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腹をくくるとは何か——3代目鬼瓦職人が受け継いだ「和の心」
株式会社 藤本鬼瓦製作所 藤本修悟
伝統工芸士
熊本県宇城市
腹をくくるとは何か——3代目鬼瓦職人が受け継いだ「和の心」
あなたは、腹をくくったことがあるだろうか。
もう逃げないと決めること。
言い訳をやめること。
中途半端な自分を、自分で終わらせること。
それはただ「頑張る」とは違う。
覚悟を決める、という言葉でもまだ足りない。
本気になるとは、もっと不器用で、もっと泥臭くて、もっと自分の弱さと向き合うことなのかもしれない。
株式会社 藤本鬼瓦製作所 3代目藤本修悟さんの人生を辿っていると、そのことを強く思わされる。
鬼瓦職人の家に生まれた長男。
祖父も父も職人。
生まれた時から、半分人生が決まっていた。
だからこそ、彼は反発した。
継ぎたくなかった。
縛られたくなかった。
自分の人生は、自分で決めたかった。
料理の世界へ飛び出したのは、その反発の延長だった。
けれど、そこでも彼は中途半端には生きなかった。
本気で学び、本気で結果を出し、本気で人に恩を返そうとした。
その生き方は、場所が変わっても変わらなかった。
そして実家に戻る。
だが、戻ったからといって、すぐに鬼瓦職人になれたわけではない。
そこから3年、彼はずっとモヤモヤしていた。
未練があった。
熱が入らなかった。
鬼瓦に命を込めきれない自分がいた。
その空白の時間の中で、藤本さんは考え続けた。
なぜ自分は、熱を込められないのか。
なぜこのままでは、いいものを作れないのか。
そして最後にたどり着く。
足りなかったのは才能じゃない。技術でもない。
腹をくくることだったのだと。
この物語は、伝統工芸の継承を描く話ではない。
一人の人間が、反発し、逃げ、迷い、考え抜いた末に、仕事を自分のものにしていく物語だ。
受け継いだのは、鬼瓦の技術だけではない。
本気で生きること。
仕事に命を込めること。
そして、その姿そのものを次の世代へ手渡していくという、職人の生き方である。
第1章|レールの上に置かれた少年——跡継ぎとして生まれた息苦しさ
藤本さんは、鬼瓦職人の家に生まれた。
長男。
その事実は、彼が何者になるかを自分で決めるよりずっと前から「お前は継ぐ側の人間だ」という空気が、家の中には当たり前のように流れていた。
祖父も父も職人だった。
熊本城に関わるような仕事があり、長年受け継がれてきた技があり、家としての重みがあった。外から見れば、誇るべき環境。だが、子どもの藤本さんにとっては、それは誇りより先に“既定路線”だった。
生まれた時から、半分決まっている。
その感覚が、ずっとあったという。
しかも、鬼瓦の仕事そのものが、当時の彼には楽しそうに見えなかった。
どれほどすごい仕事なのかはわからない。祖父がどれほどの職人なのかも、父が何を背負っているのかも、子どもにはまだ見えない。ただ一つ、なんとなく伝わっていたものがある。
「この仕事、楽しくなさそう」
子どもは、大人の説明ではなく空気を見る。
表情を見る。
背中を見る。
そこに自由があるのか、義務があるのかを、理屈ではなく感じ取ってしまう。
藤本さんには、鬼瓦の仕事がどこか“縛られたもの”に見えていた。
しかも家の中では、鬼瓦だけではなく、他のことでも自分の選択権がない感覚があった。
親に言われて習った剣道も、高校進学もそうだった。自分がやりたいことより、先に家の流れがある。自分で決める前に、すでにレールが敷かれている。
その感覚が、彼にはたまらなく嫌だった。
縛られれば縛られるほど、反発したくなる。
藤本さんは、そういう性格だった。
だから高校時代、彼は心の中で一つの約束をしていた。
「この3年間を耐えたら、絶対に外へ出る」
絶対に流されない。
いま目の前の状況は変えられなくても、その先の人生だけは、自分で取り返す。そう決めていた。
跡継ぎとして生まれたことは、息苦しさだった。
彼は最初から継承者だったのではない。
“継ぎたくなかった人”だったのである。
第2章|逃げた先でも本気だった——料理の世界で掴んだ「自分で生きる」感覚
家を出たい。
九州を出たい。
誰の手にも届かない場所へ行きたい。
藤本さんの中にあったその衝動は、若さゆえの反抗心だけではなかった。
