目だけで舞える日まで——魂に正直に生きる舞踊家が、次世代へ渡す感性の力

則枝千絵 舞踊団Baliasi

魂の声に従い舞い続ける舞踊家

東京都

目だけで舞える日まで——魂に正直に生きる舞踊家が、次世代へ渡す感性の力

 

「最終的には、目だけで舞える舞踊家になりたいんです」

手が動かなくなっても。
足が動かなくなっても。
立ち上がることさえできなくなっても。

それでも、魂がそこにある限り、踊りは終わらない。

舞踊家・振付師・演出家として、舞踊団Baliasi(バリアージ)を主宰する則枝千絵さん。
モダンバレエを原点に、バリ舞踊、東洋思想、祈り、死生観、感性教育を融合させながら、独自の舞踊表現を築いてきた人である。

その表現は国内外に広がり、2018年には平昌冬季オリンピック公式公演にも招聘された。

幼い頃から、踊りは彼女にとって呼吸のようなものだった。
踊ることを中心に進路を選び、人生を重ねてきた。

そんな彼女が二十一歳のとき、阪神・淡路大震災で被災した。

「踊りで人を助けることもできない。みんなを食べさせることもできない。踊りが何の役に立つんだろうって、初めて思ったんです」

それでも彼女は、「学校を卒業するまでは」と決め、踊りを続けた。
そして卒業のとき、もう一度、自分自身に問いかける。

この命を、どう使うのか。
返ってきた答えは、やはり踊ることだった。
「魂がワクワクする生き方をしたい」

その後も、彼女の道は決して平坦ではなかった。
難病の宣告によって、踊れる時間に限りがあると告げられた。
頭の中にしかない踊りを形にし、理想を追い求めるうち仲間が離れ一人に戻る時期もあった。

それでも彼女は、自分の道を歩き続けた。

これは、ただ踊りを仕事にした人の物語ではない。
踊る意味を失いかけながら、それでも舞い続け、感性そのものを未来へ渡そうとしている、一人の舞踊家の記録である。

あなたは、何を感じ、どう生きるだろうか。
これは、そんな問いを手渡してくれる物語である。

第1章|「息をするように踊っていた」——自分そのものだった踊りが、無力に見えた日

則枝千絵さんにとって、踊りは「好きなこと」というより、最初から自分の中にあったものだった。

音楽が流れる。
身体が動く。

演歌が流れれば、演歌のように。
ポップスが流れれば、ポップスのように。

幼い頃の則枝さんは、誰かに見せるために踊っていたわけではない。
何かを目指していたわけでもない。

「息をするのと同じように踊っていたんです」

踊りは、日常の中にあった。
呼吸のように、当たり前に身体の中から出てくるものだった。

家族に舞踊家がいたわけではない。
父は日本食の料理人。
母も感性のある人だったが、舞踊の家系ではなかった。

両親は、則枝さんを誰かと比べることはなかった。

「うちの両親は、“普通はこうしなさい”みたいなことをあまり言わなかったんです。私が何に夢中になっているのか、何をしているときに私らしくいられるのかを、見てくれていたんだと思います」

踊りを続けることを否定されなかった。
誰かと同じ道を歩くより、彼女が彼女として生きることを、そっと支えてくれた。
そうして、小学生、中学生、高校生と、踊ることを中心に生活ができた。

「どこの学校へ行けば踊りを続けられるのか。どんな環境なら、もっと踊りを深められるのか。自然と、そういう基準で道を選んでいました」

踊るために道を選ぶことは、彼女にとって特別な決断ではなかった。

そして、舞踊の専門学校へ進む。
同じ学校から舞踊の専門学校へ進む人はいなかった。

周囲の多くが進むレールとは、まったく違う方向だった。
親として不安がなかったわけではないかもしれない。

それでも、両親は止めなかった。
踊りを続けることを否定せず、両親は則枝さんが自分らしく生きることを、そっと支え続けてくれた。
「好きなことを、好きなままやらせてもらえたんです。だから、踊りをやめなさいと言われた記憶はないんですよね」

誰かと比べられなかった。
その子の中にあるものを、信じてくれる人がいた。
だから、彼女の中の踊りは消えなかった。
「踊りが私のすべてだったんです」
その言葉の奥には、踊り続けることを許されてきた時間も重なっている。

