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従業員が辞めない会社、本気の応援で繋ぐ縁
本田 賢紀
株式会社かりゆし 代表取締役
沖縄県那覇市
宿泊業をメインに事業を展開していたが、コロナ禍で大打撃を受けた。4か月後には資金が尽き、従業員に給料も払えない状態に陥りそうだった。そのため、従業員に状況を説明した。
予想通り、多くの従業員は辞めてしまったが、そんな中でも2人の従業員が残ってくれた。その2人がいなければ、今の自分はいなかったかもしれない。これからは、自分が好きな人たちが夢を叶えられる環境を作りたい。そう語るのは、株式会社かりゆし代表取締役の本田賢紀さん。
現在では宿泊施設運営、ホテル運営、客室清掃、ハウスクリーニング、ビルメンテナンス業、建築業と多岐に渡る事業を展開し、多くのプロ格闘家のスポンサーも務めている企業だ。
社員の満足度も高く、従業員は50名弱でありながら離職率はわずか3%という数字を誇る。元プロフットサル選手である本田さんが作り上げたこの組織の強みとは?そして彼がアスリートを応援する本当の意味とは?逆境の淵から這い上がった次世代を担う経営者との対談をお届けする。
行動力の源、逃げずに挑む:恩師が教えてくれた「できることをやる」重要さ
ネガティブなことを考える暇があるなら、できることをやる。この信念を形作ったのは、中学校時代の恩師の教えだった。小学校から始めたサッカーで、ポジションはゴールキーパー。中学校時代、パフォーマンスが上がらず悩んでいた時、恩師はこう言った。「ネガティブに考える時間があるなら、できることからやろう」と。恩師はサッカー未経験であり、サッカーに関する知識も知見もなかったが、「努力の仕方」については誰よりも知っていたという。
中学生の本田さんは、努力の仕方や頑張り方が分からなかった。そんな彼に恩師は努力できる環境を整えてくれた。当時、本田さんの通う中学校では朝練がなかったが、「自主性を持って自分の苦手なことに挑戦してみたら」と恩師は助言してくれた。これをきっかけに、本田さんと恩師は毎日のように朝練を行うようになった。恩師は「サッカー経験がない自分もボールを蹴れるようになる」と言って、練習に付き合ってくれたという。
毎日の努力を見て、周りの目も変わっていった。恩師の教えと行動が、今の本田さんの活力になっていると彼は振り返る。
ゴールキーパーとの縁:導かれるようにプロの道へ
本田さんは何度もゴールキーパーを辞めようと思ったが、結局辞められなかった。ゴールキーパーはスポットライトが当たりにくいポジションであり、ミスをすれば責任を負う重圧があった。中学時代、恩師との出会いがなければ辞めていたかもしれない。高校時代はゴールキーパーであることを隠して入部したが、ケガ人が続出し、やむを得ず再びゴールキーパーを務めることになった。
大学時代はサッカー部に入らず、遊び感覚でフットサルのサークルを作った。本田さんは知り合いを誘い、その知り合いたちはサッカーの強豪校出身者が多かったため、サークルはアマチュアの全国大会に出場するほどの強豪チームになった。その大会でプロのスカウトマンからセレクションを受けてみないかと声をかけられ、受かるとは思っていなかったが挑戦し、結果としてプロ入りを果たした。その時、本田さんは初めて覚悟を決め、「とことんやろう」と決意したのだった。
本田さんは19歳でプロ入りを果たし、大学に通いながらプロとしての活動を続けた。朝は練習、午後は大学、夜も練習と忙しい日々を送ったため、大学生活中はほとんど遊ぶ暇がなかった。それでも中学と高校の教員免許を取得し、プロのフットサルチームでも一軍で活躍した。怪我で引退する23歳まで、「とことんやった」と本田さんは振り返る。
引退後の第二の人生:教職ではなく経営者を目指した理由
本田さんはプロアスリートを引退後、教職に就くことも考えた。しかし、PDFが何かも分からず、請求書の作り方も知らないうえ、選挙に行ったこともなかった。この状態で子供たちに教える自信が持てず、教職の道は保留にした。引退の挨拶回りをしていた際に議員秘書から政治の世界に誘われ、社会をもっと知りたいと思い快諾した。