生まれた時から、半分決められているような人生。その外側に、一度でいいから自分の意志で立ってみたかったのだ。誰かが敷いたレールの上ではなく、自分で選んだ道を、自分の足で歩いてみたかった。
その時、彼の中に自然と浮かんできたのが「料理」だった。
中学生の頃から、料理を作ることは好きだった。
何かを作る。手を動かす。形にする。そうした行為に、もともと惹かれていたのだと思う。だから高校3年の進路説明会で、たまたま調理師学校の先生と出会った瞬間、藤本さんの中で答えが出た。
「ここだ」
書類を書き、手続きを進め、親には「ここしか行かない」と渡した。話し合いではなく、宣言だった。
そして、その瞬間から、彼の中に溜まっていた熱が一気に噴き出した。
調理師学校に入ってからの藤本さんは、本気だった。
高校時代とは打って変わって成績は大きく伸び、学年でも上位に食い込んだ。およそ200人の中で3位。1位になればフランス校への留学援助が出るような環境で、そこを本気で狙っていたという。
周囲には、遊び半分で来ている人もいた。とりあえず資格が取れればいいと考えている人もいた。だが、藤本さんは違った。自分で選んだ道を、自分で正解にしたかった。だから、やるからには中途半端では終わりたくなかった。
本気で決めた人間の集中力は強い。
それまで勉強が得意だったわけでもない。だが、腹が決まると人はここまで変わるのかと思うほど、藤本さんは食らいついた。
ただ、人生はいつもまっすぐには進まない。
藤本さんは本来、キッチンに立つ料理人になりたかった。
作ることが好きだった。包丁を握り、仕込みをし、皿の上に一皿を完成させる。その現場に立ちたかった。
けれど、専門学校で学ぶなかで、自分に甲殻類アレルギーがあることがわかる。さらに、寿司職人にも憧れがあったが、「手が温かいから向かない」と言われた。
好きなものに向かって走っていたのに、自分の身体の条件によって、その道が少しずつ閉ざされていく。
けれど、そこで藤本さんは立ち止まらなかった。
料理人としての道が難しくなった時、別の方向を示してくれたのが学校の先生だった。
「接客のほうも向いているかもしれない」
その一言が、新しい扉を開く。
接客をやってみると、想像以上に向いていた。
しかも、ただ「向いていた」というだけではない。現場に立つと、本人が思っていた以上に周囲から評価された。
卒業後、藤本さんが入ったのは、銀座の一等地にある超一流のレストランだった。
本場フランスの格式を受け継ぐ、“三つ星”レストラン。政財界の人間や著名人が訪れ、そこで交わされる会話や所作ひとつひとつに、張りつめた品格が漂っていた。
そこで彼は、一流の接客を叩き込まれていく。
この時間は、技術や知識だけではなく、空間のつくり方、人との向き合い方、場を読むこと、そしてプロとして働くとはどういうことか。その全部を、身体で覚えていく。
しかも彼は、その世界にただ置かれていただけではない。そこでもまた、「やるからにはとことんやる」という姿勢で立っていた。
だが、ここでも時代の波が押し寄せる。
リーマンショックだった。
大きな店ほど、その影響をまともに受ける。
藤本さんも、そこで次の一歩を考えることになる。
このままここにいるのか。
それとも、違う現場で自分を試すのか。
そして彼は、別の店へ移る。
下町のスペイン料理店だった。
ここで、いかにも藤本さんらしい選択をする。
新しい店に入る時、彼は自分の経歴を前面には出さなかった。誰もが知るような名店にいたことを、武器として使わなかったのである。
普通なら、それを肩書きとして出したほうが早い。評価もされやすい。だが、彼はそれを選ばなかった。
なぜか。
肩書きで評価されたくなかったからだ。
「あの店にいた人だから」ではなく、目の前の自分を見てほしかった。
立ち振る舞い、人柄、知識、現場での動き方、空気の整え方——そういうものを見て、「なんであいつ、あんなにできるんだ」と発見してくれる大人を探していた。
表面ではなく、本質で見てほしい。名前や経歴ではなく、自分そのもので勝負したい。
これは自分が本当にどこまで通用するのかを知りたい、という強い気持ちでもあったのだと思う。
そして、その現場でも結果を出す。
アルバイトから入り、やがて店長まで上り詰める。
彼はその結果を、「自分がすごかった」で受け取らない。
そこには、今まで接客の道を勧めてくれた先生がいた。
厳しく育ててくれた先輩たちがいた。