――――

そんな踊りの意味が大きく揺らいだのは、二十一歳のときだった。
阪神淡路大震災。

則枝さんは、神戸の実家で被災した。
「家族は無事だったんです。でも、家の中はぐちゃぐちゃで、電気もガスも水道も止まって水を汲みに行ったり救援物資を受け取りながら過ごしていました」

昨日までの日常が、突然止まった。
街が壊れた。
人が亡くなった。

数か月後、電車が西宮まで通ったという情報を聞き、則枝さんは神戸から西宮まで歩いた。

「前にも後ろにもリュックを背負って、マスクをして、頭を守りながら歩いたんです。西宮まで、たしか八時間くらいかかりました」

崩れた街の中を、ひたすら歩いた。

昨日まで人が暮らしていた場所。
見慣れていたはずの道。
当たり前だった日常。
そのすべてが、別のものになっていた。

「神戸は本当に大変な状態だったんです。水もないし、電気もないし、街も壊れていて。そういう中を歩いて、大阪に出たんです」

大阪には、普通の日常があった。
その光景に、則枝さんは衝撃を受けた。
「大阪に着いたら、みんな普通に生活していたんです。それを見たときに、ああ、こんなに近いのに、こんなにも違うんだって思いました」

自分がいた場所では、街が壊れ、人が亡くなり、生活が止まっていた。
少し離れた場所では、何事もなかったかのように世界が続いている。

その落差は、簡単には受け止められなかった。
「同じ日本なのに、同じ時間を生きているのに、全然違う日々がある。そのことが、すごくショックでした」

震災後の日々の中で、則枝さんの中にひとつの問いが生まれた。
「踊りで人を助けることもできない。みんなを食べさせることもできない。踊りが何の役に立つんだろうって、初めて思ったんです」

自分のすべてだと思ってきた踊りが、誰かの命の前では無力に見えた。

「踊りが嫌いになったわけではないんです。でも、自分がずっと大切にしてきたものが、目の前のことに対して、何もできないように感じてしまったんです」

大切だったからこそ、苦しかった。
踊りは、則枝さんの中心にあった。
その中心が、震災によって大きく揺らいだ。

それでも、踊りをすぐに手放すことはできなかった。
則枝さんは「学校を卒業するまでは」と決め、踊りを続けた。
踊る意味が分からなくなっても、身体は稽古場へ向かった。
迷いながらも、授業を受け、身体を動かし、踊りと向き合った。
学校を卒業するとき、則枝さんはもう一度、自分自身に問いかける。

 

「この命、どう使うのか」

 

震災で、一度死んでいてもおかしくなかった。
生き残ったこの命を、何に使うのか。
踊りから離れることもできた。
別の道を選ぶこともできた。

則枝さんは、本気で考えた。
何度も考えた。
自分の中に問いを投げ続けた。

踊りをやめるのか。
別の形で誰かの役に立つ道を選ぶのか。
それとも、もう一度踊るのか。

自分の奥から返ってきた答えが出る。

「踊りが何の役に立つのか分からなくなって、やめようと思った時期もありました。でも、自分の中で本気で考えたときに、やっぱり魂がワクワクする生き方をしたいと思ったんです」

震災は、彼女から踊りを奪ったのではなかった。
その経験は、踊る意味をさらに深く見つめ直すきっかけとなった。

第2章|「駒の一部にはなりたくなかった」——自分だけの踊りを探し、海を渡った日

卒業後、則枝さんは東京へ向かった。
プロダクションのオーディションを受け、合格する。
バックダンサー、テレビ、CM、PV、コンサート。
踊りを仕事にする日々が始まった。

周囲から見れば、夢を掴んだように見えたかもしれない。
踊りで仕事をしている。
華やかな現場に立っている。
親も安心し、周りも喜んでくれる。
一つの成功に見える場所だった。

しかしその場所で、則枝さんの中に違和感が生まれていった。
「若くて綺麗で踊れる子なんて、いくらでもいるんですよね。だったら、自分でなければならない踊りって何なんだろう、自分にしかできない表現ってどこにあるんだろうって思ったんです」

求められる役割には応えられる。
でも、それだけでは自分の表現には届かなかった。

「私は、駒の一部にはなりたくなかったんです」

代わりのきく存在として踊り続けるのではなく、自分だけの踊りを探求したい。
自分の身体で、自分の感性で、自分にしか開けない場所へ行きたい。
それは、舞踊家としての内なる欲求だった。