「3年間はどれだけ待遇が悪くてもやり遂げる」と心に決め、社会知識が全くない状態で議員秘書の仕事を始めた。情熱だけの青年だった本田さんを、議員先生は厳しくも愛のある方で、一貫して使い続けてくれた。その期待に応えようと全力で活動を続け、ある団体の首席で卒業することができるほどにまで成長した。議員になることも考えたが、社会情勢や自身の情熱の変化を受けて、その道は選ばなかった。
政治活動に携わる中で、本田さんはあることに気づいた。それは、お金が人と権力を集めるということだった。お金があれば、自分のやりたいことを実現できると身をもって体感し、自分で稼げるようになる必要性を強く感じた。そうして、ビジネスの世界に足を踏み入れることを決意した。そのことを、その時ずっと育ててくれた先生に伝えると、「頑張ってこい」と送り出してくれたのだという。今でも沖縄に来たら飲みに行くぐらいの関係性だという。何の能力もなかった自分と、とことん向き合い認めてくれたのは先生たちの懐の大きさと「一度も妥協をせずに活動できたから」と振り返る。
大物との出会い:ビジネスの世界を教えてくれた師匠
選挙活動を続けていく中で、本田さんはある大物実業家と顔を合わせるようになった。その実業家は、本田さんの活動を見て「うちに来ないか」と秘書を通じてスカウトしてきた。最初はずっと断っていたが、本田さんが辞めるという話を聞きつけ、再度スカウトに来た。そこで一度話してみようと思い、東京に向かった。大物実業家は「私の秘書になって経営や投資、すべてのことを学べ」と言い、本田さんはその申し出を受け入れた。
そして2年間、その実業家の秘書として働き、精一杯活動しながら学び続けた。仕事の関係で何度も沖縄を訪問するうちに、ビジネスアイデアを思いついた。それを実業家に伝えると、「自分でやってみることも覚えなさい」と言われ、すぐに実業家から借金をして経営者の道に足を踏み入れることになった。
コロナで倒産危機:4か月後の資金枯渇に打ち勝つための覚悟
マスターリース(一括借り上げ)の仕組みを使い、自社でお客さんを集客して売上を管理するという今までにあまりない形で民泊事業を開始。順調に経営ができてそれなりの売上は立った。しかし、そこで新型コロナウイルスが世界を覆い本田さんの事業も大打撃を受けた。「努力のしようがなかった」。4か月後に資金が枯渇するのが見えた。正に最大のピンチだった。しかし、まだお金はある、やり切ってない。このまま上手くいかず6000万の借金が残ろうと、撤退して1000万の借金が残ろうと一緒だと気持ちを奮い立たせた。「コロナを言い訳にしたくない」。そして、この絶望の中でも給料が払えなくなるかもしれないと言っても付いてきてくれた従業員のためにも、最後まで諦めないと覚悟を決めた。常に考え、行動した。その結果、始めた清掃事業が当たった。覚悟を決め行動した結果、大逆転を起こしたのだ。
離職率3%の会社、従業員が辞めない訳とは
清掃事業が軌道に乗り、次にできることが見えてきたため建築業を開始した。少しずつ自社でできることが増えていき、現在では建物全般のことを自社でできるようになった。一気に売上も伸び従業員は50名を超えた。
そして拡大していく上でもっとも力を入れたのは仕組みづくりだ。現場のことを理解していないと絶対に従業員は着いてきてくれないと、出来る限り現場に社長自ら現場に出向くようにしている。言いたいことがあるならバイトであってもいつでも直接電話で連絡してきていいようにしている。バイトから夜中1時から1時間30分話したこともあるそう。仕事が終われば、定時になっていなくても仕事を終了していいようになっている。もちろん給料はそのままで、もし違う現場の応援などいけばプラスで給料を渡している。スタンスとして公正、公平を意識しているという。