だからこそ、この結果を持って報告したかった。
「先生があの時、接客を勧めてくれたから、ここまで来られました」
「先輩たちに育ててもらった力が、別の現場でも通用しました」
そんなふうに、結果そのものを恩返しに変えていく。
ここに、藤本さんの中にある“和の心”の原型が見える。
人は一人で大きくなるのではない。
誰かにかけてもらった言葉がある。
厳しく育ててもらった時間がある。
だから、自分が立派になることで、はじめて「あの時の関わりは間違っていなかった」と返せるのだと、彼は考えている。
恩を返すとは、感謝の言葉を口にすることだけではない。
自分がちゃんと育ち、その人たちが自慢できる人間になること。
藤本さんはその感覚を持っていた。
関わってくれた人たちに結果で返すこと。
義理を通して、恩返しをする。
藤本さんの和の心はこの頃から根を張っていた。
第3章|戻ったのに、まだ本気になれなかった——鬼瓦職人としての空白の3年
東京で結果を出し、次の道を考えていた頃、実家から「帰ってきてほしい」という声がかかる。
そこにはいくつかの偶然が重なっていた。リーマンショックがあり、勤めていた店舗も閉店することが決まる。一流店で店長として見たい景色も一度見た。次のお店をどうするか、これから先をどうするか。そんなタイミングで、実家側の話が重なった。
だから戻った。
だが、ここにいわゆる美しい決意はなかった。
「親孝行ぐらいしとくか、ぐらいの軽い気持ちだった」
最初から鬼瓦への強い志があったわけではない。使命感に燃えて帰ってきたわけでもない。タイミングが重なった。そのくらいの温度だった。
だが、本当の問題はそこから始まる。
実家に戻ったからといって、自分の中で鬼瓦職人になれたわけではなかった。
むしろそこからの3年間が、苦しかった。
料理の世界への未練があった。
モヤモヤしていた。
飲食のアルバイトにも行っていた。
鬼瓦を作っていても、心が完全にはこちらに向いていなかった。
その中途半端さは、作品にそのまま出た。
自分でもわかる。命が宿っていないのだと。
ものづくりの世界は正直だ。
誤魔化せない。
どれだけ外側を整えても、内側に熱がなければ、そのまま形になる。
「このままダラダラ鬼瓦職人をやっていても、いいものを作れない人間になる」
ある時、そうはっきり気づいたという。
それまでに3年かかった。
ここが大きな転機だった。
そして彼は、自分に必要なのは“覚悟”であり、“腹をくくること”だと知る。
覚悟を決め逃げ道を消す。
腹をくくる。
もう言い訳しない。
もう誰かのせいにしない。
これをやるのだと、自分で自分に引導を渡した。
藤本さんが向き合ったのは、鬼瓦ではなかった。
ずっと中途半端なまま立ち尽くしていた、自分自身だった。
天職は最初からそこに置かれていないのかもしれない。
ないなら、ないでもいい。
だが、向き合い続ける中で、ある日突然、芽生えたのである。
迷ったからこそ、自分に足りなかったものが見えた。
未練があったからこそ、本当に必要な“腹のくくり方”にたどり着けた。
戻ってきたことが継承ではなかった。
迷い抜いたことが、継承の始まりだったのである。
第4章|好きになる努力が、職人をつくった——鬼瓦の中に見つけた「作る」という本質
腹をくくる。
言葉にすると短い。だが実際には、それだけで人が変わるわけではない。
藤本さんも、ある日突然、鬼瓦を愛せるようになったわけではなかった。
「もう逃げない」と決めたあとに必要だったのは、気合いや根性よりも、もっと地道で、もっと静かな行為だった。
好きになる努力である。
多くの人は、好きだから続けられるのだと考える。だが藤本さんは、そうではなかった。好きになれないまま、ただ与えられた仕事だけをこなしていても、どこかで限界が来ることを知っていた。熱が入らない。命が宿らない。自分でも納得できない。ならば必要なのは、「好きになるのを待つこと」ではなく、「好きになるために手を動かすこと」だった。
彼がやったことは、とてもシンプルだ。
仕事として依頼された鬼瓦を作るだけではなく、お金にならないもの、自分が純粋に作ってみたいものを自由に作ってみたのである。
鬼。
龍。
植物。
オブジェ。
香りに関わる日用品。
思いついたものを、ただ形にしていく。
それは、子どもが粘土遊びをするような感覚に近かったのかもしれない。納期もない。評価もない。正解もない。ただ、自分の手が「作りたい」と感じたものを、そのまま作ってみる。