そんな日々の中で、身体に異変が出る。
「このまま踊り続けたら、十年後には股関節がだめになって、車椅子生活になるかもしれないと言われたんです」

舞踊家にとって、身体は命そのものだ。

「踊れなくなるかもしれない。歩けなくなるかもしれない。そのときは、本当に目の前が真っ暗になりました」

このまま踊り続けて、歩けなくなったらどうしよう。
それでも、踊らずに生きることができるのか。
その問いが、何度も胸の中を巡った。

最初は、ただ怖かった。
落ち込んだ。
身体の未来を失うような感覚があった。
だが、その葛藤の中で、則枝さんの意識は少しずつ変わっていく。

踊れる時間が限られているのなら。
いつか踊れなくなる日が来るのなら。
その時間を、誰かの代わりとして使いたくない。
残された時間を、自分の踊りのために使いたい。

「このまま踊り続けたら、いつか歩けなくなる。そう言われたときは、本当に落ち込みました。でも、もし踊れる時間が限られているなら、その時間を誰かの駒として使いたくないと思ったんです。踊れるうちに世界を見たい。自分にしかできない踊りを探したい。だったら、ニューヨークへ行こうと思いました」

限られた時間は則枝さんを止めなかった。
むしろ、自分の真実へ向かわせた。
――――

ニューヨークで則枝さんが出会ったのは、正解に従う踊りではなかった。

「ニューヨークに行くと、人種も身体のつくりも、音楽の感じ方も、表現の出し方も本当に違うんです。同じ踊りでも、踊る人によって全然違うものになるんですよね」

問われるのは、上手いかどうかだけではなかった。
綺麗に揃っているかどうかだけでもない。
その人の身体から、何が出ているのか。
その人が、何を背負って踊っているのか。

「誰かと同じように踊ることより、自分の身体からしか出せないものを探すことが大事なんだと感じました」

ニューヨークでの日々は、則枝さんにその感覚を深く刻んでいった。
誰かの正解をなぞるのではなく、自分の身体から生まれるものを探す。
その問いを深めていった。
――――

帰国した後も、則枝さんは独自のスタイルを探し続けた。
のちに、十年しか踊れないかもしれないと言われた足の問題は、誤診だったことが分かる。

「結果的には誤診だったんです。でも、あのときそう言われたからこそ、自分の時間をどう使うのか、本気で考えたんだと思います」
誤診に追い詰められたというより、導かれた。

日本で仲間たちとダンスチームを組んだ。
ショーに出る。
コンテストに挑む。

ただ舞台に立っていたわけではない。
舞台に立つたびに、自分の身体がどこに反応するのかを確かめていた。

「踊りながら、ずっと探していたんだと思います。どんな音に心が動くのか。どんな動きに、自分らしさが宿るのか。誰かの型ではなく、自分の身体から生まれるものは何なのか」

自分だけの踊り。
自分でなければ生まれない表現。
その問いを抱えたまま、則枝さんは踊り続けていた。

そんなある日、インド映画で見た舞踊に心を奪われる。
「インド映画の中で見た踊りが、すごく気になったんです。西洋舞踊とは身体の使い方も、時間の流れも、世界観も違っていて。自分が探していたものが、そこにあるような気がしました」

それは、則枝さんの身体が新しい扉に反応した瞬間だった。
則枝さんは、インド舞踊を学べる場所を探した。
探しても、見つからなかった。
そんなとき、雑誌の小さな広告が目に入った。

「バリ舞踊」

当時、則枝さんはバリ島のことすらよく知らなかった。
自分が最初に探していたものとも違う。
それでも、なぜか気になった。
体験してみると、身体の奥が反応した。

「目の動き、首の動き、指先、腰、重心。形はすごく独特なんですけど、なぜか身体が反応したんです。いびつな形なのに、どこか懐かしいような、新しいような感覚がありました」

