとすること。
私たちは本当に、目の前の相手を“わかったつもり”にならずに見つめられているだろうか。
自分の先入観を脇に置いたまま、誰かの話を聞けているだろうか。
相手をどう見ているか。
相手にどう向き合っているか。
その深さがなければ、言葉は簡単に軽くなる。
美しい言葉として語ることはできても、その人の人生や価値観にどこまで敬意を持てているかは、まったく別の話だからだ。
誰かの生き方を本当に尊重できているだろうか。
その人の言葉を、自分に都合よく切り取っていないだろうか。
理解したつもりになって、安心してしまってはいないだろうか。
「食×宇宙」という一見遠く見える事業も、その根には、人が何に心を動かされるのか、どうすれば本当に届くのかという問いが流れていた。
遠い世界の話に見えていたものが、実はすごく身近な問いにつながっている。
こうした、問いを持ち続ける人の言葉は、深く残る。
今回の対話は、まさにそういう時間だった。
では、皆さんはどうだろうか。
日々の会話の中で、仕事の中で、家族や仲間と向き合う中で、どれだけ本質的な問いを持てているだろうか。
答えを急ぐことばかりに意識が向いていないだろうか。
相手を“理解する”前に、“決めつける”方へ流れていないだろうか。
誰かに問いを向ける時、
その人を本当に尊重できているだろうか。
相手を面白がれているだろうか。
相手の話を、自分の都合で切り取っていないだろうか。
言葉の中に、余計な意図を混ぜていないだろうか。
そして何より、自分自身は、何に心を動かされて生きているのだろうか。
浅野さんの話は私たちに真実の問いを与えてくれるかもしれない。