この時間が、藤本さんを創っていく。
自分で思いつき、自分で手を動かし、自分で形にしてみると、少しずつ見えてくるものがある。
自分は、何が好きなのか。
働くことそのものが好きなのか。
評価されることが好きなのか。
それとも、ただ「作ること」そのものが好きなのか。
藤本さんは、その過程の中でようやく気づく。
料理も鬼瓦も、本質は同じだったのだと。
品が違うだけ。
形が違うだけ。
自分はずっと、「作ること」が好きだったのだと。
この気づきは決定的だった。
なぜなら、この瞬間に鬼瓦は「家業」ではなくなったからだ。
継がされたものでも、仕方なく引き受けたものでもない。鬼瓦の中に、自分の中にずっとあった本質を見つけたのだ。
料理の世界にいた時、藤本さんは本当はキッチンに立ちたかった。
人に喜んでもらうことももちろん嬉しい。だが、その手前にある「自分の手で何かを生み出す」という工程そのものに、強く惹かれていた。
そしてその欲は鬼瓦という別の形に姿を変えて、ずっと彼の中に残っていた。
藤本さんはこの状態を、「育てたというより、芽生えた」と表現している。
自分で無理やり作り出したものではない。考え続け、作り続け、遊ぶように手を動かし続けていたら、ある日、勝手に立ち上がってきた感覚。探しに行って見つけるというより、向き合い続けた先で内側から芽吹いてきたものだったのだ。
そこに気づいたときから、藤本さんは更に仕事に熱が入るようになる。
鬼瓦に命が入るようになる。
それは単に技術が上がった、という話ではない。仕事の中に、自分自身が入るようになったのだという。
鬼瓦は、もう“継がされた仕事”ではなかった。
自分の手で生きていくための仕事になった。
そして、ここからようやく、藤本修悟という職人が立ち上がる。

第5章|技術の先に何を残すのか——人間味と和の心を、次の世代へ
鬼瓦を好きになれたこと。
作る喜びを取り戻したこと。
だが、藤本さんの物語が本当に深くなるのは、その先からだ。
彼は、ただ「鬼瓦が好きだ」と言って終わる人ではない。
鬼瓦という仕事を通して、もっと大きな問いを見ている。
それは、AIや効率化が進む時代に、人間にしか残せない価値とは何か、という問いだ。
知識だけなら、いまやいくらでも手に入る。
調べれば答えは出る。
AIに聞けば整理された答えが返ってくる。
最短距離で結果を出す方法も、どんどん可視化されていく。
だが、そんな時代だからこそ、藤本さんははっきり言う。
「人間味」
「泥臭さ」
「不完全さ」
そこにこそ、人間の価値があるのだと。
完璧なものは、確かに便利だ。
正確で、速くて、無駄がない。
だが、完璧すぎるものには、人はどこか距離を感じてしまう。
そこには揺らぎがない。迷いがない。弱さがない。
けれど人間は、本当はそういう“不完全なもの”にこそ惹かれるのではないだろうか。
弱音を吐く。
迷う。
だめなところがある。
それでも、なお手を動かし続ける。
そうした人間臭さの中にしか出せない味がある。
それは、知識では代替できない。
効率でも置き換えられない。
実際に見て、触れて、失敗して、考え、乗り越えてきた人間だけがにじませることのできる熱である。
藤本さんが信じているのは、そういう熱なのだ。
そして、その感覚はそのまま、日本人がもともと持っていた感性へとつながっていく。
藤本さんが語っていた江戸時代の話が、とても印象に残っている。
昔は、ゴミという概念がいまほど強くなかった。
布は何度も仕立て直され、子ども用になり、最後は雑巾になり、それでも役目を終えなかった。灰になっても使い道があった。食材の残りも、残飯も、すべて循環の中にあった。
何かを簡単に「もう要らない」とは決めなかったのだ。
この話は、ものづくりの話であると同時に、人の見方の話でもある。
いまの時代は、使えるか使えないか、効率がいいか悪いかで、あまりにも簡単に線を引いてしまう。
働けないなら要らない。
病気だから外れる。
役に立たないから排除する。
だが、本当はそうではない。
場を和ませる人がいる。
技術はまだ未熟でも、その人がいるだけで空気が柔らかくなることがある。
人にはそれぞれ役割があり、すべてを一つの物差しで測ることなど、本来できるはずがない。
和の心とは、同じになることではない。
違いを抱えたまま共にいることだ。
完璧じゃなくてもいい。
うまく言葉にならなくてもいい。