造形的な動き。
西洋舞踊とはまったく違う身体の使い方。
その奥に、自分が探していた何かがある気がした。

「これは、ちゃんと深く学びたいと思いました。趣味で少しずつやるというより、本場に行って、身体ごと入ってみたいと思ったんです」

少し触れるだけでは足りなかった。
やるなら深く入りたい。
本場で、生活ごと、祈りごと、身体に入れたい。

「行った方がいい、という感覚があったんです」

その直感に従うように、則枝さんはバリ島へ渡る。
ただ、自分の魂が向かう方へ身体を差し出した。

第3章|「それは散歩じゃない」——バリ島の道で、自分だけの舞が見えた

バリ島での日々が教えてくれたのは、踊りの技術だけではなかった。
そこにあったのは、人々の生き方そのものだった。

朝、昼、晩。
人々は祈る。
あらゆるものに感謝する。

「バリの人たちは、神様だけじゃなくて、自然にも、自分の身体にも、親にも、物にも、本にも、いろんなものに感謝するんです。祈りが特別なものではなくて、生活の中にあるんですよね」

祈りは、特別な儀式ではなかった。
生活の中に溶け込んでいた。
踊りも同じだった。

舞台の上だけにあるものではない。
誰かに見せるためだけのものでもない。

神に捧げるもの。
自然とつながるもの。
土地の記憶に触れるもの。
生きている人と、亡くなった人の間に立つもの。

「踊りも、ただ見せるためのものではなくて、祈りとしてそこにあるんです。人と神様、人と自然、生きている人と亡くなった人をつなぐような感覚がありました」

則枝さんは、バリ島で初めて、踊りが「祈り」として日常に溶け込んでいる世界を身体で感じた。

――――

東京からバリ島へ来たばかりの頃、則枝さんは村を散歩していた。

「自分では散歩しているつもりだったんです。でも、東京の感覚が残っていたから、歩くのが速かったんですよね」

すると、村の知らないおじさんに声をかけられた。
そんなに急いで、どこへ行くのか。
それは散歩じゃない。
散歩は、もっとゆっくり歩くものだ。

「そう言われて、ああ、私は散歩すら急いでいたんだと思いました」

則枝さんは、言われた通り、ゆっくり歩いてみた。
すると、草花が目に入った。
風があった。
道の脇にある小さなものに気づいた。
それまで見えていなかったものが、少しずつ見え始めた。

「ゆっくり歩いてみたら、今まで見えていなかった草花とか、風とか、道の脇にある小さなものが見えてきたんです。これが道草なんだと思いました」

目的地に早く着くことだけが、道ではなかった。
正解に早くたどり着くことだけが、表現ではなかった。

立ち止まること。
草花を見ること。
風を感じること。
遠回りの中で、自分の身体が何に反応するのかを知ること。

「急いでいると、見えているようで見えていないんですよね。ゆっくり歩くことで、世界の見え方が変わっていきました」

その感覚は、則枝さんの舞にもつながっていった。
バリ島では、時間の流れそのものが違っていた。

急がない。
無理に時間を埋めない。
何もしていない時間にも、意味がある。

「バリで一番贅沢な時間の使い方は、何もしないことなんです」
何もしないこと。
それは、自分を自然のリズムへ戻すことだった。
則枝さんは、バリ島で少しずつ、人間が自然の一部として生きている感覚を取り戻していった。
その感覚を、もっとも強く感じる日があった。

「ニュピ」

バリ島の静寂の日である。
夕方から暗くなり、朝日とともに起きる。
「本当に何もしない日なんです。電気も使わないし、外にも出ない。空港まで閉まるんですよ」

電気の明るさがないから、星が見える。
人の音がないから、虫の声が聞こえる。
風の音が届く。
鳥の声がある。

「そのとき、地球が喜んでいるように感じたんです。人間が何もしないだけで、こんなに自然の音が聞こえるんだって」

何かを成し遂げなくてもいい。
どこかへ急がなくてもいい。

「何もしないって、すごく贅沢なんです。ただ息を吸って吐いて、風を感じて、鳥の声を聞いているだけで、幸せだと思えるんですよね」
日本で走り続けていたときには、見えなかった幸せだった。

そして死生観も変わった。
バリ島のお葬式は、ただ悲しみに沈むだけのものではなかった。
人間界という修行のような時間を終えた人に、「お疲れ様でした」と町をあげて見送る。
盛大な祭りのような時間だった。