自由な一面はある一方、厳格なルールも存在する。評価や給料は全て社長が決めているという。『お金のことが一番不満がでる』だからこそ、かなり厳格にルールを決めている。全従業員が絶対に自分の給料を言わない。もし漏れた場合は減給や罰金にしている。他にも統制を取るためにルールは存在している。これを教えてくれたのはこれまで私を育ててくれた師匠達だ。彼らの教え通りに実行しているから離職率3%になっている。
次の目標は売上10億。教育の一環として若者がチャレンジできる環境を作る
しかし、これはまだ通過点に過ぎない。次は売上10億を目指す。売上10億を達成すると、会社の価値が一気に広がり、できることの幅も広がる。株式会社として進んで行くなら、この目標は必然だ。そして、教育に投資していきたい。この投資とは、若い人にチャレンジさせるための投資だ。投資するにも自分に余裕がなければできない。だからこそ、売上10億を目標にする。自分が先輩方にしてもらったように、新しい時代を作る若い人たちにチャンスを与えたい。私の若い時のように、何かチャレンジしたいけれどお金がなくてできない人たちに、見返りを求めずに投資していきたい。
もちろん、スポンサーになる条件は厳しい基準がある。それは、本田さんが一緒に熱くなれるか、そして当人が本気の目をしているかどうか。従業員にも当然説明し、彼らも一緒に熱くなるという。現在スポンサーについている格闘家の中には、面白い人たちがたくさんいる。本気で打ち込んでいるからこそ、本気で応援できる。情熱が繋がっていくのを肌で感じるという。
私は、凄い人達の背中を見て妥協をせずに行動したと自信を持って言える。だからこそ今の自分がいる。過去の自分を変えてくれた師匠達のように、次は自分が若い人を応援する番だ。『若くてギラついている』若者を応援したい。本気でやる覚悟があるなら、ぜひそんな熱くさせてくれる若者に会いたいという。
私が人生で一番大切にしていることは『人との縁を大事にすること』だ。私は一度も就職活動をしたことがない。これは全て人との縁を大事にしてきたからだ。今の自分がいるのは、これまで育ててくれた師匠達、給料を払えないと言ってもついてきてくれた幹部、そして自分を信じて付いてきてくれる従業員達。みんながいたから今の自分がある。次は自分が若者にチャンスを与える側だ。そのためにもっと事業を発展させる。私のIKIGAIは『チャレンジ精神を忘れないこと』。安定している時こそIKIGAIを感じない。新しいことをしている時にドキドキして幸せを感じる。これからもこの気持ちを持ち人生を歩んでいく。
そして、これから若者のIKIGAIを全力で応援したい。なぜならそれが私のIKIGAIにも繋がるから。
あとがき
努力の仕方を極めた先に辿り着いた今。そのやり方は師匠達が教えてくれた。その一つ一つを愚直にやり続けたからこそ、今の本田さんがあるのだろう。出会いが人生を変えるというが、その出会いに気づくことと信じてついていくのはまた別の話だ。『頑張る』『やり切る』こういった言葉を言うのは簡単だ。しかし、実際に行動し続けるのは生半可なことではない。ただ、何者かになれた人はその瞬間を『やり切っている』のだと感じた。
プロのアスリートとして、政治活動家として、経営者として妥協なくやり切り、歩んできたからこそ見える景色があるのだろう。その集中力と誠実性こそ、本田さんの圧倒的な強みである。そしてこれからも本田さんは自分の生きたい道に進んで行くだろう。
人生においてチャンスは思ったよりもたくさん落ちているのかもしれない。しかし、それに気づかない人、気づいていても自分には関係ないと思う人がほとんどであろう。みんながやらないから意味がある。みんなが動けないからチャンスがある。何者でもない者が何か持っている人に提供できるのは情熱であり、それは本気でやっていれば言葉に、目に宿ると何者でもない私に本田さんは教えてくれた。
情熱は繋がる。IKIGAIは繋がる。このメッセージが夢を諦めそうになっている本気の若者たちに繋がると信じて。元プロアスリートで夢を諦めた私から、IKIGAIのある日本に変わっていくという思いを込めて、私はこの記事を記した。