それでも、一緒に場をつくっていく。
その感覚を、藤本さんはとても自然に持っている。
だから彼にとって、技術や肩書きは、自分を大きく見せるためのものではない。
熊本城に関わったことも、鬼瓦の造形力も、表現力も、全部「誰かが手伝ってと言ってきた時に、支えられる自分であるため」にあるのだと言う。
そして最後に、IKIGAIとは何かと問われた時、藤本さんは迷いなく答えた。
「シンプルに言うと、人の笑顔ですね」
この一言が、すべてをまとめていた。
作るのが好き。
技術を磨くのも好き。
でも、どれだけすごい鬼や龍を作っても、誰も喜ばなければ意味がない。
見てくれる人がいる。
楽しみにしてくれる人がいる。
「すごいね」と言ってくれる人がいる。
その笑顔があるから、また作りたくなる。
また技術を磨きたくなる。
そこに対価が生まれ、循環が生まれる。
仕事とは何か。
本気とは何か。
技術は誰のために磨くのか。
藤本さんは、鬼瓦という仕事を通して、日本人がかつて自然に持っていた働くことの本質を、思い出させてくれる。
そしてその働き方そのものを、次の世代へ手渡そうとしている。
技術だけではない。
本気になること。
腹をくくること。
人のために技術を使うこと。
その姿そのものが、彼の継承なのだ。

あとがき
藤本さんの話を聞き終えたあと、心が大きく揺れた。
それは、一人の鬼瓦職人の生き方に感動した、というだけではない。
今この時代に、失われつつある日本の強みを守るためには何が必要なのか。
そのために、自分には何ができるのか。
その問いが、強く、深く、胸を打った。
そして、その答えの輪郭を、藤本さんの言葉と生き方が確かに教えてくれた。
今、社会は効率を求める。
早さを求める。
生産性を求める。
コスパやタイパという言葉が当たり前のように飛び交い、「どれだけ短く、どれだけ無駄なく、どれだけ数字を出せるか」が価値の基準になっていく。
その中で、日本はしばしば「生産性が低い」と言われる。
けれど、本当にそうだろうか。
藤本さんの話を聞いていると、そうした物差しでは測れない価値が、確かにあると感じる。
それは、世のため、人のため、次の世代のために、自分の時間や手間を惜しまない姿勢だ。
効率を度外視してでも、いいものを作る。
自分が儲かるかどうかだけではなく、誰かが喜ぶか、誰かの支えになるかを考える。
その仕事に誇りを持ち、命を込める。
この感覚こそ、日本が本来ずっと育ててきた強みなのではないだろうか。
和の心。
極めるということ。
見えないところにまで気を配ること。
違いを排除せず、抱えたまま共にあること。
そして、自分の技術や経験を、自分のためだけではなく、人や社会や未来のために使おうとすること。
それは、数字だけでは見えない。
売上や生産性だけでは、きっと測れない。
だからこそ今、見失われやすくなっている。
けれど、本当に時代を越えて残る価値とは、むしろそこにあるのではないかと思う。
藤本さんは、反発し、逃げ、迷い、未練を抱え、それでも最後に腹をくくった。
その過程を通して、ただ鬼瓦の技術を受け継いだのではない。
本気で生きるとはどういうことか。
仕事に誇りを持つとはどういうことか。
和の心を持って、次の世代へ何を残すのか。
その生き方そのものを、受け継ぎ、そして渡そうとしている。
もしかしたら、これからの時代に必要な新しい指標は、効率や生産性だけではないのかもしれない。
どれだけ人を救えたか。
どれだけ心を込められたか。
どれだけ誇りを持って、世のため人のために生きられたか。
そうしたものが、これからの時代の“本当の豊かさ”を測る基準になっていくのではないか。
そんなことを、藤本さんの姿は思わせてくれる。
日本は、まだ大事なものを持っている。
そしてその価値は、世界も少しずつ気づき始めている。
あなたの中にも、きっとまだ残っているはずだ。
忘れかけていた和の心。
誰かのために手を動かしたいという感覚。
本気で何かを極めたいという衝動。
自分だけではなく、周りと調和しながら生きていきたいという願い。
あなたは、あなたのままでいい。
違いがあっていい。
不完全でもいい。
それでも共に生きていく——それが和の心であり、日本の心なのだと思う。
藤本修悟さんの生き方は、そのことを思い出させてくれる。
日本は、まだ強い。
そしてその強さは、数字では測れない場所にこそ宿っている。
IKIGAIコネクター
尾﨑弘師