遺体を牛の張りぼてに納め、街中を練り歩く。
海で禊をする。
山へ登る。
火で燃やす。
人々は、その一部始終を見守る。

「目の前で身体が燃えていくんです。骨が縮んで、肉体が形を変えていく。それを見たときに、身体って器なんだと思いました」

肉体は朽ちる。
けれど、魂は見えない形で残る。
見守り、共にある。

「死ぬことが、ただ怖いものではなくなったんです。身体はなくなっても、魂はそばにある。そう感じるようになりました」

死が、遠くにあるものではなくなった。
生きることと死ぬことが、ひとつの流れの中にあるものとして感じられるようになった。
その感覚は、則枝さんの踊りを変えていく。

踊りは、ただ見せるものではない。
うまく動くことだけでもない。
綺麗に見えることだけでもない。

身体を通して、目に見えないものを受け取る。
自分を限りなく消し、器になる。
人と神、人と自然、生者と死者の間に立つ。

「踊るときは、自我をできるだけなくして、器になる感覚があるんです。自分が見せるというより、何かを受け取って、身体を通して出していく感覚なんです」

バリ島で、則枝さんは舞が「祈り」であることを身体で知っていった。
そして、それまで別々にあったものが、則枝さんの中でつながっていく。

幼い頃から積み重ねてきたモダンバレエ。
ニューヨークで触れた自由な身体表現。
バリ島で出会った祈り、死生観、自然と共に生きる感覚。

それらがひとつになったとき、則枝さんの中で、自分だけの舞が見え始めた。

「モダンバレエも、ニューヨークで感じた自由さも、バリで出会った祈りや死生観も、全部が自分の中でつながっていったんです。どれか一つを選ぶというより、その全部を通って、自分の舞ができていく感覚でした」

どこかの国の舞踊を、そのまま再現するのではない。
西洋か東洋かを選ぶのでもない。
エンターテインメントか、アートかに分けるのでもない。
その狭間に立つ。
境界を越え、混ざり合い、変化し続ける舞。

のちにBaliasiは、バリ舞踊やモダンバレエをベースにした唯一無二のスタイルで、観る人の感性を拓く舞踊団として歩んでいく。

第4章|「0じゃなくて、1に戻っただけ」——孤独の先で、踊りが命に触れた

バリ島から帰国したあと、則枝さんには所属団体も働き先もなかった。
「どこかに所属していたわけでも、働く場所があったわけでもなかったんです。ただ、自分の中には、こういう踊りをやりたいという世界がありました」

まだ、誰にも説明しきれなかった。
最初から理解されるものでもなかった。
それでも、形にしたかった。

「頭の中には見えているんです。でも、それを言葉で説明するのは難しくて。だったら、まず踊るしかないと思いました」

舞踊団Baliasiは、そこから始まった。
最初は、一人だった。
友人のイベントや公演主催者に声をかけた。
「私に一分だけちょうだい」

その一分で、則枝さんは踊った。
「とにかく一分だけでも見てもらえたらいいと思っていました。説明するより、踊った方が伝わると思ったんです」

その一分を見た人が、声をかけてくれる。
一人増える。
二人増える。
三人になる。

少しずつ、グループができていった。
「最初は本当に一人だったんです。でも、踊っているうちに、面白いねって言ってくれる人が出てきて、一緒にやりたいと言ってくれる人も増えていきました」

自分の頭の中にしかなかった世界が、少しずつ身体を持ち始める。
自分だけのものではなく、仲間と形にできるかもしれない。
その手応えがあった。
「自分の中にしかなかったものが、人の身体を通して形になっていく感覚がありました。それは、すごく嬉しかったです」

だが、その道はまっすぐではなかった。
自分の道を進むほど、人が離れていく時期もあった。

「でも、やっぱり難しかったです。私の中には見えているけれど、それを同じ温度で共有するのは簡単じゃなくて。だんだん人が離れていく時期もありました」

メンバーが来なくなる。
一人、また一人来なくなる。
そしてついに一人になった。

「誰も来ないスタジオに向かうこともありました。行っても、自分しかいないんです」
則枝さんは、自分に問いかけた。

この踊りは、間違っているのだろうか。
誰にも届かないのだろうか。
私は、この道を歩き続けていいのだろうか。

「自分の頭の中には見えているんです。でも、それを人に伝えるのは本当に難しかった」

言葉にしても、伝わりきらない。
身体で示しても、すぐに共有できるわけではない。

「私の中では分かっているんです。こういう空気で、こういう景色で、こういう身体の使い方で。でも、それを同じように感じてもらうことは簡単じゃなかったんです」

則枝さんが探していたのは、誰かの真似ではなかった。
既存の型をきれいに再現することでもなかった。
流行に合わせて、分かりやすいものを創ることでもなかった。
簡単に言葉にできるものではなかった。
すぐに理解されるものでもなかった。

「分かりやすくすれば伝わるのかもしれない。でも、それをしてしまうと、自分が本当にやりたいものとは違ってしまう気がしたんです」

だから、孤独だった。

「みんなが離れていったときは、やっぱり苦しかったです。でも、自分の中には見えているものがある。それを、なかったことにはできなかったんです」

一人になったことだけが苦しかったのではない。
自分の中に確かにあるものを、誰にも渡せないように感じたことが苦しかった。
それでも、則枝さんの中にある舞は消えなかった。

「行き詰まりみたいな時期があって、みんなが離れていったんです。誰も来ないスタジオに向かうこともありました」

その孤独を抱えたまま、則枝さんはある日 並木道を歩いていた。

「もう本当に落ち込んでいたんです。誰もいなくなって、また一人になって。私は何をしているんやろうって思いながら歩いていました」

心は深く沈んでいた。
どうしようもない気持ちを抱えたまま、ただ歩いていた。

そのときだった。
ふっと、光のようなものが頭からパンッて入ってきた。
そしたら急に、笑いがこみ上げた。

悲しいのに。
苦しいのに。
一人ぼっちのはずなのに。
なぜか、笑えてきた。

「これでいいんや、と思ったんです。最初から一人やったやん。0じゃなくて1に戻っただけ。私は私の道を歩むだけやって」

ゼロになったのではない。

「全部なくなったわけじゃない。最初の場所に戻っただけなんやって思ったんです。誰かがいるから進むんじゃない。誰かが離れたから終わるんでもない。最初から、この道は私の道だったんやって。一人になって、やっとそれを思い出したんです。私は、私の道を歩むだけなんやって」

その言葉は、孤独の底で、もう一度、自分の足の裏に道が戻ってきた瞬間だった。

そう思えた、まさにその直後だった。
携帯が鳴った。
「ちえにどうしても出演してもらいたいプロジェクトがある」

オファーの電話だった。
道が開く合図のようだった。

孤独の中で、自分の道を手放さなかった。
その先で、また人とつながる。
Baliasiは、そうやって少しずつ形になっていった。
一人から始まり、仲間と出会い、歩き続ける。
踊りは更に深まっていった。

その探求の先で 、踊りは、何の役に立つのか。
その答えがある命に向き合うことで返ってくる。

――――

東日本大震災のあと、則枝さんはBaliasiのメンバーとともに、気仙沼や福島へ足を運んだ。
踊ること。
それが、彼女たちにできる支援だった。

「大きなお金を寄付できるわけでもないし、瓦礫を片づけるような力仕事ができるわけでもない。でも、私たちには踊ることがある。だったら、その土地に行って、人に会って、舞うことはできると思ったんです」

震災を、遠い場所の出来事にしたくなかった。
テレビの向こうの悲劇として終わらせたくなかった。
自分たちの身体でその土地に立ち、そこに生きている人たちと同じ時間を過ごすこと。

それも、則枝さんにとっての支援だった。
その中で、山の上から降りてこられなくなっていた一人のおばあさんの話を聞いた。

自分より若い人が津波で流されて亡くなった。
それなのに、自分のような先に死んでもいい人間が生き残ってしまった。
顔向けができない。

おばあさんは、そんな思いを抱えていた。
その話を聞いたとき、則枝さんの中で何かが動いた。

「その方の話を聞いたときに、どうしても舞を見てもらいたいと思ったんです。言葉で何かを言っても届かないかもしれない。でも、舞なら届く場所があるかもしれないと思いました」
ただ励ましたかったわけではない。

「元気を出して」と言いたかったわけでもない。

生き残ったことを責め続けている人に、簡単な言葉は届かない。

「生きていていいんですよ、なんて言葉で言うのは違う気がしたんです。でも、舞を通してなら、その人の中の止まっているものに触れられるかもしれないと思いました」

言葉では届かない痛みがある。
説明では触れられない場所がある。

だから、則枝さんはその人に踊りを見てほしかった。
なんとか説得して、見に来てもらった。
三十分の公演が始まった。

祈るように舞う。
亡くなった人へ。
残された人へ。
土地へ。
見えないものへ。
生きている身体へ。

舞が終わると、おばあさんは則枝さんの手を握った。
そして、こう言った。

「生きててよかった」

それは、則枝さんが探し続けてきた踊りの意味が、命の深い場所で応えた瞬間だった。

「その言葉を聞いたときに、私は本当に、踊れてよかったと思ったんです。踊りをやめなくてよかった。ここまで続けてきてよかった。自分の身体を信じてきてよかったって。

あのおばあさんが私の手を握って、“生きててよかった”と言ってくださったときに、答えを 言葉で説明されたわけではないのに、身体の奥で分かった気がしました。
ああ、踊りはこういうところに届くんだ、と。

私が踊ってきた時間は、無駄ではなかった。そう思えた瞬間でした」

それは、則枝さんが探求してきた“自分にしかできない踊り”が、
誰かの命に触れた瞬間だった。
そして同時に、踊りを続けてきた則枝さん自身の魂もまた、深く共鳴した瞬間だった。

第5章|感性を取り戻す教育——次世代へ伝えたいこと 

Baliasiとして作品をつくる中で、則枝さんは何度も壁にぶつかった。
自分の頭の中には、いつも景色がある。
だが、その景色を踊り手に伝えるのは簡単ではなかった。
「木が風に揺れるように」

そう伝えても、ただ身体を揺らせばいいわけではない。

「しだれ桜と楠木の揺れ方は違うんです」

その木は、何のためにそこに立っているのか。
誰に語りかけているのか。
どんな風を受けているのか。

そこまで感じたとき、動きは変わる。

形だけではなく、内側に景色が生まれる。
景色が生まれたとき、舞に気配が宿る。

則枝さんは、感性についてこう語る。
「感性とは、微細な気配を感じる能力です」

風を感じる。
鳥の声を聞く。
木の揺れを見る。
季節の移ろいに気づく。

日々の中にある小さな変化を受け取れること。
その変化を、幸せだと感じられること。
それは、自分の人生を、自分の感覚で選び直す力にもつながっていく。

「何か特別なことが起きなくても、朝目が覚めて、空気を吸えて、身体がここにある。風を感じられる。鳥の声が聞こえる。木が揺れていることに気づく。そういう小さなことを、ちゃんと幸せだと感じられる感性があれば、人はどんな日常の中にも豊かさを見つけられると思うんです

だから私は、踊りを通して、その感性を育てていきたい。舞台の上だけではなくて、日々の暮らしの中で、自分の命がちゃんとここにあることを感じられる人を増やしていきたいんです」

則枝さんは、感性を次の世代へ渡そうとしている。

舞台の上だけではなく、日常の中で。
踊る人だけではなく、すべての人へ。

その感性を、則枝さんは舞台の上だけでなく、日常の中へも広げてきた。

感性研究に参画し、五感を使った商品開発にも関わる。
香り展のアートディレクションをはじめ、学校や企業の創造性開発プログラムでは、五感を開き、自分の内側にある感覚を表現へつなげるワークショップの講師も務めている。

そこで大切にしているのは、正しい答えを教えることではない。

香りを感じる。
身体の反応に気づく。
目に見えない気配を受け取る。
自分の中に生まれた感覚を、言葉や身体表現へと変えていく。

それは、知識を詰め込む教育ではなく、自分の内側に眠っている感性を呼び覚ます時間だった。

代表を務める「魔女の見習い学校」でも、その思いは変わらない。
季節の野草などを用いながら、地球と連動する人間の治癒力や、自然が持つ癒しについて伝えている。

一見ばらばらに見える活動も、則枝さんの中ではすべてつながっている。
舞うこと。
香りを感じること。
自然に触れること。
身体の声を聞くこと。
自分の中に生まれた感覚を表現すること。
そのすべては、人間が本来持っている感性を取り戻すための営みだった。

五感で世界を受け取り、内側に生まれた小さな揺らぎに気づく。
その感覚を、自分だけの表現や生き方へと返していく。
則枝さんが育てているのは、そんなふうに、自分の感性で人生を歩いていける人なのだ。

インタビューの最後に、則枝さんにとってのIKIGAIについて尋ねた。
「私にとってのIKIGAIは、魂に正直に生きることなんです」

本当は、自分はどう生きたいのか。
何に心が動き、何に違和感を覚えるのか。
そして、何にこの命を使いたいのか。

則枝さんは、人生の節目ごとに、その問いを自分自身へ投げかけてきた。
「頭で考えた正解よりも、魂がワクワクする方を選んできたんだと思います。
たとえ遠回りに見えても、自分の魂に嘘をついて生きることはできなかったんです」

感性を未来へ渡すことは、誰かに正解を教えることではない。

一人ひとりが、自分の内側にある声を感じ取れるようにすること。
小さな幸せを見落とさず、自分の人生を自分の感覚で選べるようにすること。
その生きる力を次の世代へ渡すために、彼女は進む。

そして彼女には、もうひとつの目標がある。

「最終的には、目だけで舞える舞踊家になりたいんです」

手が動かなくなっても。
足が動かなくなっても。
立ち上がれなくなっても。

最後は目だけで舞う。

年齢を重ね、身体が思うように動かなくなったとしても、踊りは終わらない。
魂がそこにある限り、踊りは続く。
それは、最後まで自分の魂に嘘をつかずに生きるという宣言だ。

踊りは、則枝さんにとって命の使い方なのである。

あとがき

則枝千絵さんの話を聞きながら、私は何度も考えていた。
「自分は、自分の感性をどれだけ信じて生きているだろうか」と。

インタビューの途中、則枝さんは少しだけ舞を見せてくれた。
それは、舞台の上で大きく身体を動かすようなものではなかった。
言葉では伝えきれない感覚を補うように、手を動かし、目を動かし、身体で示してくれた。

ほんの短い時間だった。

それでも、その動きを見た瞬間、胸の奥で何かが動いた。
言葉にできないものが、確かに伝わってくる感覚があった。

人の魂に触れるものは、いつも言葉になるわけではない。
数字にもならない。
成果として説明できるわけでもない。

それでも、確かに届くものはある。
胸の奥で、何かが動く瞬間がある。

則枝さんの人生は、決してまっすぐな道ではなかった。

震災で、踊りの無力さに打ちのめされた。
足の病気で、踊れる時間を突きつけられた。
芸能の世界で、駒の一部であることに違和感を覚えた。
Baliasiを立ち上げたあとも、一人に戻る日があった。

それでも、則枝さんは自分の魂から逃げなかった。

「魂がワクワクする生き方をしたい」

迷いながら。
傷つきながら。
孤独を抱えながら。

それでも、自分の道を歩き続けた。

魂に正直に生きること。
この命を、何に使うのか。

その問いに、すぐ答えられる人ばかりではない。

道を進んでいると、立ち止まる日も、一人に戻る日も、自分の道が見えなくなる日もある。
何のために歩いているのか、分からなくなる日もある。

それでも、自分の感性を信じ、魂に正直に歩き続けることで、道は少しずつできていく。
そしていつか、その道が誰かの魂を動かす。

私たちは、知らないうちに急いでしまう。
早く結果を出すこと。
正解を選ぶこと。
人から評価されること。
失敗しないこと。

その中で、道に咲いている草花を見落とす。
風の音を聞き逃す。
自分の胸に生まれた小さな違和感を、忙しさで押し流す。
そしていつの間にか、自分の心の声に気づかないふりをしてしまう。

本当はもう分かっているのかもしれない。
自分が何に心を動かされるのか。
何に涙が出るのか。
何をしているときに、自分の魂が震えるのか。

則枝さんの舞は、そのことを思い出させてくれる。
人は、誰かの正解を生きるために生まれてきたのではない。
自分の命を、自分の感性で選び、自分の魂に嘘をつかずに使い切るために生きている。

あなたは、この命を何に使いたいだろうか。
何に心を震わせ、誰に何を届けて、生きていきたいだろうか。

きっと答えは、遠くにはない。
胸の奥では、もうずっと鳴っている。

あとは、その声に正直になるだけなのかもしれない。

IKIGAIコネクター
尾﨑弘師

舞踊団Baliasi(バリアージ) ウェブサイト

 

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